日本の教育界の危機と未来構想 Wordはこちら

国際教養大学が、東大の3倍近い評価をもって、日本経済新聞7月16日号のトップ記事と
して報道されたことを記憶されている方も多いであろう。主要企業の人事トップに「人材
育成で注目する大学」を尋ねたところ、秋田県の国際教養大学がことしも断然トップとなっ
た。東大13、早稲田が9、慶應7、京大3、一橋大3票で、1970年代国際性を注目された
筑波大などは番外であった。

この様な歴然とした結果が表れているにも拘わらず、有名大学は、伝統にあぐらをかいて、
時代のニュードに合わせて舵を切ることはなかなか困難であることが窺われる。戦後、
「期待される人間像」、教育臨調等の教育改革の試みがなされ、個に偏った教育基本法の
改定法案もようやく成立したが、未だ遅々たる歩みである。


21世紀を迎えた日本の教育改革の課題は何であろうか?

その一つがいみじくも国際教養大学が示しているように「国際社会に通じる教養を身に付
けた人材の輩出」であろう。この人材に、専門的知識・技術と不動の高邁な志が兼ね備わっ
ていれば、鬼に金棒である。人間に元気が出るのは、人の役に立っていると思える時であ
る。そこに誇り(尊厳性)や自信も生まれる。その目標が高ければ高いほど、力も湧き出
て、自ずと同志も生まれてくるものである。

国際教養大学の事例は、多くの教訓を示してくれている。町立として出発したこの大学は、
各種学校としてしか認められず、やむなくミネソタ州立大学の日本分校として出発せざる
を得なかった。所がである。文部省はこれも各種学校としてしてしか認めず、大学には秀
な人材も米国へ留学できるずば抜けた学生はたまには入学するにしても、落ちこぼれの学
生が多く、途中でドロップアウトする者も多い。米国発の日本校がほとんど全滅したのは、
国際性の欠けた文部省と教員組合の責任が大きい。この国際性の欠如が、我が国の国際コ
ミュニケーション能力を培う千歳一隅の機会を見逃してしまった。

このような難関を乗り越えた中嶋嶺雄学長、敬服に値する。危機に陥った大学は、回れ右
すれば日本一になることが比較的容易であることを国際教養大学の事例は教えてくれてい
る。危機の度合いが高ければ高いほど、規模が小さければ小さいほど、変革は容易である
ことも理解できる。

少子高齢化社会への急速な移行に伴い、600の日本の大学の内、200、実に3割以上が大学
経営に苦しんでいる。このよう中にあって、人のよい学校経営者が詐欺師や右翼暴力団の
甘言に騙され、教育の牙城を崩壊させる事例をいくつも見てきた。記者のイロハは、マス
コミ倫理綱領に示される「公正な報道」に有るはずであるが、事件関係者に対する取材も
怠り、一方的な報道をするので、これら事件屋の思うつぼである。環境汚染とか環境問題
が叫ばれるが、自然環境だけではなく未熟なマスコミ人が流す情報公害が社会環境、文化
環境を破壊している事実をもっと問題にし、CO2規制だけではなく、報道に関する何らか
の規制が必要なのかも知れないとまで考える。

教育界の癌として酷いのは、詐欺師や暴力団よりも、知られざる国税庁、厚生労働省、文
部科学省等の官僚OBである。教育関係者は元官僚という肩書に弱いという弱点に付け込み、
大学新設の情報を手に入れるや、補助金が出るからとの空手形を乱発し、数億円単位の機
材の売り込みを官僚仲間、企業ぐるみで強行している。 学校の恥であるので、表面化さ
れることは少ないが、それゆえ、俺おれ詐欺のように未だに犠牲者が続出している。


いかにすれば真の世界平和が実現するのであろうか?

今年も、8月6日から15日の間、平和を想う期間を過ごした。6月23日には沖縄戦の終結を
記念する慰霊の行事につて先日書いた。21日から広島でICAN(International
Campaign to Abolish Nuclear Weapons) 国際会議開催もされ真の世界平和実現への努力
は続いている。しかしながら、世界は未だ戦争の真っただ中にあるという現実は変わらな
い。軍事力を背景とした外交戦略、経済戦争、情報戦争、個人から団体、企業、国家あら
ゆる存在が、陸、海、空の総合戦争のただ中にあることをもっと自覚すべきだろう。自治
の三訣(さんけつ)【自助、互助、自制】を述べた後藤新平流に言えば、「戦って負ける
は下、戦って勝つは中、戦わずして勝つは上なり。」今、韓流ドラマで高麗の祖、「王建」
を放映しているが、中国の三国志や日本の戦国時代でも戦わずして和平交渉で平和の道を
拓いた例は枚挙にいとまがない。                         
自分だけの生き残り、自国だけの生き残りを図っても、互いの犠牲は避けられない。まし
てや核兵器や化学兵器の発達した現代においては、昔のチャンバラや西部劇の時代とは次
元が異なる。石原莞爾が「最終戦争論」で述べているように、武器の発達史から見ても、
もはや人類は戦争を放棄しなければならない時代に直面している。

今こそ日本は世界に先駆け、「世界平和への積極的な国家戦略」を打ち出すべき時ではな
かろうか? 大局的視野を具備する教育者、政治家、企業人の出現が待望される所以であ
る。10年前、小生は日本最大のシンクタンク、鞄本総合研究所、創発センター新谷所長
と未来構想戦略フォーラムを創立した。当時新谷氏は「日本再生の鍵、その大本は教育だ」
「これからはボランティア経済の時代になる」とのべていたが、時代を経るに従い、この
言葉の重み実感するこの頃である。10年間のシンクタンク活動、市民運動の結論は「世界
平和への積極的な国家戦略」の確立であり、その内容の核心は次の2点である。


1)国際貢献ボランティア制度の国策化
    (物の援助から人の援助、文化・教育的貢献へ)


 かつてのODAは物援助に偏り、プロジェクトが終了すると野ざらしになることしばしば問
題となって来た。これからはODAを物の援助から人への教育投資、ソフトへ重点を移し、
総合的国際協力の大転換を図る。この教育へのドラスティックなシフトにより、現地に尽
きせぬ泉のごとく人材が育ち、その効果は半永久的に持続することが期待できる。

 1960年代ケネディーによって遂行された平和部隊のように、国策として国際ボランティア
を世界へ派遣することである。今や海外青年協力隊も1000人台まで減っているが、10万
人はおろか、200万人台まで送る。日本だけだはなく、日韓共同プロジェクトする。将
来は、中国をも含めた東アジアプロジェクトとして3国の青年が共同して第3国のために
汗をかく。未来へ向けての共同作業を通じて3国の青年の間に理解と信頼、生涯に渡る友
情も芽生えることであろう。

 日本には徴兵制はなく、自衛隊は国軍かどうか未だに論争中、韓国の青年は徴兵2年間を
国軍に入るか海外ボランティアにでかけるか選択制度にするとさらに容易である。海外の
みならず事情によっては国内でもボランティアを選択できる余地を残しても良い。ただし、
外務省、文部科学省に入所希望者、特に課長以上の要職を希望する者は海外ボランティア
を必須、高級官僚を目指すならば、3年コースを有資格条件とする。

  このプロジェクトを通じて隣国間の平和への雰囲気作り、日本人としての誇り、
コミュニケーション能力、問題解決能力が自ずと身に付くことは必定である。また足りな
いところを大学に戻って集中的に学べばよい。問題意識を持って学べば、学習効果も上が
る。何よりも人生設計、己のバックボーンを形成する良い機会となるであろう。内向き志
向に青年に夢とロマンを与える真に日本の起死回生政策であると言えよう。  


) 国際社会に貢献できる有為な人材を養成する教育機関の設置 

各省庁や各企業という小さな枠にとらわれた発想では、諸外国や、その企業などに共感を
持たれることは、至難の業である。それには、色々な思想、文化や宗教を持った国々や人々
と、大局的視野に立って的確に意思疎通できる能力を持った教養豊かな人材の輩出が強く
望まれる。

 上記のように国際ボランティアを数十万はおろか、数百万単位で送りしてこそ、世界の潮
流を変えることが出来る。それには人材養成の拠点が必須である。既存の大学の更なる改
革も期待したい。米国に有名大学の大学院は国際色豊かで、4年生の大学の10倍以上の
学生が学んでいる。4年制のどこの大学に入るかは問題なく、どこの大学院で自分のやり
たい課題を研究できるかに焦点を当てている。日本とは圧倒的な情報量の違い、図書館も
24時間オープンの大学も多い、大学院と4年生の違いは、自ら研究課題を見出せるか、
ただ習うだけかの違いである。日本は時代遅れの産業予備軍の兵士の輩出から、高度情報
社会をリードできる質の高いパイオニアを輩出すべきであろう。世界的大企業の幹部は、
修士は当たり前、博士号を持つ者も多い。日本の大学が旧態以前とした現状に甘んじてい
るならば、早晩企業の国際競争に落伍するのみならず、発展途上国からも見向きもされな
くなるであろう。

 国際教養大学の快挙にもろ手を挙げて拍手を送るとともに、経営危機にある大学も方向転
換して時代的、社会的ニードが何であるかを再検討して、東大を超える、第2、第3の国際
教養大学を目指して頑張ってもらいたいものである。                
        以 上               
                   2012.8.21               大脇 準一郎