あれから5年-。汚染水処理、廃炉作業の課題が山積するなど、福島
第一原発事故は今も続いている。そのなか国内では原発の一再稼働が次々と
進められようとしている。日本は福島原発事故から何を学んだのか─。
[東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)」の委員長を
務めた黒川清・政策研究大学院大学客員教授に聞いた。
世界が注視する福島
─今年3月11日は、米・コーネル大学で行われた原発事故に関する会議
に出席されていたそうですが、世界は福島原発事故をどのように見ているの
でしょうか。
現在、世界では400基を超える原発が存在し、さらに70~80基が新設さ
れようとしています。 原発事故が起きないようにするには、そして、もし
起きたらどうすればいいのか”- 世界は福島の事故から学びたいと考えて
います。従って、福島で何か起きているのか、どう事故処理が行われている
のか、世界は注視していると思います。
事故当初から政府や電力会社の記者会見の模様はネットを通じ、世界に逐
次、流れていました。しかし、明確な情報は出てこず、何を語ろうとしてい
るのか理解できない。多くの人がそう語っています。
今年2月、事故5年を目前にして、東京電力は事故当時の社内マニュアル
にメルトダウン(炉心溶融)を判定する基準があったことを認めましたが、
全電源喪失が続けば、メルトダウンが起きることは、原子力の専門家であれ
ば、誰でも知っていることでした。にもかかわらず、なぜ、メルトダウンが
起きている事実を発表できなかったのか。
日本は近代国家であり科学技術の先進国と思っていたけれど、事故に関
するデータも満足に出てこない。日本 は事故から本気で学ぼうとしているの
だろうか─ 世界は不思議に感じています。
憲政史初の独立委員会
─ 2011年12月、国会に調査委員会が設置され、委員長として根本的
な事故原因の調査を始められました。
国内、海外でも福島原発事故の分析・調査が進む中、日本政府や産業界は
真実を隠しているのではないか─ そうした疑念が世界に広がりつつありま
した。日本は国としての信用を失墜する危機にあったのです。
信用を回復するには「国権の最高機関」である国会が、立法に基づく独立
した調査委員会を設置して事故を検証し、世界に公開していく必要があると
私は考えていました。
国を揺るがす大事故や大事件が起きた時には、立法府が独立した調査委員
会をつくるのは、世界的な常識なのです。過去には英国のBSE(牛海綿状
脳症)問題や9・11同時多発テロ事件い11年7月のノルウェーのオスロの
ウトヤ島でのテロによる銃乱射事件等々の事例もあります。
私も私なりに関係者への働き掛けを続けましたが、9月末に「東京電力福
島原子力発電所事故調査委員会法」が成立し、私か委員長に任命され、12月
8日に憲政史上初の国会事故調が発足しました。
調査委員会は、極めてオープンに行い、当時の首相、官房長官、経済産業
大臣、原子力安全・保安院の長だけでなく、東電の会長、社長ら要人への聴
取もネット中継で公開しました。さらに、―回目を除き、委員会、そして記
者会見も全て英語の同時通訳を入れ、世界中で視聴できるようにしました。
こうした透明性の高い調査を重ねることで、日本社会や組織が抱える課題
虜になった規制当局
〈12年7月に国会に提出された報告書では、福島原発事故から将来への教
訓を導くとともに七つの提言を行っている。さらに、福島原発事故は自然災
害ではなく、「規制の虜」に陥った 「人災」であると明確に結論付けた〉
─「規制の虜」とは、規制する側の原子力安全・保安院や原子力安全委
員会が、規制される側である電力会社の虜になっていたということですね。
こうした逆転現象はどの国でも起こりうることです。要因としては、電力
会社側に知識の優位性がある点や日本のエネルギ政策が原子力推進をベー
スに動いていたこと、原子力安全・保安院が経産省の一機関であったことな
どが挙げられます。
しかし、例えば知識の優位性について見ると、原子力安全・保安院長の聴
取からも分かるように、規制当局の側に知識の優位性が全くなかったわけで
はありません。にもかかわらず、監視・監督機能を怠っていたのは、規制当
局が国民の安全や利益のためではなく、事業者(電力会社)の利益のための
組織になってしまっていたからです。
その根っこには、産業界の大本である電力業界が、大手電力会社によって
独占されていたことも一つの原因としてあったと私は考えています。そこ
に、政治家も官僚も取り込まれてしまっていたということです。
グループシンクの愚
記者会見で質問に答える黒川委員長ら(2012年7月、東京・永田町)=AFP時事
─日本の文化、社会構造の中に「規制の虜」を生む特有のファクター因子)
があるとも指摘されています。
日本では企業や役所などの組織に所属すると、ずっとそこに居続ける。社
会もそれが常識だと考えている。そこから生まれるのは、年功序列、終身雇
用の「単線路線のエリート」です。経産省に入省した人は、途中出向して
も、いずれは経産省に戻って昇進していくでしょう。
すると、どういうことが起きるか。少なくとも、経産省の問題になること
は発言しないし、意見を持たなくなるということです。
原発事故の根源にあったのは、全体を俯瞰することをせず、組織の利益を
優先し、問題点を先送りしていった 「単線路線のエリート」のマインドセ
ット(固定した思考)ではないかと考えています。
また、日本の組織では、異論を挟むことなく、何となく意思決定がなされ
ることが少なくありません。とりわけ 「原子カムラ」といわれる排他的かつ
同質性の高い組織には、異論を排除する関係者の独善的なマインドセットが
ありました。
このような意思決定パターンはグループシンク(集団浅慮)と呼ばれるも
のですが、結果的に「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という発想をも生
みます。しかし、誰も事故が起きないことを保証できないし、責任も取らな
い。原発事故は、このグループシンクの愚”によって引き起こされたもの
ではなかったでしょうか。
世界は、こうした日本に対し、アカウンタビリティーの欠如を見ています。
日本では、「説明責任」と訳されていますが、アカウンタビリティーは
本来、「与えられた責務、責任を果たす」「問責」という、強い意思を持っ
た言葉です。
調査委員会から、より鮮明になったのは、このアカウンタビリティーが政
府や電力会社、そして多くの大組織のリーダーに欠如していた点です。
安全文化を築く動きも
─世界では、福島原発事故後、安全文化をつくる動きが始まっているよ
うですね。
米国議会(立法府)の下にあるGAO(ガバメントーアカウンタビリティ
ー・オフィス)からは、14年3月に「福島第一原発事故に学ぶ各国の原子
力安全文化」という報告書が発表されています。翌月、IAEA(国際原子
力機関)でも「原子力発電所の安全性と国民文化の重要性」のテーマで、3
日間のワークショップが行われました。これはIAEAの歴史では初めて
の試みです。
『国会事故調報告書』の中で、終身雇用や年功序列、「単線路線」といっ
た日本特有の文化にられたことに対し、当初、批判もありました。しかし
OAO、IAEAの動向を見ると、福島原発事故を通し、その国の文化が原
発の安全性に深く関わっていることを世界は知ったということではないでし
ょうか。
理解できていないのは日本だけかもしれません。これが日本の多くの人た
ちの「常識」だったからです。こうした世界と日本の差は私には理解しがた
い点でもあります。
─日本再生の鍵はどこにあると考えますか。
私は、『国会事故調報告書』の「はじめに」の中に「この報告書が、日本
のこれからの在り方について私たち自身を検証し、変わり始める第一歩とな
ることを期待している」と書きました。今後さまざまな分野でイノベーシ
ョンが生まれる必要があります。それは単に技術革新という意味のイノベー
ションにとどまらず、日本の社会構造の転換に結び付くものでなければなり
ません。
日本再生の鍵は、こうした社会構造の転換を実現する人材の育成にかかっ
ているのではないでしょうか。それは私を含めた全ての日本各界の人々の責
務であると考えています。
聖教新聞 2016.4.14(木)5版・7
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国会事故調元委員長
黒川清(政策研究大学院大学客員教授)<ろかわ・きよし 1936年、東京都生まれ。
医学博士。東京大学名誉教授O 69~84年在米。カリフォルニア大学ロサンゼルス校
医学部教授、東京大学医学部教授、東海大学医学部長等を経て現職。日本学術会議会長、
内閣特別顧問等を歴任。国会事故調委員長として、米科学振興協会(AAAS)から2012年
度の「科学の自由と責任賞」を受賞した。新著に『規制の虜』(講談社)。