私の体感的教育論 町田宗鳳     ワードはこちら→

         
       
 目      次

   まえがき   

 1 教育は壮大な実験である 未来に希望を感じられない日本人/知育にかたよった日本の教育/体を動かす喜びを教える/教育改革の第一歩としての徳育/教育は実験の連続である

2 現場の先生たちに充電の時間を与えてほしい 休暇中は出勤を求めるべきではない/人間を磨く時間が必要/教師の留学に奨学金を出すべき/マジメであることがいいのか/やがて問われる現場の判断力

 3 自然農法に学ぶ人間信頼 「無肥料、無農薬」で強く育つ作物/自然農法から教育が学ぶこと/建前の道徳論は害ある農薬にすぎない/教育における太陽と水と土とは

 4 宗教教育は不可能か 不足がないことが、最大の不足である/敬虔感情を育て/宗教的無関心の国だからこそ

 5 本当にボランティア活動を制度化してはいけないのか  「死を待つ人の家」で/隣人に手を差し伸べる/ボランティアのきっかけを作る/自らもボランティア活動を

 6 ディベートをカリキュラムに取り入れよう もはや受身では済まされない/沈黙を好む日本の文化/ディベートによって育まれるも/大演説をぶつ欧米、中東の人々/日本文化をどこまで語りえるか

 7 ナビゲーション付きの教育をしていないか 迷うことの大切さ/ハプニングのない教育は死んだ教育である/受け身の秀才は要らない/マニュアルを捨てて教壇に立つ

 8 ベーシク・トラストを喪失した現代人 「ベーシク・トラスト」とは何か/もはや学校も安心できる場所ではなくなった/真の〈ゆとり〉教育とは何か

 9 誰に何を投資するのか  儲かる投資法、教えます/誰に投資しているのか/できの悪い生徒を大切にする教育/日本国民は付和雷同性を克服できるか

 10 学校で恋の手ほどきをしよう  性教育以前になすべきことがある/いつまで倒錯した性文化に騙され続けるのか/真の意味で男女共同参画を/恋の手ほどき

 11 腹の底から大きな声を出す 気になる日本人の声の小ささ/なぜ声が小さいといけないのか/「声を大にして」発言しないことの危険/健康増進と長寿につながる「大きな声」/声は「生き方」にも関わってくる/どのように声を鍛えるべきか

 12 先生と親の人生体験を豊かに  人は人から最も多くを学ぶ/光るものを見せられる先生に/親は子どもの鉄砲柱/学生を褒めるアメリカの教授

 13 学校を変えよう  父兄の力を学校に取り込む/学校を拠点に地域のきずなを回復/学校にも資本主義的な考えを/校長は経営手腕を振るえ

 14 いじめのない学校づくり  いじめはなくならない/一人ひとりが砂粒のような社会/学校でもっと子どもを遊ばせる/集団の中で育つ子ども

 15 考える力をどうやってつけるか   文章の問題を文章で答えさせる/体で考える力を/体験を通して教える/

 16 生徒のプレゼンテーション力を高める

   学生のプレゼンはスライド4枚で/アウトプットが最大のインプット/コミュニケーションの回路を開く/子どもたちに道草をさせる

 17 国語力はすべての学科の基本  自分のほれ込んだ作品で教える/灘中の名物国語教師/国語で宗教教育もできる/

 18 小学校での英語教育は是か非か  生きた英語を教える/英語教育も国語教育の一つ/留学生が小学校で昔話を語る

 19 歴史をどう教えればいいか   現代史を知らない日本の若者/現代からさかのぼる歴史教育を

 20 物語は人が生きる力  自分の物語を持つ/子どもを本好きにさせるには

 21 いのちの教育をしよう 身近な人の死を体験させる/もう少しワイルドな教育を/戦争体験を語る

 22 子どもを自立させるには パーティーで社会性を磨くアメリカの学生/子どもがすねるのは親がすねているから/耐える力をつける/携帯電話は持たせないほうがいい

 23 家庭で何を教えればいいか  いのちの感覚の回復を/一神教的な日本人の宗教感情/下座行で人は変われる

 24 教えることは、たった一つしかない  子どもを信じるということ/何を教えるべきか/今を楽しむ

 25 対談 一燈園教育に学ぶ 相大二郎・町田宗鳳  瞑想で一日が始まる/自然に適う教育/祈りと汗と学習/生活に根ざした教育/「行餘学文」/いのちに気づく/根と幹を育てる/日本の精神文化を輸出しよう/情報感性を養う

   あと

~~~~~~~~~ 本 文 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

1 教育は壮大な実験である

 未来に希望を感じられない日本人

 屋根のある学校に行ける。印刷された教科書が与えられる。教養ある先生に教わることができる。これらのごく基本的な事実が実現しているだけでも、素晴らしいことである。世界各地に暮らす無数の子どもたちが、教育の機会を一切剥奪されている非情な事実を思えば、日本の学校教育にさまざまな不備があったとしても、それを糾弾することばかりに躍起になるのは、まちがっている。

 まずは明治以来、この国に実施されてきた近代教育の成果を素直に認めたい。でなければ、何世紀にもわたって封建制度に押し込められていた日本という国が、狭い国土と乏しい天然資源というハンディを背負いながら、ここまで世界の地政図の中で重要な位置を占めるに至り得なかったのは、明らかである。

 明治維新そのものが国家の命運をかけた壮大な実験であったが、その後に始まった学校制度もまた、成功の保証なき教育的実験であった。結果、一部のインテリのみならず、国民全般の知的水準は格段に高まることになった。日本社会における生活の利便性や安全性も、国民的な教育水準の高さがもたらした文明的賜物という見方もできるのである。

 むしろ、そのような恵まれた生活環境に暮らしながら、国民の多くが日本文化を誇りに思えず、自国の行く末に明るいものを感じることができないでいるという事実にこそ、日本の教育基盤に、深刻で重大な問題が潜んでいることを物語っているのかもしれない。

 私自身は、今までアメリカ、シンガポール、日本の三カ国の大学教育に携わってきた経歴があるものの、初等中等教育の現場経験をもたない。そういう人間が教育論をぶつことに何か後ろめたいものを感じないわけではないが、長い海外生活を経た後で、日本の教育の飛躍を願う気持ちには偽らざるものがあり、未熟ながらも愚見を述べさせて頂く所存である。

 

 知育にかたよった日本の教育

 さて、私が日本の学校教育にいちばん感じるのは、教育に知育、体育、徳育の三面があるとすれば、そのいずれも不徹底のままに終わっていることである。いわゆる受験をめざした詰め込み教育で、十分すぎるほどの知育ができているのではないか、という反論があるかもしれない。

 しかし、それは断片的な知識を暗記させているだけであって、新しい知識を獲得することの喜びを若者に与えているわけではない。教室での指導は、生徒に知的好奇心を掻き立てるための導入口にしか過ぎない。若者は何かに強い興味を抱けば、ほうっておいてもそれを探求し始める。

 私は米国のプリンストン大学で八年間、教鞭を取っていたが、つねにハーバードとトップを競うこの大学に入ってくる超エリート学生を教えていて、彼らの知識は日本の平均的な高校三年生のそれに劣るのではないかと、しばしば思うことがあった。ましてや、有名進学校の高校生ともなれば、非常な難関に臨むことになるわけだから、膨大な量の知識を吸収しており、アメリカのアイビーリーグの学生と競っても、知識のボリュームにおいて決して遜色がないだろう。

 しかし、である。その彼らが、ひとたび大学に入ると、伸びない。それが、名門といわれるいくつかの大学で教えてきた私の実感である。何らかの問いかけに対して、自分の意見と、それを論理的に表現する能力を持ち合わせる学生も少ない。そのような受身の態度は、熾烈な受験戦争による燃え尽き症候群だと言われるが、知識の正しい吸収の仕方を身につけてさえいれば、その知的好奇心は継続されるはずである。

 反対に知識が不足していると思われたアメリカの学生たちは、進級するにつれて、どんどんと伸びていく。なぜかといえば、彼らは研究テーマの設定の仕方と、その追求の仕方を身に付けているからである。日本の大学とは異なって、図書館は深夜まで開放されているので、何時間でも資料を捜し求め、読み漁る。その追求心こそが、学問なのである。あらゆるジャンルの知識を断片的に記憶することは、残念ながら学問と呼び得ない。

 

 体を動かす喜びを教える

 では、体育のほうはどうか。ごく一般論ではあるが、日本ではスポーツが得意な学生は、勉強が苦手であり、その逆もまた真なりということになっている。私も運動好きなほうであるが、学校の体育授業を心から楽しんだという思い出はあまりない。性格的に集団行動を嫌う私は、体育の先生から号令をかけられるのが、苦痛だったのである。

 体育とは、軍隊式の集団行動を教えることではない。ましてや、体力測定の数値やスポーツの記録を競わせることでもない。他者と比較して、プレーが上手かどうか、足が速いかどうか、などを体育の目的と思ってはならない。

 体育とは、ただただ体を動かすことの喜びを若者に教えることだ。その動かす手段として、さまざまな形式を選択すればよいだけである。近代スポーツや日本的武道だけでなく、太極拳、フリーダンス、和太鼓のようなものを学ぶ機会を与えれば、どうだろうか。思春期には鬱屈した感情を持ちがちであるが、その感情表現を言葉ではなく、肉体を通じてしたほうが、無理なくできるように思われる。つまり、理想的な体育は、最高の道徳教育でもある。

 体を動かすことの喜びを真に味わえば、進学しようが、就職しようが、その若者は生涯、運動することを楽しみ、健康を維持していくだろう。現代日本は、不活発な若者で溢れている。幼い顔をしたまま大人びてタバコをふかす若者や、早朝からパチンコ屋の前で列をなす若者に、筆者は亡国の危機を感じてしまうほどである。山に登っても出会うのは、圧倒的多数が中高年の人たちである。若者は繁華街から離れようとしないか、自分の部屋に閉じこもる。これらの現象は明らかに日本の教育に、何か重要なものが欠如していることを示唆している。

 米国の大学生には、文武両道の者が多い。恐ろしく秀才であると同時に、バスケットや水泳のエースであったりもする。そのうちにオリンピック・メダリストの中から、ノーベル賞受賞者が出るだろうと私は予言しているのだが、それほど知的活動と肉体の生命力は、切っても切れない関係にある。

 米国の体育授業では、各スポーツの「型」よりも、まずエンジョイすることを生徒に教える。ひとたびエンジョイすることをすれば、その若者は少しでもうまくなろうと、自分で技術を習得していく。日本の体育では、そのスポーツの技術にこだわりすぎ、エンジョイさせないから、後が続かないのである。

 

 教育改革の第一歩としての徳育

 最後に、徳育について考えてみよう。いうまでもなく、これはすでに、ほぼ死語となっている。教育現場に、封建的かつ宗教的な要素を持ち込むことが許されず、朱子学に思想的基盤を置いていた徳川幕藩体制以来の「徳」の概念など、とうてい子どもたちに説けるものではないと考えられている。

 しかし、「徳」という言葉のニュアンスから封建主義と宗教的要素を差し引いて、それを「人間性」と置き換えてみたらどうだろう。学力や体力の促進には、それなりの努力を払いながら、人間力の育成はほとんど顧みないというのは、大いに問題である。日本が成熟した近代国家として成長していくためには、知育と体育の陰に押しやられていた徳育に、もう一度光を当て、少しでも深く豊かな人間性を備えた若者を育んでいかなくてはならない。目先の利益ばかりを追い求めるような人間で埋め尽くされるようになれば、日本はやがて衰亡の歴史をたどらざるを得ないだろう。

 いや、道徳の時間は設けてあると言われるかもしれないが、それはほとんど機能していないのが、実態ではなかろうか。もしほんとうに、それが効果を上げているのなら、弱者への暴力事件や援助交際という社会現象は起きないはずである。道徳は、教室で学ぶものではない。

 若者の人間性を深めるには、どうすればよいのか、といった工夫が、もっとなされても良いのではなかろうか。徳育の方法論については、その分野がほとんど手つかずに放置されてきたので、白紙状態といえる。だからこそ、やりがいのある仕事ではなかろうか。若者の人間性を深めるには、まずそれを教える側の人間性の深まりがなされていなくてはならないが、教条主義的な指導では、何の成果も上がらないことは言うまでもない。文部科学省や教育委員会がトップダウン式に指導要領を押し付けるのではなく、もっと現場で直接子どもたちに触れている教師の意見を尊重することが、教育改革の第一歩となる。

 

 教育は実験の連続である

 しかし何事にせよ、新しい試みには、マニュアルがないわけだから、それなりのリスクが付随している。そして、管理責任を問われないようにするため、そのリスクを極力避けようとする傾向が、日本の組織には強すぎるように思われる。そのような職場環境では、画期的な意見をもつ人ほど、黙りこまざるを得なくなる。そして結局、看板だけすげ替えて改革実現とし、実質的内容は現状維持のまま、物事は進んでいく。そこに組織の停滞が発生する。

 私はつねづね教育は、絶え間ない実験の連続であるべきだと考えている。時代の風潮、文化の形態が刻々と変化していく中で、最も鋭い感受性をもつ若者の教育方法が、十年二十年前と同じであってよいはずがない。教育効果を改善するための新しい教授法を実験的に試みることもなく、既存の形式に満足してしまっている学校は、死に体に等しい。活力のある教育は、生き物のように新陳代謝していなくてはならない。

 実験というからには、当然のことながら失敗もあり得る。むしろ、失敗のほうが多いのかもしれない。しかし失敗を恐れて、何もしないことこそが、すでに教育の失敗ではなかろうか。その失敗の犠牲者は、いうまでもなく子どもたちである。結果が思わしくなく、失敗とみなされた実験的教育も、教師が一丸となって、情熱をもって取り組まれたものなら、その情熱は確実に子どもたちに伝わっているはずであり、そこにすでに一つの成果があがっていることになる。

 そして、新しい教授法を実験的に試みることは、単に進学率の向上を目的としたものであってはならない。教育的実験とは、まさにそのような既成の価値観を基盤とした教育方針に挑みかかることを意味するのである。極論すれば、「わが校では生徒たち全員が、すぐさま真剣に取り組むべき人生の課題を見つけたので、一人も大学進学を希望する者がおりません」と誇らかに宣言する高校があってもよいわけだ。大学進学率で学校の評価をするのは、時代遅れの発想のように思えてならない。

 教育的実験の一例として、秋田県の国際教養大学の紹介をしておきたい。そこでは、四年間の授業をすべて英語でこなし、そのうち一年間の留学を義務づけるという画期的なカリキュラムが組まれている。周囲にコンビニすらない田舎の小さな大学に、全国から若者が集まって勉学に勤しんでいる光景は感動的である。東北の冬は長いが、首都圏にある有名私立大学に合格しても、こちらを選択する学生が少なくないらしいから驚きである。

 この大学を始めたのは、秋田県の全面的応援を受けた中嶋嶺雄学長であるが、この大学を設立する時点では、それが成功するかどうかの保証は、どこにもなかったはずである。それなりの緻密な準備があってこその実験だと思うが、それが徐々に実績を上げつつあるわけだ。国際教養大学における教育的実験の結果を判定するには、もう少し時間がかかりそうだが、日本の大学改革に鏑矢(かぶらや)を放ったことは、高く評価されるべきだろう。

 極東アジアの情勢を考えれば、英語だけでなく、中国語や韓国語を教育言語とする高校や大学が登場してきてもよいように思われる。それは単に国際貿易のために即戦力をもつバイリンガル人材の育成のためというわけでなく、外国語を徹底的に習得することによって、若い頭脳集団が日本人独特の閉鎖的な思考回路を打ち破り、この国に新しい文明の形をもたらしてくれる契機となる可能性が大だからである。

 新たな教育機関を作るというのとは、まったく異なったレベルで、現場の先生たちも、さまざまな教育的実験を試みるべきではないか。そのような、ある程度のリスクを伴った試みを許さないような職場環境なら、そこに留まる意味がどれほどあろうか。多情多感な魂を相手に格闘せざるを得ない現場教師の姿勢は、つねに実験的かつ挑戦的であらなくてはならない。そのような勇気ある先生が一人でも多く出現してくることこそが、教育改革への実質的貢献であり、ひいてはこの国の未来に明るい希望の光を投げかけることになると信じている。

 

2 現場の先生たちに充電の時間を与えてほしい

 休暇中は出勤を求めるべきではない

 前章で「教育はすべからく実験的であるべきだ」という意見を述べたが、そのような実験的教育を試みるには、現場の先生たちに、それなりのガッツと見識が必要となる。新しい教育の在り方について、なんら具体的なイメージが湧いてこない人たちに、実験的教育をしてほしいというのは、無謀な話である。

 私の著書の一つに『「野性」の哲学』(ちくま新書)というのがあるのだが、全国模試や主要な大学入試の現代国語問題に頻繁に引用されている。入試体制を批判するような内容の本が、毎年のように入試問題に使われる皮肉な状況に、自分でもいささか驚いているのだが、その中で私は次のような文章を書いている。

 

 グローバル社会に生きていかなくてはならない若い世代に、日本の未来を託そうと思うなら、従来の管理教育はすみやかに廃止しなくてはいけない。もちろんそのことによって、学校側の格差が広がるだろうが、より魅力のある教育を創造していくためには、現場の教師が少しでもやる気を起こし、彼らが〈野性〉的思考力を働かせやすい環境を提供することが不可欠となる。そのような動きにブレーキをかけ、前世紀的な権威主義を維持しようとするなら、文部科学省や教育委員会は一日も早く解体されるべきだろう。

 

 ところが一般論としていえば、学校の先生というのは、大学で教職課程をとって、他の学生よりもマジメに勉強して、卒業後、競争率の高い教員試験に合格し、運よく教壇に立つことになった人たちだから、〈野性〉的思考力を持ち合わせていない。

 着任して後は、日々の校務をこなすのに精一杯の状況に置かれている。教室の外でも、部活の指導や地域貢献の仕事などに追われ、ほとんど休む暇もなく勤勉に働くうちに、ますます〈野性〉的思考力から遠ざかっていく。

 つまり、一個の人間としても教師としても、充電の機会がほとんど与えられていないわけだ。せっかくの夏休みや冬休みも、何やかやと出勤が義務づけられていると聞いている。いったい誰がどのような理由で、そのようなルールを先生たちに押し付けることになったのか、不可解でならない。

 他の業種の人間が少なくとも週五日間四十時間働いているのに、教師だけを特別扱いするわけにはいかないというのは、まったくの屁理屈であって、かつては聖職とも呼ばれた教師という仕事の特殊性を考慮したものではない。

 

 人間を磨く時間が必要

 教育というのは、技術ではない。教授法というのは日進月歩なので、それを習得する努力は必要には違いないが、いちばん大きな教育要素となるのは、教壇に立つ人間の資質そのものである。われわれの学校時代を思い出してみても印象に残っているのは、どこか人間臭さを漂わせながら、正面から生徒のことを見つめてくれていた個性的な先生たちである。

 となれば、まじめに勉強することによって取得した教員免状だけでは、教師たる資格があるわけではない。とくに若い先生たちには、学校に就職した後も引き続き、知的に、そして人間的に成長してもらわなければいけない。そのためには、学校の休暇中を最大限に利用して、自己充電をしてもらうべきではないだろうか。その間は、なるべく校務から離れてもらって、各教師が個人的に一番やりたいことに充実した時間を費やすのが望ましい。

 一人の人間として、人生をエンジョイすることを知らない退屈な人間が教壇に立つことほど、感受性豊かな子どもたちに有害なことはない。いつもイキイキとして、生きることの喜びが全身からにじみ出ているような先生こそが、教室でオーラを放つのである。

 マジメな先生ほど、授業の準備や進路指導、さらに山積する校務で神経をすり減らすことになる。挙句の果ては、不登校になる先生も少なくないと聞く。オーラどころの話ではない。

 だからこそ、休み中は十分な英気を養ってもらわなくてはならないのだ。読書に耽るのもいいし、なんらかの研究テーマを徹底追求してみるのもいい。あるいは、アウトドア・スポーツで体を鍛える人もいるだろう。来るべき新学期に、リフレッシュされた心と体で臨めるよう休暇を最大限に活用することが眼目であり、その中味は個人の判断に任せればよい。

 大学教育は少し事情が異なるが、私が国立シンガポール大学で教えていたとき、なんと毎学期一科目のみが担当ノルマであった。二時間の講義を週に一度行い、あとは学生を少人数のグループに分けて、ディスカッションをするだけでよかった。

 そのぶん、担当した講義とディスカッションの内容は充実させなくてはならない。その結果は、毎学期末に行われる学生の授業評価で如実に表れてくる。それを学内のイントラネット上でやらないことには、期末試験が受けられないことになっているので、必ず履修した全学生から評価を下されることになる。

 あまり低い評価が続くと、三年目にやってくる任期が更新されなくなり、高い評価が続くと学部長から表彰され、大幅な昇給が行われる。このへんは、中国人社会特有のプラグマティズムがあるわけだが、こうなれば、さすがに各教員は自分の授業に手抜きが許されないばかりか、プラスアルファの創意工夫をすることになる。

 おかげでシンガポール大学に奉職中は、時間がふんだんにあったので、ほぼ毎月のように東南アジアの国々を旅したが、それが原動力になって、私は三年足らずの間に六冊の本を書いてしまった。それがまた、研究者として高い評価を受けることになったので、まるで遊びながら昇給してもらったようなものである。

 

 教師の留学に奨学金を出すべき

 大学とは事情が異なっても、初等中等教育の先生たちにも、ぜひ豊かな時間を与えてほしいというのが、私の切なる願いである。もし長期休暇を利用して、海外ボランティアに出かけたいという先生がおられたなら、そのことによって教師としての見聞も人生体験も深まるのだから、地元教育委員会なり学校なりが、気前よく補助金を出してもいいのではなかろうか。

 あるいは、留学をして専門分野における修士号などの学位を取得したいと考えている先生たちには、二年なり三年の期限を設けて、奨学金を出すべきだ。それによって、日本の教育水準が高まることになるのだから、決して無駄な投資ではない。

 また日本と海外の教育事情の違いを学ぶには、研究員などという肩書きでお茶を濁さず、学生として留学するにかぎる。へたすれば落第するかもしれないという緊張感の中で学んでこそ、身につくものがある。それは高卒という肩書きのまま、三十四歳で大学院に留学し、円形脱毛症にまでなって苦学した私の言い分である。

 私がアメリカの大学で教えていたとき、日本の省庁からキャリア組のエリートたちが、次々とやってきた。テクノクラートとして日本の行政を牽引していく人たちだから、彼らの国際感覚を養うために、そういう機会が与えられることに異議を唱えるものではない。

 しかし一年の研修期間中に、実質的な成果を上げる人は少ない。たいていは語学的なハンディがあるため、地元学生に混じって受講するということもなく、ここぞとばかりに同伴家族と観光旅行をして回ることになる。

 そのようなエリート官僚に多額の手当てを与え、ぶらぶらと一年遊ばせる予算があるなら、現場の先生に一人でも多く留学の機会を与えてほしいというのが、私の意見である。このごろは、一年間の履修で修士号を出す大学も少なくないのだから、滞在中に必ず学位を取るぐらいの意気込みで留学すべきだろう。

 人を指導する立場にある者は、できるだけ多くの「場を踏む」ことが大切だ。何十年も、まじめに学校に通勤しているだけでは、人間性を深めたり、人生観を豊かにすることはできない。

 アメリカのビジネス・スクールでは、大学卒業後、企業での職務経験をもつことを入学条件にあげているところが多いが、それと同じように、日本の学校でも実社会でサラリーマンや商売を経験した人物を優先的に採用すべきではないだろうか。そのほうが教師として、はるかに合理的で、豊かな発想力をもつことになるからだ。大学という職場でも、若いときからアカデミックな世界しか知らない教員にかぎって、権威主義的で、柔軟な思考力を欠いていることが多い。

 また国際会議に出て発言したり、NPO(非営利団体)やNGO(非政府組織)の国際的活動に積極的に関わるような先生も、どんどん登場してほしい。自分が「井の中の蛙」みたいな生活をしていて、生徒に「国際人になれ」と発破をかけるのは、おかしいし、説得力を持たない。

 

 マジメであることがいいのか

 逆説的な言い方をするので、決して誤解してほしくないのだが、私は「マジメな先生が、マジメな教科書を大マジメに教える教育は、子どもたちにとって最悪の教育である」という教育的信念をもっている。

 そのような窒息するようなマジメさに、十年以上も晒され続けた若い魂にどのような影響が起きるか、想像しただけでもゾッとする。そのようなマジメな先生たちこそが、子どもたちが持っている天然の想像力や発想力を奪い取ってしまうのである。そして、その自覚すら持てないほど、そういう先生たちはマジメなのである。そういうのを「病、膏肓に入る」というのだろう。

 本質的な教育改革を実現するには、まるで目玉焼きをひっくり返すような発想の転換が必要である。そのためには、自分たちが良かれと思って、一生懸命やっていることが、かえって悪影響をもたらしていることもあるのだ、という一歩引き下がった見方が不可欠である。

 

 やがて問われる現場の判断力

 ところで、OECD(経済協力開発機構)が二〇〇三年に四十カ国で、義務教育の修了段階にある十五歳の生徒を対象に実施した国際学習到達度調査で、フィンランドの子どもたちが、読解力と科学的リテラシー(活用能力)がトップだった。以来、人口約五百二十万人の北欧の国の教育のあり方に注目が集まり、各国から視察が相次いでいるらしい。

 前の教育大臣はフィンランドの天然資源は何かと問われたとき、「木と頭」と答えたという。昔からの林業に加えて、質の高い教育によって国際競争力のある人材を育てているという自負から出た発言だろう。日本の文部科学大臣が同じことを聞かれれば、なんと答えるのだろう。「いや、天然資源は乏しいのですが、引きこもりと不登校と家庭内暴力なら、国中に溢れています」と言わざるを得ないかもしれない。

 フィンランド教育が優れた成果をあげている原因として、いくつかのことが指摘されているが、成績によって十一歳の時点で進路が二つに分かれる能力別の初等中等教育を廃止して、だれもが九年間同じ環境で学ぶ総合制へと一九七〇年代に切り替えたことが大きいらしい。

 幼いうちに能力を選別せずに、才能を発揮する機会を公平に与えるのが、その目的であったという。人間にも植物のように、早咲きも遅咲きもあるわけだし、往々にして遅咲きが大物になったりすることがあるから、確かにあまり早い時期に篩にかけるのは考えものである。

 しかし一番大きな改革は、フィンランド教育省がカリキュラム作成の権限などを自治体に移譲し、さらに自治体が現場の先生たちに大幅な自由を与えたことだ。学校のことは教育省よりも自治体、教室のことは自治体よりも先生がよくわかっているのだから、それは賢明な判断であったといえる。

 教科書の選択や授業の進行についてまで、役人があれこれ口出しすると、現場の人間のやる気がうせるに決まっている。もちろん、フィンランドといえども理想の教育などでなく、それなりの弱点や不備もあるに違いないが、現場の先生たちの意思を尊重するという点においては、ぜひ日本の文科省の人たちに、フィンランド詣をしてもらいたい気がする。

 相当、閉塞感の強い日本の教育も早晩、フィンランドと同様な方向に向かわざるを得ないと思うが、先生たちもそれを単純に喜んでいるわけにはいかない。なぜなら、与えられた自由を活かすだけの展望と判断力が教師の側に求められることになるからだ。

 そのときあわてふためかないように、今からスタートを切っておかなくてはならない。だからこそ、私は現場の先生たちに知性と感性と身体性を磨く時間を十分に与えなくてはいけないと、強く主張する次第なのである。ぜひ次の学校休みには、できるだけ勤務校から遠く離れた場所で、心ゆくまでバケーションを楽しんでもらいたいものだ。たとえ、校長や教頭先生に睨まれようとも。

 

3 自然農法に学ぶ人間信頼

「無肥料、無農薬」で強く育つ作物

 私の知人である長澤和広さんご夫妻とその息子さんは、秋田県大潟村にある八郎潟の干拓地で、二十年以上も徹底した自然農法を実践しておられる。自然農法というのは、堆肥などで作物を育てる有機農法のことではなく、完全な「無肥料、無農薬」による作物の栽培法のことである。

 長澤家の広大な農地に案内してもらったときには、収穫前の稲穂が黄金色に輝いて、たわわに実っていた。長澤さんが手がけておられるのは、おもに稲作であるが、小規模に野菜も栽培しておられる。何を育てるにせよ、「無肥料、無農薬」という方針に妥協はない。

 農地を見せて頂いた後、ご自宅に招いてもらい、奥様にお昼を振舞って頂いたのだが、ご飯はもちろんのこと、一つひとつの食材の美味なこと、筆舌に尽くしがたいものがあった。「枝豆豆腐には、お醤油も塩もかけないで召し上がってください」と言われたので、その通りしてみると、枝豆の味と香りがそのまま保たれた絶品であった。野菜の天麩羅や煮物にしても、一つひとつの野菜に濃厚な味が備わっている。サラダも然り。本物の水菜やレタスの味がしている。スーパーで買い求めてきた野菜では、こうはいかない。

 単に美味なだけではない。健康促進にも大変良いようだ。若いときは病気がちだった長澤さんも、この農法で採れた作物を常食するようになってから、まったく病気知らずになったそうである。成人病の急増や若者の情緒不安定が深刻な状況を呈している現代社会において、われわれは日々に口にする食料の内容に、もっと真剣な眼差しを向けるべきだろう。

 お食事を頂いていたとき、ふと裏庭に色とりどりの花が咲いているのが目に止まったので、あれも「無肥料、無農薬」でしょうかと尋ねてみると、確かにそうだという。心なしか、ふつうの花よりも色あざやかに見えた。

 長澤さんによれば、年々歳々、土壌の質は向上し、収穫高が上がっているそうである。農地に鋤きこむのは、収穫後のワラと、そこに生えた雑草を枯らしたもの以外、何もないそうである。夏でも野菜に水をやることもほとんどなく、唯一の農作業は除草だけだという。しかも、害虫や病気で作物が被害に遭うことも、ほとんどないというから、ただただ驚きである。

 とはいっても、この広大な八郎潟干拓地では従来の農法で稲作をしている農家も多いはずだから、よその農地から害虫が飛んできたり、病気が感染してくることもあるはずである。そのような素朴な疑問が湧いてきたので確かめてみると、確かに隣接する農地との境界線付近では、虫にやられたり、病気が移ることもあるそうだ。

 しかし、しばらく放置すれば、害虫は天敵に食い尽くされ、病気は自然治癒するそうである。農薬の混ざっていない土地には天敵となる幾種類もの生物が集まり、一夜にして、害虫が消えてなくなるという奇跡めいたことも起こるそうだ。それに、自然農法の稲には強い抵抗力があるので、短期間感染しても、病気を撥ね返してしまうそうである。人間も、かくありたいものだ。

 私も禅寺で修行時代、菜園を長く担当していたので、作物を育てることの難しさを嫌ほど知っている。だから、長澤さんの話をまるで驚天動地の発見でもあるかのように、固唾を呑んで聞いた。自給自足の禅道場では野菜の不作が許されないので、いつも京都大学の馬術部まで行って、馬糞を譲ってもらい、トラックで寺まで運んだ記憶がある。それを汗水垂らして、畝に鋤きこんでいくのである。悪臭を放つ人糞とも格闘しながら、掘り起こした畝に注ぎこんだ。しかし、あの苦労は、すべて徒労だったのである。

 肥料にも農薬にも、まったくお金をかけずに、作物がスクスクと育つなら、こんなありがたいことはない。とはいえ、長澤さんの成功は、一朝一夕に実現したわけではない。この農法を始めたとき、すでに干拓地の土壌は決して健全な状態ではなく、三年ぐらいは、まともに作物が育たなかったという。たとえば、稲も立ち枯れ状態になったり、根から腐るような病気にかかったりすることがあったらしい。

 それでも諦めずに自然農法を実践しているうちに、土壌が改善され、作物も抵抗力を増し、今日のような着実な収穫が期待できるようになったのである。この農法で決め手となるのは、その土地で育った種子を使うことらしいから、毎年、種を採取しているうちに、ますます逞しい作物へと変容を遂げていくことになる。

 そうすれば、いわゆる連作も問題がなくなり、同じ土地で同じ作物を何年育てても、プラスにこそなれ、マイナスにはならないそうである。このような自然農法が普及すれば、人間の健康促進に貢献するだけでなく、地球環境の保護に大いに役立つだろう。となれば、まさに二十一世紀における農業革命であり、かつての産業革命に匹敵するものと言っても過言ではない。

 

 自然農法から教育が学ぶこと

 さて、このような自然農法から、われわれは何を学び得るのか。ひとつは、われわれがさまざまな思い込み、囚われの中で、日々の生活をしているのではないか、ということである。それが絶対不可欠と思っていることでも、ほんとうは不要であり、むしろ、ないほうが良いのかもしれない。

 卑近な例だが、多忙な私は昼食を抜くことがよくある。以前は三食欠かさず食べないといけないと思い込んでいたのだが、一食抜くことによって、かえって体が軽くなった。それも、小さな思い込みからの解放である。

 ここで自然農法的な教育の可能性について考えてみたいのだが、教育にとっての「肥料」とは何であろうか。幾通りもの解釈の仕方があるだろうが、ひとつは教科書である。われわれはできるだけ栄養素の高い教科書を子どもたちに与え、それによって彼らの知識をなるべく豊かなものにしようとしている。

 高度な知識を詰め込んだ教科書よりも、〈ゆとり〉のある教科書のほうが良いとか、戦争の歴史を自虐的に記述した教科書よりも、日本国家の尊厳を重んじた教科書のほうが良いとか、侃々諤々の議論があるわけだが、いずれの教科書も一切不要であるという見解は、寡聞にして今のところ聞かない。

 断片的知識を網羅する教科書ではなく、人類の精神遺産となっている古典や、内容の深い一般書をじっくりと読ませたりすることによって、若者の知識を磨いたほうが良いのかもしれない。記憶するための情報としてではなく、魂の糧としての知識は、現在の教科書からは吸収することが難しい。

 教科書でも無用の「肥料」となれば、何種類もの参考書を読ませることなど、生徒のアタマを栄養過多状態にして、情報の肥満児を作るようなものである。そういう傾向を改めるために、教室での学習量を減らし、子どもたちにテーマを与えてから、それに基づいてフィールドワークをさせる時間を増やすことも考えられる。

 大切なことは、知識を無秩序に与えることではなく、生徒の思考力を鍛えることである。それは自然農法において、肥料がなくとも逞しく育っていく稲の生育力に相当する。そのためには、子どもたちに自主的に考えさせ、判断させる機会を少しでも増やさなくてはならない。

 そもそも〈ゆとり〉教育とは、生徒の思考力増強を目論んだはずのものであったが、学力の低下ばかりが目について、期待されたほどの成果があがっていないようだ。

 

 建前の道徳論は害ある農薬にすぎない

 では、「農薬」に相当するものは、何であろうか。子どもたちが反社会的な人間にならないようにと施される道徳教育が、それかもしれない。あれをしてはいけない、これをしてはいけない、という道徳教育によって、子どもが真っ当な人間になると思い込んでいるフシがある。

 しかし現実には、子どもたちという稲が、さまざまな心の病気に冒されていることは、論を俟またない。本来は無邪気で明るいはずの子どもたちが、不登校、引きこもり、家庭内暴力、イジメ、多動障害、万引き等々の問題ある行動を見せている。そんな深刻な問題ではなくとも、公共の場で傍若無人に振舞う若者を見ていると、基本的な躾さえ受けていないことが痛感される。

 ときどき少年による凶悪犯罪が起きると、その子の性格や家族の異常性を糾弾するような報道が続くが、病気の稲一本が見つかれば、他にも多数の稲が病んでいるはずである。潜在的には、同じ問題を抱えている子どもたちは、無数にいるに違いない。

 にもかかわらず、病気にかかった稲一本をあたかも「害虫」でもあるかのように血祭りにあげて、何の意味があるのだろう。改善すべきは、社会という水田の状態である。稲が病むのは、水と土が病んでいるからにほかならない。

 そして、それらの問題に対して、大人の側はほとんどお手上げ状態なのであるが、厳しい道徳教育という強い農薬を施せば、改善することができるかもしれないという期待すら抱いている向きもある。

 しかし、それはまったくの思い違いではなかろうか。権威主義的な道徳律を押しつけるのではなく、子どもたちが本来備えている生命力や生命感覚というものを伸ばしてこそ、彼らの行動はおのずからバランスの取れたものへと回復していくように思われる。

 箇条書きの道徳論ほど、無意味なものはない。ましてや、それを痩せた人生を生きてきた大人が、もっともらしく語れば、さらに道徳をつまらないものにしてしまうだろう。若者の頭脳は、本能的に建前を拒絶するように仕組まれていることを忘れてはならない。むしろ、親や教師が自分たちの失敗談を苦々しく語ったほうが、はるかに説得力のある道徳教育になる。

 さらに厳密に教育における「農薬」の意味を探っていけば、親自身の実際の生き方から遊離したところから、子どもの成長に介入しようとする言動と行動のすべてが、それに相当することになる。自分の生き様とかけ離れた言葉を子どもに投げかければ、投げかけるほど、若い魂は無意識にその虚偽性に反発する。「もっと勉強しなさい」と言うにせよ、「マジメに働きなさい」と言うにせよ、親がそのように行動していなければ、それは毒性の強い「農薬」となる。

 親が怠け者なら、子どもにも怠け者であることの楽しさを語り、親が愚か者なら、愚か者であることの極意を自信に満ち満ちて語るのが、真の教育なのである。少しでも建前を語れば、「農薬」をばら撒くことになる。

 私事に及んで恐縮だが、私は愚息の二人に幼いときから、「もっと外に出て遊びなさい」という言葉を執拗に繰り返したものの、一度たりとも「勉強しなさい」と言った記憶はない。それは私自身が、日々に健康であることの重要性を痛感しているからだ。知的鍛錬は、成長してからでもできるが、肉体的鍛錬はできるだけ早くからしておかなくてはならない。

 現在、アイビーリーグの大学でそれぞれ生物学や建築学を学んでいる息子たちが、とかく奇行の多い父親を尊敬してくれているとは思わないが、個性豊かな若者に育ってくれたことに、私は感謝している。私の貢献があるとすれば、愚かな私が「いいお父さん」を演じなかったことぐらいであろう。

 

 教育における太陽と水と土とは

 肥料も農薬も施さない田畑でスクスクと作物を育てるのは、太陽と水と土の力である。教育にも、もっと骨太の教育があっても良いのではないか。

 太陽は、親や教師の愛情である。何らかの事情で肉親のいない境遇であっても、周囲の大人が偽りのない愛情を降り注げば、大丈夫だ。それがなければ、どのような芽も育たない。

 土は、社会環境である。退廃的な社会では、いくら教育に力を注いでも、若者の魂は有害物質をスポンジのように吸い取ってしまう。日本国民が日本という国を愛することができない風潮が漂っているが、これはまずい。戦争体験によって、愛国主義という言葉が汚されてしまったが、自分たちの住む国土を愛せないのは、人間にとって大きな不幸である。

 水は、知識である。田に流れ込む水が汚染されておれば、たちまち稲は病む。われわれは、正しい知識を供給しているだろうか。毎日テレビや雑誌から大量に流れ込む知識の低劣さのことを考えれば、状況は相当深刻である。

 そのように考えれば、自然農法的な教育は、教師一個人、あるいは特定の学校だけで実践できるものではない。日本という国全体が、そのような教育を志向するようにならなければならない。そんなことは、到底あり得ないと思ってしまえば、それまでだが、どこかで農業革命ならぬ教育革命のようなことが起きないかぎり、日本の未来は決して明るいものとはならないだろう。教育の世界においても、勇気ある革命の士を求めたい。

 

4 宗教教育は不可能か

 

 不足がないことが、最大の不足である

 戦後教育の大きな特徴の一つは、きれいさっぱりと宗教と縁を切ったことである。民主主義の定着には、宗教教育は支障となると判断した占領軍の政策に拠るところが大きいが、それにしては民主主義の旗頭を標榜するアメリカという国に強い宗教臭が漂っているのは、皮肉なことだ。

 日本でも宗教組織が母体となっている私立学校では、その宗教の教義を教えることも可能なはずだが、最近はそれも決して熱心には行われていないようだ。一般学生の不評を買いたくないからだろう。ましてや公教育の場となれば、憲法上の制約もあるので、宗教教育はご法度となっている。

 それは正しいことだと思うが、かといって教育の中からまったく宗教的な要素を抹消してしまっていいものか、私は大いに疑問に感じている。別に神仏について語らずとも、万物に感謝する心、人に親切にする心、他人の幸せを願う心などの大切さは、教えられるはずである。人間として、そのような利他の精神を培うことこそが、教育の本来の姿だと思うのだが、いつのまにやら知識や技術を供給することだけが、教育の定義になってしまっている。

 もっとも、利他的な徳目を教条主義的に教室に持ち込んでも、あまり意味がない。むしろ、そのように他者を思う心を抱くことの楽しさを実際に味わうことが優先されるべきだ。そのような状況をなるべく自然な形で作っていくには、どうすれば良いのだろうか。それを創意工夫するのが、プロの教師の腕の見せどころというものである。

 実験的教育論者を自認する私なら、どうするか。さしずめ週に一度、「ガマンの日」を設けるかもしれない。たとえば、全員昼食抜きの日を作る。弁当も給食も禁止。昼休みには、水でも飲んで過ごしてもらう。育ち盛りの子どもたちに、そんな無茶なことはさせられないと言われるかもしれないが、それでは世界で少なくとも数百万人の子どもたちが今日も一食もありつけないでいる事実をどうするのか。その人たちのことを思いながら、ガマンするのである。毎日、食事を与えられていることの有り難さを身に沁みて理解するためには、ひもじさを体験するのが一番である。

 だいたい現代っ子の問題は、栄養不足ではなく、栄養過多であることだ。アメリカ政府は、肥満を国家的危機の一つとして認めているが、日本もファーストフードに馴染んだ子どもが増えれば、やがてアメリカの轍を踏むだろう。だから、一回昼食抜きにしただけでも、健康になる子が出てくるかもしれない。私もときどき三日断食や一日断食をするが、そのほうが、かえって体の調子がいい。

 エアコンを使わない日があってもよい。暑さ寒さをひたすらガマンするのである。夏は汗をかいて済むかもしれないが、冬の寒い日に風邪を引かせたらどうするのか。父兄がいっぺんに苦情を申し出てくるに決まっているという懸念がある。たぶん、そうだろう。今は子どもたちよりも、親の教育が必要な時代だから、学校の先生もたまったものではない。

 しかし風邪を引くのは、あくまで本人に抵抗力がないからであって、教師の責任ではない。本人が一日ぐらい暖房がなくても風邪を引かないような体に鍛えるより仕方ない。暖房が切れた日には、乾布摩擦でもすればよい。決して暴言を吐いているわけではなく、私自身が虚弱体質だったにもかかわらず、自分で禅寺に入って体を鍛えた人間だから、そう言えるのである。そもそも風邪を引くのも、悪くない。野口整体を創めた野口晴哉氏は、『風邪の効用』という本まで著して、人間は風邪をひくたびに健康体になっていくと主張したぐらいである。

 生活の快適さを知るのは、その快適さを失ったときである。時々は暑さ寒さぐらいガマンすることがなければ、人間は馬鹿になる。現代日本社会の弱点は、不足がないことである。モノが満ち溢れているから、国民は生活への満足感も感謝の心も、持てなくなっている。不足がないことが、最大の不足なのである。

 文房具を持たないで登校する「ガマンの日」があってもいい。ノートや鉛筆がないまま、学校に通っている子どもが途上国には無数にいる。彼らと同じ環境を体験してみるのである。日本では、先生が黒板に書いたことをノートに写すことを勉強だと思っている子がいるから、それをできなくするだけで、記憶力、思考力、発言力に改善が見られるかもしれない。

 日本人は書かれた文字に依存しすぎている傾向があるが、耳で学ぶことも大切なのである。私が中年になって米国に留学し、初めてハーバード大学の教室に納まったとき、教授たちが全然、板書というものをしないことに戸惑った覚えがある。日本人が外国語の習得が苦手なのも、書いた文字を覚えようとするからである。

 ひたすら温室的環境を子どもたちに提供することが愛情だという思い込みがある現代日本で「ガマンの日」を実行するには、そうとう勇気がいることだが、その理念を明確にして、教師と父兄と子どもたちの相互理解の上でなら、不可能ではない。ついでに、その「ガマンの日」には、不要な衣類や文房具を持ち寄って、途上国で貧困に苦しむ人たちに送ることにすれば、一石二鳥の教育的効果がある。

 要するに「ガマンの日」とは、仏教でいう「少欲知足」を具体的に体験する方法の一つにしか過ぎない。仏教には「少欲知足」という教えがあるから、それを尊重しよう、もっと仏教を信じようと言えば、公教育の偏向になる。しかし全校的に「ガマンの日」を設けて、ガマンを知らない子どもにガマンすることの大切さを体験させれば、宗教という言葉を一言も語らなくても、「少欲知足」を実践したことになる。現代の宗教教育は、そういうものであらなくてはならない。

 

 敬虔感情を育てる

 宗教とは、自分よりも遥かに大きな存在に敬虔な感情を抱くことである。現代文明の傲慢は、人間が人間を見ることしかしなくなったことに起因している。目線がいつも横にだけ動いて、眼球を上下に動かすことを忘れてしまっている。

 若年層によるネット自殺や凶悪犯罪のニュースを聞くたびに、何に対しても敬虔感情を抱くことのできない世代の悲哀を感じてしまう。彼らに、人間よりも遥かに大きな存在に厳粛なものを感じる経験が一度でもあれば、果たして自分や他者の生命をあやめるような行為に走ることがあっただろうか。

 太陽や月を眺めて、あるいは海や山を望んで、何かしら体がワクワク、ゾクゾクするような感覚を味わうことが、教育の出発点である。そのような機会を子どもたちに与えるには、まず教師自身がそのような「ワクワク、ゾクゾク」体験を日ごろから重ねている必要がある。自分に感動体験がないのに、他者にそれを求めるのは無理な話である。だから私は以前にも書いたように、学校の先生たちに、もっと遊び心をもってほしいのである。

 じつは今、私は外務省の委託事業でブラジルに講演旅行に出かけ、その帰りの飛行機の中で、この原稿を書いている。講演の後、少し時間的余裕ができたので、世界一のイグアスの滝まで自費で出かけたのだが、滝に巨大な円形の虹がかかっていた。世にも不思議な光景である。自然の美しい風景をうっとりと眺めることの楽しさを、われわれ親や教師は子どもたちに教えてきただろうか。何も世界的な観光地に行かなくても、自分たちの周囲にも感動の風景は、いくらでも転がっている。自分たちが駆け足で生きているからといって、その意味のない駆け足に子どもたちまで道連れにしてしまうのは、大きな罪である。

 人間がどれだけ足掻いたところで、自然の偉大には及びもしない。そのような非力を自覚した上での文明の進展である。幼少のおりから、自然の美に感動する機会も与えずに、やたらと知識を詰め込もうとするのは、親や教師の身勝手である。知識が大切なことは言うまでもないが、知識というのは、豊かな情操という土台の上に置かれるべきものだ。でなければ、知識は人間の心を冒すゴミとなる。少しキツイ言い方をすれば、心を置き去りにしたまま与えられる学校教育の知識の大半は、産業廃棄物に近い。

 情操教育といえば、今度は子どもたちにピアノやバレエを教えることと早合点する親がいるかもしれないが、私に言わせれば、真の情操教育とは、金のかからないものである。自然の中で泥んこになったり、木に登ったりするのに、どれほどの投資が必要だろうか。先月号で自然農法的な教育について語ったが、子どもが幼いうちは、極力、人為的な要素を持ち込まないほうがいい。文字通り太陽と水と土があれば、子どもは育つのである。親や教師の責任は、そのような環境を提供するだけである。

 汚染されていない太陽の光と水の清明と土の温もりを感じさせることが、しっかりとできていれば、その子の未来は明るい。俗に「夏の間、十分に潮風に当たっておけば、風邪を引かない」と言ったりするが、同じことが人生についても言えるだろう。

 神社やお寺に出かけて、賽銭をあげ、願掛けすることが宗教ではない。宗教とは、宇宙の中できわめて微弱な存在である私たちが許されて生きているという単純な事実に、眼を向けることである。その事実を語るのに、何ら宗教的教義を持ち込む必要はなく、天文学や生物学のボキャブラリーで十分である。私が公教育の場でも宗教教育は可能であるというのは、そのためだ。

 

 宗教的無関心の国だからこそ

 日本は、世界でも冠たる宗教的無関心の国である。私は大学で宗教学の講義を開いているが、毎学期の冒頭に「あなたは、どのような信仰を持っていますか」という質問を投げかけると、「自分は無宗教である」とか、「自分は無神論者である」という答えが次々と返ってくる。たいてい何人かの市民聴講生が混ざっているが、中高年の彼らさえも、同じような回答の仕方をするので、正直いって驚いてしまう。

 日本人の多くは、宗教を誤解している。無宗教であったり、無神論者であったりする人間は、神の存在を否定するのだから、初詣も行かなければ、新車の安全祈祷や、工事の地鎮祭もしない。盆や彼岸の墓参など、もってのほかである。それらを実践しているからには、何らかの宗教感情を持っている証拠である。立小便や不法投棄の防止に、小さな鳥居を立てておけば効果抜群と聞くが、真に無神論者であれば、そんなものは何の意味も持たないはずである。

 ことほどさように宗教に無頓着な国なるがゆえに、かえって宗教教育はやりやすい。これがキリスト教国やイスラム教国であったりすると、そうはいかない。聖書やコーランを離れて、宗教を語るわけにはいかないからだ。日本では絶対視されるような聖典がないから、サイエンスやアニメを使っても、宗教的世界を語り得る。

 だから、公教育の場に宗教を持ち込めないなどと決めつけないほうがいい。むしろ日本だからこそ、他の先進国のどこでも実践されていないような宗教教育が実験できるのではないか。それには、教える側が、宗教への偏見や知識不足を改めておく必要がある。

 全国の学校を管理することが得意な文部官僚に、そのへんの認識が不足しているために、妙な宗教アレルギーが存在しているのは、残念なことだ。文科省あたりで、宗教教育の在り方について勉強会を開いてもらいたい。でないと、ますます日本の教育は、おかしな方向に流れていくだろう。

 たとえば、子どもたちを靖国神社に連れて行って、ここには日本国のために戦争に出かけて行って亡くなった英霊が祀られているのだから、感謝をこめて手を合わせましょう、というのは、やってはならない宗教教育である。

 反対に、戦争中に日本やアジアの国々で起きてしまったことを、できるだけ正確に客観的に教えた上で、戦争の悲惨を語り、その中で命を落としていった何百万人という人間のことを、人種を超えて悼む心を植えつけることは、やるべき宗教教育である。

 国旗の掲揚や国歌の斉唱をめぐって、問題がかなり紛糾しており、教育委員会と教員組合の板ばさみになった管理職の先生たちに自殺者が出る始末である。この国の教育政策の愚かさを象徴するような現象と言わざるを得ない。そのようなことを義務づけるのではなく、国民が自分たちの国や文化のことを誇りに思い、それを愛するようになることが先決である。ますます日本嫌いになる人間が増えつつある風潮の中で、国旗を揚げたり、国歌を斉唱させたりすれば、逆効果が生じるだけである。

 ブラジル日系人の高齢者層は、日の丸を見たり、君が代を斉唱したりすると、思わず目頭が熱くなるそうだが、国を離れて異郷の地で、辛苦を耐えた人たちだからこそのことである。NHKのテレビドラマ『ハルとナツ』とまったく同じ世界を生き抜いてきたという人が少なからずいるブラジルで、日系人たちが故国を思う気持ちには、宗教にも通じる敬虔なものがある。

 だからこそ、欲ボケしてしまった日本で、教育の復活を願うなら、やはり「ガマンの日」があってもよいのではなかろうか、と私は主張したいのである。

 

5 本当にボランティア活動を制度化してはいけないのか

「死を待つ人の家」で

 大学の冬休みを利用して、インドのコルカタ(カルカッタ)にある故マザー・テレサの施設を訪問してきた。目的は、「死を待つ人の家」でボランティアをすることであった。それは、私が十人あまりの学者仲間と四年間にわたって進めてきた生命倫理に関する共同研究を締めくくる最後のフィールドワークでもあった。

 当初はアメリカのスタンフォード大学でワークショップを計画していたのだが、その準備段階で書類を作成しているうちに、なんだか空しく思えてきたのである。学者同士が集まって抽象的議論をするシンポジウムなど、あちこちで開かれている。そんなことよりも、忍び寄る死を前にした人間に直接触れたほうが、よほど生命倫理についての思索を深めることになるのではないか。

 そんなことから急遽、行き先をカリフォルニアからカルカッタへと百八十度転換することにした。いかにも私らしい突飛な行動に、慶應大学病院の医師と東京外国語大学のイスラム教学者が加わることになったが、結果的に短期間の滞在からも学ぶことは多く、私の予感は当たった。

「死を待つ人の家」とは、容態の深刻な男女数十人の路上生活者を見つけては収容し、できるだけのケアを施す施設のことであるが、シスターたちやボランティアたちの介護の甲斐あって、収容された人たちの約半分が一命を取りとめ、そこを去っていくらしい。ベッドに空きができ次第、次の人が担ぎこまれてくる。もちろん、白い布に包まれて、静かに運び去られていく遺体もある。最近の日本では死に触れることがまれになってきたが、そこでは遺体の安置所が食器洗い場のすぐ横にあり、死を間近に感じることができた。

 それにしても、コンクリート床が黒光りする部屋には目を背けたくなるような光景が展開していた。交通事故などで負傷し、その傷口が長期間にわたって放置されていたため化膿し、やがて周囲の筋肉が腐乱していく。そのような状況の人たちが、ところ狭しと横たわっている。

 足全体がまっ黒な脱疽状態になり、そこに蛆虫がわいている人もいれば、腿の肉片が大きくえぐり取られ、危うく骨までがむき出しになりそうな人もいる。戦場にでも行かないかぎり、ここまでひどく痛めつけられた人間の肉体を直接、目にすることはあるまい。

「死を待つ人の家」は医療施設ではないので、本格的な治療はできない。できることは、毎日丹念に蛆虫をピンセットでつまみ出してから、消毒殺菌し、新しい包帯に取り替えることぐらいである。見ただけで卒倒しそうな傷口に向かって、黙々と手当てしているのは、各国から集まったボランティア看護師たちである。日本からやってきた若い看護師も大いに活躍していたが、その尊い姿に思わず手を合わせたくなった。

 この施設で働くことは、あまり安全なことではない。なぜなら、どんな菌に感染しているかわからない患者たちに直接触れるからだ。結核で咳き込む人もいれば、肝炎、腸チフス、マラリア、皮膚病などに冒されている人も多数いる。彼らの糞尿にまみれた衣類を洗濯するだけでも、それなりの危険が伴う。路上で長年、過酷な状況に晒されていたため、精神を病んでいる人もいる。

 現に長期滞在のボランティアの中には、劣悪なコルカタの生活環境の中で、病魔に襲われる人も少なくない。インドの医療施設は悪評高く、病気にかかったからといって、すぐさま病院に向かえばいいわけではない。腸チフスやマラリアにかかっても、ひたすら高熱に耐えて、ホテルの一室でやり過ごすこともあるそうだ。それでもそこに留まり、回復後は再びボランティアを続けるというのだから、恐れ入る。うら若き乙女たちが共同トイレしかない安ホテルに滞在しながら、毎朝、混雑する乗り合いバスに乗って、施設に通うわけである。

 私が感心したのは、世界各国から集まるボランティアたちが、誰に指図されるわけでもなく、それぞれが自主的に役割分担し、黙々と働いていたことである。彼らの国籍、人種、言語、宗教は明らかに異なるが、そんなことが何の問題になるわけではない。ひたすらボランティアという立場で平等に、できることを仲良くやっている。治療ができない者は、患者の食事、入浴、着替えなどを手伝い、それが済めば、洗濯、物干し、食器洗いなどに回る。そのリーダーなきチームプレイは美しい。

 聞けば、マザー・テレサ自身が組織というものを嫌い、世界的に福祉事業が拡大した後も、事務局も銀行口座も設けることをしなかったそうである。個々の人間が神と向かい合い、祈りの心だけで行動していくことを願っていたのだろう。

 

 隣人に手を差し伸べる 

 おおかたの日本人にとって、インドといえば仏蹟巡りであるが、私がかつてブッダガヤにある日本仏教関係の巨大寺院を訪ねたとき、その空しさに心塞ぐ思いをしたことがある。なぜ、あんな無駄なものを建てたのだろうか。それが偉大な宗教事業だとでも、とんでもない勘違いをしたのだろう。

 マザー・テレサは、「貧しき人の中でも最も貧しき人」にイエス・キリストを見出し、彼の「私は渇いた」という声を聞き続け、そこに愛を注ごうとしたのである。相手は、異教徒であり、しかもその多くは不可触民であった。その人たちを抱きかかえ、食事を与え、治療を施した。そこにこそ宗教があるのであって、巨大構造物を建てるところには事業家の野心があっても、宗教の片鱗もない。

 私は宗教史的には、キリスト教に批判的な立場を取る者であるが、ことインドにおける宗教活動に関しては、キリスト教に軍配を上げざるを得ない。本部となっているマザーハウスでは、毎朝六時からミサが催される。開け放たれた窓からはカルカッタの街の喧騒が流れ込んでくるが、そこでひたすら祈りを捧げる百名以上のシスターの姿を見ていると、宗教の原点を突きつけられたような気になってくる。

 コルカタを去る日、私が最後に世話をさせてもらったのは、十代の若者であった。彼は極端にやせ細り、常に青ざめ、ベッドから起き上がることもしなかった。頭上の壁には、「糖尿病」という張り紙が貼られていた。他の患者とは、食事メニューが異なるという注意を呼ぶためのものである。

 長くふせっていると床ずれをするので、ボランティアは時々、患者の体にココナッツ・オイルを塗りながら、マッサージすることがある。私も見よう見まねで、その子の体に触れてみたのだが、驚いたことに、まるで象の皮のように干からびてザラザラとしていた。おそらく親にも捨てられ、長年、路上で暮らしていたのだろう。笑顔というものが完全に消えていた。長く愛というものに触れていないのかもしれない。

 私にできることは、ココナッツ・オイルを皮膚に擦り込むようにしながら、体をさすることだけであったが、私の手が彼の体に触れている間は、どこか安心したようにスヤスヤと眠っていた。この施設では人工透析もインシュリン治療も受けることがないため、遠からず彼の生命も蝋燭の灯が消えるように終わりを迎えるのかもしれない。先進国の富裕層に生まれ落ちておれば、腎臓移植を受けて、健康な肉体を取り戻すこともできたかもしれないが、この子の魂はそのような運命の選択をしなかったらしい。彼が今という一瞬を少しでも安らかに過ごしてくれることを祈るしかなかった。

 そこにあるのは、豊かな国からやってきたボランティアである私が、貧しく病めるインドの少年を介護するというのではなく、私という病める魂が、肉体を病むことによって汚れなき光のありかを指し示してくれている少年の魂に癒されているという事実だけであった。

 誤解のないように言っておけば、人助けを実践するのに、なにもコルカタまで出かける必要はまったくない。あなたの暮らす町にも、象の皮のように感情の潤いを失い、心がザラザラに荒れている人が数限りなくいるにちがいない。ほんの少しばかりの時間を割いて、その人たちに愛情というココナッツ・オイルを優しく擦り込むことは、それほど難しいことではないように思われるのだが、どうだろうか。

 

 ボランティアのきっかけを作る

 さて、日本の教育現場でもボランティア活動を義務づけるべきかどうかという議論があるものの、まだ結論が出ないままになっているようだ。ボランティアを義務づけるという発想自体がおかしいという意見があるからである。

私の個人的意見を述べれば、小学校高学年あたりからでもボランティア活動をカリキュラムとして位置づけるべきだ。なぜなら、国民性として受身になりがちな日本人は、何事も制度化されないと、実行に移さない傾向があるからだ。学校でボランティア体験のきっかけ作りだけを提供しておけば、後は個人の自主的判断に委ねればよいのである。利害関係なく、他者に奉仕することの喜びを知ることは、最高の情操教育であり、道徳教育でもあり得る。

 近年、まったく他者への迷惑を考えることのできない若者や、あまりにも軽々に自分や他人の肉体を傷つける若者が増える一方であるが、そういう社会現象に対して打つ手がないというのが現実だ。だからこそボランティア体験を通じて、人間の悲しみや弱さ、しかもそれでも生き抜こうとする人間の強さに、若者が共感する機会をもつことが、この上なく大切だ。

 もし政府が徴兵制でも実施するとでも言い出したなら、命を賭してでも断固として反対すべきだが、ボランティア活動をカリキュラムや課外活動に取り入れるといっただけで、国家権力の行使のように反対する人たちが出てくるのは理解しがたい。今、教育現場に山積する問題に対して、ほかに実効力のある教育方法があるというのなら別だが、たとえ実験的にでもボランティア活動の義務化を実施してみたらどうだろう。

 アメリカでは上級の学校に進学する際、どのようなボランティアに年間どれだけの時間を費やしたかということが必ず問われる。名門校になればなるほど、そのことは合否決定の重要項目の一つとなる。将来、社会のエリートになるような人間が、社会奉仕の意志を持たなければ、優秀な教育を受けるだけの資質を欠くと考えられるからである。

 私がプリンストン大学で教えていたとき、大多数の学生が何らかのボランティアをしていたが、中には刑務所の囚人に読み書きを教えたり、親に置き去りにされたスラムの子どもたちの遊び相手になったりする学生もいた。戦後日本は、アメリカ文化の歓迎すべからざる面を吸収するのには素早いが、讃えるべき面を取り込むには、まことに不熱心であるといわざるを得ない。

 

 自らもボランティア活動を

 大事なことは、学校が生徒にボランティア活動を義務づけたとしても、まず教師たちが率先して行動することだ。先生が汗水垂らして働く姿ほど、教育的なものはない。教室ではグウタラでも、ボランティアをしているときは、生徒たちが驚くほど輝き始める先生たちも少なからずいるのではなかろうか。それでよいのである。

 グウタラ親父である私は、息子たちにボランティアをしなさいと言ったことは一度もないが、彼らは高校生のときから、ネパールの山村で植林をしたり、新宿のホームレスの人たちに食事を与えるボランティアをしたりしていた。アメリカの大学生になった今も、精神病院のボランティアをしていると聞いている。シンガポールに暮らしていたときは、私が精神障害者の施設に出かけ、妻はどこで学んだのか、老人ホームで足裏マッサージをしていた。足裏をもみながら、現地の高齢者から日本軍の虐待を受けた話をよく聞かされたらしい。日本に戻ってからも、妻はグウタラ亭主の私をほっておいて、またもや老人ホームに通っているから大したものだ。

 昔のようにお寺に通って法話を聞いたり、坐禅をしたりする人たちは、このごろめっきり減ったが、現代社会におけるボランティア活動は、そういう伝統的精神修養に代わり得るものだと思う。ボランティアのような偽善的行為はまっぴら御免という人もいるだろうが、偽善者に成りすましてでも、ボランティアはやってみる価値がある。なぜなら、一時的にでも善人でいるうちは、わがままが言えないからである。

 ところで、子どもたちにボランティア活動を喜んで実践させるのに名案がある。それは一定の時間、ボランティアをした生徒には夏休みの宿題をチャラにすると約束すればよいのである。夏休みこそ子どもたちに大いに羽根を伸ばしてもらわなければいけないのに、ドリルの穴埋めをさせるのはナンセンスである。だから私の提案は一石二鳥だと思うのだが、やっぱりマジメな先生方のお叱りを受けるのだろうか。

 日本が真に国際社会で認められるためには、もはや経済力だけでは通用しない。国民の一人ひとりが、何らかの形で社会貢献をしようという気概をもつことによって、この国の「品格」を高めることが先決となる。そのためにも、学校教育にボランティア活動をしっかりと組み込んでほしい。

 

 6 ディベートをカリキュラムに取り入れよう

 もはや受身では済まされない

 国内外で開かれるいろんな国際会議に出席して感じることは、われわれ日本人が一般的に、十分なコミュニケーション・スキルを持ち合わせていないということだ。外国人参加者の発言が圧倒的に多く、日本人が聞き役に回ることが多い。ときに相手の発言内容に問題ありと感じても、それをあからさまに指摘して、波風を立てたくないものだから、じっと我慢して聞いている。その忍耐力たるや、大したものだと感心すらしてしまうことがある。

 アメリカで貧乏学生だったときも、日銭を稼ぐために通訳のアルバイトをすることがあったが、業種にかかわらず、日本側のコミュニケーション不足に苛立ちを覚えたことがよくあった。貴重な意見や情報を持ち合わせながら、本番でそれを相手に伝えないまま、会議を終わることがあった。発言はしてみるものの、相手に理解されないとなると、簡単に引っ込めてしまうのである。

 諦めが早すぎる。歴史、文化、宗教が異なる人間を相手に、それなりに込み入った話をするからには、丹念な背景説明が必要だし、相手が多少とも理解しはじめるまで、同じ趣旨のことを、違った表現で繰り返し発言しなくてはならないことがある。欧米の言語というのは、淡白な日本語とは異なって、どこか粘着質だから、それなりのコンテクストの中で、説得力のある表現をしないと、相手にこちらの意が十分に伝わらないように思える。

 あるいは婉曲的な発言を一、二度しただけで、相手が理解してくれたものと早合点することもよくあることだ。相手がにこやかに頷いたりすれば、てっきりこちらの意見に賛同してくれたと思い込むわけである。社交性に長ける欧米人は、そのようなジェスチャーを見せているだけで、主張は一歩も譲歩していないかもしれないのだ。いや、十中八九は、そうである。

 たぶん、こういう重大な勘違いは、外交の舞台でもなされているように思われる。今まで各国に駐在する邦人外交官にあまた会ってきたが、確かにそのいずれもが磨かれたジェントルマンであっても、豪腕のコミュニケーターであるという印象を受ける人は、あまりいなかった。本気でコミュニケーションをするということは、それなりにガッツのいることだが、政治家や外交官がしっかりとしたコミュニケーション・スキルを身につけていなければ、国益を大きく損ねることになる。

 ましてや自己の保身のために、ひたすら波風を立てないことだけを考えているような人間が、日本という国を代表するような立場に置かれていることがあれば、その被害は甚大である。

 

 沈黙を好む日本の文化 

 それにしても、われわれ日本人がコミュニケーションを得意としないのは、単に英語など外国語による会話能力が不足していることに本当の原因があるのではなく、問題はもう少し根が深いように思われる。

 まずは文化的な要素が原因している。日本には肝心なことについては、直観を重んじ、あえて言挙げしないという伝統がある。そのようなことを、武士道精神だの、禅思想だのといって、やたらと称賛するのは間違っている。日本の先住民の血をひくアイヌ民族には、チャランケといって、意見の異なる相手と徹底的に討論する風習があった。古代日本人は、意外と雄弁だったのかもしれない。

 この国には沈黙が最大の自己表現であり、場の雰囲気を壊さないことを美徳とする文化もある。「和を以って、貴しとなす」という意味を曲解しているのではないか。そのため、自己の思いを公然と表明することに積極的にはなりにくい。そのようなパフォーマンスをすれば、他者から嫌われるという不安もある。

 次は社会的な理由である。上下関係が鮮明だと、どうしても目上の人の前では、言葉を慎むようになる。口幅ったいことを言って、睨まれたくないからである。これは日本人だけでなく、儒教文化が残っている韓国や中国でも同じような傾向があるように思われる。私はいろんな国の大学で講義をすることがあるが、総体的にアジア人学生は受身であり、教師として物足りなさを覚えてしまう。彼らは子どものときから、家庭でも学校でも権威主義的な教育に馴らされてしまっているのかもしれない。

 それに日本語の構造から来るのか、どうも日本人の発言は前置きが長い上に、発言内容も曖昧なことが多い。日本語は俳句や短歌のような叙情的表現には最適の言語であるが、論理的整合性が求められる議論展開には不向きのようである。

 だから外国人と話すときは、まず冒頭で結論をはっきりと述べてしまい、その後、その説明にかかるようにしないと、相手はしびれを切らせてしまう。最後まで聞かないと、問題に対してイエスなのかノーなのか、わからない話し方は通用しない。

 おまけに一般的に、日本人の声は欧米人と比べて、細いというか小さいというか、腹から声が出ていないので迫力に欠ける。声の大きさは、発言の内容に匹敵するほど重要である。そのとき、相手と視線を合わせなかったり、うつむき加減に話したりすると、自分の意見に自信を持たないか、真実を語っていないように取られることはまちがいない。

だから日本人には、ことさらコミュニケーションの訓練が必要だと思う。小学校から英語教育を取り入れようという動きがあるが、それ以前にしなくてはならないのは、まず日本語で自分の胸のうちをはっきりと話す訓練である。日本語でもうまく自己表現ができないのに、英語の発音や文法を教えても、あまり意味がない。

 ついでに言っておけば、英語はイギリス人やアメリカ人のように発音する必要はなく、明晰でさえあれば訛りがあってもよい。世界中の人たちが強いお国訛りで英語を話しているが、立派にコミュニケーションできている。そのへんに変な思い込みがあるから、日本人はよけいに寡黙になりがちのようである。

 

 ディベートによって育まれるもの 

 表現力向上のためには、ディベートの訓練を小学校高学年あたりから始めるのが効果的だと思われる。教室で子どもたちを二分し、易しいテーマでよいから、その是々非々について、限られた時間内に明確に意見を述べ合う練習である。もちろん、ディベートは日本語で行えばよいが、高校生ぐらいになれば、ときどきは英語でやってみてもよいだろう。

いつか「国際化」という言葉が流行ったが、いまごろ何を言っているのかという印象をもった。そんなことをわざわざ言わなくてはならないほど、日本は国際化の流れに取り残されているのである。

 国際化とは、国民が英語を話せるようになることではなく、まずどのような相手に対しても、偏見や差別をもつことなく、正面から向かい合い、自分たちの意見や思想をできるだけわかりやすく話せるようになることである。

ついでに英語教育についても愚見を述べれば、英語は教えるものではなく、使うものである。私の場合、大学の講義はほとんど英語で行っているが、生命倫理などについて、しばしば学生にディベートをさせている。

 とくに倫理的葛藤が内容となっている映画を見せた上でディベートさせると、学生の問題意識が明確であるため、議論は白熱する。その際、大切なことは学生個人の意見を考慮せず、グループ分けをすることである。どちらのグループに入っても、理路整然と語り得る能力が貴重なのである。

 効果的な発言をするためには、考えが整理されていなくてはならない。また自分の個人的見解に反するグループに入って意見を述べるうちに、相手陣営の言い分も理解されてくることもある。

 ディベートでは英語が流暢であるかどうかは、あまり問題視しない。私が注意喚起するのは、発言内容の的確さと、発言するときの態度である。相手に反論するとき、あまり間を持たせるのもよくない。日本人は外国語を話すとき、頭の中で文章を作ってから話そうとする性癖があるが、それでは間延びしてしまう。話しながら考えるぐらいの敏捷さが必要である。そのような練習を重ねていくうちに、見る見る学生たちのコミュニケーション・スキルが向上していく。ぜひ教室で試してみてほしい。

 いつか英語特化コースを設けている進学校の英語授業を参観させてもらったが、先生が相変わらず紋切り型の文法を丁寧に板書して教えていた。正直言って、これでは教授法が百年遅れており、そのような教育を受ける子どもたちが気の毒に思えた。特化コースというぐらいなら、文法は教科書を読んで自習すれば十分であり、教室ではその実践的応用をしなくてはならない。

 

 大演説をぶつ欧米、中東の人々

 ところで、コミュニケーションが下手なのは、じつは日本人だけではない。欧米人や中東の人たちも、そうである。ただし、彼らの場合、舌足らずというのではなく、冗長すぎるのである。

 自分の意見を滔々と述べるだけで、相手の意見にじっくりと耳を傾けようとしない。まるで機関銃のように間もおかずに、しゃべりまくる。もじもじして、はっきりと話そうとしない日本人にもイライラするが、こちらも頂けない。

 この傾向は、おもに一神教的文化を背景にもつ人たちに顕著である。異教徒に囲まれても、断固として自分たちの信仰が正当であることを主張しなくてはならない歴史的な状況が彼らをそうさせたのかもしれない。私は今までイランとチュニジアで開かれた外務省主催「イスラム世界と日本――文明間の対話セミナー」に二度参加させてもらったが、次々と壇上に上がってくるイスラム教学者の大演説に辟易してしまった。それほど現代のイスラム教徒は孤立感を深め、自己防衛的になっているのかもしれない。

 また別な会議で、今度はユダヤ系アメリカ人の学者と生命倫理について論じることがあったが、こちらも負けず劣らず、自己主張が激しい。建て前ばかりをまくし立てるものだから、話し相手と互いに譲歩して認め合うということがない。「黙って人の話も聞きなさい。だからあなたたちは、世界のあちこちで他民族と衝突してしまうのだ」と言いたくなってくる。

 日本が開かれた国になるということは、つまりわれわれ国民がそのような人たちとも対等にコミュニケーションできる国民になるということである。それがいかに大変なことか、容易に察しがつくだろう。内向きの国民性をもつ日本人には、相当の意識改革が必要となる。

 だからこそ、私はディベートの練習を学校教育の中に取り入れてほしいのである。知識や情報は、本を読んだり、専門家の話を聞いたり、インターネットを調べれば、手に入る。しかしコミュニケーション・スキルは時間をかけて身につけていくよりほかない。

 

 日本文化をどこまで語りえるか

 なぜ、私がそんなにコミュニケーションにこだわるのかといえば、現代日本では日々の生活の場において、家族や同僚との語らいが急速に減っているからである。私はアメリカで十数年暮らしたが、個人主義の本場の国にあっても、日本の都会よりも、もう少し隣近所とのコミュニケーションが成立していたように思われる。とくに東京のような大都会での暮らしは、人間砂漠の中で孤立しやすく、精神疾患を病む人が少なくない。

 共同体の崩壊というのは、じつは組織的なものではなく、コミュニケーション不足が最大の原因となっている。核家族化や少子化に歯止めが利かない現状にあって、コミュニケーション改善は、国民全体が意識して取り組まなくてはならない重要項目である。

 もう一つの理由は、日本人がもっとコミュニケーション・スキルを身につけて、この国に伝わる大切な精神遺産を世界に伝えていく文明史的な節目に来ていると予感するからである。それは単に日本を宣伝することではなく、日本文化の深層に潜む普遍的価値観を語ることである。

 とくに縄文時代以来、脈々と伝わる日本人の生命観が二十一世紀における新しい文明の形を作る上で、果たすべき役割が小さくないと考えている。これからは個人の能力を問う近代主義から、もっと地球環境の〈いのち〉を大切にするホリスティックな思想に移行していくだろう。でなければ、人類の未来がなくなる恐れすらある。

 だからこそ、今はグローバルなスケールで、日本文化を語り得る人材が求められる時代である。かつては西洋の文物を学んで、日本に紹介する人材がエリートとされたが、これからは逆転の現象が起きるだろう。日本の深層文化を理解していなければ、国際人になり得ない。私自身もそのような心構えで学問をしているし、これからの日本を背負う若者には、とくにそのような自覚を促したい。

 

7 ナビゲーション付きの教育をしていないか

 迷うことの大切さ

 最近のクルマは、購入時からカーナビの付いているものが多い。知らない土地でレンタカーを借りても、カーナビが付いていると、迷わずに目的地に行ける。文字通りの「文明の力」であり、じつに便利なものである。

 その利点は百も承知だが、私はカーナビが好きになれない。なぜかというと、カーナビのソフトが少しでも古いとせっかく新しい道ができているのにうんと遠回りさせられたりすることがあるからである。そんなとき、人間が機械に踊らされているような気になってくる。

 もう一つの理由は、この装置のために人間が本来持ち合わせている動物的な直感力を弱めてしまいそうだからである。私は生活の拠点が広島と秋田の二か所にあるので、クルマを二台持っているが、そのどちらにもカーナビはついていない。値段が高いから付けられないという負け惜しみもあるが、カーナビに頼らなくてはならないほど、俺は落ちぶれていないという気概もある。今までいろんな国でクルマを運転してきたが、知らない街を運転して目的地に着けなかったことはない。

 もちろん、道に迷わなかったというわけではない。というよりも、大いに迷った。私は決して方向音痴ではないが、アメリカに暮らしているときは、まったく不慣れな道を走ることが多く、ときには途方に暮れるような思いをしたこともある。あちらでは道を聞くにも、周囲数十キロメートル、まったく民家がないこともよくある。

 日本国内なら地図さえ開けば、おおよその見当がつくものだが、地勢のわからない外国では、そうはいかない。山が見えない大平野では、方向の見当すらつかない。広大な大陸を横切るフリーウェイなんかで一つ出口を間違うと、とんでもなく遠回りをすることになる。

 いつかフランスのパリからマルセイユまでレンタカーで移動したことがあるが、あのときは、ずいぶん苦労した。そもそもパリの迷路のような細い道を抜け出て、高速道路に乗る道筋がわからない。大学教師のくせに、恥ずかしながらフランス語がわからない私には、道を尋ねようにも尋ね方がわからない。

 さんざん迷いながら高速道路に乗った後も、中途あちこちの田園都市に立ち寄り、中世の香りがする美しい風景を楽しんだ。カーナビがなくとも、言葉がわからなくとも、ちゃんと長距離ドライブを貫徹できたわけだから、人間の勘というのは大したものだ。

 道に迷うのが良いと意地を張っているわけではないが、迷うのも悪いことばかりではない。クルマを止めて、地元の人に道を尋ねるうちに、温かい人情に触れることもある。少し寄り道すれば、地元の人しか知らない面白い場所や、旨いものが食べられる店があることを教えてもらったりするかもしれない。地図を読む楽しさもある。

 私は三十過ぎに生まれ故郷の京都を離れてから、じつに十二回の引っ越しをしたが、短期間で引っ越した町の地理に詳しくなりたければ、大いに道に迷うのが最良の方法であることを知った。あちこち迷いながら走りまわっているうちに、町全体の様子やどこにどのような店があるか、すぐ覚えられる。もしこれが出発点と到達点と最短距離で行ける道順を示してくれるカーナビどおりに走っていれば、そのルート以外のことは、いつまでも理解することがないだろう。

 私は今でもボストン、フィラデルフィア、ニューヨーク、ワシントン、サンフランシスコ、シンガポールなどだけでなく、北海道、秋田、東京、石川、京都、広島、沖縄なども、大げさにいえば“目をつぶっても”運転できると思うが、それはひとえに迷いに迷って車を走らせた記憶があるからである。そういう土地に何年かぶりに戻って、ハンドルを握っても、ちゃんと道を覚えていて、自分の体内に埋め込まれている記憶と勘に感心することがある。

 考えてみれば、われわれはカーナビなしの人生を歩んでいる。ナビゲーション付きで、幸福への最短距離を突っ走りたいところだが、しょっちゅうあちこちで頭をぶつけ、壁に突き当たっている。やらなくてもよいことに手を出して、痛い目にあい、せっかくのチャンスを見逃して、後の祭りと歯軋りする。恥の数だけ、人生の年輪が刻まれていくといってもよい。

 それが人の世というものだ。誰もいらぬ苦労はしたくないが、われわれが貴重なことを学びとるのは、つねに苦労の中からである。登山家が本物の登山技術を身に付けるのは、もう少しで遭難するような恐ろしい目にあったときである。ヨットマンが航海術に熟達するようになるのも、大シケにあって危うく沈没しそうになってからである。

 と同様に、人生もいつも順風満帆では、魂が成長しない。もしも、人生カーナビというものがあって、長い人生に何のヘマもなく、極楽浄土に直行できるのなら、人間はかえって退屈してしまうかもしれない。幸か不幸か、神さまはわれわれに人生のカーナビを与えてくれなかった。だから、われわれは死の床に横たわるその日まで、長大なドラマを逞しく生き抜くことができるのだ。たとえそれが、涙なしには語れない人生であろうとも。

 

 ハプニングのない教育は死んだ教育である

 人生がそうだというのなら、なぜ学校でカーナビ付きの教育をしようとするのか、わからない。カーナビのみならず、事故防止用のエアバッグ付きの座席に、チャイルドシートを取り付け、そこにしっかりと子どもを縛り付けるような教育を幼稚園から大学まで施し続けるから、自己顕示のために成人式に騒ぎを起こすことぐらいしかできない幼い魂が続出するのである。

 どれだけの偏差値があれば、どこそこの大学に進学することができるというのも、典型的カーナビ付きの教育といえる。だから、多感な若者が受験科目の先生の指導どおりに、あるいは進学塾のノルマどおりに学習しようとして、溢れるような想像力を押し殺していくのである。教科書や参考書は、知識を網羅的に提示してくれる一方で、子どものいきいきとしたインスピレーションを殺すという性格も帯びていることを忘れてはならない。

 誤解のないように言っておけば、私は受験教育を否定しているわけではない。能力のある生徒に高度な教育の機会が与えられるというのは素晴らしいことだ。問題はそのプロセスなのである。彼らの想像力と創造力を伸ばすような入学試験のあり方を模索しなくてはならない。

 安全第一は、道路交通と工事現場だけでよい。失敗のない人生を推奨するような教育をするから、子どもたちは退屈して、不登校や引きこもりになるのである。学校に行っても「まさかこんなことがあるとは!」というような驚きを欠いた教育は、死んだ教育である。

たとえば、先生がメガネを忘れてきて困り果てるとか、慌てて入ってきた教室のドアで頭を打つとかすれば、子どもたちは大いに喜ぶのではないか。それは、そこに日常性を破る意外性があるからである。

 そう、意外性のない教育は、すべからくカーナビ付き教育と思っていい。子どもたちの直観力と想像力を引き伸ばすためには、指導要領というマニュアルに依存していてはダメなのである。彼らが目を輝かせるのは、好奇心を駆り立てるような出来事に出くわしたときである。

 子どもたちが退屈な素振りを見せれば、いっそのこと教科書を閉じて、全員で校庭に飛び出し、木にでも登らせるといい。卒業後、彼らは教室で何を習ったか覚えていなくても、木に登ったことだけは忘れないだろう。

 もちろん、そんなことをすれば授業の進行が遅れるかもしれない。ましてや子どもたちがけがでもしようものなら、大変なことになる。まず、その報告を受けた校長先生や教頭先生が、真っ青になって飛び出してくるだろう。そして、その出来事を家に帰ってから嬉しそうに語る子どもたちの話を聞いた保護者は、抗議のために徒党をなして学校に押しかけてくるかもしれない。今の学校の先生は、ほんとうに気の毒である。

 

 受け身の秀才は要らない

 日本のオモチャは精巧にできているものの、それで戯れる子どもたちが頭を使う余地を与えないようなものが多いが、それは教育についても言えそうだ。教える側が最初から結論を出してしまっていて、子どもたちに自分で問題を追究する余地を与えない。あるいはルールを決めすぎて、自分で判断する能力を奪いとる。そういうことを学校の先生は、子どもたちに対してやってしまっていないか、一度、立ち止まって考えてみてほしい。逆説的な言い方をすれば、マジメな学校のマジメな先生ほど、人間として大きな罪を犯している。

 私はアメリカのアイビーリーグの大学からシンガポール大学に移ったとき、幼いときから権威的教育に馴らされたアジアの秀才の正体が、過剰な「点取り虫」であることを知って愕然とした。政府は教育を通じて、国民から思考力を奪い取ろうとしているのかとまで疑ってしまった。

 その後、シンガポールから東京に移動し、いくつかの名門といわれる大学で教鞭をとったが、詰め込み教育を勝ち抜いてきた日本人学生の受け身の姿勢に唖然とした。自己表現力をもぎ取られてしまっているのである。そして今回、東京から広島に引っ越し、学生の覇気のなさに愕然とし、東京と地方の間にも厳然たる格差が存在することを知った。

 聞くところによると、地方の国立大学にやってくる学生は、「受け身の秀才」ということである。高校で与えられた課題を忠実にこなし、マジメに先生の言うことを素直に聞いていたから、国立大学に入れたというわけである。つまり、カーナビ付き教育の賜物として、晴れて地元の秀才となり得たのである。

 正直言って、今の日本をダメにしているのは、そういう「受け身の秀才」にほかならない。卒業後も、定年退職まで役所や企業の中間管理職としてマジメにコツコツ働いていくのかもしれない。そういう人間が大勢存在してくれるから、この国の社会制度は無難に維持されているともいえるのだが、教育や行政において抜本的改革にブレーキをかけている人たちも、彼らなのである。功罪相半ばすると言いたいところだが、私個人の観点からは、「受け身の秀才」は罪の部分が大きい。

 私のように、あくせく働いているうちに五十代半ばになってしまい、自分の能力の限界を知り、しぶしぶ現実を受け入れるようになった、というならまだしも、二十歳前後の若者がなんら進取の気象も持たずに、既成の社会構造の中に自分を押し込めようとしているのを見ると、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」ならずとも、「日本の終わり」を感じてしまう。

 私は、そのような「受け身の秀才」を教育するために、わざわざ日本に戻ってきたつもりはない。私が育てたいのは、「八方破れの非常識人」である。既成の価値観を壊すことに躊躇いのない彼らこそが、新しい文化を創り得るのである。

 

 マニュアルを捨てて教壇に立つ 

 日本では、小学校から大学までカーナビ付き教育が蔓延している。言うまでもなく、そのカーナビのソフトは文部科学省の規格品であるが、一昔前に作られたものだから、その通りに動いていたら、とんでもない回り道をさせられてしまうかもしれない。

 この現状を改めるためには、まず現場の先生の自覚が必要だ。「学校の方針が」とか、「教育委員会の締め付けが」とか言って、お茶を濁す教師がいれば、その人はすでにカーナビ付き教育の犠牲者の一人なのだろう。上位の権威がどのような方針を打ち出そうとも、今日という日に教壇に立っているのは、校長でも教育長でも文部大臣でもなく、教師なのである。そこで子どもたちを活かすも殺すも、教師次第である。

 生ものを扱う寿司屋の板さんが、レトルト食品用のレシピを見て料理するわけはない。彼らは自分の経験と勘だけを頼りに、ねじり鉢巻をして素早く銀シャリを握り、そこに選りすぐりのネタを乗せて、カウンター越しの客をうならせるのである。

 教師というのも、若者という生ものを扱う教育的職人芸の世界である。黒板を背にして立つときは、マニュアルを捨てて、ねじり鉢巻をする意気込みで登場してこなくてはならない。でなければ、ネタは死ぬ。

 全国的基準値である指導要領というのは、それが忠実に守られることによってではなく、指導の目安として使われたときに、最大の存在意義をもつ。私の「実験的教育論」は、ときに挑発的にも見えるかもしれないが、反体制教育を扇動しているのではなく、日本という国に少しでもよくなってほしいという真摯な願いのもとに書かれていることを改めて言明しておきたい。

 

8 ベーシク・トラストを喪失した現代人

「ベーシク・トラスト」とは何か

 アメリカの精神分析家エリク・エリクソン(一九〇二~一九九四)が、人間の心理社会的発達段階を八つに分けるライフ・サイクル説を唱えたことは、よく知られている。その中でも注目されるのは、初期の発達段階におけるベーシク・トラスト(basic trust:基本的信頼)という考え方である。

 その段階において、主たる養育者から肯定的な養育行動を受ければ、対人関係において基本的な安心感が生まれ、他者に対してだけではなく、自分自身に対する信頼能力を培うことができるとされている。

 ベーシク・トラストは、赤ちゃんがお母さんに抱かれ、その乳房にすがりついているときの安心感がその基本となるが、慈愛をもって養育してくれる人物がいれば、立派に親の代わりとなりえる。ところが、ベーシク・トラストを持たないまま肉体年齢を重ね、大人の仲間入りをしてしまえば、いわゆるアダルト・チルドレンとなっていく。ましてや現代社会のように子どもから大人への区切りとなるイニシエーション(通過儀礼)を喪失してしまった社会環境の中では、自己を意識化する機会をもたないままのアダルト・チルドレンが氾濫することになる。

 このベーシク・トラストというものが欠如していれば、社会的にどれだけ成功を収めていようが、人間として基本的な充足感を持ち得ない。他者の眼から見れば、羨望の的となるような人物であっても、幸福とはほど遠く、虚無感に悩まされる場合が多いのは、そのせいである。ときどき有名人が突如として自殺し、「なぜあの人が……」と驚かされることがあるが、それはベーシク・トラストの壊れた人間がいかに生き甲斐を持ち難いかということを如実に示している。

 伝統的な家族制度が壊れ、少人数の核家族では、その中で自然発生するコミュニケーションにも限度がある。とくに出生率が落ち込む一方の日本では、互いにじゃれあうきょうだいを持つことすら贅沢なこととなりつつある。そして両親が共働きで、家庭にいる時間が少なく、いわゆるスキンシップがほとんどないとなれば、幼い子どもがベーシク・トラストを獲得するというのは、まず望み得ないことだ。

 ちなみにスキンシップというのは、和製英語であり、英語のネイティブに使っても怪訝な顔をされるだけで、通じることはない。しかし、私はこの言葉が気に入っているので、わざと外国人にも使って、「日本はトヨタやソニーだけでなく、こういう素晴らしいメイド・イン・ジャパン英語をどんどん輸出すべきだ」とジョークを飛ばしている。

 ところで、幼い子が育つ家庭において、その両親が不和であるとすれば、そのコミュニケーションはボリューム的にも乏しいものになるだけでなく、極端に敵愾心に満ちたものとなる。そんな家庭環境の中では、子どもたちの深層意識で深刻な不安感が煽られることになる。

 先進国では離婚が増加の一途をたどっているが、離婚が必ずしも悪であるわけではないにしても、そのインパクトは子どもたちにフルに襲いかかっていることだけは、確かである。アメリカは離婚大国であるが、それがゆえに幼少期にトラウマを受け、長じてもアダルト・チルドレンとなって、さまざまな精神病理を見せている人間が少なくない。

 経済至上主義に突っ走る中国でも、一人っ子政策に加えて、離婚が急増しているから、そのような環境で育った子どもたちが社会成員として機能せざるを得ない年齢に達したとき、深刻な問題に直面せざるを得ないだろう。

 つまり日本のみならず、先進国では大なり小なり、ベーシク・トラストを喪失した人間がひしめき合っていると考えてよい。そのために根源的な不安を抱えた人間が、うつ病から統合失調症まで、さまざまな精神疾患にかかっている。

 日本は今、連続十年、自殺者が三万人以上という悲しい記録を更新しつつあるが、それも単にリストラや倒産といった現実的問題が真の原因となっているのではなくて、困難に直面したときの動揺からの復元力を持たない魂があまりにも多いことを示している。

 たとえば小さなヨットが太平洋を横断するとなれば、必ずや何度かの大嵐に遭遇し、転覆することもあるだろうが、それが沈まないのは、船底に突き出ているセンターボードに復元力があるからである。つまり、ベーシク・トラストとは人間の魂に与えられた精神的センターボードのことなのである。

 今、全国の学校で問題となっている多動傾向のある子にしても、脳神経学的な疾患という見方がある一方で、何らかの理由でベーシク・トラストを欠いた子どもたちが、意識化されない不安感を行動で訴えていると考えられないこともない。とすれば、そのような子どもたちの行動を矯正するのではなく、彼らが意識化できないでいる不安な気持ちをまず共感することが、解決の糸口になるのかもしれない。

 

 もはや学校も安心できる場所ではなくなった 

 昨今は大阪の大阪教育大学教育学部付属池田小学校事件に象徴されるように、何の不安もなく学び、遊べる空間であったはずの学校ですら、子どもたちの恐怖心を煽る場所と化している。校門は厳重に封鎖され、構内が顔なじみの用務員ではなく、外部の警備会社の職員によって監視されるようになった。

 そしてまた、その学校への登下校の道筋も、限りなき危険が潜む場所として、子どもたちは身構えて行動しなくてはならなくなった。どこから変質者が狙い定めているかわからず、少しでも油断すれば、取り返しのつかない事態を招くことになる、と親からも教師からも懇々と言い聞かされている。

 一昔前なら登下校というのは、女の子は歌を歌いながら道端の草花を摘んだり、男の子は服を汚しながら川を飛び越えたりして、幼い魂が親と教師の目の届かない場所で、思い切り羽を伸ばす貴重な時間であった。それが完全に剥奪されたわけである。

 私も最近、東京から東広島に移り住んで、そののどかな環境を楽しんでいるが、毎朝散歩に出てみると、早朝からお母さんたちが団地の前に集まり、子どもたちを並ばせ、当番で学校まで付き添っているのを眼にする。主婦として家事に追われる時間帯に大変なことだと思うが、そのような管理された登下校を毎日経験しなくてはならない子どもたちもまた気の毒である。

 そのようなとき、「おはよう」と声をかけても返事をしない子どもが増えたような気がするが、あれはきっと親から、見ず知らずの人から声をかけられても相手にしてはならないと、言い聞かされているにちがいない。

 秋田県藤里町でも小学生の幼い命が奪われたが、藤里町といえば、白神山地の入り口に位置する日本でも最ものどかな市町村の一つであり、私も何度か足を運んだことがある。そのような場所でも凶悪犯罪が起きるわけだから、そんな社会風潮の中で、子どもたちのベーシク・トラストはますます希薄化していくことになる。

 ここまで子どもたちのことばかり書いたが、その子どもたちを教育する親も教師も、じつは魂が未熟なアダルト・チルドレンであるケースが多い。第2章で、「マジメな先生がマジメな教科書をマジメに教えることは、百害あって一利なし」と書いたが、そのマジメさが、自己への信頼感に裏打ちされない表面的なものとすれば、事態はよけいに深刻である。その偽善性こそが子どもたちの動物的感覚によって嗅ぎ取られるのであって、そのウソ臭さに馴らされてしまった若い魂が受けるダメージは、生涯にわたって影響を及ぼすだろう。

 エリクソンのベーシク・トラストという概念は、仏教でいう安心立命のことと理解してよいが、それが壊れていても何らかの宗教的修練によって回復されることもある。しかし、そのような実効性を維持している宗教的伝統は稀有であり、今さら仏門を潜ったところで、安心立命が獲得されるわけではない。

 もはや社会全体が、復元力を保証するセンターボードを喪失したまま、漂流しているヨットのようなものである。アダルト・チルドレンがアダルト・チルドレンを生み出すという悪循環が存在し、底なき不安感が社会の隅々にまで蔓延しているわけだから、由々しきことと言わざるを得ない。

 

 真の〈ゆとり〉教育とは何か 

 戦後の詰め込み教育は良くなかった。だからカリキュラムをもっと緩やかなものにして、子どもたちに余裕をもって学習させようという〈ゆとり〉教育が唱導されたことがある。ところが、国際的に日本の就学児童の学力低下が明らかになると、たちまち批判に晒され、文科省も方向転換を余儀なくされている。

 これからの日本を背負う若者が、国際水準と比べても見劣りのしない基礎学力を有していることは望ましいことであるが、どれだけ学力が向上したところで、魂が病んでいては何の役にも立たない。知識のピラミッドは高ければ高いほど、必ずや人間性という揺るぎのない基礎に支えられていなくてはならない。いまや家庭でも学校でも、不安感を煽られている子どもたちには、別な意味での〈ゆとり〉教育が必要とされているのである。精神が安定すれば、必ず学力は伸びる。

 ところで、お隣の韓国では、生徒に三食ぶんの弁当を持参させ、早朝から深夜まで受験学習させている学校が少なくないと聞くが、そのような異常ともいえる詰め込み教育の歪みは、早晩、社会現象となって現れるだろう。

 ではベーシク・トラストを取り戻すためには、具体的にどのような〈ゆとり〉教育が可能なのだろうか。このことも、じつは現場の教壇に立っておられる先生方のほうが、現実に即したアイデアが浮かぶと思われるのだが、そのきっかけ作りとして、私なりに三つほどのアイデアを提案してみたい。

 一つ目が、自己と環境の関係を安定させる意味での校舎の掃除である。掃除当番だから嫌々するというのではなく、全校生徒と全教師が率先して掃除するような雰囲気作りをしなくてはならない。その掃除には、もちろんトイレ掃除も含まれている。自分たちの手でピカピカに磨き上げた校舎で学ぶのと、放課後にやってきた業者が知らない間にゴミの後始末をしてくれた校舎で学ぶのと、その心理的な差は歴然としている。

 一流のスポーツマンとかアーチストには、宿泊先のホテルを出るときも、きちんと片付けて出る人が少なくないと聞いたことがあるが、才能を最大限に発揮するすべを知る人間は身の回りを整理整頓することの大切さを直感的に会得しているのだろう。

 二つ目のアイデアは、日常生活の楽しさを意識化させるために、家庭科の時間をもっと重視することである。私自身が学校で家庭科を楽しんだという記憶はまったくないが、それは私が呆れるほど不器用であったという理由だけでなく、その授業の位置づけが曖昧だったからである。勉強熱心な学校ほど、算数や理科や国語は大切だけども、家庭科や体育は付け足しという印象がある。

 そうではなくて、もっと家庭科に中心的役割を与えて、それを子どもたちが楽しみにするぐらいでなければならない。本来は、家庭教育がその役割を背負うべきなのだが、前述のように問題を抱えている家庭が多いので、現状ではどうしても学校教育がそれを補う必要があるのではなかろうか。

 それには先生が管理する局面をできるだけ減らし、子どもたちの主体性を尊重しながら、料理、裁縫、工作を楽しむことを覚えさせたなら、彼らの中の抑圧された感情が解放されるまたとないチャンスとなりえる。

 家庭科の中には、草花や野菜の栽培も含まれているのがよい。自分たちが植えつけた植物がスクスクと育つのを肌で感じさせるのである。多くの学校で小動物を飼い、飼育部の生徒が世話をしていると思うが、それも家庭科の一環として取り組むべきだろう。家庭科はその内容次第で、下手な道徳の授業よりも、よほど倫理観を養う貴重な時間となり得る。

 三つ目は、自己の内面世界を掘り下げる目的で、じっくりと物語を読ませることである。現代国語の入試に役立つからではなくて、魂に染み込んでいくような読み方があるはずである。それも物語を断片的に読ませるのではなく、最後まで読みきり、できれば繰り返し読むのがよい。そうすれば、そのストーリーは彼らの脳みその芯のほうに刷り込まれて、年老いても忘れないだろう。

 ただ、このような〈ゆとり〉教育は、先生が子どもたちに一方的に押し付けるのではなく、先生が全身で飛び込んでいって、みずからもまた癒される教育になっていないかぎり、成功しない。人間として最も根源的な感情としてのベーシク・トラストを取り戻す喜びは、年齢がどれだけかけ離れていても教師と生徒の間に共感し得るものであり、そこにこそ真の〈ゆとり〉教育の姿があるのではなかろうか。

 

9 誰に何を投資するのか 

 儲かる投資法、教えます

 教育を論じる本でお金の話とは何事か、とお叱りを受けそうだが、辛抱強くお読みいただければ、読者の懐具合にも改善が見られるかもしれないので、ぜひ大目に見ていただきたい。

 それにしても、昨今は個人投資家が急増中である。年金も営々と働いて稼いだ給料袋から毎月しっかりと引き抜かれているにもかかわらず、その行く末が怪しくなってきた。そのような状況下、定年退職後の生活安定のために、積極的に投資し始めた中高年も少なくない。

 また若い世代を中心に、パソコンを駆使してのデイトレーディングが人気を博している。うまくいけば月々の給与よりも、はるかに大きな額面の不労収入が、瞬時にして懐に入ってくるので、病みつきになってしまうのであろう。

 書店にいくと、『百万円で一億円を稼ぐ』というような威勢のいいタイトルの本が並んでおり、主婦の中でも下手なへそくりをするより、一攫千金を狙おうと、株式投資に血道を上げている人もいる。

 ホリエモン(堀江貴文)や村上世彰(よしあき)氏の騒ぎも、そのような社会風潮の中で起きたものであり、かつて日本国民のことを「一億総白痴化」と揶揄したジャーナリストがいたが、今はさしずめ「一億総投資家」となりつつあるのかもしれない。

 しかし株というのは、儲ける人がいる分だけ、損をしている人もいることを忘れてはならない。ましてや預けた現金を担保に証券金融や証券会社などから資金を借りて投資する信用取引では、株の乱高下でとんでもない損失を蒙ることもあるから、注意するにこしたことはない。

 私がニューヨーク近郊に住んでいたころ、土砂降りのマンハッタンの街をずぶ濡れになって歩く紳士がいたので、思わず「それじゃ、高級スーツが可哀想ですよ」と冗談めいて話しかけると、「今日は株で大損をしたから、そんなことはどうでもいいんだ」と足早に過ぎ去っていった男性がいたことを思い出す。

 私自身は『百万円で一億円を稼ぐ』ような幸運に巡り合ったことはないが、ごく親しくしている友人に、投資によって一億円どころか、数百億円の資産をなしたK氏という人物がいる。だから、これから書くことは、ほとんど彼の話の受け売りだと思って、読んでいただきたい。

 K氏によれば、お金儲けはそんなに難しいことではなく、きわめてシンプルな法則に従うだけである。どんな法則かといえば、春になれば新芽が吹き、秋になれば葉が枯れる。水は高いところから、低いところに流れる。株の動きは、自然現象となんら変わりがない。それが従うべき法則だそうである。

 ところが、そんなシンプルな法則も「欲」に目が眩んでしまえば、見えなくなってしまう。したがって、じつに皮肉な話であるが、金儲けの極意は、「欲」を持たないことという。とはいっても、これほど難しいことはない。

 巷の噂で有望株と騒がれる銘柄に飛びつくような群集心理は、「欲」の塊である。短期に儲けるようなことがあっても、そのような心理で右顧左眄しているようでは、どこかで痛い目にあうことは目に見えている。

 では、どうすればよいかということだが、群集心理の反対を行けばよいのである。皆が急上昇中の株があると騒いでいるようなときは、何もしなくて眺めておればよい。

ところが、ある企業が業績不振やら不祥事で急落して、誰もが争うように株を売りだしたときとか、日本の株式市場に訳もなく悲観論が広がって、投資家の心理が萎縮してしまっているときに、動き出すのである。いってみれば、天邪鬼の心理である。

 しかもそういうときに、大半の人がまったく注目していないにもかかわらず、その業務内容に将来性があるような企業に、こっそりと投資をしておくのが最上である。あと成すべきは、「果報を寝て待つ」だけであるという。

 しかも、少なくとも五年間ぐらいは「寝て待つ」辛抱が必要である。その間、空っぽのバケツを木の下においておけば、おのずから蜜が溜まるという。投資した無名のベンチャー企業が上場した場合は、十倍、二十倍になることもあるらしい。

 アメリカで「投資の王様」と呼ばれるバフェット氏も、一千億ドルを超える資産を長期投資で築き上げた。どの銘柄に投資するかは、自分で調査し、自分の頭で考えることが大切で、決して群衆の狂気に釣られてはならないという。しかも一度投資した企業を徹底的に愛するという気持ちが大切で、その株を売るのは一生のうち、二、三度あればよいと言っている。

 投資のプロ中のプロが語る投資のコツというのは、それだけのことである。ふつう投資家なら、毎日の出来高とかチャートとかから目を逸らさないものだが、そんなものはほとんど無視してよいというから驚きである。

 

 誰に投資しているのか

 さてここから、いよいよ教育の話に移る。教育は未来に向けての投資とは、よく言われることであるが、確かにそうであるにはしても、われわれは一体誰に何を投資しようとしているのだろうか。

 ふつう教育的に有望株とみなされるのは、いわゆる秀才である。将来、有名校に進学してくれるような生徒を重視し、彼らの学力を伸ばす教育環境を提供しようとするのが、教育者として当然の心理である。とくに、有名進学校のトップクラスの生徒は、上場一部の優良株のようなものである。

 しかし、ここでK氏の投資哲学を思い出すなら、ほんとうに投資対象となるべき価値ある銘柄というのは、たいていの人が振り返らないような目立たないところに潜んでいるはずである。

 ということは、秀才とか優等生とかいうレッテルを貼られていない生徒の中に、じつは将来、大活躍する若者がいるかもしれないのである。というより、必ずいる。

 だから、試験の点数が悪い、教師の聞き分けが悪いからといって、ぞんざいに扱っていいような生徒はいないのである。ひょっとすれば、出来の悪い生徒や不品行とされる生徒の中に、日本の命運を担うような人材がいるのかもしれない。いや、きっといるだろう。

チャーチルやアインシュタインのように歴史に名を残した人物も学校では決して秀才ではなく、落ちこぼれであった。日本の戦後経済の牽引力となった松下幸之助や本田宗一郎も、若いときは秀才というような言葉とは無縁の存在であった。「大器晩成」といわれるように、大輪の花はおおよそ遅咲きなのである。

 教師の中には、よくできる生徒ばかりをかわいがる人物もいると思うが、それは週刊誌上で注目株と騒がれる銘柄に群がる投資家の心理に似ている。もちろん、勉学ができる生徒の学力を一層伸ばすことは教師として当然の責務であるが、学力の劣った生徒一人ひとりの中からも、埋もれたダイアモンドを発掘するのは、教師としてもっと大切な使命である。

 世間の耳目を驚かすような殺人事件を起こす少年が、いわゆる不良少年ではなく、じつは教育的な家庭に育った秀才であるケースが多い。その少年をよく知る周囲の者は、「なぜ、あんなおとなしい子が」と首をかしげるが、自分の人間性ではなく、学校の成績ばかりを評価する親や教師に対する失望感が、犯罪に走る最初の動機になっていると考えてよい。

 毎日のように新聞で報道されている不祥事を起こしている高級官僚や企業トップも、大半が学校時代では秀才と呼ばれるできのよい生徒だったはずである。彼らに一生懸命投資した教師は、どのような心境で教え子たちの栄光と没落を眺めているのだろうか。

 また父親が開業医をやっているので、息子を無理やり医学部に入れたとか、僧侶がお寺を継がせるために、嫌がる息子を住職にしたということもよく聞くが、そういう貧しい発想こそが個人にとっても社会にとっても、不幸の始まりとなる。

 まちがった株式投資が経済的損失をもたらすように、まちがった教育的投資も、人間として一番大切なものを容赦なく奪い取っていくことを忘れてはならない。

 

 できの悪い生徒を大切にする教育

 人間の才能など、どこに隠れているかわからない。また、その才能がどこで芽を吹き出すかもわからない。私がかつて暮らしていたシンガポールでは、小学校四年生時に大学進学組と就職組に振り分けられる学力テストがあるため、テストの時期には、共稼ぎをしている両親が会社を休んで、子どもの受験体制に入るという珍現象が起きる。知的成長のペースに個人差の大きい子どもたちを早い時期から振り分けるというのは、不可解を通り越して、大きな罪であるといったほうがよい。

 教育というのは、すべての子どもに未来に向けて希望を抱かしめることが、最終的な目的である。すべての人間には、生きる意味と生きる価値が与えられている。にもかかわらず、親や教師の偏った価値観から、若者の希望の芽を摘み取るような教育を施しているとすれば、これは深刻な問題である。

 日本の子どもたちは、諸外国の子どもたちに比べて、自分の将来に希望を持てないでいる率が高い、というデータが毎年出てくるが、学力水準の低下よりも、こちらのほうを重大視すべきではなかろうか。

 学校によっては、生徒たちの低い学力や落ちこぼれであるという劣等感のため、まともに授業が開けないところもあると聞いている。生徒も気の毒だが、彼らを教える先生たちは、もっと気の毒である。

 一部の大学でも、授業が成立しないようなところがあるらしいから、驚きである。誰が何のために、勉強したくない子どもたちを大学にまで押し込んだのか。就職や結婚のために大卒の肩書きが必要だというのが、その理由なのかもしれない。だとすれば、そのような理由で勉強嫌いの息子や娘を大学に無理やり入れた親というのは、よほど信念のない人生を歩んできた人たちなのであろう。

 しかし、そんな学校でも生徒が卒業するまでに、彼らの心の中に将来に向けて、何らかの希望の灯をともすことができるのなら、それこそ最高の教育的成果と呼ぶべきだろう。それは教師がその子たちの人間性を信頼し、愛情という最高の財産を投資したからであり、その事実は学校の先生が教え子たちを名門校へ送り出すこと以上に、社会的貢献度が高い。

 

 日本国民は付和雷同性を克服できるか

 私は二〇〇六年のサッカーのワールドカップ期間中、テレビをつけるのをためらった。なぜなら、メディアの騒ぎ方に不自然なものを感じたからである。決してサッカーというスポーツが嫌いなわけではないし、各国代表チームが世界の頂点を目指して必死に戦う姿は美しい。

 それでもワールドカップの試合の逐一を、すべてのテレビ局がトップニュースとして扱わなければならないほど、重大なイベントだとはどうしても思えない。ワールドカップ報道に使う経費と時間の、ほんの十分の一ほどでも割いて、今日も世界各地で爆弾や飢餓で命を落としている人たちのことを、なぜ報道しないのか。

 福井俊彦・前日銀総裁の株保有問題もそうである。日銀総裁という立場にある人が、特定の企業に大口投資をしていたことに倫理的な問題がないわけではないが、法的な問題はなかった。それでなくても、海外では「世界一の中央銀行総裁」という評価さえあった人物を、「株で儲けたから」という理由だけで辞任に追い込むべきだろうか。

 世論の中には辞任すべきという意見と、辞任すべきではないという意見の両方があると思うのだが、後者の意見を言えないファッショ的雰囲気を作ってしまうメディアの力は恐ろしい。

 ワイドショーのコメンテーターあたりは、こぞって「もってのほかだ。道義上、すぐ辞めるべきだ」と善人めいた口の利き方をするが、その画一的な発言内容に不気味さを覚えてしまうのである。

 成功した者へのやっかみ、嫉妬心を煽り立てるのが、日本のメディアの主たる役割となっているのは、情けない。特定の人物を指さして、「この女が姦淫を犯したのだ」と声高に叫び、大衆に石を投げつけるようけしかけている。

 そのような群集心理を煽り立てるような報道の姿勢があちこちに見受けられ、それが間接的に教育の世界にも影響を及ぼしているように思われる。「皆と同じように勉強ができて、皆と同じようにいい学校に進学することが、いいことだ」という横並びの価値観が、その最たるものである。

 島田洋七の青春を描いた『佐賀のがばいばあちゃん』という映画が国民的人気を博しているのも、そのような世間の常識となっている価値観に正面から立ち向かう「ばあちゃん」の勇気に憧れる深層心理があるからである。

 要するに、株で一儲けするのも、子どもの人間性を伸ばすのも、群集心理に巻き込まれず、個々の人間が自分で判断する能力を持ち合わせていないことには、とうてい叶わないということなのである。

 

10 学校で恋の手ほどきをしよう

 

 性教育以前になすべきことがある

 おおよその教育者が毎日、多感な若者を相手にしていながら、見ぬふりをしている人生の大問題がある。それが何かといえば、「男と女の問題」である。われわれは男であるか、女であるかのどちらかであるが、それにしては相手のことがよくわからないまま、生きている。だからこそ若者が異性について、まちがった認識をもってしまわないうちに、この人生の一大事について、できるだけオープンに語っておいたほうがよい。

「男と女の教育」といえば、すぐに性教育のことかと短絡的に考えてしまうのは、現代人特有の発想の乏しさである。このごろは小学校あたりでも性教育らしきものが始まっていると聞くが、その内容次第では逆効果となるだろう。知らないことを教えられれば、やってみたくなるのが、人間心理である。

 女子中高校生の中に、うっかり妊娠する者が続出しているので、あらかじめ避妊の方法などについて知識をもたせたほうがよいという意見が出てくるのも、もっともな話である。しかし、コンドームの使い方などの「技術的な」話をする以前に、語るべき大事なことがあるのではなかろうか。それは何か。

 それは、男が女をどう見、女が男をどう見るかという、人間として最も基本的な問題である。それさえしっかり教育できれば、あとはすべての道徳の時間を省略してもよいぐらいである。道徳の時間が空いたぶん、好きなスポーツにでも興じさせるのがよい。

にもかかわらず、たいていの学校の先生は、女子生徒のスカートの長さを規制することが、 道徳を正すことだという実に空しい発想しかもたない。

それにしても毎日の通学にミニスカートをはかないと格好が悪いと感じる女子生徒の未熟な美的感覚を培ったのは、誰なのだろうか。たぶん日本の悪質なメディアの影響が大きいが、真犯人はほかならぬ、日本社会の未熟さそのものである。

「男と女の教育」とは、一個の男性、一個の女性が敬意と愛情をもって互いに正視し合う関係を樹立するための教育のことである。異性が自分よりも上でも下でもなく、自分と同じだけの尊厳をもつ独立した人格であることを深く自覚するのなら、それはすでに全き倫理観を手に入れてしまったのも同然である。

 しかし現実には、女性を一段下の存在に見たり、性的対象としてしか見ていない男性があまりにも多い。女性は女性で、みずから意思決定をせず、男性に依存しているふりをしたほうが有利だと思い込んでいるふしがある。

 産声を上げた赤ちゃんに、なんら性差別的な認識がなかったわけだから、幼児期のどこかで異性に対して間違った刷り込みがなされたわけである。それが家庭で起きたのか、学校で起きたのか、メディアを含む社会環境で起きたのか、専門家による精査がなされるべきだ。

 もしも男性が、女性を自分とまったく同等の人格であるという明確な自覚を思春期からしっかりともっていれば、おおよその家庭内暴力(DV)は回避できるはずである。幼女を対象とした醜い性犯罪も激減するはずである。

 自分の人生がうまくいかないからといって、女性に八つ当たりする男性は、暴力的なぶんだけ、内面は脆弱な人格しかもち合わせない。挫折を成長のバネにせず、女性を隷属させることによって、そのフラストレーションを発散させようとする男性は、新しい法律を作って、去勢するにかぎる。

 

 いつまで倒錯した性文化に騙され続けるのか

 日本文化は記紀の時代から、男神と女神が芳しきまぐわいをして、次々と国生みをしたことになっている。大和三輪山の祭神であるオオモノヌシなどは、若いヤセダラヒメに恋慕し、彼女が厠でしゃがんだ隙に、丹塗りの矢に変身して、そのホトに突き刺さったと『古事記』に書かれている。こんな荒唐無稽な話が、国家が編纂した神話に堂々と記されているのは、「神国」日本ならではのことである。ことほどさように日本文化の中では、男女の営みについては、その産みの力を祝福こそすれ、忌まわしき罪悪行為とみなすことはなかったのである。

 それにしては、男女の関係をなにか後ろめたきものであるかのように、必要以上に覆い隠す国民性があるのは、不自然である。おそらく武家文化が台頭してきて、少なくとも表面的には、圧倒的な男性原理で社会の歯車が稼動し始めてから、男女の睦みあいをおおっぴらに語れなくなったのかもしれない。

 さらに江戸時代になって、「男女、席を同じうせず」という儒教思想が日本人の精神構造に徐々に浸透してから、教育的現場においては、男女が見えない壁で遮られるようになった。しかし人間の本能が容易に手なずけられるはずもなく、お上への当てつけのように、歌舞伎「曽根崎心中」などが爆発的人気を博することとなった。

 明治以降、軍国主義の道を突っ走るようになって、男女間に自然に発生する恋愛感情が女々しきものとして不自然に抑圧され、反対に滅私奉公の殉国精神が雄々しきものとして賛嘆されるようになった。偏狭な国粋主義に目が眩んでしまったエリート軍人たちが、若き日に燃えるような恋にでも陥り、人の世に秘められた「もののあはれ」を噛みしめておれば、あのようにあまりにも愚かにして、無鉄砲な軍事行動に走ることもなかったのかもしれない。

 第二次世界大戦後、アメリカ文化が洪水のように流れ込むと、今度はポルノグラフィーが巷に横行するようになった。ご本家アメリカでは、実のところピューリタン精神が根強く残っており、ハリウッド映画に洗脳された日本人が想像するほどには、放縦な性習慣が存在するわけではない。

 ところが世界広しといえども、日本ほど剥き出しのポルノグラフィーが衆目に晒されている国はない。街に林立する看板も、毎週洪水のように発行される週刊誌も、女性の裸だらけである。それが社会的害悪だと糾弾するほど、私は道徳家ではない。しかし問題は、商業化されたポルノグラフィーが間違った異性観を助長していることである。

 そのような皮相な性文化に日常的に触れている若い魂を守るためにも、早い時期からの「男と女の教育」は不可欠である。性的倒錯とは、同性愛やSMのことではなく、異性を一個の尊厳ある人格と認めることができない偏った精神構造のことである。そのような倒錯に陥る前に、親や教師は教育者としての責任を果たすべきであって、コンドームの使用法やスカートの丈を論じている場合ではない。

 

 真の意味で男女共同参画を

 結論からいえば、男と女の仲を裂くような教育は間違っている。家庭でも学校でも、男女が仲良くすることに、後ろめたさを覚えさせてはならない。それよりも好きになった異性と、どのような関係を築いていけばよいのか、それをオープンに共に語れるような環境を提供するべきだ。不純異性交遊などという言葉は今どき死語となっているといってよいと思うが、恋する男女が問題なのではなく、彼らを不純と見てしまう社会の目が問題なのである。

 東京では夜遅く駅から自宅に向かう中途で、ビルの陰で逢引をする高校生カップルをしばしば目にしたが、彼らが非行少年少女というわけでなく、彼らにそのような状況でしか会えなくしてしまった社会環境が問題なのである。明るく自由な家庭に育った若者が、そのような影のある交際をするだろうか。

「秘すれば花」と言われるように、恋愛はそれを取り囲む環境が困難であればあるほど、燃え上がる。だから恋に横槍を入れるような無粋なことをするよりも、彼らが恋愛に注ぎ込む爆発的エネルギーのほんの一部でも、勉学、スポーツ、創作活動に仕向けるように導いていくのが、親と教育者の責任ではなかろうか。

 恋愛の本質には、破壊と創造のエネルギーが同じだけある。運悪く破壊のエネルギーが出てしまうと、身を持ち崩すことになりかねない。恋慕の感情に耽溺して、人生を後ろ向きに歩み出すからだ。別れ話でも出てくると、愛情はたちまち憎悪に反転し、恋人を逆恨みして、刃傷沙汰を起こすことになる。

 反対に恋愛が創造のエネルギーを生み出し始めると、「精神一到何事か成らざらん」ということになる。恋愛を起爆剤として、豊かな感受性が育まれ、さまざまな才覚が芽生えてくる。

 私のハーバード大学時代の指導教官の名を、ジョージ・ラップといった。彼は三十歳そこそこで神学部長に就任し、その激務をこなしていたが、当時、全米でも話題になったほど、その後の出世ぶりにはめざましいものがあった。

 まずテキサスにあるライス大学学長に抜擢され、一流の教授陣を揃えたり、先進国サミットを主催したりして、二流とみなされていたライス大学を一躍、名門大学の一つに変身させてしまった。さらにその功績が認められて、天下のコロンビア大学学長として迎えられ、たちまち恒常的な赤字財政を黒字に転換した上で、大学の社会貢献度を高め、花道を飾って引退した。

 そのような輝かしい経歴をもつラップ氏も、元はといえば、地方都市のペンキ屋の息子であった。彼には、いつも素敵な奥さんが寄り添っていたが、なんとラップ夫妻は高校時代から相思相愛の恋人同士だったのである。その後、大学教師になった私が、ラップ家の二人の娘さんを指導する立場になったのも不思議なご縁であったが、このエピソードは男と女が生み出すポジティブなエネルギーには、それほど計り知れないものがあるという一例として引用したまでである。

 恋愛感情の破壊と創造の、いずれのスイッチを押すかは、当事者しか決められない。教育者の仕事は、スイッチの押し間違いをしないだけの判断力を子どもたちにもたせることであり、火のついた恋に水をかけることではない。

 

 恋の手ほどき

 男と女が愛し合うということは、必ずしも性行為に直行することを意味しない。個性の異なる二人の魂が、深いレベルで通じあうには時間がかかる。また自然な感情の流れで、性行為にたどり着くことになったとしても、それは刹那的な快楽を至上のものとするのではなく、愛情表現として相手の身体と心の動きに細心の注意を払い、時間をかけてじっくりとなさなくてはならない。愛情のこもったセックスが、男女双方にとって心理的に癒しの効果をもつだけでなく、健康や長寿に貢献することなどは、すでに科学的に証明されている。

 そのようなきわめてシンプルな事実すら語る機会をもたずに、コンドームの使い方やスカートの丈の長さにこだわる大人こそ、いったいどのような異性関係をもって生きてきたのか、と聞きたくなってくる。

 これだけ性文化が巷に氾濫している反面、人間を動物的本能の世界に引き戻す性欲は、恥ずかしく、汚らわしきものという思い込みは、一般市民の潜在意識に深く入り込んでいる。急増する夫婦間のセックスレスや深刻な少子化問題は、さまざまな要因が絡んでいるにしても、現代日本人が性に対する否定的な先入観を改めることによって、大幅に改善されるだろう。

 恋愛は、男性にとっては内なる女性性(アニマ)を、女性にとっては内なる男性性(アニムス)を育んでいく最良の機会となる。男性は恋することによって、相手女性への愛情を深めていくうちに、自らの野卑と横暴に反省を加え、繊細な感受性と他者に対する優しさを養うことができるだろう。また女性は、一個の男性と真剣に向かい合うことによって、みずからの内に自主性や決断力というものを培っていくことができる。

 そのように男女ともに、生涯をかけて両性具有の人間へと円熟していかなくてはならない。それでこそ肉体を授かって、この世に生まれてきた甲斐があったというものである。いわゆる男女共同参画社会というのは、男女が限りなくユニセックス的存在になることではなく、男性は男性性を、女性は女性性を大切に成長させながら、両者で支え合う関係を構築しようとする社会のことであってほしい。

 不当な男性優位構造は断固排除しなくてはならないことは言を待たないが、かといって、キャリア志向の女性が男性と競うあまり、母性を放擲するような社会が理想だとは思えない。能力ある女性がその才能を最大に伸ばしていけるように、教育者は誠心誠意応援しなくてはならないが、日本女性がまちがっても欧米社会にありがちな好戦的なフェミニズムに陥って、みずからを人生の袋小路に追いやることのないように助言をするべきだろう。

 私の意見に共感してくださった先生方がおられるなら、来週は全校で英語や数学の授業を休講にしていただき、臨時科目としての「男と女の教育」に振り替えてもらえないだろうか。生徒が机を叩いて喜ぶことは請け合いであるが、彼らのこれからの長い人生にとっても忘れ難い授業となるに違いない。

 

11 腹の底から大きな声を出す

 気になる日本人の声の小ささ

 大学教師として、若者の前に立つことが日常となっている自分にひとつ気になることがある。それは何かといえば、彼らの声が小さいのである。なんだ、それだけのことかと思われるかもしれないが、実は軽々に看過できることではない。

 実は大学生のみならず、日本人は総体に声が小さい。初めは、自分も歳のせいで耳が遠くなってきたのかと思っていたが、やっぱり皆の声が小さいのだ。

 以前、永平寺で修行中の雲水百名あまりを相手に、修行の心構えについて講演させてもらう機会があったが、あとの質疑応答の時間で、彼らの声が小さいのに驚いた。真に腹の据わった修行をしているなら、声が小さいはずがないと思うからだ。

 日本人が声を張り上げるのは、ヒステリックに怒鳴るときか、居酒屋で深酔いしたときぐらいである。平生、声が小さい人間にかぎって、その反動は大きい。

 大学街の居酒屋チェーン店に行ってみると、耳をつんざくような大声で騒いでいる学生群によく出くわすが、ああいう連中にかぎって、きっと教室では借りてきた猫のように大人しいのだろうと想像してしまう。教室の中で、こちらが議論を吹っかけたとき、どうして大声で反論してくるぐらいの元気がないのか。それが情けない。

 外国の観光地にあるレストランのテーブルを囲んで、場違いな大声で話す集団がいれば、たいていはアジア人観光客だと思ってよいが、その代表格が日本人である。出すべきところで声が小さく、出してはならないところで、声が大きいというのは、頂けない。

 

 なぜ声が小さいといけないのか

 たかだか声ぐらいのことで、どうして私がそうも目くじらを立てるのかといえば、理由はいくつかある。

 一番目の理由は、声の大きさが、二十一世紀における日本の国際的役割に関わるということだ。物事を訴えるときに、「声を大にして」という表現を使うことがあるように、日本の立場、思想、歴史、文化を世界に訴えたければ、ほんとうに声を大にして発言しなくてはならない。それは、外国語が流暢に話せるかどうか以前の問題といえる。

 国際会議に出てよく思うことだが、日本人は黙りこくるか、発言の声が小さいかのどちらかである場合が多い。たとえ発言しても、体格が大きいだけ声帯の太い外国人に比して、日本人の声は甲高く、かつ細すぎるのだ。日本人相手ならいざ知らず、外国人と交渉事でもするなら、もっとドスの利いた声で話さないと、相手にされない。

 私が留学して最初に驚いたことの一つに、アメリカの大学教師には、声に張りのある人物が多いことだ。大教室の学生を前にして、マイクも使わず、朗々と自信に満ちた声で講義されると、内容がどこまで理解できていたかは別として、ついうっとりと聴いてしまったものだ。

 たまに日本の大学の先生が短期間、招かれてやってきて講義したりすると、ノートを見ながらボソボソと話すので、同じ日本人として悲しくなってしまった。そんなことで、アメリカ人学生に通じるとでも思っているのだろうか。

 そのことは通訳のアルバイトをしていたときにも、痛感した。日本側はせっかくの情報を持っていても、声が小さいのである。あれでは、インパクトがない。もっと顔を上げて、相手の目を見つめながら、堂々と話すべきだ。そのような態度に自信を滲ませながら、大きく明瞭な声で話さないと、交渉相手は議論する以前に「われに勝機あり」と判断してしまうだろう。

 ましてや二十一世紀の日本には、果たすべき文明史的役割があると確信している私は、か細い声でしか発言しない若者を前にして、がく然としてしまうのである。「それで君たちは、これからの日本を背負っていけるのか」と聞いてみたくなる。

 

「声を大にして」発言しないことの危険

 二番目の理由は、自分の意見や思想を「声を大にして」発言する訓練を積んでおかないと、何も言わないまま、多くの非道を黙認することになってしまうということだ。

公共道徳がないがしろにされていると言われだして久しいが、その理由の一つは、われわれが街角で見かける不品行を見て見ぬふりをするようになったからだ。ひどいときは、通勤ラッシュの駅で殺人が起きても、誰も立ち止まらないケースもある。

 それだけではない。現代世界では暴走するアメリカと、それに追随する日本という構図ができつつあるが、そのような政府に対しても、何も言わない国民でいることは、きわめて危険である。世界唯一の被爆国が、なかば実験目的でヒロシマとナガサキで原爆を使用したアメリカと、いつのまにか武器共同開発を推進しようとしている。それでも国民は疑義の声を上げようとしない。

 中東地域で開かれる会議に出てみると、すぐわかることだが、イスラム教圏は欧米との橋渡し役としての日本に対して、大きな期待をしている。そのような国がホワイトハウスの顔色を見てからしか政治ができなくなっている事実に対して、われわれは黙っていていいのだろうか。

 憲法九条を破棄してしまおうという動きもあるが、国会を一院制にするなどの改正ならいざ知らず、軍備強化のための憲法改正など、絶対にやってはならない。そういう状況にあっても、大多数の国民は声を上げずに、黙って座視するつもりなのだろうか。それはまさに、いつか来た道ではなかったのか。

 その点、欧米人の市民意識は発達していて、政府の税金対策や外交政策に納得しなければ、たちまち声を上げ、それが大規模な市民運動に発展し、しばしば政府を動かすことになる。日本人も六〇年代の安保反対運動や、七〇年代の学園紛争で、ヒステリックに声を張り上げた時期があったが、日本人の社会的関心は、一過性のものとして終わる傾向がある。

 日本人の声の小ささは、政治的無関心と相応しているのかもしれない。だから、選挙のたびに拡声器のボリュームを最大限にして、自分の名前を連呼する候補者に、なんとなく投票してしまうような主体性なき有権者になってしまうのだろう。

 

 健康増進と長寿につながる「大きな声」

 三つめの理由は、大きな声を出すことが健康増進につながるという点である。必要なときに必要なだけの大きな声を出すためには、まず健康であらなくてはならない。生命力の衰えは、まず声に反映するから、病院に入院しているお年寄りでも、家族や看護師に大きな声で駄々をこねているうちは、当分、死にはしないと考えてよい。

 テレビを見ていると、歌手にはいつまでも老けない人が多いようだ。張りのある大きな声を出すことを職業としているうちに、肺活量も増え、身体各部の筋肉も鍛えられるのだろう。

 同様に、元教師などにも長寿の人をよく見受けるが、それは教壇の上で声を張り上げていた時間が長かったからではなかろうか。僧侶もお経を読み込んだために朗々とした声の持ち主が多いが、そういう人物は、たいてい長生きである。

 第一、大きな声を出していれば、内臓の機能を活性化させるためか、よく腹が空く。だから食欲増進にも繋がり、それが健康にも貢献するのだろう。

 大きな声を出すことは、精神衛生面でも、好ましく思われる。大きな声を出せば、ストレス発散になることは、誰でも体験上、理解できるはずである。夫婦喧嘩でも、互いに大声を張り上げているうちは離婚のリスクは小さく、どちらかの感情的確執が陰湿になって、声に出されなくなるとリスクは増大したと考えてよい。

 そもそも、うつ病にかかっているときなどは、まず大きな声が出ないはずだ。深いレベルでの自己感情が抑圧されているかぎり、身体は明確な声を出しえない仕組みになっている。最近は脳科学が大流行だが、きっと声の質は脳の働きに直結しているはずだから、メリハリのある声を出せるというのは、脳の老化防止にも役立つように思われる。

 中世日本で念仏信仰を広めた立役者の法然上人は、念仏を称えるときは、「真実に、うらうらと声を出しなさい」と説いているが、彼はみずからの宗教体験から、声と人間の想念が別物ではないことを確信していたと思われる。同じナムアミダブツと称えるにしても、もごもごと言うのと、朗々と発声するのでは、心理的効果に大きな差が生じる。法然は、そのことを知っていたのである。

 現代日本人にとっては、念仏など称えなくても、カラオケで唸ってもそれなりにストレス発散ができると思われるが、カラオケの難点は音響効果が整いすぎて、地声が小さくても大きく聞こえることだ。

 私はいつかタイ北部の山中を歩いているとき、焼畑農業をしながら、谷に響き渡る大きな声で民謡を歌いあう山岳民族に出会ったことがあるが、歌唱力を鍛えるには、ああいう環境が理想的にちがいない。

 

 声は「生き方」にも関わってくる

 大きな声を出すことの最後の理由は、それが自分の考えを明確にすることにも役立つからだ。自分の考えに自信がなければ、ボソボソと声も小さくなりがちだが、自分の中で考えがよく整理されていて、それを相手に伝えたいという気持ちが強ければ、当然のことながら、声は明瞭なものとなる。

 それをもう少し拡大解釈していけば、声は生き方の問題に関わってくる。信念のある生き方をするためには、自分の考えをしっかりと持ち、それを周囲の者にも伝え、実行に移していく必要がある。つまり、「声を大にして」自分の考えを語るということは、自分の生き方に責任をもつことにほかならない。

 子どもたちが、どこでもまったく声を上げず、人の顔色を見て受動的な行動をする癖をつけてしまえば、残念ながら、その子たちの前途は暗い。周囲の者に容易に理解されなくても、自分の思うこと、感じることを堂々と発言する訓練を積んでおくことは、人生の一大事なのである。

 日本の企業や役所における会議やミーティングの多さには、まったく閉口するが、みんながもう少し自分の考えを簡単明瞭に発言し、また相手の話を的確に聞き取る訓練を積んでおれば、おそらく一時間の会議でも、十五分で済むものが多いのではないか。大の会議嫌いの私にとっては、人の顔色を見てばかりいる者が、組織に波風を立てたくないばかりに、小さな声で建前を語る時間が長すぎるように思えてならない。短い人生の貴重な時間を空しくも長い会議で無駄にしたくないものだ。

 

 どのように声を鍛えるべきか

 というような理由の数々から、なるべく腹の底から声を出す訓練を小学校ぐらいから始めるのがいいと思われる。演劇部の生徒たちが校庭で発声練習をしているのを見かけることがあるが、あのようなことを全校的にやってみてもよいかもしれない。

 あるいは毎朝登校してくれば、全員が校庭に散らばり、元気の出る歌を一斉に大声で歌ってから、教室に入るというのは、どうだろう。ただ、そのとき整列させるのではなく、木やジャングルジムに登ったり、花壇の傍に立ったり、みんなが思い思いの場所で歌うのがよい。それと選曲は、君が代や校歌のようなレトロ調のものではなく、若者の身体感覚が乗りやすいリズム感のある歌がよい。

 この「声の体操」を繰り返すだけで、アトピーや拒食症が治ったりして、元気になっていく子どもが増えていく気がしてならない。腹の底から全身全霊で発声するうちに、学習中の集中力も増すだろう。本当にいいことは、あまり金がかからないものだが、実行する人は少ない。

 そして教室で朗読や発言をするときは、教師の目を見つめながら、なるべく一音一音を明確に発音して、教室全体に響き渡るような声を出すように指導すべきだ。ある意味では、教師が投げかけた質問に対する回答が、大きな声で明朗になされたかどうかは、その回答の正否以上に重要なことである。間違った答えは、正しい知識を与えれば訂正可能だが、発声法は一朝一夕に是正されるものではないからだ。

 小学生あたりは、まだ元気な声で先生の質問に答えているようだが、高校生ぐらいになると、まったく声に生気がない。大きな声を出しているのは、真っ黒に日焼けしながらグラウンドで練習している野球部員ぐらいだろう。成績表に、科目別の成績以外に、「声の大きさ」という評価欄を設けてもいいぐらいだ。

 日本の未来は、若者の声の大きさにかかっている。そんなことを考えながら、私は今日もまた教壇の上から、大声で学生たちに挑発的な質問を投げかけるのである。

12 先生と親の人生体験を豊かに

 人は人から最も多くを学ぶ

 人の一生はどんな人に出会ったかで決まるといわれるように、人に最も大きな影響を与えるのは人である。教育においても、教壇に立つ先生や家庭で子どもに接している親の人間性の問題が一番大きい。カリキュラムや教科書、ゆとり教育などの制度の議論も無意味ではないが、やはり子どもに直に接して影響を与えているのは親と先生だ。全くおかしな制度はいけないが、そこそこの制度の下で、親と先生が自分の最もいいところを出して子どもに接していくことができれば、教育はもっと良くなる。

 そこで私が今感じていることは、何と言っても親と教師の人生体験が足りないことだ。先生は大学で教職課程を取り、教員採用試験に合格した人が教壇に立っているのだが、それは最低限の資格である。子どもたちに教えるには知識に加えて体験も必要で、その部分が大きく欠如しているので、人間性に厚みがない。自分の狭い価値観と人生観の中で子どもを教えようとするから、どうしても押し付けになってしまう。広い人生観や柔軟な価値観を持っていたら、そんなことはしない。そこに立っているだけで、自信がにじみ出てくるような人が教師の理想だ。豊かな人生体験のある教師を育てることが第一である。

 では、教師はどこで人生体験を積めばいいのか。例えば、教員資格を取得後、一年くらい青年海外協力隊に入る。研究熱心な人には奨学金を出し、二年くらい大学院で勉強し、修士号を取ってくるようにする。アメリカなど先進国でなく、途上国の大学に行ってもいい。そういうことをしないと人間の幅はできないと思う。広い世界を見たり、苦労して勉強してきたりした体験が、教育にとって本当の原動力になるからだ。教員の資質が向上すれば、教員採用試験に合格してから二年くらいの留学は無駄な投資ではない。そうすれば日本の学校のレベルも上がるし、国の力も底上げされる。

 教育以外の仕事にも追われる今の学校の先生はかわいそうだ。朝から晩まで働いて、残業もあり、夏休みや冬休みにも出勤しないといけない。部活に熱心な先生には土日もないほど打ち込んでいる。せめて夏と冬の休みには解放して、充電できるようにすべきだ。海外研修に行く人には助成金を出してもいい。教育の質を上げるには先生の質を上げることが第一で、そのための投資は惜しむべきでない。〈ゆとり〉教育というのは、授業時間を減らすのではなく、先生が〈ゆとり〉をもって教えられるようにすることだろう。

 

 光るものを見せられる先生に

 それにしても、先生に聖職という言葉がなくなったのは寂しい。先生は尊敬される職業であるべきで、そうでないと子どもたちに教えることはできない。ところが、学歴は父兄たちと同じになり、平等主義が広がることで、先生といっても特別に尊敬する必要はないという風潮が一般的になった。教室でも先生は生徒と同じ目線で教えることが求められ、教壇が消え、友達のような関係になってしまった。

 もちろん、そうした状況でも、先生は何か光るものを見せて、子どもたちの尊敬を勝ちとらなければならない。多くの小学校で、ベテランの先生ほど学級崩壊に悩んでいるそうだが、新鮮な魅力で子どもたちを指導できないとそうなってしまう。

 アメリカの日本語の先生はかなりレベルが高い。それは就職が難しいからで、特に多くの女性が日本語教師の資格を取り、各大学の日本語科に就職しようとしている。試験では必ず模擬授業を行う。私も何度が立ち会ったが、それぞれが驚くほど工夫していた。運良く合格しても、たいていは三年ほどの契約なので、二年後には次の就職口を探すことになる。そのつど熾烈な競争に勝ち残る必要があるので、若い先生の中にも極めてオリジナルな授業をする人がいる。効果的に教えるには、料理のレパートリーのようにいろいろなメニューを増やしていき、赴任する学校や担当する学級によって授業方法を変えていく必要がある。

 反対に、日本の日本語教師には、ワンパターンな授業をする人が多い。それは、一旦教師に採用されると、振るい落とされる機会がほとんどないからだ。

 根本的に教育のゴールを考え直す必要がある。子どもをいい学校に入れるという発想は外して、人間性豊かな子どもを育てることを目標にする。勉強ができる子は、自然にいい学校に進むし、勉強ができない子は、別の才能を生かして職人や商売人になればいい。親たちが変な価値観を外せば、学校教育でいろいろなことができる。いつも進学のことが念頭にあるから、この時間ではこれを教えないといけないとなってしまう。東大に合格する生徒を育てるのがいい高校ではない。

〈ゆとり〉教育の見直しで、学力向上が優先されるようになると、大学合格だけを高校の価値基準にするような風潮が強まらないか心配だ。そうなるのは大人の思想が貧困だからで、時代の風潮に左右されないような教育観を持たないといけない。

 

 親は子どもの鉄砲柱

 一方、多くの親たちは反抗期の子どもにどう接したらいいか悩んでいる。乱暴な言い方をすると、信頼して放っておくしかない。無理に構おうとすると、飼い犬に手をかまれるような結果になって、その子の成長も妨げてしまう。子どもが反抗するのは当たり前で、むしろ反抗しない子がいたら、そちらのほうが問題だ。そんな子どもがキレる子や、通り魔事件を起こす若者になってしまうのではないか。

 子どもが反抗するようになれば、こいつは見込みがあると思って、親は耐えるしかない。親は相撲の鉄砲柱みたいなもので、子どもに胸を貸してやるくらいでないといけない。今のほとんどの子どもが困っているのは、反抗しがいのない親が多すぎることだ。親という壁を乗り越えることで子どもは大人になっていくのに、押したら倒れるような壁だと、その役に立たない。親に反抗しようがないと、子どもは社会にすねるようになる。

 その点、偏屈な親は、むしろ子どもにとって反面教師で、こんな親にならないようにと考え、子どもは成長していく。一流大学を出て、高収入の仕事を持ち、物分りのいい父親は、娘にはいいだろうが、息子にとっては非常にやりにくい。反発しようがないからだ。飲んだくれのように人間的な欠陥があると、そこに不満をぶつけることができる。

 それすらできないで、父親の大きな影を見てしまうと、子どもは「どうせ自分は父親のようにはなれない」と人生に絶望してしまいかねない。私が主宰する健康断食に、東大を出て一流商社に勤めた老紳士が参加した。二十七歳の次男に「私の人生は失敗だった」という遺書を残して自殺され、痛恨の思いを抱いて、三十歳くらいの長男を連れてきていた。みんなで一緒に供養の念仏を上げると、帰りには笑顔を見せるようになったので、少しは心が軽くなったのだろう。

 少子化になったからか、今の親は子どもに甘すぎる。もう少し叱ってもいい。ヒステリーで怒る親が多いが、それでは本当に叱ることにはならない。親がキレると、子どももキレてしまう。頭に血が上ると、かえって逆効果だ。必要なのは、威厳をもって叱る父親と、静かにいさめる母親である。叱るときには、臍下丹田(せいかたんでん)に気を集中させ、怒りが増すほど冷静になるようでないといけない。

 今の親たちも、親に叱られた体験がないので、子どもの叱り方を知らない人が増えている。高校まで先生に叱られたこともないから、大学で初めて先生に叱られると、ショックを受けるらしい。

 

 学生を褒めるアメリカの教授

 日本の親や先生は、子どもを叱ること以上に褒めることが下手だ。甘やかすのは過ぎるほどだが、私自身の反省も含めて、子どもを上手に褒め、叱ることが得意でない。

 その点、アメリカ人は人を褒めるのがうまい。自分の教え子や子どもを、褒めすぎだと思うくらい褒める。もともとアメリカ人は楽天的な国民性で、加えて小さいころから人付き合いや社交の練習を重ねているので、人を気持ちよくさせ、自分の思うように行動させるすべに長けているのだろう。

 褒めるのは叱るのより難しい。日頃からよく相手を観察し、本当に優れた点を褒めないと、相手も褒められた気にならないからだ。軽々しく持ち上げるのではない。そこには何より愛情が必要だろう。

 ユダヤの古い教えには「汝の妻を褒めよ」という言葉があるそうだが、日本の夫たちは耳が痛いに違いない。褒められないのは、褒める点が思いつかないから、つまり無関心だからで、それは愛のないことだ。マザー・テレサは「愛の反対は無関心だ」と言った。むしろ、憎しみのほうが関心があるだけましなのだろう。

 人を褒めるのは、急に思いついてできることではない。やはり、日頃からその姿勢で人に接し、観察し、思いを言葉にすることが必要だろう。身近な人にだけでなく、赤の他人にもそうできるようになれれば、日本社会はもっと暮らしやすくなるかもしれない。とりわけ都会に暮らしていると、それを痛感する。

 二〇〇七年九月十八日、アメリカのカーネギーメロン大学で「最後の講義」を行ったランディ・パウシュ教授が、講義から十カ月後の〇八年七月二十五日、四十七歳で亡くなった。すい臓がんで余命三~六カ月と宣告されたランディ教授の最終講義の題は、「子どもの頃の夢を実現すること」だった。この講義はインターネットで世界の六百万人以上が受講し、米紙記者が講義録を編集した本は三十カ国語に翻訳され、世界的なベストセラーになっている。

 バーチャルリアリティの世界的な権威である同教授は、八歳のころに持っていた①無重力を体験する、②NFL(アメリカンフットボールのリーグ)でプレーする、③百科事典を執筆する、④(「スタートレック」のカーク船長になる、⑤ぬいぐるみを勝ちとる、⑥ディズニーのイマジニアになる――という夢をどのようにして実現してきたかを明るく語った。

 ランディ教授も学生を褒めて乗せるのがうまく、「教師の第一の目標は、学生がどのように学ぶかを学ぶ手助けをすることだ」と言う。そして「人生を正しく生きれば、運命は自分で動き出します。夢のほうから、きみたちのところにやって来るのです」と、学生たちに最後のメッセージを送っていた。

 

 

13 学校を変えよう

 

 父兄の力を学校に取り込む

 最近、自分勝手な要求を学校に突きつけるモンスターペアレントが問題になっている。そんな親が出てくるのは、子どもの教育を学校に任せ切りで、責任も擦り付ける親が多すぎるからだろう。今の学校の先生は気の毒なほど多忙で、普通の人ならノイローゼになってしまいかねない。学校の先生と父兄が、もう少し一緒になって学校教育に取り組むようにしていきたい。

 二〇〇八年八月に大阪と京都で開かれた「宗教指導者サミット」に、一燈園がイスラエルから招いた人が出ていた。彼はイスラエルで、ユダヤ人とパレスチナ人の子どもを混ぜた、幼稚園から十二年生までの学校を運営していた。同じような学校が同国内に四校あるという。ユダヤ人とパレスチナ人は憎み合って、全く人間視していない。そんな人たちが平等な立場で共に学んでいるのだから、非常に特殊な学校だ。そこではPTAが学校の運営やカリキュラムにも相当参画しているという。日本の学校もそういう方向にもって行った方がいいのではないか。

 モンスターペアレントのように無責任で思慮の浅い親も多いが、反対に学校の先生よりはるかに教養もあり、人性体験も豊かな親もいるので、週末などを利用して、学校の向上のためにそういう人たちの意見を取り入れていけばいい。

 父兄からのクレームがあると学校は一番弱いので、最初から親を巻き込んで企画を立てる必要がある。制度的にそれを可能にするのがコミュニティ・スクールで、日本でも二〇〇二年度から小中学校での実験が始まっている。

 アメリカなどでは地域住民による学校運営の実績がある。日本では、学校教育法によって、学校の設置者が学校を管理をすることになっているので、学校の設置者が学校を管理する上で必要とされる範囲内でコミュニティ・スクールのやり方が導入されるのだが、そうした形からでも改革を進めていく必要があるだろう。

 富山市内のある小学校では、地域から先生のボランティアを募集し、茶道、囲碁、将棋など十四サークルが月二回、土曜日に学校で活動している。学校管理も地域の人に任せているという。それは、PTAが中心になり、十数年かけて学校と地域の信頼関係を築いてきたからで、地域が一体となって子どもたちを育てるという意識を持つようになった。

 例えば、地域の人たちが音楽室で開いている童謡を歌う会に子どもが参加するなど、社会福祉協議会と協力して、空き教室を利用して週二回、お年寄りとの交流の場も設けている。お年寄りから昔の暮らしや遊びを教わるきっかけにもなるという。父兄はそれぞれ職業を持ち、いろいろな体験をしているので、子どもに面白いことを教えられる人も多いだろう。

 

 学校を拠点に地域のきずなを回復

 日本の親たちは子どもが学校にいる間は消極的にでも学校と関わるが、子どもが卒業してしまうとほとんど縁が切れてしまう。それは学校が面白くないからだろう。地域の大人たちも喜んで関わるような面白い学校づくりを進める必要がある。

 地域のきずなが弱くなっている中、それを回復する機能を発揮できるところとしては、学校が最も期待されている。役所は経費節減で、それこそますますお役所仕事になり、問題を起こさないことがいいことだとなっている。祭りが盛んな地域では、子どものころから祭りに参加することで、地域の大人たちにもまれながら成長していくという仕組みがあるが、多くの祭りは後継者不足や資金難で廃れる傾向にある。

 学校には子どもの教育を目的に教師という専門家がいて、教室などの施設や学習、スポーツなどの設備がある。しかも、校長がリーダーシップを発揮すれば、それらをある程度自由に活用できる環境にある。つまり、地域づくりの拠点として、学校ほど適切なところはない。それに気づいて、学校を地域再生の拠点として活用し始めている例は全国に見られる。

 校長を民間から公募した和歌山県の公立小学校では、子どもたちと地域の関わりを深めるため、地域の清掃活動のボランティアを行っている。掃除をすることで、子どもたちは通学路以外の地域を知るようになり、地域の人たちとか顔なじみになる。

 そうなると、互いに挨拶を交わしたり、子どもたちがいけないことをしていると注意したり、地域で子どもを育てる雰囲気ができてくる。それが地域の教育力だ。そんな地域だと、若いお母さんも子育てしやすいだろう。

 

 学校にも資本主義的な考えを

 公立学校や国立大学にしろ、もう少し、資本主義的な考えを取り入れないと発展しない。奨学金を例に取ると、アメリカでは各大学に莫大な基金があり、集めた学費をプロのマネージャーが運用している。それで学校の資産を増やし、優秀な先生には特別な報酬を出し、優秀な学生には返還の必要のない奨学金を支給する。ローンという、卒業後に返還する低金利の奨学金もある。

 それらが可能なのは、各学校がある程度の資産作りを許されているからだ。公立校でも、学校で自由に使える資金を増やし、それで図書館などを充実させる必要がある。教育委員会や文部科学省におんぶに抱っこでは甘いと思う。

 先生たちはいつも上の顔を見ているので、教育にひずみが出てきてしまう。校長や教頭と一般の教員の間に溝があり、管理職はいつも教育委員会のほうを見て、事なかれ主義になりがちだ。もう少し各学校が、精神的にも経済的にも独立するような態勢を作らないと、日本の教育は行き詰ってしまう。

 四年ほど前、文科省の中国高等教育調査団の団長として中国の重点大学十校を訪問した。中国の大学はすべて国立か省立だが、予算の半分が国や省から来て、半分は自前で稼いでいた。いわゆる自力更生の伝統である。

 行く先々で驚いたのは、株式会社を設立したり不動産業を営んだりしていたことだ。中には先物取り引きをしている大学もあるらしい。ある大学は老人ホームを作るなど創意工夫をして資金づくりをしていた。それによって思い切った設備投資をし、外国の優秀な教員を高級でスカウトしている。

 日本から一緒に行ったのは国立大学の事務局長クラスの人たちで、皆さん非常に感心するが、日本ではあり得ないという感想だった。全部、文科省が管理、統制しているので、各大学で資金づくりをするのは難しい。ごく最近になって、京都大学が株式会社を設立し、その他の大学でも工学部の教授の知恵を使って会社を設立したりしているが、中国ではそれを全学的スケールでやっていて、幹部はビジネスマンのような雰囲気だった。日本も大急ぎでそういう方向に持っていかないと、教育が停滞してしまう。

 

 校長は経営手腕を振るえ

 渡部昇一さんは教育活性化のために塾を正規の学校として認めることを提案している。戦前の日本には、黒柳徹子さんが通ったトモエ学園のような、自由な発想で創設された学校があった。同学園は、リトミック教育を日本で初めて実践的に取り入れた学校で、黒柳徹子さんが書いた『窓ぎわのトットちゃん』の舞台になった。

 これも資本主義的な考えで、いい教育をすることで需要が高まるようにする。学校教育法や学習指導要領に縛られて自由な競争ができないのでは、日本の学校の教育力は向上しない。かつての金融業が大蔵省の護送船団方式で守られていたように、日本の教育界も守られすぎている。私はもっと競争原理を導入すべきだと思う。塾を学校として認めるのもその一つだ。

 また、いい教育を行う学校に投資をしてもらうために株式会社制にしてもいい。慈善事業で寄付するのではなく、見返りを期待して学校に投資する制度を作ってもいいのではないか。教育力が落ちると株主が離れてしまうから、学校も真剣に教えざるを得ない。

 校長先生は社長で、自らの教育ビジョンを掲げ、成果を上げることを目指す。その成果は、受験教育の成果ではなく、人間教育としての成果であるべきだ。その一つが、教育バウチャー制度だが、日本では時期尚早だとする意見が強い。でも、誰かがやりださないといけない。さらに言うと、文科省解体論になる。

 今の校長には社長ほどの権限はなく、人事権を握っている教育委員会の顔色を見ながら学校運営を行っている。定年まで問題を起こさないように過ごしたい、というのが多くの校長のメンタリティーで、画期的な教育ができるはずがない。

 最近、学校経営という言い方も広まりつつあるが、もっと校長個人の能力を発揮できるような仕組みに変えていくべきだろう。既に民間から校長を公募する試みも始まっているので、学校経営を魅力的にして、有能な経営者が集まるようにすればいい。

 アメリカは学校格差が大きい。知的にも人間的にも高度な教育をしている学校がある一方で、犯罪の巣窟のような学校もある。そこまでいくと困るのだが、日本もある程度、学校の自由化を進めることが必要なのではないか。

 今は学習指導要領に従い、同じような教科書を使って授業しているので、全国の学校が横並びになっている。その結果、日本人の知的レベルは平均化して、識字率は100%に近い半面、ノーベル賞を取るような学者は少ない。アメリカは知的レベルの格差は大きいが、ノーベル賞を独占するような優秀な科学者が多く育っている。それだけ学校教育にムラがあるということだ。だから、日本とアメリカの中間くらいがいいだろう。

 教育に金がかかりすぎるのは日本の大きな問題だ。収入の格差が子どもの大学の格差に反映され、東大生の親の平均年収は一千万円以上だという。高収入でないと、いい塾にやれない。教育環境に恵まれた者同士が結婚しているから、子どもも優秀な子が多い。日本もアメリカ社会に近づきつつある。

 しかし、教育に金がかかるのは仕方ないことでもある。世界の大多数の国に比べて、それでも日本は恵まれていて、日本の子どもたちは幸せだ。受験競争の過酷さからいえば、隣の韓国は日本以上で、人口に比べて大学の数が少ない中国やインドでは、もっと厳しい進学競争がある。

 もっとも高校までは、いい教育をするのにそれほど金はかからない。今のように、校舎などやたらと立派にする必要はなく、要は先生の給料を上げればいい。高い報酬が得られるところに優秀な人が集まるのは、自由な社会の原則だ。

 

14 いじめのない学校づくり 

 いじめはなくならない

 子どものいじめは深刻な問題だが、人間社会にいじめがなくなることはないだろう。一人ひとりの心が貧しく、負け犬根性を持っているので、それが裏目に出ると、自分より弱い人をいじめたくなる。ムラ社会に生きる日本人は、村八分をしたがるものだが、今はそれが突出している状態だと言えよう。

 子どもにいじめをやめさせるには、大人がいじめをやめることだ。大人一人ひとりが豊かな心を持つようになるしか根本的な解決法はない。親が心の貧しい生き方をしているから、子どもがほかの子をいじめる。親が貧しくても楽しく人生を生きていたら、その子はいじめなどしない。親がこんな人生つまらないと思っているから、それが子どもに伝染してしまい、そのうっぷんをいじめで晴らそうとする。

 近年は人と人との関係が希薄になり、水臭い社会になった。大学でも、前学期に教えた学生と廊下で会っても、挨拶する学生はほとんどいない。知らん顔して通り過ぎるので、こちらがびっくりしてしまう。一学期の間、毎週顔を合わしていて、何度も話をしているのに、学期が変わって授業を取らなくなると、知らん顔で通り過ぎる。普通なら、「先生こんにちは」くらい言うだろう。

 そんな学生たちを見ると、今の若者たちは関わりを持つことを避けているのだろうかと思ってしまう。水臭い社会だから、いじめられる子がいても、ほかの子はかばってやろうとしない。周りの傍観者がいじめを加速しているとも言える。

 深い人間関係をつくるには学校の部活や地域のスポーツ少年団などに入る方法もあるが、特にスポーツ系の部活では、先輩交配のハイラルキーが強すぎるのが気になる。まるで軍隊のようなメンタリティーさえ感じるので、そういう点は改めるべきだろう。アメリカの学生クラブにも先輩交配の秩序はあるが、基本的には平等な友達関係だ。

 クラスも一つの子ども社会で、いろいろな性格の子どもたちをまとめて、いい雰囲気のクラスづくりができるかどうかは、担任の能力や度量に大きくかかっている。優れた子をたたえ合い、劣った子には助けの手を差し伸べるような雰囲気があれば、いじめは起こらない。反対に、自分より能力の優れた子に嫉妬を感じ、反抗しない子にいじわるすることに快感を覚えるような雰囲気があると、いじめが起こりやすい。

 秋葉原の通り魔事件でも、被害者を助けないで携帯電話で写真を撮っていたような人が多かったのは、傍観者だらけの社会だからだ。都会は人を自由にすると言われるが、半面には人々の孤独があり、それが過剰になると、逆に人間の自由や安全を脅かしかねない。

 確かに、コンビニの発達やスーパーなどの惣菜売り場の充実で、都会の一人暮らしは快適になっている。しかし、それが生活の大半を占めるとなると、その人の人生はかなり空しいものになってしまうのではないか。こんな人生は生きるに値しないという絶望感から、ふとしたきっかけでキレてしまう人が増えている。

 

 一人ひとりが砂粒のような社会

 通り魔事件などを起こしている若者は、子供のころ、いじめもできなかったのではないか。その反動でいじめられることが怖いので、自分を殺しながら生きてきたのだろう。

「誰でもいいから殺したかった」「親を困らせてやりたかった」という犯罪者の声を聞くと、では彼らはそれで満足を得たのかと問いたい。おそらく、もっと大きな自己嫌悪と孤独を抱え込んでしまったのではないか。あるいは、そうなることが分かっていても、わき上がってくる邪悪な思いを抑え切れなかったのかもしれない。

 問題は、そうなってしまうまでの過程で、彼らを注意し、止めるような人が周りにいなかったことだ。彼ら自身の中にも、周りの人間関係にも、いわゆる“ため”がなくなって、もろくなってしまっている。

 孤独な労働者の典型が派遣社員で、自らの技術を売り物にしているのはごく一部で、多くは単純労働に従事させられている。秋葉原の通り魔犯も、そんな状況の中で不満を溜め込んでいった。いつの間にか、日本もそんな怖い社会になってしまっている。

 戦後社会は、個人の自由や権利を最高の価値とし、民法も社会の基本単位を個人においている。さらに資本主義の発達は、個人の嗜好を多様化させ、一人でも快適に暮らせる社会をつくり上げた。その結果、一人ひとりが砂粒のような孤独な社会になっている。マンションは鉄のドアを閉めると、孤独な空間の集合体になってしまう。

 とりわけ、ワンルームマンションの増加が地域社会を崩壊させるとして、東京二十三区のうち十区でワンルームマンション規制の条例が制定・施行されている。ワンルームに住む流動性の高い若者の中に、ごみ出しや騒音などのマナーを守らない者が多いからだ。これには、経済活動の自由を阻害する、戸建ての住民の中にもマナーを守らない人がいるという反論もあるが、住民の声に押されて、規制が広がる傾向にある。

 人間が人と人との間と書かれるように、人間は自らの周りに何らかの共同体をつくって生きる動物である。そのための能力をつちかい、経験を積むのが学校生活の一つの重要な目的だろう。だから、担任になった先生がクラスにどんな子ども社会をつくるかは、とても重要であり、そのためのスキルを磨く必要がある。

 

 学校でもっと子どもを遊ばせる

 近年、小学校の低学年から学級崩壊が起こっている。家庭が非常に不安定な状態だと、子どもは学校でものすごく無気力になり、教室で寝込んでしまったりする。逆に言うと、その子は家が大変なので、何もする気が起こらないというサインを出しているので、それにどう対応するかが、学校や担任として重要になる。家が大変な子は、学校へ来ると少しは心が穏やかになり落ち着くと、次第に回復していく。

 今、多くの若いお母さんたちが孤独な子育てをしている。都会ではたくさん人がいる中での孤立だが、地方では少数の中での孤立で、また家族の中でも孤立している例が多い。核家族は子育てに問題があると言われるが、三世代にも価値観や時代経験が違う祖父母から圧力を受けるという問題がある。例えば、いい子だと思ってもらいたいから、母親と祖父母とでは言葉を使い分けるなど、大人の顔色を見ながら暮らしている。

 ある地方の小さな小学校の校長先生は、近くの学校で起きたいじめをきっかけに母親の会をつくった。そこで最初に行ったのは、学校での子どもたちの様子を家庭に知らせることだ。その後、保護者からの要請で父親の会もつくり、時々合同会を開いている。母親からは「子育てに困っていても、お父さんは仕事が忙しいからおまえがやっておけと言う」という声も出てくる。父親は、「子どもがどんな状態なのか知らない」という人が多い。お父さんに子どもの様子や学校でしていることが伝わっていないと、必要な時に介入することができない。お父さんやおじいさんが核になって一家団欒のある家庭は、子どもが伸び伸びと育っていることから、祖父母の会もつくった。

 家族の会をつくった目的は、子どもを育てるためのそれぞれ役割を勉強することと、各自が自分の人生を豊かにするためで、いろいろな勉強会をはじめ音楽会や映画鑑賞会も開いている。学校からは校長と先生が入り、積極的に学校の情報を開示する。それによって、保護者が教育を自分たちの問題として取り組んでくれるようになるという。

 子どもが育つ環境は学校と家庭、地域が協力してつくるものだが、地域や家族にこうして欲しいと言っても、現実的にできる状態ではない。だから、学校がまず学校の中をつくり直し、家庭や地域に入り込んでいかないといけない。

 子どもは学年を超えて集まると、自然にリーダーが決まり、子ども同士のルールの中で動きだす。そこでいろいろな経験を積むことで力が付き、思いやりの気持ちも育つ。五感で感じたことを統合して、経験から学ぶのが教育の原点だ。

 例えば、小学校では放課後、四時半までの一~二時間、校庭で自由に遊べるようにすればいい。家に帰っても兄弟や近所の子どもは少ないのは、都会でも地方でも同じだ。子どもたちだけで毎日、遊び回っていると力強くなる。大人の責任は、そうした環境と時間を設定することだ。

 子どもが一番成長するのは、子ども同士の関わり合いを通してである。勉強の遅れた子には、できる子や上級生が勉強を見てやる。そうしているうちに、子どもは想像以上に成長していく。いじめのない学校をつくるには、子どもが知識ではなく体験で学ぶようにすることが第一である。

 

 集団の中で育つ子ども

 二〇〇四年に起きた佐世保市で小六女児同級生殺害事件の直後、国立教育政策研究所生徒指導研究センター総括研究官の滝充(みつる)さんが、「今の子どもは死の意味を実感する体験が欠けているので、今回の事件はいつどこで起きてもおかしくはない」と新聞にコメントしていた。滝さんは生徒指導が専門で、いじめや不登校を予防する教育の在り方など研究・実践しており、今の子どもたちの事情にも通じている。

 大人たちは「なぜ子どもがこんなひどいことができるのか」と思うが、滝さんに言わせると、「子どもだからこんなひどいことができる」となる。それだけ、子どもを取り巻く環境が変わってしまっていることを理解して、対応を考えなければならない。

 滝さんが強調しているのは、子どもたちに社会性が乏しいこと、その結果、自己有用感が弱いことである。多様な人間関係の中でもまれ、自分が役に立っているという実感が乏しい。死の意味が分からないのも、身近な人の死に接したことがないからで、寿命が延び、病院で死ぬようになった今の時代、無理もない。

 そこで滝さんが、オーストラリアで開発された手法を日本に合うように変え、いくつかの学校で実践しているのが「ピア・サポート」という予防教育的な生徒指導だ。ピアとは仲間のことで、学校を挙げて上級生が下級生の世話をする。例えば、上級生が下級生に遊びを教える、一緒に掃除をするなど。事前に、何のためにこれをするのかという教育をし、事後に感想文を書くなどして意味を確かめる。

 考えてみると、これは昔の子ども社会では当たり前のようにあったことで、異年齢の子どもたちが一緒に遊ぶ中で、その関わりの中から社会に出るための大切なことを学んでいた。あこがれの上級生がいたりすると、いたずらっ子も大人しくなったものだ。小さい子の世話をすることで、大きな子は自分に対して自信を持つようになる。今でもスポーツ少年団などでは、普通にあることだろう。そうした仲間との関わり合いの中で、自分の心をコントロールすることを覚えていけば、キレることはなくなる。

 

15 考える力をどうやってつけるか

 文章の問題を文章で答えさせる

 日本の学校教育は知識偏重と言われるが、知識もそれほど注入していない。高校二年、三年の大学受験レベルになると一気に知識の量は増えるが、それは受験用の知識であり、受験が終わるとほとんど消えてしまう。だから、それほど日本の教育が知識を重視しているとは思えない。

 重要なのは「考える力」で、これには二通りある。一つは、文字通り頭で考える力だ。

 これを身に付けるには、試験の形式を文章による設問を小学校レベルから増やさないといけない。正解を暗記すればいい○×式の設問は、百害あって一利なしで、知識が増えることにもならない。短い文章でもいいから、設問に文章で答えさせる。答えは一つではないので、採点は難しくなるが、あいまいでもいい。それなりに考え、努力していたら評価する。自分で考えている限り、素っ頓狂な答えでもいい。

 今は「カットアンドペースト」で、大学生もリポートを書くのに、自分で考えないで、インターネットなどで検索し、人の文章を借用して済ませている場合が多い。考える力が育っていないからだ。小学校のころから文章で問いかけ、文章で答えさせる練習を積む必要があり、それは国語力の向上にもつながる。

 次には、文章の設問に口頭で答えさせる。文章での回答と同時進行であるが、文章を書く力があると、口頭で答えることができる。最近の若者は単語だけの会話が多くなっている。それは、文章を構築する力を持っていないからだ。先生の負担は増えるが、細かく見る必要はないので、小学校低学年から文章で答える習慣を身に付けるようにしたい。

 日本の子どもが口下手で恥ずかしがり屋で、受身的なのも、そうしたことで次第に克服されていくと思う。頭で考える力を付けるには、文章による設問と回答を練習することだ。文章による設問も担任が考えればいいことで、そのほうが教える側も面白くなる。

 

 体で考える力を もう一つは、体で考える力である。

 京都市左京区の東山山麓にある「哲学の道」は、哲学者の西田幾多郎が散策しながら思索にふけっていたという。ギリシャの哲学者が散歩しながら思索し、議論したことは有名だが、脳科学でも足からの適度が刺激が脳を活性化させることが分かっている。例えば、いろいろな情報を頭に入れておき、ウオーキングをしながらそのまとめ方を考えていると、自然にストーリーが出てくることがある。探偵が部屋中をぐるぐる歩き回りながら考えるシーンは、ドラマなどでよく見かける。思考も脳細胞の物理化学的働きに支えられているのだから、体を動かすことで考える力を深める方法はもっと研究されるべきだし、自分でもいろいろ試みてみたらいい。

 足元にヘビがいたら、即座に体が反応して飛び上がるように、体で考える力はサバイバルのスキルとして非常に大事である。むしろ、頭だけで考える近代人は、その力がおざなりになっている。体で考える力は、ある程度追い込まれないと出てこない。ぬるま湯的な環境では危機感がないので、全身でものを考えるようにならない。例えば、雪山で遭難したり、海でおぼれたり、一つ間違うと死んでしまうような状況に置かれると、人は生きるために必死で考える。教育現場では極端な状況は提供できないが、何かそれに近づくための工夫が必要だ。

 横浜にある曹洞宗の大本山總持寺で、二〇〇一年から五年間、後堂(修行僧の校長の役)を務めていた野田大燈さんは、香川県高松市の五色台という瀬戸内海を見下ろす山の上に、不登校や引きこもりの若者を預かる喝破道場を開いている。そこでは、早朝からの坐禅、読経、掃除、食事作り、農作業、勉強などのカリキュラムをこなす中で、彼らが社会性を身に付け、自立していくのを支援している。

 野田さんが教育の一環として取り入れているのがスポーツチャンバラだ。日本で昔から子どもの遊びだったチャンバラごっこに、逮捕術の型の要素と安全性とルールを導入したもの。ルールは簡単で、十分な威力で相手の身体のどこでも良いので剣で斬る(叩く)こと。一人対一人で行う「対戦」から、一人対多人数、多人数対多人数の「乱戦」、より人数を増やした「合戦」といった対戦方式がある。

 用具は剣と楯と面で、剣は柔らかい合成樹脂を空気で膨らませた「エアーソフト剣」。武器には、そのほか短刀・小太刀・長剣・杖・棒・槍がある。面は目や耳など衝撃に弱い部位を保護する。これらの武器を使い、長剣の部、小太刀の部など種目ごとに分かれて戦う。子ども対大人のように力や体躯の差のある場合は、得物(武器)の長さでハンディをつける。

 合戦や乱戦の中に入り、本能に任せて力一杯戦えば、日頃のストレスや運動不足も一挙に解消する。友達や先生、親子の連帯感を深める上でも大いに役立つという。

 

 体験を通して教える

 富山商船高等専門学校商船学科教授だった山崎祐介さんは現役時代に、富山湾で洋上サバイバル実習をしていた。生徒たちはライフジャケット(救命胴衣)を着けて実習船の船上から海に飛び込み、約五十メートル離れたところに浮かべたライフライト(救命いかだ)まで泳ぎ着く。そして、いかだにはい上がった後、今度は再び実習船まで泳いで戻る。船は海面から三・二メートルくらいの高さで、しかも波で激しく上下するので、多くの生徒が手足を震わせていたという。

 山崎さんが洋上実習を始めきっかけは、「安全教育には、自然の中で人間の小ささを認識することが重要だ」と思ったからで、「洋上サバイバル実習は安全技術を学ぶというより、むしろ人間教育で、生意気で言うことを聞かない若者も、これを体験するとみんな感動する」と言う。

 生徒たちは、「本当に死ぬかと思った」「ビデオや教科書では興味が湧かないが、実際にやってみてよく分かった」「教室での講義には飽き飽きしていたが、実習には感動した」などの感想文を書いている。

 修学旅行や遠足で、先生が旗を持って団体行動するのでは、体で考える教育にはならない。例えば、四国なら剣山に独自のルートを見つけて登ってくるなど、みんなが知恵を出し合わないと成功しないような課題を出す。そんな時間を取るのは大変だと思うが、私はそういう教育が一番役に立つと思う。特に大学受験に関わる学齢になる前には、そういう時間を設けてもいいのではないか。

 農家の人に頼んで一緒に作物を作らせてもらうのもいい。画一的に同じテーマにしたり、学校がお膳立てしたりするのではなく、持続的に関わらなければならないテーマを設け、子どもたちの各グループがいろいろな農家を訪ね、米作りや野菜作りを手伝わせてほしいと交渉する。挨拶をして、どうしてそれをしたいのかを説明しないといけないので、社会性が身に付く。今の学生の中には挨拶もできない人が結構いる。研究室に来ても、何しに来たのか、こちらから聞かないといけないような現状だ。彼らがそのまま社会人なっていくのかと思うと恐ろしい。

 一流大学へ行かなければいけないという思い込みを外して、明確な目的意識を持つ、人間として面白い生徒を育てるようにすべきだ。考える力が身に付くと、結果的には彼らは成績も優秀になる。

 中学二年くらいで職場体験をすることが多いが、ほとんどは学校がお膳立てしたところに出かけている。安全性を考えた上で、グループで出かけ、交渉して、受け入れ許可書のようなものにサインしてもらって学校に届けるなど、生徒が最初から交渉するようにしなければ役に立たない。何軒も断られ続けるという体験がむしろ貴重で、そこで考える力が鍛えられる。恥をかきながら、どう言って頼んだら受け入れてくれるのか、どんな職場だと可能なのか、自分たちで考える。そういうことのできる若者が増えることが日本の国力を高め、不景気にも強い国づくりにつながる。

 革命的な発想の転換をしないと、学校はそこまで踏み切ることはできないだろう。しかし、勇気を持って踏み出せば楽しい教育になり、行くのが面白い学校になる。

 

16 生徒のプレゼンテーション力を高める

 学生のプレゼンはスライド4枚で

 私は全部の授業でパワーポイントを使っている。中間試験も期末試験もなく、学生の評価は一学期二回のプレゼンテーション「スライドショー」で行う。男女を混ぜた一グループ四人が、テーマを決めて準備する。発表は、四枚のスライドを使い、二十分間でするのが決まり。四人なので一人が五分、一枚のスライドを見せながら話す。

 テーマに沿って図書館やインターネットで調べ、膨大な内容を四枚にまとめる。制約があることで、密度の濃いスライドができる。ポイントを絞って分かりやすくまとめ、文章や写真、図表なども厳選しないといけない。単に白地に黒の文字を並べただけでは聴衆の興味を引かないので、デザインの芸術性も評価する。

 発表させると、とうとうと話す積極的な学生もいれば、うつむき気味に話す恥ずかしがり屋もいる。「スライドショー」と呼んでいるようにショーなので、堂々と話すことが重要だ。研究は緻密でなければいけないが、それをみんなの前で話すときには、パフォーマンスと心得えて、大胆な切り替えが求められる。

 もう一つの条件は、発表の際にメモや原稿を読まないこと。自分で研究してきたのだから、五分間で話すべき内容は分かっているはずだ。ハートから語るのに、原稿を読むようではいけない。忘れたような内容はそれほど重要でないのだから、頭に浮かんでくることを話せばいい。

 一回目に比べ二回目は格段に向上し、繰り返すうちに学生はずいぶん変わってくる。人前で話すからには、十分考えないといけない。カットアンドペーストのリポートを書くよりよほど臨場感があり、考える力、発表する力は向上する。加えて、教師の負担も減るので、双方にいいことだ。

 国際教養大学のように、英語で教えている学生には英語で発表させる。私は英語の教師ではないので英語の上手下手は判断しないが、発表の上手下手で成績を付ける。やらせれば日本の学生もできるようになる。

 大学院のゼミ生にも四枚のスライドで発表させている。修士論文や博士論文のテーマについて話すのだが、それを重ねることで整理され、研究のターゲットがはっきりしてくる。四枚のスライドがきちんと作れたら、全体像が映像化されるので論文が書ける段階だ。発表を見ると、その学生が論文が書けるかどうか分かる。

 

 アウトプットが最大のインプット

 学校行事などの式典でも、来賓の中には挨拶を読んでいる人が多く、子どもたちはつまらなさそうに聞いている。日本人は文字を重んじる文化に育ったので、文字を読まないと人前で語れない傾向がある。英語が上達しない理由の一つもそれで、一度英文を書かないと語れない。常に目で確かめて話そうとする文化なので、外国語が上達しない。途上国の十分に教育も受けていないような人が自由に英語を話すのは、耳で覚えた英語だからだ。

 学生にプレゼンテーションさせるのを考えたのは、私自身がアメリカに留学して、人前で話すことに苦労してきたからだ。また、学生アルバイトで長年、通訳をしてきて、いかに日本人が重要な場で意見が言えないかをつぶさに見てきた。だから、大学生のうちに意見発表のスキルを身に付けさせようと思ってやっているのだが、実は大学では手遅れに近い。もっとシンプルでいいから、小学校から始めてほしい。子どももそれを体験すれば面白くなって、進んで取り組み、成長するようになる。例えば、小学生のころから地元に伝わっている昔話を調べ、それを人前で発表するなど、自己表現の機会を増やせば、コミュニケーションができるようになるし、もっと深く考えるようになるだろう。

 パワーポイントは現代の紙芝居で、たくさんの文章を書いてはいけない。写真やグラフを入れて、言葉はキーワードだけ書き、それを自分のナレーションで動かしていく。その作業は非常にクリエイティブなことで、自分とスライドがうまくコーディネートしないと成功しない。いかに四枚のスライドを面白くし、聴衆を引き込むかは、一つのパフォーミング・アーツ(芸能)である。それをやらせれば子どもも喜ぶ。

 今の学校は、何もかも先生が用意しすぎる。夜中まで頑張って、翌日の教材作りなどする誠実さは評価するが、やってはいけないことだ。むしろ、子どもたちに作らせたらいい。

 私は英語で生命倫理を教えているが、生命工学は日進月歩し、状況は日々変わってくる。例えば、幹細胞についても、以前は胚細胞からしか作れなかったのが、京都大学の山中伸弥教授が人の皮膚細胞から幹細胞を作ることに成功したので、生命倫理を考える前提条件がひっくり返ってしまった。臓器移植や人工生殖、安楽死など話を大まかにして、各グループにテーマを与えて調べさせる。すると学生は徹底的に調べてきて発表するので、中には私の知らないようなこともある。自分で調べたことなので、彼らの身に付いている。同じことを、全部私が調べて講義すると、学生は寝てしまう。彼らに調べさせ、それを四枚のスライドにまとめ、二十分で発表させることで、彼らの頭に系統的な知識として記憶される。

 つまり、アウトプットが最大のインプットで、これは小中高大のあらゆるレベルでできる教育だろう。先生は指導要領に従ってワンパターンの授業をするのではなく、もっとレシピを豊かにすべきだ。

 

 コミュニケーションの回路を開く

 学校では生徒の描いた絵の展覧会が開かれたりするが、例えば自分の描いた絵の前で、その絵について説明するなどしたら、とつとつとした語り口でもあっても、その子についての理解が深まるだろう。絵を使いながら自分のことを話すのは、いわば動的な展覧会だ。

 アメリカの小学校でも、子どもたちの絵を教室の壁に張り出す。絵のレベルは日本の子のほうがはるかにうまい。色の使い方や、形の捉え方など、生き生きとした絵を描く。それに比べて、アメリカ人の絵は平板的だ。やはり、日本人は感性の民族だからだろう。それが、中学、高校になるにつれ、つまらない絵を描くようになってしまう。アメリカの子どもは逆で、大きくなるにつれていい絵を描くようになる。

 何かの物語を先生が語って聞かせ、それを元にイマジネーションで絵を描かせるのもいい。子どもは空想の世界で自由に遊ぶのが好きだから、喜んで描く。どんな絵を描くかで、その子の性格や家庭環境もある程度理解することができる。そして、自分の描いた絵を前にして、感じたことや、絵に込めた思いなどについて話すことで、聞いた物語を自分なりに再生することができる。それは、自分を知ることでもあり、考える力を養うことにもつながる。

 ディベートをもっと取り入れれば、自分の考えを言語化して整理し、話す訓練になる。自分の内面を言葉で表現できないから、落ち込んでしまうことがある。言葉にすることによって、自分自身を整理し、見直すことにもつながる。口下手な子は、絵に描いてもいい。やりやすい形で自己表現すると、それをきっかけにしてコミュニケーションの回路が開かれていく。

 音楽の授業でも人間教育はできる。合唱で人の音を聞きながら、それに調和する音を出して、和音を楽しめるようにすると、人間関係のこつをつかめる。自分の話をするばかりで、人の話を聞かないでいると、自然に疎まれるようになってしまう。親も子どもの話をじっくり聞かない、自分の言いたいことを言って親の責任を果たしたと思っている人が多い。夫婦の間でもそうだろう。妻の不満の第一は、夫が自分の話を聞いてくれないことだ。コミュニケーション力のある子どもを育てるには、家族が相手の話を聞き合うような家庭をつくらないといけない。

 

 子どもたちに道草をさせる

 二〇〇二年、東京・国分寺市に開校した早稲田実業学校初等部では、教育方針に「子どもたちに自然をとりもどす。自然にはたらきかけ、生きた知識を学ぶ」を掲げている。ある先生は、一年生から身近な環境の中で自然を発見する授業「はっけん!だいしぜん」を毎朝二十分、実施している。

 子どもたちは、通学の道端で見つけた花やカタツムリについて、「しぜんのはっぴょう」をし、それについて同級生が質問したり、先生が解説したりする。あるとき、一人の子がカタツムリの実物を持ってくると、次の日からは、ほかの子も動植物を虫かごやビニール袋に入れ、大事そうに持ってきて発表するようになった。観察、発見、感動、発表、共感の繰り返しが相乗効果を呼ぶのだろう。

 一番多い質問は「どこで見つけましたか」。そのうち、保護者から子どもたちの帰りが遅いという問い合わせが学校に来るようになった。学校は時間通りに下校しているのにおかしいと思った先生が後を付けてみると、子どもたちはあちこち見回り、立ち止まりしながら帰るため、歩いて六、七分の駅まで三十分もかかっていた。「でも、これはいけないことなのか」と先生は考えたという。

 道草を認めないような管理社会は、管理されるのに向いたような人しか育てない。学校と家庭が協力しながら、その壁を超えて伸びるような子どもを育てるようにしないと、私たちの社会に未来はないだろう。

 テレビやゲームの影響で、地方でも子どもは自然の中で遊ばなくなってしまった。その意味では、既に日本全体が都市化してしまっている。人工環境より自然環境のほうがはるかに奥深く、不思議に満ちているのに、それに触れる機会が減っている。心配なのは、子どもたちがどんな感性を身に付けるかだ。

 その危険性を感じるなら、マンション暮らしでもベランダで植物を育てる、可能なペットを飼うなどして、子どもにできるだけ生の自然に触れさせてほしい。何より、親がそれを楽しむ感性を回復してほしいと思う。

 不登校になった子が、小鳥を育てながら、自信を取り戻していったという例は多い。いじめなどで人の愛情を信じられなくなった子どもは、自分より弱いものを愛することで、自分の心に愛を回復させていく。そこで自分だけが体験したことは、貴重な知識の源泉にもなり、学校に戻ってからの友達づくりにも役立つ。自然にはそんな大きな力のあることを、まず先生と親が知ってほしいと思う。

 

17 国語力はすべての学科の基本 

 自分のほれ込んだ作品で教える

 私が高校時代、一番嫌いな授業は古文だった。退屈でたまらず、一学期、ずっと窓の外ばかり見ていた。それは、先生の教え方が下手だっかたらだ。作家の田辺聖子のように古典を愛していると、面白く教えることができる。教える側が自分の科目にほれ込んでいないといけない。カリキュラム上、必要だから教えるというのでは生徒の心を引き付けない。

 歴史に鍛えられてきた古典こそ民族の知恵の泉で、もっとしっかり勉強しておけばよかったと、今では後悔するくらいだ。日本だけでなく、西洋や中国、オリエントの古典は素晴らしい人類の知恵の宝庫だ。哲学よりも文学に人類の知恵は保存されている。面倒な文法などを教える前に、物語としての面白さを分からせる必要がある。これは、教えるほうが本当にほれ込んでいないとできない。特に受験で取らない生徒は、よほどのことがないと関心を持たない。

 私は博士論文で法然を書いたが、法然の面白さを小学生に語ることも、大学教授に語ることもできる。それは、私が法然の偉大さにほれ込んでいるからだ。国語の先生は、自分が好きで好きでたまらない文学作品を使って授業をするようにしたらどうだろう。教科書に出てくる作品の断片だけでは、到底そのよさは分からない。

 私立灘中学・高校で五十年間教鞭をとった名物国語教師、橋本武先生(灘中学校・高校元教頭)は、検定教科書を使わず、中勘助著『銀の匙』(岩波文庫)を三年間かけて丁寧に教えていたという。

 同書に描かれているのは、江戸情緒が残る明治の東京の下町に暮らした著者の、子ども時代の回想。明治四十四年に前編が、大正二年に後編が書かれた。同作を世に出すきっかけを作ったのは夏目漱石で、岩波文庫のあとがきで、和辻哲郎は「漱石はこの作品が子供の世界の描写として未曾有のものであること、またその描写がきれいで細やかなこと、文章に非常な彫琢があるにかかわらず不思議なほど真実を傷つけていないこと、文章の響きがよいこと、などを指摘して賞賛した」と述べている。

 橋本先生は最初はガリ版刷りで「銀の匙研究ノート」を作って製本し、昭和三十一年の八回生(中高一貫)から使い始めた。「文章の中の僅かな手掛かりをもとに、日本人としての常識教育に発展させることを考えた。私がノートを作った過程を生徒自身に仕事をさせる工夫をした」という。七十五からなる『銀の匙』の話に、生徒たちに一つひとつ題をつけさせたり、駄菓子の話が出てくると、実際に駄菓子を買ってきて教室で広げてみせたり、百人一首の話があると、生徒に和歌を作らせ、和歌集を出したり、その教育法は実にユニークなものだった。草体仮名の読解、生徒に古典文学の共同研究をさせるなど、独自の授業を三十年以上続けた。

 教え子のフジテレビ報道局解説委員・黒岩祐治さんは『恩師の条件』(リヨン社刊)で橋本先生とその授業法を紹介している。理科系の生徒も彼の古文の授業は大好きだったというから、古典も教え方次第なのだろう。

 橋本先生は、とにかくたくさんの文章を書かせていた。授業中に書けるのは限られているから、ほとんどは宿題になる。「“百聞は一見に如かず”という。書くことにおいては“百論は一作に如かず”で、文章作法をいくら説いていみても、文章は書けもしないし上手にもならない。書いて書いて書きまくって、書くことの拒絶反応を払拭した上で、はじめて文章作法が自然に身についていく」(橋本武『五〇年ひと昔・灘と歩んだ半世紀』)というのは本当だ。

 中学の三年間は毎月、課題図書の読後感想文を書かせている。しかも、その課題図書には、一年生で『羅生門』『坊っちゃん』、二年生で『福翁自伝』『阿Q世伝』、三年生で『徒然草』『フランクリン自伝』『古事記』とかなり高度だ。また、白居易の「長恨歌」を暗誦させたという。

「授業のカリキュラムは詰め込みに限る。ただし、嫌がるものを無理に詰め込むのではなしに、好きにさせておいてから詰め込む。その土台さえできれば、放っておいても生徒のほうからどんどん吸収していく」と語っている。そういう授業だから、すべての学問の、それ以上に人間性の基本である国語力が身に付き、東大合格率第一位になったのだろう。がり勉ではそうならない。なお、橋本先生は八年がかりで取り組んできた『源氏物語』の現代語訳を、二〇〇六年に九十四歳で完成させている。

 

 国語で宗教教育もできる

 私は学校に宗教教育を持ち込むのはあまり好まないので、その代わりに、古典をきちんと教えるようにしたい。いい国語教育をすれば、宗教教育は特にする必要はないだろう。ギリシャやエジプト、アラブの古典を教えると、そこに宗教観も含まれる。古典をしっかり教えると、宗教的な偏見は芽生えないと思う。難しい漢字も子どもは覚える力があるので、どんどん入れていい。

 例えば『平家物語』を読むと、当時の人々が信じていた神道や仏教、それ以前の迷信などもリアルに描かれている。貴族政治から武家政治に移っていく日本史の流れも、躍動的な人間社会の物語として理解できる。重要なのは、教える側がその面白さを知っていることで、子どもたちの興味に合わせて教えないといけない。

 山形県庄内地方では十二月九日を「大国(だいこく)さまの日」としてハタハタや黒豆を使った郷土料理で祝う。大国さまとは出雲神話に出てくるオオクニヌシのことで、スサノオの子孫。天にいるアマテラスなど天津神に対して、地を治める国津神とされる。国を治めて帰ってきたオオクニヌシをねぎらうのが大国さまの日だ。用意する料理は地方により異なるが、東北各地に伝わっている。

 子どもたちもその行事を知っていて、郷土料理を食べて育っているが、大国さまのことはあまり知らない。そこで、庄内地方のある小学校の校長先生は、「いなばの白うさぎ」の話や寸劇をしている。神話は不思議と子どもたちの好奇心を刺激するようで、興味津々と聞いていて、そのうち自分たちでも進んで寸劇をするようになったという。

「いなばの白うさぎ」には、弟をいじめる兄の神たちや、海を渡ろうとしてワニをだまし、皮をはがれてしまったウサギの話が出てくる。これは昔話も同じで、単なるきれいごとの作り話ではなく、かなり残酷な話も含まれている。それは実感をもって子どもたちの心に届くので、神話には道徳教育の効果もある。

 古代より語り継いできた神話や伝承は民族の伝統文化であり、その貴重な財産を埋もれさせるのは惜しい。心理学者の河合隼雄さんが心理学で日本神話を分析していたように、新しい学問の光を当てながら、神話や昔話を再生していくことが必要だろう。

18 小学校での英語教育は是か非か 

 生きた英語を教える

 私が教えている国際教養大学の中嶋嶺雄学長は小学校からの英語教育に賛成派だ。彼はかつて中央教育審議会委員(大学院部会長・外国語専門部会主査)を務め、国際教養大学ではすべての授業を英語で行うようにした。一九三六年に長野県松本市に生まれた彼は、鈴木メソッドで楽譜を見ずにバイオリンを覚えた。だから、小学生から英語を学べば、身に付くという確信があるのだろう。

 その説に私はあえて反対しないが、小学校ではむしろ古典を含め日本語教育に力を入れたほうがいいと思う。英語教育をするにしても、要するに教え方が問題になる。進学校の英語特化コースの授業を見たことがあるが、教科書をなぞっておさらいするだけのような内容だった。英語特化コースというのなら、野球の監督が野手の守備練習でノックをするように、教科書は伏せて、先生がいろいろな質問を英語で浴びせて、生徒に答えさせるようにしないといけない。

 英語を教える小学校が出てきてもいいが、教え方を工夫しないといけない。文字は見せないで、音だけを聞かせたり、映画を見せたり、音から入ったほうがいい。そうやって耳になじませ、徐々に文法を教える。

 ちなみに三十四歳でアメリカに留学した私に言わせれば、小学校からやる必要はない。小さい時から始めたほうが発音はきれいになるが、高校くらいからでも遅くはない。衆院議員の河野太郎さんは高校で留学しているので、流暢な英語を話す。だから、どちらかというと、今の通り、中学一年から教えるのでいいと思うが、教え方が間違っている。“This is a pen”や“I am a boy”など、実際に使わないような英語を教えたも意味がない。実際に使われる生きた英語を、音と映像から教えるべきだ。文法は後からでいい。

「国際会議を成功させるには、インド人を黙らせ、日本人を語らせることだ」という笑い話があるが、インド人だけでなくアラブ人も中国人、韓国人も堂々と英語を話す。自信を持って話さないのは日本人くらいだ。

 

 英語教育も国語教育の一つ

 外国を学ぶからには、国語と同じで、その外国語で相当の文章力を身に付けないといけない。考える力を付けるには、文章で問いかけ、文章で答えさせると言ったが、英語でもそれをやらないといけない。( )の中に正しい単語を入れなさい、というような問題は大間違いで、単語は間違えても、文章として相手に通じることが大事だ。

 私も大学で英語で教えながら、途中で単語が出てこないことはよくある。アメリカの学生を前にして、こちらのほうがはるかにボキャブラリーが乏しい。そんなときは、学生に「あの言葉、何て言ったかな」と聞くと教えてくれる。そういうことのできるのが語学力であって、単語を知っているのが語学力ではない。ど忘れしても、別の言い方ができればいい。今でも、しょっちゅう海外の国際会議などで英語話す機会があるが、台本を持つことはない。話しながら、意味が通じないと、別の言い方をしてみたりする。それはやはり文章力で、文章を鍛えていたらできるようになる。

 英語教育は国語教育と同じで、その言語で考える力につながるものだ。英語教育のための英語教育にしてはならず、国語や考える力にも結びつくものにしなければならない。

 昔、よく国文学の先生の日本語が一番下手だと言われた。むしろ、欧米の言語を勉強している先生のほうがいい日本語を書くのは、外国語を学ぶことによって、レトリック(修辞学)や論理性が身に付くし、語感のセンスも養われるからだろう。

 私の本がよく現代国語などの入試や全国模試などに引用されるのは、名文ではないが分かりやすいからだと思う。私は英語で鍛えられたので、日本語で書くときにもかなり論理性を本能的に考えている。だから、英語教育は国際化だけでなく、国語力にも考える力にも役立つものである。単に流暢に英語を話すためだけの英語教育はやらないほうがいい。まあ、教えるほうは大変だが。

 もし小学校から始めるのなら、先生は流暢に話す必要はない。ブロークンでも、先生が英語を話すことをエンジョイしながら教えることが大切だ。次第に上級生になるにつれて、正確な英語を話すようになればいい。私も相当ブロークンだが、これで海千山千の世界の人たちと渡り合ってきた。英語がネイティブの相手は少なく、たいていは英語を第二言語とする人たちだ。だから、単純で明晰な英語を話せればいい。私の英語は非常に分かりやすいと言われるのは、私がネイティブではないからだ。

 日本人には、英語は流暢に話さないといけない、正確でないといけないなどの思い込みがあるが、通訳など英語のプロフェッショナルなレベルは別として、初等教育の英語には求めるべきではない。むしろ、外国語を話す喜びを教えるようにしたらいい。

 英語の教科書には、どうでもいいような内容の英語のレッスンが多すぎる。それより、あまりにも日本のことを知らない日本人が多いので、日本文化を英語で勉強させればいい。外国へ行って、日本の宗教や歴史、文化について聞かれても、答えられないのは非常に恥ずかしいことで、たとえ理工系やビジネス系を専攻していても、教養として自国についてある程度語れないといけない。だから、中学校では英語を通じて日本のことを勉強するなど、発想の転換も必要だ。

 私が海外の国際会議によく招かれるのも、日本のことを英語で語ることができるからで、一般人もある程度のことが話せると、ずいぶん交流が深まるだろう。そう考えると、英語教育の可能性が広がってくる。同じことは、中国語などほかの外国語についても言える。

 

 留学生が小学校で昔話を語る

 今は国際教育が一つの課題になっているが、例えばこんな例がある。地域にいる留学生が、読み聞かせのボランティアをしている女性の紹介で小学校を訪れ、母国の有名な昔話をパワーポイントを使いながら話した。すると、中国の留学生が話した七夕伝説が日本の昔話とは少し違っていたので、子どもたちはとても興味を覚えたという。

 日本の七夕伝説では、こと座のベガは織姫星とされる。天帝の娘の織姫は、機織の上手な働き者だった。わし座のアルタイルの夏彦星(彦星、牽牛星)も働き者で、二人は結婚して夫婦となる。ところが、夫婦生活が楽しいあまり、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。怒った天帝は、二人を天の川を隔てて引き離し、年に一度、七月七日だけ会うことを許した。その日、どこからかやってきたカササギが天の川に橋を架けて二人は会うことができる。しかし、その日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず牽牛も彼女に会うことができないので、この日の雨は二人が流す涙といわれている。

 この話は中国から伝わったものだが、長い歴史の中で中国各地では様々なバリエーションが生じている。留学生の話は羽衣伝説が加わり、次のようだった。

 牛飼いの牛郎(牽牛)は、水浴びをしていた天女の一人である織女が好きになり、彼女の衣を盗んで、天に帰れなくした。二人は夫婦となり子どもをもうけるが、やがて織女は天界に帰ってしまう。牛郎は織女を追って天界に昇るが、織女の母である西王母が天の川をつくり、二人を東西に引き裂いてしまった。牛郎と子どもたちがひしゃくで天の川の水を必死に汲み出しているのを見て、西王母は一年に一度だけ会うことを許したという。京劇の「天河配」では、二人が悲しんでいるのを見て、カササギの群れが一年に一度、自分たちの体で橋を造り、二人を会わせたという話になっている。

 話の後の質疑応答で、中国の七夕では日本のようにササに願い事を書いた短冊を飾るという習慣がないことを知って、子どもたちは驚いていたという。小さい頃から、こうした異文化体験を積むことは、外国の文化にも寛容な人間をつくるのに役立つ。留学生にとっても、日本の子どもたちに自国の文化を伝えることで、大学で専門知識を学ぶだけでなく、文化交流の役割も果たすという満足感が得られるだろう。

 

19 歴史をどう教えればいいか 

 現代史を知らない日本の若者

 日韓の学生交流などで韓国の学生に指摘されるのは、日本の学生が現代史をあまりにも知らないことだ。韓国の学生は明治から終戦にかけて、日本が韓国で行ったことを批判したいのだが、論争するだけの基礎的な知識を日本の学生が知らないことにまず驚き、失望する。

 例えば、高校では、日本史の教え方が縄文時代から始まり、年代を追って進んでいくため、明治になるともう高校三年の終わりころで、大学入試対策が第一になるので、ポイント的なことしか教えなくなってしまう。しかも、日本史は高校の必修科目になっていないから、生徒は履修しなくてもいい。神奈川県など、一部では必修にするところが出てきたが、日本人なのに日本史を学ばなくてもいいというのはおかしい。

 神奈川県教育委員会は二〇〇八年二月に、学習指導要領で選択科目となっている日本史を、全県立高校で必修にすると発表した。世界史の必修はそのままで、独自に「郷土史」「日本・世界近現代史」の二科目を新設し、指導要領からは逸脱しない形で実施する計画で、高校の新しい指導要領の施行に合わせ、早ければ二〇一二年度から導入するという。日本史の必修化を求める動きは各地で広がっているが、独自に導入を決めたのは神奈川県が全国で初めてだ。高校の学習指導要領は「地理歴史」の教科で世界史を必修とし、日本史と地理を選択科目としている。

 神奈川県教委による日本史の必修化は、「郷土史や日本の歴史文化が高校で十分学ばれていない」という県や県教委の強い危機感が底流にあった。 引地孝一・神奈川県教育長は「日本が米国と戦争したことさえ知らない若者がいる。高校生という物事を深く考えられる多感な時期に、日本の歴史や文化を見つめ直してほしい」と話している。日本史の必修化は、関東地方知事会、石川、熊本県なども要望しているという。(読売新聞二〇〇八年二月十五日付)

 

 現代からさかのぼる歴史教育を

 現在の社会現象を取り上げ、その歴史的背景を探る形での歴史教育があってもいい。そうすれば、歴史が単なる暗記の科目ではなく、問題意識を育て、考える力を養う科目になる。一つの現象が起きるには複雑な要因が絡まり合っているので、一つの答えでなくてもいい。いろいろなルーツが見えてくるはずなので、教える先生の歴史観が試されることにもなる。

 二〇〇八年の夏、私は客員研究員になっているノルウェーのオスロ国際平和研究所で、宗教における戦争観について論文を発表した。テーマは、日本の仏教者が第二次世界大戦中にどのような態度を取ったかだ。日本の仏教界は醜いほど軍部に擦り寄り、国民の全体主義的な風潮を煽り立てるなど、かなり戦争協力した。どうして宗教家が、特に仏教は非暴力で殺生を戒めているのに、なぜ彼らは国民を戦場に駆り立てるのに手を貸したのか。

 近くは、明治以降のいわゆる国家神道の問題に触れなければいけない。天皇を神格化し、天皇のためなら命を捨ててもいいという発想が国民全体にあった。

 その問題意識は、封建時代の武士道にさかのぼる。「生死不二(しょうじふに)」という禅のような世界観が武士にはあり、死を恐れない。滅私奉公で、自分を空しくして領主に仕えるという考えだ。そこにも禅の影響が見られ、さらにそのルーツを探ると、道教に行き着く。二元論的な思考ではなく、自他の区別をはっきりしない一元論的な発想がある。

 さらにさかのぼると、古代インドのバラモン教の教典ヴェーダにあるウパニシャッドの「梵我一如(ぼんがいちにょ)」の思想にたどり着く。梵我一如とは、梵(ブラフマン=宇宙を支配する原理)と我(アートマン=個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想で、古代インドにおける究極の悟りとされ、不二一元論ともいう。

 そのように、現代の事象から過去を探るというアプローチのほうが若者の興味を引くだろう。実際、私が日本の文化や歴史をアメリカで教える際には、その手法を取っていた。今の日本に関心のあるアメリカの学生は、日本の経済に興味がある。しかし、それは戦後の現象だけ見ても分からないので、日本人の勤労道徳やメンタリティーがどこで養われたかを探ると、江戸時代の商人道や職人気質の話になったり、聖と俗を分けず、職業を信仰的に捉える日本人の宗教観にまで話を深めたりする。そういう教え方をしないと、アメリカの学生は付いてこない。日本の歴史教育でもそれをやったほうがいいのかもしれない。

 よく、歴史は常に現代史だといわれる。今の時点から過去を読み直すのが歴史で、それは過去の経験を元に今の時代を理解するためである。例えば、日本最古の歴史書とされる『古事記』は、天武天皇の時代に、当時の権力を正当化するために過去の歴史を集め、再編成したものである。

 NHKの番組「その時歴史が動いた」はそのつど完結してドラマ性があるので、あのような教え方をしてもいい。人間のドラマとして教えれば、それが古い時代の出来事であっても、今の時代や自分の身に置き換えて考えることができる。

「考える力」でも取り上げたが、物語を教えることはとても重要だ。歴史を時系列的に、何年に何があったという教え方ではなく、先生が好きな部分をドラマとして語れば、生徒はその前後にあることも知りたくなる。あれほど興奮して話すのなら、何か重要なことがあったのだろうと。やはり、教える側の取り組み方が課題になる。

 

20 物語は人が生きる力 

 人は物語を聞きながら生きてきた

 人が文字で書かれたものを読むようになったのは数千年前からで、それまでは『古事記』の元になる各地の歴史を暗記した稗田阿礼のように、語り部が語る物語を聞いていた。つまり口承文学の時代がはるかに長い。文字が普及してからも、『平家物語』や『太平記』などのは、琵琶法師のような語り部が語るのを聞くのが普通のやり方だった。

 古代はそれぞれの部族や家で、長老が先祖たちの話を語り聞かせていた。それを聞きながら、人々は自分がやるべきことを考え、新しい時代を切り開いてきたのである。いわば、古い物語を聞きながら、自分で新しい物語を作ってきたのが歴史だといえよう。

 英語ファンタジーの翻訳を数多く手掛けているノートルダム清心女子大学教授の脇明子さんは、『物語が生きる力を育てる』(岩波書店)という本を書いている。同書を書きながら脇さんは、物語による仮想体験には、不足しがちな実体験を補う力があり、それ以上に人間らしさを失っている今の社会状況を変える力もあることを実感したという。

 物語とは筋のある、つまり論理のある話。勧善懲悪的なものもあるが、昔話には意外と理不尽なものも多い。人間社会は正直者が報われるとは限らないからだ。例えば、イギリスの昔話「三びきの子ブタ」は、一番上の子ブタは怠け者だったから簡単なわらで家を作ったという話になっているが、元の話では、たまたまわらを持っている人に出会ったから、だった。人生は偶然に左右されることが多い。脇さんの教え子の学生たちは、小学生を対象に原作に近い物語の読み聞かせを実践し、効果を上げているという。

 幼いころ、お母さんからたくさんの物語を聞いて育った子は、物語に自分を照射することで、やがて自分にも物語があることが見えてきて、アイデンティティーをつくりやすい。通り魔などをしてしまう若者は、物語が作れないまま大きくなっている。自分で自分を語ることができないので、負け犬のようになって、周りの人を恨んでしまう。自分が受験に失敗したのも、親が離婚したもの、物語として素晴らしい展開にすることもできる。

 茶道や華道などで最初に型を習うように、昔話や古典などの物語は人生の型として私たちに示されるものだ。そんな話をたくさん聞いていると、それらを手懸りに自分の物語を作っていくことができる。私などは非常にドラマチックな人生を歩んできたので、物語としては恵まれている。

 

 自分の物語を持つ

 誰もが自分の物語を持たないといけない。一流大学を卒業して業界トップの会社に入り、高い収入を得て幸せに暮らしたという物語がいいわけではない。失敗の連続でも、ものすごく面白い物語になる。物語としての価値には優劣がなく、社会的に成功した人の物語はかっこいいが、人間の物語としては面白くないだろう。

 歴史が常に現代史であるように、人はいつでも今の自分から過去の人生を見て、それを物語にしている。そこに、自分の人生だけでなく、歴史上の人物の人生をなぞることができたなら、もっと確固たる物語ができると思う。だから、古典を学ぶことが大事になる。

 文章力を養うにも、たくさんの物語を読むことが大切だ。英語でも、英語文庫などでいろいろな面白い物語を読ませたほうが、教科書を読むより役立つ。思春期の子どもには恋愛小説を読ませればいい。高校生には殺人事件などの推理小説を読ませれば喜ぶに違いない。私も一時、英語の推理小説に凝ったことがある。それで英語力が抜群に伸びた。年齢層に合わせて、読みたくなりそうな本を英語で読ませればいい。教科書の英語を覚えさせようとするから、いつまでたっても英語が話せない人になってしまう。

 そういう指導をするには、先生が自分の物語を持っていないといけない。自分の物語を持たない人が教壇に立つから、子どもたちも物語を持てなくなってしまう。

 ドイツ中世史が専門で一橋大学学長を務めた阿部謹也さんは、日本社会に独特な「世間」に注目して研究したことで知られる。阿部さんはゼミの始まりに、学生一人ひとりにみんなの前で自分の生い立ちや家族のことを話させていた。いわば、自分の物語を語るのである。そうすることで、自分の周りにどんな世間があり、そこからどんな影響を受けているか認識するようになる。そうした自己認識がきちんとできることが社会に出てから重要になるのを、阿部さんはよく知っていたからだ。阿部さんの著書に『自分のなかに歴史をよむ』(ちくま文庫)というのがあるが、私たちの人格には気づかないうちに日本の歴史が刻み込まれている。日本史を知ることは私自身を知ることにつながるという視点があれば興味がわいて、単なる暗記の歴史教育にはならないだろう。

 

 子どもを本好きにさせるには

 誰もが携帯電話を持つようになって、電車の中でもメールを見る人が多く、読書する人が少なくなったのが気掛かりだ。本離れが進むと、子どもだけでなく大人も深みのない人格になってしまう。

 子どもが本を読まないと嘆く親が多いが、親が本が好きなら子どもも本が好きになる。私は子どもに勉強しろと言ったことも、どんな高校、大学へ進めと言ったこともないが、二人ともアイビーリーグの大学に入った。これは、アメリカの家庭でもほとんどありえないことだ。私が勉強しているのを子どもたちは見ていたから、自然に勉強しただけだ。親が勉強好きなのに子どもが勉強しないとしたら、それは親とは別のタイプの人間になると思えばいい。無理に勉強させる必要は全くない。

 子どものころを思い出してみると、大人には気づいてもらえない心配ごとをいっぱい抱えていたように思う。心を痛めたとき、やさしい味方になってくれるのが本で、主人公という友だちができると、一緒に本の中を歩き、それとなく心を解放してくれ、勇気が湧いてくることもある。そんな読書の入り口が絵本の読み聞かせだ。

 小さいころ母の寝物語が楽しみだったという人が多い。そんな体験がない人でも、子どもに絵本を読であげることで、自分の母親との交流を回復することができる。絵本は簡単な内容だが、内容はとても深く、大人が読むのにも耐えるものだ。ノンフィクション作家の柳田邦男さんは、人生に三度、絵本に触れる機会があるという。子どものころ親に読んでもらい、親になって子どもに読んであげ、中高年になって自分のために読む、と。

 話を聞きながら物語に入りむと、子どもは自分が主人公になって、もう一つの物語を立ち上げる。想像力豊かな子どもはファンタジーが大好きだ。目に見えないものを想像して心を動かす。子どもの想像力は二歳くらいから伸び始め、絵本はそのいい刺激になる。その想像力こそ子どもが生きていく力であり、周りと仲良くしていくすべだと思う。

 読み聞かせは、親子の心の交流でもある。お母さんが読むと、声を媒介にしてお母さんの気持ちが子どもに伝わる。だから、絵を見ながら、「何してるんだろうね」と聞いたり、子どもが答えると、「ああそうだね」と相づちを打ったりするといい。

 新しい言葉を知ると子どもはうれしくなる。そして、言葉を使って自分を表現することで、自分の中に新しい自分を育てていく。読み聞かせや読書はそのきっかけになるもので、小学校高学年でも読み聞かせをすると喜ぶという。朝の十分間の読書運動もあるが、わずかな分量しか読めないので、むしろ先生が味わい深い語り口調で読み聞かせをするほうがいいかもしれない。

 

21 いのちの教育をしよう 

 身近な人の死を体験させる

 いのちの大切さが分かればいじめなどはできないから、いのちの教育はいじめの防止にもつながる。いのちの大切さを教えるのは教育の根本だが、これが一番難しい。

 逆説的に言えば、人の死に際に出合うことが、最高のいのちの教育だろう。昔の三世代同居が普通で、それほど長寿でなかった時代には、子どもたちは家で祖父母が死ぬのを見てきた。愛する人の死に触れることで、いのちの尊さを実感していた。

 ところが核家族が一般的になり、平均寿命が延びたこと、また家庭ではなく病院での死が大半になったことで、子どもたちが肉親の死に接することが少なくなった。日本の七十歳以上の高齢者が亡くなった場所は、一九七〇年当時は自宅が77%で、病院が19%しかいなかったが、九四年には自宅が24%で病院が74%とその傾向が進み、現在では80%以上の人が病院で死を迎えている。

 しかも、延命治療が発達したため、死ぬ直前の患者は人工呼吸器につながれ、自由に話をすることもできない。極端な場合、人工呼吸器のスイッチを切った時点がご臨終という場合だと、家族との最後の会話も交わせない。患者が集中治療室にいたら、家族はその死を看取ることもできないというケースも多い。

 子どもたちが死についてあまりにも知らないのは、人生の明るい面、楽しい面だけを見ようという社会の傾向から、意識的に死を遠ざけてきたことが大きい。祖父母の葬式に際しても、子どもの受験勉強に差し支えるから参加させないなど、いのちの教育の機会を親が避けてしまう傾向がある。

 子どもに親しく接してくれた人の葬式には、できるだけ子どもを参加させるよう親は努めるべきだろう。できれば、遺体を拭いたり、周りに花を置いたりなどのお別れの儀式を体験させるといい。それがきっかけで、人間はだれでもいつかは死ぬものであり、限りある生を大切に生きているという実感を得ることができる。

「死を通して生を考える研究会」を主宰している小児科医で東京純心女子大学教授の中村博志さんは、小学生などを対象にした授業の初めに、若い男性の筋ジストロフィー患者が自分の人生について語るビデオ「ぼくは生きたい……」を見せている。

 中村さんは重症心身障害児の施設で二十年間、子供の死を見てきた後、女子大の教授となり、偶然見たNHKの生命誕生に関する番組のビデオを学生に見せたところ、反響が大きかったことから「死を通して生を考える」講義をするようになる。いわゆるデス・エデュケーション(DE)の一つだ。

 もう一つの動機は、相次ぐ少年犯罪の背後に、間違った死に対する認識があるのではないかと考えたからだという。ある調査によると、小学高学年の20%が「死んでも生き返る」と考えており、「生き返ることがある」「わからない」を入れると、三分の二が死の意味を理解していないという。この背景には、①少子・高齢化で身近な人の死を見なくなった、②ゲームでは死んだ人もリセットすれば生き返る、③死をタブー視する風潮――があるという。子どもたちに死を正しく教えることが大切だと考えた中村さんは、小学校教諭らの仲間と研究を重ね、実践しながら研究を重ねしている。

 中村さんのDEの特徴は、宗教や哲学を用いないことだ。「どうしてもべき論が入る」からで、むしろ身近なことから死を教える。例えば、飼っていたカブトムシが死んだら、母親は間違っても「またお店で買ってあげるからね」などと言わないで、一緒にお墓を作り、「死んだものが生き返ることはないから、大切に覚えておいてね」と語りかける。お汁の実に買って来たアサリと遊んでいると、「命を頂いて私たちも元気になるのだから、食べ物に感謝しようね」と話す。家庭の日常生活の中で教えるのが、最も自然だという。

 

 もう少しワイルドな教育を

 もう少し野生的なリスクのある教育をしないと、子どもはいのちのありがたさが分からないと思う。過保護的な教育では、それを教えることができない。いのちの教育をする第一の責任は親にあるので、親の保護の下である程度の冒険をさせないといけない。

 私は二人の息子が小さいころから、相当ワイルドな教育をしてきた。一緒に海で泳いだり、山に登ったり、肉体の限界を感じるような体験をさせることが大切だ。

 ボランティアの義務化には反対の人が多いが、私はある程度、老人ホームや病院などでのボランティアを、義務的にもやらせたほうがいいと思う。私も東京で暮らしていたころ、郊外の精神病院でボランティアをしたことがある。難病の人を目にすると、健康のありがたさを感じる。小学生は無理でも、中学高校ではそういう場を設定していく必要がある。病院では衛生上の危険があるのなら、老人ホームや障害者施設でボランティアをするのは義務化してもいいのではないか。

 昔は家庭や近所に老人や知的、身体的な障害者がいて、日常的に接していた。今は障害者の多くは隔離されているので、こちらから出かけていかないと触れることができない。障害者などの弱者に触れていると、人をいじめることもできなくなるだろう。

 例えば、ハンセン病の療養所は入所者の平均年齢が八十歳を超えているが、感染性が極めて低いので、ボランティアで訪れてもいい。私は学生と岡山の国立療養所邑久光明園に行ったが、学生たちはハンセン病のことを知らない。患者さんたちがどんなにむごい目に遭ったかを授業し、施設に一泊して、学生たちは各部屋のトイレ掃除をした。顔がただれたり、唾液を垂らしたままの大変な人たちがいる。しかし、気持ち悪かったという学生は一人もいなかった。感動した、神々しいものを感じたという感想を漏らしていた。別れの時に握手した手を離せない学生もいた。それがいのちの教育だろう。

 そうした機会は教育の場で取り入れないと、普通では体験できない。私は学生たちに、強制はしないが、トイレ掃除や障害者施設の訪問などいろいろしている。そんな体験に感動した学生は、何度も私の授業を取る。ひどいことをさせていると見えるかもしれないが、彼らはそこで何かを見いだしているから、そうするのだろう。

 

 戦争体験を語る

「戦争体験を語り継ぐ会」会長の稲村繁さんは、小中高校、大学を訪れ、子どもたちに四年間のシベリア抑留や戦時中の体験を語っている。活動を続けるうちに、稲村さんは「戦争の悲惨さよりも生きることの大切さを話すようになった」という。

 稲村さんの話を聞いた中学三年生は、次のような感想文を寄せている。

「昨日の夜まで一緒に寝ていた人が、朝には冷たくなっている……私には想像もつきませんが、逆に言えば、私の身にも起こることなのだと思いました。……その日、生きて起きられるのは良いことなのだという稲村さんの言葉は、私の心に一番深くしみました」

「これまで、七十歳まで生きればいいなどと、命をとても軽く見ていました。しかし、人は自分だけで生きるのではない、いろいろな人の助けによって生きているということを学びました」

 稲村さんは届けられた感想や質問に応じて一人ひとりに返事を、巻紙に筆で書く。クラスでは、稲村さんからの巻紙を黒板に張り出した後、コピーを取り、生徒たちに自分宛ての部分を手渡している。稲村さんを訪ねて来たある中学生は、「お守り代わりに持っています」と言って、生徒手帳に挟んだ小学生の時のコピーを見せたという。

 昭和十七年、二十一歳で入隊した稲村さんは満州の航空部隊に転属された。二十年、突如侵攻して来たソ連軍に捕らわれ、シベリアに抑留される。そこでは極寒下の強制労働が待っていた。指揮官だった稲村さんは、毎日のように死体の処理に追われた。「戦争が終わってから死んで何になるかと無常観を抱いた」という。

 稲村さんは生徒たちに三百五十グラムのパンを見せ、「これで一日働いていたのだよ」と話す。「それくらいの食料だったら、ぼくはもう死んでいます」という感想を書いた子に、「人間というものは、いざとなったらなかなか死ぬもんじゃないよ」と返事を書く。

 小学生には、大空襲や学童疎開などを話す。「君たちが戦争中に育っていたら、お父さん、お母さんと別れ、田舎に行かないといけなかった」と言うと、子どもたちは身につまされる。中学生には、「当時は五年制の中学を出た少年がすぐに兵隊に行っていたよ」などと。

 稲村さんは、「私は八十五年生きてきた中で、死をたくさん体験してきました。だから死なないように一生懸命頑張っています」と語り掛け、「君たちはとても恵まれているけど、これが当たり前ではない。朝起きたら、まず、生きていてありがたいと思いなさい。毎日それを続けると、自然に長生きできるようになるよ」と、生きることの大切さを強調する。

 多くの子が、「生きることに前向きになりました」という感想を寄せてくる。「結婚して子供を産んだら、昔戦争の話を聞いたんだよと話してやりたい」と書いてきた小学六年生の女の子もいたという。

 話の終わりに稲村さんは「存命のよろこび」と黒板に書く。『徒然草』にある言葉だ。そして「生きていることを喜びなさい。それを長く続けるには、今生きてる喜びを日々噛みしめなさい」と結ぶと、生徒たちはそれに一番、感動するという。 

 

22 子どもを自立させるには

 パーティーで社会性を磨くアメリカの学生

 子どもに社会性を身に付けさせるのが、学校教育の一つの目的になっている。学校も共同生活の場なので、そこで生徒たちに役割を与え、その責任を全うする経験を積ますことが大事だ。昔は運動会なども先生が全部計画し、運営していたが、今では生徒が主体になって企画から当日の運営まで行う学校が多くなっている。修学旅行でも、決まったコースを全員で、旗を持った先生に付いて回るのではなく、グループに分かれて、自分たちが考えたコースでタクシーで回り、後で報告し合うという学校も増えている。

 家庭においては、親がいろいろな所に連れて行き、見聞を広めさせるといい。親なら学校ではできないような冒険も子どもにさせることができる。また、いろいろな場に同席させることで、ここはカジュアルな服装でいい、ここはフォーマルでないといけないなど、言葉遣いも含めて社会に出る教育をすることができる。親に連れ回されることで、子どもも親の行動範囲や付き合う人たちを理解するようになる。私も子どもを連れまわして、すごいエリートから貧しい人たちにまで会わせてきた。

 親が社会性の大切さを知っていたら、動物と同じで、そのポイントを子どもに教えようとする。それをしないのは、親が社会性を知らないからだ。いわば、生きる世界が狭すぎる。親が異業種の人とも付き合い、幅の広い生き方をしていると、本能的にそれを子どもに伝えようとするだろう。場によって服装や言葉を変える必要があるのは、親の姿や振る舞いを見ればわかることだ。

 プリンストン大学は全寮制で、カジュアルとセミカジュアルとフォーマルの三種類のパーティーがある。カジュアルは普段着でいいが、セミカジュアルだと男性は背広にネクタイを締め、女性はスーツ。フォーマルになるとタキシードとロングドレスを着ないといけない。そのためのレンタルもあるが、一生使うものなので買う学生が多い。プリンストン大学には学風として、学部の学生にそういう訓練を課す伝統がある。アイビーリーグを卒業した学生は社会のエリートになっていくので、社会的なTPOを知っていないといけないからだ。

 普通は教員は呼ばれないのだが、私は一度、招かれ、間違ったスタイルで出かけて恥をかいたことがある。その日はセミフォーマルなのに、いつものカジュアルな服装で行ったのだ。アメリカ人と日本人との社交性の洗練度の差を痛いほど感じた。彼らに比べると日本の大学生はまるで子どもで、私は日本の大学で初めて教えたとき、中学生かと思った。

 日本の大学寮ではストームのようなドンチャン騒ぎはあるが、上品なマナーを磨くようなイベントはない。だから、学生は野暮で子どものままだ。そんな学生が、官僚や政治家、ビジネスマンになって、アメリカの大学で訓練を受けた人たちとやり合わなければならない。洗練度の差で、まず負けてしまう。考える力も、コミュニケーション力も劣っている。土俵に上がる前に勝負は決まっているようなものだ。

 

 子どもがすねるのは親がすねているから

 経済のグローバル化が進む中、企業はコスト削減で正社員を減らし、派遣社員などの臨時雇用を増やそうとしている。派遣社員だと、正社員を同じ仕事をしても、給料は安くてボーナスはないし、福利厚生にも恵まれず、労働組合も守ってくれない。だから何としてもわが子はいい大学を出して、正社員にしたいというのが親たちの願いだろう。

 年収二百万円以下の人が千万人を超え、ワーキングプアが増える一方など格差社会の問題もあるが、考える力が身に付いていれば、たとえ高校中退でもそれなりの仕事はできるようになれる。今は、考える力もない、学歴もないということで、どんどん負け組みに押し込まれていっている状況だ。

 松下幸之助は小学校しか出ていないが、松下電器産業(現パナソニック)を一代で築き上げ、経営の神様と呼ばれた。戦後の日本経済をけん引したホンダの創業者、本田宗一郎も小学校を卒業してすぐ、自動車修理工場に丁稚奉公している。考える力さえあれば、成功をつかむことができるのが日本の社会だ。

 正社員になろうと思って何度、入試試験に挑戦し、面接を受けても落とされるのはつらいと思う。しかし、そこで絶望するのではなく、雇ってくれる会社がないのなら自分で何か始めようと発想を転換すればいい。考える力と生命力があれば、ハンディも乗り越えられるような人間をつくる教育でないといけない。

 イエローハット創業者の鍵山秀三郎さんは、高卒で会社に入り、東京都内のガソリンスタンドを自転車で回り、車のハンドルカバーを売ることから仕事を始めた。どこでも邪魔者扱いで、自転車を蹴飛ばされたりされながら商売をした人が、今では年商一千億円の企業を育て上げた。それは、彼に考える力と忍耐力、そして体力があったからだろう。

 今の若者は、簡単に負け犬になってしまう。私だって中学二年で禅寺に入り、高校までしか行けなかったから、考えてみると負け組みに入る。それを自分で努力してアメリカに留学し、博士号を取って大学教授になった。そこまでの道のどこかですねてしまうと、進むべき道は閉ざされていた。ところが、多くの若者は途中ですねてしまう。子どもがすねるのは親がすねているからだ。学生と接してみると、素直かすねているか分かる。すねているような学生に親のことを聞くと、ほとんど親もすねている。子どもにとって親を乗り越えていくのは大変だ。

 貧乏でも、出世しなくても、寅さんのように親が楽しく生きていれば、子どももすねない。教育論はやはり親と教師の人間論に帰っていく。

 

 耐える力をつける

 近年、子どもも大人も耐える力が弱まっていて、安易に病気に逃げる傾向がある。例えば、ちょっと気分が落ち込んだだけで精神科医にかかり、うつ病の診断を受けて抗うつ剤をもらう。確かに薬を飲まないといけないようなうつ病もあるが、大抵はそうではない。耐えれば乗り越えられるのに、病気に甘えてしまう。

 人間だから、時には死にたいようなことも起こるが、それを自分で耐えないで薬に頼ってしまうと、いつもうつ病に逃げ込んでしまうようになる。ある意味で、うつ病は医者と製薬会社がつくっているとも言える。

 人間は落ち込んだときこそ、成長するチャンスでもある。そのとき、下手にかばったり甘やかしたりすると、本当に駄目になってしまう。絶望の中で一生を支えるような言葉や人に出会ったり、自分の本当の気持ちに目覚めたりすることも多い。それは、竹の節のようなもので、節があるから竹はしなやかに伸びることができる。

 スポーツにはスランプがつきものだ。スポーツの能力は練習に応じてスムーズに伸びるのではなく、いくら練習しても伸びない期間があり、それでも我慢してこつこつ練習を続けていると、ふとしたきっかけで急に一段階上のことができるようになる。

 むしろ、人間性や精神面は、そんなスランプの期間にこそ養われるといえよう。肝心なのは、その期間を我慢できるかどうかだ。親や先生は子どもを注意深く見ながら、何より心を支えてやる必要がある。

 忍耐力がなくなったのは、肥満の増加でもよく分かる。肥満の弊害を重視した厚生労働省は健康保険を改正し、二〇〇八年四月からメタボリック症候群の予防と改善を目的とした新しい健康診断の制度を設けた。そのため、健康診断でメタボと診断されると、生活改善の指導を受けることになる。

 肥満は消費する以上のカロリーを取るから起こるので、必要以上に食べなければいいのだが、多くの人はそれが我慢できない。特に問題なのは、心の空しさを食で満たそうとする傾向だろう。つまり、肥満対策は心の問題としても取り組む必要がある。

 私が主宰している健康断食では、二泊三日で断食しながら、二十分ほどの坐禅と感謝念仏を繰り返し、その間に散歩や真向法、勉強会を織り込んでいる。ここで大事なのは肉体に対する精神の主体性を回復することで、要するに必要以上に食べたいと思わなくなることだ。それには、感謝の気持で心が満たされる必要がある。

 よくよく考えると、人間は生かされているだけで感謝なのだが、普段はそれに気づかない。それを集団で感謝念仏を唱えることで悟りやすくなるのが、健康断食の第一の特徴だろう。そのこつをつかめば、断食中の減量と、事後の少な目のバランスの取れた食事で、体重は確実に減っていく。

 

 携帯電話は持たせないほうがいい

 小学生に携帯電話を持たせるのが良いか悪いか、いろいろ議論があるが、私は別の観点から心配することがある。携帯に限らず、今の子どもたちはたくさんの電子メディア機器に囲まれて暮らしている。電子メディアはコンテンツも問題だが、それ以前に電磁波の影響が大きい。テレビやパソコン、携帯電話などあらゆる電化製品から電磁波が出ているので、その影響を子どもたちは受けている。精神をいらつかせ、がんなどの病気につながる恐れも指摘されている。ところが、電磁波の総攻撃を受けながら、それを感じない体の状況になっている。

 十四歳から約二十年間、禅寺における私の修行時代は、夜はろうそくの光だけというような生活だったので、寺の外に出て、冷房のきいた部屋に入ると頭が痛くなり、蛍光灯の光を浴びると目を開けていられないなど、体調がおかしくなっていた。今では平気になったが、それは文明に慣らされたからだ。

 子どもは本来、ものすごい感受性を持っているのに、大量の電磁波を浴びることで、それが次第に鈍くなっている。携帯は、登下校時の子どもの安全を守るために持たせるというのだが、なるべく持たないほうがいい。私の子どもは、大学に入ってからも二年間は持たなかったし、それで困るようなことはない。

 日本大学教授の森昭雄さんは『ゲーム脳の恐怖』で、ゲームをしていると脳の前頭前野が発達しなくなると警告している。前頭前野には思いやりや想像力、物事を考える人間らしい機能があるが、その発達をゲームの音や光の刺激が阻害するという。これには反論もあるが、小児科医の学会でも、「二歳まではテレビやゲームに触れさせないほうがいい」という警告が決議された。私たちはもっと人工的な環境に敏感になり、時折、それらから完全に抜け出し、森林浴のように、大自然の空気を呼吸するよう心掛けるべきだろう。

 日本人の宗教文化は山で育まれてきた。明治の廃止例を受けながら、修験道は根強く息づいている。私は息子たちともよく山に登ったが、山の霊気に包まれると、本来の日本人が私の中に蘇ってくるように感じる。忙しい生活の折々に、そうした経験を織り込むことが、子どもの人間性を育て、家族のきずなを深めるのに役立つ。

 

23 家庭で何を教えればいいか 

 いのちの感覚の回復を

 子どもの人間性の基本は家庭でつくられる。家庭でのしつけは、掃除や食器洗いなど小さなことから始めるのがいい。

 最近、道路など公共の空間にごみを捨てる人が多いのは、人間の根本的な問題に関わっていることだと思う。ぽいと捨てられるのは、捨てた場所が自分ではないから。その道端も自分だという感覚があると、そこにごみは捨てられない。だから、これは道徳の問題以前の、生命感覚の問題で、人の生き方の根幹に関わっている。

 これはいのちの教育にも関係している。すべてにいのちを感じていたら、部屋を散らかしたり、汚いままにしておくことはできない。部屋も私のいのちだから、散らかってきたら片付けるし、汚れたら掃除をする。私の生命空間だから、鼻をかんだちり紙一つも、捨てられない。

 生命空間という感覚があれば、いのちのつながりなので、食べ物も無駄にできないし、着ている服も簡単に捨てられない。つくろって着続けようとする。

 しつけとは行儀ではなく、いのちの感覚を親から子へと伝えていくことだ。それを、挨拶しなさい、靴をそろえなさいのレベルでとまっていると、反発を買うだけだと思う。私は家庭のしつけは、いのちの感覚の伝授だと考えている。トイレを汚してはいけないのは、トイレも私のいのちの延長だからで、トイレを汚すのは自分のいのちを汚すことに等しい。

 日本人は本来、そういう生命観を持っていたから、「悉有仏性(しつうぶっしょう)」すべての存在にいのちがあるという仏教思想を生み出した。それは、仏教が伝来する以前の古神道からの生命観であり、仏教と融合して、やがて人は誰でも仏になれるという天台宗の本覚思想となり、鎌倉時代における日本仏教の創造へとつながる。日本人の優れた生命観が、仏教の最も良質な部分を日本という風土に根付かせたともいえよう。

 ところが、近代化による物質主義のまん延で、そのいのちの感覚が失われている。人間と物との関係が切れてしまい、自分に関わりがないので簡単に捨ててしまい、汚してしまう。これは、本来的な日本人の感覚ではない。それを取り戻すのがいのちの教育であり、それは家庭のしつけにも関わってくる。

 人間は自然の一部というより、自然現象そのものであり、本来、自分の外側というのは存在しない。日本の宗教文化の基本は、素朴な生命礼賛である。海岸も海も私のいのちだという感覚があると、そこにごみやたばこの吸殻を捨てることはできない。その感覚をなくしたことが、教育の最大の失敗といえよう。いのちの感覚の喪失で、それに比べれば偏差値が少し下がったくらい、大きな問題ではない。

 日本は明治の文明開化があり、大急ぎで近代化を進め、欧米列強に追いつけ追い越せの国づくりを進めてきた。その途中での敗戦も乗り越え、近代文明の先端に立つ豊かさを手に入れたが、そこに至って、近代文明の大きなひずみが表面化してきた。つまり、大きな方向転換を迫られているわけだが、どこから転換していくかを考えると、教育から始めるしかない。

 教育の最初の使命は、学力の向上ではなく、いのちの感覚の回復だと思う。情報過多の時代、知的水準は個人個人に任せてもある程度向上していく。しかし、いのちの感覚は、家庭と学校で丹念に教えていくしか回復の方法がない。

 

 一神教的な日本人の宗教感情

 一神教のキリスト教を基盤とする西欧世界では、父なる神が「はじめに光あれ」(旧約聖書「創世記」)と命じることによって、天空から光が差してくるという物理現象によって宇宙創造が始まったことになっている。全知全能の絶対神という父性原理が、最初に絶大な力を行使し、そこから物事が動き始めたわけである。宇宙の始まりのいわゆるビッグバン仮説も、「神の一撃」による創造の始まりという創造論に沿った説である。

 物質の動きには一定の法則性があり、原理原則を設定しやすい。そのような物理学的コスモロジーをもつ西欧世界で、近代科学が発達したのは当然である。

 それとは対照的に、日本の神話ではイザナギとイザナミという男女の神が、あからさまな性の営みをすることによって、国土が創成されている。国の出発点の国産み神話からして、極めて生物学的な物語だ。そこにあるのは、物理的な力同士の拮抗ではなく、細胞が増殖したり、死滅したりするように、生命と生命が一見、無秩序な連鎖反応を繰り返して、世界を成立させていくという生物学的コスモロジーである。

 ところが、現代科学では生物物理学という分野が発達したように、ミクロな世界における物理現象が複雑に絡まり合って、生命活動を構成していることが解明されつつある。そこで、さまざまな現象を物理的現象に還元し単純化して理解するのではなく、生物的現象として複雑なまま理解する科学が発達してきた。数学におけるカオス理論や複雑性の科学などは、その現れといえよう。

 考えてみれば、物理学的コスモロジーより生物学的コスモロジーが複雑なのは当然である。それを理解するだけの知的レベルがない段階では、神話的な表現をするしかなかったが、科学の発達によってそれを科学用語で語れる時代になりつつあるのではないか。例えば、仏教でいう阿頼耶識(あらやしき)の世界は、フロイトやユングの深層心理学を二千年以上前に先取りしたものである。ビッグバン仮説では、時間も空間もある一点から始まったことになるが、そのときの状態を最も的確に表現できるのは「空」であろう。仏教は現代物理学とも親和性が高いのである。

 私は、一神教世界の行き詰りを多神教が解決するというような単純な議論にはくみしないが、日本人はもっと自分たちが育ってきた生物学的コスモロジーを取り戻す必要があると思う。それは、心と体は一つであるとする心身一如の世界であり、さらに、私と自然、外界、他人とを区別しない、自他一如の世界である。

 日本人は太古の昔から、山こそすべての生命のふるさとと感じ、自分は自然という大きないのちの一部だと思っていた。この世に存在するものはすべて、そのいのちとつながっている。だから、極楽ははるかかなたの西方にあるという浄土思想を受け入れながら、亡くなった人たちは近くの山の奥にいると、その中身をつくり直した。近くにいるから、先祖は時々この世にやってきて、私たちを見守っていてくれる。その他界観は、インドの輪廻転生とも違い、深い森に恵まれた山の国で生まれた人生観、世界観である。

 一般的に神道と仏教の二つの宗教を矛盾なく信じている日本人は、特に神道が八百万の神々を拝することから、多神教的な宗教文化だとされている。しかし、それは表面的な捉え方であって、注意深く観察すれば、日本人の宗教感情には一神教的な側面があることに気づく。日本人が信じているのは、姿を見せない超越的一神ではなく、この世に存在するすべてのモノに宿るいのちである。それは、ユダヤ・キリスト教のような人格神、創造神ではなく、個を隔絶したいのちそのものとしかいえない。その感覚を取り戻すことこそが、今の日本人にとって急務なのではないか。

 

 下座行で人は変われる

 物質文明がこのまま発展していくとは思えず、地震などの自然災害や、食料・エネルギーの枯渇といった経済の絡んだ危機で、文明が揺り戻されることは、つらいことだがあり得る。しかし、そこで人間は鍛えられ、より賢くなっていくだろう。

 今のように比較的平穏で、物が満ち足りている状態の時に、将来の危機を予感して、自主的にライフスタイルを変えていくのは、かなりの目覚めた人にしかできないことだ。一般大衆が劇的に生活を変えるには、環境の激変に直面するしかない。残念ながらそれが人間の現実で、日本だけでなく世界の先進国が共通して直面している問題だ。

 物質文明のひずみや危機という点では、アメリカのほうがもっと先に進んでいる。例えば、一部の気づいている人たちがオーガニックの食事を取り、大衆は血糖値がすぐに上がるようなジャンクフードを食べている。所得の格差がそのまま食の安全性の格差に反映されているような状況がある。

 その点、日本人は国民全体が平均的に知的レベルが高く、メディアも普及しているので、啓蒙の仕方によっては、変わる可能性を秘めている。ところが、烏合の衆が多く、付和雷同し、メディアが軽薄だとなると絶望的になる。

 では、どうすれば自他一如的な日本人の世界を取り戻すことができるか。私は魂の奥底からの懺悔と下座行が必要だと思う。下座行とは、自分の身を低くして、手足を汚すことを厭わずに行うことだ。その一つがトイレ掃除である。

 全国にトイレ掃除を普及させたイエローハット創業者の鍵山秀三郎さんは、自分の会社で十年ほど黙々とトイレ掃除をしていたら、社員が少しずつ手伝うようになり、今では重役以下全員がするようになった。中目黒にある本社では、今も一年三百六十五日、朝六時半から二時間ほど周辺の公園や道路など掃除している。鍵山さんは側溝のふたを開け、素手でどぶ掃除もする。

 私が一緒に掃除したときには、高速道路のガード下に暮らすホームレスの人がコンビに弁当の箱など、山と積み上げていたのを躊躇なく仕分けし、ドブネズミの死骸も素手で摘み上げていた。

 今やトイレ掃除は全国に広がり、学校や刑務所で実践され、受刑者の教育や更生に非常に役立っている。無意識の世界に入っていくので、私は「阿頼耶識の大掃除」と呼んでいる。心の大掃除をこれほど的確にしてくれるものはない。私も時々、広島大学の学生とトイレ掃除に行っている。みんな最初はいやいやだが、やってみると笑顔に変わる。心を取り出して掃除することはできないが、他人が汚したトイレを素手で掃除するので、これほど確実な心の掃除の仕方はない。

 少しでも、自分は偉い、特別だ、賢いという思いがあると、下座行などできない。自らを常に人の下座に置き、どんな人にも仕えていく気持ちと行動にこそ、実際に人間を変える力があり、家庭人には家庭を幸せに、実業家にとっては事業を成功させる力がある。

 

24 教えることは、たった一つしかない 

 子どもを信じるということ

 私はアメリカ、シンガポール、日本という三つの異なる教育文化をもつ国々で、長く教壇に立ってきた体験から、つねにわが国の教育の在り方には強い関心を抱いてきた。

 また海外に出て、諸外国の社会状況を目の当たりにする機会が多い私にとって、教育がその国の最も本質的な原動力となるという確信は、揺らぎがないものである。だから、現場の先生方とスクラムを組みながら、日本の学校教育を少しでも改善していきたいという気持ちは、今も変わらない。

 そして、鼻持ちならぬ自慢話と受け取られることを覚悟して書くなら、私は二人の息子をアメリカのアイビーリーグに送り込んだ父親でもある。長男はブラウン大学で生物学を専攻し、医者を目指している。次男はコーネル大学で建築学を専攻し、建築家となることを夢見ている。おまけに二人ともアメリカ政府と大学から多大な奨学金を受けてくれているため、薄給の私にとって、これほど有り難いことはない。

 二人とも塾に通ったこともなければ、家庭教師についたこともない。高校は私の仕事の関係で、シンガポールと東京のインターナショナル・スクールに入ったが、あとはアメリカの地方都市にある、ごく平均的な公立学校に通っていただけである。それで、難関中の難関とされる名門大学にストレートに入ってくれたのだから、わが息子ながら、あっぱれと言わざるを得ない。

 もちろん、アイビーリーグ以外にも優秀な大学はあまたあるが、全米におおよそ五千校ある大学のなかの八校で学ぶことは、アメリカ社会では、一種のステータス・シンボルとなる。したがって、一般的なアメリカ人の親にとっても、自分の子どもたちを揃ってアイビーリーグに入学させることは夢のまた夢に近く、よほどの好条件が整わないと実現しないとされている。

 だから、私が理想的な教育的父親だったということではなく、事実はまったくその反対である。私は教育的にも人格的にも、子どもたちにとって、つねに反面教師であり続けたし、今もそうである。彼らが親父の愚かさ加減に呆れたことはあっても、学者である父親の存在に、なんらかの圧迫感を覚えたことは、まずないだろう。

 教師と宗教家と警官の子息子女には、非行に走る子が多いとされるが、それは模範的市民であろうとする親の形式主義的人生観に潜む嘘臭さにうんざりした子どもの本能的反逆なのである。それによって、親の建前と子の本音がちょうどバランスがとれるわけである。家庭というのは、そういうものである。

 私は教師でもあり、宗教家でもあるので、子どもたちは二重のリスクを背負ったことになるが、まっとうに育ってくれている。そういう点では、わが子は建前よりも本音の部分を多くむき出しに生きてきた愚かな父としての私に感謝しなくてはいけない、という変な自負が私にはある。

 私も妻も息子たちに向かって、ただの一度も「勉強しなさい」と言ったことはない。代わりに私が頻繁に口にした言葉は、「早く外に行って、遊んできなさい」であった。第一、子どもたちが宿題に行き詰まって、私に聞いてきても、「お父さんは自分の勉強だけでも、英語にうんざりしてるんだから、お前たちの教科書まで読みたくない。自分で考えなさい」としか言わないものだから、そのうち私に聞かずに、母親に聞くようになった。英語の苦手な家内が辞書を引きながら答えていたから、偉いものである。

 つまり、何を言いたいのかといえば、私のようないい加減な父親でも、子どもはちゃんと育つということである。それをもう少し演繹して説明するなら、子どもがどのような学校に進学するかは、子どもに任せよ、ということである。進学する学校次第で、子どもがこれから歩む人生の幸不幸が決まるわけではないのだから、親はそんなことにムキになってはいけないのだ。

 それよりも重要なことは、親が子どもを信頼することだ。たとえ、子どもが二流、三流と風評が立つような学校に進んだとしても、そのことによって、子どもの価値と可能性をつゆも疑ってはならない。たまたま試験勉強に向いていなかっただけであり、わが子の才能はまた別なところにあるのだと、そのぶん確信を深めなくてはならない。

 もう一度、親バカ論に戻るなら、冷静沈着な次男とは対照的に、気分屋で和太鼓が大好きな長男が、突然、「大学を辞めて、和太鼓でメシを喰っていきたい」というメールを送ってきたときも、私は「お父さんは、若いときに大学中退して苦労したから、留年してもいいけど、中退はあまり勧めない。だけど、最終的には自分で考えて、好きなようにやればよい」という返信メールを送っただけである。どのような道を進もうと、私の彼に対する信頼は変わらないからだ。

 

 何を教えるべきか

 かといって、親は子どもを信じさえすれば、放っておいていいと言っているわけではない。教えるべきことが一つある。それは何か。

 何事にも心を込めることである。この教育は早ければ早いほどよい。遊ぶときは、一生懸命遊ぶ。できることなら屋外で日が暮れるまで遊ぶ。何かに「没頭する」体験を重ねることが大切なのである。それが子どもの集中力と感性を育てることになるからだ。

 私は子どもたちを誘って、雪の多い東海岸の冬は、毎日のようにスノーボードで急坂を滑り降りて戯れていた。ハワイの渓谷では、ターザンのように長い蔦にしがみついて、飽きることなく何度も急流に飛び込んだ。アラスカでは、二メートルもある熊との遭遇を避けるため、フライパンを叩きながら、まったく道のない山を登った。私は子どもの勉強を見たことはなくても、一緒に遊んだ記憶ならいっぱいある。

 私の家では、子どもたちが幼いときに買い与えた玩具は、「レゴ」だけであった。単に方形をしたプラスチックの積み木であるが、その組み合わせ次第では、千変万化の形象が作れる。子どもの想像力を養う上で、いい玩具だと思ったからだ。

 しかし、そこで大事なことは、どれだけ玩具をひっくり返しても、遊んだ後は、それをキチンと片付けることである。そんな当たり前のことすら、躾けていない親が多いのではなかろうか。モノを大切にする心を幼いうちに植えつけておくか、おかないかで、その子の人生の意味は大きく変わってくる。

 昨今、ゴミを平気でポイ捨てするような人間がやたらと多いことに、しばしば心が痛むが、彼らはモノを大切にする心を親からも教師からも学ぶ機会をもたなかった哀れな人間たちである。そういう人たちは、やがて社会からポイ捨てされるような人生を歩まなくてはならないだろう。

 食事を頂くときも、一つひとつ心を込めて頂く。せめて食事の際には、テレビは消すべきだ。そして、一つひとつの食べ物を深く味わいながら、食材や食事を作ってくれた人への感謝をこめて頂く。レトルト食品やファーストフードばかりを子どもに与えることの弊害が指摘されて久しいが、食品の内容もさりながら、食べ物をどのように口に運び、どのように咀嚼するか、そのへんのことがなおざりになっていないだろうか。そういうことを子どもに教え、育てていくことを、真に教育というのである。

 大量消費経済というのは、罪な経済システムである。企業の売り上げは増えるが、じつは薄利多売で、あまり儲からない。大量生産のために、天然資源が乱開発され、地球環境が悪化の一途をたどる。その製品を次々と買わされる消費者は、働けども働けども豊かになった実感がない。共産主義も社会主義も行き倒れになったが、つぎは資本主義も同じ運命をたどるだろう。

 だからこそ自分たちの子どもは、できるだけ大量消費経済の悪弊から守ってやらなくてはならない。では、何からすればよいか。まず、子どもたちに古着を着せればよいのである。兄妹がいれば、下の子はお下がりで十分である。近所のバザールやリサイクルショップで買ってきた古着でもいい。

 子どもは、あっという間に大きくなる。新品を着せる理由はない。なのに、幼い子に高級ブランド服を着せるような親は、失礼ながらバカとしかいえない。その子が長じてから、舐めなければいけない苦労の種をわざわざ蒔いているようなものである。

 ただ、古着はそのまま着せるのではなく、親がそれなりの手を入れてやり、決して粗末に見えないようにするところが、愛情というものだ。自慢ではないが、わが子たちは中学校に上がるぐらいまで、一着とも新品の服を着たことがなかった。

 アメリカで苦学生だった私に経済力がなかっただけのことであるが、それが幸いした。高級住宅街のリサイクルショップで古着を買い、家内がそれに手を加えて着せてくれたおかげで、今も手持ちの服を大切に着ている。しかも男の子にしては、服装のセンスがけっこう磨かれたようである。

 大学生ぐらいになると、入学祝いか何か知らないが、やたらと高級車を乗り回す連中がいる。自分で稼いだ金で買ったなら文句は言わないが、親に買ってもらったとしたら、その学生の将来は暗い。高級車に乗りたければ、せめて事業にでも成功してからにしてほしい。それが、若者らしい夢というものである。

 勉強に忙しいはずなのに、どうしてもクルマに乗りたければ、自分でポンコツを買えばよい。そして故障するたびに、油だらけになって、自分の手で修理するのである。それでこそクルマというモノに対する深い愛情が湧いてくる。

 クルマのメカもわからない人間にかぎって、次々と目新しいクルマに乗り換える。そうして、やがてはモノとヒトの「心」がわからない浅薄な人間となっていくわけだ。

著名な外国人が「もったいない」という言葉を誰かの受け売りで使っただけで、大騒ぎしなくてはならないほど、現代日本人は浪費癖が身についてしまっているのである。亡国の憂いというものを、そういうところにこそ、私は感じてしまう。

 

 今を楽しむ

「勉強しなさい」と言って、子どもを上級の学校に進学させるのは、子どものことを思っているようで、じつは多分に親のわがままが先行している。子どもたちが、いい学校や、いい会社に行ってくれれば、世間に鼻が高い、老後も安泰である、などという下心がないと言い切れるだろうか。

 子の幸せを親がつくることはできない。真に子の幸せを願うなら、自分がまず幸せに生きてみせるほかない。その姿を見て、子もまた、幸せに生きる道を学んでいくのである。

 親が高学歴や高収入であっても、ストレスと愚痴に満ちた生活をしていれば、子は高学歴や高収入を得ることの意味を納得しないまま、親の言われるままに、上昇志向を身に付けていくことになる。そこに空回り人生の起点がある。

 極論すれば、もう将来のことは、どうでもいい。「今」を楽しめばいいのだ。それを刹那主義とか快楽主義とか、皮相な知識で批判するなかれ。今、家族と共に寝起きし、共に食することの喜びを感じることなく、未来の幸福はありえない。現実に、明日という日に交通事故か地震で死ぬ可能性は、低くないのである。進学とか就職とかいって、まだ来てもいない未来を追いかけている暇はない。

 だから、「今」という時間を大切にし、「今」という瞬間を精一杯に楽しむこと以外に、親や教育者が子どもに教え伝えることは何もない。たとえ、何かの目標に向かって精進努力するがゆえに、辛酸を舐める日々を送っていようとも、「今」という瞬間を見失ってはならない。

 教育というのは、畢竟、「今」を生きることである。「今」を生きていない親や教師が、いったい若い世代に何を伝え得るというのだろうか。

「実験的教育論」という題を掲げて、ずいぶん暴言めいた提案をしてきたが、それがなぜかといえば、「過去」とか「前例」とかいう虚妄の世界に閉じこもって、「今」を生きようとしない教育者が多すぎるからだ。

 日本の未来は、教育にあり。教育の未来は、「今」にある。私の「体感的教育論」は、そんな単純な結論になるだろう。

 

25 対談 一燈園教育に学ぶ 相大二郎・町田宗鳳

 “争いのない生活”を目指して一燈園を開いた思想家・西田天香によって大正十三年(一九二四)に創設された燈影学園は、「自然に適う教育」を基本に、今では百人に満たない児童生徒が小学校から中学校、高校までの一貫教育を受ける、日本一小さい私立学校である。祈りと汗と学習を三本柱に、朝の瞑想に始まり、作務(さむ)を組み込んだ授業を行っている同学園を訪れ相大二郎学園長と対談した。

  瞑想で一日が始まる

町田 一日が瞑想から始まるのは素晴らしいことです。子供たちが一堂に集まり、ひざ小僧を合わせて沈黙しているのは、とてもかわいいですね。私自身も長年、毎朝坐禅をしていますが、特に子供たちが朝十五分間でも静かに坐る荘厳な時間に触れるのは、とてもいいことだと思います。宗教とは関係なく、どこの学校でも朝はまず静かに正座をするようになればいいですね。燈影学園では西田天香さんの「一事実」を読みますが、古典の美しい一節を読んでもいい。社会人も仕事の前に静かな時間を持つことが大事ではないかと、改めて思いました。

相 児童生徒と教職員全員が毎朝瞑想するのは、本学園創立以来の日課です。昭和八年の創立当初は教育勅語を読んだこともあったようですが、戦後今の形になりました。天香さんの自内省でもある『天華香洞録』の中にある「一事実」が天香さんの思想を簡潔に表現していたので、それを読むようになったのです。

 今の時代は子供も大人も、一日の中で静寂なひとときを過ごすことがなくなりました。子供たちは瞑想の時間が好きです。瞑想に入る前に一言短い話をします。例えば、地震が起きた翌日には「人のいのちはなぜ、こんなに簡単になくなるのか」「命ってなんだろう」という問い掛けをして、かち(拍子木)を打って瞑想に入ります。「自分の呼吸を数えなさい」と言う日もあります。

 坐禅では「無になれ」とよく言いますが、それは子供たちには難しいので、何か一つのことに集中させるためです。

町田 私が開発した瞑想法は、おなかに手を当てて「あ~・り~・が~・と~」とハミングします。音を出すことで雑念が入りにくくなります。そのあとにする「感謝念仏」では同じ四音を大きな声で発声します。それをたくさんの人で行うととてもきれいなハーモニーになり、不思議な音が聞こえてきたりします。私が主宰して「風の集い」や「健康断食」で実践し、効果を上げています。集中しやすいので、参加された方は、皆さんあっという間に坐禅が終わったという印象を持たれます。

相 一燈園では根本規範である「光明祈願」を導師が一句ずつ唱え、その一句ごとに全員が「あ~め~つ~ち~の~おん」(天地の恩)と一緒に唱和します。確かに深呼吸しておなかから声を出すと集中します。

 一燈園で暮らしている大人の同人たちは朝の六時と夕方の六時からお勤めをし、維摩経を唱えます。天香さんは維摩の生き方が一燈園の考えと相通ずるものがあるとして、その考え方に共鳴されていました。

 天香さんは維摩と聖徳太子を崇敬されて、春には太子祭り、夏には維摩祭りが今も行われています。維摩という方は釈迦の時代の長者で、伝説の人とも言われていますが、在家でありながら十大弟子よりもよく釈迦の教えを理解していたと言われます。

 維摩経の内容は、ある日、病気になった維摩に、釈迦が舎利弗、目連、迦葉などの弟子たちに見舞いに行くように命じるのですが、過去に維摩にやりこめられているので勘弁してほしいと誰もが断るのですね。

 最後に文殊菩薩が指名され「それではわたしがまいりましょう」と、維摩と文殊の問答が始まります。仏の道や人生について議論した後、無とは何か、空とは何かという問答になる。この「空とは何か」という問いに対して維摩は全く答えることなく、究極の返答を沈黙によって示した。それが有名な「維摩の一黙、雷の如し」という言葉として残されている。言葉や口で答えるともう空ではないということでしょうか。

 聖徳太子も「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」の一つとして維摩経を解説しています。山田無文老師が一燈園に大学林ができた機会に、維摩経の講話を月に一度、十年にわたり連続講話を行っています。

 

 自然に適う教育

相 「自然に適う教育」というのは、人間が自然から授かった「心」と「体」と「脳」をバランスよく鍛えることです。心を鍛えるのが「祈り」であり、体を鍛えるのが「汗」、脳を鍛えるのが「学習」です。

 瞑想は祈りの一つで、瞑想の中で子供たちはさまざまなことを頭に思い浮かべます。「いのちとは何か」「人生とは何か」「家族とは」「友達とは」「季節とは……」という問いに対して具体的な答えは出す必要はない、児童生徒と職員学園全員が毎朝の瞑想でこれらの問題について一緒に考えるそのことが、子供たちの心に何ものかを与えているに違いないのです。作務は汗の一つです。

 教育には「教わる教育」と「伝わる教育」とがあり、「知識」と「技術」は教わらなければなりませんが、「人間性」や「価値観」「生活習慣」などは伝わるもので教えることができません。それを今、親や教師は口で教えようとしているのではないでしょうか。

 「いのちが大切」「心が大事」「弱い者いじめはいけない」「お年寄りには親切に」など、これらのことはペーパーテストすれば小学校一年生でも百点を取ります。でも身に付いたわけではない。やはり生活空間の波動から、子供たちが肌で吸収していくものでしょう。十五分の瞑想の中では何も口では教えていませんが、子供たちなりに何か吸収しているのだと思います。

町田 それにしても学園の自然環境が素晴らしい。京都市内にこんな自然が残っているのは、奇跡です。

相 自然環境は大きな要素の一つですが、生活のリズムと空間というものも大切な要素だと思います。

町田 最近、ある名門進学校の高校で講演したのですが、コンクリート尽くめの校舎でした。教室にいるとまるで刑務所のような感じで、一つの絵も飾っていない、非常に無機質な空間でした。ドアを閉めると密室となる空間で受験勉強をしているわけです。多感な高校生の三年間をこんな環境で過ごすのかと、恐ろしくなりました。若者の感受性を断ち切り、受験という目標のみに向けている、まるでブロイラー教育です。それを疑問に思わない教師たちが不思議でした。エスカレーターまである豪華な高校ですが、なぜ高校生を歩かせないのか。自然に適う教育の正反対です。しかも、校庭にある高いヒマラヤスギを倒れる危険があるので切るという。いのちを遮断する教育です。

相 東京の開成学園の橋本という元教頭さんも一燈園の学校を見て、「これが本来の教育なんだろうな」とおっしゃっていました。開成学園では卒業生の多くが東大へ行くことで有名ですが、一燈園の学校でも一クラス十人もいない中で、今年は一浪ではありますが東大の合格者がありました。でも一燈園は進学校ではありませんしカリキュラムの中で受験勉強を教えているわけではありません。本人の努力と能力で国公立大に合格してゆくのです。そういう能力を持った子供たちが価値観を求めて入ってくるということでしょうか。だから、それがあまり話題にもなりませんし、本人も普通に作務をしながら勉強したわけです。その中で難関といわれる学校に合格してゆく生徒たちもいるのです。

 去年は女子生徒が推薦入学で国立三重大学に合格しました。父親がダスキンという会社の津の工場長で、四年前、一燈園研修会で私の話を聞いたのがきっかけで娘さんを入学させたのです。大学受験では面接と小論文ですが面接では行願や作務のことなど話したそうです。二人の枠に二十一人応募があったそうです。

 学園は今、小学生が少しずつ増えていますが、それでも全部で五十数人です。昭和四十三年に天香さんが亡くなった時は小学校全員で二十七人、一学年四、五人でした。当時は一燈園で暮らしている同人(どうにん)の子供だけでしたので後に続く就学前の子供たちの数や子供を産む青年たちの動向についてその時点でのシミュレーションによると同人の数は次第に減って、数年後には小学校の入学生がいないことが分かったのです、将来の一燈園のことを考えて、外部一般の子供たちにも光友子弟として入学できるように門戸開放したのが平成に入ってからです。

 「生活共同体」というのはどうしても寿命というものがあります。もし平成元年に門戸開放していなければ今頃一燈園の学校は消滅していたことになります。門戸開放五年後の平成五年の時点で小学生三十一人中、同人子弟は四人です。今年(平成二十年)一燈園の学校は創立七十五周年を迎えますが、小学生五十二人全員が光友子弟で同人子弟はゼロです。中学・高校も同じように、同人の子弟はゼロで光友の子供がそれぞれ十七人と十八人、学園全体で八十七人です。

 一燈園という生活共同体は精神性を大切にしていますが、私有財産を持たないという面で形の上では社会主義体制と共通している面があります。二十世紀人類の大実験であった社会主義革命は、ソビエトをはじめそれを取り巻く多くの国々が存続できず七十年の歴史をもって次々と崩壊したように、一燈園という集団もその質や歴史や伝統にかかわりなく「生活共同体」としてはいずれ消滅する運命を持っています。

 一燈園は四年前の二〇〇六年、生活創始百周年を迎えましたが、当番の西田多戈止氏もその挨拶の中で「百年をもって一燈園は生活共同体としての任務をひとまず終えた。これからの一燈園は教育共同体という形の中で天香さんの道を後世に伝えてゆくことになるだろう」と内外に発表しています。それは私も正しい認識だと思います。

 「生活共同体」といわれるものは今日本に数十団体あるそうですが、私は生活共同体というものはサツマイモだと表現しています。一人の人が始めて次第に人が増えて膨らんでくる。しかし、やがて何年かたつとお年寄りが亡くなり、二世、三世の若者が離れていく。そして先へいくほど細くなり、やがて消滅するという運命を持っています。

 一燈園はほかに例を見ない百年も続いた生活共同体ですが、やはりサツマイモに変わりはありません。その意味で先ほどの当番の指摘は大きな意味を持っていると思います。もし「生活共同体」が新たな「教育共同体」として再出発することが可能であれば、そのサツマイモをヒョウタンにすることができるかもしれません。

 

 祈りと汗と学習

町田 一燈園では「祈り」と「汗」と「学習」の三つの柱が別々ではなく、渾然一体になっているように思います。ここが祈りで、これから汗、学習というのではなく、うまく融合しているという印象です。近代教育は学習だけに偏っていて、祈りと汗が全く欠落しています。汗はスポーツなどでかきますが、そこには祈りという精神性が欠けているので、しごきなどの問題が起こります。その点、山の懐に包まれた燈影学園は、三つの柱が混ざり合って動いているように感じました。これはぜひ、多くの学校の先生に見てほしいし、一日ではなく何日か滞在し、時には教育に参加して、それぞれの学校教育に反映させてほしいですね。

 シュタイナー教育やモンテッソーリ教育など海外で注目されている教育を日本は取り入れていますが、天香さんが始めた仏教を原点とする一燈園教育は、それらに勝るとも劣らない素晴らしい教育だと思います。この火種を絶やさないで日本各地に広げてほしい。

 相さんは共同体サツマイモ説で、それをヒョウタンにしたいということですが、ヒョウタンは下の膨らみのほうが大きい。だから、今までの生活共同体の膨らみが、より大きく膨らんでいく可能性があり私はそれに大きな期待を寄せています。

相 そうしていくには、基本的には天香さんの教育に対する考え方をしっかり基本に据えることが大切だと思います。町田さんは「祈り」と「汗」と「学習」の融合と言いましたが、天香さんはそれを「生活」と表現していました。「一燈園は宗教ではない、生活である」と。

 例えば、食事は生活ですが、それを拝んで頂くのは、「生活」と「祈り」が融合しているのです。米や野菜、魚などのいのちを頂くのですから、そのいのちを拝んで頂く。それが生活です。考えてみると昔はみなそうでした。

 また、高校生たちが作務で汗を出してまきを割る。そのまきで風呂を沸かすので、これも生活です。作務はカリキュラムに入っているので学習でもあり、それらが生活として融合しているのです。「祈りと生活」「汗と生活」「学習と生活」というのが天香さんらしい発想です。

 ここが一番大切なところで、この価値観を共有してくださる保護者や生徒が増えることが第一です。ただ生徒数が増えることが大事なのではなく、価値観が共有されなければ私学の意味がありません。国公立大学に進む子もいますが、進学が目標なら進学校に行けばいい。わざわざこんな小さな学校に来る必要はない。

町田 積極的に入学生の勧誘などはしないのですか。

相 「宣伝するな、光っておれ」が天香さんの遺言なんです(笑い)。それは答えの出ない公案のようなものです。しかし、毎朝学園全員で瞑想をすること、毎日食事を拝んで頂くこと、汗を流して作務をすること、毎月天香さんの命日には写真の前で子供たち全員がお経を唱えること、そんな一つ一つのことを絶やさずに続けるそのことが「光っている」ことなのかもしれないと解釈しています。

 もちろん、宣伝をしないということは腕を組んで生徒が来るのをじっと待っているということではありません。どういう教育をしているかという事実だけはお知らせしなければいけないと思います。その教育の中心は、「祈り」と「汗」と「学習」であり、これらは人間の成長において自然に適っており、それが生活と深く結びついているということです。人間が生きていく生活を中心に置いたのが、天香さんの特徴です。教育よりも生活が先にあるのです。

 生まれた赤ちゃんにとっての生活はお母さんのおっぱいに吸い付くという行為です。それは時代や民族、宗教、文化に関係なく全く同じです。また赤ん坊は教えなくても言葉を話し始めます。毎日の生活の中で、「おむつを替えましょう」「お乳を飲みましょう」と語りかけることが結果的に教育になっている。そこから生まれる生活のリズムで人間は成長してゆく。朝の瞑想で唱える言葉も生活の一部になっている、

 子供たちは教えなくても自然に覚える。子供たちは無意識に、手を合わせること、脱いだ履物をそろえることを覚えます。生活の中で自然に身に付いていくような伝統を、天香さんが作られたのではないかと思います。

 

 生活に根ざした教育

町田 今春、哲学者の重要な集まりで、基調講演をする機会を与えてもらいました。会場で学者の皆さんの議論を聞いて真っ先に感じたのは、そこに生活感が欠落しているということです。みんな知識で語っている。カントやヘーゲルが何を言っているなどは大学院で勉強すればいいことで、それを自分たちの生活にぶつけてどう思索したか、その結果、私の哲学はこうだという議論なら迫力があるのですが、みんな読んだ本の引用の知識で語っているのです。五十代、六十代の老学者が自分の思索ができていないのに私はびっくりしました。みなそれぞれ生活があるはずなのに、それが自分たちの学問とつながっていない、切れているのです。そういう学問の体系をつくってしまったのが近代教育だと思います。

 一燈園では生活を軸にして、祈りと汗と学習を混ぜた教育を行っています。ところが普通の教育を受けたら、生活と学問との絶縁状態がずっと続きます。西田幾多郎や鈴木大拙など日本の思想史に名を残すような人たちは、やはり自分の生活から哲学しています。ところが多くの大学の先生はそれが出来ていないという印象を持ちました。そういうトレーニングを日本の高等教育が提供してこなかったのでしょう。

 知識面だけでの秀才たちが、大学の先生になっていく。日本を代表する哲学者の集まりでの発言を聞いても、非常に思索が浅い。これには非常な危機感を覚えました。政治学者や経済学者の議論ならまだしも、物事を考えるプロ集団において、生活から乖離した知識の論争が展開されたのですから。私は現代日本の底の浅さを見せられたようで、心配になってきました。

相 天香さんは本校の校是に、「行餘学文」(行じて餘暇あれば文を学ぶ)を掲げています。『論語』の学而篇にある孔子の言葉ですが、陽明学の「知行合一」と同じで、知識と生活の融合を重んじています。子供の生活の原点は家庭であり、子供にとって行動実践は知識以前に身に付けることが大切だと思います。

 ですから食事の作法や玄関の履物などは、生活空間に流れる波として子供に伝わっていきます。それが伝わる教育です。

町田 伝わるためには、親や先生たちがちゃんと生活をして、自分たちの価値観をつくってないといけない。今の家庭の問題は、親の多くが生きる自信を持っていないことです。確固とした価値観がないので、伝わるものが乏しい。

 若いころによく感じていたのは、親や先生たちが自分たちの価値観に自信を失っていたことです。それには敗戦と、それに続いて戦後の日本を七年間支配したGHQ(連合国軍総司令部)が日本人の価値観を意図的に破壊したことが大きかったと思います。それまでちゃんとした教育を受けてきた人も自信が持てなくなった。

 高校生の時に感じたのは、戦前の教育を受けているはずの先生たちが、それについて一切語ろうとしなかったことです。伝わる教育を受けてきたのに、それを伝えようとしない。敗戦で日本は大きな断絶が起こりました。そして、アメリカ文化がいいという洗脳を受けたのです。ですから、祖父母からいいものを受け継いでいるのに、それを語れなくなったという社会構造の激変があったと思います。

 

 「行餘学文」

町田 それにしても、天香さんの「行餘学文」は素晴らしい墨跡ですね。私の場合は極端で、十四歳から二十年間という青春真っ盛りの時間を臨済宗の僧堂で過ごしました。そこでは、学習がまったく欠落していて、行ばかりでした(笑い)。私は図書館のあるカトリックの修道院がうらやましかった。修道士は祈りと作務のほかに勉強もできるのです。

 ところが、臨済宗では本を読んではいけない。禅の語録くらいは提唱の時間に読みますが、勉強は一切、ご法度の世界です。これは、『論語』に「思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し」 とあるように、方向性が見えなくなって危ないのです。行ばかりしていると、それが一つの型になって、何のためにこの行をしているのかが分からなくなってしまうのです。

 坐禅は思考と全く反対のもので、思考停止をするのが坐禅です。本を読むと分析的な思考をするようになるので、読ませないのです。それは理屈としては分かりますが、バランスを取らないといけない。三年間くらいならいいでしょうが、二十年間も学問をしないのは、非常に危険なことです。傲慢な禅僧が多いのは、井の中の蛙で知識の広がりに欠けるからだと思います。

 燈影学園で高校生が、教育の一環として山の草を刈る作務をしているのを見て、私はうらやましくなりました。私も、公立の中学、高校から禅寺に帰ってからは、畑仕事など厳しい作務をしました。方や学校は受験校だったので、知識一辺倒の教育です。寺の教育と学校の教育とが全く結びつかず、苦しみました。だから、師匠に高校を中退させてほしいと言ったことがあります。掃除も食事作りもしない、生活臭のない学校に非常に空しさを感じていたのです。そういう意味でも、燈影学園では作務と学習の歯車が合っていることが素晴らしい。

相 高校生が当番で料理をするのも作務で、それが小・中・高校生たちの昼食になります。まさに生活と汗が結びついているわけです。これは一燈園という生活共同体があることが、自然にそうなったのですが、天香さんもそこまで教育効果を考えてやったのではないでしょうが、それが人間集団の自然な在り方ではないかと思います。

町田 今の親たちも生活体験が薄れています。まき割りや風呂焚き、畑仕事も経験していません。真面目に学校に行き、大学を出て、サラリーマンになったので、人間として基本的サバイバルのために生活体験をしていないのです。近代社会は生活が便利になりすぎて、自分で汗をかかなくても生活できます。そうして育った親たちが子供に伝えられるものは少ないのではないでしょうか。

相 人生についても「生きる」という「生命の存在」に重点が置かれてしまい、「いかに生きていくか」という「人生の価値」に対する視点がどこかに消えてしまっています。どんな生き方をしても得をすればいい、儲かればいい、勝ち組になればいいという考えがほとんどです。

 愛にしても「あるか」「ないか」という茶碗や石ころのように存在として受けてめていて、愛があれば何をしてもいいといわれます。愛は「育てていくもの」ということがわかっていない。性教育に慎重な大人たちでも、最後には「愛があればいい」と言っています。それはほとんどの場合「好奇心」との混同であって「愛」という美しい響きに迷わされていることに気づかない若者にとって大きな落とし穴です。

 

 いのちに気づく

町田 最近、大分と熊本で自然農法をしている二軒の農家を見学し、教育もかくあるべしと思いました。無農薬で化学肥料を使いません。特に大分のなずな農園の赤峰勝人さんは、米も野菜も草と一緒に育てています。彼は、畑につき物の菌と虫と草を神菌、神虫、神草と呼んで、一切敵視していません。菌が堆肥を作ってくれるので菌は、敵ではないのです。

 ブタの排泄物と雑草から二年かけて完熟堆肥を作っていて、触るとさらさらして臭いもしません。肥料はそれだけです。草も土壌によって生える種類が決まるので、それを見ながら土壌の性質を判断して、植える作物を決めています。雑草は人の背丈ほどに伸ばし、それを田にすき込むことで肥料にしています。だから神草なのです。虫が作物を食べるときは、人体に入ってはいけない野菜の中の毒素を食べてくれているので害虫ではなく、神虫です。

 米も野菜も元気で、畑で取れたばかりの野菜を食べると、とてもおいしかった。田んぼも草だらけですが、稲は丈夫に育ち、一反(十アール)で十五俵(約九百キログラム)くらい取れるそうです。収量も多いし、稲が元気だから台風が来て風速五十七メートルでも倒れなかったし、病虫害も広がりません。

 そして田んぼからはすごくいい気が出ていて、癒やされるのです。あぜにござを敷いて寝転んでいると二日酔いもすぐに醒めるそうです。その違いは近くにある普通の農家の田んぼと比べるとよく分かります。化学肥料と農薬で土が殺されているのです。

 無農薬で完熟堆肥だけの田畑は、完成させるのに十年かかったそうですが、完成すると、自然が必要な物を全部用意してくれるの、手のかからない農法になるのです。それを見て、教育にも同じことが言えるのではないかと思い、目からうろこの感じでした。

 私たちは要らない化学肥料と農薬を教育現場に持ち込んで、子供たちの生命力を殺しているのです。子供たちを自然の力で育てたら、台風のような人生の逆風が吹こうが、虫がつこうが、恐れるに足りない。日本中の学校で自然農法をしたらいいと思いました。ものすごくいい教材です。

相 自然には環境面の自然と共に、生き方としての自然があります。

町田 自然農法の農家の人たちはすごい哲学者です。話を聞くと、大学の哲学教授よりよほど面白いし、宗教家の話より優れています。生活の中で、真正面からいのちに向き合っているからです。赤峰さんは、畑に入るとうれしくなり、朝から晩まで働いても疲れないそうです。農業高校卒で大学は出ておられませんが、話に深みがあります。

相 そういう人たちは草や作物と対話しているのでしょうね。本学園では食前と食後に食作法をします。食前は般若心経、食後は明治天皇の御製を唱えます。その食前と食後の作法を挟んでいただく食事中は黙って頂くのです。「黙」という天香さんの書の札が食堂(じきどう)の正面に掲げられています。隣の人と話をしないのは今頂いている目の前の食材と話をするためです。いのちを頂く米や魚、野菜と話をする。そう習慣づけると子供たちは自然に食材と話を始めます。

 自然界では動物も植物も一生懸命に生きているが、人は生きるために彼らのいのちを食べなければ生きていけない。ライオンもシマウマを食べないと生きていけないのが自然です。そのいのちを、毎日の食材との会話で子供たちは感じ取っていくと思います。それは教えるものではなく気づくものです。気づきは発見であり、発見には喜びがあります。

 この気づきを口や言葉で教えてしまうと、知識として覚えてしまうので、そこには感動も喜び沸いてこないと思います。気づきを生活の中で積み上げていくことが大切だと思います。

 

 根と幹を育てる

町田 燈影学園では、朝の瞑想から始まり、作務や食事、学習の時間でも、気づきの場が用意されているように思います。ところが、普通の学校では知識だけで、それでは気づかないでしょう。

 今の日本は負け犬根性を大量生産しています。昔なら平々凡々と生きても、給料が安くても、立身出世しなくても、居場所がありました。両親や家族もそういう生き方を認め、真面目に一市民として平凡な生活を送ることに、それなりの価値を見いだしていました。

 ところが今は、学歴を積み上げ、大企業に入って高収入を得るのが人生の成功とするような価値観が広がり、それから外れた人は負け犬根性を持ってしまうようになったのです。おれは派遣社員だとか、必要以上に負け犬根性を煽っているのが今の世の中です。

 燈影学園で気づきの教育を受けて育った子供たちは、ビジネスマンとしても人が思いつかないようなことを発見するだろうし、政治家になれば今までの政治家が気づかなかった政策を考え出すのではないでしょうか。ここで独自の思考法をトレーニングした人間は、それだけ応用が利くと思います。

相 北海道大学に入った卒業生が、後輩に送ってきた手紙の中で、「自分は燈影学園で根っこと幹を育ててもらった。花や果実は専門の学校で身につければいい。今、根や幹を育ててくれる教育がどこかにあるだろうか」と言っていました。

 一燈園の卒業生の中には、いま哲学界で西田哲学の重鎮になっている大橋良介龍谷大学教授は、一燈園で生まれ、燈影学園で高校まで土台を養い、京大を卒業してミュンヘン大学でハイデッガーの弟子になり、大阪大学大学院教授となった人です。

 また本校では小学一年からバレエの基礎であるリトミックを習いますが、それを始めた石原完二氏は一燈園の劇団「すわらじ劇園」の俳優の子供で、バレエの才能がありました。高校卒業後、文化庁招聘で欧米で学び、スイスのローザンヌ・バレエコンクールの振り付けを担当したこともある振付師でもあります。ほかにも事業経営や福祉関係、陶器、版画などの芸術分野で活躍している人もいます。

町田 根っこと幹さえちゃんと育てれば、それぞれの性格と才能に合わせた花は自分で咲かせることができるのです。今、その根っこと幹を育てる学校がない。

相 根っこと幹は地味ですから。華やかさを求める世相の中で、教育も大学進学やスポーツなど目立つことに力を入れてしまっています。

町田 私の息子は燈影学園とは正反対の教育を、シンガポールのインターナショナル・スクールで受けました。日本の学校と違いがり勉型ではありませんが、知的水準は世界トップクラスで、スポーツや音楽、ボランティアも活発にやらせます。成績優秀な卒業生は世界中の名門大学に入り、社会のリーダーになっていきます。

 日本の平板な教育に比べると非常に豊かですが、それが受けられるのは裕福な家庭の子だけです。私の場合は大学が教育支援をしてくれたので、二人の息子を送り込めました。

 燈影学園はそれほど裕福でなくても子供を入れられます。そこで作務を組み込んだ学習にバレエや空手も習えるので、一般に広がる可能性があります。普通の学校でも取り入れることができるので、日本の学校教育の一つの希望がここにあると言えます。

相 価値観を共有できる人や学校であれば、いくらでも増えてほしいと思います。

町田 私のように外部の人間に語らせればいい。燈影学園が積極的に広報活動をするのではなく、もっと外部の人にここのことを知ってもらい、彼らが間接的に語ることで広がるでしょうね。

 私自身が行ばかりの青春時代を過ごし、限界を感じて三十歳半ばになって、行にピリオドを打ってアメリカに渡り、世界トップレベルの学の世界に入り、学生から教師になるという極端な人生を歩んできました。青春時代は朝から晩まで草取りで、本を読みたいと思いながら読めずにいたのですから。それが中年になってから朝から晩まで本を読む生活です。そうしないと勉強についていけませんから。

 そして五十を越えて自分なりの生活、ライフスタイル、価値観というものができてくると、そこで祈りにやっと出会いました。寺には行だけで祈りはありませんでしたから(笑い)。その祈りの表現が「健康断食」であり「風の集い」です。私は行と学が分断された人生体験をへて、かなり長い回り道をして、やっと行と学が生活において一つになった生き方にたどり着いたように思います。

 だからこそ、今年九月に初めて燈影学園に来て感心したのです。私のような回り道をしなくても、子供の頃からそれらが一体となった教育を受けたら、自らの根っこと幹を育てられ、卒業後は自分で花を咲かせ、実を付けることができるのではないかと思います。

相 天香さんのもう一つの言葉に「行学不二」があります。今、町田さんはいまその心境にいるのではないでしょうか。学問もある意味で行ですからね。

町田 私は行学不二にたどり着くのに五十年かかりました。土台となる根っこと幹を育てる教育を、昔は家庭でやっていたわけですが、今はそれを育てるのが家庭でも学校でも難しくなっています。

 

 日本の精神文化を輸出しよう

相 無一物を極めてきたのが一燈園です。ところが、無に徹すると、一燈園を信頼して何かを預けようという人が出てきて、人や物を預かるようになります。そうなると、物を預かるという有の世界を修行しなければなりません。そこで、天香さんは預かり物(財物)を、世の中の「争いの種」にならないように運用経営する機構として会社組織の「宣光社」を作りました。

 一燈園の土地も、西川庄六という人から天香さんが預かったものです。一燈園の無を極めて、宣光社の有があります。天香さんは預かっても自分のものにしないことを実証するため、毎年、大晦日になるとご夫妻で路頭に帰るのです。後は同人たちでしっかり相談せよということで、疎水の橋を渡って一燈園を出て行くのです。そして同人たちは相談の結果、元旦の朝代表が天香さんを呼びに行くのです。

 天香さんは一晩中、八坂神社と平安神宮の間で初詣の人たちが捨てるごみを掃除しています。「もう一年、同人たちを指導してほしい」と代表がお願いして、天香さんに帰ってもらう。それを同人たちが元日の朝そろって出迎えるのです。それは大きな芝居であると同時にどこからつついても一点隙のない行事でもあります。二〇〇四年に一燈園生活百周年を祝った時、私は「一燈園は百年続いたのではない。一年が百回繰り返されたのだ」と実感しました。

 一方、同人たちは今度は夏の一日、全国から集まった光友さん方に一燈園を預けて同人全員が整列をして橋を渡って出てゆくのです。光友たちは相談の結果やはりここは一燈園同人しか預かることはできないことを悟り代表が呼びにこられるのです。もし、「最近、同人はだらしなくなったから、自分たちが預かろう」と光友が言えば、同人は帰ることはできないのです。

 もっとも、光友たちは家族や仕事があるので、実際的に一燈園を預かることは無理でありますす。また自分のものを持っているようではこの一燈園を預かる資格もないことになります。大芝居のようですが、これを芝居と見るか、一燈園生活の原点の確認体験と見るかは一人ひとりの問題なのです。

 天香さんの無所有、「預かる」という思想の証明はこういう形で毎年行われています。これも徹底した天香さん独自の発想のように思います。

町田 天香さんにはものすごい合理主義の一面があります。

相 一燈園と宣光社が一つになったときに「天華香洞」という一種の楽園ができる、そういう心境になれるということです。ですから、毎朝の光明祈願の最後の一句は「すなわち天華香洞に還り、無相の楽園に逍遥せん」とあります。無と有を乗り越えて楽園を逍遥するという、無相の楽園ですから形はないのです。宗教と現実生活を一つにして、見事に解決しています。

 しかし、それは天香さんのような人でなければ実行できないようなことですから、私たちはそれを目指して、語り継いでいるのです。私たちのように語り継げる世代の人間がいる間に、次の世代に、軸足になるものをしっかり伝えていきたいと思っています。

町田 無所有の生活が一燈園という共同体で百年間、成功したことは、一つの型ができたことだと思います。大本教には型の思想があり、教主が機を織ったり、畑を耕したり、焼物をしたりすると、美を愛する平和な心が世の中に広がっていくというものです。

 近代文明は大量消費経済と市場経済で地球を収奪してきました。このまま進むと、人類は自分で自分の首を絞めてしまうのは火を見るより明らかです。どうしても文明の軌道修正をしなければなりません。そのときに、一燈園が無所有、懺悔の心でも生きていけることを見せたのは、人類が生き延びられる一つの道を示したことです。確かに地球は人類が預かったものですから。

 日本は戦後、ソニーやトヨタなどが製造した高度な加工品を輸出して発展してきたのですが、これからはインドや中国に追い上げられて、もうそれだけではやっていけない。私は今後、日本が輸出できるのは精神文化だと思っています。今までは禅のように極端なものが一過性ではやったことがありますが、もっと日本が縄文時代から培ってきた精神文化をきちんと私たちが定義づけ、世界に発信する時代が来たと考えています。

 その一つが、一燈園で実現している教育で、ペスタロッチやシュタイナーの教育に劣らない素晴らしい教育理念が日本にもあったのです。

 心理療法の分野でもフロイトやユングのサイコセラピーを受け入れていますが、日本で生まれた療法に「内観」があります。もと実業家の浄土真宗僧侶で、刑務所の教誨師としても活躍した吉本伊信が修養法として開発したもので、一九六〇年代から精神医療の現場に導入され、七八年には日本内観学会が発足し世界に広まっています。内観は分析ではなく、「していただいたこと」「してさしあげたこと」「迷惑をかけたこと」の事業を思い出すだけで、自分の人格を統合してゆくという非常に優れた方法です。

 私が主宰している「健康断食」も肥満文化の先進国に輸出できます。日本にはそんな宝物がたくさんあります。それを日本から世界に発信したいというのが今の希望です。

 

 情報感性を養う

相 東京の開成学園と一燈園の学園との不思議な出会いから面白い試みが始まっています。進学校日本一の開成と全人教育日本一といわれる一燈園とのコラボレートということで二泊三日の夏期学校が一燈園を会場にして開催されたのです。参加者は開成、灘をはじめ自由学園、玉川学園、安田学園、国学院久我山、神戸女学院など首都圏、関西圏の私学の若い先生方が十数人参加して授業奉仕をしてくださいました。

 プログラムには行願も入っているので全員が近くの小学校のトイレ掃除を体験しました。

 また一燈園の学校は今年創立七十五周年を迎えるのを機にニュージーランドの男子校と女子校と本校の間に交換留学の取り決めを交わしました。二~三カ月で交互に生徒を派遣しあい、授業料や滞在費は受け入れ校が負担します。中学・高校生が対象で、一人か二人でスタートさせます。

 燈影学園は外部一般に門戸開放して二十年ですが、まだこのままだと一燈園という集団の中で自己完結してしまう傾向もあるので、さらに視野を広げてゆきたいと思っております。

 今年四月に出た私の著書『いのちって何?』を読んで見学や問い合わせが増えています。ある私立学園の理事長は朝の瞑想から昼の食事も一緒にとり一日かけて本学園を見学されました。瞑想と食事は本学園の特徴がよくうかがえると思います。

町田 現代文明の弊害を克服するヒントを多くの教育者が求めています。

相 最近のテレビ番組で感じるのは、知性も生産性もまったくない刹那的な笑いが多いことです。笑った瞬間に何で笑ったのか分からない、空しい笑いばかりです。ところが、そんなお笑い番組が視聴率が高いでしょう、そのような意味のない笑いの洪水の中で子供たちは無意識のうちに、どんどんレベルダウンしているのではないかと心配です。これも商業主義の弊害です。

町田 そんな番組を見たくないような国民をつくらないといけないですね。

相 現代社会を象徴するITの普及は功罪相半ばしていると思います。しかし子供たちにとっては便利さを越えて大変危険な存在のように思います。

 私はこの「IT教育」に対して「IS教育」という言葉を主唱しています。つまりIT(Information Technology)「情報技術」が技術をもって情報をキャッチするのに対し、IS(Information Sensibility)「情報感性」は感性でもって情報を手に入れるという意味です

 またITの発信源は、人間がインプットした人工情報であるのに対して、ISの発信源は大自然だということです。大自然が発信する環境面、現象面、摂理の面などの情報は、人間が発信するIT情報量とは比較にならないほどの無限大、無尽蔵の情報量です。

 それは春夏秋冬の景色の変化から、地球上の動物植物の生の営み、そして自分が男であること、この体この家庭、この国、この時代、すべて人間の意志を越えた自然の情報です。それらの情報を感じとる感受性を育てることが「IS教育」であり、これからの「IT教育」の時代にますます必要になってくるのではないかと思います。

 

相大二郎 一燈園・燈影学園学園長

 あい・だいじろう 1936年京都生まれ。59年一燈園大学林卒業。72年慶應義塾大学文学部哲学科卒業。幼少から一燈園創始者西田天香に導かれ、一燈園生活の「祈り」と「実践道」を教導される。現在、携わっている教育現場をはじめ国際理解教育、ユネスコ運動、ボランティア、1ARF(国際自由宗教連盟)などの諸活動はすべて師西田天香の遺志によるもの。著書は『いのちって何?』(PHP研究所)『一燈園教育共同体への試み』(みくに出版)など。

  エトキ 対談する相大二郎学園長(左)と町田宗鳳教授=10月2日、燈影学園

  あとがき 

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 町田宗鳳 広島大学環境平和学プロジェクト研究センター所長

 まちだ・そうほう 1950年京都市生まれ。14歳で出家し、臨済宗大徳寺で修行。34歳で寺を離れ、渡米。ハーバード大学神学部で神学修士号、ペンシルバニア大学東洋学部で博士号を取得。プリンストン大学東洋学部助教授、国立シンガポール大学日本研究学科准教授、東京外国語大学教授、広島大学大学院総合科学研究科教授を経て2008年4月より現職。オスロ国際平和研究所客員研究員、国際教養大学客員教授などを併任。専門は比較宗教学、比較文明論、生命倫理学。著著は『人間は「宗教」に勝てるか』(NHKブックス)『法然対明恵』『山の霊力』(以上、講談社選書メチエ)『なぜ宗教は平和を妨げるのか』『愚者の知恵』(以上、講談社+α新書)など。東京・京都・福山・広島で「風の集い」を主宰する。