先般の日本医師会大講堂でのご講演を拝聴させて頂きまして、有難うございました。ご講演の後、「何か質問は無いか」と聴衆にお問い掛けをされましたが、今振り返れば、あの時勇気を振り絞って質問をすべきであったと、心残りで御座います。 先生がご講演の場で聴衆と接しられるお心が自然体であられ、また、京大にお電話した時に、取り次いで頂いた秘書の方からも、同様のお心づかいを感じた次第です。このようなお心を感じさせて頂きましたので、若輩者の小生が、拙文をお送りしても、お許し頂けるであろうと思い立った次第であります。(注1 [i])
小生は、今現在が、医学は病理学から健康医学へ、局部治療からホリスティック治療へ、対症療法から予防医学へと大転換すべき時であり、今こそ、新しいパラダイムに基づき、広く国内外に健康革命運動を起こすべき時であると痛感しています。 先般のご講演の場は、そのことに対するご高見をお伺いできる絶好の機会であったと悔やんでおります。何事を為すにも中心思想、中心勢力、中心人物が必須であり、その様な先生のご高見をお伺いできる機会があれば光栄に存じます。何故、小生が、このことに対して切羽詰まった感じを抱いているかに関しての経緯と背景について、ご参考までに、述べさせて頂きたいと思います。
1、 廣瀬輝夫先生のお手伝いを通して
世界で最初に無輸血心臓バイパス手術を成功させた広瀬輝夫先生とお会いしたのは1980年代でした。1万人以上もの “ものみの塔” の信者を無輸血で救ったので、ユダヤ系の医師から医師免許停止の圧力をかけられていた折でした。先生はここ30年近くの間、来日され、日本の医療経営の近代化、伝統医療と近代医療の融合に尽くされました。「お金持ちしか救えない近代医療ではではだめだ」と伝統医療に関心を寄せ られ世界をくまなく巡回し、医療事情を調査されました。「一人でも多くの人を救いたい」との広瀬先生の「医の心」に感銘しています。日本での国際融合医療協会の創立に当たっては、韓国の慶煕大学韓学校医崔学長の招聘をお手伝いしました。その後、神奈川県知事になられている黒岩裕悟氏も、介護医療のことを中心にお話しくださいました。この6月16日の国際伝統医療・新興医療融合協会の会合には、93歳とご高齢の広瀬先生の来日は難しくなり、小生が下記のメッセージを代読させていただきました。
鳥取県八頭高校の一年後輩の小林常雄君から、本庶先生、石村先生、山中先生のことをお伺いしています。廣瀬先生を始め、多くの医療関係者・患者を紹介しました。米国大学から共同研究の誘いがあり、今秋訪米の予定です。(注2[ii])
2、 牧野光先生のお手伝いを通して
遠山正瑛先生は、沙漠緑化に生涯を捧げられた鳥取大学乾燥地研究センターの教授で、1990年、83歳から内モンゴールの恩格貝で植林を始められ、2004年97歳で没せられるまで、毎月リュックを背負って恩格貝と鳥取を往復されていました。今年で30年が経過しますが、恩格貝の管理委員会から、「謝恩のために4~50人の中国古典芸能者を伴い、この秋30周年記念行事を日本でも実施したい。費用は自分たちが負担するから」との申し出があるとのことです。
牧野先生は、鳥取大学農学部卒業後、乾燥地研究センターでのお勤めだけではなく、遠山先生の右腕として恩格貝に同行し、プロジェクトを支えられた方です。牧野先生は、自らの不遇な環境の中から農学を学んだ経験を踏まえ、環境に恵まれない世界中の多くの青年に農業を教えたいとの熱い思いで、国際農業アカデミーの創立に取り組んでいらっしゃいます。国連OBの諸先生(廣野良吉、伊勢百代、池亀美枝子氏等)、および、オイスカインターナショナル(渡邊副総裁)等のご支援とご協力のもと、しかじか国連ECOSOCの認証が下りる予定です。
牧野先生の最大の功績は、沙漠の地下30~50cmには微生物が生息しており、これを培養することにより砂漠緑化が可能であることを発見されたことです。牧野先生は42歳の時、大腸がん、肝臓がん等4つの癌にかかられ、医者からも見放されたので、自らを実験台として微生物を探し、これを融合して、自らのがんを完治され、現在78歳の壮健なお体です。13種の微生物を培養した栄養剤は、医者から見放されたがん患者がこれを聞きつけ医者が驚くような完治をした方々が数百人います。そのうちの200人のデーターを添えて米国の機関に送ったところ、昨年、米国当局より認証されたとのことです。(注3[iii])
3、 金子和夫会長のお手伝いを通して
小生、エネルギー問題にかかわっていますが、特に原子力問題、トリウム熔融塩炉のプロジェクトに西堀栄三郎先生の頃から関わっています。最近では金子和夫会長の働きにより自民党政務調査会も本腰を入れ、昨年7月3日閣議で第5次エネルギー基本計画の一部にも取り入れられました。金子会長は資金が集まり次第、専門家とともにカザフスタンへ行き、ソ連時代の熔融塩炉を活用してトリウム原発の実用化に挑戦する準備をされています。今日まで、お金がある所に知恵がなく、知恵のある所にお金がない現実をいくつも見てきました。(注4[iv])
4、 深井利春社長もお手伝いを通して
深井社長は、長野県のホテルの経営者であった。自らが環境破壊の元凶であることを反省し、廃業した資金で洗剤の要らない飲料水を開発、最近では健康飲料水だけでではなくこの創生水が多量の水素を原子状態で発生し、エネルギーとなることを発見、自動車、船舶を動かしている。水の無限の可能性の夢に挑戦し続けている。(注5[v])
5、 二国間平和構築を通して
国家間の外交交渉だけではなく、これを補完しリードする意味で質の高い人と人の交流が重要と思われます。出口の見えない厳しい日韓関係下にあって、韓国の檀国大学張理事長(87歳)と声楽家遠藤喜美子先生(92歳、山田耕作直弟子)との出会いを実現出来たことは一条の光と思っています。北も南も愛唱する韓国近代音楽の父、洪蘭坡を媒介としての出会いでした。 日米関係でも、アーウィン雪子さんは、日米の文化を融合した麗しい果実で、彼女の祖父ロバートアーウィン(日系ハワイ移民の生みの親、伊香保開拓者、三井物産共同創設者)を証ししぃようとした彼女の生涯は、日米関係を考える人々の鏡です。(注6[vi])
6、 新しい文明を語る会を通して
今から43年前の1976年2月、「新しい文明を語る会」が産学共同で発足し、以後20年余、280回の会合やセミナーを開催し、今はその団体も生命を終えています。三菱総研理事長の中島正樹氏を会長とし隔月に世話人会も開いてきました。
福井謙一先生にもご講演いただきました。新丸ビル大会議室でご講演後、世話人と食事会をすることが慣例でその折、福井先生が「自分はノーベル賞をもらって、グローバルな問題を真剣に考えるようになったのはつい最近のことである。ところが新しい文明を語る会の趣旨文を拝見して、自分よりも10年年も前から真摯に人類の未来、日本文明の役割を考えていらっしゃる方々がいらっしゃったのを知って頭から冷水を浴びせられたような衝撃を受けた」とおっしゃったことを忘れることが出来ません。また傾くような古ぼけた家で、香坂要三郎先生(大阪大学名誉教授)が「人類を滅亡から救う会」の趣旨と活動を意気軒高に語らたことをこれと連動して思い起こします。(注7[vii])
7、 国家総合戦略機関(シンクタンク)の必要性
今、小生が心密かに心配しているのは、国家の頭脳が無い(余りにも貧弱、省益あって国益無し!)ことです。小生、1976年から3年間、「10年後の日本の国家目標」プロジェクトの事務局長を担当し、その成果は『国際化時代と日本』と題して善本社より出版されました。これが縁で自民党政府4役の政策諮問機関として10数年各種の政策提言をやってきました。(注8[viii])
8、大脇の余生の役割について
小生は1960年代早稲田で電気工学を学ぶ中で、科学技術の先兵から人と人の心の仲人へと進路を変え、50数年余の半生は、人を生かすため、最近では自然を生かすための歩みであったと総括しています。
文明の速度の加速化とともに、現代人はますます忙しさに追いまくられていますが、これを大局から見て結び合わせる人がいないのを見て、縁結びの役割が小生の余生の役割ではないかと思うこの頃です。
2016年7月10日、都知事選挙の日、伊豆の山荘に引っ越しました。2日間かけてオリンピックへの有識者の政策提言書を編集し、当選された小池知事へお送りしたのが伊豆での初仕事でした。山荘のオーナーは小生のために書庫まで作ってくれ、温泉付き、食事付きの天国生活であったのに、その間1冊の本も書いてご厚意に報いることが出来ずこの3月、山を下り、東京に戻って来ました。本年2月10日、国際農業アカデミー創設企画会議をやったのが伊豆での最後の仕事でした。
この世から超然として居られず、月に1,2回はリュックを背負って下山していました。 ボランティア支援活動の1つ、牧野先生の国際農業アカデミー設立はこの秋国連認証が下りれば、本格的に微生物を生かした有機農業革命が進行する予定です。
農と食と医は深い関係があり、これらと連動して一大健康運動を展開すべき時のように痛感します。その意味から自然治癒能力を向上させる健康医療革命の未来に期待を寄せています。このような、自然や人間の本性を生かし切る新しい文明の胎動は各分野で見られます。(注9[ix]
本庶先生のご健勝と益々のご活躍の程をお祈りいたしております。
浅学菲才の輩が、自らの拙文も顧みず、お耳をけがしたことをお詫び申し上げます。
令和元年6月吉日
NPO法人 未来構想戦略フォーラム/地球市民機構 代表
国際農業アカデミー設立準備会役員 大脇準一郎 拝
本庶 佑 先生
侍 史
注(参考資料)一覧
0、[i] ノーベル賞学者と人格
年を経るに従い、「出会いの神秘」を痛感します。U.ウィグナー博士の小学生がそのまま大人になったような純真さ、J.エックルス博士の強靭なパワー(80代の高齢でもスキーや、ケネディー空港からバッファローまで車を運転)、F.ハイエック、M.フリー土マン博士等、ノーベル賞受賞者に共通するのは謙虚さ、一途な情熱、人間としての深みです。数年前、大村智博士の高校生に対するご講演を後ろの席で聞かせていただきました。先生の自然態には強烈な感動を受けました。特に、ある男子高校生が「先生、どうしたらノーベル賞をもらえるのでしょうか?」との質問に対して、「それは簡単だ。2つある!」とおっしゃったのには驚きました。「何だろうか?」と一瞬、会場が鎮まる中、「1つは、物まねではなく誰もやらないことをやること(ユニークさ)」「2つ目はもっと大事!世のため、人のためにやる情熱だ。」とのお答えは衝撃でした。これは本庶先生のおっしゃっている「教科書を疑え!」に通じることで、既存の枠組みの超える重要性と自分や周囲の枠を超えて、「世のため、人のため」と普遍を目指すことであるとの強烈な悟りを得ました。
[ii] 1、「医は仁術」(心医)今、家内は「ホジュン」にはまっていますが、小生も3度目です。何度見ても感動します。広瀬輝夫博士を慶煕大学へご案内した折、案内の担当教授がホジュンの『東医宝鑑』の原本を見せてくださいました。
広瀬に関するサイト:HP: http://doctor-hirose.org/ 医療経営学会 「本・論文」
国際伝統・新興医療融合協会 2018年の会合 広瀬博士謝恩会 『がんの正体がわかった!』 書評
[iii] 2、国際農業アカデミー(IFDA)創設へ向けて
ポータルサイト(仮) (公式サイト準備中:password:0701)
[iv] 3、原子力安全革命(プリトニュウムを再燃焼償却できる、武器転用は不可能)
第2回熔融塩炉国際フォーラム 「トリウム原発は第3の道と成りうるか?』 吉田昌郎福島第1原発元所長をしのぶ会
[vi] 5、平和の基は”まごころと愛″
[vii] 6、新文明の創造と日本の役割
新しい文明を語る会 サマリー(抜粋) 島嶼国家日本の使命
「日本文明は、西欧文明の病を癒す!」 新しい文明と日本文明の役割