福島フィフティー、ヒーローを顕彰するプロジェクト 概要(原案2校正中)
一般社団法人「吉田昌郎所長と福島フィフティーを顕彰する会」
〒103-0027東京都中央区日本橋3-2-14 新槙町ビル1F Tel:03-4455-4608
吉田昌郎所長は2010年6月に福島第一原発所長に就任した。そして2011年3月11日に起こった東日本大震災における、炉心溶融による放射能汚染の、この重大事故では、現場のトップとして主に原発敷地内の免震重要棟で作業を指示した。吉田所長の行動で特筆すべき事は、菅直人首相が1号機への海水注入中止を命令したにもかかわらず「福島フィフティー」と呼ばれるメンバーと共に海水注入を続行したことである。これは、まさしく「国命に背いた」行動である。また原子炉格納容器が水素爆発するのを防ぐ為に窒素ガス注入を指示する本店幹部に対し「そんな危険な事をさせられるか」などと食ってかかる事もあった。事故後初めて報道陣に姿を見せた2011年11月には
「3月11日から1週間は死ぬだろうと思った事が数度もあった。炉心溶融がどんどん進み、コントロール不能になる。終わりかなと思った」と語った。
吉田所長は、実際に「もう駄目かもしれません」という言葉を3月14日午前11時に細野豪志幹事長に電話して漏らしている。二号機に水が入らず温度が上がり格納容器爆発寸前の状況にての事だ。
またベントを開く事に失敗していれば格納容器の温度があがり格納容器は爆発し、セシューム137、ストロンチューム90、プルトニューム239が大量にばら撒かれ、東日本一帯は住むことが出来ない、地獄絵が展開されたことだろう。
このような様々な困難な状況を”炎のような燃える鉄の意志”によって吉田所長は福島フィフティーと共に乗り越え日本のみならず北半球を救ったのであった。
先般、青山葬儀所で吉田所長の「告別の会」が開催された。安倍晋三首相、菅直人元首相も参席した。
安倍首相は亡くなられた日にテレビ番組で「大変な努力をされた。ご冥福を祈りたい」と述べ「福島原発の事故で多くの方が厳しい状況になっている事を忘れてはならない」とも述べた。また事故当時、その対応に当たった菅元首相は「吉田氏の活躍で事故拡大を止めることができた。元気になったら話をしたいと思ったが、本当に残念だ」と語った。
また東京電力、広瀬直己社長は「誰もが経験した事のない非常事態の中、事故収拾収束を最前線で指揮し粉骨砕身の努力を傾けてくれた。奮闘に心から感謝する、電力マンの誇りだ」と述べた。事故当時の社長であった勝俣恒久前会長、清水正孝元社長も献花した。
我々は、この吉田所長の国命に背いてまで日本を守ろうとした決意と高い放射線量の中、3月11日の夜、死を賭して、放水ラインを作りあげ、そして明くる日、ベント開閉を実行した福島フィフティーの行動を我々が強く受け止め多くの日本人に知らしめ、且つ後世の日本人にも記憶してもらう為にここに「吉田昌郎氏と福島フィフティーを検証顕彰する会」を設立する。
2013年9月1日
1.追悼文作成
2.吉田昌郎記念賞
3.教科書掲載
4.国民栄誉賞の授与
5.「国命に背き北半球を救った男」テレビドラマの作成
6.「国命に背き北半球を救った男」映画製作
スケジュール |
2014年 |
2015年 |
2016年 |
2017年 |
追悼文集作成 |
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5月 |
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吉田昌郎記念賞 |
10月 |
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教科書掲載 |
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4月 |
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国民栄誉賞授与 |
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5月 |
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テレビドラマ作成 |
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7月 |
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映画制作 |
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11月 |
予算 |
内訳 |
合計(単位:円) |
追悼文作成 |
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3,000,000 |
吉田昌郎記念賞 |
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1,000,000 |
教科書掲載 |
道徳、副読本 掲載 |
1,500,000 |
国民栄誉賞授与 |
800,000 |
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テレビドラマ作成 |
2時間ドラマ 10回 |
(未定) |
映画制作 |
3時間映画 |
6,000,000,000 |
以下略、」原案1参照