南米:パラグアイ持続的成長プロジェクトとブラジル日系人の活動
   
―3年間の歩みと展望─(1998年8月1日~2000年12月)
       

1、小生、199981日、12名のメンバーとともにパラグアイ・オリンポ会議に参加できたことは、今、振り返っても、大変な光栄でした。江島さん、池野さんらと報道記録班を編成し、81日からすべてのスピーチを収録し、コンピューターに打ち込み、以後この内容がプロジェクトのテキストとなっていることはご同慶の極みです。

2、会議後、小生はマスタープラン作成のための情報収集班として阿部、林氏等とアスンシオンへ出張。その後1月まで6ヶ月パラグアイに留まり、情報収集に当たった。

 この間の情報は適時、ネットを通じてプロジェクトの進行状況とともに日本に報告。この記録は一部新聞報道しましたが、ネットのサーバーに保存されていますので、近日中に編集して提出することを検討しています。

3、1月末、日本に帰国、ブラジル政府との対応のため、一時米国大学の協力で環境経営学大学院通信教育プログラムの準備を依頼され、日本事務局を設置。教科書の一部の翻訳を7人のメンバーと手分けして進めた。「パンタナール」国際会議の英文原稿を邦文A-4版、約67ページに、さらにこれを8頁に要約してダイジェスト版(日本語400字字詰め30枚)を発行。 山崎博氏が水郷研究所のホームページを開設(http://waterland.tripod.co.jp/)。この論文を紹介しているが、NHK,TBS等のディレクターがアクセスしてきている。

4、上記の通信教育プロジェクトで石川県金沢市では英国・国立ウールズ大学で「環境経営学コース」の通信教育をやっており、教授の中にパンタナールプロジェクトに関心を持っている人もいる。国連大学、企業も環境経営に力を入れており、先日101日あった国連大学での環境経営国際会議では多くを学んだ。心の変革、社会正義の問題(共義・共栄)の道義問題とともに万物に対する愛、循環、エコシステム、(共生)の必要性を改めて痛感した。

5、小生、昨年末、一ヶ月以上、日本の空けることなり、2月帰国しました。ブラジルでは、日系130万の全国都道府県連合会の会長、西谷氏、元南米銀行幹部、山根氏、松本サンパウロ、JICA事務所次長(いずれも鳥取県出身)等に接待を頂いたり、日本の鳥取県ブラジル友好会の方々(元知事、県企画部長等)、日本ブラジル協会、日本パラグアイの歴代ブラジル大使、駐日ブラジル、パラグアイ大使等、企業の幹部等とも親交を深めることが出来たことは収穫でした。 日本と南米を繋ぐ国家的貢献に関心を持っている。

6、昨日と今日、190団体が出席して「第11回国際協力フェスティバル」が日比谷公園で開催さる。NPO法人も免税措置ができるようになった。世の中は、NPO/NGOを政府も民間も支援する方向に驚くべきスピードで変貌している。“社会から歓迎されるモデル的NGO/NPO活動の創造”、我々がその先頭に立って日本の希望ある未来を拓くことに関心を持っている。

7、また昨日は、ブラジル投資セミナーで驚くべき出来事があった。東大を出てからベンチャー企業立ち上げ業ひと筋に歩んできた小谷社長が、アルコール燃料を中心としたスタンドを200店舗ネットワークしているが、石油業者から政治的妨害が入り、経営危機に面している。11月6日のブラジル投資セミナーで、JETROの仲介により、ブラジル政府が、「アルコール燃料輸出のために彼のやってきたことを支援したい」と来日していた担当大臣から申し出があった。「窮すれば通ず!」とは、このことではないかと感銘した。なぜブラジルは、融資したいのか?ブラジルは、輸出か、死か?と切羽詰った国情にあり、日本への出稼ぎ25万ドルのブラジル銀行日本支店の預金は日本銀行で換金しないとブラジルへ送れない。レートの欠損を考慮すれば、ブラジル政府がこの在日滞貨を日本へ直接投資したほうが有利との本音があることを知った。小生の役割は、人と人、国と国を結ぶ仲介業にその意味があるように思われる昨今です。     
                                        以上    2001107日 記 大脇 準一郎   

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日伯文化交流
              200011月         大脇準一郎

 1、ブラジル日本会議

200011月、ブラジル永住権更新のためにサンパウロに1ヶ月程滞在した。その間、1125日、ブラジル日本会議発会式が行われた。ほとんどが母国日本に熱い思いを寄せる日系1世、2世の高齢者の集まりであったが、そのなかに日伯両国家を斉唱するべく、松柏学園・大志万学院の生徒26名の姿があった。その中の1人、大野真由美・リアナさんが、若人の祝辞として流暢な日本語で、日本文化のすばらしさを述べた。小生と松柏学園との出会いは、この時が始めてである。この会の新任会長は、元連邦議員、現、パラナ州日伯商工会議所会頭、上野義雄アントニオ氏である。
 「日本会議」は、前身団体である「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」とが統合し、平成9年5月30日に、東京で結成された全国ネットワークの国民運動団体である。

上野氏は、「悠久なる歴史に育まれた伝統と文化を継承し、健全なる国民精神の交流を期す」との綱領、「教育に日本の伝統的感性を取り戻し、祖国への誇りと愛情をもった青年を育成する」との基本方針に共鳴を覚え、日本会儀に参加したのだという。

また氏は、日系移民92周年を迎えて「日系コロニア社会でも、日系人同志の協和意識が希薄になってきている」現状を憂え、日系人、日本人の特性である、優秀で勤勉な民族性がブラジルの政治。経済界に大きく開花し、“21世紀の大国ブラジル”の早期実現に寄与することを願う」と挨拶。

2、松柏学園

 松柏学園、川村眞倫子園長は、ブラジル日本会議の副会長の1人である。日系2世である川村園長は、親族訪問の母親に連れられ、1940年、13歳のとき、一時帰国。ところが第二次世界大戦が始まり、最後の汽船に乗りそびれ、日本の地で戦争を体験。自分の国籍、ブラジルを隠して、ブラジルの敵国である日本の軍事工場で働くことを余儀なくされる。防空壕でのあさましい体験、等、数々の残酷な体験をした彼女は、このような惨めな思いを子供たちに及ぼしてはならないと、がブラジル帰国後、学園を設立し、日本文化と歴史を伝えることに教育的使命感に燃えている。彼女は、ブラジル人は、日本人の根性に見習うべきであり、日本人はブラジル人のおおらかさに学ぶべきであると言う。二つの世界をこよなく愛する彼女の情熱は、平和への願望と日本的伝統の美しさ、これを子供たちに伝えたいという教育愛でると言えよう。松柏学園・大志万学園には、保育園・幼稚園、初等・中等教育に学ぶ生徒、140名がいる。高校生は、隔年日本に、40日間来日し、日本文化と伝統を学びながら、ブラジルについて反省する機会を与えられる。本年も115日、16名の一行が来日し、東京、明治神宮会館で歓迎会が持たれた。当日は、歌のおばさん、安西愛子先生を始め、100人ばかりの有識者がと集った。ここでも松柏学園の生徒代表が日本の印象をスピーチ、日本でもう急速に失われ行く日本的伝統を伊勢神宮や皇居参拝の体験を感動的に語る高校生に、参加者も新しい感動を覚えているようだった。

  小生、この124日から「ブラジルにおける日本の国際協力の現状」調査のため、1週間ほど、再びサンパウロへ出かけた。鳥取出身の本橋さんは、東山農場(三菱創設者、岩崎家3代目当主、岩崎久弥による開拓事業の1つ)の3期生として、ブラジルへ移住した方で、獣医である。現在は、魚の餌を供給するリベルダージュにある会社に勤務されている。同じ鳥取出身の松本、JICAサンパウロ次長の運転で、本橋さんが元の古巣、東山農場を案内して下さった。

  記念館には、吉田茂、中曽根康弘、力道山、新珠三千代、越路、古いものでは、島崎藤村等、多くの著名人のサインがあった。岩崎小弥太は、見渡す限りのコーヒー園の小高い丘に一心亭という展望台を作り、ここでお茶 やバーベキューを楽しんだという。

 この本橋さんのお子さんが、いずれも松柏学園に通ったため、父兄として長年、松柏学園をお世話されてきた。本橋さんの案内で松柏学園を訪問。あいにく川村園長は日本から帰国されておらず、不在であったが、娘の真由実 さん(校長)が、3つのキャンパスを案内くださった。 いずれも普通の人家の借家であるが、今、に本会議の篤志家の協力で、新校舎建築中である。

  冬休みに期間中であるのも関わらず、24名の教職員達は、生徒の教材作りに余念がない。 嬉々とした表情から、園長の薫陶がよく伝わっていると感動した。 2月8日、日本に帰国後、ブラジルへ帰国間じかの川村園長 と再びお会いした。

  日本一と小生が、尊敬する、教育者をご紹介するためである。日本教育史を専攻され、教育一筋に賭けてこられた先生は、この3月「人が育つ喜び」という本を出版される。先生によれば、「教育は、時間をいくらかけたかで はなく、魂のふれあいである。」と吉田松陰、クラーク博士の例を挙げられる。弟子との出会いは、いずれも半年、1年に満たないのである。 松柏学園の発展に対して、何も出来ない無力な私であるが、せめて学校の発展を 祈念したい。

3、日本語

  ある学校関係者から、ブラジルから日本へ一時訪問している日系人を紹介された。  ブラジル柔道監督、会うなり、「日本人の国際化のためにぜひブラジルに日本文化を教える日伯学園を作るのを応援して欲しい」と依頼された。  明電舎、を始め日本企業のブラジルでの失敗は、日本人の国際化問題と深い関係がある。 日系人の経験をぜひ後孫に伝えるために・・・・(以下省略 )                                                                                                                      

「オイスカから学ぶ教訓」2001年3月     大脇準一郎

 問い:ウルグアイ堀本です。いつも大切な情報をタイムリーに配信くださり感謝しております。もう少し詳しく聞きたいことがあるのですが、もしお時間がおありであればお答えください。 

  “コチア農協農学校を相続したオイスカ・ブラジルは、米州開発銀行から6.4万ドルの6割り、約4億円を引き出し、メルコスール農業青年育成に励んでいる。そのキー・パーソン、渡辺氏とのインタビューからNGOの在り方について多くの示唆を得た。”(大脇)
問い: 今後のNGOのあり方に付いて多くの示唆を得られたとの事ですが、具体的にどのような内容だったのでしょうか? 

 お答え:未だに十分な状況ではありませんが、記憶も薄れ、資料も散在してしまいますので、8つの項目のうちの1つにつき、あらましをお伝えいたします。

 1)、まず、学ぶべき点は、渡辺忠氏(57歳、小生と同年輩)がこの36年間、一貫してボランティ活動を継続され、今、その長年の蓄積の頂点に在られると言うことです。 渡辺氏は、オイスカインターナショナルを代表して、国連、諮問クラスのNGO、代表であられ、国連や世界銀行などの国際機関、国内の外務省、大蔵省と渡り合う信用基盤となっています。我々も、渡辺氏に負けないほど、青春を賭け、“為に生きてきた”はずであったが、これがどう繋がっているのか、どれほどの信用基盤を持っているのかということを考えて見るとき、反省させられる点があります。166年、食糧危機に見舞われた、バングラディッシュ、インド(インデラ首相)の要請で、17名の農業開発団を派遣、以後8年間に延べ、300人の篤農家を派遣。当時、JICA1974年設立)も無く、現地の大使館からは、「とんでも無いことをしてくれる!」「日本の恥になる」と迷惑がられた。しかし現地の人々の喜ぶ姿を励みとして、米と小麦の増産のお手伝いをしてきた。

)、次に挙げられるのが、政府・國際機関を内側から体験されたことです。渡辺氏は今日まで90ヶ国で国際協力の経験をもっているが、折に触れ、外務省や大蔵省に陳情。世界銀行、アジア開発銀行等、「国際機関で日本は どう貢献しているのか、どうも日本の顔が見えない」との渡辺氏の苦情に、「外から見ているだけでは、しょうがない。いっそ、中に入ってみたらどうか?」と大蔵省から推薦状を戴き、米州開発銀行に出向。ワシントンでの米州開発銀行勤務の体験から、外務省が使っているODAとは、別に大蔵省(日本政府)が出資しているファンド(Japan special fund)があり、多くの日本国民は、その存在すら知らない。驚くほどの巨額であるにも関わらず、大蔵省の聖域で、今年も出資額は、減っていない。このファンド(約20億ドル)は、個人または、民間企業のみが使える金である。小生のボランティア地域、バハマも、このファンドを米州開発銀行から20万ドルを頂いて、青少年の性教育副読本作りの最後段階である。日本の家族計画財団(ジョイセフ)がこのプロジェクトを推進している。

渡辺さんは、他国には日本に感謝することもなく、日本からは「金を取りさえすれば良い。日本のスタッフをワシントンに置くのも金を取る手段」との考えがあると指摘。「諸外国が、少しの出資、ほとんど、ひも付き出資であるに対して、日本は、全体出資の4割以上を出資し、しかもその8割はアンタイドである。」

このような内情を知った渡辺さんは、南米コチア農協が倒産した折、南米、メルコスールの農業後継者育成プロジェクトを提案。場所は、サンパウロ州ジャカレイ市のコチア農学校。ジャイカ、サンパウロ事務所、松本次長の案内で、サンパウロから車で2時間、現地を訪れた。鈴川行治学校長の下、既に32名の生徒が南米各地から集まっていた。若い女学生も多く、アルゼンチンから来た、女性は、家の後を継いで花屋をやるのでといっていた。また、ブラジルアマゾンからきた男子とは、炊事場から顔を出す。アシスタントの青年は、日本に研修に行ったこともあり、日本語が流暢だ。現在、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイ、メルコスール以外にもコロンビア、ボリビアからも参加。日系農業団体、をはじめ各国農業団体から推薦を受けてくるのだという。

 渡辺氏から学ぶこの第2点は、内側を知ることが出来たからこそ、640万ドルのプロジェクト予算の内、60%、約4,6億円を米州開発銀行から引き出したことである。氏は、このほかにも、コロンビアでも農業後継者育成プロジェクトを進行中で、このプロジェクトにも、1億円は、米州開発銀行から出資される。今、必要なのは、渡辺氏のような、公的資金を運用できる民間人、NGOの出現である。

今、米国では、「ODAを削減するか、あるいは、民間に移行するなら削減どころか、増額する」との審議が上院で為されている。日本のODAは、政府間ベースが全体の95%、平成元年に1億円から出発した民間ベースの国際協力も外務省の熱心な宣伝の割には、数百億円に留まっている。予算の桁が違うのではないかと思われる。ところで、今後、国際協力が、政府間ベースか民間ベースに大きく、移行しようという時代的趨勢に対して、米国と違い、日本では、オイスカのように堅実なNGO(人材、組織、活動)が育っていないことが最大のネックである。オイスカの我々への教訓は、理念(蘇生)や生活を誇る(長成)段階から活動実績(完成)を誇る段階に来ているということではないでしょうか?  

3)、渡辺氏は、「日本からのお偉方の協力は要らない。」ときっぱり撥ね付け、「日系社会にいくらでも人材がいる」と日系社会に期待する。この点、小生も同意見である。1昨年、6ヶ月、パラグアイ滞在でもそのことを痛感した(新聞に記事掲載済)。わざわざ、高い費用をかけて日本から呼ぶ必要も無く、現地の自発的自助努力があってこそ、永続的発展となるからである。

ジャイカの紹介で、ブラジル日系1800名研究者の会の佐藤会長(薬理学)とお会いした。毎年、日系学者が集まって大会をするようになったが、今年は、8月サンパウロで、第1回日伯国際会議「科学・技術、教育・倫理と人間の未  来」が開催される予定である。政府間ベースの國際協力の問題点は、数々指摘され、今後急速に民間ベースに移行してゆくであろう。南米での特殊性は、ブラジル日系人130万人、ペルー、8万人を始め、日系移民の存在であ  る。オイスカの如く、ぜひこの点に留意し、国際協力を進めてもらいたいものである。

 小生は、このバックグラウンドをもっと知りたくて、ブラジルから帰国後、杉並のオイスカ本部に、常務理事、小林雄一事務局長を訪ねた。
 オイスカの定款によれば、オイスカは、The Organization for Industrial, Spiritual and Cultural Advancement-international(産業・精神・文化の促進する機関) の頭文字を取ったもので、産業・精神・文化のバランスを保ちながら全地球的に発展させていくことが、人類の繁栄と幸福に繋がると考える。

「産業」とは、大地との関わりの深い、農業に基礎を置くもので、林業、漁業を含め、天地の恩恵を受けて産み出す業を言い、「精神」とは、この天地に生かし生かされていることを自覚し、感謝する心、そこから生まれる奉仕の精神を言う。「文化」とは、各民族が、その帰国風土の中から作り上げた生活文化を言う。オイスカは、このような理念を基に「地球上の全ての人々が、お互いの文化の違いを認め、争うことなく、地球環境と調和した良き世界を作るために協力すること」を目指している。予算規模(1999年度)は、14.3億円、(ブラジルを始め各国独立法人であり、各国でのプロジェクト予算は別)、この内、」2.37億円(全予算の28.5%)が日本政府各省庁の公的助成金。参加している国会議員は205名、経団連、日経連、関西経団連始め、各地域経済団体が支援、トヨ+タ、三菱地所、東京電力を始め、大手企業、労働組合が参画。専従員389名、オイスカインターナショナルは、1961年、財団法人、オイスカは、1969年創設。

小林氏とのインタビューで、次の点を確認した。

(1)オイスカは農業を教育として捉えている。農業指導を通しての人づくり、食料作りよりは、その根底にある心を育てることに重点を置いてきた。第二次大戦後、アジアで多くの国が独立したが。オイスカは、アジアの  国々の基盤である、農業を通じて、その国の自立、人づくり、国づくりのお手伝いをして来た。自然の造花作用、自然に優しい日本的小農法へのこだわりは、日本の伝統文化に由来する。アジアの地域には、お茶、砂糖、ゴムなどのプランテーションが戦後も存続し、このような大農法では、植民地時代からの貧富の差も解消しないし、環境破壊は止められない。プランテーションで働く農民は、単なる賃金労働者で、農産物を作る喜びが少 ない。オイスカは、大農法ではなく、日本的小農法で、自然との調和、持続可能な開発を志向する。もう一度、我々人間生活の、価値観の転換を図らねばなるまいと考える。

   小林事務機局長は、オイスカの農業を中心とした國際協力の歩みを何段階かに区切って解説。

   1966年からの最初の10年間は、インド、バングラディッシュ、フィリピン等へ篤農家を派遣。1976年からの第二次10年は、現地の青年を研修、人づくりの期間、そして、86年からの第310年は、国へ帰った研修生等 を中心とした自立を助ける国づくりに協力。1996年からの第410年は、國際協力の10年としてアジア・太平洋を基盤に、南米各地、世界にその協力の輪を広げている。

(2)特に最近、成果をあげているのが、子供の森計画である。この計画は、次世代の主役である子供達の参加による、学校単位の森作り運動である。1991年に始まったこの運動は、現在21ヶ国、2200を超える学校が参加。 子供から教師、更には父兄、国家をも巻き込み、1大国民運動に展開しつつある。オイスカは国際機関、各種団体と協力してより効果的な環境教育プログラムを創造し、よりグローバルな展開を目指している。


  4、JETRO顧問、元ブラジル財務省幹部、山中おさむ・イシドロ氏の話

          20011126日、東京              

「今日、千葉の学校用地を見てきた。今までに日本各地に5ヶ所、幼稚園から高校までピタゴラス(学校名)を作った。254万人の日本出稼ぎブラジル人が毎年40億ドル稼ぎ、ブラジル最大の収入源である。25億ドル駐日ブラジル銀行に預金されており、このお金、1500万ドルを投資し、学校を作っている。教育問題、帰国後の就職・定着問題に力を入れている。ただ96%は日本での生活はできないといっており、日本での生活を希望するものは4%に過ぎない。トヨタの「訓練センターで30人訓練、鈴木モータースの鈴木おさむ会長もブラジル産の医療ソフト開発を協力しており、日伯IT技術協力は希望がある。IDB(米州開発銀行)の金が使える。

 1)、1999年、ブラジル大統領が訪れ、日伯協定が結ばれたが、日本の交渉相手であった国営企業がすべて民営化されたので今は宙ぶらりんとなっている。兵庫・神奈川・群馬・山梨県等に説明し、県レベルでの協力関係を構築中。貿易省・JEROとコンサルタントとして仲介をしている。

 2)、ブラジルはエタノール生産技術を持っている。ガソリンにエタノールを4%混ぜているが24%までも可能である。日本は発癌物質のMTBを生産している大企業の圧力でエタノールの線はつぶされた。米国では37の州でMTB使用禁止となりエタノールへ移行する。とうもろこしからエタノールを生産する米国と比べ、ブラジルの砂糖キビ産は、五分の1のコストなので400klのエタノールを米国は伯から輸入することになる。この11月、伯、開発通産大臣が来日し、日本の4社(日石・出光・コスモ・三菱)がMTB生産中止を決めた。エタノール生産・および砂糖生産を沖縄でできないか交渉中である。エタノールは、CO2削減のクレジット、環境問題に使える。*山中氏は、千葉三郎氏のマジョンカアルコール計画にもコミット。渡辺美智雄氏、岸首相とも親交があった。

 3)、南・南協力で、南マットグロッソと沖縄は姉妹都市。今年10月のウチナンチュウ大会に州知事が来る予定であったが、来年34月に延期。日本は今、年間20万トン生産、需要は60万トンある。国内砂糖は、1kg当たり20円で、240円農林水産省から補填を受けて維持している。ただしこの補助金もWTO5年後には廃止。沖縄の砂糖工場は11の製糖工場のうち、3つは閉鎖、7つは休業、残りも年間50日しか稼動していない。中城(ナカグスク)のフリーゾーンで985%以下の黒砂糖として輸入し、沖縄で再生産する日伯共同事業ができまいか?東洋市場を目指したい。

 4)、ブラジルの穀物はウルグアイのヌエバ・パルミーラ港から年間60万トン日本へ来ている。伯の大理石。家具・ジュースなど、ブラジルのパイナップルを沖縄で加工し世界に売れば価格をダウンできる。農協とビジネスで協力したい。

 5)、開発通産大臣、マルジョ・カマラオは財務省時代の部下で親しい関係。12月末、エタノール生産に関してはO社長と段取りを決め、来年再び関係者を連れて来日するので、決めたい。ブラジル側としては、エタノール生産に関し、設備費等、融資したい。(年利27%、25年払い)

 6)、ODA,南・南協力に関して、日本人はアフリカや南米に行きたがらないので今、ブラジル人が代行している。アンゴラ、35億ドルの水力発電、現地にいるのは、日本人は5人だけで1800人はブラジル人。東チモールに森首相は1億ドル援助を決めたが行く人がいない。モザンビークも同じ。ブラジル人にやってくれと依頼がきている。今後、ODAも第3国人を使うことが益々、多くなるだろう。

 7)、今後のODA。政府間レベルよりは、各県レベルにおろす方が継続的成果が上がる。しかし、県の人はこのことを認識していない。

 8)、サンギネッティ前大統領に、今、メルコスールになったのでウルグアイではポルトガル語、伯ではスペイン語の教育が必要。この語学訓練センターの件でIDB(米州開発銀行)からお金が出るのでお話した。

 9)、同席した玉城正保氏より沖縄商工労働部、米山次長、農協、沖縄電力、仲井真社長の紹介があった。山中氏は122,3,4日と沖縄出張の予定。

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5、大脇は下記のことに関心を持っています 

 1)、高等教育の改革:国際社会の役立つ人材養成(明治以来のナショナルな国家目標をグローバルな国家目標に転換すべき)世界から尊敬される日本の再建を通じて、日本人としての誇りを取り戻す。
2)、日本国家のビジョンと国家戦略の構築、政策プロセス、実現までのシナリオ
3)、NGO/NPO、ボランティア活動の推進、環境、地域振興、IT利用、ネットワークの構築

 6、今やっていること;

 1)、、未来構想戦略フォーラム、MBAノレッジスクール講師
2)、南米、カリブ地域は始め、常時、世界100ヶ国以上の現地のNGOネットワークで情報交換
3)、人材紹介、ベンチャービジネス立上げ業会社、音楽事務所、二国間文化交流、エイズ問題と家庭再建、NPOのアドバイサー

   好きな言葉: 敬天愛人、真実一路、至誠感天