勝田吉太郎京大名誉教授を偲ぶ会 京都大学
門下生が思い出、業績を語る

 去る7月22日、老衰のため91歳で死去した勝田吉太郎京都大学名誉教授(元奈良県立商科大学長、
元鈴鹿国際大学長)を偲ぶ会が9月1日、門下生や関係者により、京都市左京区の京都大百周年時計
台記念館で開かれた。
 最初に発起人の木村雅昭京大名誉教授が挨拶、「勝田先生は近代ロシア政治史思想史から研究を始め、
英・独・仏語の卓越した語学力と強靭な思考力で格別の業績を上げ、多くの若手研究者を育てた。一方、
論壇でも活躍し、冷戦時代に民主主義と自由を守るため論陣を張り、哲学を踏まえた独特の風格で、
日本の政治動向に大きな影響を及ぼした」と勝田氏の功績を称えた。

 黙祷の後、門下生による追想の辞に移り、最初に小野紀明京大名誉教授が勝田氏の学問について、
次のように述べた。
 「政治思想史のゼミで半年間、ドストエフスキーを読んだのは衝撃的な体験で、文学論から最終的には
彼の政治思想に収斂するのだが、これほどドストエフスキーを面白く語る人は初めてだった。研修者を志す
私が勧められたのはドイツの精神史家ディルタイで、弟子の中にナチスの協力者もいたことから、戦後は
批判されていた。何度も言われたのは『方法論を弄ぶような研究者にはなるな。方法論は研究の過程で
見つけていくものだ』で、勝田先生はまさにそんな研究者で、学問の背骨になったのはベルジャエフだった。
京大で政治思想史で助教授から教授になったのは勝田先生が初めてで、講座名を政治学史から政治思
想史に改めた。学史に付きまとう東大臭が嫌いだったからで、思想史には政治の根底にある、いわく言い
難い情念(パトス)が含まれていた。それが勝田政治思想史である。近代国家を形成した社会契約論や
リベラル・デモクラシーを、ロゴス偏重だとして先生は嫌っていた。ロックのようは理知的、論理的な思想に
対してもそうで、唯一評価したのはホッブスで、彼の政治思想の核はトゥキディデスの翻訳に付けた短い
解説にあるとした。勝田政治思想史は人間の非合理的な部分を重要視することである。その上で、論文は
論理だから、論理が破綻したら論文ではないとし、それに抵触すると叱られた。勝田論文の魅力は論理の
完璧さと、その根底にある情念への思いである」

 行政学の村松岐夫(みちお)京大名誉教授に続いて、岡本幸治大阪国際大名誉教授はゼミ生だっ
た縁で大学教師になる道を開いてもらった経緯(本紙9月10日号の社説参照)を、戸澤健次愛媛大
名誉教授は、勝田先生と同僚だった藤井高美愛大教授によって作られた、勝田先生と愛大とのつな
がりについて、中野潤三鈴鹿大教授と堀田新五郎奈良県立大教授、それぞれ両大学長時代の勝田
先生について思い出を語った。
 中曽根康弘元総理らからの弔電が披露され、最後に勝田吉彰関西福祉大教授が「9月1日はロシア
では知識の日で、先生に花を贈る習慣があり、父にぴったりの集いになった」と謝辞を述べ閉会した。

 勝田吉太郎氏の遺影が掲げられた偲ぶ会=9月1日、京都市左京区の京都大学