元沖縄県知事の大田昌秀(おおた・まさひで)さんが6月12日午前、那覇市内の病院で死去した。
92歳だった。朝日新聞デジタルなどが伝えた。大田さんは12日が誕生日だった。
沖縄タイムスによると、大田さんは1925年、沖縄県の旧具志川村(現久米島町)生まれ。45年、
県師範学校在学中に鉄血勤皇隊に動員され、多数の学友が戦死するのを目前にしたものの、
自身は九死に一生を得た。
戦後は琉球大教授として沖縄戦と戦後史研究の第一人者として活躍。90年の沖縄県知事選で
初当選を果たし、2期務めた。98年の知事選で稲嶺恵一さんに敗れると、2001年の参院選に
社民党から出馬。当選したものの、07年の参院選には出馬せず政界を引退した。
知事在職中の1995年には、米兵による少女乱暴事件が発生。県民の反基地感情が激化する中、
大田さんは橋本龍太郎首相(当時)に普天間基地の即時返還を要求した。政界引退後は、那覇市
に沖縄国際平和研究所を開設し、理事長に就任。沖縄戦関連の写真などの資料を所蔵・公開し、
沖縄戦を後世に伝えた。2017年にはノーベル平和賞の候補にノミネートされた。