先日、健康を害し,その後、思いもかけない心情的事故にも遭遇し、ダブル・パ
ンチを喰らいました。一見、地獄の底辺をさまよっているかのようにも思えます
が、「真っ暗闇にこそ、光は燦然と輝くもの」、先日も、皆既日食だからこそ真昼に
満天の星を見ました。小生もこのダブルパンチを食らわなければ、決して悟ること
ができなかったであろうメッセージです。
「人間は、何人と言えども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようとも
がいている。」しかし、どれほどの人が真の幸福に生きているであろうか?
私たちはアフリカの飢餓、貧困に苦しむ人々を「かわいそうだ」と思い、世界
の状況を知れば知るほど、「私たちは幸せだ、日本人に生まれよかった」と思い、ボラ
ンティアの真似事をしては善人ぶっています。しかし、「われわれは本当に幸せ
であろうか?」それは砂上の楼閣ではないのか?
昨日、吉田康彦先生が主催されるNPOフォーラムがありました。
「2012年に向けて動くピョンヤン、ソウル、ワシントン」という演題であった。
吉田先生からの熱心なお誘いがあったので、「先生の熱意の動機は何か」、好
奇心と「先生のご活動と地球市民活動(GCI)がどう協力できるのか?」その枠
組みをつかみたいと思い参加した。フォーラムは予定の時間を1時間も過ぎても、
熱心な討議が続いた。午後5時過ぎに先生の会議室でスタッフを含め4人で話し
た。
その折、先生は北朝鮮に文化支援をしていること、150冊の本を北鮮へ持っ
て行ったこと、北は日本文学の古典や『知恵蔵』『現代の基礎知識』とかを求め
ているとお話された。NHKの国際報道局次長であった吉田先生がなぜ
「北朝鮮、特に核廃絶に熱心なのか?」国連職員からIAEA(原子力平和機構)
広報部長をされていた折、北の核問題と直面したことが契機だったとのことである。
その後10数回北にも行かれ、昨日のフォーラムは北朝鮮情勢に対する長年ジャー
ナリストとして鍛えられた取材に裏打ちされたものであった。
その後、「今晩これから北朝鮮の映画があるが見に行かないか?」と誘われた。
場所は横浜の先と聞いて一瞬迷ったが、先生の日ごろのご活動に敬意を表して
先生に随行することにした。
夜7:50分からの最終上映であった。「ある女学生の日記」という2007年
製作されたこの映画は、昨年、朝鮮国内で公開され大きな反響を呼んだ。今
年5月、北としては初めてカンヌ映画祭に参加、フランスでは一般公開上映
もされた。
映画は、ある科学者の家庭を舞台に主人公の少女が家族の問題や友
人関係で悩みながら精神的な成長を遂げていくという筋書き。スリョン(姉)
という、大学進学を間近に控え、だけど自分の進むべき本当の道に悩んでいる
1人の女の子がヒロインで、慎ましく温かい家庭に育ちながらも、父親は研究
所の寮に暮らしながら、研究に没頭している。暖かい家庭の中にも父親のいな
い空虚感が次第にスリョンを押しつぶしていく。そんなとき、母親が癌である
ことが発覚する。それでも研究を優先させる父親に、スリョンは次第に嫌悪感
を抱き始める。研究所員である父親がほとんど家に帰らないため彼女はそれが
とても不満。そんな寂しさを時に家族にぶつけながら、少しずつ話が進んでゆ
くという、素朴な家族愛の物語、北鮮の地方の現代事情をありのままに見せな
がら、いかめしい顔の党の関係者とかが出てこない、家族の肖像を素直に描い
ただけの作品だった。(カンヌで「ある女学生の日記」上映、映画評より)
北朝鮮はかわいそうな国、恐ろしい国、との印象があったが、この映画を通じ
て体制やイデオロギーを超えて、人間の家族愛は同じ、かえってあり余るも物
に囲まれ、幸せそうに暮らす日本人やアメリカ人よりも幸福度は高いのではな
いか?とも思われた。
国のために生きる父親、それを必死でささえる妻、家族を顧みない父親に反抗
する子供たち、母や祖母の愛を通じてすばらしい父親の姿を見出す子供たち、
国境やイデオリギーを超え、感動的な映画である。 一見外的には、天国から最
も遠く思える北の方が、内的には、最も天国に近いかもしれない。北は2012年を
金日成生誕100年祭、「強盛大国の大門が開く年」として全力を挙げている。
この映画を見ていると日本が経済力、生活の豊かさで暮らしているのと、環境的
には貧しくとも、親を思い、子を想い、国を思い必死に生きている生活の方がよ
り純粋無様な気がしてくる。
「国際協力」、「ボランティアがどうの」とか、片意地を張ることなく、一人一
人が良心的に生きること、自分の内なる声に目覚めさえすれば良いのだはないか!
愚かにも、我々は、限界まで追い埋められないと悟れない。「環境に不平を言い
ながら倒れるか?」まさに死を踏み越えたところにあるのが宗教、内的心情世界
であると思う。
「やってあげる」という不遜な心を捨てて、人間として当然のことをやるまで、外的
物的条件は幸福の要素からは2次的なもの、ものにあふれて幸福から遠ざ
かっているわれわれこそ、哀れな人々かもしれない、
家族愛、祖国愛に生きようとする心、それはかつての「皇国日本」の日本国民
が経験した道だ。体制が誤り多大な犠牲を払い、国民を誤導した指導者等は
断罪された。方向は誤ったとはいえ、家族を思い、国を思う忠孝の精神は世界も
認めるところである。貧しい国でも海外援助しようとしている。心まで乞食になっ
てはいけない。物は豊かでも心は貧乏なのが日・米、先進国の共通事情である。
貧しくても豊かでも他のために生きること、愛に生きること、それこそ人間ら
しく生きることではないか、経済が経世済民の学というならば、アダム・スミスの
人間とは何か?原点に立ち返って、利己的人間と利他的人間、楽観的な予
定調和説に立った自由人間から「愛人間(ホモ・エイムス)」を定立し、新しい
世界救済の経済学、「真の愛の経済学」を生み出すときのようだ。
吉田先生の昨日の講義、参加者は元外務省、元公安関係者が多かった。小生も
含めみな忙しい(心が亡ぶ?)のであろう。吉田先生の熱意に引かれて、昨夜は
小生はラッキーな経験をした。
さる5月には2006年国際児童合唱団で金メダルをを受賞した韓国アカデミー
合唱団のお手伝いをした。韓国の主催者側はもちろん、児童の歌と心情は韓国
を愛する日本の人々に多大な感銘を与えた。今度は北朝鮮のようだ。
大脇 準一郎 拝
From: junowaki@gmail.com Date: Sat, 25 Jul 2009 11:44:30 +0900