『第35回未来構想フォーラム』講演要旨  2004年12月14日 東京都・港区商工会館研修室

   「日本の新たな平和国家戦略」

              早稲田大学名誉教授・元総長 西原 春夫 氏

 ◇郷土や祖国を愛せないようにしているのは             
  私は最初、大学の教員として出発し、次に研究者として、中途から大学の管理職者、さらに青少年育成団体の責任者というセクション(section 部門)で仕事をしてまいりました。
 その間、年を取るにつれて ―日本の在り方について、気になる問題点がどんどん膨らんでまいりました。
 もちろん、専門の教育制度についてもたいへん大きな課題があって、私なりに一家言(独特の主張)を持っておりますが、これに関しては、別の機会に譲りたいと思います。
  ただし、この教育については、たいへん気になる問題がありまして、例えば、教育基本法改正とのかかわりから、審議会で「今日の日本の若者は愛国心に欠けているから、これを糺すための法改正をしよう」という議論が出ました。
 考えてみれば、元来、郷土愛とか祖国愛というものは、誰でも胸の中に密かに抱いておりまして、今なぜことさらに国が号令を掛けて、教育の中でそれの養成を強調しようとするのか、訝しく思う人が多いのではないでしょうか。
 ただ、私自身は日ごろ学生と接触している中で、中国や韓国からの留学生が「自分たちの祖国の発展のために、知識と経験を獲得しよう」という気概を持って、目を爛爛と輝かせて勉強しているのに対して、日本人の学生は「何のための勉強か分からない」というふうに、何かボヤッとしておりまして、ここに大きな落差があるように思えるわけです。
 何れにしても、私は常々―郷土愛、愛国心というか、自分が生まれ育った郷土や祖国を愛する気持ちは凄く大事だと考えておりますが、実際に人間というのは、自分が所属する組織を愛するのは普通のことであります。
 にもかかわらず、今日の若者が郷土や祖国を心底から愛せないようにしているのは、ひょっとすると大人たちであって、私はここに問題があるのではないかと思います。

◇ 国家目標を掲げたとき燃え上がり、獅子奮迅の働きをしました。

  いったいどうして、今日の若者たちは、心の奥底から郷土や祖国を愛せないのでしょうか。 考えてみますと「この父母の子として生まれて良かった」「この村に生まれて良かった」「この日本が祖国で良かった」というふうに、心の底から思えれば、人は自然に父母を尊敬し、郷土や祖国を愛するようになるのではないでしょうか。
 ここで、私たちの祖国・日本の過去を振り返ってみますと、別に政府が音頭を取ったわけではないけれども、国が一つの―国家目標を掲げて、それに対して若者たちが参加できるような時代には、若者たちは心底から燃え上がって、命がけで国家のために尽くしました。
 歴史を回顧すれば明らかなように、昔は郷土や藩が中心となって、明治、大正、昭和の近代になってからは日本という国が、良きにつけ悪しきにつけ、明確な目標を持ったとき、若者たちは奮い起ち、利害打算を超えて、身命を抛ってまで公(おおやけ)のために力を尽くしました。それは、愛国心を要求されたからではなくて、国家という組織の目標の中で―自分の人生を捧げるに値する価値を見い出得たからであります。

◇ 豊かさの追求と新しい民定憲法の制定
   これに対して、戦後の日本の国家目標は何だったのでしょうか。これは歴史の成り行きとして与えられたものでしたが、その一つは―豊かさの追求でありました。
「日本は第二次世界大戦における敗戦によって無一物になったのだから、戦勝国のアメリカ並みの豊かな国に立て直そう」ということでありました。
 実際に、終戦時の日本は1、食べる物もない 2、着る物もない 3、住む家もない というどん底から再出発して、持ち前の勤勉と不撓の頑張りによって、いつのまにか世界有数の経済大国に伸し上がりました。
 それにもかかわらず、土地や株に対する投機を中心として、あのバブル経済を生み出し、やがてそれがはじけて「失われた十年」ということで、不景気のどん底に呻吟してきたのが、ここ十余年の日本経済で、私はこの原因は、日本人が無限の豊かさを追い求め過ぎたつけだったのではないかと見ております。
 そして、もう一つは―新しい民定憲法の制定であって、これによって、国民の〈権利〉と〈自由〉が保証されました。
 戦前の日本には、それなりの道徳とか宗教があって、近代社会を形成しておりましたが、いま振り返ってみると非人間的な部分があって、国家がそれを政策に利用した側面もありました。 それが、敗戦を契機として、われわれ日本人は戦前からあった道徳観を保持することに自信を失い、そういうところへ、個人の権利と自由を保障し、民主主義と平和主義を理念とする憲法が制定されて、いろいろ抵抗はありましたが、戦後の社会に定着していきました。

 ◇欲望の自己実現と自己抑制

  ところが、新しい憲法で保障された―自由という概念について、ヨーロッパの思想史を俯瞰すると、そう簡単に口にできないくらい凄い重みを持っているのでして、カント(Immanuel Kant ドイツの哲学者。一七二四―一八〇四年)は、その著書『実践理性批判』の中で「あなたの意志の基準が、常に同時に、誰にでも当てはまる立法、法律制定の原理として妥当し得るように行動しなさい。これが自由なのである」と言っておりますが、本来、自由というのはこれくらい厳しさを持っております。
 しかし、戦後の日本において、新聞などで発言していた文化人や学者が説いていた自由は、こんなに厳しいものではなくて「私の自由をできるだけ認めろ」といった類いの自由、もっと言えば―欲望の自己実現の原理というような形で、戦後の六十年近くを経過してきました。本来、人間はだらしない存在であって〈欲望の自己実現の原理〉そのものは間違いではありません。私自身も権利や自由がどんなに大事なものか、よくわかります。
 ところが、その原理の隣に―欲望の自己抑制の原理がなければならないにもかかわらず、それを忘却したところに、戦後の日本人の最大の欠陥が露呈して、その矛盾があらゆるところに噴出して、いま深刻化している数多くの犯罪に結びついているわけであります。
 法律というものは、元来、人の道を説くものではなくて、争いが起こったときに、どちらが正しいかを判断し、正しくない人が正しい人に対して何をしなければならないかを判断する基準です。したがって、仮に憲法を改正して、例えば、青少年の有害環境の除去が容易になったとしても、それだけで、いま起こっている問題を解決することはできないのであります。

◇ 「戦後若者たちを奮い起たせるものは何もなかった」
    さて、いま私が掲げたところの二つの国家目標に対して、果たして若者たちが参加できたのかどうかを考えますと〈豊かさの追求〉にしても〈権利と自由の追求〉にしても、これらはすべて大人の問題でありました。 あるいは、今日の後の話につながる―平和主義にしても 1、戦力は持たない 2、侵略戦争はしない 3、核兵器は持たない というのが、日本の平和主義の中心だったのですが、これに対しても若者たちの参加は不可能だったのでして、彼らが白けるのは当然でした。
 要するに「戦後の国家目標の中に、若者たちを奮い起たせるものは何もなかった」と言えるのでして、彼らは白けたり脱落したりしましたが、その中でも少数の若者は、それなりに頑張って、身近かな組織の中で、自分の命を燃焼させました。
 しかしながら「国家のために命を抛って働こう」という意識が出なかったのは、当然だったと言えるのではないでしょうか。 このような状況下で、とにもかくにも戦後の60年が経過しようとしておりますが、果たしてこのままでいいのでしょうか。
 私はやはり「大人は若者をして奮い起たせるものを与えていかなければならないのではないか」と考えており、そういう中で「日本がこうやれば世界の一番の国になる」という目標があって、それに若者たちが参加できれば、彼らは必ず燃え上がると思うのです。

◇ 「日本は某大国の従属国である」という事実をビシッと見抜いております。
  ところが、今日の一番の問題は「日本は某大国の従属国である」という事実、言い換えれば「日本はアメリカの言いなりになっている」という現実「日本は世界の一番の国ではない」という国の有りようを、若者たちはビシッと見抜いていることであります。
 しかしながら「このような独立国として惨めな状態を打破する可能性はあるのか」というと、私は理論的にはあると考えておりまして、例えば、その大国にも勝る強大な軍事力を持てば、つまり「日本が世界一の軍事大国になれば、今日のような従属国で甘んじなくてすみますから、若者たちは国に対して誇りを持つことができる」わけで、現にこれを唱える人もおりますが、果たして、日本はその道を歩むべきでしょうか。
 私は決してそうは思わないのでして、それは、過去の国家主義、軍国主義への反省だけではなくて、そもそも、世界最大の軍事大国になるためには、核武装をしなければなりません。にもかかわらず、今日の世界の情勢はどうかというと、この地球上から核を絶滅させることが最大の政治課題であり、次にやるべきことは、核拡散の防止ということが主流になっております。一方において、テロリズムが蔓延しており、他方において、核の闇市場が形成されるような状態の中で、これ以上に核が拡散したら、まがうことなく人類は絶滅してしまいます。

◇ 国防の欺瞞
  ご存じのように、日本は世界で唯一の核被爆国でありまして、私は一口で言って「日本は核拡散防止の最後の砦であるべきだ」と考えております。いま世界の現実を直視すると、核武装しない軍事大国などあり得ませんし、そもそもこの日本が〈世界一の軍事大国になる〉などは、頭からできない相談、妄想であります。
  のみならず、いま軍事大国がやっていること、つまり〈世界に災いを振り撒いている実態〉を見るにつけ、まさにわれわれの日本は、その国とは反対の道を歩むべきだと思うのであります。
  まして、われわれ日本人は1945(昭和20)年、敗戦を契機として―日本は平和国家で行こうというふうに誓って、戦後の六十年間近く、そのように過ごしてきました。それにもかかわらず、今日の若者たちが「日本は誇らしい国である」と心底から思えない理由の一つは『日本国憲法』第九条において―戦力はこれを保持しないと規定しているにもかかわらず、自衛隊という名の戦力を持っているという矛盾があって「自衛隊は戦力ではない」と解釈する人がいても、今日の多くの人たちは、そんな屁理屈は信じていません。「戦力は保持しないというのは、綺麗事であって、実態はそうではないじゃないか」と反論するわけです。のみならず、若者たちも「外国が攻めてきたときに、他の大国に〈助けてくれ〉と依存していいのだろうか。最低の防衛戦力は保持しなければ、独立国として存立できない」という事実を見抜いているわけです。

 ◇「積極的平和貢献国家を」
   そうすると―戦力はこれを保持しないというのは美名であって、これを貫くことはできないのではないか。いま日本は〈平和大国である〉と言っているけれども―幻の平和大国ということになって躊躇の原因になっており、そのために若者たちが平和主義を完璧には持てないのではないかと私は考えております。
   いずれにしても、今後、日本が憲法を改正するにせよ、改正しないにせよ―戦力ということについては、皆さんにはいろんなお考えがあると思いますが、日本はそういう意味で、純粋の平和国家になれないのではないでしょうか。
  あるいは、軍事大国にならないで国の安全を図っていくためには、例えば『日米安全保障条約』のような、従属関係を保っていかざるを得ないのではないかと思います。
  それにも関わらず「日本は平和国家として素晴らしい国である」というふうに、若者たちが意識するようにできないものだろうかというのが、私の最近の課題でありましたが「それは可能である」という結論に到達しました。
 そこで、初めて文章化したのが『時評』2004年11月号の―日本の新たな平和国家理念(日本は積極的平和貢献国家になることを国是とすべきだ)であります。そして、このことについて、国内で発言をするのは今日が初めてで、皆さんのご意見をぜひ承りたいと思います。

◇ 周辺国家に迷惑をかけずに六十年を経過
 さて、戦後に『日本国憲法』の制定以来、半世紀余りが経過して、その間、地球社会の在り方も大きく変化してまいりました。 それにしたがって、現国会で改正議論が白熱化しているように、現在の『日本国憲法』には、時代にそぐわないいろんな問題が生じているにしても、その前文や第九条の不戦条項を根拠として、われわれ日本人の多くは―日本は平和国家であると思い込んでおります。
  この日本人が思い込んでいる平和国家像というのは何かというと、これはまさに憲法が述べているようなこと、つまり―戦力は、これを保持しない。 ―武力は、これを行使しない。 ―核兵器は保持しない。持ちこませない。 ということであって、これが 戦 後、 日本人が考えてきた平和国家理念ではないでしょうか。
  言い換えれば〈不作為、不存在の総体が平和国家理念の中身なんだ〉ということで、戦後の六十年、われわれ日本人は営々と努力 をしてまいりましたけれども、私はこのこと自体には大きな意味があったと考えております。これは、戦前のいろんな問題、とくに 侵略戦争による戦力の行使を中心に、いろんな国際問題を引き起こした日本人として「もはや戦力の行使はしない。平和国家としてやっていくのだ」という決意を内外に宣言しました。
 そしてまた、少なくとも戦力という点で、周辺国家に迷惑をかけずに、ここ60 年を経過してきたということが言えます。

 ◇ 積極的な平和貢献政策が必要

   しかし、これは言ってみると、やっぱり、よく言われるところの―一国平和主義 であります。こういう高邁な理念を持っている国がどんどん増えて、そのモデルになるという意味は多少あるかも知れませんが、結局は、一国平和主義で止まっているのが現実であります。ところが、最近の世界情勢を俯瞰いたしますと、日本のような国が増えるだけで、世界の平和が保持できるかというと、現実は必ずしもそうとは限りません。
  地域における紛争を解決したり、緊張関係を緩和したりするためには、戦力の不存在、あるいは、戦争の不作為に依存するのではなくて、積極的な平和貢献政策がなければ、決して世界の平和は実現できません。
  もちろん、戦後の日本はこのことを忘れたわけではなくて、むしろ多くの日本人がさまざまな形で平和貢献行動を展開してきました。さらには「われわれは平和国家でいきたい」と志すからには「積極的に平和貢献する国になろう」と自らに言い聞かせて、国を挙げてその努力をするべきではないだろうかと、だんだん考えるようになってきました。
  そして、後で述べるように、世界の積極的平和貢献ということは、単に日本だけではなくて、北東アジアの国々のやるべき課題が数多いのではないかと考えるに至ったのであります。

◇ 戦争介入は平和の撹乱になる怖れが大きい
  そこで、内容についてのあらましをお話したいと思いますが、この―積極的に平和に貢献する国家というのは、いろいろの方法が考えられます。もともと、平和の創出と維持のためには、戦争や武力行使の原因を、できるだけ早く取り除くことが必要ですが、その原因は多くの場合、長い歴史を背景とするために、根本的な除去は困難な場合が多いわけです。ただ、そのような場合でも、緊張緩和に努力し、武力行使を回避することは不可能ではなくて、その方法として、第三者による武力行使が必要なケースも生じてきます。
  そうは言っても、いま世界中が目の当たりにしているように、例えば、アフガン戦争やイラク戦争などは、人々の怨恨や報復を呼び、かえって平和の撹乱になる怖れが大きいわけです。したがって、このような武力行使は、できる限り抑制すべきですし、まして、日本がそのような形でその役割を果たすべきでないことは言うまでもありません。
 そして、武力行使以外の方法には政治力、経済力、外交力などさまざまな方法が考えられ、例えば自衛隊のイラク派遣については「なぜ自衛隊か」という批判があって、これに対して「テロ撲滅のためではなく復興支援のためである」というのが、日本政府の説明で、これは確かに世界に向けて通用する大義名分だと思います。

 ◇ 仲裁外交
   ご存じのように、日本は久しくODA(Official Development Assistance 発展途上国に対する無償援助)という形で経済力による平和貢献をしてきましたが、今後とも日本が―軍事力によらない積極的平和貢献国家を国の基本方針とした場合、ODAによる経済援助は、積極的平和貢献の一つとして、今後とも有効であることは言うまでもありません。
  その一方で、外交力よる平和貢献が考えられまして、例えば、ノルウェーが以前から―仲裁外交なるものをやっております。
  例えば、アフガニスタンとインドが深刻な紛争を繰り返してきたカシミール問題が、最近、解決に向かっているのは、ノルウェーの仲裁外交の成果だと言われておりまして、これは「紛争当事者からの申し出に基づいて、その了解のもとにやった」ということで すが、それには先ずもって「われわれは、こういう方法で仲裁外交をやる」ということを明らかにしておかなければ、アプローチ(approach 働きかけ)はいたしようがありません。
  それから、二十一世紀の初頭における世界の地域的紛争、これは宗教とか民族間の争いが、その根底に横たわっているという面もありますが、その一番大きくて深刻な紛争は―イスラエル=パレスチナ問題であることは明らかであります。
  そして、これに関連して、某大国(アメリカ)がイスラエル寄りの政策に傾いたがゆえに、9.11事件(同時多発テロ)が起こり、その報復として、アフガン戦争が起こり、イラク戦争が起こったという論証も行われております。

 ◇ イスラエル=パレスチナ問題の歴史的背景
   私が思うには、あの九・一一事件(同時多発テロ)が起こったときに、直ちに「国際テロは怪しからん」と言って、報復するのではなくて「何故に、われわれの国が、テロ攻撃の標的にされたのか」というふうに、その根本的な原因を探求して、これを除去する努力を当事国(アメリカ)がやるべきであったにもかかわらず、それを怠ったところに、今日の抜き差しならない深刻な問題に及んだと、私は考えております。
   しかし、これはたいへん難しいことで―イスラエル=パレスチナ問題というのは、直接的には第二次世界大戦後、一九四八年のイスラエルの建国から始まったのですが、なぜこういう問題が起こったかというと、二千数百年前の『旧約聖書』(ヘブライ語で書かれたユダヤ教の聖典。キリスト教徒によって受け継がれ、新約聖書と区別してこう呼ばれた)の物語まで溯らないと明らかにできません。当時、故郷を追われたユダヤ民族、イスラエル民族が、二千数百年もの間、ヨーロッパを中心とする世界中を彷徨い、そこでは先住者に嫌われながら、安住の地を求めて生き延びておりました。 その中におけるナチス・ドイツのユダヤ人の迫害は、それまでのヨーロッパの人々の―反ユダヤ感情の総決算 みたいなもので、ただ単に居住地域から追い出すだけではなくて―ユダヤ人の抹殺 という形による大迫害が行われて、貧しい人たちはアウシュビッツ収容所(第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの強制収容所がここに造られた)のガス室に追い込まれ殺害されました。

  ◇文明の衝突と人類に危機

    その一方で、お金持ちはどこへ逃げて、何をやったかを考えれば―イスラエル=パレスチナ問題 の根源が浮かび上がりますが、これをあからさまに議論する者は誰一人おりません。こういうことを考えますと、今日の中東問題、つまり、アフガン、イラク、トルコなど、ブッシュ大統領が「悪の枢軸国」名指している国々における紛争は「キリスト教とイスラム教が対立している」とか、あるいは「キリスト教世界(文明)とイスラム教世界(文明)が衝突している」というふうには言うべきでないし、私自身はそう考えておりません。しかしながら、今日の紛争の根源がそういうところにあるとするならば、その背景は、キリスト教世界とイスラム教世界の対立ではなくて ―併存が背景にある つまり、言ってみれば「本体は動いていないけれども、兵隊たちがパチパチ戦争をしている」という側面があるのではないでしょうか。
  そして、これが現在の世界の不安の根源であるとするならば、両者の間に入って、仲裁的役割を演じうる民族、例えば、多神教的世界観を持ち、どの宗教宗派にも寛容な日本人の仲裁外交が必要ではないでしょうか。そして、この仲裁外交が機能しなければ「キリスト教世界とイスラム教世界の本隊同士がぶつかったら人類は絶滅する」と私は危惧しております。

 ◇文化による貢献ならば一般の国民でも参加できます。
   さて、ここで私が特に強調したいのは ―広い意味での文化 が、キリスト教世界とイスラム教世界の仲裁的役割を果たす手段として、非常に有効だということであります。
  例えば、日本の政治力や外交力の行使が及び難いとか、不自然だという場合でも、文化を手段とする平和貢献ならば、受け入れやすいということがあります。もっと言えば、政治力や外交力は民間人には行使できませんが、文化による貢献ならば、一般の国民でも参加することが可能です。
   あるいは、若者たちであっても、良いリーダーがいて、一定の条件が与えられれば参与できますし、若者たちの無心のボランティア活動は、受入れ国の国民に感動を与え、後々まで好印象を残すことになります。
  それは、さまざまな後遺症を生む軍事力の行使とか、政治家や外交官の仲裁以上に、外交的効果を挙げることが期待できます。
  まして、聞き及ぶところ「中近東諸国においては、日本人は非常に愛され、信頼されている」 ということであります。もっとも、イラクで人質にされたり、殺害された人はいますけれども、一般的に見ると、日本人は非常に信頼されております。
  その理由の一つは「日本人はキリスト教徒ではない」というところもあるらしくて、もしも、こういう側面があるとするならば、日本国あるいは日本人はまさに仲裁外交をする資格があるというか、能力を具えた民族だということができます。

 ◇ODA理念の再検討を!

   重点を他に移していくべきではないかと思います。もちろん、仲裁外交というのは、言うに易くして行なうに難しい面がありますが、ノルウェーの先例もありますから、その経験を学んで「非キリスト教世界に属する日本人として、独自の方法を編み出すことができるのではないか」 それができる人材は、日本には  数多くいると、私は確信しております。
  さらには、ODA(政府資金による開発援助)や青年海外協力隊があって、この二つはどちらかというと〈発展途上国援助〉という理念を掲げて、総花的であったような気がしますが、それでも、大いに意味はあったと思います。
  しかし、昨今は世界の発展段階もかなり進みましたので、このあたりでODAは発展途上国援助という理念を止める必要はありませんが、その重点を移していくべきではないかと思います。
   例えば、世界の各地で紛争が起こって「その根源は貧困である」ということであるならば、その貧困を緩和するために、そういう地域に重点的にODAの援助を行なうとか、あるいは、青年海外協力隊の活動を重点的に行なうようにすればいいのではないか。
  もちろん、危険が顕在化している間は難しいでしょうけれども、危険状態を考慮しながら、そういうところに重点を置いていくのも、一つの方法ではないかと思われます。そうすると、いままで総花的で「多額の援助をしているのに、一向に成果が上がらず、感謝されない」 ということではなくて「日本は平和貢献国家として、あのようなお金の使い方をしている」というふうに世界各国から評価されるのではないでしょうか。

 ◇バグダットの若者と復興のためのボランティア活動を進めてほしい
   ただし、仲裁外交、あるいは、ODAというような行為については、残念ながら、若者たちは参与できません。しかし、若者たちにも参与できることはあって、それは何かというと ―ボランティア活動 であります。
  いま私は国士館理事長をやっていますが、国士館大学は三十年前から、イラクで文化財の発掘調査を行なっていて、日本では唯一の調査隊として、高い評価を得ております。
 イラク戦争のどさくさに紛れた博物館保存文化財の略奪品の回復についても、国士館大学の研究者が参加しておりますが、イラクには考古保存庁長官がありまして、前長官が私と親しい関係で、この方が私に対して「日本はアメリカに乞われて自衛隊をイラクに出しているのだろうけれども、その人数は最小限度に留めおくべきです。
 その代り、日本にはイラクの復興援助というか、破壊された橋を修復してもらいたいし、学校も病院も再建してもらいたい。
 しかしながら、私の希望を言わせてもらえば、物的復興援助の他に文化的援助も考慮してほしい」というふうにおっしゃいました。
 そのとき、イラク外務省の部長さんが席を同じくされていましたので、私に話す形で、本当はその部長さんに言っておられたのですが、長官はさらに言葉をつづけてもう少し治安が回復した段階で、バクダット市内の中心部に敷地を提供するから、日本政府はここにジャパンハウスを建設してもらいたい。そして、民間団体が中心となって、若者を入れ替り立ち変わり送り込んで、バグダットの若者と一緒になって、復興のためのボランティア活動を進めてほしいのです。元来、中近東地域では、日本人は愛される民族であって、それができる数少ない国なんですよ」とおっしゃっていましたが、そのとき私は、これもまた平和貢献国家としての、一つの在り方ではないかと思いました。

 ◇宗教戦争は解決の道が見つかりません。
 ご承知のように、いま日本人の若者のボランティア活動は目を見張るものがあって、中には酷いのもなくはありませんが、本当に素晴らしい能力を発揮しております。その経験をイラクの復興のために、どのように役立てていくか。それは、大人による条件設定の役割に期待するところが大きいと思います。
  先ず条件を設定して、それに相応しいリーダーを送り込めば、若者たちは素晴らしい活動をするに違いなくて、どんな政治力、どんな外交力、どんな経済力にも勝る成果を上げる、評価を得ることになるのではないでしょうか。
  そしてまた、われわれ日本人というのは、本来、宗教の違いとか宗派の違いについては、たいへん寛容なところがあって、この特性は非常に大事だと思います。
  これに対して、一神教は原理主義を生みやすいところがあって、原理主義になった一神教と、もう一つの一神教がぶつかりあったら、これは解決の道が見つかりません。
その点で、私は―イスラエル・パレスチナ問題 というのは、旧約聖書にまで遡る二千数百年の歴史が背景にあって、根本的解決など、そう簡単にはできるものではありません。だからと言って、放っておいていいかというと、そうはいかないのでして、私は「少なくとも、衝突を回避すること、緊張を緩和することはできる」と思っておりまして、そこに、われわれ日本人の役割を見い出すことができるのではないかと考えております。

◇孫文の大亜細亜主義
    このことは、同時に、李鋼哲(中国黒竜江大学教授、総合研究開発機構研究員)さんが示された―北東アジア共通の理念 というか、これまでの民主主義とか社会主
義を超えた理念でもあると思います。 李さんは、平和主義、平等主義という言葉に集約されましたが、私は ―北東アジア共通の旗印 はないだろうかと考えているうちに、かつて使われたある言葉を思い出しました。
  それは、1924(大正13)年の11月28日、孫文(Sun Wen 中国の政治家、革命運動に尽力。しばしば日本に亡命。1911年の辛亥革命に際し臨時大統領に選ばれたが、直ちに袁世凱に譲った。19年中国国民党を組織し、国共合作を進め、新三民主義を提唱、国民革命の実現を目指したが、志半ばにして北京で没。1866〜1925年)が神戸第一高等女学校で―大亜細亜主義と題する延々二時間にわたる大演説をなさいましたが、その結びの言葉(辞)は、私は以前から知っておりましたけれども、最近、これが非常に気になりはじめました。
   あのとき、孫文は「今後、日本民族が、西洋の覇道(武力・権謀を用いて国を治めること)の番犬(猟犬)になるか、それとも、東洋の王道(古代の王者が履行した仁徳を本とする政道)の干城(国家を守る武士・軍人)になるか、それは、日本人が慎重に考慮して決めるべきである」という言葉でもって、二時間にわたる大演説を閉じられました。
  孫文は、その翌年(1925年)3月12日に、肝臓癌で北京で亡くなられましたけれども、おそらく前年の11月28日には病を押して来日され、演説されたであろうと推察されますが、この言葉はまさに―日本人に対する遺言 だったに違いないと思います。
  実際に、1924(大正13)年、対中条約21箇条の宣言が行われていますので、孫文は「日本は、西洋の覇道の番犬に成り下がっているのではないか。今からでも遅くはない。東洋の王道の干城に立ち戻れ」という願望から、このような話をされたのだろうと思うのでして、その後、日本がどんな道を歩んだかは、改めて申すまでもありません。

 ◇覇道から王道へ

  さて、この―王道という言葉は、これだけを切り離して使うわけにはいかないことは、私もよく承知しております。というのは、これは〈王者の道〉であって、辞書を見ると「王道とは、古代の王者が履行した仁徳を本とする政道をいう」と解説してあります。
 つまり、皇帝、あるいは、王様の政治理念を言うので〈王道〉と表現してあるわけで、これは、今日の民主主義の世の中で使えないことはいうまでもありません。
   しかしながら、孫文は別に〈王道〉という言葉に絡めて〈帝政〉を唱えたわけではなくて、まさに三民主義(民族、民権、民生の三主義からなる政治理論)を唱えられた人物であります。要するに、孫文の言うところの〈王道〉というのは、皇帝や王様の政治理念ではなくて、およそ政治の掌にある者のとるべき態度であって「儒教的な仁とか、義とか、徳という理念をもって政治を行なうことである」というふうに理解し〈王道〉というのはそれを前提にした言葉だと解釈すべきであります。
  もう一つの問題は「戦前に覇道に傾いてしまった日本人が、こういう言葉を使えるのか」ということであります。確かに、かつての日本は、いろいろな理由があったにしろ、形として覇道を行なったことは紛れもない事実で、そのことについては、私たちはき
ちんと反省をしております。 現に、いまの日本は覇道を避けて王道を目指しており、さらに今後も、その延長線上で世界に臨もうとしているというふうに、私は確信しております。

◇ 王道楽土・五族協和
 そういう日本の反省の上に立ってのことを前提にして、私は―王道という言葉を、覇道と対比したものとして、今後とも使うことができないかと考えまして、昨年、中国へ行ったとき、講演の少し前に、中国人民大学孔子研究院の院長さんに向かって「日本人の私が〈王道〉という言葉を使って、問題は起こらないだろうか」というふうに訊ねました。
  すると、院長さんは「無条件で使うには問題があるけれども、条件を満たし、一定の留保付きならば、使ってもいいのではないか」と、お答えになりましたが、この―留保付きというのは、一つは、先ほどお話した孫文が使った意味での王道でありました。
もう一つは、皆さんもご承知のように、戦前に日本は、満州国建設の理念として―王道楽土・五族協和 ということを唱えました。
  このことについて、院長さんは「戦前に日本が〈王道楽土〉〈五族協和〉を旗印に掲げて、満州国の建設を夢見たことは、今も中国の人々は知っています。その日本人が、何の反省もなしに再び〈王道〉などという言葉を使ったら、反発を食うに決まっています」というふうに言われました。私はこの言葉を聞きまして、自分の理論の中できちんとした整理をしたうえで、中国で三回ほどこのことに関する講演をしたところ、たいへん面白い結果が出ました。

◇ 東北アジア諸国が手を携えていかなければならない
  今年(平成16年)12月4日、中国人民大学孔子研究院主催の国際シンポジウム、これには120人くらい参加しましたが、私はここでの講演の結びに〈王道〉という言葉を使いました。このとき『人民日報』の若い取材記者が、私の結びの言葉にたいへん感激して「先生の結びの言葉を『人民日報』に載せたい」と言いましたので、私は「ぜひ、そうして下さい」と、賛同いたしました。
 ところが、その後、取材記者から「私は一生懸命に努力しましたが、残念ながら載りませんでした」という手紙が届き、同封してあった『人民日報』には、その日のシンポジウムの写真と、全人代常務委員会・許副委員長の「中国はこれから儒教を大事にしていく。これはひとり中国のためだけではなくて、 世界の平和のために使いたい」という内容の挨拶文が載っておりました。
 しかし、残念ながら、私の『王道論』は削除されたのでして、取材記者は「自分はぜひ掲載したかったのだけれども、総編集長の判断によって、ボツ(不採用)になってまいました」というふうに、手紙の中で述べていました。
 これに対して、私は「これは、中国の二つの面を端的に示していて、今日の若者たちは、むしろ〈こういう話をしてくれ〉と願っている」と思いました。 それは何かというと、中国も日本も韓国も、少なくとも儒教圏の国々は「今後は覇道はやらずに王道でやっていこう」と考えておりまして、これを他の人々に呼び掛けるためには「自分たちは、覇道の道は歩まない」 という戒めが入って  いて、それを「われわれ東北アジア諸国が手を携えてやっていかなければならない」ということを、この若い取材記者は見抜いて「これを『人民日報』に載せたい」と願ったわけです。

 ◇「覇道は止めようよ。王道で行こう」
   しかし、考えてみると、そこにはまだまだ微妙な問題があって、現実に 1、日本の経済水域を犯した潜水艦問題 2、尖閣諸島の領有権問題 3、小泉首相の靖国神社公式参拝問題 などに垣間見られるように、相互間にはいろんな難問題が横たわっています。このように、微妙な問題、難しい問題があることは、私自身もよく知っていますから、若い取材記者が書き上げた記事を『人民日報』のディスク、編集責任者が「これは、ちょっと避けておこう」と決めた理由はよく分かります。それが、今日の中国の立場であり、東北アジア諸国の政治情勢であるということも分かるのでして、こういった問題が存在することは、私もよく知っております。しかし、私は民間人の立場ですから、今後ともその活動は大いに続けていこうと考えておりまして、少なくとも「覇道は止めようよ。王道で行こうよ」ということを強調したいと考えておりますので、ご賛同の方がありましたら、あらゆるところで引用していただければ幸いです。
             (文責: 栗山要/大脇準一郎)       All of reserved; copy right, Japan Forum for Future Strategic Initiative(JFFSI)

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パーソナル・データ,西原春夫(にしはら・はるお)氏。
東京生まれ。 早大法学部、大学院法学研究科卒。法学博士。刑法専攻、同大学で教授、法学部長、82〜90年同大学総長。84〜92年私立大学連盟副会 長、会長。98年より学校法人国士館理事長。93年より(社)青少年育成国民会議会長。
主な著書:『二十一世紀のアジアと日本』(成 文堂)『人を生かし国を活かす』(成文堂新書) 『早稲田の杜よ、永遠に―わが師、わが友、わが 人生』(小学館)。他に、刑法、独逸・中国刑法 関係の著書多数。

(特定非営利活動法人)NOP 未来構想戦略フォーラム:
平成3年1月創設、知的社会貢献をモットーに、日本の未来を構想し、元気な日本、平和な世界の創造に努め、国際社会に通じる有意な人材育成を主眼としています。本会の第2フェーズは、政策指向のシンクタンク化、昨年から始まったBB放送をさらに精錬・強化の準備を進めています。
           http://www.miraikoso.org        e-mirai@igtv.net

日本講演:
 昭和24年5月、神戸在住の各新聞記者OBが中心となって、創立。日本各地で行われている講演の要旨を紹介することをもって人格の涵養、日本社会の知的水準の向上に貢献することを目指す。
{最近の紹介講演}
「いかに生きるかー生涯教育考─」建築家・安藤忠雄、 11.15 宝塚造形大学大学院
「円空と現代─現代社会と宗教」哲学者・梅原猛 12.01 立命館大学
「書くことと私・関西市民文化塾」作家・眉村卓  12.15大阪・厚生年金会館
「今求められる指導者像」筑波大名誉教授 鈴木博雄  1.1 東京・未来構想フォーラム
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