後編
慎んで、中曽根康弘閣下をご哀悼し、お見送りを致します。
今日,10月17日(土)午後2時~3時05分、グランドプリンスホテル新高輪国際パミールで、
「故中曽根康弘」内閣・自民党合同葬儀が挙行される。インタネット中継:政府広報オンライン
コロナパンデミックの影響で実に1年近く葬儀が遅れるという異例の事態であった。小生、
人生いろんな局面で中曽根元総理との出会いがあり、自らの心の整理もあって、氏の追悼文を
昨年末書いた。
今回、有識者たちと提言した「中曽根内閣の評価」の政策提言書を探したが見つからず、「教
育改革の課題―臨教審の評価」は見つかった。探している過程で偶然、『漢江より還る』という
蓮本健次氏の波乱万丈の自叙伝に目に留まった。改めのこの要約版(8P)コピーを打ち込み、
サイトに追加。同時に354頁(ワード128頁)の本文を再編集した。この作業に丸1日費やしたの
で、新たに中曽根先生の追悼文を書き直す時間がほとんど無くなった。この『漢江より還る』の
著者、蓮本氏に電話して、新たな動きを知った。今年は6.25戦争から70周年、6.25動乱を韓国
人として苦難を家族と共に越えてきた蓮本氏の半生に、韓国KBSが注目、映画化の動きが始
まっている。映画を作るとなると脚本が必要で、そのためにもこの本の出版が急がれる。この夏、
韓国では8人の女性が手分けをしてこの自叙伝を韓国語に翻訳。翻訳者たちも翻訳しながら涙、
涙の連続であったとのこと。人殺し犯人捜しの推理ドラマ、「日本は殺人天国か?」と錯覚する程、
貧弱なテレビ番組を憂うる。もっと血も涙をある、国民を元気づけるドラマを配給してほしいもので
ある。
中曽根氏は総理になって最初の訪問国に韓国を選んだ。ハングルで歌を披露したことは韓
国で大喝采を博した。世界平和の実現にとって日韓関係の重要性を熟知しての行動であった。
自らの戦争体験からも人一倍、世界平和の重要性を痛感され、中曽根平和研究所を創設。平
和研究と提言に晩年燃え尽きるまで尽された。きっと中曽根先生も日韓関係の未来を天上から
心配されているのであろう。
元、官僚であり、軍人でもあった中曽根氏は戦後、政治家になる決意をされた。マックス・
ウェーバーは政治家の資質として情熱と責任感、判断力の3つを挙げている。 「情熱」とは使
命感、ビジョン、あるいは価値創造を生み出す自由と捉える安藤忠雄氏のような人も居る。中曽
根氏は生涯、高邁な政治理想を湧き上がる情熱をもって追求した人であった。
「責任感」は愛から生まれる。何に対して責任を感じるか、その範囲の広さが問題である。何
人と雖も、子を愛する親の情の深さにはかなわない。会社や団体、地域社会や国家に責任感を
持つ人は多い。しかし中曽氏は国家を超えてアジアの平和、日米の世界平和への果たす役割
を考えた。世界平和の観点から日本の将来を考える新しい世界観の確立した人であった。かつ
ては一国一城、あるいは自国の存亡をかけて戦った人類歴史であったが、「今や世界平和のた
めに自国は何を為しうるか?」を問う世界観のコペルニカス的発想の転換が必要な時代である。
「決断」これを「腹を持て」とか「勇気」という人も居る。政治は宗教的(文化的)理想と科学的現
実(事実)との妥協の産物であり、結果を出すことが何よりも優先される。その点、純粋に夢を追
うだけの宗教(文化)やあくまで事実に忠実であろうとする科学とは異なる。経営の神様と言わ
れた松下幸之助氏は、「困ったときは宗教家によく相談した。宗教家からは人間の原点とは何
かを教えられた。しかし、実際は結果が出るように教えとは逆のアドバイスをした。」と述懐して
いる。
中曽根氏は宗教、政治、また科学の力を冷静に理解した絶妙なバランス感覚の持ち主であ
った。「風見鶏」と揶揄されたこともあったが、権力を頂点にした政界に在って、弱小派閥の舵取
りするには止むを得なかったのであろう。それよりは、じっと我慢をし、権力の頂点に立つ日を
夢見ながら着々と準備を怠らなかった氏の自己修養、自制力を称えたい。政治力とは何かとい
うとき、変動の激しい世の中、人の心を読むことが問われる。この政治性という点においては、
ライバルであり、同志でもあった田中角栄氏は中曽根氏の一枚も二枚も上手であった。そのこと
をご本人もよく自覚し、角栄氏を認め、ひそかに尊敬さえされていた。政治力に突出した角栄氏
の評価は功罪半ばである。バランス感覚を欠いた政治は、金権政治と批判をされはしたが、最
近、角栄氏を見直す声も多い。特にその政策形成能力、決断力、実行力の待望である。若き青
年代議士の頃、石原慎太郎氏は青嵐会を組織し、田中政治糾弾の急先鋒に立って暴れた。し
かし最近、『天才』と題し、政治とは何かという視点から田中角栄氏を見直している。この点、知
性豊かな中曽根氏には冷たさを感じる人もいたが、トータルなバランス感覚があり、多くの政治
的実績を残したそつの少ない政治家であった。
中曽根氏は、アメリカ型大統領制民主主義、シンクタンク機能を重視した。米国では政権が
変わる度に旧政権を担った官僚が、10万人規模で入れ替わる。彼らは大学、シンクタンク、
NOG、企業等を拠点に巻土重来を期し、政策形成能力を磨き、充電をする。富士山の頂点の一
部の政治家の移動だけで、そのすそ野の膨大な官僚たちはほとんど動かない日本とは大違い
である。これでは「省益あって国益なし」の省庁や大企業に変革を望んでも無駄であろう。益々
国際競争力の激しい荒波を日本丸が乗り越えることができるかが問われている。自民党は「自
由」や「民主」の看板を掲げることからすれば、米国型政治を模範としているかのようだ。しかし
国会の上げ足取りの不毛な議論、民主主義なら1票でも多い方に従うのが民主主義のルール
なのに「多数の暴力」とか「心情倫理」を掲げて、テレビ向けのやらせの抗議はやまない。 矛盾
の多い政界にあって、初心を曲げることなく、絶妙な舵取りをし、祖国日本再建のために粉骨砕
身の努力をされ、長寿を全う、大往生をされた中曽根閣下であった。中曽根元総理の国葬は、
我々が見失いつつあるもの、人生で何が最も大切なのか?日本の誇り、人間の尊厳性を思い
起こす厳かな式典で会った。
中曽根先生のご冥福を皆様と共にお祈りいたします。
令和2年10月17日
NPO法人 未来構想戦略フォーラム
地球市民機構(GCI/CNU:市民国連) 共同代表 大脇準一郎 拝
「良い未来」 Sat,
17 Oct 2020 09:58:32 配信
参考サイト:
【中曽根元総理の追悼文】 前編
【2020年頭抱負を語る会】
【政策構想フォーラム】
大脇アーカイブス
「市民国連の歌」
第2回日韓親善友好音楽の調べ
「比較文化論(日・韓・米)」
「韓日の“「恨”に寄り添って」
「アジアの未来構想を語る」
== 当日の様子・報道記事 ==
葬儀式典を見逃した方へ。動画(1時間47分をご覧になれます!)
◎録画: https://live2.nicovideo.jp/watch/lv328515504
*数字は葬儀開始からの経過時間、()内各所要時間。
「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀生中継
○日 時:令和2年 10 月
17 日(土)14:00~15:05(1h5’)
○場 所:グランドプリンスホテル新高輪国際館パミール
○備 考:「生前のお姿の映写」は参列者入場時に上映
一, 御遺骨式場到着 14:00
一, 開式の辞 葬儀副委員長(内閣官房長官)
一, 黙とう
一,
追悼の辞
葬儀委員長 総理大臣 菅 義偉
20:00-25:40 (5分40秒)-
衆議院議長 大島 理森 27;15-28:30 (1分15秒)
参議院議長 山東 昭子 30:35-33:00 (2分25秒)
最高裁判所長官 大谷 直人 35:10-36:10 (1分)
友人代表
渡辺恒雄(山口寿一代読) 37:50-41:40 (3分50秒)
一, 天皇皇后両陛下お使御拝礼
一, 御供花 皇族各殿下
一, 献花(指名) 葬儀委員長
喪主・御遺族,衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官,友人代表
渡辺恒雄
葬儀副委員長:元自由民主党総裁(海部氏、河野氏、森氏、小泉氏、福田氏、
谷垣氏、安倍氏)衆議院副議長、参議院副議長
国務大臣(葬儀委員),各党代表,外国人参列者(代表)
一, 御遺骨お見送り 15:05 その他の参列者による献花
以 上
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中曽根元首相の合同葬、菅首相「改革の精神受け継ぐ」 2020/10/17
昨年11月に死去した中曽根康弘・元首相の内閣・自民党合同葬が17日、東京都内のホテル
でしめやかに営まれた。秋篠宮ご夫妻をはじめ、各界の代表ら約640人が参列し、日米同盟の
強化や国鉄民営化などに尽力した元首相に最後の別れを告げた。
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加藤官房長官の開会の辞の後、葬儀委員長の菅首相は「次世代の我が国の姿を見据え、必
要な改革を実行され、国際社会の平和と繁栄に貢献された」と功績をたたえた。その上で、「先
生が推し進められた改革の精神を受け継ぎ、国政に全力を傾けることを誓う」と決意を語った。
続いて、衆議院大島衆議院議長、山東参議委議長、大谷最高裁裁判長ら三権の代表が短く述
べた。山東氏は愛惜の情抑えがたく、個人的な思い出を短く述べたのち、参議院を代表して追
悼の辞を述べた。
友人代表、渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表主筆の追悼の辞は、山口寿一社長が代読
した。渡辺氏は、中曽根氏について「私の師であり、8歳上の兄であり、六十余年にわたる私の
唯一の、畏敬した友人だった。熱心なカント哲学の信奉者で、私と信奉する哲学の中心概念が
偶然にぴたり一致していると中曽根氏が語ったのは驚いた。」と振り返り、カントをなぞるように
生きてきたというと中曽根氏と共感するカントの実践理性批判「わが上なる星の輝く空と、わが
内なる道徳律である」を中曽根氏の著書の中から紹介した。また、中曽根氏の句として知られる
「くれてなお 命の限り 蝉(せみ)しぐれ」に触れて「94歳の私にとって心の支えになっている」と
も、述べた。「今あなたのいる星輝く天界で、近くお目にかかるのを楽しみにしている」と盟友を
悼んだ。
天皇皇后両陛下、上皇ご夫妻それぞれの使者の拝礼、秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方
の供花に続き、三権の長や、安倍前首相を含む首相経験者、各党代表らが献花を行い、最後
の別れを告げた。 {以上ネットより編集:文責大脇}
令和2年10月17日、秋篠宮皇嗣同妃両殿下御臨席の下、菅総理は、都内で行われた「故中
曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀に参列しました。 総理は、黙とうを捧(ささ)げ、追悼の
辞を述べた後、献花を行いました。 総理は、追悼の辞で次のように述べました。
動画(7分4秒) https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/actions/202010/17funeral.html
葬儀の写真、総理の追悼文の下に動画はあります。ボタンをクリックください。
故中曽根康弘先生の内閣・自由民主党合同葬儀が行われるに当たり、謹んで追悼の辞を捧げ
ます。
中曽根先生は、大正7年に群馬県高崎市にお生まれになり、長じて内務省に勤められたの
ち、先の大戦を経て、昭和22年、政界に転じ、28歳で衆議院議員に初当選されました。以降、
連続20回の当選を果たし、科学技術庁長官、運輸大臣、防衛庁長官、通商産業大臣、行政管
理庁長官と要職を歴任され、56年にわたって国政の中枢で御活躍になられました。
先生は、昭和57年11月に内閣総理大臣に就任され、戦後政治の総決算を掲げ、従来の基
本的な制度や仕組みなどについて、新しい時代を迎えるための体制整備を実行されるなど、約
5年間にわたり、その重責を担われました。
御就任当時は、東西の軍事的対立や世界経済の低迷、貿易摩擦の顕在化など、世界の荒波
が我が国に打ち寄せていた時代であり、国内的には、内閣制度創設から100年、終戦から40
年という節目を迎える中で、急速な高齢化が進むなど、社会構造の大きな変化に伴う新たな困
難に直面していました。このように、国内外にわたる大きな転換点に当たって、先生は次世代に
向け、全身全霊を傾けて新しい道を切り開かれました。
特に、内政面においては、行政改革を最重要課題の一つとして位置付けられました。行政の
肥大化を抑制し、民間の自由な創意を発揮させるとの観点から、日本国有鉄道の分割・民営化
や、日本専売公社及び日本電信電話公社の民営化を断行されました。 また、増税なき財政再
建の基本理念の下、行政経費の節減、予算の効率化を図るなど、経費の徹底的な節減合理化
と財政の健全化を強力に推し進められました。
外交面では、国際社会の平和と繁栄に積極的な貢献を行うとの立場から、米国を始めとする
各国との関係強化を推進し、我が国の国際的地位を大きく向上されました。 先生は、結縁、尊
縁、随縁という3つの縁を大切になさっておられ、多くの人と縁を結んでこられました。特に、今
は亡き奥様を始め、御家族の皆様との強い結びつきを思い起こさずにはいられません。長年に
わたり先生を支えてこられた御家族の深い悲しみに対し、心からお悔やみ申し上げる次第です。
中曽根先生は、次世代の我が国の姿を見据え、必要な改革を実行され、国際社会の平和と
繁栄に貢献されました。先生が推し進められた改革の精神を受け継ぎ、国政に全力を傾けるこ
とをお誓い申し上げて、お別れの言葉といたします。どうか安らかにお眠りください。」
合 掌