解題

トインビーは、諸文明は歴史的に概観すると親子関係にあり、文明は発
生、成長、衰退、解体を経て次の世代の文明へと移行すると考えた。

文明の発生の原因は、自然環境(気候変動)や社会環境(戦争・民族移
動・人口の爆発)からの挑戦に対する人間の応戦にある。

創造的少数者は大衆を導きながら文明を成長させてゆくが、やがて創造
的少数者が創造性を失い、支配的少数者に転化し、文明の内部には「内
的プロレタリアート」が、周辺には「外的プロレタリアート」が生まれ、
混乱期を迎える。支配的少数者のうちで最強の者によって「世界帝国」
が生まれ、混乱期は終わる。世界国家による圧政下の下、内的プロレタ
リアートは「高等宗教」を育み、「外的プロレタリアート」は戦闘集団
を形成する。三者が鼎立する。やがて「高等宗教」は支配者層を改宗さ
せ、「世界宗教」となるが、世界国家は間もなく崩壊し文明は死を迎え
る。

トインビーはシュペングラーの生態史観を超えて晩年、人間の創造力に
注目し、文明の再生、存続の可能性を論じている。東洋、特に日本文明
に対しても期待を寄せていた。

トインビー史観の特徴は、歴史を文明から見つめ、その文明を生む中心
的原動力は文化、その中でも宗教とみていることである。

人類史に現れた21から26の文明の内、高次の宗教は低次の宗教を
吸収し、今や、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教の4大宗教圏に集
合されつつあり、一つの宗教圏にまとまる趨勢にあるとみている。

 国家興亡史を中心として歴史を見る見方が一般的な中、文明という視
点に着目したことは注目に値する。歴史をどのように見るべきか?
経済や政治史から論じることも可能であろう。ただ、先人達の予想もで
きなかた科学技術の驚異的発展から歴史を論ずることは現代人の避けて
通れない視点である。

 科学技術に発展により、地球一日圏、地球村が実現しつつあり、無限
の未来を予感させる。片や、科学技術の発展は、核兵器戦争の脅威を増
大させ、経済的欲望の果てに地球環境の破壊。汚染を増大させている。
科学技術は「両刃の剣」であり、これをどう使うか?価値観目的が問題
となる。歴史を展望するに科学技術史の展望を踏まえ、トインビーん志
向した文明史観のとの融合、見直しが迫られる由縁である。

*国連改革が提唱され久しいが、トインビーが予言しているように、国
家を中心とする国連より、市民を主役とする協調の理想である「市民
の国連」の創設が期待されている。(J.O)


アーノルド・J・トインビーの名言

「衰退に至った文明の歴史の中に、必ずしも実現することに成功しなかっ
たとしても、事態を収拾する別の解決法が発見されたことが認められる。
それが“協調の理想”である。その精神が現代に現れたのが、国際連盟
と国際連合である。国連そのものは、世界のそれぞれの国の人民とは直
接つながっていない。政府を通じてつながっている。人民に直接つなが
る国連が必要である。」「歴史の研究」

 人類を滅亡させるか、それとも今後は単一の家族として暮らしていく
ことを学ぶか、この極端な二者択一を人類は迫られている。人類を救う
ためには、私たちは宗教、文明、国籍、階級、人種などの伝統的な差異
をのりこえて仲良く一緒に暮らしてゆく方法を考えねばならない。仲良
く一緒に暮らすことに成功するためには、わたしたちはお互いを知らな
ければならない。 『図説 歴史の研究』1972

 人間心理には合理性と自己中心性がある。「しかし単数(私〉の自己
中性が唯一の悪徳なのではない。複数(我々)の自己中心性もあるので
ある。アラビヤ語には、それを表すnahniyahという言葉がる。これを西
欧の言葉に訳せばに翻訳すれば、egotismの複数形として‘nosism’と
いう言葉を作ることができる。」「集団的自己中心性は一層悪性である。
なぜなら、一人の人間がただ個人のためにではなく、自分の家族、国家、
教会の名において自己中心的に行動しているとき、自分は利他的に自己
犠牲的に行動していると誤って想像することができるからである。」 
      『歴史の研究・再考察』1961

 私は生涯を通じて、人間事象を全体的にひとつの統一体として考える
よう説いてきました.特に私は西欧の友人に、西欧すなわち全世界と考
えるような過ちに陥らないよう説得してまいりました。すなわち東アジ
ア、インド、イスラム世界、アフリカ,そして東方キリスト教(ギリシャ
正教)世界の各文明が果たしてきた役割は、人間事象にとってはどの一
つをとっても、少なくとも西欧のそれと同じく重要で創造的であること
を、納得するよう力説してきたのであります。それぞれの文明が達成し
た業績は、すべてわれわれ人類の尊厳に、貴重な貢献を果たしているの
であります。   「トインビー・市民の会Jへのメッセージ」1968

「自称『正しい』宗教が『間違った』宗教を迫害すると、その迫害行為
により、自称『正しい』宗教は誤りにおちいる…。寛容の無い ところ、
迫害の凶悪か、宗教それ自体に対する革命的反感か、いずれかの天罰が
のぞむ」トインビーは宗教と宗教の戦いを上記のように指摘している。

1、歴史とは

1)、現代人は何でも知っている。ただ知らないのは、自分のことだけだ。
  すべての歴史は、一つの言葉に集約できる。成功ほど失敗する者はない。
  
人間とは歴史に学ばない生き物である。
  過去における経験は未来を照らす唯一の光である。

  
文明は一つの運動であり、状態ではなく、また航海であって、港ではない。『試練に立つ文明』
  どの時代の歴史を扱う場合でも、感情を交えず、偏見を持たないことは、歴史家にとって
つねに不可能なことだと思う

2)文明が挫折する根本の原因は、内部の不和と分裂である。

創造的な人間が、ある事業を成就したのちにおちいりがちな受動的な錯誤は、昔大いに努力したから、「その後は、
  あわせに暮らす」資格があると夢想して、愚者の楽園で「漕ぐ手を休める」ことである
  

 3)、人類の生存に対する現代の脅威は人間一人ひとりの心の中の革命的な変革によってのみ、取り除くことができる。

  言葉、文明、文化というものは、人間はどうして有限のものばかりを、追いかけてしまうのだろうか。
  もっと 無限のものの追求の喜びを知るべきだ。

宗教は、宇宙の構図を示すとともに、人間の行動に指針を与える。

宗教の創始者たち(イエス、ブッダ、老子)は、宇宙の本質とは何か、精神的な本質とは何か、現実の本質とは何かについては、
それぞれ独自の考えをもっていて相いれなかった。しかし、道
徳的な教えに関しては、彼ら全員が一致している。たとえば、
物質的な富の追求は間違った目的であるという解釈である。また、没我性と他者への愛を持つことこそが、人生における幸せと
成功の鍵であると口をそろえていっている。

生活の画一化統制を強めている二つの新しい作用がある。一つは高性能の機械の危険性でありこれは物質的だけではなく、
社会的な危険も意味するものである.第二の要因は社会正義への要求が増大しつつあることで、弱者を強者と平等の立場におく
唯一の方法は、両者の生活に画一的統制を加えることである。画一化的統制のねじをさらに締め付けていくことは、人間がその
価値、宝をもう一度宗教にゆだねるという結果になるのではないか。画一化的に統制された原子力時代においては、宗教こそ
人間にとって自由を求めるための偉大なる機会となる機会となるかも知れない。
 

4) 現実を包括的に広く見なければならぬ

分化というものは教育に向かわぬ。私どもが、向かって行く世界において
人命を救うのには適さぬ。そういう自的のためには現実を包括的に広く
見なければならぬからだ。ご存知のように私は、歴史家からずい分非難

されてきた。単なる専門家であることを拒否し、一般家であろうと努めてい
るからだ。私は真の歴史家じゃない、アマチァアだというのだ。専門化過程
の中途な教育を強いられてはいけない。包括的な教育,あるがまゝの宇宙

を理解する教育?その中に私どもが生きなければならぬ、宇宙を知る教育、
これを受けることが可能となるべきなのだ」

(『明日の地球世代のために』ウィレム・オルトマンズ編、公文俊平訳

2、人間とは

1)、魂はいずれも、善と悪とが支配権を争って絶えず戦っている、精神的戦場である。

あらゆる生物は本来、自己中心的であり、貪欲ですから、権力を握った人間は、その掌中にある人々の利益を犠牲にしても
、なおその権力を己の利益のために乱用したいという強い誘惑にとらわれる
ものです

(人間の運命は)次に起こす行動によって、良くも悪くも変えることが出来る。  

2)、文明、文化というものは、寒冷の地とか、貧しいところとか、環境の悪いところから起きている

我々の精神は、鋭い刃を残している限り、肉体的な限界に拘束されはしない

宇宙飛行士の冒険心と勇気は全面的に賞賛すべきものだ。しかし、ここで想起せねばならないのは、何百人、何千人という科学者
、技術者の熟練、苦労、献身、忠誠の支援がもしもなかったとしたら、宇宙飛行士と
いう人類のスターは地面を飛び立つことすら
できず、まして月に到着することも無事帰還することもできなかろうということである。
地上で働くこの無数の功労者の業績の
方が、宇宙飛行士の功績より倫理的にはずっと感動的なのである。

  人間はこれまで、技術面にかけては驚くほど豊かな才能を示し、総意も発揮してきましたが、
  こと政治にかけては逆に、驚くほど能力も創意も示していません

3)ベストを尽くせばいいんだ。それ以上のことは誰にもできはしない

ベストを尽くすことを常に目指してチャレンジしていくことです。結果はそのチャレンジに必ずついてきます。

結果は誰にもコントロールすることはできませんが、 目の前の今のアクションは自由にコントロールすることができます。そこにこそ
全意識を集中させることがベストを尽くす第一歩でしょう。ま
目の前に集中するからといって、視線が足元に落ちていては
ベストを尽くせません。目の前の今のアクションは、
創りたい未来を創造するためのものでなければベストを尽くす
ことになりません。

未来を見据えることは、未来の結果を気にすることでもありません。

ひたすら創造したい未来をイメージしていくことです。

できるだけ遠い未来を考えて、人生を生きなさい。

尽くすベストもどんどん進化するはずです。 立ち止まることなく常にベストを尽くし続けていくチャレンジをしていってください。
それでこそあなたの素晴らしい才能がさらに輝いていくことになりますよ。

 何事も、熱意を持たない限り、立派な仕事はできません。

3、国家と世界

1)、私が最大の忠誠心を払うのは人類に対してであって、私の属する国家に対してでもなければ、この国家を支配している体制に対してでもありません 

)国家主義精神は、種族主義という古いつぼの中で民主主義という新しい酒をつくるための酵母である。
  アメリカは狭い部屋にいる大きな人なつこい犬だ。しっぽを振るたびに椅子をひっくり返す。
3)、日本人が歴史上残した最大の業績は、世界を支配していた西洋人が「不敗の神」ではない事を示した点である。
第2次世界大戦において、日本人は日本のためよりも、
むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大な歴史を残した。
れらの国々とは日本の掲げた短命な理想、大東亜共栄圏に含まれた国々である。

4 日本の使命

私に言わすむれば、新生国家日本の使命は何かというと、独立国家としての生活を始めたばかりの、現今世界の諸国民に、その教訓を分け合うことである。
・・・いま開かれようとしている世界史の新しいチャプターで、日本は、他のアジア諸国の先鞭をつけるべき機会をもっている。伝統的に島国的な国民が世界市
民という新しい理想に向かって国家主義を超えてゆくことができるという模範をしめすことができる。他のアジア諸国民に対して技術面で協力することも、日本が
実際生活の方面で、人間家族の同胞としての他の成員に奉仕することができる道があるかも知れない。この新しい時代においては、人類が自滅しないもの
とすれば、人類はすくなくとも一家族ととして生きてゆくことを学ばなければならない。この事態をのり越えるというわれわれ人類共通の大事業に、日本が果たす
べき先覚者的な   役割があるものと私は確信をする。

, 人間・思想・ビジョン

時間軸:歴史 空間軸:世界観 機能軸:価値観
「物事は総合的、多面的/全体的・長期的に見なくてはならない。

西洋の東洋、支配から東西文明の融合へ

核分裂⇒核融合 病原菌の敵視・殲滅⇒共生・包摂(善玉菌・悪玉菌・日和見菌)
保守と革新(自由と平等、右翼・左翼)頭翼思想、家族主義(父母の愛が中心)
貧富の差⇒富(利潤)とは?=ニードに答えた報酬(満足量を貨幣表現したもの)
精神的満足を捨象して経済的価値のみを唯物的に扱っている。マルクスの労働価値説。
 恩田杢の財政改革の鍵。物心一如


~~~~~~~~~~~~ 参 考 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

滅びる民族の3原則。(会社・団体・家庭・個人にも通じる)
1.理想を失った民族は滅びる(12歳までに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる)」
2.すべての価値を物やお金に置き換え、心の価値を見失った民族は滅びる
3.
自国の歴史を忘れた民族は滅びる

滅びる会社の3原則
1.理想を失った会社は滅びる。                                                               
2.すべての価値を物やお金に置き換え、心の価値を見失った会社は滅びる                                   
3.自社の歴史を忘れた会社は滅びる                                                                    
自社の存在意義や使命は何か。「何のために働く」のか。
創業から今日までの「歴史」、事業や商品の「物語」。 ミッショナリー・カンパニーは滅びない。

トインビー「歴史の研究」が予言する日本没落の可能性
 「どんな高度な文明でもいつか必ず内部的に壊れ、没落する」 滅んだのは技術の進歩、革新が遅れたからではない。それは
明内部から起こる「慢心」が原因。過去の文明の没落史を見ることで、現代文明没落の可能性を見ている。

 文明は最初は小さな異端的集団から発生し、次第に巨大化して一つの文明圏を作る。最初の頃は創造力にあふれ、人々の生活は活気に満ちたものになる
トインビーはこれを、
「挑戦と応戦」「遭遇」と言う。

 だが、その応戦力も成果を上げるようになると、やがて慢心によるマンネリ化を産む。欠乏は創造の原動力であるが、満腹は怠惰を生み、創造力をそいで行く。
こうして、文明没落の萌芽が現れてくるというのだ。

 かっての日本が発展した歴史を見れば、明治維新以降、日本は「西洋に追いつけ、追い越せ」のかけ声で世界第二の経済大国にまでのしあがった
それは文明開化で知った自分たちの貧しさを「挑戦」と受け止め、より良き社会をめざして「応戦」した結果にほかならない。

 しかし、今、その頂点にまで登り詰めて、登るべき山の頂も足下になってしまった日本は、目標を失ってしまった感がある。楽して金を儲ける拝金主義が横行し、
怠惰が蔓延する。

  トインビーは成熟期の文明は中から腐り始めるが、その文明の恩恵が及ばない辺境では新たな動きが現れ、それがやがて力を付けると、自分たちを抑圧していた
文明を滅ぼして新たな力強い文明を作り上げていと言っている。
・ト

インビーの名言