バハマでのボランティア経験から       社会倫理高揚が課題   

1,光と影の狭間---観光の国にエイズの不安
                         
                        1998.6.15バハマより 大脇準一郎

 小生は今、バハマから書いている。三年前までは、そんな国があることも、頭に
無かった。バハマに住んで、今年で足掛け3年。「この国に何を与えることができ
るのか?」いまだ、模索の真っ最中である。バハマは、緯度から言えば、家内の
出身地、沖縄に近く、気候的にはハワイのように年中温暖で、絶えず花が咲き
乱れ、椰子の実、バナナ、マンゴ、びわ、グレープ、アーモンド、何でもなっている。

コロンブスが1492年10月12日、バハマ諸島のサン・サルバドル(救世主の意)島
を発見した。コロンブスが「これこそ、この世、最大の美」「この地こそは、世界の
誰でも喜ばせることが出きる場所」と称え、ジョージ・ワシントンが「永遠の六月」
と言って、穏やかな気候を愛したことは有名である。バハマはバハマ原語。
“浅瀬の海”、スペイン語“引き潮”に由来すると言われるように、エメラルド・
グリーンに輝く、サンゴの遠浅の海は今のところ、この国の最大の資産である。

人口28万人のこの国に、毎年、その12倍、340万人もの観光客が押し寄せて
いる。バハマの総収入の7割が観光収入で、客の8割が米国人であり、日本人も
昨年、空路だけでも8750人(毎日2、30人、大半が新婚カップル)が訪れている。
バハマの経済を支える、もう一つの柱が“タックス・ヘイブン”“オフショア・ビジネス”
といわれる、税制優遇措置による国際金融サービス事業である。一人当たりの
GNP(国民総生産)は1.2万ドル(95年)で、韓国を超えている。

バハマはキリスト教国家であり、バプテスト系を中心にプロテスタント、アング
リカン(英国・国教会)、カトリックと三つ巴で、数百メートルも行けば、必ず教会の
建物が目に付く。日曜には、国民全体の3分の2は着飾って礼拝に参加する。
国会や閣議は、牧師の祈祷を持って始まり、定期的に牧師の説教を聴く。

しかし、このパラダイスも、今、社会的には地獄の様相を呈している。この国で
は、エイズ患者(96年)が2101人、人口、1億2000万人の日本でさえ、エイズ
患者は、バハマの半分、1186人に過ぎない。エイズによる死亡率は、男・女と
も、それぞれ、2位、1位を占めている。85年から10年間の過去の統計は、30代
前後の若者を中心に、外国人からバハマ人へ、男性から女性へとエイズ患者の
急速な推移を物語っている。

男性死亡率の第1位は麻薬がらみの殺人(807件)、毎日、2.2件の殺人事件が
あったということであり、バハマは世界一の観光地として選ばれる一方、世界一の
犯罪発生地との汚名を着たこともある。驚くべきはこれからで、生まれてくる子供
の6割が“未婚の母”からで、このような“未婚の母親家庭”が全体の45パーセ
ントを占めている。この光と影の狭間をどう埋めることが出きるのだろうか?




 2, 奴隷制の暗い影… 尊敬心や責任感が欠如
                          
                        1998.7.1バハマより  大脇準一郎

この国で不思議に思うことがいくつかある。

 その一つが、午後三時になるとと政府の役人であろうが、銀行の従業員であろ
うが、だれでも子供を学校から連れて帰るために、職場を休むことである。この
ため、午後三時前後になると急に交通渋滞となり、大変である。

 国家的に見ても、大きな労働力の損失であり、時間の貴重な観光客にとっても、
いたって迷惑な話である。スクールバスを配置したり、公共バスを利用するとか、
方法はいくらでもあると思われるのに、なぜなのか?

 また、「明日来るから」と言われて待っていても、当人は来ない。約束の時間
を一、二時間遅れるのは当たり前(これをバハマ時間いう)で、明日は来ると約
束しても、一日待っても来ないばかりか、それに対して何の音さたもない。時間
にうるさい日本人にとってはショックである。 あるいは、海に囲まれたこの国
は、豊富な海洋資源があるのに、あまり魚を食べず、チキンを好む、なぜなのか?

 その答えが、すべて一つにつながっていることを後ほど、発見した。それは、
過去の奴隷制の暗い影である。主君のために忠誠を尽くすことが美徳であり、常
識である日本とは全く反対の極である。 約束を守らないのは一部の人だけでは
なく、上院議員、教師、牧師だれでも同じである。強制され、恐怖心から仕方な
く従っている奴隷にとって、せめてもの自由は、仕事をサホタージュすることで、
彼らの長年の自己蔑視が、他人への尊敬心・社命的関心をも失わせ、自己本位の
生活活動を促している。 「離婚率、未婚の母の多いのは、この国に男女間の尊
敬心、相手や子供、自分自身に対して責任感が欠如しているためである」と、あ
るカウンセラーは述べていた。このような観点から見れば、彼らが約束を守らな
くても、同情の余地も生まれる。

 日曜には,お互いに競うようにおしゃれをし、着飾って教会に参加する。 奴
隷にとって、「日曜日こそ苦しい労働のくびきから解放されて、自由に神を賛美
できる解放の一日」であったことを思い起こせは、声援の惰も生まれてこよう。
  更に又、「奴隷が魚の味を覚え、漁業に専念しだせば、国外逃亡の可能性が
ある」という不安から、彼らを漁業に携わらせなかったと聞けば、チキンを最大
の好物として喜ぶ彼らが、かわいそうにも思えてくるのである。




 3, バハマに必要なもの---愛し、尊敬すること…
                      
                   1998.7.15バハマより    大脇準一郎

 先日カリブ海地域のクオリティー・フォーラムがあり、米国を含めたカリブ地
域のリーダーが一堂に会した。この席での参加者の最大のコンセンサスは、
「カリブ諸国にかけているのは“社会的資本の蓄積”である」ということであった。

 これと好対照なのが日本である。 日本に富の蓄積が出来た秘密も、この“社
会的資本”に恵まれていたことである。このことは経済新興で注目されるアジア
の諸国が、いずれも、儒教的背景があることと関係している。儒教は家庭的倫理
を基盤とし、社会的団結を強調する。 バハマはキリスト教国家である。国民の
大半が毎週、熱心に教会に通っている。彼らは表現力が豊で、音感に優れている。
礼拝が三時間以上も続くのは当たり前で、その三分の二がシンバル、太鼓、キー
ボードの音に合わせて全身を動かしての、ディスコ並の賛美歌の連続である。説
教はいたって簡単、「主(イエス)は偉大なり!」。このキリスト教信仰とバハ
マの暗い社会的現実とはどうかかわるのか?

 まず、隔絶された神と人間との関係を取り戻すべきである。神と関係のある人
間は、神が偉大であるように偉大である。神が絶対的であるように人間も絶対的
である。ここに人間の尊厳性復帰の原点がある。

 言い換えるならば、愛は関係的なものである。愛は相手が自分と同等、あるい
はそれ以上であることを喜び、相手の苦痛を自分の苦痛以上に感じる。この面か
ら言えば、神は、いくらたたえられても、たたえてくれる人間が、日ごろ、神と
関係のない殺人や無責任な出産をしていては、喜ぶはずがない。心から神を愛す
るなら、神との関係を保って、自己の自尊心(神性)を死守すべきである。

 駄目な自分を完全に自己否定し、新しく、神との関係における、尊厳なる自己
を再発見すること。イエスも第2の戒めとして「自分を愛するように、あなたの
隣人を愛せよ」と強調されたのである。この「自分」というのは、古い自分では
なく、神によって生まれ変わった「新しい自分」のことを言っている。難しく言
えば、アイデンティティーの確立、絶対的価値観を確立することである。

 繰り返すが、まず、この国に必要なのは、自尊心の回復、自己責任の自覚であ
る。自己の尊厳性に目覚めてこそ、それを貴び、愛することができ、また他人を
も愛し、尊敬することができるのである。この国の社会的現実はそれには、程遠
い。しかし、改革は始められなければならない。

 物質的協力は、呼び水でしかなく、永遠に涸れない井戸水は、彼ら自身の中か
ら、掘り出さなければならない。幸い、そのことに目覚め、この国の将来を憂え
ている義人はいる。彼らと手を携え、この国を自然だけでなく、社会的にも楽園
とするため、心血を注ぎたいと思う昨今である。





 4, 社会倫理高揚が必要---信頼感醸成の活動を計画・・
                    
                        1998.8.1バハマより     大脇準一郎

 バハマの人々に「なぜ日本から来たのか」と聞かれれば、小生はいつも次のよ
うに答えることにしている。すなわち、「私達は、地球家族の一員として,兄弟を
助けるために来ている。これは家族としての当然の義務である。バハマは国民
の生活水準が高いので、ODA(政府開発援助)の対象国とらないが、われわれは
民間団体なのでバハマに来ている。ありがたく思ってもらいたい」

 「いろいろな物資援助も可能な限りしたいと思うが、私達の本当の願いは、皆
さんが自信と誇りを取り戻し、物心ともに豊かになり、そして皆さんの故郷であ
るアフリカの危機を救うために、こぞって奉仕に出かけるようになってもらうこ
とである」 こう述べると、“アメリカ人や日本人に国を乗っ取られはしないか”
と恐れていたバハマ人も大概は納得する。

 この国に最も必要なものは、新しい家庭観・社会観・国家観の確立と、これを
支える社会倫理・モラルの高揚である。このことは先に述べた真なる価値観(真
の愛・神)を中心としてこそ、初めて可能となることは言うまでもない。「和を
以って貴しと為す」日本人、「衆和を集める」ことに得意な我々は、この点バハ
マに多くの文化的貢献をできることが期待されよう。

 この国のマイナスでしかなかった社会資本を蓄積し、“信頼と敬愛に満ちた麗
しい社会”を建設することは容易なことではない。しかし、まずは「隗(かい)
より始めよ!」で、今、牧師達と協力して、バハマの人々の家庭内で、お互いの
尊敬心を高め、職場や地域での互いの信頼感を高めるような、ボランティア活動
を展開する計画を練っているところである。

 バハマは、世界一の観光国を目指している。それには、観光局だけでなく移民
局の協力も必要である。これは、バハマの観光局の高官や市民の一般感情だけで
なく、世界に共通した現象でもあるが、視野の狭い、横柄な審査官によって、ど
れほど、この国を訪れる良心的な外国人の心を傷つけていることであろうか。ま
た、ホテルでの盗難を減らすには、従業員の協力が必要であり、不当な料金を吹っ
かけないよう、タクシーの運転手の協力も必要である。 バハマは今、追いつき、
追い越すことに熱心だ。小生が、バハマ観光局高官達に、

「本当に“世界一の観光国家”を目指すなら、世界的観光国家間のネットワーク
の形成、グローバルファミリーとして、貧困に喘ぐ国々に希望を与え、彼らの先
導者となるような気概・発想の転換が重要」また、「バハマは経済水準が高いの
で、政府の海外援助の対象とならないが、そのようなグローバルなプロジェクト
であれば、日本からの援助の可能性もある」と述べたら、彼らは“日本からの援
助”ということだけに、関心を寄せていたのが印象的であった。       

                 * 世界日報 1998,6.15~同年8.14会にわたり連載

 
 バハマ国移民局への推薦状

  ※ バハマはキリスト教国家、日曜はほとんどの国民が着飾って教界に通う。
     バハマへの長期滞在のため、移民局に小生の推薦文を書いてくださいました。
     皆様の有形・無形のご協力に衷心より感謝申し上げます。

 大脇準一郎氏は、私の20数年来の友人であります。氏は深い信仰心を持ち、高潔で
誠実な人格の人であり、この点では、私は氏を深く尊敬しております。
 若いときから、世界の平和を願って、私事を投げ打って働いてこられた、優れたボラン
ティアのリーダーの一人であります。
 私の理解しているところでは、氏はこの精神で貴国の国民教育の向上のために努力
されていると信じています。こうした氏の志と活動の趣旨が、貴国の人々に広く理解され
ることを願っております。  
              1998年3月31日 筑波大学名誉教授 鈴木博雄

 大脇準一郎氏は私の古い友人で且つ人生の師であります。
氏によって、私は優れた神観を教えられ、人生の意義を考えさせられました。また氏は
、その学識と人間性によって多くの優れた人脈を持ち、私も何人もの日本の誇る人材を
紹介していただき、世界平和の為に、何を為さなければならないかを教えられました。

氏は、日頃己を捨てて世界平和のための活動を続けておられ、その日常を知れば知る
ほど尊敬の念が深まるばかりであります。氏こそ、貴国の民心の高揚に資する人である
ことを信じて疑いません。     
                  1998年3月21日          A.K(企業役員)

   S:080-3350-0021  Line,Skype:junowak
    大脇提言:http://www.owaki.info/

バハマと日本 ー場は目のへの贈り物と日本への教訓ー
               1998年5月10日'98        大脇準一郎

1、バハマのイメージ:光と陰
小生は今、バハマから書いている。 3年前までは、 そんな国があることも、あま
り頭になかった。 偶然の出来事から、バハマに行くようになって、今年で足掛け3
年になる。 “この国に何を与えることができるのか?"未だ、模索の真っ最中であ
る。 私が「バハマにいる」と言えば、 “観光地"として名高いこともあってか、 大
概の友人からは、 羨ましがられている。 緯度から言えば、 家内の出身地、沖縄と
近く、 気候的にはハワイのように、年中温暖で、 絶えず、花が咲き乱れ、 椰子の実、
バナナ・マンゴ・琵琶・グレイプ・アーモンド、何でもなっている。 コロンブスが
1492年10月12日、バハマ諸島のサン・サルバドル(救世主)島 を発見してから、 南
・北アメリカ大陸は世界に知られる所となった。 コロンブスが“これこそ、この
世最大の美”“この地こそは、 世界のだれでも、喜ばせることが出来る場所"とバ
ハマを称え、 ワシントンが“永遠の6月"と言って、穏やかな気候を愛したことは
有名である。 バハマは バハマ原語“浅瀬の海"、スペイン語“引き潮"に由来する
と言われるように、エメラルド・グリーンに輝く、サンゴの遠浅の海は、絶景で、 今
のところ、この国の最大の資産である。
 28万人の人口の国に、年間、340万人、12倍もの観光客がどっと押し寄せせている。
バハマの総収入の7割が観光収入で、 労働者の半数以上がホテルとか土産店とか
観光と関係したサービス産業についている。 お客の8割が米国人であり、 彼らに
とって、バハマは手軽なリゾート地・避寒地である。 日本人も昨年・空路だけでも
8750人(毎日2~30人大半が新婚カップル)、バハマに訪れている。 バハマの経済を
支えるもう一つの柱が、“tax haven" “offshore business"と言われる、税制優
遇措置による国際金融サービス事業である。 国民1人当たりのGNPは1.2万ドル
('95)、韓国を越えている。
  バハマは基督教国家であり、バプテスト系を中心にプロテスタント・アングリ
カン(英国国教会)・カトリックと三つ巴で、 数百メートルも行けば、 必ず、教会の
建物が目につく。 日曜には、 国民全体の3分の2は、皆、奇麗に着飾って、礼拝に参
加する。 国会や閣議は、牧師の祈祷説教をもって始まり、定期的に牧師の説教を聞
く。 財務省の窓口にまで、 敬虔な神への感謝と祈りの言葉が張ってある。
  人口28万人・国民の85%が黒人で、 黒人の総督・首相の下に、 イギリス連邦
の一角を担っている。原住民ルカヤン・インデアンは絵を描くことを好み、ハンモッ
クを愛用し、大変きれい好きな民族であったと言われている。 彼らは大陸に連れ
て行かれ、消滅したが、 その審美的伝統は、アフリカ大陸から奴隷として 連れて
こられた黒人達の子孫に、受け継がれ、 彼らも又、大変、おしゃれである。 着物・町
並・家のたたずまい・ジャンカヌーの踊り、いずれもカラフルで観光客の目を和ま
せてくれる。 バハマの国旗は青の生地に中央線右が黄色・左側黒三角で、 青は空
と海(天地の大自然)を・黄色はあふれるばかりの太陽(神)を、黒は黒人を表してい
る。しかし、このパラダイスも社会的には地獄の様相(失楽園-パラダイス・ロスト)
を呈している。
 まず、 エイズ患者(1996年)が2101人、 人口1.2億の日本はその半分の1186人と
比べていかに多いか、お分かりいただけよう。 死亡率の男女ともそれぞれ、2位、1
位を占めている。1985年から10年間の過去の統計は30代前後の若者を中心に、外国
人からバハマ人へ、男性から女性へとエイズ患者の急速な推移を物語っている。
男性死亡率の第1位は麻薬がらみの殺人(807件)、毎日、2.2件の殺人事件があった
ということであり、 バハマは世界一の観光地として選ばれる一方、世界一の犯罪
発生地との汚名を着たこともある。 驚くべきはこれからで、生まれてくる子供の
六割が“未婚の母"からで、このような“未婚の母親家庭"が全体の45%を占めて
いる。 この光と陰の狭間をどう埋めることができるのだろうか?

2、比較文化思考
 首都のあるナッソには人口の6割近い、16万人が住んでおり、 第2の都市、 フリー
ポートは5万人、貿易・金融を中心とした新商・工業都市である。 この島に一泊した
おり、 ホテルのフロントに大きな絵画が掲げられているのが目に付いた。 自由の
女神と和服姿の女性・そして、琉球服姿の女性と3人の女性がキャンパスに大きく
描かれ、 その側で遊んでいる子供・道端に腰をかけている男性が小さく描かれて
いた。 なぜ、こんな所に、 日本の女性が二人も大きく描かれているのか、不思議に
思い、フロントに尋ねると、その作者、レオ・ブラウン氏を紹介してくれた。 彼はバ
ハマを代表する有名な画家で、 彼の説明によると、「3人の女性は経済ジャイアン
トである米国、日本を象徴し、道端で遊んだり、腰掛けている人々は今、怠けて
いるバハマ人を、自由の女神の先に描かれた大きな黒人の顔は、次の世紀は、我
々も怠惰を克服して、ジャイアントになるのだという“バハマ人の夢"を描いたの
だ」という。
 このホテルで 泊まっている日本人、母と娘に合った。この親子の話しによれ
ば、 「昨夜、ホテルのレストラントが閉まるころ、食事に行き、部屋に帰って、8
ミリカメラを忘れたことに気づいたのでので、レストランに行くと『もう閉まっ
たので、明日、朝来てく』」とボーイが言うので翌朝行ったら、『無い!』の話し。
その後、ホテル側から何の結果報告も“無しの飛礫"」と言う。 通りがかかった
一日本人として、サービス精神欠けたシキュリティーガード・ホテルマネージャー
と一生懸命折衝したが、結局、カメラは出てこなかった。彼らが日本をどのよう
に見ており、また彼らの夢と現実には大きな差異があることを見せつけられた出
来事であった。
 カリブ海は、南米の麻薬中継基地としても、有名である。 バハマは、大小さまざ
まな島が700、サンゴ岩礁を入れれば、3000近くあり、島ごと買って住んでいる人も
いる。 しかし、95%は無人島である。 無人島は格好の麻薬中継基地である。 東西
に153キロ・メートル、車で2時間もあれば、背骨のように、中央を走っている高速道
路を通って、反対側の海岸に着いて仕舞う。 この1372平方キロの小さな島に、つい
最近まで、3つの飛行場があった。 東西両端と中央より、やや、西よりにある現在の
空港である。 かっては、景色の良い東西の端には、空港もあり、豪華なホテルが立
ち、大変な賑わいであったという。 ところが、南米の麻薬基地として、使われてい
ることが発覚し、警察が一斉に検挙し、空港も閉鎖されたままである。 豪華なホテ
ルは、今は見る影もなく、 辺りは草、茫々、まさに、“兵どもの、夢の跡" である。
ついお金が欲しさに、麻薬販売に手を貸し、犯罪にのめり込む青年が後を絶たない
のが、バハマの現実である。
  この国で不思議に思うことがいくつかある。
その一つが、午後3時になると政府の役人であろうが、銀行の従業員であろうが、
誰でも、子供を学校から連れて帰るために、職場を休む。このため、午後3時前後
になると急に交通渋滞となり、大変である。 国家的に見ても、大きな労働力の
損失であり、時間の貴重な観光客に取っても、いたって迷惑な話である。 スクー
ルバスを配置したり、公共バスを利用するとか、方法はいくらでもあると思われ
るのに、何故なのか? また、「明日来るから」と言われて待っていても当人は来な
い。約束の時間を1~2時間遅れるのは当たり前(バハマ時間)で、明日は来ると
約束しても、1日待っても来ないばかりか、それに対して何の音沙汰もない。時
間にうるさい日本人に取っては、出会う、第一のカルチャーショックである。
 あるいは、海に囲まれたこの国は豊富な海洋資源があるのに、あまり魚を食べ
ず、チキンを好む。 何故なのか・・・・・?
その答えが全て一つにつながっていることを後程、発見した。それは、過去の
奴隷制の暗い影である。 奴隷主は、多数の奴隷を主管するには、“分割して統治
せよ!”とのマキュアベリ的手法で黒人達同志が団結しないよう、措置を取って
きた。スクールバスで殺傷事件があったりすると、すぐ日ごろの不信感が爆発し
てしまう。 外国人から見れば、大変な無駄なことであっても、この国にとっては。
だれもが納得している、やむを得ない措置である。主君の為に“忠誠"を尽くすこ
とが、美徳であり、常識である、日本とは全く、反対である。
 約束を守らないのは一部の人だけではなく、上院議員・教師・牧師だれでも同
じである。 強制され、恐怖心から仕方なく従っている奴隷にとって、せめてもの
自由は、仕事をサボタージュすることで、彼らの長年の自己蔑視が、他人へ尊敬心
・社会的関心をも失わせ、自己本位の生活行動を促している。「離婚率、未婚の母
の多いことはこの国に男女間の尊敬心、相手や子供、自分自身に対して責任感が欠
如しているためである」と、あるカウンセラーは述べていた。このような観点から
見れば、彼らが約束を守らなくても、同情の余地も生まれる。 日曜日には、お互
いに競うようにおしゃれをし、着飾って教会に参加するのも、奴隷に取って、
“日曜日こそ、苦しい労働のくびきから解放されて、自由に神を賛美できる解放の
一日"であったことを思い起こせば、声援の情も生まれて来よう。 “奴隷が魚の
味を想え、漁業に専念しだせば、国外逃亡の危険が"との不安から、“彼らを漁
業に携わらせなっかた"と聞けば、チキンを最大の好物として喜ぶ、彼らが、可哀
想にも思えてくる。
 小生も日本にいるときは、「南国の人達は昼寝をしてぶらぶらしているから
だめなのだ」と言う感じを抱いていた一人である。しかし、実際、南国に住んでみ
れば、大変である。 日本でも盛夏の折、全国一斉にエア・コンを使えば、電力
が足りなくなって困るように、人体においても、外気の暑さと体温を調節するに
は、大変なエネルギーが消費されている。外を出歩く人にとっても、エア・コン
を買う程のゆとりのない人にとっても、昼寝はやむを得ないエネルギー節減・補
給方法である。
  バハマは山が無い。お陰で、どこへ行っても山に出くわす、日本よりは、広大さ
を感じさせられる。しかし、水がまずく、そのままでは飲めない。改めて、山々の
ありがたさを感じさせられる。どの家も、36リットル(20升)のボトルを毎
週5~6本(1本4ドル)買っている。イザヤ・ベンダサンの「ユダヤ人と日本
人」という本に「日本人は水と安全をただであると考えている」という有名な言
葉を思い起こす。また、その本の中には、ニューヨーク・ウオルドルフ・アスト
リアホテルのペントハウスに住む、あるユダヤ人の話として“安全を高価な代価
を払って買っている”との話があるが、家賃が安いと思って下町に住んでも、年
間何度か盗難に会い、特に日本人は狙われ易く、同情でもしてもらえるかと思て
話しても、慰めの言葉は「怪我がなくて良かった。」程度が、関の山である。
“安いと思って飛びついても、安全を軽視すると結局、 高くつく"ことを海外で
生活した経験のある方々は、大なり小なり、実感をもって受け止めてくださるこ
とであろう。
 いつも青空に太陽が輝き、はてしない海原からそよ風が吹き寄せ、バナナやマ
ンゴがたわわに実り、道端に落ちているヤシの実やアーモンドを拾う人もいない。
小鳥のさえっずりを聞き、軽快なリズムでも聞こえてくれば、心も弾み、体も自
然に動くというものである。 湖には水上飛行機が発着し、港にはヨットやバルー
ンが空中高く舞い上がっている。まさに“楽園”である。 ハワイやマイアミに
は余生を過ごそうという高齢者が多いことで有名であるが、功成し遂げた人々、
あるいは一時のレジャーを楽しむのには良いかもしれない。しかし、“何か事を成
し遂げよう!"と言う人々には向いていない。身が引き締まらないのである。“人
生には節目が大切である。”と言うが、この“節目"が無いのである。樹木を見て
も、年輪がない。 四季の移り変わりのはっきりした日本に住む我々は、その点、地
球上のだれよりも恵まれているのかもしれない。

3、バハマに必要なもの
 先日、カリブ海地域クオリテイーフォラムがあり、米国を含めたカリブ地域
のリーダーが一同に会した。 この席での参加者の最大のコンセンサスは、「カリ
ブ諸国に欠けているのは“社会的資本の蓄積”である。」ということであった。こ
れと好対照なのが日本であり、 我が国の富の蓄積の秘密も、この“社会的資本"
に恵まれていたことである。このことは経済新興で注目されるアジアの諸国が、
いずれも、儒教的背景があることと関係している。儒教は家庭的倫理を基盤とし、
社会的団結を強調する。同じ儒教の中でも、血族中心の大陸的倫理が発展した中
国・韓国と違って、日本では、島嶼的疑似血族的倫理(家元制度)が発展した。 こ
のことが中国や韓国に先んじて、日本が富を生み出した大きな要因の一つである
が、同時に行き過ぎた集団倫理は、時には、非人道的な行為を正当化し、世界から
孤立する不安要因ともなっている。
 長年、分割して統治されてきた、バハマの黒人たちにとって、 お互いに信頼
を取り戻し、社会的に団結することは容易なことではない。この点から、午後3
時になれば、学校に親が子供を迎えに行くのも、 同情をもって見られる。この会
議で参加者との討議で互いに再発見したのは、カリブ社会に欠けているのは、他
人への尊敬心であり、それを突き詰めれば、自尊心の喪失であるということであ
る。 この点から見て初めて、彼らが時間に対して無頓着なのも、約束を平気で
破っても気にしない心情が理解できる。奴隷にとって主人は、恐怖の対象でしか
なく、隣人を信用しようものなら、その情報を主人に利用されて、大きく損害を
被りかねない。“まずは、自分を守ることにと努めた方が賢明だ"と云うことであ
る。 
 この国は基督教国家である。国民の大半が毎週、熱心に教会に通ってい
る。彼らは表現力が豊かで、音感に優れている。礼拝が3時間以上も続くのは当
たり前で、その3分の2がシンバル・太鼓・キーボードの音に合わせて全身を動か
してのデェスコ並の賛美歌の連続である。 説教はいたって簡単、「主(イエス)
は偉大なり!」この基督教信仰とバハマの暗い社会的現実とはどう係わるのか?
ここに西欧周りの基督教の限界を見いだす。基督教はジュデオ・クリスチャニテ
イーの伝統に立っているというがー西欧人自身は気づきにくい盲点であるがー西
欧人は、我知らず、グレコ・ローマン的パラダイムで基督教を捉えているのであ
る。三位一体論や基督論の信仰と理性の矛盾も、実体を環境と離れた個物として
しか観ない、アリストテレス的ギリシャ哲学では永遠に解けない。実体を関係的
存在と観る、東洋的アプローチでこそ、この難問は簡単に解ける。西欧に歪曲さ
れた基督教は、東洋のリレイショナル(関係的)なアプローチを取り入れ、まず、
隔絶された神と人間との関係を取り戻すべきである。
 神と関係のある人間は、神が偉大であるように偉大である。神が絶対的である
ように人間も絶対的である。ここに人間の尊厳性復帰の原点がある。言い換える
ならば、愛は関係的なものである。 愛は相手が自分と同等、あるいはそれ以上
であることを喜び、相手の苦痛を自分の苦痛以上に感じる。この面から言えば、
神は、いくら讃えられても、讃えてくれる人間が日頃、神と関係のない殺人や無責
任な出産をしていては、喜ぶはずが無い。心から神を愛するなら、神との関係を
保って、自己の自尊心(神性)を死守べきである。だめな自分を完全に自己否定
し、新しく神との関係における、尊厳なる自己を再発見すること。イエスも第2の
戒めとして「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ!」と強調されたの
である。 この「自分」と言うのは旧い自分ではなく、神によって生まれ変わっ
た「新しい自分」の事を言っている。 難しく言えば、アイデンティティーの確
立・絶対的価値観を確立することである。 まず、この国に必要なのは、自尊心の回
復・自己責任の自覚である。 自己の尊厳性に目覚めてこそ、それを貴び、愛する
ことができ、また他人をも愛し、尊敬することが出来るのである。この国の社会
的現実は、それには程遠い。しかし、改革は始められなければならない。物質的
協力は呼び水でしか無く、永遠に涸れない井戸水は、彼ら自身の中から掘り出さ
なければならない。幸い、そのことに目覚め、この国の将来を憂う義人がいる。
彼らと手を携え、この国を自然だけでなく、社会的にも楽園とするため、心血を
注ぎたいと思う昨今である。バハマは今、民族の誇りをどこの求めるべきか、模索
している。 毎年、12月26日、ボクシングデイには夜通し踊る“ジャンカヌー祭"(ア
フリカから受け継がれた伝統的踊り)があり、仮装行列のバハマ人が何千人となく
繰り出している。 このジャンカヌーの踊りを政府は推奨しているが、「サタンで
ある」と教える教会学校もある。 確かに、多神教的アニミスム・一夫多妻制のアフ
リカ文化そのものに、今日のバハマの社会問題の源泉があるようにも思える。 ア
フリカ伝統文化と基督教との二律背反の矛盾を克服して、どうアイデンティティー
を確立しようというのだろうか? マンボやチャチャ、多くのジャズがカリブから
生まれたように、とにかく、彼らは、歌と踊り、リズムに乗ることがとてつもなく、
うまい。 “バハマの教会の発展の8割は、音楽にかかっている。"と言われるくらい、
歌と踊りへの国民的ニードが高い。 日本でも人気の高い“バハメン"もこのよう
な民族のアイデンテティーを模索する、葛藤の中からほとばしり出たものである。
 バハマの人々は上から下まで、“外国人は我々に援助してくれるものだ”
という依頼心・期待感が大なり小なりある。特に日本人と言えば、その期待感は
100%に近い。南アフリカのホテル王(ケルナー・スル)、サン・インタナショナ
ルはアトランティスホテルをさらに越えるホテル増設のために、さらに、5、9兆円
の投資を発表し、建設工事は急ピッチに進んでいる。また香港系の湾口王(リー・カー
シン)、ワンポア会社が6.5兆円を投資して、フリーポートの湾口開発をさらに進め
ている。10年以内には、フリーポートは、西欧世界の“香港"・“シンガポール"にな
ることを見越しての投資である。これと比べれば、多少の、物資の援助くらいでは、
この国では“昼行灯"である。 “この国に、我々は何を与えることができるのか?"
お金や物は食べ物と同じで、一時の欲望を大いに満たしてくれるが、また、すぐ
欲しくなる。 それも、次には、もっと良いものを、である。
 人口・世界の2%に過ぎない日本は、毎年、連続、ダントツの海外援助国である。
世界全体の援助額の22.9%('94,2位の米国は17.1%),実に、世界平均の11倍以上も
頑張っているのである。 バハマの人々に 「なぜ、日本から来たのか?」聞かれれば、
小生は、いつも次のように答えることにしている。 即ち、「大半の日本人は、あまり
にも、日本が住み心地が良いので、海外で暮らしたがらない。 しかし、文明史の教
えるところは、自国の発展に自己満足した民族は、自らの腐敗・堕落により、いずれ
も滅びて行った。」 「今、日本が生き残る道は世界に出掛けて奉仕することである。
日本政府も、長年の海外援助の経験から、物質的援助よりは人的援助、さらには最
近では、教育的援助・援助対象国自体の人材育成こそ最大の課題と見なすようになっ
てきた。 そのために、政府は80年代末から、海外派遣のための人材養成と、民間NGO
の育成に力を注いでいる。 」 「私達は、地球家族の一員として、兄弟を助けるため
に、来ている。 来れは、家族としての当然の義務である。 バハマは国民生活水準が
高いので、ODAの対象国とならないが、我々は民間団体なので、バハマに来ている。
ありがたく思ってもらいたい。」 「いろいろな物資援助も可能な限りしたいと思う
が、 私達の本当の願いは、 皆さんが、自信と誇りを取り戻し、物心ともに豊かにな
り、そして、皆さんの故郷であるアフリカの危機を救うために、挙って、奉仕に出か
けるようになってもらうことである。」 「ケネディー大統領が言ったように、『何
をしてくれるか?』ではなく、他のために『何をなし得るか?』を問うことが大切
でなかろうか?」 こう述べると、“アメリカ人や日本人に、国を乗っ取られはしな
いか"と恐れていたバハマ人も、大概は納得する。

 この国に最も必要なものは、新しい家庭観・社会観・国家観の確立と、これを
支える社会倫理・モラルの高揚である。東洋的リレーショナルなアプローチは存
在を関係性(場)に見いだす。“人間”と言う字も人は関係的存在であることを
強調している。家庭において、「お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん」
と呼び合うのであって、決して目上の人に対しては、個人名を呼ぶような、失礼な
りことはしない。 目上の人や他人に対しては尊敬語を使うことが社会常識となっ
ている。しかしながら、東洋社会はこの全体性を重んずるあまり、個を蔑ろにし、
個人の自由闊達な活力を阻害し、西欧的近代化から、大きく取り残された。他方、
効用性と公平性を価値基準として、個人の自由・創造性・自主性を強調した西欧
世界は、科学技術を主力とする近代化に成功し、豊かな富・物質的享楽を満喫し
ているが、今や、その個人主義原理のゆえに、家庭・社会崩壊・自然環境破壊の
危機に直面している。
 今、必要なことは、家庭や国家を関係的場(全体)として見る東洋と、個物の集
合と見る西欧を融合した、実体を二重体(複合体)と見る、新しい存在観(世界観)
の確立、そして、この関係性を高める道徳・倫理(グループエシックス)ー相互信頼・
尊敬に基づく、相互依存関係の確立である。 このことは先に述べた真なる価値観
(真の愛・神)を中心としてしてこそ、初めて可能となることは言うまでもない。
「和を以て貴しとなす」日本人、“衆知を集める”ことに得意な我々は、この点、
多くの文化的貢献が、バハマにできることが、期待されよう。
 この国のマイナスでしかなかった社会資本を蓄積し、“信頼と敬愛に満ちた、麗
しい社会"を建設することは容易なことではない。 しかし、まずは、「櫂より始めよ!」
で、今、牧師達と協力して、バハマの人々の家庭内で、お互いの尊敬心を高め、職場
や地域で互いの信頼感を高めるような、ボランティア活動を展開する計画を練っ
ている所である。
  バハマは、世界一の観光国を目指している。それには、観光局だけでなく、移
民局の協力も必要である。これは、バハマの観光局の高官や市民の一般感情だけ
でなく、世界共通した現象でもあるが、視野の狭い、横柄な審査官によって、どれ
程、この国へ訪れる良心的な外国人の心を傷つけていることであろうか? また、
ホテルで盗難を減らすには、従業員の協力が必要であり、不当な料金を吹っかけ
ないよう、タクシーの運転手の協力も重要である。ハハマは“今、追いつき、追
い越すこと”に熱心だが「本当に“世界一の観光国家"を目指すなら、世界的観
光国家間のネットワークの形成・グローバルファミリーとして、貧困にあえぐ国
々に希望を与え、彼らの先導者となるような気概・発想の転換が重要」 「バハマ
は国民経済水準が高いので、政府の海外援助の対象とならないが、そのようなグ
ローバルなプロジェクトであれば、日本からの援助の可能性もある。」旨、観光局
の高官に述べたら、彼らは、“日本からの援助"と言うことだけにひどく、関心を
寄せていたのが印象的であった。

4、日本人に欠けるもの
海外での生活はその社会的事情が分からないので戸惑うことも、また無知の ゆ
え失敗することも多い。長年、海外青年協力隊の責任を取ってこられた方が、し
みじみと「皆さんに教えられるのは、失敗談だけだ。どうしたらいけないか、その
教訓を学んで下さい!」とおっしゃていたが、我々のバハマ経験も、またしかりで
ある。例えば、建物の登記; 昨年、事情があって、個人登記にし、580万円登記料を
払い、今年、団体登記に切り替える必要性が生じたため、また580万支払わなければ
ならないということになった。たまたま、印紙代として預けたお金を、弁護士が勝
手に弁護士料として先に取ってしまため、当局に書類が提出されないままであっ
た。 弁護士のやり方に疑問を感じたので、直接、当局に聞いたところ、「公益団体は
登記料は要らない!」とのこと。このことを知らなかった弁護士も、職務上の怠慢で
あるが、お陰で今回は、登記料を支払わないで済んだ。 しかし、始めから、そのこと
が分かっておれば、昨年のような個人登記を避け、無駄なお金を浪費せず済んだわ
けである。
昨年、ニューヨークからブラジルへ入ろうとする40数名の一行が、マイアミの
領事館を通さなければならないという。 「それには1人、百数十ドルドルの手続き
料が入る」とエイジェントが言うので、一行は、大急ぎで、パスポートをマイアミに
送ろうとしていた。 しかし、考えてみれば、領事館はマイアミだけでなく、ニュー
ヨークにもあるはずであり、実際、ニューヨークのブラジル領事館に聞いて見たら、
なんと“手数料は、50ドルの印紙代のみ!"であった。 お陰で、4000ドル以上の手続
き料と、マイアミまで行く旅費と時間が節約された。 このとき、忘れ難に思い出が
ある。 一行は、「ポルトガル語ができない」と言うので、尻込みしていたが、小生が、
ホテルの受付の人に相談すると、彼女がポルトガル語を話せる人を見つけてくれ
た。 その人は、長年、ブラジルの教会長をやっていた方で、たまたま、本人がNYに帰っ
ていたときであった。 幸にも、彼の義弟が、ブラジルの教会の後任をやっていたの
で、審査官は、ほかの証明書の提出を要請することもなく、すんなりとその場で全
員ビザをくれた。この、元教会長の話によれば、「ブラジルでは、“ストリート・チル
ドレン"といって、世話をする親もいない、路上で暮らしている子供たちがいる。こ
の子供達を、警察は銃を乱射し、毎日、何十人と無く殺している!」というショッキ
ングな話をしてくれた。 その他、今まで聞いたことも無い、ブラジルの暗い側面(
実情)を聞くことができた。 長年、ブラジルを愛してきた人でなければ、語れない
世界である。 このような恥部は、どこの社会にもある。 バハマでも、先日、ダンプ(
ゴミ捨て場でゴミを拾って、生活している人)を救済するために、奉仕をしている、
青年牧師に誘われ、小生も、ダンプ地域を訪ねてみた。 広大なゴミ捨て場に、段ボー
ルで作った家に住でいる人々、今、臭いゴミ山の中から、一生懸命、捜し物をしてい
るいる人々。 こういう人達が、この地域だけでも、200人はいるとのこと。 彼は、私
たちに、ダンプを救済するよう、助けを求めてきたが、 小生ははっきりと、断った。
日本でも新宿や渋谷で、このような浮浪者を見いだせるし、米国社会でも大きな社
会問題である。 まず、「このような人々を世話する、牧師や金持ちに人々の理解と
協力が先」であること、 次には、「浮浪者達に、勤労意欲を与える、教育を与えるこ
と」が大切であると、この青年牧師に説明し、納得してもらった。 ナッソには、金持
ち(殆どが白人)だけしか入れない地域(ライフォード・ケイ)があって、そこに住む
には、まず、1億円の入会金が必要である。バハマは、所得税を取らないので、 多く
の外国の大金持ちが移り住んでいる。 巨万の富を持つ、 一割にも満たないごく、
一握りの人々によって、この国の総所得の8割以上が占められている。 人口が少な
いので、一人当たりの国民所得からすれば、中進国並ではあるが、貧富の格差がひ
どいため、低所得者の生活は悲惨で、一般国民の生活も決して楽ではない。
 日本人は団体で行動をする。 だれかの権威ある発言、あるいは、集団の雰囲気に金
縛りにあったように縛られて、いくら言っても、信じようともともしない。こちら
が自ら行って、証拠を見せるまでは見向きもしない。 衆知を結集するのは、日本人
の民族的英知であるが、上記の例は、また、欠陥でもある実例である。 問題解決に
当って、かえって、日本的英知は、マイナス的働きをし、“当たって砕けろ!"現場主
義・実験主義的な、どちらかと言えば、米国的英知が、問題解決を果たした例である。
危機に直面して、どのように対処すべきか? 個人であれ、集団であれ、そのための
英知を蓄積している。それが文化ともなっている。 ある物体を移動させることは、
念力や人数を集め、マンパワーによっても可能であろうが、現実を正しく把握し、
それに適切な技術力をもってすることの方が、この場合、より効果的である。 しか
し、複雑な社会現象ともなると、日本人はどう対応して良いか分からず、集団に任
せっぱなしか、空しく神頼みをするだけで、現実を冷厳に見つめて対応する勇気さ
え喪失してしまいがちである。
日本人に必要なのは本物(オリジナル)と触れことであり、信仰力・集団的パワー
・科学・技術力のダイナミックなバランスである。 別の表現で言でば、“宗教(信仰
的)と科学(即物的)とを、統一された課題として解決することのできる真理(ビジョ
ン)を探求し、"その中から、政治的(社会的)現実に適合する政策(シナリオ)を、選
択することである。
 日本人にとって時間・空間は絶対的である。 NHKが毎日、定期的に時計を
大きく映し出し、時報を高らかに鳴らすのを聞いて、全国民が、神のお告げを聞く
かのごとく、これに従う。日本でテレビを見る外国人は、まずこれに驚く。 昼と夜
が真反対の地球の裏側から見れば、時間は相対的なものであることは、一目瞭然
である。 光の速度に近づく程、時間は伸び縮みすることを、現代科学は、教えてく
れている。 そうでなくても、日常、我々は 心情時間が伸び縮みするのを体験し
ている。宇宙にあって人間はいかなる存在なのか?自然崇拝・汎神論的色彩の濃
い神道の影響下の日本人にとって、この時間・空間は絶対的であり、息詰まるよ
うな緊張の場でもある。この神道と人間的信頼を基盤とした儒教倫理とが一つに
なれば、恥とか大義名分の人間関係のゆえに、自分の生命を断つことさえ厭わな
い、“切腹”が生まれてくる。

「地球の温暖化問題解決するにはどうすれば良いか?」ある科学者に尋ねたと
き、「水爆を使って地軸の方向を変える」アイデイアを紹介され、驚いたことが
ある。 神々の住み賜う自然環境を根本から変えるというような、大それた革命的
発想は日本人からは、なかなか、出て来にくい。 科学の行き過ぎが論じられてい
るが、他方、 環境に囚われない自由な発想を生み出した、西欧にも学び、その
融合を図ることが大切である。硬直化した文科系の不毛の議論に出くわす度にそ
のことを思い起こさせられる。視野・見識の広いはずの宗教人や哲学者が、些細
な字句やプライドにこだわり、むきになって喧嘩する他方、素粒子論や分子構造
を論じる科学者の方が、時代の責任を感じて、人種や国境・自己の信条を超えて
協調しようとしている、のと対照的である。
 日頃、私達は、“自分の乗っている電車が止まっていても、向かいの電車が動け
ば、自分の方が動いているような"錯覚に囚われことが、しばしばある。日常の些
細な錯覚ならともかく、人生の岐路を左右するような、重大な決定のときには、そ
の被害は、甚大である。 とにかく、自分だけの考え方だけで独善的に暴走するこ
とだけは、避けたいものだ。損をするのは自分自身、不快になったり、周囲から孤
立する自分を発見するだけであるから。

5、結びとして:

以上を結論としてまとめれば、

1)基督教国家バハマは、自らの原点・基督教(聖書)を 新しい角度から見直し、
 自己の尊厳・自己責任再発見すること。 そして、不平・不満や物事が出来ない理由
 を、環境や他人の性にするのではなく、 “自ら(神)により頼む!"絶対的な信仰・価
 値観を確立すること。

2)社会資本の貧弱なバハマは、この蓄積に努めること。そのためには、東洋的リレー
 ショナルな見方から、新しい世界観(人間・家庭・社会・国家)を再構築し、互いの尊
 敬心・社会的信頼感を高めること。 以上の二点については、我々の東洋的伝統が、
 多いに貢献できるだろうこと。

3)我々、日本人は、いつも、集団に寄りかかって居易いが、専門家や集団の人々の
 言葉だけではなく、自ら、実際に現場にあたり、解決の道を見い出す、自主的・開発
 的努力をすること。以上の3点である。
 とにかく、海外での異文化体験は、傲慢な人間性を打ち砕き、視野を広げる良き
 機会である。 当初は、その国の、自国と違った欠陥ばかりが、目につき安い。 しか
 し、そのうち、その国の、自国(祖国)にない長所も、見えてくる。 このことは、一時
 の観光旅行者で決して体験することの出来ない、 人間的成長の貴重な体験である。

*この文は世界で活躍するNGOリーダー6000人に送った小生の所感の1つである。


参考:ジョイセフ・バハマ・プロジェクト
バハマでは思春期の若者の間で、望まない妊娠とHIV/AIDSを含む
性感染症が深刻な問題となっている。
ジョイセフは、米州開発銀行(IDB)から思春期保健教育に関する
プロジェクトの実施を委託され、1998年8月バハマにおいてIDB・ジョイセフ・
バハマ家族計画協会(BFPA)の三者協議が行われ、正式にプロジェクト実施を
引き受けることとなった。
以来、ジョイセフ担当者は、のべ4ヶ月間現地に滞在し、BFPAやIDB現地事務所の他、
教育省、保健省、医療関係者、学校関係者、宗教団体、NGOなどの関係者との協議や
意見調整を行ってきた。
また、日本、アメリカ、メキシコなどから計7名の短期専門家を派遣し、基礎調査、
学校やコミュニティの中で使用する教材の開発、指導者養成、コンピューターによる
データ管理などについて、現地の状況を分析するとともに現地スタッフの指導を行った。
今後は、学校のカリキュラムの開発や地域におけるセミナー、ワークショップの開催など
本格的な活動へと移行していく予定だが、これらに向けてのプロジェクトの基盤づくりが
ほぼ終了したといえる。