第4回吉田昌郎元所長を偲ぶ会 
   
       吉田調書の教訓はどこまで活かされているのか?

    吉田所長に学ぶ運転管理技術者の視点       
   201779 きゅりあん(品川区民館)
 
       WNR-Cx渡邊研究処  渡邊一男 
まえがき
 偲ぶ会の活動の進展の成果により、事故調・評論・ノンフィクションよりも一層具体的・身近に福島と吉田所長の事跡が理解され評価されるようになってきたことを特筆したい。
  1.吉田所長の置かれた状況
  戦後の日本においては福島第一の吉田所長のような厳しい状況下でのリーダーを務められた事例はない。筆者のような戦中人種に直ちに想起されるのは、大戦末期の破滅的戦闘である。アッツ島の山崎大佐、硫黄島の栗林中将、沖縄の牛島中将である。吉田所長の置かれた状況の厳しさを思い起こすことが吉田所長の顕彰に結びつく。谷深ければ山高しである。
2.福島に至る経緯
 福島に至る経緯のトピックスを項目的に記すと以下が考えられる。
(1)50/60サイクル併存・電信柱電柱・1882(銀座に街灯)
(2)原爆被爆責任・1945      (3)原核反転1953
(4)オイルショックと核発・1973  (5)TMIを学んだか・1979
(6)姉ヶ崎火力爆発が初犯・1997  (7)9.11セーフ実例・2001
(8)阪神淡路・1997、新潟県中越沖地震の教訓・2007
(9)3.11抑止と責任・2011
      (a) 1-4号機は三重否定(b) 福島問題の素因は12兆円アセット(負債)
    (c) 現場技術者的視点よりの福島爆発責任
10)「もんじゅ」は何故混迷・2016 11)東芝問題の責任・2017
   以下、主要項目につき摘記する。 
3.50/60サイクル併存・電信柱電柱
 電気は見えないが、鉄道になぞらえると、富士川を境に線路の幅が10 cm違うのと同様か。 ロンドンではガス灯に続いて電灯が現れたとき、市民の見解として「競争条件の公平が資本主 義の基本原則」があり、電柱が立つことはなかったと聞く。豊洲問題は市民(投票者)の責任、青島以来、芸能人(的)が続いているとの論者もある。福島問題にも市民の責任が問われよう。
 4.原爆被爆の責任
 廣島・長崎は、科学技術を残虐に用いた行為として批判的視点でのみ伝えられる感がある。しかし、それは一面であって、本土決戦を免れ、外地より生還でき、ベビーブーム・高度成長へ の転期となったことを考えると、極めて多数の人々に決定的の影響を与えたことになり、被爆者は「犠牲者」としてよりも「人柱」としての成仏を願う対象として思い描きたい気持ちとなる 。このような視点は許されるであろうか、宗教人に問いたい。
 対して、原爆被爆責任論議の欠落は遺憾である。仁科芳雄(理研)・荒勝文策(京大)は陸軍・海軍の指示で原爆開発的業務に協力した。本来であれば、パンプキン爆弾の予兆もあり、被 爆回避をトップに伝えることこそ、後進・弱体国科学者の最大責務のはずであろう。
 この視点は安全神話問題への対応にも通じよう。
5.原核反転
 世界はすべてnuclear であるのに日本のみ atom とする問題であり、国際シンポでも「日本は今でもアトムですか、それでよく教育や研究ができますネ」と皮肉られることがある。このことは逐次に浸透しつつあり、昨年は日本カトリック協議会の出版物に「核エネルギー(原子力)」と記したとのあいさつがあった。バイブルは一語と云えどおろそかには扱われない事例であろうか。 筆者はこの問題で、文科省・国立国語研究所・米大使館に教えを請うた。DOE代表の参事官からは「アメリカではnuclear defense的のニュアンスを感じている」とうかがった。英和辞典では何時の間にかnuclear に「原子」の訳が付されており、「神を怖れぬ」と云われそうである。

6.オイルショックの原因
 筆者はオイルショックをロサンゼルスのホテルで新聞を見て知った。原発調査の過程で「オイルショックは米原発稼動のための手段」と感じた。1953年・Atoms for Peace演説、1962年・ケネディー・シーボーグ報告、そして1973年の符合である。しかしそれを周囲に語っても肯定のサインは皆無であった。ドイツ大使館参事官がはじめて「それは参事官仲間の酒席の話題」と応じてくれた。
 それが、福島・もんじゅ・東芝・シェールガスの現在、「ムラ内」では「それは常識」となっている模様である。「油の値段は原発より高く」の原則が崩れる現実には抗しえない事態に学んだわけであろう。
7.スリーマイルを学んだか
 スリーマイルでは、当初、小爆発があり、事故調報告にも1章があてられている。福島事故調報告のいずれにも「水素爆発」の記述は実質的にゼロである。日本の技術認識の指標である。原子力学会では50人の事故調委員がおり、50回の大小会議が行なわれたが、スリーマイルは1度も議題となっていないとのことである。事故調報告の目次(章・節・項)に水素の文字はない。委員からは、「水素を書いたがボツになった」、委員外の水素専門家からは、立候補したがお呼びはなかったと聞いている。 
8.阪神淡路・中越沖地震の教訓
 福一では外部電源5回線中3回線が不使用の状況で震災にあった。安全装置の効用が50%以下となっていることが許容されるのか、マニュアルはどのようになっているかの解説を聞いていない。
 1995年の阪神淡路震災で鉄塔・送電設備の破損で送電網の脆さの指摘があり、炉心損傷事故の16%外部電源に起因するとの解析があり2001-2006年に安全委員会による指針改定の提案があったが、電力側からは1.5時間で冷温停止できるとの強弁があり、改訂は阻止された。2001年に原研から送電網全体の強化改造が指摘されたが、何らの対策もなく一切無視であった。
 2007年の新潟県中越沖地震では、2008年のはじめに柏崎で2日間の国際シンポジウムが開催された。第2日の夕刻、質疑終了に近く、筆者が議長に質問し、今回は序論、最終確認の国際シンポを期待したいとした。議長の石川迪夫原技協最高顧問は喜びの表情で、良い質問、議長として同感、ゼヒやりたい、必ずやるとの応答があった。しかし確認シンポは実施されず、福島爆発に至った。筆者としては、2007年から原発調査を始め、初の国際シンポ・初の発言であり、記憶に残っている。


  9.福島再犯・初犯は姉ヶ崎
     東京電力にとって、福島第一が最初の発電所爆発ではない。1996619日に姉ヶ崎火力6号機60kWが爆発している。煙道爆発と報道され、燃焼炉の天井・炉底損傷と示されてい   る。東電姉ヶ崎1名(21)死亡、バブコック日立1名(49)死亡、太平電業1名(27)重症となっている。

  事故報告をみると、原発定常運転を支援する条件の確認のためのテスト中のアクシデントとしており、経緯より、燃焼技術・制御技術に問題ありが明らかである。筆者の定義に よれば「チェルノブイリ型爆発事故」となる。即ち、経営方針・技術レベル・モラル全般に起因である。火力発電所さえ満足に運転できないところが原発は果して・・・・の声も ありえよう。
 なお筆者は「ガス保安技術指導の専門委員」を1972年に通商産業省公益事業局長朱印により委嘱されている。また三菱重工では類似事項について小型機を用い詳細の試験を行い「技報」に報告している。 

10.渡邊が福島にいたら爆発はなかった
 筆者は3.11をみて原子力学会に入会し、運転管理技術者の視点により報告を継続している。最初は2012年春・福井大学であり、「福島爆発の淵源的素因はジャパンカルチャー」とし、「渡邊が福島にいたら爆発はさせなかった」と述べた。座長からは「湿っぽい時期に勇気づけられる報告」と評された。
 その後、折にふれて「渡邊がいたら・・・・」を述べることにしているが、概ね不評であり、反感を買う場合もある。例示すると、
 「安全に止めたとなると原発賛成に通じ、云ってはならない」「一人でそんなことが出来るわけがない」「原発は東京ガスの施設のようなチャッチーものではなく不見識」・・・その他である。即ち、「どうしても爆発してもらわないと、責任を被る怖れがある」「絶対に爆発させてはならないとの崇高な発想がなく、時流に流され、諦めている」の二つに分類される。 以後は、回答を示し、意見を求めることにした。
(a)事前対応の場合
 ・福一1-4号機は三重否定の存在(所内否定+社内否定+業界内否定)・社内で意見を述べ、否定されたとの証拠をつくる
 ・事務系担当者とともに米軍横須賀基地を訪問し司令官に状況を述べ、善処を要望する ・引続き米英仏独の大使館をまわり、社内問題から、国際問題に格上げする
(b)即時対応の場合  ・徹底して早期ベントを実施する
 以上である。当面、当方から話すのみで議論に至っておらず、現場的発想と実施の意欲がみられず、心配である。即ちシステムカルチャーの劣化が著しいと云えよう。筆者は1982年に米エネルギー省を一人で訪問し、午前午後と関連部局をまわった経験がある。
 女川で活躍した担当者に「福一と女川の相違を一言で」と個人的に問うたところ、「郷土愛・愛郷心であろう」との応答を得ている。
 ベント問題に関連して一つ付記すると、吉田所長が決死隊の出発を住民避難の確認まで遅らせた事がある。エネ庁原子力政策課長にこのことを問うと、即座に「それは誤り、住民避難は政策問題、炉の安全は事業者責任であり、それが混交することはあり得ない」と即答された。安全問題の訓練にはこのような思考実験も重要である。

 11.素因は12兆円アセット(負債)
 東電が福島に至った精神的素因は、2002年のシュラウド問題により5名のトップを失い、「愛社精神が戦陣訓」となったことによるが、実質的素因とされる事象は1995年にピークに達した12兆円アセット(有利子負債)にある。東電原発群は1995年にはほぼ完成し、これから営業・利益・償却と展開するはずがGDPの伸びの低迷から収入が頭打ちとなり、折からの自由化で配当増が不可避となり、修繕費に救いを求めざるを得なくなった。
 関電は40%まで下げたところで美浜事故となり幾分戻した。東電は60%を維持したところ、3.11に耐えらない体質となっていたことが曝露された。勝俣社長はキビシイとされたが、キビシクする他に策が無く、勝俣三兄弟コンプレックスともみられよう。
 此処で指摘したいことは「忠臣蔵に学べ」ではなかろうか。浅野は廉潔を通して時の流れに破れ義士を生んだ。シュラウド問題は組織の不義にトップが組織を守るために犠牲となった。愛社精神競争はトップに下げる頭の低さを競うだけである。本来であれば、不義を皆無として組織を守るのが正攻法ではなかろうか。システムカルチャーの演習である。

12.「福島問題の推移の包括的理解(仮題)」出版活動の提案
 今回の講演依頼を機に、吉田所長に関してのアンケートを試みたところ、福島についての意識に著しい風化現象的の雰囲気が見られ、それも必然とも想った。反面、先に記したカトリック協議会の「原核反転修正意図」の現れがあり、福一・福二についての技術系著者による納得感の充分な著書が発表されてもいる。二つの方向の現象が現れていると云えよう。
 筆者自身は、2012年春・福井大の「渡邊がいたら爆発はなかった」から、2017年春・東海大での「渡邊がいたら混迷はなかった」まで進展し、原発についての発言はほぼ尽したと思われ、今後は「LNG包括安全認識の考察」に移ろうと考えていた。
 今回の吉田所長に関しての偲ぶ会の活動は、開始されてさほど時はたたず、これからの問題である。そこで、「福島問題の推移の包括的認識の考察(仮題)」を協力してすすめることが、現在の状況への最適解の一つであろうと思い至った。偲ぶ会の幹事の方々、ご参会の皆様のご賛同がいただければと思う次第である。
あとがき

 ベントと決死隊のほかには、全く吉田所長の具体的対応にはふれなかった。理由は現場情報の不足である。第二については関連スタッフの思考・対応がビビッドであるが、第一は吉田所長の一人舞台の趣である。調書は吉田所長のほかにも主要スタッフの多くから作成されていると聞く。それらの公開・閲覧が可能となり、さらに納得のいく状況のきびしさと対応の現実が示されることを、偲ぶ会の継続的活動の重点として進められることを期待したい。

 [注]ここに記載の多くの事項は、これまでの学会報告によっている。    渡邊一男  WNR-Cx渡邊研究処   045-362-0407   UGK79475@nifty.com