第18回環境問題研究会セミナー

               ―地球の海を潜り続けて―  「水面下から見た海洋環境」 
                ~生き物たちと調和した海の活かし方~ (その1)

                  講師:渋谷正信  株式会社渋谷潜水工業代表取締役 
                       (社)海洋エネルギー漁業共生センター理事 (社)日本漁場藻場センター研究所

 去る3月18日、第18回環境問題研究会セミナーが開催されました。講師の渋谷正信先生は、最初から最後まで、
NHKや民放で放映されたご自身の仕事の動画の映像やご自分で撮影した写真を使って、情熱を傾けて語ってくださいました。
内容は素晴らしいものであり、聴いた人は皆大変感動を受けました。先生のお話は熱が入り、少し長くなりましたので2回に分けて報告したいと思います。
 

       NHK「プロフェッショナル」、民放TV局でも放映された誇り高い数々の仕事    

 海に潜り続けてきて40年余りになりますが、話をする時いつも決めていることがあります。
一つ目は、日本の海、地球の海の中が生き物たちの住みやすい環境になっているかどうか。
二つ目は、私たち人間とすべての命が調和することを願って
三つ目は、ここに参加している方々と調和した時間を過ごせる様になることを願って。
お互いに刺激しあう様になることを願って、お話をさせていただきたいと思います。

 今日の大筋は、一つ目は、私が潜水士として辿ってきた足取りみたいなもので自己紹介も兼ねてそれを話させていただきたい。
二つ目は、潜水士として歩んできて、そこから気づいたこと、学んだことについて。
三つ目が、自然生態系、漁業との共生に取り組むことになった経緯について。
日本では、自然生態系は中々うまくいかなかったのですが、漁業と結びついてくると前に進む様になりました。

 漁師さんと仲良くなって、漁師さんの困っていることを感知していくことがとても大事だと思いました。
四つ目は、海洋再生エネルギーと漁業・自然生態系との共生、「コラボレーション」について。

 海洋再生エネルギー、風とか波とか潮流とかが、3.11の原発事故後、原発の代わりに動き始めたのです。政府も予算化したりとか、それをやる時の条件とか、漁業とか自然生態系とかきちっとしたものを作らないといけない。自然エネルギーを利用するのに、海という自然を壊したら何の意味もないということから、自然生態系と共生できる取り組みをしたいと思っています。

五つ目は、海の命の豊かさ、海が命の豊かさを生んだということで、本日のキーワードは海洋再生可能エネルギー、自然生態系、漁業との協調・共生、磯焼け(海の砂漠化・海の森林破壊と同じ)

 持続可能な豊かさということでお話したいと思います。

 それでは私がやってきたことを映像で見ていただいて自己紹介をしたいと思います。まず最初にTBSTVの「情熱大陸」という番組で紹介された内容です。羽田空港D滑走路の現場の映像です。

 「工事をするための特別な免許を持つ港湾潜水技師」と紹介され、水中溶接の場面が出ます。それまでの潜水時間3万時間以上とあり、8年前の映像です。映像のナレーションで、「工事だけではない、海藻の調査も手掛けている。類まれな潜水技術に引き付けられるように集まってくるイルカたち。イルカと泳ぐ渋谷さん」と紹介があります。でかいイルカと泳ぐことと、海藻を調べることとは別々のことではありません。皆同じで繋がっています。

 次に同じTBSの「夢の扉」で、次の年に紹介された番組です。以下番組の中で紹介されたナレーションです。「日本の海の大ピンチ。豊かに恵まれた日本の海。しかし、今各地で異変が、海産物に異変が起きています。かつて海藻が生い茂っていた日本の海が、今、海の砂漠化という非常事態に襲われたためです。日本の海の危機を救おうと立ち上がったのが渋谷さんだったのです。これま    で東京湾レインボーブリッジや羽田空港などの土台を造ってきました。「私はすごく腕のいいダイバーであると同時に、腕のいい環境破壊者だった。海を壊してきた男が、海を再生します。日本の海を元に戻したい。」はたして渋谷さんは夢の扉をこじ開けることが出来るのでしょうか。」 これが夢の扉で紹介された内容です。

 次は、2012年6月18日にNHKの番組「プロフェッショナル」「仕事の流儀」「水面下で日本を支える」で放映された内容です。以下はその時のナレーションです。「ある特殊な仕事で日本のトップに立つ。仕事場は水の中、「東京湾アクアライン」「レインボーブリッジ」「羽田空港D滑走路」大プロジェクトを陰で支えてきた、水中作業のスペシャリストだ。潜水士渋谷正信。潜水時間3万5000時間を誇る水中の鉄人。過酷な現場で一切の妥協を許さない。命がけの現場に男は飛び込む。水中作業のプロとして瓦礫の引き揚げなど、被災地での活動でも仕事を手掛ける渋谷。荒海の攻防、かつてない難工事が始まった。本格的な洋上風力発電、視界僅か30cm。記録的な悪天候。人知れず日本を支える男達。執念の戦いに密着。誇りを胸に海へ飛び込め。」というような仕事をやって来ていてTVで紹介されました。ということで、私は水中工事をするプロダイバーとして 水中の調査をする調査のダイバーとして 水中の楽しみを伝えるダイビングの指導者として、深いところから浅いところ、小さい子供さんから84歳のお年寄りまで、更には身障者の方まで教えた、海洋ダイバーの経歴としては、世界でオンリーワンかもしれません。地球の海をフイールドに潜水歴40年余りになり、大体今は潜水4万時間近くになっています。今までやってきた仕事を見てみると、東京湾レインボーブリッジのベース(基礎)の部分、これが出来るのに5~6年かかっています。ここは夏になると、透明度はほとんどゼロで、作業は手作業で行います。目は見えなくても仕事はできるようになりますが、とても不思議な世界です。東京湾アクアライン海ほたる人工島も造りました。うちの会社のダイバー延べ約1万人を投入しました。また東京湾の第三海堡撤去工事もやりました。東京湾の入り口に旧海軍の要塞としてあったのですが、使う前に関東大震災で一瞬の内に崩れ落ちました。

東京湾の入り口にあり、浦賀水道も狭いため、またその後、船自体も大型化し、第三海堡のために船が座礁するようになってきたので、第三海堡を撤去したいということで、6年くらいかかって撤去しました。阪神淡路大震災復旧工事の時も行って工事をやらせてもらいました。長年港湾を造ってきていたので、地震で破壊された神戸港を目にした時には、とても胸が痛みました。

 羽田空港D滑走路、名古屋空港、関西空港も工事をしました。名古屋空港と関空は、全部埋め立てです。関空の周り500mは入れないようになっているのですが、底に石積みとかブロックを入れて海藻を沢山増やしました。そこで関空の500m以内は海藻と魚の宝庫となっています。そこの魚たちが大阪湾に出てくるのですが、漁師さんはその事を知っています。伊豆大島、新島、式根島でも港づくりの仕事を、軒並みやらせてもらいました。 

            環境問題との出会い   優秀な潜水士=優秀な環境破壊者
               水中発破の名人=磯破壊の名人へ  その衝撃

 その頃の私は技術を高めて「優秀なダイバーだ」「腕のいい潜水士だ」と認められることが生き甲斐になっていました。身を粉にして、水中の技術者としてやってまいりました。それが自分のダイバーとしての誇りだと思ってやってきました。しかし、昭和の終わり頃になると、環境問題が表面化してきたのです。熱帯雨林がどうだとか、ダムどうのとか。それで自分の潜水という仕事を見直しました。

 伊豆七島の港湾づくりでも、磯があると邪魔なので、ダイナマイで吹き飛ばすのですが、メチャクチャ腕がよかったのです。私がやると腕がいいからキレイに吹き飛ぶのです。ですからお客さんも同業者も私のことを「水中発破の名人」だというのです。「難しい仕事は渋谷に頼め」といわれるぐらい名人と言われたのです。ところが昭和の終わり頃から、環境という面から見たら、何のことはない、完全に「磯破壊の名人」ということになってしまいました。磯は海の生き物にとりオアシスです。海藻も生えている、貝類も沢山いる、それを私はテロのように破壊し続けたのです。しかし私は誇りをもってそれをやっていたのです。分からないということは恐ろしいことです。私は優秀な潜水士になりたいと思って一生懸命に仕事をしました。 他人が50m潜ったら、私は60m潜るとか、優秀なダイバーになりたい、なるんだと思ってやってきました。ところが「優秀な潜水士=優秀な環境破壊者」ということだと分かり、凄い衝撃を受けました。きっちり視点を変えて自分を見るということは大事なことだと思います。3年間くらい悩んだ時期がありました。会社を辞めようと思ったくらい悩みました。当時は本当に悩み抜きました。ただ辞めなかった理由二つありました。

 一つは社員が何人もいる、社員には家族がいる。私が辞めるのはいいかもしれないが、一緒にやってきた社員はどうなるのかと考えると辞めることが出来ませんでした。

二つ目は、私一人が辞めても変わりはないだろう。だったらこの中から何かを見つけていく。やり続けながら何か方策を見つけていこうと考えました。そういうつもりでやり続けていくと、環境への目覚めが出てきたのだと思います。環境という視点から自分の仕事を見た途端に、環境へ目覚め始めたのです。環境への目覚め海の環境に対して自分でも何かできることがあるはずだと思い始めたのです。丁度この頃に湾岸戦争が勃発して、フセイン大統領のイラクが隣国のクゥエイトに軍事侵攻して、サウジアラビアの石油備蓄基地を破壊したのです。その時に私は中東に飛びました。TVを観ていて、石油が海に流れ出て、海鳥が石油まみれの姿を見て、海が悲鳴を上げ、助けを求めているように私には感じたのです。それでどうしても、居ても立っても居られず中東に行って活動をしてきました。

              日本の海の現状  日本全50数か所の漁場・藻場の調査と再生

また日本では、日本中50数か所の海を見て回りました。これくらいやった人は日本中どこにもいないんです。北海道から沖縄まで、海がどうなっているかつぶさに分かります。日本中の海をすぐにイメージできます。 調査して見えてきたことは、かつて豊かに生い茂っていた海の中の海藻(藻場)が加速度的に減少・消失していたこと。まさに海の森林である海藻は物凄い勢いで二酸化炭素(CO2)を吸収します。陸上の植物と同じで、海藻は、物凄い量の海水中の二酸化炭素を吸収して光合成し、酸素を放出しています。陸上の森林破壊なら見えるのですぐに分かりますが、海の中は見えないので分かりませんが、凄い勢いで海藻が消失しています。この10~15年間は特にそうです。磯焼け=海の砂漠化が進行しています。日本の磯焼け域は年々確実に広がっています。

 日本の海の現状は、鹿児島、宮崎とか太平洋岸は磯焼け状態です。千葉から神奈川、東京・三宅島は減少から磯焼け状態になりつつあります。千葉から青森は減少傾向です。北海道は、日本海側は磯焼け状態です。宮崎の海岸に行った時は、昔、海藻で一杯だったという海岸が、今では完全に磯焼け状態でした。ウニは沢山いましたが、中を開けると身が詰まっていません。ウニも海藻を食べて生きているので、海藻がないために中を開けても身が全然入っていないのです。高知も同じでした。和歌山ではカジメという海藻が、2000年の春には沢山あったのが、2000年の秋には殆どなくなってしまいました。海藻を食べる魚たちに全部食べられてしまっていました。胞子を出すところまで食べられてしまっていて、胞子を出せなくなり、海藻が消滅するのです。魚たちが食べてしまうので一瞬です。ブダイとかイシズミという魚が海藻を食べるのです。三重県も磯焼けに17年間で10億円つぎ込みましたが、効果はありませんでした。静岡県も同じです。駿河湾の藻場8000ヘクタールが壊滅しました。磯焼けで魚も消えました。藻場8000ヘクタール(東京ドーム1700個分)が消えたため、アワビも最盛期には、年間20トン獲れていたのが、今では年に数百キロしか獲れないほどに激減しています。

 五島列島の小値賀島では、15年前はアワビの漁獲高は、年間3億円でアワビの産地だったのが、現在は年間300万円の漁獲高で最盛期の100分の1に激減しています。

 一体どうしてこういうことが起きてしまったのでしょうか。そのことを理解するためには、海藻の果たす役割を知る必要があります。海の中の海藻の役割を見てみると、

魚の産卵場所です。これはホンダワラという海藻ですが、陸に置くとたくさんの小エビがついているのが分かります。それを小魚が食べるのです。またイカの産卵場所でもあります。

幼魚の隠れ場所になっています。 幼魚の生育場(餌場)ともなります。 二酸化炭素(炭酸ガス・CO2)を吸収します。

 このように海の中の海藻は、極めて重要な働きをしていますが、私達はここに全然目が行っていません。このピラミッド型の図は、海の食物連鎖の図ですが、まず植物プランクトンを動物プランクトンが食べ、動物プランクトンを小型魚類(小魚)が食べ、小魚を中型魚類が食べ、中型魚類を大型魚類が食べるというようになっています。これが海の中の食物連鎖です。ところが私達は、食べる段階の中型魚類、大型魚類にしか目が行ってません。実はこの図を見てお分かりのように、植物プランクトン、動物プランクトンが魚を支え、海の生態系を支えているのです。これを見ると、いかに海藻、植物プランクトンが大事かということが分かってきます。

このピラミッドのどこかが異常に増えたり、減ったりすると、歪が生じて生態系のバランスが崩れるのです。現在日本の海は、沿岸の海藻がなくなり、食物連鎖の基礎である植物プランクトンが減少しているので漁獲高が減少し、魚類の大半を輸入に頼っています。毎日魚を食べていますが、大部分jは輸入している魚なのです。日本は魚の一大輸入国です。ほとんどの国民はそのことを知りません。

 お話したように、日本の海は魚介類の産卵場所、幼魚の生育場が消えているのです。これが日本の海の現状です。  

          -地球の海を潜り続けて-   「水面下から見た海洋環境」
            ~生き物たちと調和した海の活かし方~  (その2)

                     ヨーロッパの海洋再生エネルギーの視察

 そして2011年3月11日、東日本大震災が発生し、津波による福島第一原発の事故が起こり、原子力発電から自然再生可能エネルギーへと一気にシフトし始めました。最初は太陽光発電へと向かいました。しかし、日本は砂漠みたいなところが無いので、山とか畑を潰して造り始めたりして本末転倒が始まっています。ところがヨーロッパでは、海洋再生可能エネルギーの建設を行っていますが、その海中部の生態系調査はどうなっているのか。今までと同じようにやったら、結局は環境破壊に繋がってしまうのではないか、と考えて、2010年からヨーロッパに海洋調査に行きました。3.11大震災の前の年からです。

 ヨーロッパの会社を調べて1社だけ、オランダのプリンセス・アマリア洋上風力発電を見つけて、直ぐに行き、ハン・リンデバーム博士と会いました。

オランダ・イマーレス研究所のリンデバーム博士とは今も共同研究をしています。

ヨーロッパの研究者は、私のやっていることを聞いて逆に驚きました。海洋構造物をやりながら、海の生態系もやっているなんて、あまり聞いたことが無いということです。フランスのリンネ教授とも話が一致して、今共同研究を行っています。「海洋再生可能エネルギーと有用魚種の増殖」についての研究調査の

ために、EUの補助金をとるから一緒にやろう」と言ってきました。「自分が知る限り、海洋建設工事をやりながら、生態系の調査もやっているのは、お前のところしか聞いたことが無い」と言って、息子がフランスに来たときにも、息子に向かって「お前の会社は世界のトップを行っている会社だよ」といわれたそうです。

 それまで息子は、親父はバカなことをやっていると思っていたのですが、リンネ教授から言われて眼の色を変えました。外に出て初めて、自分がボランティアで自主調査してやってきたことの積み重ねが、非常に力になってきているということを実感してきた訳です。

だから自分ができること、自分が海に潜ること、潜って海を見続けること。それをどうやって皆さんに見えるようにするか、情報提供するかということが大事な事で自分の一生の使命だと思っています。

海洋発電の盛んなヨーロッパの海を見て分かったことは、ヨーロッパの海は、日本の海ほど荒れていないということです。海藻も多いし、魚も多いということです。

管理漁業をやっているから全然困っていません。ノルウエーなどでは、漁師は管理漁業で高給取りです。一方、日本はチャンピオンシップだから、何でも俺が一番獲れればいい、俺が俺がの世界です。バリバリ獲るのです。従って一度見直した方がいいと思います。

長崎県五島椛島沖の浮体式洋上風力発電と潮流発電の実証実験場
             
漁業との協調・共生と海洋産業の創造を目指して!

 では日本の海での海洋発電はどうすればいいのか。日本の海は、海の砂漠化、磯焼けが広がっています。その日本の海でどうすればいいのかというテーマが出てきました。そんな時に長崎の海と出会いました。長崎県の海は磯焼けが激しく漁業も衰退していて、おまけに人口の減少も激しい地域です。

1960年に176万人いた人口が、50年後の2010年には142万人にまで減少しました。この間に34万人の減少です。五島の島などは、あと何年か後には消滅してしまう消滅島があると言われています。国境離島という深刻な問題です。国境問題が起きてくるのです。島に人がいなくなるから、外から外国人が入るという事態が起きて来る訳です。だから島にきちんと産業を持たないといけない。漁業でも何でもいい。人口流出を防がないといけない。何とかならないかと長崎県から頼まれたのですが、長崎には海と島がある。そこで出来ることは何かと考えてみました。海には豊かな風の資源がある。島には豊かな潮流の資源がある。島と島の間には瀬戸が沢山ある。そこは潮流が往ったり来たりしている。島は沢山ある。この海の資源は石油と同じで、石油と同じ価値を持っている。

エネルギーになるから、海洋再生可能エネルギーで地域を再生させようということで、県の方に色々相談を受けてスタートさせました。今迄自分がやってきたことを実現化するステージのスタートが出来ました。これを国に申請を出して通りました。長崎県は、洋上風力と潮流発電の実証フィールドに選定されました。

再生可能エネルギーの主なものは、1、洋上風力発電 2、潮流発電 3、波力発電 4、海流発電 5、温度差発電等があります。波力発電は、日本では、技術が難しいのです。波は沢山ありますが、発電機が波で壊れてしまうのです。しかし、日本の海のエネルギーは豊かで、石油でいうと、日本の埋蔵量は無限にあるといえます。洋上風力発電は、風のエネルギーを電力エネルギーにするのです。ですから再生可能エネルギーなのです。潮流発電は、潮の流れのエネルギーを電力エネルギーにするのです。長崎は今、浮体式洋上風力発電と潮流発電を中心とした、海洋産業の創造を目指しています。

長崎ではどのような海洋エネルギーの実験場を作ったらいいのか。長崎ではどのような海洋エネルギーの商業ファームを目指したらいいのかを考えています。

私は、自然生態系を破壊してまで造りたいとは思っていないのです。そこで出てきたのが、漁業との協調を基盤としたということを謳い文句にしました。

これを知事に話したら、知事が小躍りして、「これで行きましょう。長崎の海洋再生可能エネルギーはこれで行きましょう。長崎は漁業県、水産県だから。」ととても喜んでくれました。これで錦の御旗が立ったわけです。浮体式洋上風力発電と漁業との協調・共生の可能性を探り始めたのです。しかし、これからが大変です。技術とか色々みていかないといけないからです。そこで始めたのが、長崎県椛島沖の浮体式洋上風力発電の水中調査と周辺海域の調査ですが、そこで見えてきたことは、長崎県福江島の沖合の椛島に、環境省の実証実験機があります。発電量は2メガワットで、世帯数でいくと1500世帯分位が生活できるほどの発電が出来るのです。

    浮体式洋上風力発電の驚くべき漁礁化の実態! 生物多様性の一大水中環境の出現!

2013年10月に設置してから1年間ずっと追跡調査をしました。設置してから約半年後には、浮体式洋上風力発電にびっしりとアオサ・海藻類が付着しました。するともう周りには、イワシやアジの群れがついていました。メバルの群れもつきました。これをみても分かるように、海藻がいかに小魚にいい生活環境を作るかが重要です。これら小魚を追ってカンパチの群れがついていました。小魚を観察していると、浮体の周辺には、アジ、イワシ、メバルなど小型の魚の群れが、毎日のように観察されました。この小魚を食べに、中型・大型魚のシイラ・カンパチ・ヒラマサなどが集まってくるということが分かったのです。

それをNHKの撮影班と一緒に撮影しました。縦型の浮体に、マハタの群れがいました。マハタは産卵する時くらいしか群れないのです。ところがマハタが群れているのです。マハタは高級魚です。大事なのは、浮体にソフトコーラル(柔らかい珊瑚)が沢山ついているのです。浅い方に行くと海藻が、深い方に行くとソフトコーラルがついているのです。沢山いる小魚を、大型の魚は、昼間は食べませんが、夜になると食べるのです。そういう生態系になっています。だから小魚が住みやすい環境を作ってあげることは、とても重要なことなのです。(写真を指しながら)これは石鯛の子供ですが、海藻についている貝類を食べるのです。凄い数です。小魚は一大漁礁になっていることが分かるのです。この放送は最初は長崎県内のローカル番組で放映されました。3日後には、九州全域の番組で放映されました。それから1か月後には「おはよう日本」で全国に向けて放映されました。NHKの局内で番組が出世していきました(「出世番組」)。「おはよう日本」に出て1週間後に、「ワールドニュース」で全世界に向けて放映されたのです。「ワールドニュース」は世界中に出すために、どの番組がいいか選択されるのです。その番組で放映されたのです。

 何がどうなっていくかということを見ていくことはとても大事なことですね。浮体式洋上風力発電の水面から一番底までは76mです。浮体ですから浮いています。

観察した魚類は、マアジ、イサキ、マハタ、ヒラマサ等31種類で、凄い生態系を成しています。また観察した海藻類・その他の生物はアオサ、カゴメノリ、タコ等、約20種類。さらに100種類以上の付着物もあったりして、これは物凄い、生物多様性の一大水中環境となっています。さらに、チェーンに付着物が付き、そこに伊勢海老が生息しています。2年間でチェーンが見えなくなるくらい付着物が付き、伊勢海老のちょうどいい棲家となっています。現在はこれからどうしていくか考えています。魚が付く漁礁になっても、風車が回っている間は危険だから、漁師さんは風車の下には入れません。だからこの魚がどの位周辺に拡散していくかということを調べないといけないので、今その作業をやっています。そういうことも含めて、私の会社で、私がデザインしたのですが、(「漁業と共生した浮体式洋上風力発電」の説明をする)何十基にもなる浮体ですが、浮体の周りについた魚を、天然の漁礁と人工の漁礁に移動させるため、天然の漁礁と人工の漁礁と浮体と、陸域の藻場をどういう風に連結させるか。トータルで生態系をどう作るか、今考えています。この浮体式洋上風力発電のプロジェクトのお陰でやれるチャンスが出来ました。このデザインが出来るようになったら、今世界から聞きに来るようになっています。現在国内からも問い合わせが来ています。

潮流発電と漁業協調 五島列島は瀬だらけです。奈留瀬戸で潮流発電実証フィールドを考えています。この瀬戸の潮流は、川のように流れています。これが石油と同じ価値があり、電気を起こすのです。この海域には200~300基設置できるでしょう。1基の高さが約25mの発電機です。残念ながらこの機械はメイド・イン・ジャパンではなく、メイド・イン・フランスです。日本の企業はこういうものには投資しないのです。大半は皆撤退してしまいました。今やっているのはこの海域の調査です。海底がどうなっているか、地層がどうなっているか、周りの漁場関係がどうなっているのかを調べています。ですから潮流発電で海藻も豊か、しかも魚たちも豊かになるということが出来ればいいと思っています。洋上風力発電や潮流発電は海中に構造物を設置します。その構造物は人間の都合だけで構造物を造る時代ではなくなっています。海の中に構造物を作る技術と同時に、海の生態系、生きものたちへの影響はどうなるのか。これは環境影響調査でやるのですが、私はそんな生ぬるいことではダメだとはっきり言い始めていて、皆ビビっています。環境影響調査は後ろ向きなのです。それをやると、皆、環境に影響は無い、いいんだと納得してしまうのです。それで今までダメになってきたのです。事実を見ればいいだけなのです。それだけでなくさらには、生きものたちが喜ぶモノづくりをどうしたらいいのか。一歩前に出ることが大事になってきています。ということで現在は漁業協調ということになっています。日本中の自治体とかに勉強会とかで呼ばれています。

そういう時に言われるのは、地元の漁師さんが「渋谷さん今度オラの町に来てくれよ。一回見てくれよ。」と言われるのです。日本でも海洋発電と漁業協調に関心が高まってきています。 

           イギリス・オークニー諸島のホタテ漁とカニ籠漁  感動する漁師の言葉

イギリスのオークニー諸島の漁業、潮流発電の実験フィールドについて。

オークニー諸島には、潮流発電と波力発電のEUの実証フィールドがあります。今から12年前に設置されました。世界中から見学者が訪れています。私は両方を見てきたのですが、私の関心は、そこの漁師さんはどうしているのだろうと思っていて、漁業組合に出かけていきました。翌日船に乗ってホタテ漁に一緒に行きました。

天然のホタテを潜水で手で獲っているのです。だから乱獲にならないのです。バケツみたいにバカーと獲るドレッヂという方法がありますが、ドレッヂだと物凄く乱獲になりますし、海の底を破壊します。またホタテもアワビも漁獲サイズがありますが、ここではホタテは、10cm以上は獲っていいと決められています。しかし、漁師たちは12cm以上のものを獲って、12cm以下のものは海に戻しています。漁師に聞くと「12cmというのは、漁師が勝手に決めているのであって、もう少し我慢するとホタテが卵を産むから、法律では10cmは獲っていいのだけど、自分たちで12cm以上ということにしているのだ。」と答えました。

日本だと法律を盾にして「10cm以上はO.Kだから、10cm以上のものは獲ってもいい」ということになるはずです。ホタテ漁の漁師ゲーリー氏は、「潜水漁は、ドレッヂ漁より沢山は獲れないが、100年、200年続く漁にしたいから」と笑っていました。私はこの話を日本中の漁師さんにするんですよ。すると皆黙っています。

これも大事なことです。日本は自分第一ですから。自分が一番獲りたいという考えですから難しいのです。

またオークニー諸島のカ二籠漁にも一緒に乗せてもらいました。ロブスターとかカニが沢山籠に入ってました。ところが船の上に上がってきたカニをポーンポーンと海に投げているのです。勿体無いと思ったので聞いてみたら、「サイズの小さいロブスターは海に戻すのだ。これが決まりだし、この方が量が長続きするから」とカニ籠漁の漁師さんは笑って答えてくれました。徹底した資源保護の考え方です。「50年間、漁獲量は変わらない」とも漁師は言いました。日本では考えられないことです。

日本では、50年間で、漁獲量は半減以下です。一方、イギリスの漁師さんはきちっと決まりを守っている。生き物を大事にすることが豊かさを守ること。これが一つです。

日本の、伊豆諸島、御蔵島での報告。 

  価値観の転換!  海への感謝と恩返し! 海の破壊者から海の救世主へ! 海と人と心を結ぶ! 

 生き物や漁業を大切にすることで、持続可能な豊かさが生み出される事例はこれからも増えていきます。私をこのようにさせようと思った原因は

1、海洋エネルギー=風、潮の流れが発電として豊かさを生む時代になったのです。
2、その海洋発電の施設が、漁業の豊かさを生む時代になったのです。というより私たちがしていかないといけない時代なのです。
3、そのためにも、海の小さな生き物たちの命を大切にする必要があります。

私は若い頃は、こういう花を綺麗だと思ったことはなかったのです。家の中に花が置いてあったら、ただ邪魔だと思っていました。それくらい意識が生き物に向いていなかったのです。ところが生き物に目が行った途端に、綺麗だ、美しいという言葉が、自分で出せるようになりました。それまでは自分の中に美しい言葉が無かったのです。頭にあるのは儲ける事ばかり。自分が、俺が、俺が、でした。しかし今は、花が綺麗だと思うようになりました。

最後に結論として、海のバリバリの潜水士が辿り着いた気持ちは、海への感謝と恩返しです。感謝を行動に表すということです。自分がこういう風になったのは、海のお陰だということだと思います。その価値観の転換が、漁業と共生する海洋発電への道を後押ししてくれているようです。いつも思うのは、科学やテクノロジーは、何のために使うのかという問いかけをいつも忘れないようにしています。 有難うございました。

  (文責:環境問題研究委員会 赤城 勲 2017年5月25日