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今年、令和3年、喜寿を迎える小林常雄先生は、若き頃、社会の矛盾を感じ、自殺しようと山に入ったが、「世界の人を救う使命がある。8ヶ国語を準備しておきなさい。」との天啓を受ける。医者も匙を投げだす難病を4つも克服。鳥取大学医学部から国立がんセンターにインターン留学。京大及び東大大学院でガンの基礎研究を行い、東大で博士号を取得。その後、ガンの真相の探求と治療法開発に半生を捧げてきた。小林氏は、ガンの真相を知らず、間違った治療法で死に逝くガン患者を見過ごすことができず、憂国憂世の情から人事を尽くしておいでのように見える。
最近著『ガンの真相と終焉』の発刊を祝う記念会が、来る11月3日に開催される。加瀬英明先生(発起人代表)は「ガンの終焉をナショナルプロジェクトにすべき」と提言されている。
現今の日本には、国民、特に若者が「よし、やるぞ!と奮い立たせるような国家目標が無い。
今回の総選挙の各党・各候補者の公約を見ても、「〇〇をやってあげます!」という バラマキ選挙、国民にこびた衆愚政治の兆候が感じられた。1961年1月20日、ケネディーは「米国同胞の我が民よ! 祖国が汝に何を為し得るかを問い給うなかれ、汝が祖国に何をなしうるかを問い給え! 地球市民の同胞よ! 米国が 、汝が国の為に何を為してくれるかを問い給うなかれ、吾らが人類の自由の為に、共に何を為し得るかを問い給え!」と言った 。また、ケネディーの提唱した平和部隊は、各国の海外青年協力隊の契機なり、若者は競ってケネディーの就任演説を諳んじた。
日本でも阪神大震災を契機として、ボランティア活動が注目され、本格化してきた。次々起こる想像を絶する天災・地災・人災への対応は、政府や国際機関の力では限界があることに、ようやく気が付いてきた。
ボランティア活動の始まりは、宗教である。時の政権が解決できない民衆の惨状を救うために、聖人、義人が現れた。幕末や戦後、社会情勢の不安な時代に雨後の竹の子のごとく数多くの宗教が誕生した。誕生当時は感謝・感激・犠牲精神のあふれる集団であったが、集団が定着すると、その団体を維持、発展させることだけが目標となり、単なるご利益集団となってしまいやすい。このことは宗教団体に限ったことではなく、省益あって国益無しの官庁、会益あって社会益無しの会社も同類である。
20年間、ボランティア活動を続けて痛感するのは、NPO法なるものの手かせ足かせ、煩雑さである。当局に尋ねるとNPOの社会的信用を利用する詐欺集団、ヤクザ、麻薬密売者から防御するためでもあるという。法律を悪用する人もいるので六法全書が分厚くなっているのと似ている。認定NPO法人の認証を得るには相当ハードルが高い。それに比べて宗教法人は報告にも自由度があり、無税である。
これは宗教が長年一定の社会的役割を果たしてきたと社会的に認知されているからであろう。ただ膨大な献金、大勢の優秀なマンパワーの活用に漫然としていては、内部の腐敗(権力闘争、金や男女問題をめぐる泥沼)に陥る危険をはらんでいる。宗教基本法が国会で議論されたのもその警告と言えよう。宗教団体はその発足当初の原点であるボランティア精神に帰るべきであろう。
ガンジーは「7つの社会的大罪」として「犠牲なき宗教」を挙げている。マザー・テレッサも「飽くことなく与え続けて下さい。しかし、残り物を与えないで下さい。痛みを感じるまでに、自分が傷つくほどに与えつくして下さい。」と言っている。宗教団体が本来の犠牲精神に立ち返り、宗派や教派国境を越えて国難、人類の課題解決に取り組む橋頭保になってもらいたいと思う。
「死を踏み越え行く所に宗教がある」とは岡潔先生が発せられた言葉である。(学生時代、奈良のご自宅でお伺いした衝撃的な言葉であった。)宗教は世界益(地球益)を超えた歴史的(過去・現在・未来)人類益が眼目である。
本庶佑先生が「教科書を疑え!」とおっしゃったときにはドキリとした。大村智先生は講演の後、高校生の「どうしたらノーベル賞をもらえますか?」との質問に「それは簡単だ!2つある。その1つはだれもやらないユニークなことをやりなさい。」「別の一つは、もっと大切だ。それは世のため人のために一生懸命やることだ!」とお答えになっていた。小林常雄先生も本庶先生や山中伸也先生と同じく早石門下生で世界の医学界に抗して免疫性を重視しユニークな地平を拓いてきた。
「和を以て貴しと為す」は、日本の長所であるが短所でもある。集団を守るために改ざん、償却、偽証は日本では社会的に黙認される。正直に言おうものなら、村八分で誰からも相手にされなくなりやすい。事実よりは集団のおえら方の意見を重視する。先の大戦での大本営発表により、どれだけ多くの人の命を犠牲にしたことであろうか?戦争責任、福島の原発事故、もんじゅに1兆数千億円を投じておきながら、その失敗の原因を探求もせず、責任の所在が極めて曖昧である。
この活動の第一歩として、加瀬英明先生がいみじくも提言されているように「ガンの終焉を目指す活動をナショナルプロジェクトとして掲げること」はいかがでしょうか?そうすればこのような活動を進めて行く中で、解決の糸口も見えない日韓関係、さらには、我が国と北朝鮮、及び中国との間の色々な難題に関して、おのずと解決への道筋が見えてくるであろう。
今日まで、国の誇りとは、経済力・軍事力・文化力を以て代表される国力に優れていることとされてきた。しかし、これからの(未来の)国の誇りとは、世界の民の窮状を助け、諸国民から感謝される度合いが大きいこととなるであろう。言い換えれば、国の誇りは、自分や自国が誇るのではなく、他者による他国による感謝の気持ちの多寡により決まると言えよう!
米国は自由を唱道し、中国は「平等」を掲げる。緊張の度合いが益々高まる米中の覇権争いに対して「真の愛」(親の愛)こそ、人類が目指すべき旗印であると思う。フランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の博愛はフランス語Fraternité(フラテルニテ:英語fraternity)の原義は兄弟愛・同胞愛である。「真の愛」とは、ただ与えて報いを求めない愛、無私、無償の愛、怨讐を許す親の愛である。釈迦が説く慈悲孔子のいう仁は、これに近く、イエスの示した愛敵の教えである。
実は小生は、1963年9月初旬の早朝、突如神の愛に包まれた入神現象を体験し、以来58年間、足りないながらこの神の愛を証しするために尽力し、とりわけこの20年間、NPO法人を立ち上げ、ボランティア活動を続けて来た。
しかし痛感するのは、NPO法なるものの申告などの手続きの煩雑さです。当局によると、NPO法人の社会的信用を利用する詐欺集団、反社会勢力から防御するため細かく管理せざるを得ないということです。しかし当局は、もっと柔軟性のある規約の改善、ボランティア活動育成のプラットホーム造りに努めるべきであろう。
良きにつけ悪しきにつけ、科学技術・交通・通信の発達は単なる道具・手段に過ぎない。雲間から日光が漏れ射すように、悲惨な世界の中にも人情の機微、自然の美しさが溢れ、その背後に神の微笑みが感じられる。アインシュタインの言葉と言われる「宇宙の究極的力は愛だ!」とのメッセージをもって結びとしたい。
小林先生の喜寿と新著出版を祝し、健康国民運動の出帆(キック・オフ)となることを祈念しつつ。 了
大脇準一郎 (NPO未来構想戦略フォーラム/地球市民機構(市民国連) 共同代表)
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『国際化時代と日本』書評 「日本の国家目標」
日本再生の国家戦略(ナショナルゴール研究のその後:政策提言まとめ)
「北東アジアの平和と安定」 Eng
国際ボランティア制度を国策に!