このサイトは、瀬戸宏の個人サイト「電脳龍の会」の下位サイトです。
管理人は1971年4月に早稲田大学第一文学部に入学、二年生の1972年11月8日、川口大三郎君虐殺に遭遇しました。それまで川口大三郎君と面識はなかったのですが、虐殺糾弾・自治会再建運動に参加する中で、その後の人生を決定する強い影響を受けました。このサイトを開設するに至ったいきさつ・心境は、「管理人の感想」の「『2013年川口大三郎さんを偲ぶ会』に参加して」「川口大三郎君の墓参り」をご覧ください。
このサイトは、管理人の視点に基づいて作成されます。別の人が作れば、また別の視点があるでしょう。運動の中にさまざまな要素があったように、資料収集にもさまざまな立場があっていいと思います。私以外にも、事件・運動の資料収集をめざす動きもあるようです。
開設したばかりで、今はまだごくわずかな資料しかないのですが、これから少しずつ充実させていきます。
なお、管理人の一般的な経歴に関心のある方は、「電脳龍の会」の「経歴」をご覧ください。(2014.4.14)
ファイルを収納していたヤフー・ボックスが公開中止になり、順次ワンドライブに移しています。移動が間に合わないファイルを閲覧希望の場合は、管理人までメールでご連絡ください。(2020.9.3)
PDFファイルのワンドライブ移動が完了しました。(2021.3.3)
樋田毅『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋社)11月8日刊行!1980円(税込み)(2021.10.02)
●川口大三郎君虐殺糾弾運動の資料
淸水光幸氏保存の一文を中心とした当時のビラ類数百点の目録。自治会再建運動は現物をPDF化。
再建一文自治会執行部が刊行した新入生歓迎パンフ。さまざまな傾向が混在した運動実態を反映した編集。全文。
早稲田大学第一文学部11.8川口大三郎君追悼集編集委員会編
行動委員会関係者編集の資料集
特集 川口君とその死(1973.7)、附:関係ページPDF
勝共連合系資料集。川口君はこの系統のサークルとも接触があった。写真などが貴重。
日本共産党・民青系学生の資料集。全文。
(1972.11.10-1974.5.10)、附:記事ページPDF
中立リベラル系早大学内新聞の事件関係記事
●運動関係者の回想・感想
再建一文自治会委員長・樋田毅氏の2014年時点での運動回想。2017年12月4日掲載。
●管理人の感想
2013年11月8日開催の文学部メンバーの偲ぶ会参加記。始めて実名・公開で川口君事件を語った文章。
2014年1月30日に行った川口大三郎君墓参記。
直木賞作家松井今朝子の自伝エッセイ『師父の遺言』と村上春樹『海辺のカフカ』の川口君事件に触れた部分を紹介し論評。
(2015.7.12)
直木賞作家桐野夏生の小説『抱く女』中の川口君事件に触れた部分を紹介し論評。
川口君虐殺糾弾運動の中期(革マル自治会執行部リコール以後1973年3月まで)、後期(1973年4月~1973年11月運動敗北、消滅まで)を2017年時点で振り返った文章。運動の否定的側面もあえて記す。
(2018.2.15)
かつての流行作家栗本薫の未発表作品「ぼくらの事情」(『栗本薫・中島梓傑作電子全集』第三巻で公開)に現れた川口君事件の影響とそれが未完に終わった事情を分析。
中島梓(栗本薫)に始まるBLが川口君事件を起源としていることを明らかにした照山もみじ論文(『G-W-G』第5号掲載、2021年5月)を紹介。照山論文は川口君事件を分析の対象とした最初の学術論文。
2021年11月刊行の樋田毅氏の著作『彼は早稲田で死んだ』の紹介
●リンク集
*断片的に言及したサイト等は含んでいない。
2021年11月12日作成
行動委を中心とした事件の記録。現時点では一番詳しい。
作成途上だが参考にはなる。
制作者不明。事件直後から1973年5月17日までの日録。
匿名人物のネット掲示板への投稿。事件の感想。
法学部関係者?のネット文書。第789号に川口君事件への言及あり。
投稿者不明。事件への断片的回想。
兵庫県会議員藤本百男氏。残念ながら川口君事件回想部分はブログサービス終了で消滅。
新聞記者になりたい人のための入門講座・新聞への思い5(上)(下)
川口君事件を取材した毎日新聞記者と虐殺糾弾自治会再建運動のリーダーH君(樋田君)との交流
第一文学部の活動家らによる回想・資料サイト。
1973年11月図書館占拠回想などの個人ブログ
原理研究会関係者と推定される人たちの2016年11月8日墓参写真と関係資料。ページには35回忌とあるが、45回忌の誤記か。
ジャーナリスト高世仁氏の回想と事件の感想。「高世仁の『諸悪莫作』日記」の一部。2017年5月23日~25日発表。山村政明君の死にも言及。
古本屋通信No 2752、2017年08月22日。
事件についての個人感想だが、非常に事実誤認と偏見を含んだ意見。特に樋田毅君への感想がひどい。「樋田が委員長になる過程で、反革マル陣営は確実に革マル派にリンチを加えている」というが、1972年11月28日の一文学生大会で樋田君が臨時執行部委員長に選出され、1973年1月27日の自治委員総会で樋田君が正式の一文自治会執行委員長に選出される過程で、反革マル勢力は革マル派にリンチなど行っていない。もし行っていれば、革マル派の暴力反撃はそれを口実にもっと早かったろう。文中にあるT(革マル)一文自治会委員長の負傷は偶発的な事故で、実際には彼の活動にほとんど影響なかった。
私の「運動の中・後期を振り返って考える」や樋田毅君の回想にあるように、反革マル勢力はまもなく平和的に運動を進めようという傾向と武装・暴力行使も辞さない傾向に分裂し、それが運動敗北の重要な理由の一つとなるが、樋田君は常に平和的に運動を進めていく傾向に属していた。(2017.11.22、2017.12.06修正)
日本共産党・民青系元早大生の回顧・資料サイト
元早大政経学部学生、聖心女子大教授
事件の回想・当資料室の紹介
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川口大三郎事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 21:31 UTC 版)
他セクトの反応
この頃、他大学を拠点とする他のセクト(中核派・社青同解放派)と革マル派の「内ゲバ」は、互いの組織壊滅を目的とした、凄惨な「殺し合い」へとエスカレートしていく。血で血を洗うこれらの内ゲバは学生運動を弱体化させ、大衆が新左翼から離れてゆく大きな原因の一つとなった。川口君虐殺糾弾運動はセクト(党派)の暴力反対から出発したが、結果はセクトの暴力、内ゲバをいっそう激化させることになった。
中核派
中核派は、「全学連戦士・川口大三郎同志」などと述べ、事件の責任を追及する姿勢だったが、前述のように実際には中核派とはほとんど関係なかった。
1975年 (昭和50年)3月14日 革マル派が中核派の最高幹部・本多延嘉を殺害(「中核派書記長内ゲバ殺人事件」)。
社青同解放派
- 神奈川大学を拠点としていた社青同解放派は、川口大三郎事件の責任ある革マル派を追及する姿勢に出る。解放派はブントと共にWAC(早大行動委員会)に助太刀する。
- 1973年(昭和48年)5~6月、 早稲田大学で革マル派全国部隊を3度にわたり粉砕。
革マル派はそれに反感し、
- 1973年 (昭和48年)9月、革マル派約150名が社青同解放派の拠点神奈川大学を襲撃する事件が起こる、解放派(革労協)が反撃し、レポ二人(革マル派東大生と革マル派国際基督教大生)を殺害(神奈川大学内ゲバ殺人事件)。
川口大三郎事件を扱った文芸作品
- 村上春樹 『海辺のカフカ』(新潮社 2002年) 高松の私設図書館長の佐伯さんは20歳の時に東京の大学で恋人を殺されているが、その殺され方は川口大三郎事件を明らかにモデルにしている。(村上春樹は事件当時まだ早大第一文学部に在籍中だった)
- 小嵐九八郎 『蜂起には至らず 新左翼死人列伝』(講談社 2003年)「第十二章 斃れた一人のシンパの墓」は川口大三郎君を扱う
- 鴻上尚史 『ヘルメットをかぶった君に会いたい』(集英社 2006年)作者が深夜テレビでみかけた1969年のヘルメット姿の初々しい美少女を捜すが、その少女は三年後に川口大三郎事件の犯人の一人となる。
- 松井今朝子 『師父の遺言』 (NHK出版 2014年)「九 政治の季節の終焉」に、著者が参加した川口君虐殺糾弾運動の記述がある。
- 桐野夏生 『抱く女』(新潮社 2015年)「第三章 一九七二年十一月」に、主人公三浦直子の兄で早大革マル派幹部活動家の和樹が早大で事件を起こした容疑で、刑事が直子の家を訪ね両親に事件を説明する部分があるが、事件内容は基本的に川口大三郎事件である。
- 栗本薫「ぼくらの事情」(小学館『栗本薫・中島梓傑作電子全集』第三巻 2018年2月9日収録)1978年に書かれ未完・未刊行だった作品。『ぼくらの時代』続編として構想され、作中に川口君事件を模した石川君事件が登場する。
関連項目