福島原発事故、吉田昌郎元所長から何を学ぶべきか?    ワード

               大脇 準一郎
           
1、愛と犠牲
 先月6月23日(木)は慰霊の日で、沖縄では公休日である。
最近になって、毎年首相が慰霊祭に参加し、NHK等で全国放送するようになり、慰霊の日を知る人も増えてきた。先日知覧特攻隊を扱った演劇
を鑑賞した。戦局が厳しさを増す昭和20年3月、沖縄に上陸した連合軍を迎え討つべく、知覧から出撃した特攻隊員と女子挺身隊員その家族の
物語であった。小生の感想は、死を目前に控えた青年が「如何に死とむきあうべきか?」その葛藤と苦悶が伝わって来た。そのメインテーマは
永遠の愛であった。400万を超す死者を出した太平洋戦争、彼らの死を無駄にしてはいけないとの気持ちがバネとなって戦後日本は見事に復興
した。(http://www.owaki.info/etc/tokko/chiran.html

 今日、7月9日は、吉田昌郎元所長の3回忌、私たちは吉田所長の死を悼み、その意味を深く噛みしめ、未来を拓くべく、ここに参集している。
福島第3原発の設計者の一人、吉岡先生の追悼の辞にも有るように、吉田所長らの決死の努力がなかったら、首都圏はおろか日本列島が
汚染列島となり、日本は沈没してことであろう。世界は吉田所長を始めとする福島フィフティーズのこの勇気ある行動を大体的に報道し、
スペイン最高のアストゥリアス皇太子賞が「福島の英雄達」に授与された。ところが、時の民主党政権はヒーローを出してはいけないと
報道規制を張り、彼らの勇敢な行動は余り知られていない。第一回の追悼会に福島の住職である玄侑師が寄せてくださった追悼メッセージ
にも述べられているように、時の政権は福島原発事故の責任を東電に丸投げするだけであった。それ故、その後、政府は汚染物質の貯蔵
場所に困り、東電は無数の損害賠償請求をされ、対応に苦慮し、表玄関を閉めている。(http://www.owaki.info/etc/genpatsu/message.html

 原発に関わる職員に退避命令がくだっても、ことの重大性のわかる吉田所長らは自発的に残り、決死の覚悟で未曾有の危機と対決した。今、
隣の韓国で裁判中のセウオル号の船長たちは危機に対して、全く別の行動を取った。自分の命が大事なのは理解できるにしても、職務を放棄し
て、数多くの乗客の命をほっておいて、我先に脱出するとは、到底理解できない。

 M. ガンジーの碑文には7つの社会的大罪が刻まれている。
 1)理念無き政治、 2)人格無き学識 3)人間無き科学 4)労働無き富、
 5)道徳無き商業  6)良心無き快楽、 7)犠牲無き宗教
このガンジーのメッセージは昨今に起こっている不祥事件の本質を言い当てて余りある。

2、吉田所長の人柄
 第2回追悼会の前夜、反原発の集会でようやく菅直人元総理と話しすることができた。「明日が吉田昌郎さんの命日です。」とお伝えすると
「ぜひ出席したい」とのお答えだった。そして追悼会当日、小生の携帯に電話をくださり、「吉田さんは本当に良い人だった。一緒に酒でも酌み
交わしたかった。」と追悼の言葉を述べられて、「先約があって調整がつかず、出席できないのが残念だ。」ともおっしゃった。一刻一秒を争う
緊急時にヘリコプターで現地に到着した菅首相、吉田所長と出会って始めて憤懣やり方の無かった溜飲が解消された。裏を返せば、菅首相
は、東電を始め、原子力委員会の無責任さに業を煮やしていたということである。菅首相は、原発の賛否、数多の議論を超えて、命を懸けて
自らの職務を果たそうとする吉田所長の人柄、腹の座ったリーダーシップに男として感銘されたようだ。

3、法・生命・愛
 小生も死に何度か直面したことがある。16歳の早春、明日も知れない重病であったが、2時間で癒さる奇跡を体験した。そこで、「生きているのでは
なく、生かされているのだ」ということを悟った。「何のために行かされているのか?」、内的求道の生活が始まった。その過程でこの宇宙は法一徹の
冷たい宇宙ではなく、その根底にいのちあること、命の内奥に悲しみ、情があることをわかるようになった。鶏にエサをやるため、あぜ道のクローバー
を刈る。刈れば汁が出る。クローバーの茎の白さが、悩み多き自分よりずっと美しく見えた。殺生の罪に悩んだ青春時代を思い出す。鉱物圏は植物
生命圏へ、植物圏は動物生命圏へ、そしてすべては人間生命圏に巻き込まれる。生命第一主義の難問は、生きようとする意志、生存競争、生命哲学
の陥りやすいニヒリズムある。この「生命に意味を与えるのが愛だ」とアインシュタインは言う(http://www.owaki.info/shiryo/Einstein/letter.html)。
命は愛圏に巻き込まれる。人々が命の先に見出そうとするもの、それはやはり、愛であると思う。

 4年間の求道の末、20歳の9月のある朝、小生は入神現象を体験し、全身を神の愛で包まれた。それは空気がキラキラと輝く世界で無限、永遠、
絶対を直観する大海原であった。地球がソフトボール程の大きさに見え、自分の手が「神に手である」との感覚がある。白金色に輝く絹雨のよ
うな癒しの光線が地球を貫いている。聖妙な霊が頭に下り、胸のあたりを通過する時、「お前の疑問、疑い、それを責める私ではない。すべて
を超えて、愛の一念、これが私である!」との思いが伝わって来た。どんなに疲れたときにもその時のことを思いだすと不思議と力が甦ってく
る。その時のことを思い起すとなぜ人類は狭い我執、国境だとこだわり争う合うのか、不思議に思われてくる。

4、エネルギー問題と原子力の未来
 石炭や石油、天然ガス等化石燃料は長年科学技術文明を支える動力であった。しかし70年代から資源の枯渇、環境汚染が叫ばれ、地球温暖化
問題は深刻化している。水力にしても自然環境破壊が問題化している。このような中に原子力が期待を持って迎えられた。しかし、それは第二次
世界大戦が産み落とした鬼子であった。敵に優る圧倒的破壊力を持つことが至上命令であって、安全は二の次であった。世界で最初に原子炉を
作ったE. ウイグナー博士は、ウランによる原爆よりはトリウム熔融塩炉の方が安全であることを予言していた。博士の提言は戦後、首弟子
A. ワインバーグ博士を通じて実現され、60年代初頭オークリッジ研究所で実験機は4年間も稼働した。この研究は国防省の委託研究であったが、
トリウムは国防の武器にならないとの理由で予算が突然打ち切られた。この実験施設はその後、野ざらしとなってしまっていた。「トリウム原発こそ
平和を切願する被爆国日本にふさわしい研究だ」と西堀栄三郎、茅誠司、伏見康治先生らはオークリッジの実験施設を日本に払い下げてもらう
運動を展開した。1984年、我々は、A. ワインバーグ博士を日本へ招聘し、エネルギー問題トリウム原発につきシンポジュームを開催した。
その時の参加者で最後の生き残りが「Mr. トリウム」こと古川和男先生であった。

 古川先生は「自分の目の黒い内になんとしてもトリウム原発ミニFUJI(不二)を実現したい」との一念であった。しかしながら2011年12月, 線香が
燃え尽きるかのように、古川先生は他界された。その直前の講演録がここにあるDVDである。台風15号直下の9月21日、原子力の新しい未来を
探る熱心な研究者が私学会館に詰めかけた。3.11東北大地震を踏まえて原子力発電の未来について古川先生の切々たる叫びは、『「原発」
安全革命』に綴られている。先生の遺言ともいうべき名著でトリウム原発につきわかり易くコンパクトに書いてある。「危険な放射性物質
(プルトニウム)も出ない、ウラン無しの超安全な原発」と帯にもうたっている。(http://www.e-gci.org/jpef/jepf.html)

 1)ウランに比べ, トリウムは4倍の資源が存在し、プルトニウムがほとんど生産されない。(1000/1以下)。
 2)トリウム熔融塩は液体燃料であるのでウラン固体燃料のような事故は無い。(事故に会えば、ガラス状に固形化)、常圧で処理できる。
 3) 戦争の武器にはならない。
 4)プルトニウムを再燃焼して償却できる。
 5)小型化出来て、便利で安全性が高い。等の特徴が挙げられている。
 ミニ不二実験機制作のための、300億円の資金を得るために古川先生はどれ程、東奔西走されたことでしょうか。先生の使命感、正直さ、行
動力には頭が下がる。小生は70~80年代半ばまで毎年のようにE.ウイグナー先生、A.ワインバーグ先生にお会いしていた。また西堀先生には数多
くの研究プロジェクトの指揮をしていただいた。(http://www.owaki.info/Thorium/wigner1.JPG)

 これらの科学者に共通するのは正直で誠実な人柄、技術により人類の夢を実現しようというロマンである。最近、大村智博士の講演を聞く機
会があったが、やはりそこにも共通するものを感じた。

  ウラン原発政策はいくつかの根本的欠陥がある。
 1)原爆は第2次大戦末期、ナチスドイツに打ち勝つとういう戦争目的のために開発された兵器で、安全性を度外視していた。
  2)その平和利用(転用)であるウラン軽水炉は、いくつもの安全装置が付加されたと言っても、危険性を包んだだけで不慮の事態に事故が
  露呈されて来た。
 3)米国でトリウム熔融塩炉が廃止されたのは防衛戦略上の理由であったが、日本では主にビジネス上の理由であった。20兆円もの先行投
  資をして開発した軽水炉原発を元をとならい間に手離したくないという米国(GE)の圧力も暗に働いて来た。
 4)これに加え、日本の原子力政策の欠陥は、日本人の民族性から来る問題ある。この点を国会臨調黒沢清委員長が鋭く指摘し、その報告は
  世界から高い評価を受けた。(http://www.owaki.info/Thorium/kurokawa/kakkairincho.html
                     (http://www.owaki.info/Thorium/kurokawa/kikiishiki.html
 福島原発事故は「メルトダウン」という深刻な事態を隠し通そうとし(かつての大本営発表のように)事態を悪化させた。長年、安全神話を吹聴
して来た。またその太鼓持ちをした「御用学者」の責任も重い。この3月福島原発に関する学術報告会が日本学術会議であった。小生は、
「学者はもっと事実に忠実であるべきではないか」と、また、問題解決には従来の学際研究に加え、超学際的とも言うべき、ホリスティックな
方法論の導入が必要ではないかと訴え、共感を得た。(http://www.owaki.info/Thorium/gakujyutsu.html

5、エネルギーの未来
 日本の発電量の10%を占める再生エネルギーはエネルギー効率が低く、コスト高で政府の助成が無いと先へ進めない。水素に対する期待が
膨らんでいるが、実用化までの時間、水素製造コスト(電気分解、天然ガス等から)、体制づくり(ステーッション等のインフラ)のコスト
等時間と資金の投資が必要。高速増殖炉は足踏み状態、核融合は時間が必要。

 このような状況下で、小型で大電力のトリウムは将来の水素、再生ルギー、核融合エネルギーへ至るつなぎの役割として重要である。世界の
トリウム研究開発の現状については、いろいろな情報が公表されているので参考にされたい。(http://msr21.fc2web.com
米国の「Mr.トリウム」こと、J.P. Yehの今日の会合寄せたれたアップツーデイトな情報、メッセージをご紹介する。
 2013年10月末日、米国エネルギー庁A.モニッツ長官が来日し, 質疑応答の機会を得た。小生のトリウム原発の質問に関し、長官は否定的であった
http://www.owaki.info/Thorium/atomic.html)。 しかしその後エネルギー庁は50億円の予算を組み、トリュウム原発の研究を再開するよう
になった。これはJ.P. Yehらの熱心な科学者たちがビルゲイツ財団等を動かし、ファンドを作ったからである。中国も上海に大規模な研究施
設を準備し、総勢800人の研究スタッフ、5ヵ年計画300億円プロジェクトを稼働させている。

6、文明の大転換期、東西を融合した新文明創造の時
 国内外で、環境問題をテーマにした連等の会議に参加する機会が多かった。
その中から見えてきた構造は、環境問題は社会の問題であり結局、人間自身のライフスタイル、意識構造であることある。戦争や南北問題等、
社会的問題も同じである。人間の意識構造というのは、思想、パラダイムということである。その内容は価値観・世界観・自然観・歴史観で
あり、近代化を推し進めてきた自由・平等・博愛、あるいは個人・民主主義・人権等のスローガンにもそのことがよく顕われている。
西欧から生まれた現代文明は今やグローバル化し世界を席捲している。
 それと共に、核兵器戦争の脅威を始め、現代文明の もたらす危機は等閑視することができない深刻な局面に陥っている。これを解決できる
原理は近代をリードしてきた上記のパラダイムの中には無い。人類はこの危機を超克できる新しいパラダイムを必要としている。小生は近代
化の過程において見落とされ、まさに消滅しつつあるかに見える東洋の伝統的文明の中にそのヒントがあると思っている。

 小生は米国で比較思想、比較文化学、哲学・神学を学んだ。その過程で、東西の既存のパラダイムは全く異なっていること、そしてその相
違は、存在様相の片面を現しものであることに気が付き、目から鱗であった。

 存在には3つの様相があるまず、心のような目には見ない側面と体のように見える側面、我々は、近代化の過程で便宜上事実と価値を
分けて考えてきたが、存在の実相は事実と価値は分けることができない。現代人は見える政治・経済を重視し、目には見ることができないが感知
することはできる精神世界を軽視する傾向に陥っている。
第2の存在様相は、存在は個物と当時に個物のつながった連体との2重体であるということだ。科学技術文明の発達、核エネルギー抽出も個物
のみを追求する西欧文明の副産物である。現代人は科学で全知を技術で全能を得たと思いあがり、神を見失っている。神は全知全能であるだ
けではなくその本質が愛なる人格的存在であることを見失っていると言えよう。
  関係性(連帯性、全体性)を捨象し、個にのみ集中した西欧文明が環境問題を誘発するのは当然の結果である。個の自由競争は如何にフェ
アーなルール作りに努めても南北の格差は開くばかりである。
存在とは個物だけではなく個物のつながりである連体(家庭・社会、原子・分子)もあることに覚めるべき時である。今や個人主義、自由競
争の時代から、価値観、社会、物を共有する共に生きる時代、共生、共栄・共義主義の時代に移行すべきである。
存在の第3の様相は運動性(時間性)である。ここから人間は、過去と現在を未来へ繋ぐ歴史的存在であるということが言える。循環型社会、
永続する発展もここから出てくる。

 西欧の物質・個人・刹那文明の片羽飛行偏向を是正し、東洋の精神・共生・持続文明との融合、止揚が望まれている。2020年東京オリン
ピック招聘に「おもてなし」のキーワードに世界の共感を得た。この日本文化の核心は東洋の三大美徳、忠孝烈にある。それは、相手を喜
ばすことを通じて自分も喜ぶという関係性(愛)を中心とする生き方、相手を主体として自分をその相対とし、侍る文化である。それは個
人を主張し、自己実現を強調する西欧文化の対極にあるものである。すべての存在物は個物だけではなく、関係性(愛)(でつながってい
る宇宙の実相からみれば東洋的伝統が宇宙的原理に沿ったものであることは明白である。

来る東京オリンピックが西欧の行き過ぎを是正し、東西の人々が共に生きる新文明創造の大転換点になることを期待して止まない。

吉田元所長の勇気ある行動に心をお寄せに皆様、
現代文明の鬼子として生まれ、怪物にまで育ったウラン原子力、その暴走を止めようとして犠牲になった吉田所長を始め、原爆の数多くの犠
牲者の霊を弔うためにも、原発賛成・反対の政争を超え、共に新しい人類文明創造の歴史的聖業に参加しようではありませんか!
  先日、現職米国大統領として初めて被爆地を訪れたオバマ大統領の言葉でもって追悼記念講演を終わることにする。
  「広島と長崎は、核戦争の夜明けとしてではなく、我々の道義的な目覚めの始まりとして記憶されるだろう。」

     2016年7月9日 タワーホール 船堀 福寿の間