限界迎えた日本の男性社会を、変えるのは女性! 組織に縛られ自由な発言ができないような社会は発展しない。 日本は戦前からの家長制をまだ脱却できないでいる。 それを打ち破れるのは自由な立場にある女性の勇気ある行動。 伊勢桃代 国連大学初代事務局長 男性社会で限界の日本 変える可能性は女性に  私がニューヨークの国連本部にいた1970年代から90年代にかけて、アメリカでウィメンズリブが盛んになり、非常に強い女性たちが男性に対抗する姿勢で活動していました。女性と男性は肉体的には違いますが、同等の資格に持っていこうとしていたのです。男女の関係はどういうものか、何が平等なのか、どうして平等でなければならないのかなどいろいろな討論が行われていました。  1997年に国連を定年退職して日本に帰国し、非常に失望したのは、依然として男性社会が続いていたことです。知日派のイギリス人、ロナルド・ドーアも『幻滅』(藤原書店)と言う本を書いて、日本への幻滅を語っています。  根本的なことから話しますと、日本は社会システムが男性中心で、男性文化で動いています。それが行き詰っているのですから、日本がこれからいい方向に向かうには、それに代わる文化を探さないといけません。それが女性文化です。  国会や内閣、企業のどこでも主導しているのは男性です。女性を役員に登用したり、女性の採用で生産性が向上したりして、若い人たちはそれほど男女差別を感じていないかもしれませんが、日本は今変わらないと将来が不安です。クオーター制の導入などいろいろな運動がありますが、根本的な社会システムを変えないといけないと思います。  日本社会は長く家長制度でやってきました。家長のほとんどは男性で、上では天皇につながり、男性を軸とした文化が出来ていたのです。私が帰国して住民登録すると、家長が女性なので不思議がられました。20世紀でありながら、男性でないと中心の役割は果たせないという風潮でした。  国連は職員の男女比を同じにしようとしていて、女性の権利を守る条約などを作り、実施していますが、それを決めた総会に参加するほとんどの国にはまだ男女差別があります。日本では法の上では男女平等で、政策でもそれを進めていますが、やはり国連に出る日本人も男性中心で、外交官の多くも男性です。国連には平和構築などの委員会がありますが、男性がほとんどを占めています。最近、ロシアの脚本家が『女性の顔に戦争はない』という演劇を書いていますが、男性はなぜ戦争をするのか、女性が中心になるとなぜ戦争をしないか、考えてみないといけません。  組織に束縛されず、自由に考える女性が、自分の意見を発表しながら国の形を変えていくことが大事です。 小学校から子供たちが 議論し成長する教育を  その前に、日本では国連に対する関心が低く、先進国では最下位でしょう。世界では、日本は国民が意思表示をしないという印象が強くあります。  国連が目的にしているのは世界の個人個人の安全保障です。多くの国で優先されるのは、権力者の安全で、そのほとんどが男性です。いろいろな委員会にもっと女性が参加し、国民の安全がどうすれば守られるかどんどん発言する必要があります。  旧ユーゴスラビア紛争の時、男性は戦争に出たため国内で少なくなりました。女性は子供や老人を守るため、住んでいる場所から逃げられません。大事なのは、女性たちが安全に家庭を守れるようにすることで、それを目的に和平交渉が行われるべきなのに、高いレベルの平和構築ではそれが行われていません。  シリアでは子供たちが殺されるような状況があります。国の将来を考えれば、次世代を守らなければならず、その次世代を育てるのが女性なので、女性が参加し、発言し、決定するようにしないと状況は解決しません。  日本で一番問題なのは国民が意見を言わないことです。NHKの政治的中立性を保つため、規約の改正を内閣が検討しているのは大変なことです。既にジャーナリズムはいろいろな抑圧を政府から受けており、池上彰さんも発言について内閣官房に呼ばれ、話を聞かれそうです。  家長制度の歴史の上に高度に組織化された社会なので、官僚機構も縛りが強く、自由にものが言えなくなっています。組織に縛られる男性と比較的自由な女性が一緒になって民主主義をつくろうというのが日本です。  やはり小学校から議論する教育をしないといけないと思います。ある会で発言しなかった東大名誉教授にわけを聞くと、自分の性格が疑われそうだからという返事でした。意見を言うのと性格は関係ないのに、そう批評する人がいるのでしょう。もし自分の意見が間違っていれば、相手から指摘されることで、それだけ自分が成長することになります。そういう教育を小学校からやってほしいですね。  今の日本は戦前からの文化がまだ続いていて、近代国家に向けての切り替えが、まだできていません。だから、理事会などで女性が発言すると反感を買うのです。日本の理事会はお膳立てができていて、発言する人も決まっています。偉い人から発言して終わり、若い人には発言の機会がありません。発言すると昇進できないと思うので、若い人も発言しない。そんなことでは世界と渡り合えません。  男性は組織に縛られているので、女性が自由な立場から良し悪しをはっきり発言すべきです。民主主義における個人の自由を女性にはもってほしいですね。  個人の自由を主張するとアメリカ的な個人主義でいけないと言われますが、それは欧米から来た民主主義をよく理解していないのと、和を大事にする日本での民主主義がわかっていないからです。自分の意見を持ち、それを人に伝えることは個人主義ではありません。 議論を尽くし妥協する 共存への努力が大切  私が理事兼事務局長を務めたアジア女性基金では、NGOの反対が強烈でした。解決に向けての反対ではなく、反対のための反対なのです。相手の意見を取り入れ、中間で何ができるかにかけては、日本外交はまだ後れていると思います。それも、小さい頃から議論することを鍛えられていないからです。  国連に入って驚いたのは、ヨーロッパの国々が思い切った妥協をすることです。国境を接しているヨーロッパ諸国は生き残るため大変な歴史を経験してきました。日本にはそんな歴史がありません。相手の意見を受け入れながら共存策を見出すことが苦手なのです。  日本人を見ていて不思議なのは、友人であっても嫌なことを言われると離れてしまい、付き合わなくなることです。相手の真意を確かめるような話し合いがないので、友人を次々に捨てることになります。私は物を捨てられない性格で、人に対してもそうです。どんなに批判されても、その人を捨てることはしない。そうでないと外交はできません。嫌いでも相手は消えないのですから。  日本では女性国会議員の数も増えておらず、女性が参政権を得た時代の方が多いくらいです。しかも影響力が弱いので、女性議員を増やす運動も重要ですが、やはり大局的にシステムを変えるような取り組みが必要です。  ITの進歩や働き方改革で、女性の地位が向上する可能性も出てきました。私が心配なのは、その一方で日本文化が壊れていることです。ヨーロッパの国連大使は哲学を学び美術にも詳しい。国際舞台で働くには、日本人としての教養をしっかり身に付けるべきです。  女性は自分たちがいなければ次世代は生まれないことをもっと主張しないといけません。誰が物事を決めているか、厳しく見極めるべきで、私は国民予算委員会を作ったらいいと思っています。予算の分配がどうで、どこにお金が使われているのか、国民が知るためです。小さなグループでも予算を監視しないと借金が増えて今危ない状態です。 女性が活躍できるように 社会や組織に穴を開ける  国連協会が主催で2010年から、日本と中国、韓国の学生によるユース・フォーラム(模擬国連)を開いています。主催国から40人、ほかの国から20人ずつで、1週間かけ80人が英語で討論します。  一昨年、韓国での会議では韓国の学生が非常に印象的なスピーチをしました。祖父母の時代は日本の占領下で大変な苦労をし、自分たちは3代目で、どうやって将来をつくるかを考えていると、歴史的に明確な見方をしていて、それは日本の若者が苦手なところです。日本の学生にかけているのは歴史観で、それを踏まえて自分は、国はどうするかの考察です。これも教育のせいでしょう。  当初、政治問題は避けるようにしていましたが、そのうちにいわゆる従軍慰安婦問題も出てくるから、どう答えるのか、日本の学生たちに聞いたことがあります。すると知らない人もいたので、村山談話をみんなで読もうと言うと、村山談話のことも知らない学生がいました。  村山談話はアジア諸国でも評判がいいのですが、中国や韓国の学生の多くも知らなかったので、それが出された経緯を説明しました。それがきっかけで時事問題も取り上げるようになったのはよかったと思います。  主には平和や開発、環境など国連にかかわる問題を議論しています。学生たちにはユース・フォーラムでできた友人は大切にするよう話しています。こんな場では日本の女性は元気で、男性より活発に発言しているのは頼もしく思います。  国連では日本女性も活躍していて男性よりも評価されています。日本社会のような縛りがないからで、自由な個人として国際社会に搭乗できるからです。  私が今期待しているのは、2030年までに達成すべき17の目標を掲げたSDGs(持続可能な開発目標)です。人間生活のほとんどを網羅していて、170近くの細かい目標が立てられ、すべての国連加盟国がその達成に向け動いています。担当は外務省ですが、環境問題から人権問題まで網羅しているので各省に関係し、女性NGOの多くもかかわっています。 いせ・ももよ 慶應義塾大學卒業。米国シラキューズ大学で計量社会学、コロンビア大学で都市計画を専攻、ハーバード大学で比較文化を研究。1965年からアメリカ政府による人種差別撤廃と反貧困政策事業に携わり、70年から28年間国連ニューヨーク本部で経済・社会開発、国連人材開発の仕事を担当、国連大学創設に関わり初代事務局長を務める。定年退職後、アジア女性基金専務理事兼事務局長に就任。現在、日本国連協会理事、国連システム元国際公務員日本協会会長。