音楽』の美学

 古代の人間にとって、音楽とは魔術であった。そして、魔術は、すべての事柄を解決する特効薬でもあった。すなわち、この音楽という魔術を使えば、病気を治すこともできるし、生命の誕生から死に至るすべての儀式を取り仕切るものであった。人間の生活のすべてを支配した『音楽』は、社会の権威でもあり『幸せ』でもあったのである。 
 歌の目的は、神への祈り、自然との対話、悪霊を追い払う、戦闘意欲を鼓舞する、自己の心情を吐露する。病気を治す、存在の誇示、愛の告白・・・神への祈り(賛美歌)、心の吐露・愛の告白(イタリア・オペラ)戦闘意欲は(マーチ)に、病気を治す(音楽療法)に、存在の誇示は(カラオケ)なのかもしれない。

 音楽文化人類学者クルト・ザックスによれば、人間は幸せな状況だから歌うだけではなく、ある種、絶望の淵にあるような状況の方が『ウタを歌いたくなる』。たとえば、アメリカの黒人奴隷達が歌う、黒人霊歌やブルースなど、何としてでも未来へ明るい希望を捨てまいとする願望がそうさせたのではなかろうか。詩人ハイネは言った。『音楽というものは、不思議なものだ。それはほとんど、奇跡と言ってもいいだろう。なぜなら、音楽は、思考と現象のあいだ。そして、精神と事物のあいだにあって、双方を漠然と仲介する存在だからだ。音楽とは何なのか、結局私たちにはわからないのだ。』と・・・

 『音楽を聴くとき、危険を感じることなどない。傷つくこともなければ、敵もいない。その時わたしは時間を越え、遠い過去とも、そして現在ともつながっているのだ。』と言ったのは、ヘンリー・デビット・ソローである。
有名な『ボレロ』を作曲したラヴェルは、晩年、脳の病気で廃人同然の生活を送っていた。失語症、読み書きの能力を失い、ピアノは片手でしか弾くことができなかった。しかし、暗譜した曲は歌ったり、演奏したりすることはできた。ベートーヴェンも、晩年、聴力を失っていたが、心の中に『音楽』は最後まで失ってはいなかった。「ラヴェルの記憶の中に、ベートーヴェンの記憶の中に音楽は響きわたっていた」のである。その記憶も、その人が経験的に蓄積した記憶だけでなく、遺伝情報や環境情報として先祖から受け継いだものまで含まれ、また地球上で生活してきた『人類としての記憶』も含まれているはずであろう。

 五感を通して刺激や感動を人間は得るのは、その先にある人間としての『幸福感』を得ようとするためである。人間が創造したものはその現実的な使い方が何であれそのそもそもの目的はすべて人間が自分自身を幸福に導くためにあったとも言える。果てのある限定された『生』という時間と空間の中に、音楽は、恐れの「異空間」にも喜びの「異空間」へも自由に行き来することのできるスイッチかもしれない。『歌うことは、愛し、認めること。飛び立ち舞い上がり、聴く人の心のなかにスッと入りこむこと。歌は語る、人生とは生きるためにあること、愛もそこにあること、何も約束などないということを、でも、美もそこにあり、それを探し求め、見つけ出さなければならないということを。』・・・ジョーン・バエズ

       Life-Heart Message.2008.01.21.           未来創庵  一色 宏



「ミュージック」の美学

 大氷河が溶けだした紀元前1万年ぐらい前のヨーロッパやアフリカの洞窟には、さまざまな壁画が描かれていた。その中にある古代人たちの儀式や物語から音楽
の歴史はスタートしている。今日、世界中に残る先住民族の中でも特に音楽の盛んな部族として知られているのは、ピグミー、ブッシュマン、北米インディアン、
先住シベリア民族、マレー半島のセマン人、そして、アボリジニなどの先住オーストラリア民族の一部である。そして、こうした部族たちの中で小屋を建てる最
中に歌を歌ったり、誕生や成人の儀式などで太鼓を叩いたり子守唄を歌ったりする役割はそのほとんどが女性であった。そして、女性が最も働きを要求されるの
が、死者の霊を弔う時である。原始民俗の意識の中では、「死」は「復活」への通過儀式に位置づけられていた。死から新たな生へと向かうためには、生をもたらす女
性の役割がなければ成り立たなかったのである。

 死者を弔うために「泣く=うめく」人々の存在は、あらゆる民族に存在していた。
ロシアのヴォプレーニフツアや、コルシカ島のプレフィカなどは音楽(=泣き)のプロ的存在の女性がいた。その多くは社会的に地位の高い女性たちであった。書か
れた楽譜を持たない彼女らの音楽では、死者の業績や一生をたたえる物語を即興的に「うめき」ながら歌っていった。それは「復活」を願う歌であった。古代の女性
たちは、こうした「復活」の儀式だけでなく、誕生や成人、そして、戦いのための儀式でも「歌」を歌う役割を担っていた。古代ギリシャ文明の中で、音楽は神聖なもの、
生命の息吹き、人々の考え方までも支配する秘儀的な役割を担わされていた。それは、紀元前500年頃のピタゴラスの考えた『宇宙の生命力が音楽を通じて作用を
及ぼす』という考えに裏付けされていた。

 よく音楽を「ミュージック」という。その語原は、古代ギリシャ神話の音楽の女神(ミューズ)からきているが、一つの神ではなく、3人の女神の総称で、一人がイン
ヴェンション(言葉や音楽のフレーズを作りだす人)、もう一人はソング(歌う人)、そして最後がメモリー(記憶する人)と言われている。この3人のミューズが神で
あるゼウス祭壇の脇で、本来の音楽の神であるアポロンと一緒に、世界の起源について叙事詩を歌っていた。

 デューク・エリントン(ジャズ作曲家)は言った。・・・『愛する人たちが現れては消えていった。だが、私の女王だけは残っている。彼女は美しく、優しい。
洗練されていて、気品もある。その声音は、この世のものとは思えない。年は1万歳、未来と同じくらいモダンで、毎日新しく生まれかわる女性。彼女は誰の脇役で
もない。そう、音楽こそ、わたしの女王様なのだ』・・・・・・

           Life-Heart Message 2008.07.28. 未来創庵 一色 宏