20200803 17:01

「新型コロナ」後の世界~大学の本来あるべき姿を考察する!(1東京大学大学院情報学環 教授 吉見 俊哉 氏

 新型コロナウイルスは「世界の軌道」を止めた。私たちは今避難を余儀なくされ、物質的な考えを止めさせられ、自分が生きることだけを考えている。そして、このことは、これまで私たちが地球に行ってきた環境破壊がもたらした大洪水、ハリケーン、竜巻、海洋汚染、氷山崩壊などと同じで、貪欲な資源獲得の争いや終わりのない戦争の結果であることに気づき始めている。
 
一方で、世界が一度止まったことで、私たちは自分の人生で大切なものは何かを考える時間ができた。今後、大学はどのような役割をはたしていくべきなのだろうか。

 東京大学大学院情報学環・教授の吉見俊哉氏に聞いた。ちょうど新型コロナ騒動直前の1月末に吉見教授がオックスフォード大学教授の苅谷剛彦氏と共著で出版した『大学はもう死んでいる?(集英社新書)が今注目を集めている。それは、同書がまるで世界が一度止まることを予期していたかのように、日本はのみならず世界中の大学が抱える根本的な問題をあぶり出しているからに他ならない。

「新自由主義的なグローバリゼーション」における反動

 新型コロナ後の大学の在り方について教えてください。まず本題に入る前に、今回の新型コロナ騒動をどのように見ていますか。

 吉見 この春以来、我たちは新型コロナウイルスによる感染症のパンデミックの渦中にあります。このことは、今回のテーマである大学にとどまらず、私たちの社会全体に大きな転換をもたらしていくと想定されます。そこでまず、この感染症のパンデミックと大学との関係をどう考えるのかについてお話しします。

東京大学大学院情報学環 教授 吉見 俊哉 氏

 21世紀とはどのような時代なのでしょうか。21世紀に入って、世界的に大きな、複数のショックが私たちの社会を襲いました。まずは、2001911日に起こった、アメリカ同時多発テロ事件(アメリカ合衆国で同時多発的に実行された、イ

スラム過激派テロ組織アルカイダによる4つのテロ攻撃の総称)、次に08年のリーマン・ショック089月、アメリカの有力投資銀行であるリーマンブラザーズが破綻し、それを契機として広がった世界的な株価下落、金融危機、同時不況の総称)、3番目に、16年にイギリスの国民投票で決まったブレグジット(イギリスの欧州連合離脱)とトランプ米大統領当選、最後に、20年の今まさに私たちが直面している、新型コロナのパンデミックです。

これらの地球社会を襲った複数の出来事は、ある1つの共通点があります。それは、すべての出来事が、1980年代以降、過去30年以上にわたって推進されてきた「新自由主義的なグローバリゼーション」に対する反動であると考えられることです。

グローバリゼーションの先頭に立ち、旗を振った航空会社

 吉見 2001年の同時多発テロ事件では、アメリカ主導のグローバリゼーションに対し、周縁化されてきたマイノリティ(少数派)が絶望に満ちた抵抗として、アメリカのシンボルともいえるニューヨークのワールドトレードセンター(WTC)ビルに突っ込みました。

 リーマン・ショックでは、極度に金融システムの高度化とグローバル化が進んだことの結果として、金融の仕組みそのものが破綻しました。ブレグジットやトランプ大統領誕生という形でグローバリゼーションがもたらしたものへの反動的な傾向が表面化しました。

 私たちが渦中にいる感染症のパンデミックも、もしグローバリゼーションがなかったら、ここまで広がっていなかったでしょう。今、世界の航空会社は大変な危機を迎えています。これまで、航空会社が先頭に立ってグローバリゼーションを進めてきたことが完全に裏目に出ており、私たちは今、「グローバル化の停止」を経験しています。

グローバリゼーションとパンデミックは、表裏一体

 吉見 重要なのは、新型コロナウイルスのような感染症のパンデミックは、歴史上、今回が初めてではないということです。過去に起こった感染症のパンデミックを、ここで振り返ってみましょう。

(1)インフルエンザ:「スペインかぜ」

 1918年~19年には、俗に「スペインかぜ」と呼ばれるインフルエンザのパンデミックが起こりました。世界ですさまじい程多くの患者数、死亡者数がでて、一説では、推定18億人の世界人口のうち約5億人が感染し、4,0005,000万人が死亡したとも言われています。日本でも2,300万人の感染者と38万人の死亡者が報告されています(内務省統計)。

 インフルエンザのパンデミックはなぜ、あの時点で起きたのか。それはいうまでもなく、第一次世界大戦があったからです。第一次世界大戦では、アメリカ兵はヨーロッパに進出し、ヨーロッパ兵もヨーロッパ内で激しく動き回りました。そのため、病原菌が易々と国境を越えて運ばれました。このような兵士のグローパルな移動がなければ、大規模なパンデミックにはなっていなかったと考えられます。

2)コレラ:インドのベンガル地方から大拡散

 1817年には、コレラのパンデミックが起こりました。最初の流行は、コレラ菌に汚染された水が媒介物となってインドのベンガル地方で起こり、やがてヨーロッパから世界に大拡散していきました。

 コレラが広まった背景には、ナポレオン戦争(17991815年:ナポレオン軍のヨーロッパ全域、およびロシアへの進出)やアジアでの大英帝国勢力の拡大がありました。アメリカの独立後、大英帝国は植民地の主力をインドに移しましたが、英印関係の強化により、インドで始まったコレラは、イギリスを経てヨーロッパ全域に広がりました。加えて、時代は近代化に向かうまっただなかで、貿易や移民の拡大、交通手段の発達などが進み、世界各国からインドを訪れた船乗りや商人によって、コレラ菌は世界各地に広まりました。

3)天然痘:スペイン人が中南米に持ち込む

 16世紀には天然痘のパンデミックが起こりました。スペイン人がわずかな人数で中南米を征服できた理由は、鉄器や火薬をもたない先住民国家であるアステカ帝国、インカ帝国との戦力の差だけではなく、スペイン人が持ち込んだ天然痘ウイルスに抵抗力のなかった先住民の多くが感染し、膨大な死者が出て、国力が低下したためと言われています。まさに「大航海時代」という16世紀のグローバリゼーションがもたらした出来事でした。

4)ペスト:史上もっとも過酷だった「黒死病」

 人類の歴史のなかでもっとも過酷だったのは、1350年代のペストのパンデミックと言われています。世界全体で7,500万人から2億人もの死者が出て、ヨーロッパだけでも、全人口約8,000万人の4分の1から3分の1に当たる2,500万人が死亡したとされています。

 ペストの感染拡大の1つの要因には、モンゴル帝国にありました。モンゴル帝国は13世紀にユーラシア大陸全域に拡張し、交易がとても活発化しました。モンゴル軍は1346年にクリミア半島の黒海最大の港湾都市を攻撃した際に、ペストに感染したと言われています。13世紀はグローバリゼーションが進み、中国からヨーロッパ全域まで、商人を中心にさまざまな人が自由に行き来するようになりました。ペストはこの巨大なモンゴル帝国の交易網に乗って、拡散されていきました。

 以上のように、グローバリゼーションとパンデミックは表裏一体、つまりグローバリゼーションはパンデミックを生み出すもとになってきたのです。今回の新型コロナのパンデミックのなかで、私たちはソーシャルディスタンスを守り、都市封鎖や感染者の隔離などをせざるを得ない状況に陥っています。しかし、これまで歴史を振り返ると、そもそもグローバリゼーションがもたらしてきたものは、接触、交流、越境、対話などです。人種も民族も文化も違う人たちの社会的距離が密になり過ぎた結果、今回は、それを無理やりに引き剥がそうという反動が起きたわけです。

大学を成り立たせている根本原理は「移動の自由」

 ――グローバリゼーションと大学は、どのような関係にありますか。

 吉見 大学は大きな構造でいえば、グローバリゼーション側にいるといえます。それは大学の根本が「移動の自由」にあるからです。さまざまな文化や文明が交差し、人々が接触し、交流し、越境し、対話することに価値を見出していくことがそもそもの大学の姿です。鎖国や封鎖、隔離をして、ソーシャルディスタンスをとり、お互いに壁をつくるのみでは、大学の価値はなくなります。

 大学を意味する「ユニバーシティ」という言葉がヨーロッパで生まれたのは1213世紀頃で、大学は教師と学生の協同組合として出発しました。中世ヨーロッパにおいて、商人、職人、聖職者、知識人のいずれの立場でも都市から都市へと自由に渡り歩ける環境が成立していたことが、大学の誕生を可能にしました。誰もが旅人であり、なかには教師も学生もいました。移動の自由に支えられ、知的な旅人たちが集まる場所として、いくつかの都市に大学ができました。大学に集まる人たちは、たとえばローマ教皇や神聖ローマ皇帝とのコネクションなどヨーロッパ全域のネットワークをもっていたため、移動しない地元の権力者に対し、はるか遠くにいる教皇や皇帝から勅許を得て対抗することができました。

 もともと大学を成り立たせている根本原理、つまり「学問の自由」のさらに根幹には、「移動の自由」があるのです。旅する自由、つまり移動の自由があって、初めて学問の自由も成り立つのです。

学生も自由に移動できる、欧州のボローニャ・プロセス

 吉見 商社マンほどではありませんが、移動する人々のなかで、大学の教師や学生、研究者の占める割合はかなり高いと思います。私たち大学人は「移動する人」なのです。移動先のさまざまな場所で、講義や講演を行い、会議に出席します。

 欧米では、大学の教師がキャリアアップして移動することはもちろん、学生もボローニャ・プロセス※1によって、イタリアの大学に入って、ドイツの大学で卒業するというように、旅をしながら大学を卒業することが可能になっています。日本の大学では、現時点ではこのような学びにおける「移動の自由」がほとんど見られないことは残念です。

グローバル化は一直線では進まない

 吉見 大学はグローバリゼーションの側にいるとお伝えしました。私は「グローバリゼーションは文明の運命」だと考えています。文明化するということは、根本的に「グローバリゼーション」に向かうことです。しかしグローバリゼーションには、さまざまなネガティブな問題点があります。問題点について真摯に批判的な議論をすることが必要ですが、グローバル化そのものを否定することは難しいのです。

 ただしグローバル化は、まっすぐに進んでいくわけではありません。歴史を振り返ると、グローバル化が進みすぎると、経済的な破綻、疫病などのさまざまな反動があって時計の針が戻され、少し落ち着くと、またグローバル化の方向に向かう、ということが繰り返されてきたのです。

 日本の歴史でいえば、織田信長や豊臣秀吉の「グローバリズムの時代」から、徳川家康や家光の「反グローバリズムの時代」への転換は、支配者の単なる交代ではなく、歴史的なパラダイムの大転換だったのです。信長、秀吉、コロンブス、コルテス※2は同時代の人です。コルテスが新大陸を征服しようとしたように、秀吉は朝鮮半島から中国までを征服しようと目論んでいました。このような野蛮な侵略者たちによって世界が散々に荒らされてしまい、何とかしなければならない状況に陥ったことが、その後にスペインも豊臣氏の大阪城も没落していった理由だと思います。

 17世紀以降、ヨーロッパにおいてスペインやポルトガルは凋落し、フランスやイングランドのような領域国家の時代となります。中国についても1415世紀に繁栄した明朝は対外志向の強い商業国家でしたが、その後に栄えた清朝はどちらかというと内向きです。徳川幕府の鎖国体制は17世紀以降の世界のこのような流れにピッタリ対応していました。

「新型コロナ」後の世界~大学の本来あるべき姿を考察する!(4

 英国、米国、日本の3大学の視点から、大学問題を相対化する

 ――新型コロナ騒動直前の1月末にオックスフォード大学教授・苅谷剛彦氏との共著『大学はもう死んでいる?』を出版されました。執筆の動機を教えてください。

 吉見 この本は2019年の春に私がオックスフォード大学に行き、苅谷教授の研究室で行った対談をまとめたものです。苅谷先生との対談をやってみたいと考えるようになったのは、189月に出版した前著『トランプのアメリカに住む』(岩波新書)に書きましたが、ハーバード大学ライシャワー日本研究所の客員教授として約1年間教鞭を執ったことがきっかけです。

 そもそもハーバード大学で1年教えてみようと考えたのは、私が16年頃まで、東京大学のアドミニストレーション(管理運営)に関わっていたからです。

 ハーバード大学で教える経験を経て、東京大学の教育改革の難しさを痛感しました。東大における教育改革の難しさは、日本の大学教育の難しさでもあります。「何でこんなに難しいのか、そして何をどうすればいいのか」を考えたときに、一度アメリカのトップユニバーシティに行き、ファカルティ、すなわち教授陣のなかに入って教鞭を執ることで、「どのような教育が行われているのか」「どのようなアドミニストレーションが行われているのか」を、自分の目で見て学びたいと考えるようになりました。

 そう考えているときに、偶然にもハーバード大学から招聘のお話をいただいたわけです。前述の『トランプのアメリカに住む』という本のなかに書きましたが、ハーバード大学では、学ぶことがいろいろとありました。

 自分のなかにハーバード大学と東京大学を比較するという視点を持てるようになると、今度は、同じトップユニバーシティであるオックスフォード大学についても知りたくなりました。

 その理由は、この3つの大学の視点で相対化できれば、日本の大学が抱えている問題点をより鮮明に把握できると感じたからです。苅谷先生は前から存じ上げており、共著も出していました。また苅谷先生自身も、日本の大学についてオックスフォード大学から見た視点で考察する本を書かれていました。そこで、苅谷先生とじっくりお話できる機会があれば、充実した対談ができるのではないかと感じたことが、この本をつくろうと考えた理由です。

新自由主義的な規制緩和を進めた結果、大学が抱えている問題

 ――世界的に見ても、日本の大学には「新自由主義」の悪影響が色濃く出ているように感じますが、なぜでしょうか。

吉見 2000年代以降「平成の失われた30年」の様相が次第にはっきりしてくると、日本の大学の劣化が明らかになり、多くの大学が「改革を進めても、大学は少しも良くならない」「文科省主導で進める改革は部分的に改善する内容ばかりで、本当の意味での大学の改善にはなっていない」と悩み始めました。

 しかし、ここで注意すべきことは、日本の大学が今の状態に至った過程を2つに分けて考えなくてはいけないことです。1つめは「新自由主義的な規制緩和を進めたがゆえに、このような状態になってしまった」こと、2つめは「そもそも、規制緩和される以前から日本の大学は問題を抱えていて、すでに『ある種の複雑骨折』をしていた」ことです。

 まず、1つめの「新自由主義的な規制緩和によって、大学が抱え込んでしまった問題点」について、この問題が生じたのは、日本の大学がどうなるべきかという全体的ビジョンがなく進められた1990年代以降の3つの改革が原因でした。

1)大学設置基準の大綱化による教養教育の弱体化

 この改革では、「専門教育」と「教養教育」を分けていた仕切りを外しました。改革以前は、前期課程である12年生の教養教育を教えている先生は教養の範囲にとどまり、後期課程である34年生を教えるのは専門教育の先生と分かれていました。当然のことながら、教養教育の先生からは、自分たちは学術面での業績においてひけを取らないのに「なぜ教養教育にとどまらなければいけないのか」という不満の声がずっと挙がっていました。

 そこで大学の声に応じた文科省は、「専門と教養の組み合わせは、大学が各自で考えてください」と仕切りを外したのです。しかし結果として、ほとんどの先生が専門を中心に教えたいと要望し、大学は教養教育を疎かにするようになったため、日本の大学の教養教育が著しく弱体化してしまいました。

2)大学院の重点化

 大学には「そもそも、日本は大学院生の数が国際標準に比べて少ないため、もっと大学院を拡充しなくてはいけない」という意見が以前からあったことを受けて、文科省は大学院を重点化することを決めました。大学院では教員1人あたりの予算も増えるため、トップレベルの大学はこぞって大学院の重点化を推進しました。しかし、大学側は、大学のなかの学部と大学院の数的な比率にばかり目を向け、大学院生の卒業後のキャリアパスを描くことができなかったため、結果的に大きな失敗に終わりました。

 文科省も大学も、日本社会で「大学院はどういう役割をはたすべきなのか、また、はたすことができるのか」を考えていませんでした。つまり「大学院で修士や博士の学位をとった人が、日本社会のなかでどう扱われるのか」を十分に計算に入れていなかったため、日本では、博士号をもっていることが必ずしもキャリアを大きく向上させない状況が生まれています。

3)国立大学の法人化

 大学の法人化は、もちろん新自由主義的な規制緩和の一環です。自民党政権や財界は国立大学の完全な民営化を推進したいという考えだった一方で、文科省は、彼らの権力基盤を守る意味も含めて、国の支援は必要であるという、どちらかというと完全な民営化を阻止したい考えをもっていました。そのため、一方の政権と産業界、他方の旧文部省と大学の間には、亀裂が走ってしまいました。つまり、文部省と大学は、財界や政権にやや警戒しており、政府内も一筋縄ではまとまっていなかったと考えています。結果的に、国立大学の法人化は中途半端なものになりました。

 上記の3つの規制緩和は、いずれも基本的には大学側の要望を受け入れる方向で行われました。このような経緯から文科省自体にはっきりとしたビジョンがあったわけではなく、大学内の各学部・大学院が自分たちにもっとも都合が良い方向に向かおうとするのみで、大学全体としては方向を見失っています。その状況にあっても「学長のリーダーシップに期待する」という言い回しで物事が進められるため、誰も責任を取らない仕組みになっています。

日本の大学数は、1945年と比較すると16倍以上に増加

 吉見 「大学設置基準の大綱化」「大学院の重点化」「国立大学の法人化」の3つの改革に加えて、「新自由主義的な規制緩和」の影響がもっともはっきり現れたのは、「大学の増加」です。

 1945年には50校に満たなかった日本の大学数は現在、800校近くになっています。90年前後の時点で、18歳人口は以後、下降線をたどることがわかっていたにもかかわらず、新自由主義的な規制緩和のなかで、大学は当時の約500校から約300校近く増えて約800にまで増加しました。まさに「バブル」と言えます。

 多くの大学にとって、定員を満たすため志願者獲得が死活的な課題となり、「志願者マーケティング」に力を入れることになった大学は、サービス産業化しました。そのことをもっとも象徴する出来事は「学部名称のカンブリア紀的大爆発」です。90年の時点では100に満たなかった学部の名称は、2000年時点で23510年時点で435現在では500以上あります。これは「大学の商品化」以外の何物でもありません。しかし、どんなにかっこいい名称をつけて学生を集めても、教育の質がよくなることはなく、結果的に日本の「大学丸」は沈んでいきました。

世界の大学はリベラルアーツと大学院の機能をもつ

 ――「そもそも、規制緩和される以前から日本の大学は問題点を抱えていて、すでに『ある種の複雑骨折』をしていた」とはどういう意味でしようか。

 吉見 この問題の重要なキーワードは、「カレッジ」(リベラルアーツ)、「ファカルティ」(学部)、「ユニバーシティ」という3つです。オックスフォード大学は、見事にこの3元的な構造を組み合わせていますが、日本のみならず、世界のトップクラスの大学では必ずしも、この構造が明確になっているわけではありません。

 しかし、大学は、本来ならばこの3元的な構造で構成されているべきです。ちなみに、現在の日本の大学には、「ファカルティ」(学部)の機能は強力ですが、「カレッジ」(リベラルアーツ)の機能が弱く、「ユニバーシティ」の機能も、大きな大学ではほとんど弱体化しています。現在、世界の大学の主流は「カレッジ」と「グラジュエートスクール」(大学院)をあわせて「ユニバーシティ」を構成しているため、日本の大学ではカレッジの機能が非常に弱いことは、世界的に見て大きな弱点です。

 日本の大学は、なぜ「カレッジ」や「ユニバーシティ」の機能が弱いのでしょうか。それは、歴史的に何度か「ボタンの掛け違い」をしてしまったことが原因です。

高レベルのリベラルアーツを学んでいた旧制高校

 吉見 1945年の第二次世界大戦の終戦当時、日本の大学は東大、京大などの旧帝国大学を中心に50校未満でした。旧帝国大学は今でいう大学院に近く、一高、三高などの旧制高校が、今でいう大学の前期課程(以前の教養課程)、すなわち「カレッジ」の役割をはたしていました。そこでは、世界的に見ても高いレベルの「リベラルアーツ」を学んでいました。「リベラルアーツ」とは、ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流をもち、ヨーロッパの大学制度において中世以降、「人が持つ必要がある技芸の基本」と見なされた自由七科のことです。具体的には文法学、修辞学、論理学、代数学、幾何学、天文学、音楽の7分野です。

 日本の戦前の高等教育は旧制高校と旧帝国大学で成り立っており、このうち「カレッジ」としての役割をもっていた旧制高校では、高度なリベラルアーツ教育が行われていました。その点では、日本の高等教育は「カレッジ」と「グラジュエートスクール」(旧帝国大学)とで「ユニバーシティ」を構成していた戦前のほうが、よほど世界標準だったのです。加えて、旧制高校と新制高校、旧制中学と新制中学はまったく違うものです。旧制高校は、今でいえば大学の学部課程に近く、旧制中学がむしろ今でいう高校に当たります。戦後の占領期に行われた改革のなかで、教育課程が1段階、ずれてしまったのです。

 なかでも問題だったのは、進駐軍(GHQ)がきて教育改革を行った時に、それまで「カレッジ」に一番近く、「リベラルアーツ」の教育を行っていた旧制高校を廃止してしまったことです。その結果、日本には「リベラルアーツ」を本格的に学ぶ高等教育がなくなってしまいました。これが最初の大きなボタンの掛け違いです。さらに、「日本の大学にはリベラルアーツ教育がない」と考えたGHQはその後、アメリカで行われていた「一般教育」(ジェネラルエデュケーション)を新制国立大学の前期課程(教養課程)のなかに入れました。このとき、東大では、旧制一高を前期課程である教養課程(駒場)に取り込んでいます。

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高レベルのリベラルアーツを学んでいた旧制高校

 吉見 さらにGHQは、旧帝国大学(研究と教育を備えた大学院)を新制大学に転換させます。ここで2度目のボタンの掛け違いが起こりました。旧帝国大学の研究教育を大学院レベルと評価しなかったGHQは、日本にはきちんとした大学院がないと考え、新制国立大学の学部(ファカルティ)の上に大学院研究科を充実させていくべきと考えました。結果的に、日本の高等教育は「屋上屋を重ねる構造」となってしまったのです。

 このとき、東大などの新制国立大学の多くは、旧帝国大学の学部で今まで続けてきた大学院レベルの教育研究を捨てたくなかったため、それらを新制大学の後期課程に位置づけていきます。つまり、新制大学は4年間の教育課程のなかに、旧制高校の「リベラルアーツ」教育と旧帝国大学の専門教育の両方を含みこまなくてはならなくなり、さらに屋上屋を重ねる方法で新制の大学院課程が設置されていったのです。

 このボタンの掛け違いを改めるチャンスは1990年代の教育改革で何度かありましたが、残念ながら今まで修正できていません。つまり、戦後の高等教育では「リベラルアーツ」教育は戦前以上に貧弱になり、専門教育は学部後期課程と大学院課程に二重化されたのです。このことを、大学が抱える問題点として「複雑骨折」と表現したのです。今後、大学教育改革を行う時は、もう一度原点に戻って、「カレッジ」「ファカルティ」「ユニバーシティ」という3つの機能を満足させる方向に進むことが望まれます。

大学は複眼的な学びの場にしなければならない

 ――ボタンの掛け違いは何とか修正したいものです。ところで、吉見教授が本書で「文理融合から文理複眼へ」と主張していることについて、解説をいただけますか。

 吉見 私は、日本の大学が「どこに進んでいくべきか」という問いに対して、1つの重要な方向性として「大学を複眼的な学びの場にしなければならない」と考えています。言いかえると「宮本武蔵の二刀流」を実現するという意味ですが、1本の長い刀よりも、長短2本の刀で戦うほうがいかなる相手にもフレキシブルに対応ができることが理由です。

 この考え方は、複雑化、流動化した現代社会に応用できます。しかも、この「二刀流」主義は、米国の大学では当たり前のことなのです。米国の大学でもっとも多いのは、メジャー(主専攻)とマイナー(副専攻)を組み合わせるもので、さらに異なる主専攻を同時に履修するダブルメジャー(二重専攻)制もあります。理系と理系、文系と文系でもいいのですが、もっともクリエイティブで効果的なのは、理系と文系の組み合わせです。医学を主専攻にしている学生が副専攻で哲学を学ぶ、コンピュータ・サイエンスを主専攻にしている学生が副専攻で知的財産権を学ぶ、環境科学を主専攻にしている学生が、副専攻で中国の歴史を学ぶなどの例があり、主専攻と副専攻を逆にして学ぶこともできます。

マイナー科目の「哲学」は黄金カードとして復活する

 吉見 学生たちは、今の大学制度では1つの専攻を選ばなければならないため、就職や将来の生活のために、手堅い医学や工学を選択する学生も多いのではないかと考えています。しかし、知的好奇心の高い学生であればあるほど「本当は哲学や文学や歴史が好きだ」と考えている学生が多いのではないでしょうか。そういう学生の知的好奇心の満足のためにも、複眼的に学べる制度が最適なのです。

 実学的・工学的で直接、社会の役に立つ知は、人文社会系の長く役に立つ知との二刀流となる仕組みができたとき、その有用性が十分に発揮されるからです。「リベラルアーツ」の根幹でもある「哲学」は、今は単独では潰しが効かないと思われ敬遠されていますが、日本の大学がこの制度を導入したら、マイナー科目としては、大人気の「黄金カード」になることは間違いありません。工学と哲学、医学と哲学、経営学と哲学、コンピュータ・サイエンスと哲学と、すべての学問に有効です。

 「とりあえず就職して、安定的な給料をもらえる立場に就きたい」「5年、10年先のことを考えなければならない」という学生の気持ちはよくわかります。哲学、歴史学などは、何千年という射程距離のとても長い学問のため、そこにすべてを賭けるわけにはいかないかもしれません。しかし「数千年の人類の歴史や、人類が考えてきた知恵」を学びたいという気持ちは、高い知的想像力をもっている学生であれば必ずあります。そして、究極的には、大学とは、本来その知恵を学ぶところなのです。

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「文系の学問はあまり役に立たない」が本音では?

 吉見 私は『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書 2016年)のなかでも書きましたが、当時は新聞や雑誌の誌面上に「文系の学問は役に立たない」「文科省は国立大学の文系学部を廃止せよといっている」という記事が躍っていました。これらは誤報に近かったとはいえ、私が気になったのは、多くの有識者を含め国民が文科省をバッシングするなか、本音では「でも、文系の学問はあまり役に立たないのでは?」と感じていることが垣間見えたことです。

 そこで、私は同書のなかで、文理複眼にも通じますが、役に立つことの意味を「直接何かの目的のために役に立つ(手段を提供する)」「そもそもの目的、価値を創造するということで役に立つ」と2つの意味でとらえる必要があると述べました。そして、後者の目的、価値を創造することに対して、人文社会系の学問ほど最適なものはないと主張しました。

 実際、30年、50年も経つと、価値は大きく変わります。その価値の大きな転換を先導するためには、文系を含めた時間軸の違う「2つの刀」が必要なのです。私が「文理融合」ではなく「文理複眼」という言葉を用いるのは、文理が1つに融合して何か新しいものが生まれるというのは間違いであると考えているからです。

日本の大学はいまだに先進国に学ぶ発展途上国の発想

 ――日本の大学もすぐにでも取り組むべきと感じますが、現状はどうですか。

 吉見 残念ながら、ほとんど理解されていません。その理由は、日本では「リベラルアーツ」という考え方そのものが未発達で、政治家、経済人(企業経営者、人事責任者など)などからごく一般人まで、こぞってそれを単なる「教養」としてしか見なしていないからです。日本人の多くは、学問は専門分野を縦割りで掘るものだと考えているのです。

 それには原因があります。19世紀後半に日本で旧帝国大学ができたとき、欧米各国からそれぞれの分野でもっとも進んでいた知を取り入れました。東大などはその典型ですが、医学はドイツ、法学はフランス、工学はスコットランド、農学はアメリカという次第です。それぞれがそれらの知を一生懸命取り入れて、少しでも近づこうとしました。つまり、もっとも効率的に役に立つ知識を寄せ集めて、キャッチアップしようとしたのです。これが日本の大学の学問の明治以来の発達のプロセスであり、要するに、先進国に追いつこうとする発展途上国の知識の仕組みです。

 学問には何か「根っ子」のようなものがあり、それを捉えれば、すべてにつながっていくというのが本来あるべき発想です。しかし、「リベラルアーツ」にも関係することですが、日本ではとても弱いのです。知を細分化して吸収する仕組みを発達させるので、長期の知的想像力が失われます。日本社会は「大学入試」についてはよく理解していますが、その先にある「大学」とは何か、ということについての理解が未成熟なのです。

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日本人以外の学生にも通用するロジックで相手に伝える

 ――吉見教授は本書で、「グローバル人材」について触れています。大学におけるグローバル教育については、どう考えていますか。外国人教員比率、英語による授業の比率などは聞こえてきますが、目指している全体イメージが見えません。

 吉見 日本の大学のグローバル化については「外国人教員比率や英語による授業の比率をもっと増やすべきである」という意見から「日本人はもっと日本語で考えることを大切にすべきである」という意見までさまざまな議論があります。私はどちらも貴重な意見と考えています。それは、日本語で考えることはもちろん大切ですが、「日本語だけに閉じこもる」のではなく、英語で考えることも大切だからです。

 私は日本の大学生は英語で考えることができるのは当然で、日本語でも考えることができるという点をアドバンテージにしなければならないと思っています。そのためには、30%くらいの科目が英語で教えられることが理想と考えています。

 なぜならば、以前にお話ししたように、大学を成り立たせている根本原理は「移動の自由」にあるからです。大学のなかでは、先生と学生や、学生同士が英語でコミュニケーションをすることが「日常でない」という空気を一掃すべきだと考えています。もちろん言葉は英語に限らず、中国語、韓国語、ドイツ語、フランス語でもいいのですが、どの国の学生にとってももっともなじみのある言語、世界全域に通用する言語が英語だからです。

 日本語だけではなく「英語で考える、伝えること」には、もう1つの利点があります。授業でもそうですが、日本人学生は比較的狭い視野のなかでやたら綿密に話すので、日本語がかなりできる留学生でも理解できなくなります。これでは国際的には通用しません。このような日本人学生は、自分の殻に閉じこもってしまい、「日本人以外の学生に自分の意見はどう感じられるのか」ということを忘れてしまっているか、もしくは気づいていないのです。

 学問としても、「日本人以外の学生にも通用する議論、ロジックはどのようなものか」を日本人学生は学ぶ必要があります。つまり、異なる言語の他者から見て自分の発話を相対化できないと、グローバル人材としてのみならず、本来は学問上においてもよい点はありません。そのためには、ネイティブ言語である日本語だけではなく、世界全域で通用する英語で、自分の言おうとしていることを論理化し、構造化して相手に伝える訓練をすることはとても重要です。

世界の大学はオンラインが可能であることが証明された

 ――ビフォーコロナとアフターコロナに分けて考えることができるとしたら、アフターコロナで、大学がもっとも大切にしていくべき概念は何であると考えていますか。

 吉見 今回の新型コロナの影響のうち、今後も確実に続くと考えられる変化の1つは、いうまでもなく「大学教育のオンライン化」です。文科省の調査では、現在、日本の大学の90%以上がオンラインを実施しています。2017年の調査では、「オンライン化」を取り入れている大学は30%未満でした。そのことから考えると、現在の状態は「コペルニクス的転回」と言っても過言ではありません。日本の大学も、世界の大学も、革命的変化を起こしています。これは明らかに閾値を超えたものです。しかも今回特筆すべきことは、世界中の大学で同じことが起きている点です。

 しかし、日本の小中高では、同じ現象が起こりませんでした。このことにより、どれだけ追い込まれても、小中高ではオンラインはできないが「大学はオンラインが可能である」ということが証明されました。大学はできるのに今まではやっていなかったということです。

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世界の大学から「空間の壁」が消えた

 吉見 大学はオンラインが可能である」ことが意味するのは、1つには日本、そして世界の大学から「空間の壁」(距離の壁)が消えたということです。オンラインは、距離がゼロの「ドラえもんのどこでもドア」です。たとえば、私の授業は、仙台、福岡、札幌、ソウル、北京などにいる学生も聴講しており、このようなことが、当たり前になっていきます。

 それでは、この先に何が起こるかというと、国内はもちろん、海外の大学とのコラボレーション(共同授業)が可能になるということです。今では、東大の先生と京大の先生がシェアして、ZOOMなどを使って両大学の学生向けに共同授業を行うことが可能になりました。北海道大学と琉球大学の共同授業も可能です。しかし、日本に限ったことではなく、学問の世界に「国境」はなくなりました。東大とソウル大、東大と北京大、さらには東大とオーストラリア国立大学とシンガポール国立大学の3大学の共同授業も可能になりました。

空間の壁が消えたと同時に、現れた時間の壁

 吉見 ところが、東大とオックスフォード大学もしくはハーバード大学の共同授業は原則できません。「空間の壁」はなくなったとはいえ、タイムゾーンが違うため大きな時差があるからです。今のところ、ヨーロッパはアフリカと、北アメリカは南アメリカと、そして日本はアジア、オセアニアと共同授業が可能な状態にあります。

 さらに、海外の大学との共同授業では、各国の「学事暦」が障害になってきます。すなわち、東大とソウル大学と北京大学の先生が「アジアで大人気になると思われる授業」の企画を進めた場合、「いつ行うか」を決める段階になると、海外の大学の多くは9月始まりですが、日本は4月始まりのため、「学事暦」が合いません。そのため、結果として共同事業を実現することは難しいでしょう。オンライン化によって、「空間の壁」が消えて、世界が結ばれたと同時に、「時間の壁」が見えてきました。今後は、時間のマネージメントがすごく大切になります。

 日本はこの「学事暦の壁」を解決しなければ、最終的には「日本の大学とは共同授業はやりづらいため、共同授業では日本を除いて考えましょう」ということになってしまう可能性があります。私は最終的には、企業は通年採用になり、日本の大学も9月始まりに向かって行かざるを得ないのではないかと考えています。

 さらに、日本の大学のように、1週間の学生の履修科目が1012科目あることは世界でも希で、本当に「異常」ともいえることです。海外の大学の平均である45科目に比べて2倍近くあります。この点も、共同授業を企画する際の大きな障害になります。このようにさまざまな問題点を抱えている国は、主要先進国のなかでは日本だけです。

未来を構想し、志向するために、絶望や失敗を直視する

 ――最後に、読者にメッセージをいただけますか。

 吉見 近日中に『大学という理念』という本を東京大学出版会から出版します。
 この本の副題を「絶望のその先へ」としました。絶望というのはネガティブな言葉なので、その先はないと考えるかもしれませんが、私はこの本のなかで「大学という理念は絶望の先にあるのだ」と主張しています。私は“Failure is always your choice.”(失敗は成功のもと)と書かれたTシャツを好んで着ています。
 
希望は絶望の先にこそあるし、成功は失敗の先にあります。未来を構想し、未来を志向するためには、失敗や絶望をしっかり見つめないといけないと考えています。もし、絶望や失敗を直視しなければ、永遠に絶望し、失敗し続けることになるからです。私たちは、願望や成功よりも、絶望や失敗からはるかに多くのことを学ぶことができます。

 明治時代から約150年近く、日本は先進的な欧米文明に追いつくために「より速く、より多く、より高く」を目指すキャッチアップ型の社会を目指してきました。そして、1980年代に、その社会は飽和点を迎えました。しかし、限界に達しても「成長から見放されることへの恐怖」から逃れることができず、政策の大きな転換はできませんでした。アフターコロナを機会に、今こそ「成長社会から成熟社会」へとパラダイムを転換し、「より楽しく、よりしなやかに、より末永く」を実現し、文化的、知的で、持続可能性のある社会を目指すべきだと考えています。(了)   【金木 亮憲】


<プロフィール>
吉見 俊哉
(よしみ・しゅんや)
 1957年、東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授 兼 東京大学出版会理事長。同大学副学長、大学総合研究センター長などを歴任。社会学、都市論、メディア論、文化研究を主な専門としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展で中心的な役割をはたす。
 20179月~186月まで米国ハーバード大学客員教授。著書に『都市のドラマトゥルギー』(河出書房新社)、『博覧会の政治学』(講談社)、『親米と反米』(岩波書店)、『ポスト戦後社会』(岩波書店)、『夢の原子力』(ちくま新書)、『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書)、『大予言「歴史の尺度」が示す未来』(集英社新書)、『トランプのアメリカに住む』(岩波新書)、『大学はもう死んでいる?』(集英社新書)など多数。

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https://www.data-max.co.jp/article/36960 (10回連載)

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