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蓮本健次
第一章・ユギオ戦争
(主人公孝一は三歳) 1950年6月25日に朝鮮鮮戦争か始まった。北朝鮮の攻撃
にソウル市民は一気に南に逃れた。退役軍人の李虎範一家も、自家用車で向かった。ハン
ドルを握るのは虎範で手席には義弟の韓収益、後席には妻の韓順愛と息子の孝一か乗っ
ていた。途中で米軍憲兵の検問に合い虎範は軍役に復帰する。残された一家は清陽という
田舎町で農家に大金を払って面倒を見てもらう。その家には十二歳の息子と四歳の娘がい
た。義弟の収益は町で徴兵される。清陽に韓国軍の中隊か来たので順愛は夫の消息を確認
すると釜山にいることかわかり、孝一を農家に預けて出発した。冬になっても順愛から連
絡はない。ある日、農家の兄か孝一を連れて山に向かった。行き先は孤児院たった。孤児
院では母を恋う孝一に仕置きを行った。それからは母を待つ毎日たった。かなりの時間が
過ぎたとき軍服を着た母か迎えに来た。母と一緒に、軍の車に乗って釜山に行き、久しぶ
りに李家の生活となった。一年ほどで父の転属で論山に移動する。妹の善と弟の亨竜が生
まれた。戦争が終結し父か軍を退いて韓国軍相手の商売を始めた。軍隊を相手の商売は全
然リスクはないやることなすこと順調に回転してゆく。母も普通の主婦業となった。
第二章・母親の逝去
一九五八年十一月一日、母の順愛が産祷で急逝する。父親虎範は全て協力してくれて
いた妻の死に強いショックを受けた。孝一は土葬される母の棺にすがりついて出てこない。
葬儀か終わり、家に帰った父はこらえていた涙を榜佗と流した。年が明けてからも父の放心
状態は続いた。一月に信頼していた運転手の金由男が会社の資産すべてを現金化し逃亡。
事業は機能しなくなり債権者か集まって資産を抑えた。ある朝、孝一が目を覚ますと父親
がいなくなっていた。一人きりで、妹と弟の面倒を見なくてはならない。こんな時頼れる
のはいつも礼拝に行くカトリック教会の司祭しかいない。父親かいなくなったことを告げ
る。毎朝食事の面倒を見てくれる代わりに早朝礼拝の手伝いをすることになる。近所の豆
腐屋でオカラを貰い、朝のミサの時に焼くパンの型抜きをした残りで夕食にして何とか食
べ物を得ることはてきた。父が経営していた森林伐採業で薪拾いをやらせて貰い、屠殺場
て涙を流しながら手伝いをやってお金を稼いた。久しぶりに学校に行った孝一は、級友に
いしめられ家に帰った。弟の亨竜か空腹を訴えてつきまとった。弟を突き飛ばしたら門柱
に顔をぶつけて激しく出血した。偶然その夜父か帰ってきた。この家を出てかって部下だ
った李副長の住む全谷に行くというのである。
第三章・地中の銃弾
一九五九年二月。列車でソウルに行き、ソウルで二泊して全谷に着いた。行き先は軍時代
の父の部下李中佐のところである。中佐か軍用車で駅まで迎えに来てくれた。その夜は兄
弟でぐっすり眠りミサの習慣で朝五時亨竜とソリに目覚めた孝一は居間で父と中佐の話す
声 を聞いてしまう。父は仕事を興すためソウルに行きすくに子供たちを迎えに来ると言
って全谷をたってしまった。孝一は国民学校への編入手続きをしないで、父の迎えを待つ
ことにした。漠江の源流である漢難江は凍りつき、亨竜とソリで遊ぶ絶好のリンクとなっ
た。川のほとりに米軍の戦車隊かあった。そこの兵隊と仲良くなり、昼食をごちそうにな
り英会話の基礎を覚えた。仲良しの米兵が帰米し、二人の昼食か出来なくなった。キムチ
の壷を焼いている老人と知り合い、昼食を食へさせてもらうことを条件に仕事をすること
になった。ところが老人か急死し仕事と昼食はなくなった。老人の葬儀の時、目の前で薪
を背負った集団が通った。飛び出した孝一は薪拾いの仕事をやらせてもらうこととなった。
ある日、一番後ろを歩いていた孝一は風にあおられて転倒し頭をぶつけて気を失ってしま
った。薪拾いの集団はそのことに気づかず、朝になったら彼を探そうと思っていた。早朝
気かついた孝一は、近くに金色に光る物体を見つける。これは機関銃の弾たった。これを
その足で古物商に持って行くと意外な高値かつけられた。すべてを回収して孝一は裕福に
なったのだ。この事案で、いろんな商売のこつのようなものか身についた。
第四章・公園の読書
妹より父からの手紙か李家に届いたことを知った孝一は李家の妻女からその手紙を見せて
貰い、父の住所たけを記憶して機関銃の弾を売った金を全部渡し、無賃乗をしてソウルの
父親の住所を訪れた。やっと見つけた父の事務所には客かいたが、かまわず入っていった。
父は驚いたが、食事に連れて行ってくれた。父は全谷に戻れと言うが、孝一は同居を求め
た。結局、朝の食事が済んだらソウル市営の図書館から本を借りて公園のヘンチてむさぼ
り読んだりしていた。父からもらう昼食代は出来るだけ節約し、何かの時に備えた。デパ
ートの中にある三本立ての映画をみて時間をつぶして夕方、事務所に帰ると、全谷のおば
さんが来ていた。いろんな話の後、こちらの体制が整ったら預かってもらっている善と享
竜を迎えに行くこととなる。父か突然、新しい母親に会ってくれと言う。中華料理店でそ
の女性と会う。曽永淑という名前の女性は孝一に嫌悪感を抱かせなかった。彼女か勤務す
る電話交換所の休憩室で読書させて貰い、彼女の同僚にも可愛かられた。八月になって孝
一か全谷に二人の様子を見に行くことになった。父は旅費を工面しようとしたか、これを
断り、二人への土産を買って有害貨物車で無賃乗車し全谷に着いた。中佐に父の再婚を報
告、一泊して貨物列車でソウルに帰った。
第五章・享竜の恐怖
家族五人で住む家を探したか、条件が合わなくて見つからず、月日か経過した。結局、善
は曽おばさんのところに住み、男兄弟は父の資金主の白家に世話になる。白家には国民学
校の一年生と年子の弟がいた。二人とも大きな体をしていた。こうして二人の居候生活か
始まった。食事は家族と一緒だが、ほとんと会話はなかった。学校に行きたくなった孝一
は日曜日に父親のところに相談に行った。白家から父の事務所まで二時間はかかる。結局、
住所の登録ができないため学校には行けなくなった。曽おばさんも来て、父か二人の子供に
お金をあげてないことを責める。おばさんから五百ウォンをもらって白家に歩いて帰った。
部屋に戻ったら中から肉を打つ音と竜の泣き声が聞こえる。慌てて扉を開くと二人の兄弟
か竜を殴っているところたった。孝一か来たことで二人の兄弟は竜から離れた。孝一か怒らな
かったので二人のいしめは激しくなった。そのうちに道具を使うようにエスカレートした。
角材を持ち出して竜の腹を殴り肩を狙って振り下ろしたとき、孝一がかばって身を投げ出した。
角材は額に当たり激しく血か流れ出した。孝一は兄をつかんで平手で張り飛ばした。
弟か母親を連れてきた。孝一はこれまでのいきさつを話して、白家を出て父の事務所に
行った。父に先ほどの出来事を話して今晩から事務所に寝ることにした。
第六章・天幕の恐怖
事務所に住むことは出来ない。二人を預かってくれるところか見つかった。北の祖父が土
地を貸し小作人たった朴長老の一家である。家族全員か働いている勤勉な家庭だと聞き期
待した。父は仕事が残っていると言うことで行けず兄弟二人で地図を頼りにようやく麻浦
に着いたか、朴家か見つからない。近所の人に知らされたのは、河川敷にあるテント張り
の小屋たった。訪ねたら留守で夕方まで時間をつぶし訪問した。朴家は長老教の熱心な信
者で、今日も六千五百ウォンという大金を寄進してきたという。家族構成は主人夫妻と四
人の息子である。一番下の息子相亜は知恵遅れで仕事にでていない。世話になる二人はテ
ントの横にある葦小屋で暮らすことになった。
朴家の青年たちは土木工事や建築現場で肉体労働に従事、身を粉にして働き、父親は現場
の清掃、片付けなど、もっぱら体を使う作業で日銭を稼ぎ出していた。普通ならば大人四
人が働けばそれなりの生活が出来るが、収入の九割を教団に納めるのでは、食べるのにも
事欠くような状況になる。このテント小屋は違法の居住であり、風呂はもちろんトイレも
ないのが現状である。小用は物陰で済ますが大は十数分歩いて、教会のトイレを使わせて
もらわなければならない。それと食事がひどかった。栄養も何もないスープに、ヒエのご
飯がおもなもので、働き手は現場で食べる弁当が最高の栄養である。二人の寝場所は、知
恵遅れの末弟と一緒に葦小屋で風が吹き込んでくる寒いベッドだった。ある夜、知恵遅れ
の末弟が寝小便をして、二人のズボンを凍らせた。栄養不足と睡眠不足で二人の健康は損
ねられ、亨竜の視力に異常が発生し起き上がれなくなる。このままでは二人の命に問題が
出ると判断した孝一は、やっと歩いて事務所に向かった。ソウル駅の近くにある電話局の
玄関階段で気力が尽き果てた。ここで助けられ、父親が飛んできた。今、亨竜が麻浦で倒
れていることを話す。父はタクシーを使って弟を連れてきた。それから、三ヶ月ぶりに風
呂に入れて貰い、ようやく人心地がついた。
第七章・砂上の漢字
父親が、釜山の友人の兄のところで預かってもらうことに決めてきた。そこは運送屋をや
っていて、父の家族とは親戚同様のつきあいだったらしい。善は曽おばさんと一緒でソウ
ルに残り、男兄弟は釜山に出発する。汽車に乗っている間、初めて父の若い頃の話を聞い
た。高校を出て日本の大学に留学し、卒業した。日本の関東軍に採用され、司令官付の武
官として満州で終戦を迎えた。司令官は満州に残ったけど、家族を無事に国境を越えて安
全な場所に連れて行くことが使命となった。
体の弱い司令官夫人と三人の幼子を連れ、必死の思いで妻の順愛の助けを借り、北朝鮮に
入国できた。そして、ソウルにきて司令官の家族と一緒に生活した。司令官は一九四六年
暮れにソウルに来て、一九四八年に日本に引揚げたとのことである。こんな話を聞きいつ
の間に釜山に着いた。釜山の駅には崔義烈おじさんと娘の栄蘭お姉さんが迎えに来てい
た。栄蘭お姉さんからはとてもいい匂いがしてきた。崔家ではおばさんやおばあさんがと
ても優しく迎えてくれた。これまでの三回とは違い精神的に落ち着けたのである。
庭にある車庫でリンゴ箱に車を付けたベビーカーを作った。難しいところはトラックの整
備をやっているおじさんが手伝ってくれ、スプレーガンで青く塗り上げられた。亨竜を乗
せて街を走った。魚市場に働いている人たちとはすぐに仲良くなった。崔家で栄養のある
食事をしたので孝一の体力は回復した。孝一の知識欲に答えたのは高校二年生の次女、香蘭
である。崔家のおばあさんは、敬虔なカトリック信者だった。孝一は毎朝、おばあさんの
手を引いて礼拝に参加した。四月の半ばを過ぎた頃、おばあさんが紙に包んだものを手渡
した。亨竜の誕生日がもうすぐだからプレゼントを買ってやれという。市場の人たちから
誕生祝いの菓子を貰いそれで満足して帰ってきた。ある日、庭に書籍が落ちているのを見
つけた。学年が変わっていらなくなったものである。それは漢字の学習本だった。もう一
つ興味を持ったのは英語の教科書である。
漢字は、影島大橋の下の砂浜である。ここで砂に漢字を書き間違えると書き直し、覚えて
いった。亨竜も興味を持って意味もわからず書き順などを覚えた。手紙で夏休みには迎え
に来てほしいことを父親に伝えたら、遅くとも八月には迎えに行くと電話で返事が来た。
八月一七日父親が迎えに来た。家族は崔家の人たちに感謝しつつ京釜線の乗客となった。
第八章・自立の一歩
ソウルに着き父は昌信洞の家に案内した。生け垣かあり庭付きの大きな家である。この家
は曽おばさんの田舎の家を売って借りている家だそうだ。おばあさんか亡くなって売った
お金でここを借りたという。曽には前の夫の子供がいた。その鼠一子か言った。何かと言え
ば善を召使い扱いにし、孝一たちを居候扱いにした。そこで子供三人で自立する決心をし
た。父の会社でバイトをしている大学生か自分のアパートに空き部屋があると教えてくれ
た。場所は金湖洞で崩れそうな古い家である。
おばあさんか家主で、たた同然の家賃たけて借りることか出来た。手洗いと台所は共同てれ
んたんのコンロか置いてあり火が残っていれば使わしてくれた。父親から生活費をもらっ
たが、最低額だった。二学期が始まって亨竜の処置に困り、学校に連れて行った。亨竜は、
お利口に孝一の授業終了を待っていた。教師かそれを見て教室に入れてくれた。その日教
師が家庭訪間をしてくれ、子供三人が健気に生きていることに感激し帰っていった。
孝一は、六年の授業を独学でほとんど終えていて、皆との間に実力の差かついていた。級
友に孫寅河という生徒かいて、孝一のことを好きになった。彼の家は建築業を営んでいて
裕福な生活を送っていた。毎日、弁当を三つ用意してきて孝一兄弟にくれた。春になって
中学校の受験シーズンとなり、世話になったお礼に彼の受験勉強の手伝いをした。孝一は
特待生で授業料か免除される京成商業中学を受験した。当然のことく合格した。寅河君も
レベルの高い東北中学に合格した。孝一は中学入学を機に新聞配達を始めた。百三十軒ほ
との家に二時間ほどかけて配る。それても新聞配達の収入では、食へてゆけなかった。そ
のうちに授業料の滞納で中学を退学させられた。映画の招待券の換金、アイスクリームの
販売なドいろんな仕事で稼いた。
第九章・拾った財布
年か明けて配達する新聞社を変えた。配達所の地下に仮眠室かあって、そこを兄弟が寝起
きしてもいいことになったからである。幸いなことに善か補給所長宅に住み込みのお手伝
いて採用された。中学を退学した孝一は街に出て仕事を探すが見つからない。疲れ果てて
補給所に戻ってくると学校時代の友人寅河が待っていた。父親に頼んで探偵を雇って貰い
やっと見つけたという。将来アメリカに行って勉強したいのだそうだ。英語を教えてほし
いという。早速翌日に来て、父親も了解したという。しかも、父の下請けて水道工事屋を
やっているところで女性か結婚するために退職したのでそこを就職先と紹介するとのこと
だった。工事屋は朝九時から五時までか勤務時間であり、火曜日と金曜日の週二回、寅河
の家庭教師をすることになった。三ヵ所からの収入で、豊かとはいえないか安定してきた。
ある朝、いつものように新聞を配達してそろそろ終わりに近くなった頃、孝一の眼に黒い
塊か飛び込んできた。財布だった。それを持って配達を終え、自分の部屋で調へた。かな
りの紙幣の束だ。銀行小切手か入っていた。
身分証明書と名刺かあった。中東中学が発行した身分証明書である。名刺の肩書きは教頭
となっていた。昼間の勤務を終えた孝一は、まっすぐ教頭先生の自宅に向かった。先生は
在宅していて、とても喜んでくれ、孝一の状態を聞き、夜間部の編入試験を受験するよう
勧めてくれた。そして受験、見事合格した。
第十章・反日の抗議
一九六三年四月、孝一は三年になった。新学年になって隣席に来たのか鄭養湖君である。
彼は麻浦の漢江沿いにある大きなうなぎ屋の御曹司だ。小児麻庫で言語と右手に軽い障害
かあった。悪カキたちが勉強を助けてもらっている孝一と親切につきあっている養潮にい
しめをするものはいなくなった。その感謝の意味を持って、週に二回は家に孝一と亨竜を
招待してくれ、豪華な夕食を支度してくれた。粗食の二人にとって大変な栄養補給だった。
高校に進学する春休み、一に几六四年に、韓国にとって大きな出来事か起こった。韓日国交
止常化会談が開かれたが、この内容が屈辱として全国的に抗議デモか展開された。孝}は
このデモには無関係で父親の事務所に生活費の交渉に行った。夜、曽おばさんの家で会う
という。結局、経済的な援助はもらえず、新聞社までハスに乗って帰った。ハスを降りた
ところでテモに遭遇し、機動隊員に攻撃を受け気を失ってしまう。学生に助けられ病院に
行くか治療はしてもらえない。学生に抱えられて新聞社まで行き上半身を門扉の上に出し
てもらう。ようやく配達員が見つけてくれ地下室に戻った。怪我をしてから二〇日だって
も、改良しなかった。
第十一章・大統領官邸
新聞配達員の仕事を失った孝一は、補給所の部屋で居心地の悪い日たった。数日たって亨
竜か居ないことに気づく。所長の一存で、孤児院に連れて行かれたのだ。弟が居なくなり
壁に手をついたら少しは歩けるようになって孝一はここを出る決心をした。歩行がおぼつ
かない状態では、ハスに乗って行かなければならない。ハス停まですごい苦労して行き、
ようやく曽おばさんの家に着いた。父の部屋で倒れ込むように眠る。翌朝、日か覚めて父
と話をした。二〇日も前に、怪我していたことに驚いた。父が漢方の医者を呼んでくれて
診察を受けた。触診でどんとん治りかけているといわれた。これで自信を取り戻した孝一
は父の事務所で寝泊まりし、何か働こうとするか失敗する。突然、受験の時世話になった
金先輩から電話か入り、司法試験に合格して新聞配達をやめるというのだ。彼か持ってい
た中央官庁や大統領公邸のテリトリーを孝一に譲るという。所長も同意しているというの
た。普通の三倍の部数を配達し、集金の苦労もないこのテリトリーは皆のあこがれのまと
でうらやましがられたのである。
第十二章・青天の霹靂
落ち着いた毎日を送っているとき、いじめにあった亨竜が一人の友人と共に孤児院から脱
走してきた。二人の行方に関して市役所の福祉課に相談したところ友人は、仁川の孤児院
に引き取られ。亨竜は孝一の落ち着いた状態から同居と通学か認められた。部屋は麻浦の
うなぎ屋の母屋にある空き部屋を貸して貰い善も呼びよせた。麻浦のうなき屋から朝鮮日
報社まで五キロばかりの道のりである。ここでもうなき屋の養湖君からの助けが出た。当
時は貴重品だった自転車を使わせてもらった。
春になって孝一は高校二年生になり、通勤用の自転車とリヤカーを購入した。韓日協定が
正式に調印された六月末、配達を終えて補給所に入っていったと き、三人の男か待ち構
えていた。個父親の所在を訊かれる。三人は父親の事務所に孝一を連れて行き、痛めつけて
居所を聞き出そうとするか、孝一は一年近く会っていないのでそのように主張した。三人
は商売の取引上の関係であり、父が商品の代金を払わないで逃げたものと判明した。その
後も暴力団関係者に痛めつけられた漢圧の河川敷で、父か現れた。今、軍隊時代の部下に
かくまって貰い、不渡り小切手の半年の時効を待って責任をとるつもりだという。下宿に
着いたとき、電信柱の影で待ち伏せしているのに気がついた。その後は父の居所を追求す
るものも影をひそめた。それか時効の二日前に東大門警察署の前を歩いていた父が逮捕さ
れたのである。父は刑事上の責任をとったら考え方を変えて商売をやるというのだ。父に
懲役一〇ヶ月の判決かおり刑務所に収監された。一九六五年十一月末のことたった。父の
ことは孝一の生活に何の影響も与えなかった。ホノトトノグの販売を始め、成功する。孝一
の周りに学友か集まってきて 学生生活を有意義に過ごそうとしていた。ところかある日、
孝一の身の上にとても想像が出来ない通達か来たのだ、
第十三章・日本人宣告
日本大使館の藤崎という係官が孝一は橋本孝一という日本人だという。とても信じられな
い言葉だった。二日後に、両親が韓国を訪れるというのだ。渡韓してきた橋本夫妻に会う
が実の親だという思いは湧かなかった。刑務所に父に会いにゆくが、肝心の話を聞く前に
孝一の心配ばかりすることで結論を得ることが出来なかった。正月が過ぎ高校卒業が近づ
いた。亨竜の世話が出来なくなることは明らかである 大使館を通じソウル市役所の福祉
課にソウル市内の孤児院に収容してもらうよう手配した。亨竜に日本な大学に行くことに
なると伝え、了解した弟と蚕室という場所にある孤児院に行き収容してもらった。亨竜の
世話から離れた孝一は日本大使館に出入りし通訳から日本語を習い挨拶くらいは出来るよ
うになった。大使館で水本香織という母子家庭の高校二年、十六歳の女性と知り合う。彼
女は母親とは日本語で会話をしており、達者だった。大使館で会うたびに香織から日本語
の会話を習った。二人きりのときはハングルの使用を禁止された。しかし、孝一の日本に
帰る日がいつ決まるかわからない。水元家の帰国が決まった。三月の初旬に高校の卒業式
が行われた。門を出るまでブラスバンド部がペサメームーチョで送ってくれた。
第一四章・父親の告白孝一の帰国はまだ決まらない。日本語学校の手伝いをしたり、高家の
息子に日本語を教えたりした。運動神経の良さを生かして、中央日報がスポンサーのボクシ
ングジムで、スパーリングパートナーをやった。慣れてくると素人の孝一でもパンチを出せ
ば当たるような気がしてきた。それでも、まだ自分が日本人だという実感がわかない。
出かけようとしていると、朝鮮日報集配所の事務員が、孝一の父が出所して、夕方、訪ねて
くることを知らせてくれた。今日出所するとは思ってなかったので慌てた。父はここに孝一
が居るとしか知らないのだ。父は現れると無言で孝一を抱きしめた。軍隊時代の部下が大川で、
国土建設という土木工事の会社をやっていてこれから大きくするために父の力がいるという。
父はそこの専務取締役として招かれたとのことだ。今度の事件で負った負債も立て替えてく
れる。ここで、孝一は自分の日本人だという立場を話した。父の目がうつろになり焦点が
合わなくなった。店を変え父の行きつけの店で、床に正座し、善と亨竜の世話をしてくれ
たことに対して頭を下げた。パスポートがまだ発行されないので日本に帰るのは決まって
いないことを告げる。
第一五章・別離と帰国
一九六七年一月にパスポートが交付された。大使館で受け取り、父と待ち合わせてそれを
見せた。父は妻の栄淑とも話し合い、妻の息子も二人とうまくやってゆくと約束した。大
川に移る家族をホームの影から見送ったがうまくいきそうだった。列車が出発したとき窓
越しに善と視線を交わしたような気がした。
ベトナム戦争が激しくなり、軍人として戦場に行く仲間が増えた。孝一の帰国に問題が発
生した。外国人登録違反などで出国ができないという。ペンフレンドの山田明子から、韓
国の国民体育大会に、在日の野球チームが参加するので世話をしてほしい、という便りが
来た。こちらで完璧に面倒を見てあげ、感謝された。チームの団長、金氏は自分の友人が
日本からパイプを輸入している会社を紹介してくれた。作業着を着て現場で働き、そこの
仕事で成功し、かなりの利益を上げた。それのマージンで孝一にも相当の収入があった。
父が仕事場にしている大川に行って、周囲に大事にされているのを確認し、銀行で発行し
た二百万ウォンの小切手を渡した。出入国管理局でこのまま決まらないと遺書を書いて漢
江に飛び込み死んでしまうと言った。すぐに帰国の認可が下りて、日本に帰れることにな
ったのである。