新しい日韓関係構築のために  音楽劇「赤毛のアン」に関わって

世界の恒久平和を希求する同志の皆様、
この爽やかな季節・芸術の秋に、東京国際ファーラムにおいて公演された音楽劇「赤毛のアン」
の運営の一部を側面からお手伝いしました。敬愛する同志の皆様に、小生がこの行事を通じて
痛感したことを、所見としてお伝えすることをお許し下さい。

日韓国交回復50周年を記念して開催された今回の公演に関わって、これからの半世紀を予見
するビジョンを感じました。

1、世界平和実現のための日韓関係の在り方と家庭愛

 日韓両国は、外交関係を始めとする各分野における関係を、現在の国家レベルから国際
レベルに次元を高め、世界平和実現のために何ができるかを問うべきである。
「赤毛のアン」では、マシュウとマリラの兄妹が孤児のアンを養女に迎え入れ、家庭を築く
ことにより、自分達も周りの者も幸せになった。韓国の民、日本の民、そして万国の民が
幸せを掴む道は、世界の国々の人達を家庭愛で包むことである。
かつて、日本の未来構想を探求する中で、我々は、「国際ボランティア制度を国策とする」
ことを提言した。これは日本の起死回生策であるだけでなく、「東アジア三国の再生の道で
ある」との絶賛を隣国の要人からもいただいた。
http://www.owaki.info/hikaku/bunnmei.index.html
 
 小生は、52年前、この地球を愛で抱く神の愛を全身で体感したことを想い起している。 
人類は、宇宙に満ち満ちるこの愛に、それ程遠くない未来において気付くであろう。


2、複眼的思考に基づく歴史認識

 なぜ、韓国人や中国人は、しつこく過去の出来事に固執するのか?
日本人は、みそぎをすれば過去は水に流されるものと考え、桜の花に象徴されるように
潔さを美徳とする。「日本人は空間の平行移動は得意だが、時間的移動は苦手である。
日本には、歴史観は無かった。」(山本七平:http://www.miraikoso.org/before/vision/choki.html)

 3500年前の歴史を今に生きるイスラエルほどではないにしても、韓国や中国は歴史的視点に
立とうとする。日本人も100年や500年という中期的スパンだけではなく、千年単位の長期的
スパンにも立って未来を展望すべきではなかろうか?ただ、韓国や中国がいたずらに過去を
あげつらい、国民大衆に迎合、あるいは政治的謀略に振り回されている現状は、決していた
だけない。
我々は、短期、中期、長期の複眼思考をもって歴史を認識すべきである。それによって今とは
全く異なった未来構想を描くことが可能となるであろう。


3、新しいパラダイムの認知と構築

 金力は権力に、権力は権威に従う。金は即効性があるが、有る時に満腹感を感じても、
また食べたくなる食物と同じである。政権は絶えず変動し、中期的な効果は発揮するが、
これもまた長続きしない。富を得、社会的成功をおさめた人が権威に近づきたがるのは、
より永続性があるからである。国際協力も経済協力、技術協力から政治・安保協力、そして、
今や、文化・教育協力にシフトしている。1970~80年代、世界大学総長会議(IAUP)は
「高等教育を通しての世界平和」をスローガンに活動を展開した。平和への熱い情熱が、
国連満場一致で「国際平
和の日」(9.21)を制定し、国連平和大学(コスタリカ)を実現させたことを、昨日のことの
ように思い浮かべる。(http://www.owaki.info/etc/anne/1981iaup/1981iaup.html

 平和をもたらすには、経済、政治、科学、芸術、教育あらゆるものが役立つであろう。
これらの最も根幹となるものは、人の心の中にある。それは願いとしての思想であり、
さらにその源泉は、心情である。心情は、動かない時には「無」でり、「空」であるが、
刺激を受けると明鏡止水の湖面に浮かぶ波風のごとく、「願い」が発生する。ここに
東西の哲学の接点がある。願いの要が目的あり、時間・空間圏内では目標となり、
それを達成するためのスケジュールが生まれる。
 人間とは何か?長年の難問であったが、自由(個人・人権)、民主主義、資本主義
(帝国主義)の古い思想(存在の一側面)を脱いで、そろそろ、「愛人間(ホモ・エイムス)」、
「家庭的存在」、「歴史的存在」という人間存在の実相(関係性と個の二重性)に目覚める
秋であろう!
 以上、3つの視点(価値、空間、時間軸)から有形と無形、個と全体、短期・中期・長期、等、
複眼的に捉えるべきであることを述べてきた。単眼的に捉えることは、存在の実相を偏向視
するものであり、副作用をもたらす。両者の2重体、中和体が存在の実相であるからだ。
視点により見える世界が全く違って見える。ミクロから見ても、マクロから見ても部分的であり、
ミクロとマクロの中間位置から人や自然が美しく見えることに意味がある。富士山は近づき
すぎれば、単なる石ころだらけの山であり、遠すぎては芥子粒のようにしか見えない。
美しい富士を見るには適当な距離感が、人間関係においても適当な間が必要である。


4、新しい日韓関係を築く3つの視座
 これらの視点に立った理念をもとに、望ましい日韓関係の構築のための基本事項を挙げて
みたい。

)日韓が共に生きる高邁なビジョン創造と構築

 存在は個と連体の2重性にある。個人主義、一国国家主義の時代は終焉し、家族主義、
世界と連帯する国家、国際主義、世界主義の時代に突入している。個と連体が共に生きる
ビジョンを描き、共通目的を樹立すべきであろう。

2)他国を理解する比較文化論的思考と相互交流 
 偏狭なナショナリズム、急進的な宗教・政治イデオロギーは、紛争の元凶である。自国
(自団体)だけでかく、他国を冷静に見つめる比較文化論的アプローチが大切である。
そこにおいては 自国の長所だけではなく、短所も見えてくる。また、他国の短所だけ
ではなく長所も見えてきて、互いに学び合う喜びを発見することであろう。

3)汗をかく共同作業
 先に提案した国際ボランティア制度(平和部隊)を日韓両国が共同でやることは多大な
波及効果が期待される事業である。これに限らず、日韓両国が世界平和の実現のために、
共同事業を展開することは、相互理解と同胞意識の醸成に極めて有効であろうし、
日韓海底トンネルの建設事業などは、その好例であろう。
  (参考:「日韓関係改善の3つの方策」http://www.owaki.info/hikaku/bunnmei.index.html

 真の恒久平和をもたらすのは、家庭愛で世界を包む以外にない。
「赤毛のアン」が 皆が幸せになる家庭愛を現出して見せてくれたように、日韓国交回復
50周年の今年、日韓両国は、手を携え、人類の夢であった「恒久平和実現」へ向けて、
見方によっては孤児のような世界の国々の間に、愛の橋を架ける、新しい希望の
半世紀であることを衷心より祈願する。

       2015年10月26日     大脇 準一郎