日本の進路アジアの将来
未来からのシナリオ」
西原春夫/著 講談社 2006年10月
書籍紹介
歴史認識や領土問題で周辺国と対立、混迷する日本の進むべき道は
どこに?元早稲田大学総長が「平和」「アジア」をキーワードに、
この国のリーダーと国民に訴える。
目次
第1章 二一世紀の世界とアジア予測 第2章 グローバリズムと
ナショナリズムの相克と調和点
第3章 アジアの中の日本―過去・現在・未来 第4章 積極型平和貢献国家へ
第5章 法と道徳の二元主義をめざせ 第6章 今なすべきこと
中山研一の刑法学ブログknakayam.exblog.jp
『日本の進路、アジアの将来』 書評
西原春夫さんから、表記の著書を頂きました。西原さんは、私と同期の著名な刑法学者であり、
親しい友人ですから、専門書かと思ったら、一般人向けの啓蒙書であり、副題に「未来からのシナリオ」
とあるように、21世紀を展望する壮大なスケールと独特の構想を含んだ野心的な著作であることに驚きました。
最初は、とりあえずお礼状を書くために終わりの方から拾い読みをしましたが、やめられずに最初から
全部を読むことになりました。著者の描く世界にいつの間にか引きずり込まれ、次を読み結論を知りたい
という欲求に駆り立てられるところに、本書の魅力があることを痛感しました。
多くのことが書いてありますが、著者がいいたいのは、1945年の敗戦によって価値の大転換があり、
平和憲法が出来たにもかかわず、なぜ世界有数の戦力を保持した自衛隊が生まれ、憲法改正の動きが
加速されているのかという反省から、消極型平和国家の理念だけではなく、これに加えて積極的に
世界の平和構築に貢献する国になることが必要であり、その方法は、「覇権を求めることなく、
武力によることもなく、国家間の利害を調整し、積極的に平和に貢献する」とい21世紀的国家観に
よって、近隣のアジア諸国との関係を改善し連携していくことにあるというのです。そこには、
長年にわたって中国との交流を進めてきた著者の実践的な感覚から生まれた自信と、未来への歴史予測が
存在しています。
そのほか、日本、中国、韓国には「儒教」という共通の伝統道徳があるという指摘や、法と道徳との関係
を再検討し、とくに「欲望の制御原理」を検討すべきであるといった提言には、耳を傾ける必要があると
感じました。
私は、刑法理論についても、西原さんと必ずしも意見が一致しませんが、その独特の「中庸性」のメリット
が本書では遺憾なく発揮されていると思います。一読を薦めたいものです(講談社、2006年)。
by nakayama_kenichi | 2006-11-02 17:41 URL : http://knakayam.exblog.jp/tb/4865263
「」
西原 春夫 氏 |
平成17年4月21日 アジア平和貢献センター設立準備室
設立に至る背景
戦後60年が経過し、日本もアジアも世界も大きな転換点を迎えている。その中にあって、
一方においてヨーロッパに見られるような国際主義がいっそう進みつつあるが、他方において、
偏狭な国家主義の不気味な鳴動があちこちで聞かれるようになった。それにつれて、日本国内でも、
メディアの影響もあり、中間のない両極の対立・相克が、あれかこれかの二者択一をギリギリと国民
に迫る形で議論を進めていく傾向が見られる。そしてこれが日本のあるべき世界政策を却って個性の
ないものに陥れている側面もないではない。国民にこの二者択一を超える中間的な道筋もあることを
知らせる必要が特に大きくなった。
国境を越えた経済の発展が東アジアにも顕著になり、共同体形成の可能性も見えてきた。しかし他方、
東アジアの国々は大部分発展途上にあり、各国が自国の国益を重視せざるを得ないところから、強い
ナショナリズムの存在も前提に考えざるを得ない。そのような中で国際的な連携を強めていくためには、
経済的な利害関係を超える何らかの思想的な共通目的を明らかにし、それの普及に努めることが一つ
の方策と考えられる。
元来国の政策については、政府でしかできない分野もあれば民間が行う方が良い分野もある。特に
北東アジアには、国際的な連携を強めていかなければならない必要性が増してきたにもかかわらず、
政府が直接音頭を取りにくい政治状況がある。もしそれが放置しておくべきでない状況にあるとしたら、
しかるべき民間の機関が、政府の意向の範囲内でその間隙を埋める努力をするべきであろう。
設立の目的
活動の大目的を以下に定める。
(1)日本は従来の意味における平和国家であるにとどまらず、とりわけ戦力によらない手段によって
世界の平和に貢献する国家たるべきであるという思想(積極的平和貢献国家論)を普及し、できる
ところからこれを民間の立場から実践する拠点たろうとする。
(2)21世紀世界における紛争の根底に宗教・民族の対立・併存があることに鑑み、日本を含む北東
アジアの国々が、手を携えて積極的平和貢献という思想と理想のもとに紛争・対立の解決・緩和に
積極的に貢献することを推進する拠点たろうとする。
(3)日本、次いで北東アジアを単位とし、世界、とりわけアジア全域の平和創出に努力する。
具体的活動の目的を以下に定める
(1)大目的の思想の研究、啓蒙・普及活動
研究会 シンポジウム 会議 図書・文書による啓蒙・普及活動(国内 国際)
(2)日中関係近代史図書の管理、利用の促進、利用システムの開発、
歴史への共通認識の拡大
(3)犯罪予防についての、日中韓学術・実務交流の促進
(4)アジア特に北東アジアにおける大学の、上記を目的とした連携の促進
(5)仲裁外交展開の方法の探求、準備活動
(6)上記の思想の実現としての学術、教育、スポーツ、文化、
ボランティア活動・交流の促進、支援
活動により得られる効果
(1)21世紀の世界情勢の中で、日本の国力にふさわしい平和国家としての役割を演ずることにより、世界の中で尊敬される国になる。
(2)戦力を手段とする安全保障に主導的役割を演じないにもかかわらず、国連において、安全保障の面においても特異な存在意義を持つことになる。
(3)新しい平和国家理念を明らかにし、これを実現する国になることによって、これまで中々愛国心を持てなかった若者が日本を誇りにしうるようになる。
(4)常に過去との関係を問われるアジアにおいて、初めて前向きの明確な共通課題を提示することにより、個々の対立を緩和し、アジアとしての団結を固める効果を持つ。
パーソナル・データ, 西原春夫(にしはら・はるお)氏。
東京生まれ。 早大法学部、大学院法学研究科卒。法学博士。刑法専攻、同大学で教授、法学部長、82~90年同大学総長。84~92年私立大学連盟副会 長、会長。98年より学校法人国士館理事長。93年より(社)青少年育成国民会議会長。
主な著書:『二十一世紀のアジアと日本』(成文堂)『人を生かし国を活かす』(成文堂新書) 『早稲田の杜よ、永遠に―わが師、わが友、わが 人生』(小学館)。他に、刑法、独逸・中国刑法関係の著書多数。
事務所:〒105-0001 港区虎ノ門5- オランダビル森タワー504号室
電話:03-3432-2313 Fax:03-3432-2314
日本の新たな平和国家理念
ー日本は「積極的平和貢献国家」になることを国是とすべきだー
西原春夫 早稲田大学名誉教授・元総長
学校法人国士舘理事長 青少年育成国民会議会長
従来の平和国家理念
戦後60年近くの間、日本は自他ともに許す平和国家として存続してきた。その場合の平和国家理念は、
憲法の前文や憲法第9条に根拠を持つものと理解されてきたと言ってよい。しかし憲法の制定以来半世
紀余りが経過し、地球社会の在り方も大きく変化した。その結果、このような平和国家理念が純粋の形
では維持しにくくなったことはやむを得ぬところであろう。
元来、個人にも正当防衛権があるのと同じように、国にも自己防衛のための戦力は必要なはずであった。
さらに憲法制定後半世紀以上が経過する間に国際化が進み、局地的な紛争は国際的な協力によって解決
すべきだし、それが出来るという方向に歴史が動いている。先進国における軍隊は、もはや侵略のためでは
なく、国際警察力という意味を持つものに変容しつつある。正当な国際組織のもとにおける集団的な武力の
行使に参加しないことは国際的な責務に反し、利己的な卑怯者という評価が下される時代も間近に迫っている。
ここで、しかし、日本人は悩むことになる。今まで堅持してきた平和国家理念を放棄してよいのだろうか。
もし放棄するとしたら、日本にはほかに世界に誇れるものが無くなってしまうのではないか。
このように、日本国民が願望として平和国家であり続けたいと思っていることは、疑いのないところである。
私たちは、そのことを常に考えの出発点に置くべきであると思う。つまり、実際上憲法の文言どおりの平和
国家理念が維持出来ないとしても、日本は平和国家であることを国是とし続けるべきだし、そうだとすれば、
それを可能にする理論を懸命に模索すべきだということになる。
新たな平和国家理念の模索
今入類を脅かしていることの一つは、現状以上の核拡散が人類の滅亡を招くのではないかという恐怖感である。
一方において理性的な判断をはるかに超える残忍なテロリズムが後を断たず、他方において核兵器の闇市場が
存在しうるという現状は、この恐怖が幻想でないことを物語っている。そのような中で痛感するのは、唯一の核被
爆国である日本は、核拡散防止の最後の砦でなければならぬ宿命にあるということである。その点からも、
また国力という点からも、日本はどのみち世界屈指の軍事大国になることはできない。そうであるならば、
日本は逆に世界の中でも特異な平和国家になるべきだと思う。そうなって初めて、日本人は日本という
国を愛することができるようになるだろう。
しかし、憲法を改正するにせよしないにせよ、現行憲法の文言どおりの純粋の平和国家理念を希薄化させながら
平和国家であり続けるためには、新たな平和国家理念を掲げるほかはない。そこで提唱したいのが、ここに言う
「積極的平和貢献国家」の理念である。
従来の意味での平和国家理念は、すべて消極的な形をとっていた。「戦争や武力による威嚇、武力の行使は行わない」
「戦力はこれを保持しない」「海外派兵は行わない」「核兵器は持たない、作らない、持ち込ませない」などがこれである。
従来の理解では、これら不存在、不作為の総体が平和国家の内容と考えられて来たのである。それが、軍国主義国家
として道を誤った過去を反省し、それへの回帰の道を断つ方法として大きな意義を持ったことは言うまでもない。またそれが、
日本の側から平和を撹乱することはしないという宣言であったため、周辺諸国に安心を与えたという効果も否定しがたい。
しかし、現在の世界情勢をみればわかるとおり、人類の平和は、平和状態を創出したり、維持したり、紛争や緊張を緩和
したりする努力がなければ、決して実現できるものではない。戦力の不存在、戦争の不作為でもって実現できるものでは
ない。つまり、積極的な平和貢献政策がなければ決して実現できないのである。
もちろん戦後の日本はこのことを忘れたわけではなく、むしろ多くの日本人が様々な形で平和貢献行動を展開してきた。
ただ、多くの国民の意識の中で、日本が平和国家であるのは前述のような消極的な形での平和国家理念を堅持している
からだという思いがあるため、それらの活動が、日本が平和国家としてそれをしているのだという意識が育ちにくかった。
そこで今こそ、過去への回帰を強く戒めつつ、軍事力にかかわる論争の外で、「軍事力によらない積極的平和貢献」に
重点を置く平和国家理念を構築し、これを日本の国是とすべきだということを強く主張したい。その内容は次の通りである。
積極的平和貢献国家の内容
平和の創出、維持のためには、戦争や武力行使の原因を出来るだけ早く除去することが必要である。しかし、
その原因は多くの場合長い歴史を背景とするため、根本的な除去が困難なことが多い。ただそのような場合でも、
緊張緩和に努力し、武力行使を回避することはできなくはない。その方法として武力行使が必要な場合もあろう。
だが、今世界中の人が目の当たりにしているように、それは怨恨や報復を呼び、かえって平和の撹乱になるおそれが
大きい。出来るだけ抑制すべきだし、そもそもそれは日本の役割ではない。
武力行使以外の方法には様々なものがある。政治力、経済力、外交力などがすぐに思い当たるだろう。自衛隊の
イラク派遣については様々な意見、批判もあったが、テロ撲滅のためではなく、復興支援のためであり、なぜ自衛隊
かといえばイラクの危険な状況からすると民間人ではそれができないからだ、という理論は、確かに世界に向けて
通用し得るように思う。ひょっとすると世界の中で唯一の日本らしい貢献をしているのかもしれない。
日本は久しくODAという形で経済力による平和貢献をしてきた。今後日本が「武力によらない積極的平和貢献国家」
であることを国の基本方針にした場合、ODAによる経済援助も体系的理論的にその中に含められ、非常に目に付くようになる。
外交力による平和貢献については、ノルウェーが行っている「仲裁外交」を先例として学びつつ、日本人、アジア人、
あるいはキリスト教にもイスラム教にも属さない人種としての特色を発揮した貢献をすべきだろう。各地の局地紛争が、
直接ではないが宗教の併存を背景にしている事実に着目すると、多神教的世界観を持ち、どの宗教宗派にも寛容な
日本人は、世界の中でもそれに向いた民族であると思う。
しかしとくに強調したいのは、「広い意味での文化」がその手段として非常に有効だと言うことである。とくに日本の
政治力や外交力の行使が及びにくいとか、不自然だという場合でも、文化を手段とする平和貢献ならば受け入れら
れやすい。さらに注目すべきは、政治力や外交力は一般の国民には行使できないが、文化による貢献ならば
一般の国民でも参加することができる。若者でさえ、良い指導者がいて条件が与えられれば参与することができる。
若者の無心のボランティア活動は、受け入れ国の国民に感動を与え、好印象をあとあとまで残すことになるだろう。
様々な後遺症を生む軍事力の行使はもちろんのこと、政治家や外交官の活動以上に外交的効果をあげることができる。
積極的平和貢献国家拡大への努力
「軍事力によらない積極的平和貢献国家」の理念の構築は、実は単に日本のみの課題に止まるものではない。
今世界が求めているのは、このような役割を演ずる国であって、日本はそこに名乗りを上げる資格があると思うが、
日本に限られるものではない。とくに現在の世界的な不安の根源に旧約聖書以来の文明の対立が横たわっている
と思われるので、そうだとすれば、日本人に似た世界観の支配する北東アジアの国々に独特な平和貢献への
文明史的役割があるように考えられる。それを説く役割は、アジアの中で一番先に国際社会に躍り出た日本に
あるのではなかろうか。
実は私は私なりにそれを意識した小さな活動を行って来たし、そのような運動をして来られた方も多いと思う。
それらを断片的なものに終わらせないためには、国として一つの大きな体系を明らかにし、すべての関係する
活動を視野におさめる必要がある。それは、国連における日本の立場、役割を鮮明にし、常任理事国入りを
承認して頂く理論に十分なり得ると思う。しかし何としてもその前段階として必要なのは、「日本は積極的
平和貢献を国の基本方針とする平和国家である」という意識をまずお膝下の日本で確立し、普及することである。
おおかたの賛同を求めたい。
●甘辛提言 「自由民主」平成15(2003年)年9月30日(火曜日)
西原春夫 学校法人国士舘理事長・青少年育成国民会議会長
どうしたら日本をもっとよくできるか
教育基本法改正とのかかわりで、愛国心のことが論議を呼んだ。元来国や郷土を愛する心は
誰でも胸の中にひそかに持っているのが普通だから、なぜことさらに国が号令をかけて教育の
中でそれの養成を強調するのか、いぶかしく思う人が多かったように思う。「日本という良い国に
生まれて育った」と心の底から思えば人は自然に国を愛するようになるのだから、問題は「どうし
たら日本をもっと良くできるか」ということにあり、その責務は若者より大人に課せられている。
もっとはっきり言えば、若者に愛しにくくさせるような行動をとる大人にこそ問題の根源がある。
それにしても、日本の国民、とりわけ若者が自分個人の身近な事柄だけに関心を払い、小さく生き
ているという印象は免れがたい。アジアからの留学生が自分の国の発展に少しでも貢献しようと目
をらんらんと輝かせて勉強している姿と比べると、憂国の思いを禁じ得ない。愛国心を養成しよう考え
た人の中には、それか理由だった人もあるに違いない。
自分の人生を捧げるのに値する価値
しかし、翻ってみると愛国心の有無は結果現象であって、アジアの国々ではこれから発展しようという
「国としての生きる道」がはっきりしているのに対して、日本はある意味で行き着くところまで行ってしまい、
それがはっきりしなくなったところに問題があると考えられないだろうか。
歴史を回顧すれば明らかなように、昔は郷土や藩、近代になってからは日本という国が良きにつけ
悪しきにつけ、明確な目標を持ったとき、若者は奮いたった。利害打算を超え、身命をなげうってまで
公のために尽力した。それは愛国心を要求されたからではなく、組織の目標の中で自分の人生を捧
げるに値する価値を見いだし得たからである。
日本独自の仕方で人類の不幸を救う
今の歴史の流れの中で、日本しかできないこと、それは旧約聖書以来の文明の対立が顕在化しつつ
ある二十一世紀において、自らの属する北東アジア諸国とともに第三の文明世界を形成し、宗教に
寛容な多神教的世界観や、和と徳と中庸の思想をひっさげて文明の衝突の間に割って入り、両者を
調停することである。国としては時にやむを得ず軍事力を行使することも必要になろうが、それと
「平和国家として平和的手段をもって紛争を緩和する」という国是とは矛盾しない。別個に国としての
平和構築活動を大いにやればいいし、まして若者を含めた国民の民間団体がそのような理想を掲げて、
世界の中のややこしい場所で黙々と活躍することが、日本に対する評価全体を決定すると思われるから
である。教育の中でどうやって若者に愛国心を持たせるかといった片々たる議論はやめよう。人類絶滅の
恐れさえ現実化してきた二十一世紀の中で、最も日本らしい独自の仕方で人類の不幸を救う、その大理想
に若者は必ずついて来ると信じてやまない。
戦後日本の忘れ物
●2002年4月21日国際ロータリー第2810地区 ・ 地区大会記念講演趣旨
元早稲田大学総長・学校法人国士舘理事長 西原春夫
日本は、今、歴史的な大転換期にあります。ここ数年、日本の社会では、それ以前に起こら
なかったような事件が次々に起こっていますが、それはどこに原因があるのでしょうか。
戦争ですべてを失い、ゼロからスタートした日本人の限りない「豊かさ」の追求、憲法の
中心的な理念である「権利と自由」の一方的な追求、ここに原因があるのではないでしようか。
物質的な豊かさではなく、心の豊かさについて、私たちはあらためて考えなくてはならないの
だと思います。
これまで起こらなかったような犯罪が起こっている
現在、日本は、日本の近代史でいいますと、幕末から明治維新にかけての大転換、敗戦から
アメリカ占領軍の指導を受けつつ戦後社会に変わっていったあの大転換と、同じ規模の大変
大きな転換期を迎えています。政治も経済も教育も、社会のあらゆる分野で大きな転換期を
迎えていることは、多くの方々がお感じのことと思います。しかし、その転換期がどういう意味を
持つかについては、必ずしも皆さんが、同じ考えではないだろうと思います。
今から五年ほど前になりますが、神戸で、中学二年生、一四歳の少年Aが、小学生の子どもを殺して、
首を切って、中学校の門の前に置くという、本当にぞっとするような事件が起こりました。それに続いて、
バタフライ・ナイフによる殺人傷害事件が、相次いで起こりました。ちょうどそのころから、不登校やいじめ
といった現象が急に目につくようになりました。援助交際という言葉が使われるようになったのも、そのころからです。
また、これまでの日本の社会では起こらなかったような、大人の異常な事件も相次ぎました。
例えば、親が自分の子どもに生命保険をかけて子どもを殺したとか、虐待をしたといった事件が
毎日のように報道されています。
そのほかにも、学校の先生、警察官、裁判官といった、道を説く立場、国民を守る立場の人による
犯罪も多くなっています。これをどう見るか、なかなか難しいところですが、社会が変わったから起き
たのだ、という見方もできなくはないと思います。しかし、本質はそれだけではないのです。
もちろん、現在の青少年にも素晴らしい人たちもたくさんいますが、一般的に言って、最近世の中を
騒がせている事件や、若者のものの考え方などを見てみると、欲望制御能力が弱体化しているのでは
ないかと、私は考えております。
どうしてそういうことになったのか。青少年だけではなく、以前にはなかった犯罪を起こしている大人たちの
多くが、戦後生まれの人たちであるということから考えると、事はそう簡単ではありません。つまり、社会が
変わったから新しく起こった犯罪ではなくて、戦後五七年の、日本のあり方全体がそこに反映していると
言えるのではないでしようか。その辺をもっとしっかりと理論づけする必要があると思います。
戦後の日本は豊かさと権利と自由の追求をしてきた
ところで、もし、五〇年後、一〇〇年後の歴史家が、戦争の終わった一九四五(昭和二〇)年以後の
日本の歴史を特色づけるならば、何と言うでしょうか。「豊かさの追求」と、憲法の中心的な理念である
「権利と自由の追求」の時代であった、と言うのではないでしょうか。
第一の豊かさの追求。終戦の年、日本は無一物になりました。食べる物もない、着る物もない、住む家もない。
そこから出発したわけです。何とか食べられるようになろうよ、着る物を着られるようにしようよ、住めるように
なろうよというところから出発して、これがだんだん膨れ上がって、いつのまにか世界有数の経済大国になりました。
それにもかかわらず、土地の投機を中心としてあのバブル経済を生み出して、そして現在の地獄に落ち込んだ。
これが現在の姿じゃないでしようか。つまり、日本人は、無限に豊かさを追求したのです。
第二の権利と自由。戦前は、あまりにも権利と自由がなさすぎました。戦前には戦前なりの道徳とか宗教がありましたが、
今から振り返ってみれば、とても非人間的な部分がありました。また、国がそれを、当時の国家政策に利用した側面もある
ような気がします。したがって、日本人は、戦前からあった道徳観を保持することに、自信を失っていました。
そういうところ、アメリカから権利と自由、民主主義、平和主義を理念とする憲法が与えられて、いろいろ抵抗は
ありましたが、戦後の社会に定着していったのです。
私は、戦後、権利と自由が与えられたことによって、日本人が非常に多くの幸せを得たことを否定するつもりはありません。
しかし、実はそこに問題があったのです。豊かさといい、自由といい、結局日本人は、欲望の充足をひたすら求め続けたわけです。
今の日本には、ナマのぎらぎらした欲望を実現するのにふさわしいシステムが、完璧なまでに出来上がっています。
法は道徳の最小限度である
ところが、「自由」という概念について、ヨーロッパの思想史を眺めてみると、そう簡単に口にできないくらい、
ものすごい重さを持ったものとして、考えられていたことがわかります。カントは、『実践理性批判』の中で
「あなたの意思の基準が常に同時に、誰にでも当てはまる立法、法律制定の原理として当てはまるように、
妥当し得るように行動しなさい。これが自由なのである」と言っています。厳しさを持った自由なのです。
ヨーロッパでは、そのように厳しいものであったのですが、果たして戦後、新聞に書かれていた文化人や
学者が説いている自由はそんなものではありませんでした。「私の自由をできるだけ認めろ」という方向で、
自由というものを考えたのではないでしようか。つまり、「欲望の自己実現の原理」として権利と自由が与えられた。
このようにして、戦後五七年が経過しました。
本来、人間はだらしのない存在なのです。欲望の自己実現の原理自体は間違いではありません。私自身も
権利や自由がいかに大事なものであるか、よくわかります。その大事さはよくわかるけれども、その原理の隣に、
「欲望の自己抑制の原理」がなければならなかったにもかかわらず、そのシステムを開発しなかったところに、
戦後日本の最大の問題がありました。そして、その問題が、現在、あらゆるところに噴出し露呈してきたのです。
青少年犯罪もそうですし、大人の犯罪もそうです。
日本の法律は、フランス革命以後の、いわゆるヨーロッパの近代法の思想に基づいた、近代法の体系を基礎
としています。戦後、法律のある部分は、アメリカから渡ってきましたが、そのアメリカの考え方も、やはりフランス
革命以後のヨーロッパ近代法の考え方を受け継いでいます。
法律というものは、元来、人の道を説くものではない。争いが起こったときにどちらが正しいかを判断し、そして正しくない
方が正しい人に対して何をしなければならないのかを判断する基準なのです。
一九世紀のドイツの法哲学者である、イェリネックの有名な言葉があります。「法は道徳の最小限度である」。
そこにヨーロッパの近代法の考え方が出ています。つまり、人の生き方を決め社会生活の秩序を維持するのは、
一次的には道徳なのです。法律ではない。しかし、人間というのは欲望に満ち満ちた存在だから、
道徳に委ねるだけでは人の利益や権利は守れない。従って道徳に委ねられない最低限の場合に、
法律が、しかも控えめに登場すべきものだという考え方を戦後の日本は忘れてしまったのではないでしょうか。
つまり、権利と自由こそが最高の価値であって、その隣にそれを上回る価値があってはいけない
という考え方があったのではないでしょうか。
フランス革命前のヨーロッパの社会はどうであったかというと、もうなんでもかんでも法律だったのです。
例えば、夫婦げんかをした、身分違いの服装をした、そういったささいな出来事が、なにもかも処罰の対象になりました。
そういう裁判制度、法律制度を否定するために、フランス革命の思想が生まれてきたのです。
そこから法律は万能でないという思想が生まれてきたのです。道徳がまずもって人問の権利と
自由を保護し社会生活を確保し、人の生きるべき道を教えるものなのだ。法律は後から出てこい
という考え方は、このような経験から出てきたわけです。
したがって、仮に憲法を改正して、その憲法改正によって、例えば青少年の有害環境などの除去が
容易になったとしても、それだけで今起こっている問題を解決することはできません。問題は、憲法を
頂点とする法律の価値観の隣に別な価値観がなければいけない。それがなかったところに、戦後五七
年の問題があったということを、よく覚えていただきたいと思います。
身を殺して仁を成す
そこで、今後どうすべきかという問題になってきます。道徳、すなわち、人の生きる道、
その原理が欲しいのです。戦前は先ほど申し上げた通り、問題があったとはいえ、
憲法の隣に道徳の体系も、一種の宗教観もありました。そして、それが日本人の生き方を
決めていました。もちろん、当時だって犯罪はありました。けれども今のようなおよそ人間と
思われないような犯罪というのは、ごくごくまれでした。のみならず、日本人の生き方、物腰、
態度などに、ヨーロッパ人たちは大変驚き尊敬の念をいだきました。日本人の行動美の
根源がそこにあったのです。
そこで、考え方としては二つあります。一つは、伝統的な道徳が具合悪いとするならば、
二一世紀に当てはまる、新たな道徳原理をつくり上げるということです。若い人は、
恐らくそうすべきだと言うに決まっています。
しかし、果たしてそれができるのかというと、私はいささか悲観的になります。と申しますのは、
今の若者はすべて、権利と自由が一番大事な原理として教えられてきたのです。その権利と
自由に、カントの言うような厳しいものを持ち出して、それを基礎にするというようなことは、
そう簡単にできることではありません。
となるとどうすればいいのか。どの国の道徳を見ても、伝統的なものをまったく否定して、
二〇世紀になって新たにつくり出したというところはありません。やはり伝統的なものが
基礎になっています。とするなら、われわれ日本人もそこから出発すべきではないでしようか。
私は、戦前日本にあった伝統的な道徳の中で取捨選択の整理をして、二一世紀にも合うものを
選び出し、戦後五七年の社会のなかで、既に克服したと思われる部分は、捨てていかなければ
ならないだろうと思います。
昨年、東京の山手線の新大久保駅で、日本人が酔っ払ってホームから線路に落ちました。それを
助けようとして二人の男性が飛び降り、電車にひかれて死んでしまいました。その中の一人が韓国
からの留学生。韓国の新聞はその行為に対して、「身を殺して仁を成す」という表題を掲げ、韓国の
世論はそれを支持しました。私どもの世代は、その言葉を聞いただけで何を言っているのかわかります。
今の若い人たちは「仁を成す」の「仁」とは何かわかりません。
後で韓国の仲間にも聞いてみたのですが、韓国でも、この言葉が日常生活の中で使われている
わけではないようです。しかし、古い言葉であるけれども、彼の行動を褒める言葉としては、
まさに適切であったと言っていました。
ところで、かつて日本人の生き方の中には「身を殺して仁を成す」という道徳があったのです。
これを二一世紀の今の世の中にもう一度呼び戻して、これでいけと言うべきでしょうか。
急に結論が出ないのは、戦前には、この儒教の道徳を、国がその政策に利用した側面がある
からです。そして、そのことを、われわれはよく知っています。神風特別攻撃隊は、悠久の大義
に生きよ、身を殺して仁を成せ、ということだったのでしょう。そういう面があったので、この言葉
には首をかしげる人もいらっしゃるわけですが、そのように国が道徳を強いるということと、自分の
生き方の道しるべにするというのとはおのずから違う、と私は思います。
皆さんの賛同はまだまだ得られないと思いますが、私は、「身を殺して仁を成す」の身を殺すということは、
別に本当に死ぬことを指しているのではないと思っています。そうではなくて、命がけで人のため世のたに
尽くすという生き方、これは必要なのです。それだけの迫力がなければ仕事はできません。
国や自治体、公がそれを強いることはないということを保証した上で、個人個人の生き方として、そういう
言葉を復活させるという必要があるのではないでしようか。
物質的に豊かになることだけが幸せになることではない
昨年九月一一日にアメリカで起きた同時多発テロ以降、アフガニスタンや、パキスタンでの
アメリカの軍事行動の報道に関連して、イスラム教とか、イスラムの人たちの生き方というものが
報道されました。こんなに強烈に報道されたことは、戦後一度もありませんでした。そこから、
私は非常にいろいろなものを学びました。皆さんはどうだったのでしょうか。
日本人は、少なくとも明治維新以来、欧米のイデオロギーだけを見てきました。日本人は、
戦後社会のなかで、アメリカの物質至上主義の考え、すなわち豊かになることが幸福なのだ
という考えに、いつのまにか巻き込まれてきた気がいたします。しかし、そういう世界とほ違う
世界があることを、われわれはアフガニスタンの戦争以降、見せつけられました。あの質素で
平等な衣服、礼拝、断食、聖戦。みな欲望の自己制御を養う手段だったのです。
日本人は憲法が政教分離を唱えたこともあり、一般の国民から宗教心が奪われてきました。
あるいはそれを育てるシステムがありませんでした。しかし、「人間はある絶対者の前には
未熟な存在である。未完成な存在である」という認識は必要です。神への畏れという言葉が
ありますが、人間は未完成で、未熟で、不完全なものなのだ。そして、せいぜい完全な者に
なろうと努力することはできるけれども、到達することはできない。そういうものなのだという
観念が、実は日本には必要だったのではないかという気がして仕方がありません。
最近、文部科学省では、「心の教育」という言葉を使っています。物質的に豊かになるだけでは
幸せではない。私どもの大学に国際的なボランティア活動をやっているグループがあり、ネパール
やベトナムの山奥で、学校づくりの手伝いをしています。村人と一緒になって汗水流して、帰るとき
には村人たちが総出で見送りに来て、涙を流して抱き合って感謝してくれた。胸をゆさぶるような、
心を揺るがすような、体の底からわき上がるような、その感激こそが人間の一生の中で一番幸せ
ではないかということを学生たちは実感して帰ってきました。そのような人間の価値、人間にとって
大事なことは何かということを明らかにする。古いように見えるが、伝統的で、かつ二一世紀にも当
てはまる、そういう道徳的な理論体系を理論的に築くことが重要だと思います。
日本人が無宗教だと考える人がいたら、とんでもない間違いです。日本人の三分の二にあたる
八四〇〇万人が初詣でに出かけます。年が改まって新たな誓いを立てる、新たなお願いをする対象は、
絶対者なのです。お寺でも神社でもいいのです。例えば、昔の日本人は、お天道さまと言いました。
人は見ていないけれど、お天道さまが見ているのだから、神様が見ているのだから悪いことをしては
だめだよと、小さいころからずっと言われ続けてごらんなさい。そういう観念ができてきます。
この観念があるかないか、ものすごく大きな差です。こういう形で戦後のありようを克服しない限り、
修正しない限り、日本は確実に五等国に向かって転落し続けます。これが私の考え方であります。
今日はいささか極端な表現をとりましたが、各界のリーダーの方々、私の考えの中に参考になることが
ありましたら、どうか周りの人々に大いにそれを受け売りしていただきたい。このことをお願いして、
私の講演を終わらせていただきます。
*写真提供ボンカラー・フォトエイジェンシー
バタフライ・ナイフ:流りたたみナイフの一種で、柄を開くとチョウに似ているとこるから、このように呼ばれています。
西原春夫
一九四九〜五六年 早稲田大学第一法学部および大学院法学研究科に学ぶ。
専門は刑法学。一九五三年 助手、五九年、専任講師、六二年、助教授を経て、
一九六七〜九八年、早稲田大学教授。一九六二年 法学博士(早稲田大学),
一九六二〜六四年 ドイツ・フライブルク大学外国・国際刑法研究所に留学,
一九七二〜七六年 早稲田大学法学部長,一九八二〜九〇年 早稲田大学総長,
一九八四〜九二年 日本私立大学連盟・日本私立大学団体連合副会長、
八八年より会長,一九九八年四月 学校法人国士舘理事長、現在に至る。
●「教育新聞」
昨年の夏、一家で北海道を車で旅行しているときだった。原野の景色に退屈した9歳の孫娘が
「四字熟語の競争をやろうよ」と言い出した。
学校のかたわら通っている塾で、たくさん覚えさせられたのだという。「よし、やろう」昔、戦時中、
みっちりそういう熟語を教えられた私には自信があった。
「勇猛邁進」「大器晩盛」「一心不乱」「天下泰平」⋯⋯。ふたり交互に熟語をあげあううちに、だんだん
リズムが私の方に悪くなってきた。「義理人情」とか「粉骨砕身」あたりはいいとして、昔、いつも当たり
前のように使われていた「忠君愛国」とか「夫唱婦随」などは、今の世に合わないなどとためらっている
うちに、次が出てこなくなり、孫娘の新しい記憶に完敗してしまった。
しかし、この体験は衝撃的だった。戦後60年近くたって、突然記億を呼びさまされた漢字の四字熟語が、
いかに的確に人生の営みを語り、いかに明確に人の生き方を教えているかに改めて気づかされたのである。
ひょっとすると、これまでの生涯の中で、とくに組織のリーダーとして荒波を押し渡ってこられたのには、
これら四字熟語による教えが胸奥にあったからではなかったかとさえ思われた。
例えば、努力して避けようとしてきた態度に「右顧左眄」「自縄自縛」「軽挙妄動」「自暴自棄」などがあり、
リーダーとしてとるべき態度として「疾風迅雷」「先憂後楽」「臨機応変」などがあった.
「内憂外患」「半信半疑」「荒唐無稽」「隔靴掻痒」など、他におきかえようのない絶妙な表現である。
このような漢字の四字熟語は、戦後ずっと忘れ去られた感があった。それを子供に覚えさせたというのは、
まことに卓抜な見識だったといってよい。何故なら、そこには将来大人になってから役立つ人生観や処世訓が、
ズバリと盛られているからである。
それがなおざりにされたところに、実は戦後教育の最大の問題があったとさえ言ってもよい。テレビなどで
見る限り、小学枚で書道の題材になるのは、二字熟語が多いようだ。「平和」「希望」「太陽」など。
それらも悪くないが、何か人の好みに迎合したような、いかにも戦後日本的な甘さがある。
これに反して、四字熟語には思わずビクッとするような厳しさがある。意味など教える必要はない。
好きな四字熟語を自分で探し出させて筆で書かせる。先生方は、それが実は大切な道徳教育で
あることに気づくべきだと思う。
発言席
●「毎日新聞」2003年(平成15ねん)10月19日(日曜日)
「恩讐超える国立追悼施設を」
学校法人「国士舘」理事長・西原春夫
福田康夫官房長官の私的懇談会「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」
(平和懇)は昨年12月、報告書をまとめ、国立の恒久的な追悼施設の建設を提案した。
しかしその必要性については国民に真意が伝わっているとは言いがたい状況なので、
委員の一人として、私なりに報告書の背景について説明したい。
まず、戦争を回顧する際に国が「国のために命を捧げた人」に対し、弔意、哀悼、感謝の意を表さねばならない
ことは言うまでもない。靖国神社はそのために建立され、戦後は戦前同様の一義的な位置づけは困難になったが、
その社会的意義は大きい。だから平和懇では、誰一人として靖国神社に「代わる」施設を作ろうと発言した者はいなかった。
靖国神社はそもそも何らかの施設によって「代替」されるような軽々しい存在ではない。
一方、核拡散が人類絶滅につながる恐れが強くなり、軍事的報復の連鎖が世界を不安に陥れている今、
それを超える日本人の平和思想を形で示す緊急の必要性が生じたと考えるべきだ。
報告書の根底にあるのは、「怨恨や恩讐を超えなければ平和はない」という思想だ。それを強調し、
自ら実践する国が増えていかなければ、人類は地球から消え去ってしまう。
怨恨や恩讐を超えるためには、自国の立場だけでなく、戦争のために死んだ相手国の人やその遺族の立場
に立つことが必要だろう。仮に戦争を正当化しうる何らかの理由があったとしても、戦闘で他国人に殺された
人やその遺族にとっては、理由の有無は関係がない。だから、せめてその人の身になり、その思いから
出発しなければ、怨恨の連鎖は断ち切れない。
西洋近代の思想が日本を覆う以前の日本人の宗教観には、恩讐を超える性格があった。元寇の後、北条時宗は
円覚寺を建て、「此の軍及び彼の軍」の魂が「速やかに救拔され」「法界ついに差なく、怨親ことごとく平等ならんこと」
を祈らせた。つまり、一方的に攻めてきた敵方の元軍の戦死者さえ、自国兵と同様に手厚く祭った。
このような日本の伝統的な思想を、今や世界に向けて発信すべき時が来た。「戦争のために死んだすべての国の
すべての人を憶い、戦争の惨禍に想いを致し、不戦の誓いを新たにして、平和を祈る」ための施設の建設を提案した
平和懇の本旨はまさにそこにある。
報告書は追悼施設を「無宗教」としたが、これも誤解されたようだ。それは、施設の形式が神式、仏式など特定の
宗派的形式を備えていないという意味だった。施設での祈りが宗教的なのは当然で、これを否定、排斥したわけではない。
逆にどのような形式の祈りでも受け入れるという意味であった。
「そんな施設は魂の存在しない空の施設で、日本の伝統的な文化に反する」との批判がある。しかし、神や仏、
死者の霊魂は本来、祈る人の心の中に存在するものであって、神社仏閣とか姿のよい山、美しい落日、初日の
出などの環境に接した時に顕現し、そこにいるように感じられるというのが、それこそ日本人本来の宗教観では
なかろうか。私が靖国神社に参拝するとき、知人の戦没者のみならず知らない英霊にまで祈りを捧げられるのは、
そのような宗教的感応によるものだろう。
追悼施設の建設は、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を契機に噴出した近隣アジア諸国からの批判を和らげる
付随効果を持つと考える。しかし、平和懇はそのような効果を目的としたのでは決してない。提言した追悼施設は
はるかに深い意味を持っていると自負している。(毎週日曜日に掲載)
NEASE-Net, 北東アジア研究交流ネットワーク
第1回総会記念講演
講師:西原春夫(NPO)アジア平和貢献センター 理事長
前言
今日お集まり下さいました先生方は、北東アジア問題のトップリーダーの専門家ばかりで、
大変恐縮です。私は北東アジアに関しては素人で、今日は私の素人談義を気楽に聞いて
頂き、その中にひょっとして、以前考えたことのないものや、新しい事実があり、それが皆様
のご参考になれば幸いです。
このネットワークの成立は大変有意義なことでありますが、そのことはここでは重ねて申し
あげません。それぞれの研究機関と研究者が、それぞれの考え方をお持ちでしょうが、中には
共通理解をなす部分がかなりあるのではないかと考えます。共通理解に辿りつけるものは
共通理解に辿りつき、そのような共通理解をもって物事に臨む努力をすることが必要だと考えております。
1.枠組論議
(1)枠組みの理解
枠組みに関しては、アジア、東アジア、北東アジア、環日本海、環太平洋、アジア・太平洋等が
言葉として使われて来ましたけど、中身は必ずしも一致するわけではございません。
一番小さい単位である北東アジアにしても、今日お集まりになりました先生方の間でも必ず
一致されたとは言えないと思います。北東アジアに北朝鮮は入るでしょうか?モンゴルは入る
でしょうか?ロシアは入るでしょうか?ロシアが入るとすればそれは極東ロシアだけでしょうか、
それともロシア全体でしょうか?東アジア共同体の枠組みについても同じようなことが言えます。
私の考え方からすれば、このように範囲がはっきりしない理由は、レジュメの1の(2)に書かれて
いることと関わるのではないかと考えます。すなわち枠組を考える際に、将来の共同体の範囲を
絡め考えた結果、範囲に関する議論が出てくるのではないでしょうか?例えば、今の北朝鮮は
どうしても入れたくない、極東ロシアは除くべきだ等の議論が出てくるし、見解の違いが出てきます。
(2)共同体の範囲は断定を急ぐな
ここで強調したいことは、そもそも、共同体の成立範囲についての議論は少し早すぎるということです。
共同体の設立は容易なことではないということは、私が1998年に早稲田の学長を定年退職する前の
3年間、ドイツのボンにヨーロッパセンターを作り、ヨーロッパ共同体について研究した経験からよく知っ
ております。そこでは、ヨーロッパ共同体がヨーロッパ固有の現象なのか、それとも人類共有の現象な
のかを研究しましたが、その研究過程で、共同体とはどんなものか、共同体を作るにはどれ程の苦労
が要るかを目の辺りにしてきました。東アジアでは、国同士の自由貿易協定は締結できても、厳密な
意味での共同体は20年先の話だというのが私の考え方です。
このような見方をすると、20年先の共同体を今の政治情勢、国家情勢で考えると混乱してしまうことが
よく分かります。皆様には、20年前の中国のことを考え出して頂きたいのです。当時の状況からは、
20年後の中国が、世界第2の貿易大国になれるとは想像できたものではございません。ここからの
20年、どんなことが起こるか分かりませんが、それほど社会の変革は早いものだということを申し上げ
たいのです。また、共同体を考えた場合は、どうしても、大国であるアメリカ、そして強くなってくる中国
との関係をどうするかを考慮しなければなりませんが、アメリカ、中国を考えるにしても、今はせいぜい
5年先まで考えうるのではないかでしょうか、その思考で20年後を判断してしまうと、おかしくなって
くると考えます。そこで、次の結論を導きました。
(1)共同体については、人類は必ず地域的な共同体を作る。そのような歴史予測は、是非共通意識に
するよう努力すべきである。しかし、その成立範囲については断定を避けるべきで、それは歴史の過程で
自ずと明らかになる問題である。
(2)アジアの枠組の範囲は、地政学的、文化的、経済的観点から決めるべきで、そこに、共同体の成立
範囲についての考慮は、少なくとも今の段階では関与させないことが重要だと考えます。例えば、北朝鮮
が今このような情勢だからといって、北東アジアから北朝鮮を排除する考えではなくて、地政学的に言えば、
北朝鮮は北東アジアには入るわけですので、枠組みを考える際に当面は共同体の成立範囲を考えない方
がよいでしょう。
(3)これは、ASEAN+3、東アジア・サミット、APECといった協議体についても同じことが言える。
このような協議体はいくらあって、重なり合っても一向に差し支えありません。けれども、そこに共同体の
成立範囲の断定を介入させるとおかしくなってきます。最近政府の東アジア・サミットについての考え方が
かなりはっきりしていますが、あまり賛成しかねるものがあります。
2. 現代最大の問題点=グローバリズムとナショナリズムの調和点をめぐる理解の齟齬
(1)グローバリズムの根源=科学技術の発達
現代の世界の中のアジア、そしてアジアとの関係における日本のあり方については、意見の相違があります。
統一化させなくても正確に伝えるには観点・視点が必要となります。私は、グローバリズムとナショナリズムの
調和点をめぐる理解の齟齬という視点・観点をもつことで、色々のことが分かりやすくなると考えております。
例えば、グローバリズムに対しては、ナショナリズムの方からの抵抗がある。抵抗の程度を考えた場合、
グローバリズムがどれだけ必然的であるのかという、必然性の強さにより抵抗の強さが分かってくるのでは
ないかと考えます。
調和点をはっきりさせるためには、グローバリズムのもっとも根源な所に立ち帰るべきだと考えますが、
グローバリズムの一番の根源は科学技術の発展だと考えます。人類の歴史は予測不可能だと言われますが、
科学技術の発達に限っては間違いなく予測可能だといえます。本当は、科学技術の発達はこの辺りで止まった
方が良いのではないかと考えますが、残念ながら止められない。人類は自ら作り出した科学技術により滅亡さ
れるまで科学技術を発達させるだろう。つまり、人類は禁断の果実を食べてしまったというべきでしょうか。
科学技術の発展とともに、人、物、金等の様々のものが国境を越え、情報など科学技術そのものが国境を越え
るようになりました。国境を越えるものの規模が大きくなればなるほど、国境は必ず邪魔物として感じられるよう
になりますが、国境を邪魔だと感じるなら国境は低くなる、もしくは低くさせられます。低くなりっぱなしで済むかと
いえば、どうしてもそうはなりません。国境を挟んだ紛争は国家間の武力をもってする戦争、軍事力を背景とする
外交力をもって解決してきたため、そうした解決が許されない状況になってしまうと、どうしてもある種の共通点を
持つ一定の地域に、ある種の超国家的な組織を作っていかなければなりません。ヨーロッパがそのような条件が
満たされたから、そのような組織ができたわけで、アジアもそうならざるを得ません。
(2)ナショナリズムの根源=歴史的に形成された民族国家の枠組みの存続
他方において、ナショナリズムは恐らく世界史が中世から近世に移行する辺りに成立した民族国家の枠組みは
今も残存しています。21世紀には、国境はどんどん低くはなるけど無くならないと考えます。国民国家についての
国家単位の意識、国家単位の政策が存続します。国家の視点からみると、グローバリズムへの抵抗、批判、
無理解が出てくることはある程度考えられます。
アジアを考える場合、考慮にいれるべきは国には発展段階があり、発展途上の国はどうしてもナショナリズムが
強くならざるを得ない、という政治的・経済的要因があることです。そこに、発展した国家同様にグローバリズムを
強制することは適切ではないことも意識しなければなりません。
グローバリズムとナショナリズムは、二者択一の時代でなくなり、二つの調和点をどこに求めるかが重要となって
きます。日本の国内でもそうで、小泉総理の靖国参拝問題にもそれがよく出ています。日本のような比較的国際的
な社会と、まだ近代化の道を歩み出して20年に満たないような国々に相違があることはある程度やむをえないことで
あるが、そういう視点を常にもつことが重要だと考えます。
(3)解決策=未来予測の共有
第2点についての解決策はないかといえば、それは、緊張の緩和にしかならないかもしれないが、
未来予測の共有しかないと考えます。例えば、東南アジアに、日本のようにグローバリズムに従う
ことを強要してもしょうがないでしょう。人類の未来予測を積極的に説明することで、段々と歴史的
方向性への共通認識を持たせていくことが文化人の役目でないかと考えます。
学問的でない乱暴な書き方かもしれませんが、レジュメでは分かりやすく19世紀の国家観と21世
紀の国家観という風に書いてあります。20世紀はちょうど半分ずつ分かれていて、前半が19世紀
の国家観、後半が21世紀の国家観として捉えられます。19世紀、日本の明治維新期は、日本を
取り囲む先進国では拡張戦争を前提にした国家観であった。日本はそこから出発した、そこに太平
洋戦争の敗戦の根源、今の靖国問題の根源があるのではないかと考えます。21世紀は、経済が
人・物・金・情報が入り組んで、国家間の全面戦争は考えられなくなりました。情報の発達により、
世界中で発生したことがリアルタイムに伝達できるという利点により、国同士の全面戦争は考えな
れない状況となっています。国家が国益を考える際、近隣国家との関係を考慮しなければならない
時代となってきたが、それを21世紀的国家観だと考えています。できる限り21世紀の国家観を普及
させることが解決策につながると考えます。
3. アジアにおける地域的超国家組織
(1)ひとつの出発点はアセアン
「北東アジア研究交流ネットワーク」は、北東アジアがアジアの中で、世界の中でどうような
役割が発揮できるのか、北東アジアにASEANのような超国家的協議機関形成できるか
どうかの問題を研究することが最大の関心事であり、その名称を「北東アジア共同体研究交流」
でなく「北東アジア研究交流」とした所に、賢明さがあると考えております。
よく言われる東アジア共同体について考える場合、一つの出発点はASEANだと思います。
ASEANは長年の努力を積み重ねた結果、既に東南アジアの10カ国すべてを覆う協議体が
出来上がっています。そして、それらの国全体が中国とか日本とかと自由貿易協定あるいは
経済的枠組みを作ろうとしています。従って、日本として東アジアを考える時は、いきなりの
共同体形成を考慮することはしばらく先のことで、自由貿易協定と枠組協定を円滑に結ぶこと
が先だと考えております。
ただ、日本が東南アジアに向かい合うときに絶対に考慮すべきはASEAN形成のフィロソフィー
の問題です。つまりアジア的思考とヨーロッパ的思考の違いです。ヨーロッパの場合は、軍事政権
の国を同盟にいれることはありえないでしょうが、ASEANの場合は、ミャンマーという軍事政権
国家さえ抱え込んで、まずは対話を図ることが重要だと考えています。
ASEANは最初、親米・反共的な組織であったものが、ベトナム戦争、インドネシアなどの紛争
におけるアメリカの介入を見るにおよんで、反米とは言えないけど、次第にアメリカと距離を置く
ようになってきたことを、日本はしっかりと受け止めなければなりません。ここ数年の政府の方針
の中には、そこの所をはっきり意識されてないのではないかと思える提言をみることが多く、
実にやんわりと東南アジアから断れていることをしているのではないかという受け止め方をして
おります。いずれにしても、東アジア共同体を考えるときは、ASEANからの視点が必要だと
考えます。
(2)もうひとつの出発点は日中韓(北東アジアの枠組みとは別)
次は日中韓で、この3国を北東アジアとイコールで考えることは避けねばならないが、なんと言っ
ても日中韓は歴史的にも文化的にも経済的にも、ずっと関係の深い国々で、アジア全体の中で
その関係の纏まりが大変重要な意義を持つということです。日中韓の協力関係に対してアメリカが
かなり警戒することからも分かるように、対ヨーロッパ、対アメリカ外交への抑止力であることが分かります。
さて、ASEAN+3の考え方は、実はASEAN側から提出されたものです。今は、中国の台頭に対抗し、
インドやニュージランド等の国々を入れる東アジア・サミットを基礎にした共同体という考え方があります。
ASEANに言わせると、「我々は大変な努力でアジア的思想を発揮し、ASEANを作ったが、日本は
北東アジアで何をしたのか?協議機関を作ったのか?国として努力をしていないではないか」と、そう
言われても止むを得ないことです。ASEANからみれば、大国の中国、インド、日本が何の連携も協議もなく、
それぞれASEANを抱え込もうとするのではないか?3大国間のASEAN分捕り合戦で日本はどうするのだ、
と言われても止むを得ないでしょう。東アジアの団結の中核はASEANと日本だと言う人もいるが、
ASEANからはやんわり断わられています。当然の事だと思います。
北東アジアについて、特に日中韓についてはできる限り色々な分野で協議機関があるべきだと考えて
おります。現に、大変多くの方の努力により、協議機関なり、共同の組織なりができています。民間の立場
からこのような活動をどんどん進めるべきだと考えております。今、日中、日韓の間は非常に具合が悪く、
戦後の最悪の状態と言われておりますが、首脳会議こそ中断しているものの様々な経済交流は活発に
行なわれています。中国のあり方についても、軍事化するのではないかと懸念する見方も確かにできますが、
他方で、軍事大国である、覇権国家であるとは断言できないような中国側の努力もしっかり受け止めなければ
ならなりません。
今、皆様に『DECIDE』という雑誌をお配りしておりますが、この編集長は中国で半分、日本で半分の生活を
しながら、とても生活に密着した雑誌作りをしております。今回、私の特集を大きく組んでくださったが、
是非読んで頂きたいのは、去年の全人代以来、中国政府が党を挙げて「和楷社会」建設に本気で取り組んで
いるという記事です。「和楷社会」の主柱は儒教であるが、儒教の封建的なものを整理して、21世紀に当てはまる
儒教理念を「和楷社会」の理論にしているということについては、この特集でも取上げています。私は、このような
中国の動向については賛同すべきだと考えております。それは華僑帝国主義で、加担すべきではないという批判
もありますが、儒教を介して我々は日中韓で、また香港なども含めて会話ができるということが重要です。儒教の
なかには覇権主義を戒めるという考えが含まれており、中国が自ら覇権主義を戒めることにも繋がります。だから、
中国のこのような動向について日本が乗るべきだということです。ただ覇権主義が恐ろしいというだけでなく、
日中韓を纏めるには会話を含めて一種の共通の課題、共通の使命をつくり、様々な対立と争いを沈静化することが
政府のできない文化人の使命ではないかと考えております。
(3)共同体の枠組みは歴史の成り行き次第
(4)共同体意識形成の手段として、21世紀的国家感に立った国境問題解決の試み
(3)(4)に関しては、時間の関係により省略いたしますが、一言繰り返し申し上げたいのは
、国境がどこに引かれているのかを問題にするのは19世紀的国家観であり、21世紀的国
家観に立てば国境の引かれ方ではなく、自由な往来、自由な経済活動をどのように形成する
かの方が重要になってくるのであり、それが国境問題の解決に繋がるということです。
4. 過去への配慮の仕方
(1) 終戦前後におけるソ連の行為に対する日本人の思いを手掛かりに
数年前、ウラジボストクのある若い研究者ととても親しくなり、極東ロシアとアジアは同じ経済圏
であること、共同に東アジア共同体を形成することについて議論したことがありました。議論を
しながら気になったのは、この青年は果たして1945年の終戦の時にロシアの行ったことを知っ
ているのか?ということでした。推定17万人の日本人将兵がシベリア、モンゴル、中央アジアに
連れて行かれ、酷寒の中で栄養失調で死んだ人は少なくとも5万人はいたこと。8月8日、戦力を
失った日本であるにもかかわらず、日ソ平和条約を無視して、いきなり侵攻してきたこと。これらの
ことを考えると、ただただ未来を楽しく話しては済まない気がしてきて、100%一緒にやれる気持
ちにならないことが分かりました。
今度は、そうした思いというのは日本人に対して、中国にせよ韓国にせよ、もっと大きく向けられて
いるのではないか?日本は未だ過去を十分には精算できていないから、肌と肌の付き合いはでき
ないのではないか?ということを考えるようになりました。60年経った今、我々は一体何をすれば
よいのだろうか?60年経ったから許してくれと言いたいところですが、そういかない事情もよく分
かりました。そのことを、日本人はもう少し突き詰めて考えなければならないと思います。
(2)怨恨と復讐の連鎖を断つためには被害者に怨恨を「超えて」頂かねばならぬ
1945年の終戦直後にやらねばならなかったことは多々ありました。ある国と国、ある民族と民族
が衝突し損害が生じた場合、その直後にやらなければならないこと、例えば犯罪者の処罰、
損害賠償、国として謝罪等があります。それとは別として、60年経った今、我々は何をすべき
かを考えなければなりません。日中、日韓などアジアの問題だけでなく、アメリカの9.11を含
めて、国際紛争の処理において怨恨が残ってしまうとどうしても復讐などというギクシャクする
ことになります。
加害者の立場から、被害者に対して怨恨を捨てなさい、忘れなさいとは言えないわけです。
そこで、私が考えたのは、怨恨が残っていてもそれを超えて行くしかないということです。怨恨
と復讐の連鎖を断つためには、被害者に捨てられない、忘れられない怨恨を「超えて」頂かね
ばならなりません。そのためには加害者の側でやらなければならないことがあります。日本人
は60年経ったからもういいのではないかという意識を持っておりますが、例えば、韓国に行けば、
300年前の秀吉時代の被害が語られていますから、ましてや自分の親、お爺さん、お婆さんたち
が酷い目にあったというのは、未だ現実問題であることが分かります。すなわち、加害者、被害者
関係が当分の間は残ることを考えざるを得ません。その中で、加害者の側でやらなければならな
いことがありますが、それは次に書かれてあります。事実を知ることです。
(3)事実を知る
加害者は加害の事実を知ること。全ての詳細を正確に知ることはできませんが、加害の事実を
全体として知ることです。そして、重要なことは被害者の身になって胸を痛めることです。
日本の中には一部、太平洋戦争にしても、日中戦争にしても、「正義の戦い」だと、「大義名分
がある」という人々がいます。確かにそういう面があるかも知れませんが、我々が考えなければ
ならないことは、自分の身になって戦争を考えることです。例えば、どこかの国が「日本は正義に
反している国である」という戦争の名目、大儀名分を持って日本を攻めて、それとは関係のない女、
子供、一般の国民を殺したとします。彼らの親族にとって、戦争の大義名分は関係ないことで、
被害の事実だけが残るわけです。
国としては別ですが、我々一般人としては被害者の立場になって、被害の事実を認識して、被害の
事実に胸を痛めることが重要だと考えます。日本国民の大部分は戦争についての直接の責任を持た
ない世代に来ていますが、先輩のやったことへ反省する必要があります。既にぺこぺこ謝る必要は
なくなりました。しかし、先輩達が行なったことに対して今も胸を痛めているということが相手に伝わる
ことで、問題はかなり解消されると考えております。
(4)靖国問題に対する判断
例えば靖国参拝問題も、そういう観点から考えられます。私は、福田前官房長官の下で作られた
「追悼・平和祈願施設懇談会」の一員でありまして、その方針を総委員長として纏めた経緯もあります。
施設を作るかどうかの問題もありますけど、そのような考え方を日本の国民を伝えていくことが大事だ
と考えます。国あるいは国民が追悼しなければならないのは、日本の将兵だけに限られないのではない
でしょうか?日本が戦争を仕掛けたことにより、兵隊に送られた多くの外国の若者や一般国民がたくさん
死んだのではないでしょうか?
21世紀の国家観に立った場合、日本は、例えば8月15日にはこの戦争のために死んだすべての国の、
すべての人の死を悼むべきではないかと考えます。死を悼むだけが全部であるわけではありませんけど、
戦争の残虐さの象徴が人の死です。人の死を追悼することで残虐な戦争は二度とやらないという誓いをして、
その誓いに基づいて世界の平和を守るのです。そして日本は、日本らしい仕方で世界平和の構築に役立つ、
そういう日本の国民の心構えを世界に向かって発信し、かつそれに従った行動を取るべきだと考えております。
ご清聴ありがとうございました。 第1回NEASE-Net政策セミナー(2006.7.8)