南米移住地を訪ねて(2)

国際協力に日系人の力を!
 -イグアスパラグアイ・日系移住地からー


                     国際企業文化研究所  所長 大脇準一郎


親日的なパラグアイ

昨年、8月より約半年の間、パラグアイに寄留した。パラグアイと日本との関係でまず気付く
ことは 他の省庁が出向する隙間も無い程に、外務省傘下のジャイカ(JICA,国際協力事業団)
がしっかりパラグアイに 根を張っていることである。このことは、明治以来のわが国の移民
政策の歴史と深く拘わってる。 1908年、笠戸丸で南米ブラジルに781名の日系移民の移住以来、
明治政府の国策に乗って、1934年には日系ブラジル移民は18.3万人にも達した。ところが大量
に日系移民を受け入れたブラジルにおいても、この年、移民ニ部制限法を制定、日本移民閉め
出しをターゲットにした黄禍論が沸騰し 急遽日本政府は代替受け入れ国を探さざるを得なっ
かった。この時、受け入れに応じてくれたのがパラグアイであった。

こうして、1936年、第一陣のパラグアイ移民10家族がブラジルから転出して始まった。しか
し、パラグアイへの移住も太平洋戦争の勃発によって中断し、123家族790人に止まった。戦後
も、国内に溢れた労働力の移転先を探していた日本政府にいち早く、応じてくれたのは、1954
年、パラグアイであった。

 1956年発足した、日本海外移住振興株式会社(JICAの前身)が移住地を次々に購入し、
入植事業がが本格化し、日系移住地はJICAとともに発展した。1959年の日・パ移住協定では8.5
万人の日本人移住者の受け入れが認められているが、現在6,805人(1997年)の移住者が7つの
日系移住地を中心にパラグアイに定住している。

今回、帰国のおり、「イグアス移住地が一番元気が良い!」とのJICAの薦めもあって、イグア
ス移住地を訪問することとなった。


機械化農業の夢

突然の訪問にも拘わらず、窪前勇組合長(愛媛県出身)は、3日間、ご多忙な中、インタビュー
に応じて下さり、施設の案内、又パークゴルフ、カラオケなどにご招待下ださり、恐縮した次
第である。窪前組合長は1960年、14歳の時、機械化大農業の夢に憧れ、当初反対した父親を説
得し、家族で移民。ようやく農業が軌道に乗り始めたころ、強盗に襲われ、父親を惨殺された
り、自らもトラックターにバイクで正面衝突の瀕死の事故、さらには、金策でアスンシオンか
ら帰路の途中、運転手の居眠り運転で、運転手は即死、本人も大腿骨以下切断等、数々の試練
に遭遇された。

特に足を半分失ったとき、「農業は弟に任せては?」との忠告もあったが、「足がなければ人
を使えば良い」との発想の一大転換を図られ、一農業経営者から大きな組織のリーダーに跳躍
される道を拓かれた。今は、360町歩〔組合員平均、270町歩、トータル8.77万ha〕の土
地に若き頃からの“機械化大農業”の夢を実現されている。

今、日系パラグアイ移民は 何度目かの危機に立っている。20年ほど前、機械化大農業へ転
換を図る折りにも投資資金がショートし、移住地解体の危機だった。しかしこれは当時の日系
指導者、小田義彦農協中央会会長〔当時〕のなりふり構わぬ、捨て身の陳情が活路を開き、一
部の外務官僚の反対を押し切り、パラグイ開発銀行を仲介としてパラグアイ側に大形円借款融
資という政治的特例をもって乗り越えた。

今回、1昨年に続く大豆、小麦が旱魃のため、大幅に収穫減量、おまけに国際相場も下落し、3
年前のおよそ半額(59,2%)である(‘97年、1トン当り、286.4ドル、’99年、1トン当り
169.6ドル)。パラグアイの輸出は、‘98年の統計によれば、90%以上が農業品目で、大豆だけ
でも輸出総額の44%を占めている。このことの持つ意味は深刻である。昨年、、イグアス農
協は再新鋭の製粉工場を稼働させた。今、小麦粉から乾麺をそして、残りのふすま〔約30%〕
を利用して、飼料工場を準備中である。

堅実経営、、トラックターを朝7時から、夜7時までは、パラグアイ人、夜、7時から翌日の朝
方7時までは自らが、まさに夜を昼に継ぐ、世界に著名な日本の“猛烈社員”顔負けの勤労ぶ
りで、数々の試練を乗り越えられた窪前組合長は、今度は農業加工によって、組合経営の安定
を計ろうとされている。「“あんちゃん”〔窪前氏のニックネーム〕は片足が無いのに頑張っ
てやっている! カタワ者に負けては行けない!」と組合員達は発奮している。先日、NY,
紅花レストランオーナー、ロッキー青木氏から「虹への挑戦」と言う本を頂き、一気に通読し
てその生き様に改めて感動した。アメリカンドリームを追って、数々の試練を克服して絶えず
未来へチャレンジする不屈のチャレンジャー、“アメリカン・ヒロー、”ロキー・青木と共通
する“男らしさ”を窪前組合長の生き様に感じる。


パラグアイの農協の将来像

イグアス農協、パラグアイの農業にとって、大いなる助け人は、久保田洋史農協中央会会長で
ある。久保田会長は日本の全農、全中、北海道、十勝、しほろ農協らの協力を取り付け、米州
開発銀行、農牧省の助成も捕りつける。 内の守りの窪前組合長に対して、久保田会長はグロー
バルなビジョンを描きながら、攻めの対外的交渉をされている。

「右よりの政治家は右手で盗み、左よりの政治家は左手で盗む。中道の考えをする政治家は両
手で盗む。」と言われるくらい、政治家が駄目なこの国で、“どのように、農業政策を遂行す
べきか?”、“海外企業のパラグアイ進出の受け皿をどう構築できるか?”、久保田会長は、
農協組織がもっと交渉力を持つために、その一手段として合併及び組織の連帯化を薦めるべき
と考えている。パラグアイでは、法律で見とめれているのは、コンパコップ(全共同組合)と
言って、自動車、建築、全ての組合組織の連合体で、産業別全国中央会は認めれていない。 
法律改正できるまでは、協会を作って、ドイツ系、スイス系の農業団体と連携している。

“ドイツ系と比べ、日本の社会は未来の戦略がない。自分達だけで小さく纏まろうとする傾向
がある。農協の将来にとって、重要な課題はリーダー、後継者養成である。”と久保田会長は
考える。
 Ⅰ昨年、ブラジル最大の日系コチア農協が倒産した。創業者精神(目的を持って直向きに生
きて行く精神)が薄れ、高給を取って、勤め時間を済ます、官僚的、守りの体制になってしまっ
たので、衰退したと言える。 今、コチア農協経営の農業学校は、、米州開発銀行から米州
開発銀行から680万ドルの援助資金をもとにオイスカの手によって、新たな次元から、農業指
導者養成を計る、農学校に生まれ変わろうとしている。久保田会長は、仕事上は、日本、米
国に関心が向いているが、個人的には、水の無い、乾燥地で、見事に園芸を行っている、イ
スラエルに関心を持っている。特に、イスラエルのトマト栽培、点綴技術などである。


日本農業の課題

小生は日頃、日本の農協のあり方に疑問を抱いている。

 農〔土地〕を離れ、農協を組織的に統合することにより、資本を大きくして、利鞘で生き延
びようとの経営方針は金融業者となんら変わりない。大蔵省主導で農協が貸した住宅禁輸公庫
の焦げ付き金はその後、どうなったのであろうか? もっと農協は農に徹して資本を投資すべ
きではなかろうか?工業製品のコストダウンのために企業は、労働力コストの安い、海外へ工
場を移転して、国際市場競争での必死の生き残りを図っている。農産物のコストダウンのため
に、農業の国際進出・移転もあっても良いではないか?

10月末、NYで、20世紀梨の売りに見えた鳥取県知事一向とお会いした。20世紀梨は、今や、
蜜柑や林檎を押さえ、海外輸出果実第1位とのこと。小生の故郷、鳥取県八頭郡でも、夏近く
なると、山の裾野一面、害虫駆除ための明かりが、夜通し灯っている。コスト削減の意味で、
いっしょに見えた花本美雄全農副会長に20世紀梨の南米現地生産の可能性に就いて聞いてみ
た。「帰って考えてみる価値はある。」とのご返事であったが、その後はどうであろうか?

現に、20世紀梨は、ブラジルのサンタ・カタリーナ州、ラーモス日本人移住地(標高900m)
で生産されている。日本よりも甘い梨が採れると言う。小川和己さん(70才、長崎市出身)
始め、30家族が,20haの畑で、昨年は1万箱出荷。昨年は、1箱12個入り、5kgで2400
円、日本と大差ない高値で完売。今年は2万箱出荷の予定である。ブラジル人の中にも日本製、
梨栽培を始める人も出始めた。林檎のように、大規模生産、国際競争になるとの見通しを現地
の日系新聞は報道している。ブラジル人も確かに、南米の現状は農協の海外進出には基盤が整
備されていない。

しかし、開拓移民の歴史が物語るように、困難な情況を開拓してこそ、明るい未来は拓かれる
であろう。また、南米では、農業を通しての国際貢献程、波及的効果のある国際協力はあるま
い。現に、久保田会長のように、日本やアメリカ農業の資本参加の基盤造りを真剣に考えてい
る人々も居るのである。


地域社会に貢献する日系団体

1995年、農協の外郭団体として「イグアス地域振興会」を設立(久保田組合長の時代)。
イグアス市、9,500人中で906人、一割弱の人口を占める日系移住地として、地域の振興に努め
ている。経済的に苦しい小農家が多く、彼等に、農機具の貸与、肥料の安価提供(彼等は肥料
を4倍も高く買わされていた)。地域貢献を通して、魅力あるふるさと作りを目指して取り組
んでいる。

農協とともに、イグアス移住地における3本柱の一つ、行政的柱は、日本人会である。深見秋
三郎会長は、日系社会の生活維持に忙しい。

 治安、公園管理、道路工事から日本語学校、日系診療所、老人ホームの運営、さらに採石場
の経営までカバーしている。
移住地の3つ目の柱、ジャイカは移住地を斡旋した手前上、日系移住地農業の発展のために、
1962年、農業試験場をイグアスに創設、畑作、野菜、畜産、これに関連する土壌、病虫害
の問題解決を図っている。特に、1982年より、イグアス移住地の、移住者が不耕起栽培を始め、
土壌流失防止、安定した高収入を確保できるため、パラグアイ全土に普及するのに大きな役割
を果たしてきた。今、牧草地を大豆を輪作することにより、土壌が改善されることを証明し、
輪作の普及に努めている。


地域活性化の三要素

小生は、90年代初期、自治省の協力の下に、有識者グループと全国地域づくりを研究する機会
があった。数年間の調査の結果、地域活性化には、三つの要素が共通していることを発見した。

一つは、アイデンティティーの確立、雪であれ、流氷であれ、辺鄙な田舎であれ、木であれ、
駄目な要因と思われていたものを視点を変えることにより、新しい意味を発見すること、“価
値観の転換と新しい価値観の確立”である。

二つ目は、交流と学習を通じての、人材養成、このための機関〔塾〕、建物〔研修センター、
館〕を作り、価値観を共有し、ビジョンを発展させること、三つ目は、行政主導型から、行政
参加型への転換、住民の自主性、自立性を重んじ、住民主体、行政が背後からホローするといっ
た、住民のニードを吸収した、新しい政治手法の導入である。イグアス移住地がなぜ元気なの
か?

この問いに対する答えは、まず夢を描き、いかなる困難をも乗り切る、チャレンジ精神旺盛な
指導者の存在、農協、日系人会、ジャイカのチームワーク、また、移住地としては、7つの日
系移住地のうち、5番目〔〔1961年8月入植開始〕比較的新しく、いろんな移住地から移
動して来た家族も混じって、多様性があること、さらには、不耕起栽培、大豆を取り入れるこ
とによって、パラグアイの農業の明るい未来を開いてきたという自信と誇りであろう!先に述
べた、地域活性化の三要素から建設40周年を来年迎える、イグアス移住地への提言は、以下の
三つである。

1〕、過去40年の間に、日本もイグアス移住地も大きく変化した。 祖国日本が敗戦の興廃か
ら不死鳥のごとく甦り、今やODA援助額においては、世界第1の国際協力国である。スペイ
ン語を始め、現地の事情と生活に慣れた日系人が仲介となって、パラグアイ国に貢献するよう
“祖国から何を得るかでなく、祖国日本に、何をなし得るか?”価値観の転換、新しい価値観
を確立されることである。

2)交流と学習の面で、たとえば、日本語教育、スペイン語教育の不備を心配される声が聞か
れるが、チャコ地方、ドイツ系のメノナイトのように、徹底したバイリンガル教育を実施する
こと。ブラジルの日系社会を対象とした“ハーモニア”、渡辺つぎお校長は、全寮制の下、ポ
ルトガル語、日本語、スペイン語、英語、4ケ国語をこなせる有為な人材養成に励んでいられ
る。日系人会館は単なる、行事のための式典会場から、研修センターに移行、教育的機能を強
化すべきであろう。

3)世界どこの開拓地でも、女性と子供が、忍耐と犠牲をを強いられてきた。女性や青年が逃
げて行かない、あるいは集まってくるには、彼等のニードを汲み取るが必要である。“女性主
体、青年主体の行政参加型の新しいシステムをどう作るのか?”今後の課題であろう。 婦人
部や青年部の代表の方々に、日本での事例、「ふるさとつくり」最優秀賞を受賞した熊本県、
小国町の主婦グループの話をした。彼女達は木魂館〔研修センター〕内のレストランで世界の
料理を提供、全員調理師免許取得している。第三セクター、悠木産業株式会社を創設。林業か
ら生産加工、建築まで一貫して教える。町出身の若者が次々とUターンし、平均年齢32歳と言
う若さである。このような証しはいくらでもインターネットを通じて、見られるから、インター
ネット導入の話をしたら、婦人会の代表の方々は、目を輝かせて、コンピューター操作技術取
得に意欲を燃やしていらっしゃった。


国際協力に日系人の力を!

農業試験場は、171haの敷地に最新鋭の実験設備、各種実験農場がある。この施設も、近
い将来、パラグアイ政府に移管される。ところで、JICAが管理運営している間はうまく機
能しても、政府に移管されると数年にして、興廃すると言う例をパラグアイ各地で、見聞した。
高度な器具、施設ももこれを運用する人間側のモラル、人材養成が出来ていなければ、活用さ
れない。 JICAのプロジェクトの趣旨を永続させるためには、先にも述べているように、
日系人をパラグアイ人と日本政府との仲介者とすることである。イグアス農協が始めた、地域
振興会の活動もここを拠点とすれば、効果は倍増することだろう。農業実験場を農業指導者の
養成センターとし、イスラエルのキブツのように、世界からボランティアを受け入れれば、ス
ペイン語、農業技術の習得、長期間、安価な南米体験をすることに関心のある、若者達が集っ
てくることであろう。イグアス移住地は、今からそのためのビジョン作り、受け皿の準備をさ
れることを期待したい。

出発の朝、窪前組合長の、大邸宅、マカダミアナッツの木が立ち並び、蘭の花が咲き乱れる、
広い庭先を垣間見させて頂き、グアラニー空港を見学した。 「一商社マンの見たODA」と題
する日本の国際協力フーラムで、このグアラニ―空港のことが話題になったので、関心があった
からである。日本の県レベル空港と比べることが出来ないくらい、大きく、華麗である。イグ
アス移住地から20分、道の舗装も快適である。この国際空港は、1日、7便、(国内4、海
外3)飛んでいるという。日本で発題者から「乗る人もいない空港で、降り発つ飛行機を見る
ために、インディオがジャングルから出てきて眺める動物園のようなものである」と聞いてい
たが、見渡す限りの平原、ジャングルは見当たらない。

 「ODA、100億円でボリビアに立ち上げた国際空港に刺激を受けて、イグアスにも計画。、
ここでも、100億円、実際は30億しかかからないのに、70億はどこかに消えてしまった。」
との先のレポートが本当かどうか?もし、舗装された道路も含めるとすれば、相当費用もかかっ
たことであろう。窪前組合長も、「日本から調査といって2~3度、訪問があったが、まさか、
こんなでっかい国際空港が出来るとは思わなかった」と当時を述懐する。お蔭で、イグアスの
日系人が母国に里帰りするにも、グンと日本が近くなった。「近くに世界最大のイグアスの滝
もあることであるあし、グァラニー国際空港を利用して、イグアス移住地を一大観光農場にし
てはどうか?」との感想を持って、イグアスを後にした。