「第九」の美学

 1824 年 5 月 7 日、ベートーヴェンが招待状を配り歩いた「交響曲第九」の
初演は、貴賓席は空席 であったが、それ以外は満席であった。ベートーヴェン
の 10 年ぶりの交響曲をウィーンの人々は 待ちかねていたのだ。この時代、交
響曲第何番と呼ぶ習慣はまだなかった。「伝説」では、大交響 曲が終わり、爆
発的な拍手が起きているのに、ベートーヴェンは気づかず、いつまでも客席に背
を 向けていた。それに気づいた歌手カロリーネ・ウンガーがベートーヴェンの
そばへ行き、彼の袖を 引っ張って、客席のほうを向くように促した。拍手して
いる聴衆を見て、ようやくベートーヴェンは客 席にお辞儀をした。成功は凱旋
的であった。それは気狂いじみた感激を巻き起こした。多数の聴衆が泣き出して
いた。

ベートーヴェンも終演直後は満足そうであったが、関係者一同が幸福なの はそ
の時までだった。演奏会は利益が出なかったのである。経済状況が厳しかったベー
トーヴェンは気絶したという。崇高な人類愛を謳い上げた彼にとって、作曲は
ビジネスであった。ほとんど 耳が聴こえなかった中で完成した「第九」は、メ
ンデルスゾーン、ワーグナー、リスト、ビューロー、 ニキシュ、マーラー、ト
スカニーニ、ワインガルトナー、フルトヴェングラー、ワルター、カザルス、カ
ラヤン、バーンスタインといった英雄たちが格闘し、地上にもたらされ、年末や
新年に演奏され、祝祭や追悼の音楽にも国家の音楽にもなった。また政治利用さ
れた過去もあった。

この「第九」が日 本で初めて演奏されたのは、1918 年(大正 7 年)6 月 1 日、
四国の徳島の板東 ばんどう 俘虜 ふ り ょ 収容所 しゅうようじょ に収容 さ
れていたドイツ兵たちによって演奏されたのである。1914 年、第一次世界大戦
において中国の 青島で降服したドイツ軍の4600名が捕虜として日本に護送され
収容所6ヶ所に入れられたのであ った。板東俘虜収容所の所長松江大佐は、会津
出身で、父は明治維新の際に幕府側についたた め、敗戦後の悲惨な目にあった
事を父から聞いていたため、松江は敗者の心情をよく理解し、捕 虜に人道的に
対応した。そのため他の収容所と比べて自由な雰囲気を持っていた。また副官の
高木繁大尉がドイツ語が堪能であったことが幸いであった。

 ドイツ人たちは、当時の日本に珍しい キャベツやケチャップ、ハム、ベーコ
ンを製造し、それらの作り方を日本人に教えた。さらに染色の 技術、石鹸の製
造、そして建物の設計や建築も教えた。友好的に、日独文化の交流がなされてい た
のだ。ドイツ兵には軍楽隊の者もいて、彼らを中心に、5 つの楽団と 2 つの合
唱団が組織され、 ときには徳島市内で公開演奏会も行なわれた。多くの困難を
経た捕虜たちの「第九」に参加した 者は証言している。「あれはすごかった。
最後は全員の大合唱となり、泣き出す者もいた。祖国に 届けとばかり声をふり
しぼった」合唱団だけでなく、聴いていた人々も一緒に歌ったという。異国で、
それも囚われの身での「第九」は、彼らの願いは、世界中の人々がひとつになる
日がくれば、戦争 もなくなる、そんな思いもあったであろう。「第九」それは、
自由と平和を希求する響きだった。

 2001 年 9 月 4 日ベートーヴェンの「第九」の楽譜は、ユネスコの世界遺産
「世界の記録」部門に指定さ れた。
 「いま必要なのは一国家を超えた普遍的な連帯の心をすべての人々に伝える音楽だ。
それ にふさわしいのはベートーヴェンの第九である」―――ノイマン
       
 Life-Heart Message 2012.12.17.     未来創庵 一色 宏 
  An die Freude

O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere.
(ベートーヴェン作詞)

Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium
Wir betreten feuertrunken.
Himmlische, dein Heiligtum!

Deine Zauber binden wieder,
1803年改稿)
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
1785年初稿:
Was der Mode Schwert geteilt;
Bettler werden Fürstenbrüder,

Wo dein sanfter Flügel weilt.

Wem der große Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!

Ja, wer auch nur eine Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer's nie gekonnt, der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!

Freude trinken alle Wesen
An den Brüsten der Natur;
Alle Guten, alle Bösen
Folgen ihrer Rosenspur.

Küsse gab sie uns und Reben,
Einen Freund, geprüft im Tod;
Wollust ward dem Wurm gegeben,
und der Cherub steht vor Gott.

Froh, wie seine Sonnen fliegen
Durch des Himmels prächt'gen Plan,
Laufet, Brüder, eure Bahn,
Freudig, wie ein Held zum Siegen.

Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuß der ganzen Welt!
Brüder, über'm Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.
 「歓喜に寄せて」

おお友よ、このような音ではない!
我々はもっと心地よい
もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか
(ベートーヴェン作詞)

歓喜よ、神々の麗しき霊感よ

天上の楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高な汝(歓喜)の聖所に入る

汝が魔力は再び結び合わせる
1803年改稿)
時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる
1785年初稿:
時流の刀が切り離したものを
貧しき者らは王侯の兄弟となる)
汝の柔らかな翼が留まる所で

ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ

そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい

すべての被造物は
創造主の乳房から歓喜を飲み、
すべての善人とすべての悪人は
創造主の薔薇の踏み跡をたどる。

口づけと葡萄酒と死の試練を受けた友を
創造主は我々に与えた
快楽は虫けらのような弱い人間にも与えられ
智天使ケルビムは神の御前に立つ

天の星々がきらびやかな天空を
飛びゆくように、楽しげに
兄弟たちよ、自らの道を進め
英雄のように喜ばしく勝利を目指せ

抱擁を受けよ、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
ひとりの父なる神が住んでおられるに違いない

諸人よ、ひざまずいたか
世界よ、創造主を予感するか
星空の彼方に神を求めよ
星々の上に、神は必ず住みたもう
 第9NHK:4分58秒)  ベートーヴェン《歓喜の歌》 カラヤン1986年, 24分5秒
おお友よ、この調べではない!これでなく、もっと快い、
喜びに満ちた調べに共に声をあわせよう。

歓喜よ、美しい(神々の)火花よ、天上の楽園の乙女よ!
私たちは情熱の中に酔いしれて、
崇高なあなたの聖所に足を踏み入れる、何と神々しい!
この世の習わしが厳しく分け隔てたものを、
あなたの聖なる偉力が再び結び合わせる(そして)
あなたの穏やかにたゆたう翼のもと、すべての人々は兄弟となる。