「サムライ時間に生きる」  出口 光
みなさん、こんにちは。
サムライ時間とはなんでしょうか。

時間は悠久の過去から永劫の未来へと続きます。
そして肉体を持つ私たちの時間はほんの少し。
無限大の時間の中にほんの一瞬を生きる時間枠で自分は、何をするのか。
これがサムライ時間に生きるということです。

諸行無常という言葉があります。全ては移り変わり何も止まっているものはない。
何も意味をなさないように思えます。

ここでは、どうしても「空」という領域に踏み込まねばなりません。
これは人類が創り出した最も興味深い思想です。

「空」とは、何か?

限大の時間の中にほんの一瞬を生きる時間枠で自分は、何をするのか。これがサムライ時間に生きるということです。

諸行無常という言葉があります。全ては移り変わり何も止まっているものはない。
何も意味をなさないように思えます。ここでは、どうしても「空」という領域に踏み込まねばなりません。
これは人類が創り出した最も興味深い思想です。

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「空」とは、何か?(「空と虚」」)

今日からのお話しは少し難しいかもしれません。
しかし究極を扱わなければ人生というほんの一瞬を生きる意味を
共に探求することができないと想うのです。

だから私が解答を持っているとは想わないでくださいね。
それでは行きましょう。

あなたは「人生はむなしい」と思ったことはありませんか。
「むなしい」を辞書で引いてみると「虚しい」と「空しい」と出てきます。
私は、この二つを区別しています。

「虚」は、「無」で「空」は、「悟」だと。
あなたのそばに椅子はありますか?
あって誰も座っていなければ空席ですね。
もし椅子そのものがなかったら無席です。
空席は椅子はあるけれどもあなたは座っていない。
つまり、椅子はあるけれどもあなたは椅子と関係を
持っていないということになります。

「空」とは世界と関係を結んでいないということです。
あるいは、全てと均等に関係を結んでいる状態とも言えます。

「あなたは誰か?と問われると世界との関係で自分を話すことしかできません。
「私は、お父さんです」それは子供との関係でお父さんなのです。
「夫でもあります」それは妻との関係で夫なのです。
「私は、京都の亀岡出身です」それは、亀岡という土地の関係。
「私は優しい性格です」それは、人や動植物、世界の関わり方を意味しています。
つまり、「私」という存在は世界との関係の束で成り立っているのです。
離婚したら夫ではなく、バツイチと呼ばれるでしょう。孫ができれば、おじいちゃんと呼ばれる。
私というのは、肉体ではなく、世界との関係なのです。

さて、これが理解できれば次に進むことができます。何か質問があれば、このメールに返信をしてください。
名前を書いて頂けると嬉しいです(^^)

何か概念的な話をしていると想われるかもしれませんが

私は、単なる思想には興味はありません。実学でなければ、
それが実際に使えるテクノロジーでなければやりたくないのです。
世界がどう見えるかで世界とどう関わるかが決まります。
私のことが優しいと見えればあなたは近寄るでしょうし
私のことを怪しいと思えば近づかないでしょう。
この世界の見え方があなたの人生を創っているのです。

これを認知(認識)バイアスと呼んでいてそれを自在にコントロールする方法が
「四魂の窓」のテクノロジーです。

それはさておき月曜日からはあなたと私の人生の根幹に入って行きます。
畏れを感じる人もいるかもしれませんしワクワクする人もいるかもしれません。
おそろしくても大丈夫陰極まれば陽となる。
月曜日は私たちの人生に起こる「虚しさ」を探求してみます。
これも世界との関係なのです!出口光

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が人生で何をやりたいのかを書きながら、「空」の話になりました。

本当にやりたいことは何か!
それを知るために「空しさ」という感覚と向かい合うことが必要です。
この「空」は「空しい」という感覚と関係しているからです。
空を自覚する。つまり「空しさ」を感じることは
悟りの入り口に立つことだと思っています。

ただ、私たちは、「空しい」という感覚はあってはいけない感情だと思っています。
実は「空」の入り口に立っているにもかかわらずそれに触れた途端にそれを振り払ってしまう。
そして、空しさを避けようとして酒を飲んだりいろいろな問題や行動を引き起こしてしまう。

そうすれば生きている実感があるのかもしれません。

私も数年前に、2年くらい「空しさ」いやもっと嫌な「虚しさ」の感覚に襲われました。
世界で私しかいないような、なんとも言えない、逃げ出したいような感覚です。

それがどんなときに起こるかと観察してみると全力で物事に集中して、それが終わったときでした。

私は、経営者やリーダーのためにいくつかの道場をやっています。
もう延べで二万人くらいになるでしょうか。

道場中は、参加者と全身全霊で関わりものすごい一体感を感じます。
でもその道場が終わると強烈な「虚しさ」に襲われたのです。

それは、全力で関わる相手がいなくなるからでした。
あなたも物事に全力で取り組んだときの一体感とそれが終わったときに
なんとも言えない空しさを感じたことがありませんか。

その「空虚感」と「一体感」はなんと対になっていたのです。
その空虚感と一体感の落差の最も大きい職業は舞台に立つアーティストです。
海外でも有名なアーティストたちで変な死に方をしている人たちがたくさんいます。
エルビス・プレスリー マリリン・モンローやホイットニー・ヒューストン
マイケル・ジャクソンなどです。

例えば、マイケル・ジャクソンがひとたび舞台に立つと何万人という人たちが集まり
世界中の人たちがテレビを通してその舞台をみます。
その一体感には凄まじいものがあると思います。
ましてや巨万の富を持ち、なんでも買え、お金の心配などありません。
だから尚更舞台を降りるとその一体感は消えて虚無感が襲います。
例えば、エルビス・プレスリーは一日100個のドーナツを食べ
初めてあった人に、キャデラックをあげたりしたというのです。

空しさを紛らわすために、酒を飲んだり、ドラッグをやったり、
人生に問題を作ったりするのではないでしょうか。
この虚無感と一体感の正体を掴まねばなりませんね。

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空虚感と一体感は対をなしているとお話ししました。
空虚さ、空しさを紛らわすために、酒を飲んだり、ドラッグをやったり、
人生に問題を作ったりする人たちは枚挙にいとまがありません。

この虚無感と対をなす一体感の正体を掴まねばなりませんね。
その一体感の正体は、一体なんでしょうか(^^)。
私の友人は、音楽ライブに行くのが大好きです。
今はいくらでもインターネットで音楽を聴けるのに「なぜライブに行くの?」と尋ねました。
すると「あの一体感がたまらないんだよね!」

また、皆で作ったイベントが終わった後、酒を飲みに行くのが大好きな友人も
「イベントが終わった後は、何か寂しくてね。だがら皆で酒を酌み交わす。
その時の一体感が最高なんだよね」と言うのです。

よく私たちの人生を観察してみると私たちは一体感を味わおうとしていませんか。
恋人同士も、家族も、組織も酒を飲みに行くのも
コンサートに行くのも一体となる喜びを求めていないでしょうか。
人間は、人の間と書くように本来は繋がった存在なのです。
現代の文明では人間は個に分離され一体感を失っています。
戦後の日本で最も失われたものはその一体感です。

一体感の正体は本来の姿に戻ることです。
一体となるとき自分という存在が消えて場が自分となります。
これが悟りの境地の入り口ではないか?
そしてその一体感を味わった後に空虚さが漂います。
この空の感覚を私たちは避けようとします。
あってはならないのです。

そろそろ空虚と一体感の本質を語るときがきました。
なぜならその本質に触れる体験をしたときにこの世界の見え方が変わるからです。

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私が何をやりたいのかそれを具体的に話す前に
一体であることは全てを受け入れていることだと話しました。
しかももうすでに一体なのです。

つまり、もうすでに私たちは全てと一体に生きている存在で
その事実を事実として受け入れて初めてあなたは自覚的に「空」であり
その「空」である器は「愛」で満たされていると言えます。
空は、愛そのものなのです。
そんなことができるのかと思いませんか。

でも一つだけ全てを愛し、一体となることを実行する方法があります!
それは、「全てと一緒にいる!」です。

どうやって?そう意識するのです!
そして万物に命が宿ると感じてみてください。
今、あなたの目の前にある「モノ」を手の平に乗せてじっと見てください。
そして「命が宿っている!」と意識して観てください。
それが、輝いて見えませんか。その輝きは、全ての「モノ」に共通しています。
「命」が「モノ」をしているのかもしれませんね(^^)。

さて、まとめに入りましょう。
あなたは、「肉体である自分」を超えて「全てと一体である自分」です。
小さな自分と大きな自分を持っているとも言えます。
全てを包み込むような大きな精神と自分の欲に囚われた小さな自分
その二つが同時に存在しています。
大きな精神である自分を本当に受け入れることができたら
その肉体を精一杯使おうとするでしょう。

それがあなたの天命でありそれを自覚的に「志」にまで高めることができます。
そしてそれだけではありません。
あなたの周りの人たちとつながって共にやろうという意識と行動が出てきます。
その繋がりが「氣脈」です。

悠久の過去から永劫の時間を含む「中今」(なかいま)にほんの一瞬に存在するのがあなたです。
その瞬く間の人生を全霊で生きることをサムライ時間に生きると表現してきました。
あなたは、このサムライ時間をどのように生きますか?ようやく私が何をしようとしているのかを具体的にして
このサムライ時間シリーズを終えたいと思います。