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食と農」による地域づくり 鳥取県八頭町
 鳥取県の東南部、中国山地の北に広がる八頭町は、東は若桜町と智頭町、西は鳥取市にそれぞれ接している。古事記神話「因幡のしろうさぎ」にちなむ白兎神社があるなど古い歴史を誇るが、各地と同じ少子高齢化が進む中、農業の活性化が求められている。そこで、「食と農」による地域づくりで注目されている田中農場と大江ノ郷自然牧場を訪ねた。(多田則明)

傾斜田を深耕、発酵堆肥で土づくり―田中農場
 
 25人で120haを
 岡山から高速道路を走り、中国山地を下りたところにある八頭町を訪ねたのは六月十一日。田中農場はコシヒカリの田植えの最中だった。
 田中農場の創立は一九八〇年で九六年に有限会社化。二〇〇四年から化学肥料は一切使用せず、自製の有機肥料(牛ふん完熟堆肥)による米と野菜の栽培で注目されている。〇六年には毎日新聞社主催の全国農業コンクール名誉賞を受賞し、持続性の高い生産方式で「エコファーマー」の認定を受けた。創設者の田中正保さん(66)は一二年に全国土を考える会中国四国ブロック会長に就任。一七年には代表取締役を息子に引き継ぎ、取締役会長になっている。
 現在、パートを含め約二十五人で約一二〇ヘクタール(町)の田んぼで、コシヒカリを中心に酒米の山田錦、飼料米、大豆、黒豆、小豆、白ねぎなどを生産し、みそや日本酒、ねぎ酢、もち、きな粉などの加工食品と合わせ、年間約一億五千万円を売り上げている。田中農場のホームページも見やすく、ネットで注文することができる。
 米をはじめ生産物は農協には出荷せず、スーパーやレストラン、全国の顧客に直販し、白ねぎは鳥取県の食材輸出策の一環で台湾にも輸出している。日本のスーパーなら二〇〇~三〇〇円の白ねぎが百貨店で約六〇〇円で売られているという。それだけ高品質の食材を求める富裕層は世界にいるのである。
 約三〇〇枚の田んぼはほとんど農家から借りたもので、二〇ほどの集落にまたがり、半径八キロ圏内に散在しているため、田植え機など大型機械はトラックで運ぶ。構造改善された田んぼは三ヘクタールが基本だが、小さいのもある。町全体で水田が一五〇〇ヘクタールなのでその約8%を手がけている。田中さんは「当初は半径三キロでやっていましたが、次第に依頼が増えて今のようになりました」と笑顔で語る。
 田植えの現場を案内してもらうと、若いオペレーターが六条植えの田植え機に苗を満載し、水田を走っていた。一般的な田植え機は、固いプラスチックの苗箱からマット苗を取り出し、田植機の斜めになった台に並べ、植え付け爪がマットの端から苗を掻き取り、土に植え込むもの。田中農場で使っていたのはポット苗の田植え機で、やわらかいプラスチック製のポット育苗箱から苗を引き抜き、植え付け爪で土に植え込む。マット苗と違い根が切れず、ポットの土が付いているので活着がよく、有機稲作では主流になっている方式。マット苗と比べ二割以上の増収が見込めるという。
 私も香川県の農事組合法人で米を約二〇ヘクタール作っているが、マット式苗なので、苗や肥料を田植え機に補給する人が二~三人はいる。ところが、ポット式の苗はほぼ田んぼ一枚分の苗を田植え機乗せることができるので、積み込み作業がすむとオペレーター一人で田植えができる。軽トラでの苗の運搬も、マット式苗はアルミ製のラックを使い六十四枚が限界だが、箱が柔らかいポット苗は、無造作に重ね積み上げて運んでいた。これだとかなりの省力化になる。田中農場では田植え機が二台、作業員は積み込みが終わると別の田んぼに移動する。
 田中農場では毎年、二万二千~二万三千枚のポット苗を自前で立て、苗土にも化学肥料や農薬は使わない。まく前にもみを湯で温度消毒するのは、かつて多くの農家がしていたことである。
 水路には中国山地からの水が大量に流れていた。パイプラインは設置されていないので、田植えが終わるとブロックごとに担当者を決め、水路の水門を開け閉めして水田の水管理を行っているという。

 いい土に健康な作物が
 水田はきれいにならされ、水面から土が出ているところはなかった。一〇〇メートルにつき二~三センチの勾配をつけてならす傾斜水田が田中農場の特徴で、水が速く走って全面に行き渡り、雨が降っても早く乾くので、管理しやすい。
 耕運機にレーザーレベラ(レーザー光で測量・整地する機械)を取り付け耕している。「今は道路に建てた三脚器に付けた発光器の光をキャッチしながら作業していますが、やがてGPSで作業できるようになります」と田中さんは新技術の導入に前向きだ。
 山陰地方は十一月から十二月、降雨が多いので農作業がやりにくくなる。稲刈りが終わると、一部の田んぼには収集作業機が入って稲わらを集め、牧草用にまとめるのだが、低いところに水が溜まると、乾くまで機械を入れることができない。
 「田んぼで重要なのは適度な傾斜で平面を取り、しっかりしたあぜを作ることです。その条件さえ整えれば、初期に一回だけの除草剤で、雑草を抑えることができます。田んぼに高低があったり、水漏れしたりすると、除草剤がいきわたらず、雑草が生えます。雑草が生えてくる田んぼは一〇~二〇枚で、スポット的に除草剤を使います」と田中さん。農業は雑草との戦いといっても過言ではないので、感心した。
 あぜは一部コンクリート製もあるがほとんどは土で、七〇~八〇センチの幅でしっかりしていた。モグラ除けのため、あぜシートをはさんでからあぜ塗り機であぜを作る。あぜシートは土の中なので何十年経っても劣化しないので、一度、あぜシートを手作業で挟むと以後はあぜ塗りだけでいい。
 通常、田んぼを耕す深さは一〇センチ程度だが、田中農場では三〇センチの深耕が標準。深く耕すことで保肥力と排水がよくなり、作物が根をしっかり張るようになるからだ。
 田中農場では、稲刈りを終えたらすぐ、八本の爪が付いたスタブルカルチをトラクターに取り付け、浅く耕し、土と稲わらを混ぜ合わせる。稲刈り直後の土中はまだ温かく、微生物が活発に動いているので、稲わらの腐植が進み、排水が向上し、土中に空気が入るからだ。この下準備により健全な作物を生長させる地力が作られる。
 土づくりには有機質の堆肥が重要だが、地元の畜産農家からもらった堆肥に籾殻やオカラや米ぬかなどを混ぜ、バックホバーで四~五回切り返し発酵させている。良い堆肥は、みそや醤油に似て甘酸っぱい香りがするという。そうやって作った発酵堆肥を、三・五トンの堆肥散布機(マニアスプレッダ)二台で田んぼに散布する。
 「田んぼに水を張る水田には素晴らしい機能があります。水は田んぼにミネラルを補給し、雑草が生えるのを防ぎ、夏場に水温が上がると土壌消毒ができます」と言う田中さん。稲作が中心だが、野菜作りの畑作にも使える田んぼづくりを行っている。
 肥料は基本的に田植え前に有機肥料をやり、不足気味だと田植え直後にペレット状の有機肥料を入れるので「普通の農家に比べると市販の肥料は三分の一くらい」。
 「穂肥(稲の穂が出はじめた時期に散布する窒素分が主体の肥料)や実肥(稔実をよくするため出穂後にまく窒素肥料)は基本的にやりません。いわゆる一発肥(田植え後すぐ効く化成肥料と追肥代わりの肥料を配合した肥料で、一般的には田植えと同時に使われている)も使いません。一発肥はマニュアル通りの天候だと非常にいいのですが、冷夏や猛暑、長雨など異常気象になると効果を発揮しません。肥料は、余った分を田んぼから取り除くことはできないので、天候を見ながら足りない分を足すのがいいやり方です」
 窒素分が多いと、コシヒカリは丈だけ伸びて風雨で倒れてしまう。そこで翌年、窒素分を減らすと肥料が不足になるなどの問題を繰り返しがちだ。
 別の田んぼでは、パートの女性たちが白ねぎ畑の草取りをしていた。畑作でも除草剤は極力使わないので、大豆はロータリーカルチ(管理機)による土寄せで、ねぎには手作業による草取りで非常に手間を掛けている。台湾に輸出できているのも農薬を使わないからだ。草取りの手間はかかるが、それにお金を払えるようにすることで、地域の雇用を増やしている。
 畑作を続けていると次第に地力が衰えてくるので、一年大豆やねぎを作ると、次の三~四年は米を作り、水田の力で地力の回復を図っている。かつては、裏作に麦を栽培していたが、今は一毛作にして稲刈り後は土づくりの期間にしている。地力を高め、病虫害にも負けない強い作物が育つと、農薬を使わなくてもいいようになるからだ。
 「防除は基本的に地力や排水で作物の自力を強めることで行うようにしています。作物が健全に育つと、それほど病虫害に悩まされることはありません。カメムシやハスモンヨトウなどの厄介な害虫には、一部酵素やミネラル系の阻害剤を使います。窒素肥料を多用すると病虫害に弱い作物になります。ハスモンヨトウは典型的で、窒素過多で柔らかく育つと一斉に発生します」という言葉には、害虫との戦いの歴史を感じる。

 食品加工で付加価値を
 田中農場では付加価値を高め収益性を向上させるため、大豆からとうふを作るなど加工食品にも手を広げている。酒米の山田錦は七つの酒蔵に納め、十年前に酒の小売の免許も取得したので、野菜とのセット商品などに使う酒は卸してもらっている。「今年は鳥取でブランド化しているきぬむすめを使い、八頭町の酒蔵で醸造しました。生食用の米ですがいい酒ができています」と目を細める。
 加工は自前のもあるが、基本的には専門の加工業者に委託し、みそなども田中農場の材料を使い、添加物なしで製造してもらっている。田中農場が米だけでなく野菜や食品加工にも手を広げているのは、通年の仕事を確保するためでもある。
 農家の高齢化、後継者不足が問題になった三十年ほど前から、農水省は地域をまとめる集落営農による規模拡大を進めてきた。補助金や助成金に引かれて多くの集団営農や農事組合法人が生まれたが、それも五年から十年経つとリーダーが高齢になり、交代しようにも後継者がいないという問題に直面している。
 私が属する農事組合法人も、設立した十年前には平均年齢が六十五歳だったが、今は七十五歳で、昨年、リーダーが七十八歳で亡くなった。「集落営農をきっかけにどんなスタイルにしていくか考えるべきで、普通の会社のように後継者が育つような仕組みにしないといけない」という田中さんの言葉はよく理解できる。「決算書を見ると約半額が補助金です」と言うと、「それはいい方ですよ」と田中さん。補助金がダメにする日本農業を地で行くような話で、いずれ本気で立ち向かわないといけない。
 「例えば、六十五で定年になった人が、一ヘクタールほどの自分の田んぼで米作りをしようとしても、昔のようにはできなくなっています。退職金でコンバインを買おうとしても、四十~五十代の息子たちが反対するというケースが増えています」と田中さん。そんな話をよく耳にするのだろう。
 トラクターは約四〇〇万円、田植え機は三〇〇万円、コンバインになると八〇〇万円と必要な農機具を揃えるだけで、数千万円から一億円になる。自動車なら高級車を買うようなもので、生産台数が一ケタ少ないからだが、農業も設備産業になっているのである。
 集団営農の多くが米、麦、大豆の主要作物を作っているのは、要するに補助金目当てだから。しかし、それらは通年作業ではないので、後継者になる若い人が入れない。農水省もそうした問題はよく分かっていて、規制を緩和し有限会社や株式会社でも農業に参入できるようにしたのである。農事組合法人の課題は、普通の企業なら当たり前の利益を生み出し、事業を継続する仕組みを、どう作るかである。
 「集落営農は地域の農地を守るという考え方ですが、そこから消費者にアピールできるような農産物を生産する工夫をしていかないと、補助金がないとやっていけなくなります。集落の維持よりも、自分たちの農地をどんな使い方をすれば一番価値を生むかを本気で考えるべきです」との言葉が胸に刺さる。
 
 10年かけ土壌改良
 田中会長は一九五一年、八頭町の生まれで、倉吉農業高校を卒業後、埼玉種畜牧場で一年間研修し、隣の農家から畑を譲り受け養豚業を始めた。その頃、構造改善事業が始まり、ほ場が整備されたことから、政府の転作奨励をきっかけに八〇年、大豆・麦作を中心に田中農場を設立。麦はビール麦で、キリンビール九州工場に納め、最盛期には麦を三五ヘクタール、大豆を三〇ヘクタール栽培した。
 「構造改善事業では数百年続いてきた田んぼを一時の土木工事で広くし、ならしたので、従来より土壌の条件が悪化していました。その改良を目指して始めたのが三〇センチの深耕で、当時、一般的には三〇馬力程度の耕耘機でしたが、一〇〇馬力の耕耘機を導入し、周りが黒毛和牛の繁殖地で畜産業が盛んだったので、堆肥を投入したのです。山に近い水田なので、水はけが悪く、野菜は作りにくいのですが、深耕し、排水をよくすると、畑作にも使える田んぼになります。米作りをしながら、十年かけて土壌を改良してきたのです」と歴史を語った。


地元の人が誇れる場所づくり―大江ノ郷自然牧場
 田中農場から車を山に向かって走らせ約十分、緑の山間にガラス張りのおしゃれなレストランや喫茶店、ケーキショップが現れ、広い駐車場には月曜日にもかかわらずたくさんの車と観光バスもとまっていたのが大江ノ郷自然牧場。小原利一郎代表取締役は一九六五年、鳥取市の生まれで、専門学校を出て、父親の養鶏場や県外の養鶏関連事業への勤務を経て九四年、父親のふるさとである当地に同牧場を創業した。
 同牧場のホームページには面白いエピソードが記されている。
 「修行先の大型養鶏場の鶏舎からある日、にわとりが逃げだし、屋外の空き地で幸せそうに走り回り、草をついばむ姿を見た小原は、その瞬間に〈平飼い〉養鶏の実現を決意したのです。そして、平飼いによる卵は〈天美卵〉として実を結びました」
 事業の中核は平飼いの生卵を、その日のうちにテーブルエッグ(食卓卵)として全国の顧客に直送することで、養鶏場は八頭町大江と隣の智頭町にある。一個一〇〇円で、スーパーの六~七倍。それでも、卵かけごはんなどで本物の味を知った人たちがリピーターになっている。
 小原さんが「一〇〇円に設定するとかなりいいえさが使えます」と言う通り、天然原料のみで配合した飼料を使っている。放し飼いで育ったにわとりは健康なので抗生物質など必要なく、栄養のことだけを考え、トウモロコシに新鮮な魚粉、海藻、カキ殻などを自家配合し、酵母で発酵させたおからや米ぬかを混ぜている。トウモロコシは輸入品が多いが、近く北海道産に全部切り替えるという。
 「当日採れた卵のみを直接発送する」とあるので、余った卵の利用からケーキショップやレストランを考えたのかと思ったら、そうではなく、「ここにたくさんの人が来て、地元の人が誇れるような場所をつくりたいと思ったのが動機です。(衛生上の理由で)平飼いのにわとりに触れることはできませんが、飼われている環境を見せたいと思ったのです。〈天美卵〉のチャレンジが成功しているので次のチャレンジができたのです」と言う。
 当初、地元の人が多かったが、次第に都市部の人たちも来るようになり、十年を経た今では県外からの来客が増え、観光バスの立ち寄り先に選ばれるようになっている。
 現在、若者を中心に一七〇人雇用していて、新卒が多く、毎年採用している。菓子や料理、接客、養鶏と仕事があるなかで、養鶏を希望する人が多いという。これだけの雇用を実現しているのは立派だ。
 昼食時だったので、特製のハンバーグを注文し、緑の山が見渡せるガラス張りのコーナーで頂いた。味も濃厚でおいしかったが、自然の中で食べるのも格別。家族連れが多いのもうなずける。これなら、車を走らせてでも来たいと思うだろう。高速道路も近くまで開通していた。
 同牧場は鶏ふんを田中農場はじめ多くの農家に提供し、主ににわとり用の飼料米の栽培に使ってもらっている。いわゆる農畜連携で、私の農事組合法人でも牛用のトウモロコシと飼料米を栽培し、田んぼに牛ふんの堆肥を入れてもらっている。
 田中農場や大江ノ郷自然牧場で経験を積んだ若者たちの中から、「食と農」での人生設計を考える人たちが出てくるだろう。それが持続的な地域づくりにつながると思う。香川から片道四時間半のハードな旅だったが、学ぶところが多かった。

コメント

敬愛する同志の皆様、大脇です。

医食同源が叫ばれて久しく、最近では医農同源が昌道されています。

「おいしい食べ物は土づくから」と健康に害をあたえる化学肥料を使わず、循環型の有機農業が話題となっています。(注1 

小生の郷里の鳥取県八頭町で、140ヘクタールもの農地を預かり、有機農業を展開している田中農場、田中正保会長が居ます。ひょんなことから小生、この半年、九大、鳥大の農学部で微生物研究学者の牧野先生のお手伝いをしていますが、来年9月開校予定の国際農業開発アカデミー、もはや小生のようなボランティア協力段階から、全面的準備態勢に入らないと間にあわない段階で、情熱、知力、行動力のあるキーマンを探していらっしゃいます。

牧野先生、毎月福岡から上京されています。今月も724日から28日先生のお手伝いで小生も上京します。

 去る4月、牧野先生を国際農業開発で実績のある団体の渡邉副総裁にご紹介しましたが、帰り際に田中農場のDVDを渡邊先生に差しあげた所、有機農業に事のほか関心を寄せられており、4月下旬、鳥取まで視察にお出でになりました。(注2

多田則明氏は香川県高松市で家業の農業を営む傍ら、毎月、月の半分は上京してルポライターとして活躍しています。彼は『文芸春秋』のような総合誌の編集長を振り出しに、日刊紙、月間誌の編集、単行本の出版等、幅広く手掛けています。いつも彼の文筆力には目を見張らされます。今回、鳥取の田中農場、同じ八頭町内で注目されている大江之郷をルポした記事を送ってくれました。長文なのでサイトにリンクしました。これからの農業、地域振興の在り方をいろいろと考えさせらられる名文です。(注3)  以上

 注1)「うまいもんは,土づくりから ~日本農業の未来を語る ~」       

注2)「農の源流を求めてー有機農業:山陰への旅」

 3「食と農により地域づくり」