新戸部 稲造との出会い
みなさん、おはようございます。
1月14日は、私の38歳の誕生日でした。私が何をしようとしているのかを話すと言って遅れてしまいました。
面白いことに自分の話をするのに抵抗があるようです。
日本は神仏の国とよく言いますがそれぞれの役割があることで神仏をへだてなく受け入れています。
バレンタインも同じですね。チョコレートをもらう日として!商業主義だと言いますがなんでも受け入れる大きな精神の現れとも言えます。
また、茶道、能楽、華道などの芸能や武道も何百年も続くものがあります。 悪いことをした人も生前批判されていた政治家も命を終えれば
受け入れる。私はこんな日本が好きなのです。改めて第一話を記します。
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あなたは「理想の社会を創りたい」と思ったことはありませんか。私は小学生の頃からその想いがありました。
そしてこんなちっぽけな能力のない自分ではとてもできないと一生懸命その想いを打ち消していました。
自分には良い世の中を創ることはできない。じゃあ何をして生きていけば良いのかと悶々としていました。
本当にやりたいことはありながらその突拍子もない考えを打ち消し諦めながらも何かをして懸命に生きようとしていたのですから
人生は面白くないのは当然ですよね。
本当の想いを諦めて生きていたはずなのに様々な人生の岐路に直面するとその困難な道を行くことを選択していました。
空海の言葉に「ちまたに臨んでいくたびか泣く」があります。
人生の岐路に立ってどちらをいくべきなのか何度泣いたかわからないという意味だと思うのですがどんなに力づけられたかわかりません。
これから私が何をしようとしているのかその想いを年頭に何度かに渡って描いてみたいと思います。
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私の人生で2つの想いが常に葛藤していました。
一つは、良い世の中を創りたい。もう一つは、そんなことできるわけがない。
ディズニーの漫画で出てくる天使と悪魔の声のようなものですね(^^)。
私は何もこれをやりたい!というものがなく慶應大学で実験心理学を勉強していました。
私の先祖は出口直、出口王仁三郎という二人が大本という宗教を開き、戦前多くの人々に影響を与え
国家から二度の弾圧を受けました。そんな先祖を持っていましたからこんなちっぽけな自分ではできないと思うのは
当然かもしれません。
スピリチュアルな世界から抜け出し「心」を扱わないで物理学的に人間を研究するという実験心理学に「そんなことが
できるのか」という否定的な想いがある一方、少し惹かれたというのが本当のところだと思います。
大学三年の終わりの春休みに指導教授の佐藤方哉先生に就職の相談に行きました。
何もやりたい仕事がなかったのです。こんな自分は、将来何をやってもダメだと思っていました。
先生の研究室にある椅子に座ると「キミは、将来何をやりたいんだ?」との第一声。
とっさに「先生、アメリカに行きたいと思います!」「そんなことを訊いているんじゃない。どんなところに就職したいんだと言っているんだ!」
本当に厳しい先生で私だけでなく皆、戦々恐々としていました。
私は「商社に入ってアメリカに行きたいと思います!」「商社に入ったからと行ってアメリカに行けるとは限らないんだ。
キミの先輩で商社に入ってアフリカで10年もやっているのいる!」
「あ、アフリカですか。アメリカに行きたいんです」
「第一、商社に入ると英語の試験があるんだぞ。キミの英語の成績ではとても外国には行けない!」
先生は、机の上に積まれた書類の上にある一枚のペーパーを取り出し
「米国のカンザス大学のベアー先生のところで勉強してみないか。応用行動分析学のメッカと言われている。
この人間発達学部の大学院は全員が応用行動分析学派の教授だ。
私もサバティカル(一年の研究休暇)でここで研究をしたんだ。もし行く決心がついたら推薦してあげるよ!」
「え、先生、留学ですか!」「当たり前じゃないか。何を訊いてるんだ!」「わかりました。親と相談してお返事します!」
留学など考えもしていなかったのですがなんと、自分で行く気になっていました。
夜、父親に電話をしました。「佐藤先生が、アメリカの大学院に留学したらどうかと言われた。
行きたいと思う」と。私が何も勉強していないこともひどい成績なのも知らない両親は
「先生がそう言われるなら留学したらいい。最後までやってこい!」
翌日、佐藤先生のところに行くと「え、ほんとに行くのか。キミの成績ではとてもベア先生に
推薦できない。しょうがないキミの心理学の科目の成績を書き換えよう」
かくして私の心理学の科目は全てB を A に。C を A に。D を A にまで書き換えたかどうかは
わかりませんが(^_-)。そして大学院の博士課程の先輩の丁稚をやれと1年間朝から晩まで鍛えて頂きました。
そして米国のカンザス州に飛び立ったのです。何が待ち受けているかも知らずに!
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私の留学先はアメリカの真中の州でハートランドにあるカンザス州ローレンス市にあるカンザス大学の大学院 University of Kansas。
大学院生の寮が満員で入れずなんと大学二年生がすむ寮に入ることになりました。
私は当時、日本よりも米国や中国を理想の国だと思っていたのです。
私がいた寮の学生は、話し込むとすぐ「What do you want to do in life?」(人生で何をやりたいのか?)と私に質問をしてきました。
そして、二言目には、「私の人生は、こうする」とトウトウと語るのです。
ある学生は「牧場を持って、小さくてもいいからセンスの良い家に住んで」と夢を話す。また、ある学生は「事業を成功させて、ジェット機に
乗り大きな家に住んで」。と言う。自分の夢を語り全く夢見ていることが違うのです。
また逆にスピリチュアルな学生もたくさんいました。寮に入った最初のころ毎夜私のところに来てくれる学生「トミー」がいました。
彼は、私をベッドの上に座らせ「ヒカルこうしろ」と、お祈りのポーズを見せました。
両手の指を重ね合わせ山を作るのです。
「これからお祈りをしてあげる」と。私は手を合わせ目を閉じお祈りのポーズをとると私の両手の上に自分の両手を重ね、
「今日この男の犯した罪を許したまえ」。「今日、俺なにも悪いことしていないよ」「いや、人間は生きているだけで罪深い存在なのだよ。
ちゃんとお祈りをして神様に許してもらえば、天国に行けるよ」と優しく言いました。天国という存在が多くの学生にリアリティを持って存在していたことに驚きました。
私のいた大学のキャンパスでは自分の人生を語るのは、当たり前の文化でした。私が日本の大学にいたころは米の国学生のように、夢を語り人生で何を
するのかという話しをほとんどしたことがありませんでした。
「ヒカル、お前はどんな人生を送りたいの」と聴かれて最初は何も答えられませんでした。学生たちの熱い話を聞きながら、私の人生を考えていました。
「天国に行きたいのか」それとも「未来に物質的な成功をしたいのか」と自分に問うこととなりました。
面白いことに私は、両方とも望んでいなかったのです。私が望んでいたことは!
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私はカンザス大学の寮で米国の学生と生活する中でどんな風に行きたいのかと問われることで
人生を考える機会を持ちました。「真面目な人生を送って天国に行きたいのか」それとも「未来に物質的な成功をしたいのか」
と自分に問うこととなりました。
あなたは、どうでしょうか?面白いことに私は、両方とも望んでいなかったのです。地獄へ落ちるよりはいいが天国へ行きたいと熱望しているわけではない。
また、経済的に成功して、別荘をいくつも持ってジェット機に乗って世界を飛び回りたいというふうにも思えなかったのです。
学校の図書館には日本人留学生が残した明治維新の小説がたくさんありました。私はそれを夢中になって読みました。
坂本竜馬は、明治維新の成功を見る前に京都の近江屋宅で何者かに殺害されました。西郷隆盛は明治政府に反抗して勝ち目のない西南戦争を起こしました。
子々孫々に到るまで朝敵と批判されることを覚悟していたことは明らかでした。
戦国時代から明治維新に至る立役者たちの多くはこの世で成功を謳歌することもなく現世に別れを告げ「志しながら、倒れた」のです。志に生き、
志に倒れることを覚悟していたといえます。私には、それは衝撃的なことでした。
彼らは、そこまでして何を残したかったのでしょうか。これらの人たちは成功すると確信したからやったのではなく失敗するからやらなかったわけでも
ありませんでした。「やると志したからやった」のだという想いが、私の胸の中に湧き上がってきました。
このような人たちは米国の学生が言うような「天国に行くために生きる」あるいは「未来の経済的成功を成し遂げる」という基準に照らしても
明らかに成功者ではありませんでした。でもなぜか日本の歴史上の人物の生き方に震えるような共感を覚えました。
彼らには事の成否がもっとも重要なことではなかった。志に生きることが魂の核にあった。少なくとも私には、そう思えました。
そして私の心の奥底にもそのような想いが潜んでいました。そして追い討ちをかけるようにもう一冊の本に出会いました。
私は、米国で日本に出会ったのです。
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私は、英語の「BUSHIDO」から88の格言を取り出そうと丹念に読み込んでいました。
そして、ついに最後の88件目の格言を見出そうとしているととうとう最後のページの予言のところに来てしまいました。
もう一度あなたも声に出して読んでみてください。
「武士道は一つの道徳の掟としては消滅するかもしれない。しかしその力は地上から消え去ることはない。
その光と栄誉はその廃墟を超えて蘇生するに違いない。」この文章を読み終えた瞬間に私の胸の中にドンと何かが置かれたように感じました。
その瞬間、涙が溢れ出しました。そうか自分がやるだけなんだ!と想いました。新渡戸稲造の魂が入って来たと想いました。
本を読んでこんな体験をしたのは初めてでそれ以降もありません。そして、さらに不思議なことが私に起こったのです!
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なぜシンクロニシティが起こるのでしょうか。不思議な出会いがあるのでしょうか。肉体は別であっても魂は繋がっているからだと想っています。
量子力学的なアナロジーで言えば量子のもつれ(^^)!「武士道」を読むことで新渡戸稲造と魂の邂逅があって間も無く
ある友人の紹介でイタリアの工業デザイナーのFrazer Mckimm さんがやってきた。当時、日立や東芝の製品のデザインもやっていました。
「私は、小泉八雲(ラフカデイオ・ハーン)の子孫です。日本が大好きで、サムライも尊敬しています」という。
そこで、喜んだ私は、新渡戸稲造の武士道の英語版(元々英語で書かれた!)をMckimm(マッキム)さんにプレゼントしました。
そして数日後、興奮したメールが私に届いたのです。「帰りの飛行機で、「Bushido」を読み始めて、驚いたんだ。
なぜならその本の序文に、ラフカデイオ・ハーン(小泉八雲)とMckimm(マッキム)女史に対する謝辞が述べられていた。
なんと、100年以上前に出版されたBUSHIDO の序文に書かれたMckimm 女史は、私の母方の先祖だったのだ。
100年以上も前に、Mckimm女史と小泉八雲という私の先祖の名前二人が「BUSHIDO」に書かれていたのです。
その当時、二人は、親戚ではなかった。つまり序文に書かれていた二人の子孫が結びついて私というMckimm が生まれたことになります。
私は、震えるほど、感動しました。飛行機を降りて自宅に帰るタクシーの中でも「武士道」を読み続け着いたときに読み終わっていました。
そして武士道精神に感動したよ。自分はとてもサムライとは言えないが何か手伝いたいんだ!」と。そしてサムライ時計のデザインを無償でしてくれました。
さらにもうひとつ生まれたものがあります。それが、マッキムさんと一緒に創った「サムライ時間憲章」です。縁とは不思議なものですね。魂の交流をすると
不思議に必要な出会いがどんどん出てくるのです。それでは魂の交流は、どうやったらできるのでしょうか。
私が本当にやろうとしていることを話さなければなりません。
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が人生で何をやりたいのかを書きながら、「空」の話になりました。
本当にやりたいことは何か!
それを知るために「空しさ」という感覚と向かい合うことが必要です。この「空」は「空しい」という感覚と関係しているからです。
空を自覚する。つまり「空しさ」を感じることは悟りの入り口に立つことだと思っています。
ただ、私たちは、「空しい」という感覚はあってはいけない感情だと思っています。実は「空」の入り口に立っているにもかかわらずそれに触れた途端にそれを
振り払ってしまう。そして、空しさを避けようとして酒を飲んだりいろいろな問題や行動を引き起こしてしまう。そうすれば生きている実感があるのかもしれません。
私も数年前に、2年くらい「空しさ」いやもっと嫌な「虚しさ」の感覚に襲われました。世界で私しかいないような、なんとも言えない、逃げ出したいような感覚です。
それがどんなときに起こるかと観察してみると全力で物事に集中して、それが終わったときでした。
私は、経営者やリーダーのためにいくつかの道場をやっています。もう延べで二万人くらいになるでしょうか。
道場中は、参加者と全身全霊で関わりものすごい一体感を感じます。でもその道場が終わると強烈な「虚しさ」に襲われたのです。
それは、全力で関わる相手がいなくなるからでした。あなたも物事に全力で取り組んだときの一体感とそれが終わったときに
なんとも言えない空しさを感じたことがありませんか。
その「空虚感」と「一体感」はなんと対になっていたのです。その空虚感と一体感の落差の最も大きい職業は舞台に立つアーティストです。
海外でも有名なアーティストたちで変な死に方をしている人たちがたくさんいます。
エルビス・プレスリー マリリン・モンローやホイットニー・ヒューストン マイケル・ジャクソンなどです。
例えば、マイケル・ジャクソンがひとたび舞台に立つと何万人という人たちが集まり世界中の人たちがテレビを通してその舞台をみます。
その一体感には凄まじいものがあると思います。ましてや巨万の富を持ち、なんでも買え、お金の心配などありません。
だから尚更舞台を降りるとその一体感は消えて虚無感が襲います。例えば、エルビス・プレスリーは一日100個のドーナツを食べ
初めてあった人に、キャデラックをあげたりしたというのです。
空しさを紛らわすために、酒を飲んだり、ドラッグをやったり、人生に問題を作ったりするのではないでしょうか。
この虚無感と一体感の正体を掴まねばなりませんね。
〈Tue, 17 Jan 2017 08:00 出口口光オフィシャルメールマガジンよりowaki編集〉