世界平和と統一思想

   (19843 アカデミー事務局にて)  李 相憲


世界の問題

  今日の世界の問題を解決するためには、勝共運動が是非とも必要である。勝共運動をするためには統一思想が必要である。そういう関係があるから、こういう題目を尾脇局長が立てたと思う。先ず、世界平和の問題ですが、平和とは何かという概念の問題であります。教授の皆様方は、既に平和について色々研究されていますので、勉強していない私としては却って教えて頂く立場でありますが、常識的立場で平和の概念を私なりに話してみたい。

 先ず、戦争のない状態、あるいは混乱、不安のない状態は平和だと常識的に言っているのではないかと思います。人類が今、平和を願うということは、戦争を願わない、混乱、不安のない社会、世界を願っていると言えると思うのであります。それでは、現代は平和の時代でないということであって、何が平和を妨害するのか、障害要因が何か、学者により答えは違ってくることもありましょうが、私としては、先ず、東西問題、共産陣営と自由陣営の緊張の問題、これが平和に対する脅威を与えていると思います。それから南北問題。第三世界と第一世界との利害、そして従属関係があるか、ないのか。こういう問題を抱えている。次に、最近新聞によく出ている中東問題、イスラエルとアラブの対立、キリスト教とイスラム教との対立、イランとイラクの対立、これも世昭の緊張を高めている。それから、北東アジアにおける緊張。ソ連の軍事増強によって、日本、韓国、中国、それに太平洋国家としてのアメリカもこのアジアに利害関係を持っているので、このような諸国間の緊張がある。これも世界平和の障害となっている。もう一つは、人種問題も、やはり大きな問題です。黒人と白人間、その他アフリカでの人種間の対立、これも平和の障害要因となっている。その他にも色々あると思いますが、主なものは5つ位じゃないかと思っております。

 統一思想の立場

 ところで、これをいかに今解決するか。世界の指專者たちは、色々努力していることを知っております。この問題は、要するに双方の問題であります。一方と他方、一国家の問題ともなりますが、一方に東ならソ連を中心として共産国家がある。西としては、アメリカを中心として自由陣営がある。このようにして、東西問題には、双方が利害関係が一致しないで対立している、こう言えるわけです。全ての問題は両方の問題でありまして、これを解決するに際して、両方とも理解を深めて、対話を通じてなるべく平和的方法で、対立、衝突を解決しようとしているのが現状であります。これは短期的解決だと言えると思う。又、長期的対策があるとするならば、それは、これらの問題の根本原因を歴史的に溯って追求していかねばならないと思う。とにかく、世界の指導者が色々と解決の努力をしていますが、やはり未解決のまま今まで来ています。将来も果たして解決するであろうか、見透かしが不鮮明であると言えると思う。

 ここで統一思想の立場を、語らせて頂きたいと思うのであります。統一思想の立場は文先生の立場でありますので、原理を基盤とした思想である。又、原理にない文先生の教えがまだ沢山あります。それらを基盤としています。統一思想の立場は、神中心の立場、つまり神の摂理を中心とした立場であります。そして、世界平和を妨害すするこういう問題を如何に解決すべきか?というバイア、文先生は、「神の摂理によってしか、解決できない」と言われるのであります。今までの多くの解決方法は、人間の解決方法だと表現できると思います。

文先生の立場から見た場合、今までは人間としてあらゆる方法をやり尽くした。けれども、結局は世界平和を達成できなかった。このように見るのが文先生の立場であります。昨年の12月14日から23日の間に、韓国では全国勝共大会が開かれました。そこで文先生がその大会を主催して、演説をされましたけれども、その内容の一部にこういう話があります。今、世界は、共産主義は勿論、民主主義も世界の混乱を解決し得なかった。宗教も人類の精神を指導し、善なる方向へ導くことができなくなった。却って、宗教内部で紛争が起きている。宗教も世界の問題を解決することができなくなった。哲学も思想も、世界の問題を収拾することができない。
 今までは、全て人間がやろうとしたけれどもできなかった。宗教的協力もあったけれども、神の本当のみ旨が分らなかったから結局失敗した。それで今になって、世界の混乱、複雑な問題を解決する唯一の道は、神である、神の思想である。こう言ったのです。これが文先生の立場でありますから、今あげた世界の問題の5つも、文先生の目から見れば、神の摂理から問題原因を把握する。こういう立場です。東西問題、歴史的に原因を追求するのも必要ですけれども、たとえば、1 7年にロシアに革命が起こって、ソ連政府ができました。これを歴史的に考案する。それから以後のソ連と自由陣営の関係を研究する。けれども、統一思想の立場からすれば、もっと歴史を溯って、1000年前、2000年前、もっと溯って、結局は、人類歴史の出発点まで溯って、そこに原因を把握し直す。これが摂理的に現在展開されている色々な問題を、把握する方法であると言えるわけであります。それで、そういう観点から、これから1つ1つ問題を神の摂理という観点で、統一原理思想の観点で、話をさせて頂きたいと思います。

1)東西問題の原理的見方

 先ず東西問題であります。ここであらかじめことわりたいことは、摂理の立場というのは、今は新約時代であります。イエス以後、今日までは。新約時代であると同時に、6000年の人類歴史の摂理的事件が、現在に再現されている。これが文先生の立場であります。新約時代の終わりであると同時に、6000年の歴史全体の終わりである。統一原理・統一思想では終末時代と言っています。そういう立場で世界的問題を話してみたいと思います。

 東西問題は何かというと、旧約時代のイスラエル民族と周辺の異邦民族の経緯(いきさつ)があったわけです。イスラエル民族は、神に対する信仰が弱まった。そうすると神は、イスラエル民族を異邦人の手に下してしまう。そう聖書に書いであります。つまり、異邦人が侵略したんです。そうすると、イスラエル人は不信仰を後悔して、悔い改めて、信ずる。そうすると神は、又、予言者を送って、又、不信に陥れば異邦人に改めさせる。これが旧約時代の様相でした。今日も、先進国というのは大体キリスト教国家であります。西洋文明というのはキリスト教文明でありまして、日本はキリスト教国家でないけれども、西洋文明圏内におりまして、西洋の一員であります。西洋文明はキリスト教文明であって旧約時代のイスラエルに当たる。ところが、イスラエルが異邦民族から色々侵略されたりして、遂にはイスラエル民族は捕虜として捕われていったのでありました。それと同様に、現在、アメリカを中心としたヨーロッパの先進国は、共産主義から激しく攻撃されている。それで色々、世界が危機に直面しいる。それを摂理的解釈して、共産主義は、現代の異邦民族である。キリスト教国家が、神の使命を果たしてないのです。不信に陥ってしまった。アメリカも、神の

名の下に出発した国でありますが、今は不信している。又、ヨーロッパもそうです。

 だから、自由陣営のキリスト教国家を覚醒するために、サタンの思想である所の共産主義の侵入を防ぐことができなかった。神はわざとそうざれたんではないか、サタンはいつも神の方を攻撃する。それを防ぐためには、自由陣営が信仰を保って、神の摂理の方向に、努力しなければならない。そうしなかったわけでありますから、現代の異邦人としての共産主義の侵入を防ぐことができない。丁度旧約時代に、イスラエル民族が、神への信仰が弱まった時に、異邦人の侵入を防ぎ得なかったのと同じです。

 だから、こういう観点で文先生は、現在のアメリカや自由陣営を見ています。それで、アメリカで、再び神の徳に帰っていきなさい。それで覚醒するのですね。本当の神を信じ、神のみ旨通りに立ち直らなければならない。この事を訴えているのです。

 とにかく、そういう関係で東西問題が深刻になっているのでありまして、関連して他の問題も起きておりますが、摂理的にそう見ておるのであります。旧約時代のイスラエル民族と異邦人との関係は、善悪というか、カインとアベルの関係であります。

 アブラハム、ノア家庭を通過し、アダム家庭まで行きます。 そこで人類歴史の最初の出発点におきまして、カインがアベルを殺しました。悪が善

 を殺した。これが人類歴史を悪と善の闘争、対立の歴史となった出発点である。善と は神の側でありまして、旧約時代のイスラエル民族は選民である。これを善と言います。神の側から見れば善であったわけです。そのイスラエル民族が、イエスを殺します。もっと溯って、アダム家庭では、カインが悪であり、アベルが善でありまして、その時代には、家庭、全人類がそれしかなかったと言えるわけです。そうすると、人類の半分はアベルであ‘り、残り半分はカインであると表現できるわけです。その後、ノアが来ます。ノアを中心として早く罪の世界を終わらせて、そこにメシアを送って、地上に平和な天国を建設する。又、そこにサタンが侵入して、ハムが責任分担を果たせずして堕落したのです。セムとハムが、セムがアペルとして、ハムがカインの立場となりました。それで、セムの後を受け継いで、アブラハム家庭となりますが、そこで少し横に延長されて、イサク、ヤコブとなります。彼ら2人を出発点として、イスラエル民族が形成されまして、これが善の方の民族となります。その延長上に、イエス様が来られて、地上の一切の悪をなくして、それで善の本当の世界を実現しようとされた。それが、イエス様が亡くなられたため、それが延長しました。アブラハムからイエスまでの2000年が、延長して今日に至りました。同じ摂理の法則

に従って延長された。規模が大きくなった。大体、形式は同じです。たとえば、アプラハムから士師時代まで400年苦役の時期であります。それに相当するのが、イエス以後ローマにおけるキリスト教の迫害に時代的に大体一致しております。それで、今日まで延長致しました。それで今日は旧約時代と同時的に繰り返す時代でありますし、6000年の歴史全体の総蕩減という意味で、段々複雑な問題が今日展開されているのであります。アメリカとソ連との問題は有神論と無神論の問題であります。

 神の方と、神が無いという方の問題であります。これが、正に歴史を通じて旧約時代は無論、バール神とかを異ミ邦民族は信じておりましたけれども、それは本当の創造神ではなかったのです。そういう意味で、それは無神論と同じです。だから創造神を無視した邪神多神、無神という流れを経てきた。今日の思想、陣営が共産主義であります。だから、アメリカと自由陣営と共産陣営の対決は、全歴史と通じて、正義の対決、善悪の対決の総決算として、今日現われているわけです。だから、こういう角度でこれを理解しなければ、全然閤題が解けない。これが文先生の立場であります。

 2)南北問題の見方

 それから次は南北問題であります。これもやはり摂理的内容はあるのでございます。これは第一世界と第三世界の問題であると普通言われています。しかし、摂理的に見た場合には、キリスト教国家を中心として周辺国家との問題である。中心部はキリスト教国家であり、周辺部は低開発国である。今日の第三世界の問題を見れば、中心国は資本主義国家で全世界をそう見ているんですね。ヨーロッパとかアメリカは中心国である。第3世界は同じ資本主義世界の周辺部である。日本なら東京の大都市が中心部であるが、田舎が周辺であると同じ様に、そう世界を見ているのが第3世界の学者たちの思想です。横の対立関係、これは丁度一国家において支配階級と被支配階級の関係みたいに従属論者はこう見ているのです。このことを摂理的に見た場合は、キリスト教国家と非キリスト教国家の問題の現代的再展開だと見るのであります。何を言うかと申しますと、今の南北問題の歴史を説明してみれば16世紀までいきます。すなわち重商主義ですね。15世紀の新大陸の発見の後、スペインとポルトガルを中心として世界に重商主義時代になりまして、植民地と開拓して経営する時代がありました。その時に、もはやキリスト教国家が中心国家で、周辺国家が低開発国家であって、中心国は低開発国家を搾取した。あるいは原住民を殺したりもした段々関係が悪くなり18から19世紀なりましてもっともっと周辺国家を搾取した。

経済的にも政治的にも、それが第2次大戦が鮗わって政治的には植民地が解放されたとしても、経済的には、やはり先進国に従属しているのであります。これは、やはりキリスト教国家が責任を果たさなかった、そこに原因があると文先生は見ているのであります。すなわち16世紀頃、宗教改革が始まる時でありました。 それは、16世紀には20世紀にはメシアが来ることになっております。 メシアが来る前の4世紀は環境復帰のために、神の摂理が新しい段階にはいります。それでキリスト教を世界へ伝搬させる。これが神の摂理でありました。そのためには植民地を開拓させ、そこにキリスト教を伝え、又、色々な物資を与えたりする。こういう使命を与えてそうさせたのであります。このことは旧約時代の神の摂理に関連するのでありまして、旧約時代には、イエス様が来られたならばイエス様がイスラエル民族を中心として、その周辺国家に愛と神の真理でもって、周辺国家を救ってやる。    イエス様が来れば、新しい神の思想を持って地上に新しい文化世界を創ろうとする。そうし

て、その周辺の低開発国家、文化的、経済的後進国家を救ってやる。搾取するのでなく文明・知識を与えながらキリスト教を与えながら、救ってやる。そうして全人類を救うことになっていた。その時代の中心国家は、ローマであるべきだった。イエス様が亡くなられなければ、ローマに入ってローマを屈服させます。ローマがイエス様を支える。そうして、ローマを中心として新しい文化世界を創る。そういう予定だったのです。文先生の説明であります。ところがイエス様は亡くなったので」、できなくなった。

その時に、イエス様が亡くならなければ、やはりその時にも、中心と周辺の関係があるんですね。なぜならば神様の摂理は一辺に世界を救うことができないのです。必ず1民族を先に立てて1人のメシアをそこにやって、そして段々と開けて、1から2、2から3人と、人類を救っていくのが神の救い方であります。人間を創るのも1辺に沢山創らないでアダム1人を創った。それからアダムの骨からエバを創った。1人から創った。この頃、宇宙はいかに発生したかということについて、ビッグ・バンといって1点から発生したということを学者が論じているということを聞きましたが、とにかく神の創造は1人から始まった。神の摂理というのは再創造であります。人間についてはそうであります。人間が堕落したとは死んだのと同じです。だからアダム1人を地上に送るのんです。そのアダムを中心として人類を救うのでありますから再創造である。1人を先に送って1民族を救い他の民族を救う。段々広げていって遂に全世界を救う。だから救うという過程には、中心と周辺の関係が必然的に生じるのであります。ところでその関係は、抑圧するとか搾取するとかいうことでは絶対にないのです。神はどこまでも愛をもって、神の真理をもって分らない周辺の人々に教えてやる。それから愛をもって彼らをかばってやる。このようにして、イエス様の愛と真理に従って、皆、喜んでイエス様の周囲に集まってくる。このようにして救っていく。これがイエス様の救済の方法であったのであります。ところが亡くなったのだから、霊的に救うしかなかったのです。肉体は亡くなったけれども、霊的には救いの道を広げて下さった。だから十字架の救いとは、霊的救いと統一原理では言っております。ただ、イエス様は霊界に行って、地上のキリスト教徒を通じて特にキリスト教国家を通じて、このような事を霊的にするしかなかった。そうして、ヨーロッパに、先ず、ポルトガル、スペイン、オランダとかイギリスとかのキリスト教国家を立てて、そうしてイエス様の教えを地の果てまで伝えるために、植民地を開拓させて、そこでイエス様のみ言を伝えると同時にイエス様の愛を伝える。そうして搾取しないで救ってやらなければならない。そうするのがその時の摂理だったんですね。ところが彼らはそうしなかったのです。だから、キリスト教国家責任分担を果たせなかったんですね。それに対する怨念が積もり積もって、これが最近の第三世界問題でありまして、弱小民族の問題であります。このように、文先生は第三世界問題・南北問題を理解しているのであります。

 3)人種・言語・文化の問題の捉え方

 その次は、人種問題であります。民族問題も合わせて、人種問題です。人種は何故発生したか。人類学者には色々学説があるでしょうけれども、摂理から見た場合には簡単に、人種の発生を説明できます。これはバペルの塔に由来します。この時には言語も1つでありましたが、又、人種も1つでありました。ところがバベルの塔を立てて悪の権威を高める。それで、それで神は下ってきて言語を混乱せしめて、互いに理解し得ないようにした。それで急に人々は言葉が通じなくなった。結局はバベルの塔を立てずして、全部分散してしまいました。これが人種、民族の分散の初めだと統一原理は言っております。学者がそれを歴史的事実として認めるかどうか分りませんけれども、摂理上そうなっております。これは何を意味するかと言えば、サタンを中心とした統一はいけないということです。神を中心としたものでなければならない。だから一旦分散したバベルの塔はサタンの悪の塔である。悪の権威が高まるようではいけない。そしてそれを分散して、いつかは神を中心とした、統一世界を創る。それの前提としての分散であったというのです。だから民族問題というのは言語の問題であり、文明の問題であります。民族全て、文化が違っている、言語が違っている。そこで、文明を統一し、言語を統一する運動が起こらなければ問題が解決されない。このように見るのが文先生の立場であります。

それからもう1つ、人種問題があります。それは黒人問題であります。これは、ノア家庭のセム、ハム、ヤベテの3人が、黄人種、黒人種、白人種の祖先だと統一原理では言っています。学者の方々がどう見るか分りませんが、ハム族の後孫の内に黒人がいるというのは確かなようです。とにかく神の摂理から見た場合には、人類の祖先をそう見ています。その時ノアがハムを呪いました。ノアが裸になって寝ていた時に、ハムが来て兄弟たちを誘って、見ないように後向きになって着物を着せた。これをどうした訳かノアが怒って八ムは、「ハムの後孫は兄弟の僕となれ」と言ったのです。それをどう見るのか。その時ノアは神の代理と見るのです。その言葉が実現されて、今日に至ってハムの後孫の内の黒人が白人の奴隷となった。その時の呪いと言いましょうか。神の摂理にそれほど大きい障害を与えた。このようになっております。この問題はどうするかというと、結局、兄弟が自分の兄弟を僕とする、これは良くない。これを蕩減復帰して解放しなきゃいけない。それで、マーティン・ルーサーキングが黒人として、黒人を解放しようとしたけれどできなかった。リンカーンが白人として黒人を解放しようとしても、名目上解放されておりますが、実質的には解放されなかった。だから文先生に言わせれば、黄人が出て解放しなければならないと言っています。キリスト教がやはり、これをやらなければならなかったけれどやっていない。却って黒人を奴隷とした。これは神としては非常にいけないことであった。そこで今度は黄人から新しくキリスト教を持って現われて、そうして黒人解放をしなければならない。こういうのが文先生の見方であります。

4)北東アジア問題の捉え方

 次には北東アジアの問題でありますが、ここに韓半島を中心として4強が対立している。日本とアメリカは韓国と1つになっているし、北朝鮮と中共とソ連が一つとなっている。これを文先生は摂理的に見ているのであります。どう見ていますかというと、人間が堕落する時に3つの要素があった。つまりアダムとエバと天使長であります。だから終末におきまして、全人類が救われる時にも、堕落を蕩城復帰する場合にも、3つの要素が協力し合わなければならない。それで人類歴史の終末には、世界大戦が起こることになっています。どういう大戦かと申しますと、人類歴史は善悪が闘ってきました。その闘いの総決算が世界大戦であります。一歩が天の側、他方はサタン側である。そうしてその世界大戦が終われば、メシアが現われる。これが摂理であります。それで、メシアはどういう資格で来るかというと、アダムの資格で来るわけです。アダムは堕落しました。アダムが地上天国を造る予定であったのです。地上天国はできなかったけれども、アダムの理想があり、理念があった。それをサタンがアダムと共に取ってしまった。それで、サタンによって奪われていった理念を取り返すという意味で、世界大戦が起きると文先生は初期に言われました。原理講論にありますが、3大祝福があります。人間の祝福をサタンに奪われたからそれを回復する。

そのためにも最後の決戦がなければならない。第1次大戦はアダムの理想を取り返す。これが終ってからは民主主義陣営と全体主義陣営との闘いでありますが、全体主義陣営はサタンの側の陣営である。それで、そこでもサタンの側のアダムとエバと天使長が立てられたんですね。すなわち、世界大戦の時には3つの要素が立てられて、それを中心として闘う。闘って、神の側が勝つ。そうするとサタン側の3要素は何かというと、カイゼル、ドイツはサタン側のアダムである。オーストリアはサタン側エバである。又、トルコはサタン側の天使長である。その時神側はどうかというと、アメリカがアダム、英国がエバ、フランスが天使長となります。そして、天が勝ちました。それで、全体主義が滅んでいきました。原理ではこうなっています。サタンが3回まで必ず、神側に応戦する。我々は、蘇生、長成、完成と言います。世界大戦は、サタンが最後まで神に挑戦しますから3回まで不可避的である。それで、それに応戦しなければならないのが神の側ですから、第3次大戦までは対立しなければならない。第2次の大戦は、ドイツのヒトラーとイタリアと日本でした。日本はその時全体主義でありました。それで、神はそのように分立したのでした。神側はやはり、米・英・仏でした。それで、自由圏が勝ちました。今度はサタンが最後に天の側に挑戦します。それが共産主義。3番目の闘いは思想戦であります。そうでありますから。全世界にどんどん広がっていっています。韓国動乱を契機として、もう起こっているのです。武器による闘いだけが起こっていない。ここにも3つの要素がある。自由陣営は韓国と日本水とアメリカです。共産陣営は北朝鮮と中国とソ連です。このように理解しなければ、この北東アジアの問題が根本的に解決できない。それで、共産主義にもっとも対立しているのが韓国です。又、神の側にもっとも対立しているのは北鮮である。北鮮はサタン側のアダム。大韓民国は神側のアダムである。日本は、今は民主主義でありますから神側であります。それから中共とソ連は、サタン側のエバと天使長である。こういう関係であります。思想戦でありますから、思想的に共産主義を負かさなければ絶対に駄目です。日本の国民も、米の国民も、思想的に共産主義と闘うという決意をしなければならない。そうしないとこの闘いは負けます。今、共産主義は全世界に広がって、キリスト教内部にまでも浸透しています。キリスト教こそ先頭に立ち、神側に立って闘わなければならないのに、全然そうではありません。このようにして、自由陣営は窮地に追われています。とにかく、今は原因を分析する段階ですから、代案はこの次にでもさせて頂きます。

5)中東問題の捉え方

 中東問題はどこから来たかというと、やはり旧約時代からです。先ず、イスラム教とキリスト教の対立があります。キリスト教はイエス様が出発点であります。イエス様の祖先をたどっていくとアブラハムにいきます。ところがイスラム教の教祖はマホメットであります。これも元をたどるとアブラハムに行きつきます。アブラハムの妻はサラでした。サラには年取るまで子供がなかったですね。それでサラの僕にハガルという女召使いがいた。サラには子供ができない。しかし、アブラハムに子供がなくては困る。それで自分の召使いを入れて、身ごもらせたわけです。そうして生まれたのがイシュマエルであります。イシュマエルの後孫が、アラブだと言われております。ところが、ハガルとサラとが非常に感情的対立をしていました。身ごもってからは、ハガルはサラを憎んだし、サラはそれをくやしがった。又、アブラハムを讒訴していました。その後10数年が経て、神様はアブラハムに現われて、サラにも身ごもらせると言いました。その時アブラハムは、100才でした。そして年を取ったサラから、イサクが生まれました。ところがイシュマエルの方が年上ですから、イサクをいつもひやかしたりする。サラはそれを怒って、「あのハガルと子供を追い出しなさい。あんなことを言っては困ります。無礼です」とアブラハムに頼みました。アブラハムは仕方なぐ、ハガルを追い出すのです。ハガルは怨念を抱いて去っていきます。そしてアラブ地方を歩き回って定着します。イシュマエルが結婚したのもエジプトの女性でした。このように言われております。私の考えですけれども、怨念が、今日までこのようになっているんじゃなかろうか。とにかく同じ神様だし、同じ祖先の後孫であるし、神様も一方は神であるし、一方はアラー神である。名称は違いますけど同じ神様だと思うのです。これは誰が解決するのか。イシュマエルは正妻の子でないからカインであります。カインは神から見れば悪です。サタンという意味でなくして、より神から遠いというんです。それから、イサクはアペルです。だから、どのようにこれを解決すべきかというと、アベルであるイサクが、イシュマエルを自然屈服させるのが神のやりで方です。カインがアベルを殺しました。しかし、その蕩減復帰の時にアベルがカインを殺すことによっては蕩城復帰はできませんでした。アベルがカインを愛しながら、カインが自然と頭を下がるようにしなければならない。そのことを、イサクはイシュマエルに対してやるべきだったけれども、できなかった。結局は、キリスト教がイルラム教を自然屈服させなければならない。そのような関係ですね。ところが、今はそうなっていません。最高度に緊張しています。だからどうするのか。結局イエス様が問題となります。イエス様はアベルの最高峰であり、イエス様が再臨してそうするしかないのです。とにかく、キリスト教がイスラム教を自然屈服させるような形を取らなければ絶対解決できない。又、イスラエルとアラブがあります。これもやはり同じです。これは旧約時代は現在に再現されますから、旧約時代は、イスラエルはいつも異邦民族から攻撃されました。これが現代再現されています。やはり、この問題を根本的に解決すべく、神は摂理されていますが、今、解決はつかない。これも、いつか新しいイエス様が現われて、神のみ言が現われて、これを解決するということになっている。それが中東問題でありますから、これも摂理史的内容があります。人間の力では解決できない。

摂理的原因

 今、世界の5つの問題について、摂理史的面から原因を追求して話をしてみました。そうすると、これらに共通したものは何かというと、カイン側とアベル側となります。中東問題にしても、キリスト教はアベル側ですね。同じ宗教でありながらもカイン・アペルがあります。イスラム教はキリスト教に対して、カインであります。カインは共産党もそうである。又、キリスト教でも、ローマ時代に、ギリシアの(ギリシャ正教とロシア正教?)ーこれもカインである。カインは同じ同志であるから、宗教であっても集まる。中東に見た場合、共産主義とアラブがくっつきやすい。とにかく、そういう複雑な問題が絡みついているのが中東の問題でありますから、「中東問題を解決するよりは、共産党とアラブ陣営を分離しなければならない。」という対策が講じられなければならないのですが、やはり人間の力では難しい。それから、第三世界と第一世界の問題も、第3世界はキリスト教に対する反発のために、共産主義に傾きやすい。

 それから人種問題。共産主義は、対立があれば自分の方に近いのは何かすぐ見分けて浸透してくる。だから、共産主義との闘いをしていかねば、この問題も解決の道がないということになります。要するに、世界には色々な問題がありますけれども、それを解決するのに一番初のことは何かと言えば、共産主義と闘うということです。

それで文先生は、昨年12月韓国に来られて、「これから共産主義に対して、正式に闘いを宣言する」と言いました。それは武器でもって戦うのではありません。思想戦であります。特に日本とアメリカは、思想戦において覚醒し、互いに団結しなければならない。そうして共産主義の3国分立させる。それをしなければならない。そういう意味で、日本の中曽根首相がこの前中国へ行ったのは、非常に神の摂理に一致することだと私は思っています。その代わり、勝共武装しなければならない。確固たる勝共思想をもって、彼らを引っ張っていく。そのようなやり方が神のやり方であると思います。文先生は、韓国と日本とアメリカが固く結束しなければならないことを、何回も言ったのであります。そして、結束すれば全世界を救うことができる。何故ならば、アメリカは太平洋国家であると同時に、西ヨーロッパの国を引き寄せることができる。又、ソ連は太平洋沿岸の国でありながら、東ヨーロッパの国である。だから、韓半島を中心とした関係が、神の方に有利に展開する。勝利していくならば、世界問題は解決すると思うのであります。それで、1番初めに申しましたように、世界平和は勝共運動を度外視しては考えられない。勝共運動するためには、思想運動をしなければならない。思想運動を今までやってみた所、統一思想が1番良かったということになってしまう。こうなっております。統一思想は文先生の思想だと言います。文先生は、これは神の思想だと言います。神様に直接会って頂いたという内容ですね。非常に深いです。

 このようにして、世界平和と統一思想を私の観点から少し話させて頂きました。教授の方々には、理解し難い所も色々多いだろうし、すぐ、現実の日本の安全とか、世界平和に、今の立場で直接貢献したいという今の立場でございますから、今すぐ直接活用できるものではないかもしれませんが、文先生の立場から見た場合には、やはり、こういう摂理的角度からやっていかねばならない。文先生は、現実問題を解決するために真剣になっている、ということを伝えて終わりたいと思います。

 

                 <懇 談>

[尾脇] 今、5つの問題についてお話して頂いたのですが、南北問題をキリスト教、非キリスト教的点から話されたのを初めて聞きました。極めて示唆に富む内容だと感じました。加藤先生いかがですか。

[加藤] 5つの問題を広く扱って頂きよく分りました。色々考えることも多いんですが。共産主義も1つの大きな思想体系を持っていますので、これと思想戦争をするためには、これ又、りっぱな思想を作らないといけないわけですね。マルクス、レーニンの思想・哲学・歴史・経済学・政治学・運動論、それから自然科学的考え方。非常に広くて、たとえば1人の学者が経済学において批判しても、その他がまだ生き残っている。歴史観についても批判しても、その他が生き残っている。これがなかなか大変だと思うんですね。どうなんでしょうか。1人の学者を通して、全部を批判したらいいんでしょうか。大勢がよってたかって分業で批判したら宜しいことになるのか。

 [] 反共、勝共運動は、とても1人ではできるものではないと思うんですね。全世界の教授たちが協力しあってやらないといけない。・しかし、内容的には共産主義理論は非常に膨大な体系であるし広いんですが、骨子が分れば簡単だと思います。要は、唯史観と弁証法。唯、もっと根本を言えば、唯物論の弁証法です。それを歴史に応用したのが唯物史観であり、経済に応用したのが資本論ですね。私は最初に、資本論を純粋客観的に資本主義社会の経済学を研究して、マルクス特有の経済学を立てたと思いました。

ところがこれを少し見れば、経済学という装いをした哲学であります。経済用語は用いていますが、彼自身の唯物史観、弁証法も証ししたにすぎないと思います。それは何故かというと、マルクスの幼い時代から成長する過程を追求してみれば、彼は、怨念を持った非常に復讐心の強い人物でした。彼がそうなるのは環境の影響があるわけですが、1番大きいのは、キリスト教の失敗でありました。それで彼は、全てを復讐という一念でやりました。表面はそうではないが、深層心理を分析してみれば全部復讐ですね。ですから、彼がしたことは全部批判ですね。自分の先生を批判する。自分の親友も批判する。そうすると献(?)になりますね。そのようなことを何故やり得たかというと、怨念、復讐心に燃えていたからです。人に負けないという劣等感とか疎外感等の心理状態から、それを優越感とするために人に絶対負けない。そのような心理が著作の背後に潜んでいたということを発見したのです。彼の武器は唯物弁証論です。唯物史観です。資本論を読んでみますと非常に膨大な1巻から3巻とありますが、その中に結局何があるかというと、法則というのがありまして、資本主義社会の経済運動法則があります。マルクスは資本論の1巻の序で何を言ったかというと、 「何故我々が資本主義経済を研究するかと申しますと、資本主義社会に作用している経済運動法則を発見するため」と言うんですね。そして、「その法則は全歴史を通して作用してきた必然の法則であるし、歴史の必然性を持っている法則だ」としているんです。「その法則を離れては、資本主義の経済を説明することができない」と言うんです。それを裏返しすれば、資本主義社会の色んな経済現象を、自分の持っている自分の法則に当てはめているわけです。その事は実際に証明されます。弁証法というのは、矛盾の弁証法であり、否定の否定の弁証法であり、量から質への転換の弁証法であります。そのことは全部資本論の中に書いてあります。たとえば、労働価値説も純粋に客観的立場で書いたのではなくて、矛盾という哲学の中で見ているんですね。それで商品価値といえば、その中にも矛盾、対立がある。何故かと言えば交換価値と使用価値がある。使用価値は消費者、交換価値は資太家のためのものである。生産者と消費者との対立、これを商品の中で矛盾として促えたのが彼のやり方です。それから抽象的人間労働と有用労働とがあります。実際にはそれはありません。ないけれども、矛盾という概念が資本主義社会にあるということを表わすためにこれを用いたわけです。それから剰余価値があります。これは何かと言うと、資本家は利潤をどこから得るか。普通、経済では市場から利潤が発生するとなっていると思いますが、マルクスは、「そうではない。利潤というのは剰余価値という名の下に、工場で生産過程の中で発生する。労働者が利潤を作り、資本家がそれを搾取する」と言っています。労働者と資本家との矛盾です。どのように表現しているかというと、剰余価値と賃金の矛盾。賃金は労働者、剰余価値は利潤となって資本家へいく。こうやっています。それから、必要労働と剰余労働という概念があります。必要労働は、賃金のために働く労働です。剰余労働は資本家のために働く労働です。それら、は、架空の概念です。必要労働時間、剰余労働時間という概念を作って、あたかも、実際の資本主義社会の生産過程には、その相反する時間があるようにした。本当は、彼の矛盾の哲学を当てはめてやったわけです。我々は、統一原理、統一思想を持っていますから、それがすぐ見えます。そういう意味で、この2つが無ければその欠点が見えなかったとも言えるのであります。そのように、全部資本主義社会は矛盾の社会であるということを言うのに用いているわけです。それで、その矛盾の結果が何かというと、資本主義の利潤率傾向低下の法則です。それが資本主義が崩壊するという法則です。資本主義社会は発展しますけれども、結局最後には必ず崩壊する。それが資本主義社会に潜んでいる経済運動法則です。それは全歴史を通じて流れている必然性で、自然法則と同じです。それも自分の作った法則をそこに入れて説明した。実際はそんな事ないのです。人種問題、中東問題は、全てが共産主義の問題ではないと思いますが、共産主義によって拡大され、現代的平和の危機として増大させられていると思うのです。

【松下】 我々は共産主義に対して、そういう思想的闘いを進めるに当って先ず重要なことは、共産主義の非人間性を、哲学的社会学的、あるいは政治学的に、日本ではそういう事を皆、余り知りませんので、共産主義の下では、実際にどういう制度、社会が形成されているか。どういう政治システムが行なわれているか。そういう事に対して、国民的理解を求める事が重要であろうと思います。その上で、人間が神の子として人間らしく自己完成していくことのできるような環境を作ると、対決するという事になりますと、共産主義との軍事的防衛の問題も出てきますし、思想的防衛の問題も出てきます。そうやると皆、納得して受け入れていくんじゃないかと思います。共産主義自体が、かなり形而上学的、神学的要素が強いのですけど、日本人というのは無神論が多いんですね。ですから日本人に対してもう1つの神学的な訴えかけで、にせ共産教をやっつけるという事もなかなか難しいんじゃないかと思いますが。

 [] もっともな話だと思います。共産主義問題は摂理的意味で捕えるのが本質的だと思います。日本が無神論だと言われましたが、それは全世界的に見てもそうです。キリスト教国家でも、牧師が無神論ということもあります。けれども、何かの方法で説得して神が存在するとか、神の摂理を知らしてあげなければ、根本的に共産主義を打ち勝つのは難しいんじゃなかろうか。ある程度、消極的反共はできるだろうが、勝共とは理論的に打ち勝つんですから、つまり、容共、共産主義者をこちら側に頭を切換えさせて、そうして非共産主義者、反共主義者にまでならせる。これが勝共ですから、そのためには神という唯物論に対して、あるいは無神論に対して、有神論という立場を立てなければ無理だと思いますね。反共はできますが、反共は勝共にはならないんですね。反共は最後には崩壊する。彼らは色んな手を使います。彼ら自身が、反共主義者のように振舞うんです。ですから神という確固とした信念を持たなければ、彼らの作戦を分別できない。そういう意味におきまして、神がいるという事を理解できるように、新しい思想的展開が必要だと思います。それが統一思想の目指すところです。

日本には仏教とか神道とかそういう古来からの宗教を持っていますから、仏教とか神道も結局神と関連があるということを納得させなければいけないですね。儒教も神を認めているわけではないんですが、やはり孔子の教えですね。仁義礼智信とかありますね。そういうものは根源が神であるということを教えなければいけない。どのようにして教えるかというと、たとえば、儒教ならば共産主義は儒教に対してこう言うんです。「父母に孝行するとか国に忠誠するとか、これは皆、封建時代の遺物だ。今は核家族だから、孝行しようとしても父母がいないじゃないか。遺物だから捨ててしまいなさい。だから、社会発展に対して反動的父母があればそれは反動分子だ」この様にまで言ったんです。私も若い頃、共産主義に関係した事がありますけれど、「革命に反対する父があれば殺してもいい」として、「殺父会」を創った。こんなにまで儒教の価値観を徹底的に迫害する。その時だから、統一思想では孔子様は、神の言葉を代理として言った。何故ならば、父母に孝行するとか、自分の子供を愛するとか、夫婦間で愛し合うとかは、人間の道理のみならず、天道である。全宇宙を支配する法則である。ですから、宇宙を支配する法則に人間は従わなければならない。こう言うんです。宇宙は人間の家族が拡大したものです。東洋の宇宙は家という字でしょう。家を拡大すると宇宙である。少し拡大すると国家である。同じ宇宙の原理が、国家にも家庭にも作用する。自然法則に従わないとその人は損害を受けるでしょう。それと同様に、この法則も宇宙を支配する法則でありますから、人間がそれをやらなければ被害を受ける。だから、必ず幼ない者は年上の者を尊敬する。学生は先生を尊敬する。互いに隣り合う者、皆協力し合っていく。これは、人間が便宜上作った価値観でなくして、宇宙の法則である。孔子様は宇宙の法則を分って教えたんだ。その法則は誰が作った。「神が作った」と言うんですね。

そうすると、儒教にも神が理解できるんですね。こうようにして分りやすく神を紹介していくんです。仏教も慈悲の教えとか修道の教えでしょう。

 「これも、お釈迦様も人間の考えであるから、2500年以前のことだから、今何で必要あるか。現代の教えを聞かなき参ならない。現代の教えはマルクスであるし、スターリンであるし、毛沢東である。」こうなります。だからそれを生かすために、お釈迦様を通して神が教えた。神は今も厳然として存在されておるし、全宇宙を支配する一つの神がその法則に拠って宇宙を支配している。宇宙を愛でもって、宇宙の全ての森羅万象を主管しておられるのが神である。同じ法則を人間が守るんだ。インドがそのような状況の時に、インド国民を覚醒させて導くために、神はお釈迦様を立てられた。そうすると仏教信者は、「共産主義からいつもやられるんだから、それを聞くと共産主義に対して自分を守ることができるんだから、なるほどそれなら神はある」ただ神と言えば、キリスト教の神と思っている。これは問題だ。我々はそうではないんです。全ての宗教は神が立てたんだ。だから、今、共産主義にやられているんだから、再びあらゆる宗教の根源の神様を立てて、神があなたの教祖を立てた。だから教えは皆同じ。日本にも真言宗やら仏教の宗派が色々あるけれど、皆同じでしょう。そういう神から出た理論で、共産主義を克服できますから、統一思想はそれこそ統一ですね。仏教を生かす、儒教を生かす、キリスト教を生かす。全ての宗教を生かします。今、共産主義に全部やられています。宗教が全て倒されてしまえば勝ち目も何もないんですね。完全にこの時代は暗黒時代になってしまうんですね。だから宗教を蘇生させなければいけない。現代的に生かさなければいけない。そういう方向で共産主義との対決という立場で、多くの宗教を蘇らせるという立場で神を紹介すれば、皆なるほどと思うんですな。韓国ではそうしましたね。韓国は特に反共国家ですから関心は高いですね。韓国にも相当共産主義が入っています。それで、どっちがいいか分らないんですね。その時勝共連合の中から講師を立たせて話します。そうすると皆感謝するんです。今や古来の天道教があります。「今、天道教が共産主義に勝つ真理が出ました」皆そう言うんですね。そういう立場で神を教えると皆、喜ぶんですよ。だから難しくはないと思います。問題は、統一思想をいかに分りやすく紹介してあげるか。よく説明さえしてやれば、日本の国民も受入れるだろうと思う。

[松下] マルクスは未来社会につて、具体的には何も言っていないように感じているが。

[] マルクスは、未来社会について具体的ピジョンを出していません。ただ共産主義社会が来ると言っているだけです。自由の本国であり、この程度ですね。それから必要に応じて支給され、労働に応じて与えられる。この程度ですね。そこにもはや問題があるんですね。それを私としてはどう考えるかと申しますと、マルクスは怨念で一杯でした。ただ意識は、メシア的使命観を持っていますね。プロレタリアートを救うんだと。しかし、彼

 が幼さない頃からいじめられたり、迫害されたりしたんだから、非常な怨念を持っています。それですから、プロレタリアートによって資本社会を革命すると言っています。パリに来る前に言っている。プロレタリア革命というのは、何も資本主義社会を研究してその結果出た結論でなくして、その前にパリヘ来て初めて、「もはやこの資本主義社会を倒すしかない。 プロレタリアートよ!団結せよ!」それから人間性を回復するのに、マルクスは人間が全て疎害されていると見ています。実は、その時代のプロシアの一般市民は、非常に悲惨な生活をしていた。上流階級は別ですが。それで皆自己中心的になって人の事は考えない。そのような状況の人間を彼は救おうとしました。人間というのは人間らしい人間でなくして、人間性を失なってしまった疎外された人間である。この人間性をいかにして回復すべきか。これがマルクスの目標だったですね。その頃は非常に人道的であっ

 たわけです。マルクスはその問題を解決するのに、怨念をもってなそうとした。そういう道へ行ってしまったため、問題が全く解決されなかった。 あの時代には、ライン地方が近代化され始めたんです。フランスの革命の自由主義の風潮が流れ初めました。それで、プロシアに初めて、プロレタリアートといいましょうか、無産者が出始めました。けれども、こく少数でした。マルクスはプロレタリアートによって、プロシアを全部革命すると言っているわけです。それでプロレタリアートを人類を救う階層のように考えて、人間性を誰が救うか。ヘーゲルは、プロシア時代の世界の混乱状態を救う道というのは、官僚政治を通してと考えていた。マルクスは、「そうではない。官僚政治は国家だから、国家をもっては人間を本当に救うことができない。誰が悲惨な状態から人間を救うか。それは何も持たない、権利も資格も持たない、経済的に何も持たないそういう人間が立ち上って初めて、人間性を回復するんだ。それがプロレタリアートである。そのプロレタリアートが、このプロシアを革命して資本主義世界を倒す。必らずそうなる」これは、「ヘーゲル法哲学批判」ですが、これを書く時のマルクスの心情は、プロシアに対する敵愾心で満ち縊れていました。例をとれば、「ドイツは批判の対象でなくして絶滅の対象である」これは皆、怨念の表現です。「プロレタリアートにより必らずドイツは倒れる。プロ・・・・以下メモ喪失。