靖国問題の普遍性を問う

 靖国がまた問題になっている。靖国問題の本質は何なのか? 気になるのは私
だけではあるまい。

 靖国問題を考えるに万巻の書、資料があることであろう。 小生が手にしたのは、
その氷山の一角に過ぎないが、後述の2冊は一度熟読されることをお薦めしたい。
また一度は目を通すべきだと思う本もある。しかし、説得力を持たせるためには、
相手を見下げたような感情をむき出しの主張は、身内グループには受けても、反対の
波紋の輪もまた広がることを考慮して、極力遠慮すべきだと思われる。

 特攻隊を始め多くの兵士が国を思い、家族や友を想いつつ犠牲になった。 
彼らのエネルギーを真の平和エネルギーへと昇華し、如何に民族の飛翔力と為すかが
重要な課題と思われる。

 小生は靖国問題を始め従軍慰安婦、南京問題等を克服するに当たって、関係諸
国に以下の3点を提案したい。第1に比較文化論的(クロスカルチュラル・コミュ
ニケーション)アプローチを取り入れることである。
コミュニケーション・ギャップは
パーセプション・ギャップ(認識誤差)から生じる。パーセプション・ギャップは双方の
パラダイム、価値観の相違から生じる。

 つい最近まで我々は時間や空間は絶対的なものであると信じて疑わなかった。
今や交通・通信の発達によりそれらは相対的なものであることを知るようになっ
た。それでも日本人は国内時間は一律であるので、動かしがたい絶対的なもので
あるかのように時間に束縛されている。

 集団の和を個人より重視する日本は偽証も容認するが、個の自由、正直である
ことを重視する米国においては、偽証は重罪である。田中元首相とニクソンの弾
劾裁判、クリントンの罪の国民的容認の例はそのことを雄弁に物語っている。

 日・韓の間は言葉や生活習慣も類似しているので、自国と同じだと思って対応
すると思わぬ文化摩擦、事件に遭遇することがしばしばである。我々日本人は西欧
化し過ぎて、合理的に考えがちであるが、韓国には今も濃く儒教的伝統が残って
いる。70年代、年に何回か国際会議を担当したが、小生は、会議の準備をしっか
りやることの方が重要と合理的に考え、韓国からの代表団を出迎えるのをスタッ
フにお願いした。会議の間中、韓国代表の方々の気持ちに何か違和感を感じてい
たが、会議が終わる頃、ふとした会話から分かったことは、会議の責任者が空港
で出迎えるべきであったという、韓国では当たり前の礼儀をわきまえなかったこ
とが不満の原因であったことがようやく判明した。韓国で、いつも年長のお偉い
方がわざわざ空港までお出迎え下さった意味も理解できるようになった。また韓
国の方は奥さんや自分の父母に対して敬語を使う。「まだ日本語が未熟なせいか」
と誤解しやすい。日本人は自分の身内を下げて言うることによって、相手への敬
意を表する習慣だからである。

 日・韓・中を比較して日本は情、韓国は知、中国は意であると言われている。
これを風土論から論じる人も多い。最近の論争はこの3国の価値観の相違が
不毛の論争の温床にあるように思われてならない。生死を含む万事を美・醜で観
る日本人、真・偽で観る韓国人、善・悪で観る中国人、この見方の違いによるす
れ違いが多いように思われる。

 北東アジア3国に於いて「和」は共通であるが、日本では「大和」、全体の和
を尊び、たとえ別の意見を抱いていても容易に全体と妥協しやすい。韓国では
「和諍」と言って、今にもつかみかからんばかりの激しい論争の上での和である。
何の反対意見の言わないのは甲斐性がない、無能とみなさる。中国の「和諧」は
和して同ぜず。しっかりと自分の意見を持っての調整としての和である。同じ和
であってもそれぞれニュアンスが異なる。

 これからは共存・共栄はもちろんであるが、共義、お互いを尊敬し、その合意
を見出すことが必要である。その合意「和」を形成するプロセスも国によって違いが
あることを知り、互いに相手を理解してこそ、対話の前提としての信頼関係も造
成されるのである。

 平和の使徒ガンジーの言葉が命の籠った言葉として我々の努力目標になると思う。
世界の不幸や誤解の4分の3は、敵の懐に入り、彼らの立場を理解したら消え
去るであろう。」

「人間性への信頼を失ってはならない。人間性とは大海のようなものだ。ほんの
少し汚れても、海全体が汚れることはない。」

「人は、自らの内面から、自身の平和を見いださねばならない。そして、真の平
和は外界の状況に左右されるものであってはならないのだ。」
「あなたが、他の人々に求める変化を自分で行いなさい。」


 問題解決への第2の提言は、短期的問題もさることながら、3国を越えて共に目
指すべき高邁な共通目標を提示すること
である。

 それは人類的課題と言われる環境問題の克服(sustainable development)、
恒久平和の実現、幸福の増進等であろう。小生はこれらの人類的課題解決の鍵が
人間存在の根本的基台である家庭という連体にあると思う。ここ4、5百年に花
咲いた現代文明は個と言う極めて不安定で、命の永続性のない存在基台の上に築か
れた文明である。
 シュペングラーの『西欧の没落』は第一次世界大戦の最中に執筆された。第2
次大戦の原爆の出現は、これ以上戦争を継続することは、人類の滅亡を意味する
ことを教えた。70年代資源の有限性に気づき、環境破壊の進むにつれて、この美
しい地球星を守ろうとのグローバルな意識が生まれてきている。自由競争を金科
玉条としてきた資本主義も単なる福祉政策では貧富の解消は絶望的で、庶民の生
きがいを奪うものとなっている。

 行き詰まりに来た現代文明を救済し、恒久平和の新しい地平を拓く主体は、
現代文明を消化し、未だ家族的伝統の残る北東アジア3国であると言えよう。

 日韓中の3国は新しい人類共生共栄共義の世界を拓くという高邁な目標を掲げ、
近代化の行く過ぎによる弊害に苦しむ西欧と、未だ近代化から取り残され、貧困
にあえぐ途上国救済のために立ちあがるべきだ。高邁な長期的目標を抱きなが
ら、同時に短期的問題解決に臨むという複眼思考が重要だと考える。

 問題解決への第3の視点は家族に焦点を合わせることである。
体制を越え、宗教やイデオロギーを超え、万民に共感、共鳴、感動を呼ぶのは家
族を基盤とした情念である。

 小生は昨夜、沖縄出身の大学の後輩に誘われ、「永遠(くおん)の空へ─知覧
特攻早春賦─」の演劇を観覧した。そこに溢れる男女、親子、同志の情に皆、感
涙した。死を目の前に突きつけられ、死に行く意味を問い詰める。かつて岡潔先
生のご自宅を訪問した折、岡先生は「宗教とは死を踏み越えた所にある」とお答
えになられた。宗教学者、岸本英夫は「宗教とは、人間生活の究極的意味を明ら
かにし、人間問題の究極的解決に関わると人々によって信じられている営みを中
心とした文化現象であり、その営みとの関連において神観念や神聖感を伴う場合
が多い」と述べている。平易に言えば、宗教とは,超自然的な力や存在に対する
信仰(アイデンティティー・価値観の確立)と,それに伴う儀礼や制度(集団)をいう。

 生死を越えた絶対的価値アイデンティティーをどこに求むべきか?
特攻隊員の多くは天皇陛下に、父母に妻子にその命を捧げ、靖国に神として祭ら
れること願って「靖国で会おう」との言葉を残して散って行った。現代に生きる
我々は、今、死と真正面から向き合っているのであろうか? 年々増える自殺シ
ンドロームの特効薬は、死と向かい合い、何の為の人生か? 死を超克する自我
との戦い、その彼方にある自他一体、安心立命、涅槃の境地であろう。

「祈りがなかったら、私はとっくの昔に気が狂っていたであろう。祈りはまさに
 宗教の魂であり、精髄である。だから祈りは人生の確信である。宗教心を持た
 ずしては、何人も生きられないからだ。」
「 何か信じるものがあるのに、それに従って生きない人間は信用できない。」
「明日、死ぬかのように生きろ。永遠に生きるかのようにして、学べ。」 M.ガンジー


 NHK「靖国─知られざる占領下の攻防─」 は戦後の靖国神社の生きざまを鋭
く追っている。松本健一著『『日・中・韓のナショナリズム 東アジア共同体へ
の道』は中国がなぜ執拗に靖国問題にこだわるのか説得力ある論旨を展開してい
る。
 A級戦犯の靖国合祀を西欧合理論理から考察すれば、当然の帰結であろう。
しかし、日本人の情的感性からすれば、合祀も自然の成り行きかも知れない。
 血族を重んじる韓国や中国と違い、日本は疑似家族である。日本では血のつな
がりの有無に関わらず、養子を認める。会社も国家も家族の延長として捉えてい
る。天皇は言わば国父、総理は長男のようなものである。「形式的に天皇に戦争
責任はあるにしても、実質的責任もあるのか、ないのか?」、極東裁判の当初の
焦点であった。極東裁判東条英機元総理の弁護人であった松下正寿氏のカバン持
ちを12年もした小生は、東条氏の心の軌跡、その生きざまを折に触れお伺いし
たことがある。「自分達が戦争責任を負わなければ、陛下に責任が及ぶことにな
る」と東条氏らは当初の裁判闘争の方針を180度転換した。陛下(父母)を守る
ために、息子として自分の命を捧げたのであった。

 小生の目下の関心は「靖国神社とどう向かい合えば良いのか」ということである。
昨夜の演劇の内容は予想していた以上のものであった。この演劇は、何の政治的
偏見も持たず、色眼鏡をはずして観れば、きっと韓国や中国の人々にも共感や感
動を呼ぶであろうと痛感した。

 2,005年8月、平山郁夫画伯を芸大学長室に訪れた折、同席されたスベトラーナ
教授(ウクライナ)は、帰りの道すがら、矢継ぎ早に鋭い質問をされた。そして、
今ヨーロッパでベストセラーになった本があるとコメントされた。「第2次大戦
末期、ソ連を攻撃したドイツの航空機が数多く撃墜され、遺留品の中に家族や友
人に宛てた手紙が沢山出て来た。それを何ヶ国語かに翻訳して本にした。その情
愛溢れる手紙は、敵味方を越えてヨーロッパの人々の心を揺さぶった」のだとい
う。

 小生は北朝鮮の映画を何本か観たことがある。いずれも、劣悪な厳しい生活環
境にあっても、親子が、夫婦が寄り沿い、助け合う涙を誘う家庭愛の物語であった。
「存在とは個物である」との西欧近代の存在観だけではなく、「存在とは関係性
(連体)、家庭である」という東洋的伝統と融合すべきときであると思う。一個
人はどんなにあがいても100年前後で終わる。夫婦が出会って新たしい命が誕生
することにより、始めて種は存続する。一団体一国家の永続も他の団体、他国家
との関係性が必須である。我が国も国家の安寧の永続を願うならば、自国にみで
存続を図ろうとする従来の歩みから、他国との繋がり(連体、共同体)を大切に
して、共に協働の成果を見て喜びを共有する、新らしい存在観への歴史的発展途
上にあると言えよう。

 仏教信仰が篤く、日頃穏やかな稲盛和夫氏が、世界連邦の集会で「世界平和の
敵は、国家である!」と衝撃的なほど、激しい口調で断罪されたことを今も忘れない。
国家も大切であるが、隣国や地球益を犠牲にした独善的国粋主義(ショービニズ
ム)こそ人類の敵である。

「イギリス人が敵なのではなく、彼らの考え方が敵なのであり、問題さえ解決すれば
必ず良き友人になれる。」 M. ガンジー


民衆の生の声はいつも政府やマスコミに歪められて、利用されてきた。真の声と
は恨み辛身、国境、生死をも越えた父母や妻子、友を想う真心といえよう。

 この感動的演劇は、今日4月28日(日)午後1時が最終日という。なお劇団グスタフ
は、次は、沖縄戦に焦点を絞って、家族の情愛を中心とした映画を英語・中国語・
韓国語の字幕を入れて制作し、世界へ発信したいとの意向を持っている。
このような真の愛の情愛を伝える演劇、映画の輪が世界の隅々まで広がることを
祈念したい。

2013年4月28日 早朝    大脇 準一郎 拝

~~~~~~~~~~ 付 記: ~~~~~~~~~~~~~~~

劇団グスタフ公演「“永遠(くおん)の空へ”─知覧特攻隊早春賦─」  
ビラはこちら
演出:抱(かかえ) 晴彦  原作:米倉秀一作“知覧特効早春譜”
場所:スタジオグスタフ(狛江劇団グスタフ内)
東京都狛江市東野川1-5-17,TEL/FAX 03-5497-6996
小田急喜多見駅北口下車タクシー3分