「人と人との心の仲人に」
                             大脇 準一郎

幸福とは何か? -東京を離れてー 

今秋創立される「世界平和教授アカデミー」の事務、渉外に明け暮れしてい
る私であるが、先日一週間ほど東京を離れることがあった。

そのうち四日間程、名古屋市を一望に出来る山中に暮らした。日頃の疲れで、
朝明けの爽快さを味わうことが出来なかったのは残念であるが、昼さがり、
たそがれどき、小鳥のさえずり、樹木の緑、日陰全てがそのまゝにして最高
の芸術であり、全てが私の心をなぐさめてくれた。一枚の大きなガラスの中
にはまった名古屋市の夜景、宝石のようにきらめく街明かりのその赤、青、
黄色の多彩な色あいは、かえってそこに生きる人の色あせた悲哀を伝えてい
る。日本の美しい自然から遊離して、にわかに築いた都市文明、科学技術文
明は、はたして我々に幸福をもたらしたであろうか。一きわ高くそびえ、煙
を吐き続ける工場の煙突、そのまわりに何の芸術美もなく、合理性によって
寄せ集められたうす黒い家々がひしめきあっている。友と心ゆくまで語りあっ
た。こういう会話の中に安らぎと心のつながりを感じる。私は離れがたい心
情を押さえながら山を下り、又再び東京の都心、新宿の事務所にもどり、騒
音に悩まされている。われわれは便利さの故に車を求めたが今や、車をはじ
めあらゆる文明の利器は我々を急がせ、あわてさせる元凶となっている。


心の豊かさへ

近年、にわかに資源の枯渇、環境汚染、食料危機が叫ばれ出した。これの教
えるものは人間の幸福を得る道は、有限な対象世界の変革に狂奔することか
ら無限の主体世界の変革に一八〇度の転換すべきことであろう。物の豊かさ
から心の豊かさへ、量から質の文化へという思潮の変化は、これを示すもの
といえる。ある対象を学問の対象とするために、計量化することは、ガリレ
オ以来一つの有力な手段であった。

しかしそれを社会科学、人文科学の分野にまで展開するとき、人間の精神的
側面が捨象されてしまったのである。最近では、社会指標としての価値基準
を(幸福指標)を求めるにも、物質側面のみならずいかに精神的側面もくり
込むことが出来るかの、J・S・ミル的努力も試みられているようであるが、
いかに対象の有形的側面のみならず、無形的側面をも同時的にとらえるかは、
今後の大きな課題であろう。人はこれを文化科学(カルチュアル・サイエン
ス)、統一科学(ユニファイド・サイエンス)あるいは立体科学と呼ばれる
動きもこのような反省の上から試みられている。


学問観の確立を ー 方向転換の時 ー


こう述べる私も科学技術の先兵として走っていた一人であるが、科学技術の
目的は人間の幸福にあり、人間の幸福は外的な便利さよりも内的な心のつな
がりによりあることを痛感したのである。時間・空間的には世界はますます
近くなって行くのに、目にみえない世界においては、たとい同じ一軒家に暮
らそうとも、それに反比例して人と人との間は遠くなっていくのを奇妙に感
じたのである。十数年前、その当時G・N・P成長に日本のバラ色の未来を
誰もが夢みていた。私はこの科学技術文明の流れに抗して“人と人との心の
仲人になる”悲壮な決心をした。

科学技術の発展に人類の英知の大半が費やれており、自分は人類全体の方向
転換することが有益であると悟ったからである。今日学問は細分化されすぎ
て、現実問題の解決に役立たなくなってきた。いかなる専門の権威者の声も、
もはや権威を喪失してしまった。その反省の上に学問的動きが見られるよう
になってきた。

私は今お手伝いさせていただいている、世界平和アカデミー創設の仕事に大
変意義を感じている。その理由の一つとして、学問と学問の橋渡しは結局ス
ペシャリストとスペシャリストの橋渡してあり、各分野の最高権威者の学際
的集いであり、それは要するに私の十数年前の決心を実現することを意味し
ているからである。


人生観の裏打ち

「知識の区分化というものは教育に向かわぬ。私どもが、向かって行く世界
において人命を救うのには適さぬ。そういう自的のためには現実を包括的に
広く見なければならぬからだ。ご存知のように私は、歴史家からずい分非難
されてきた。単なる専門家であることを拒否し、一般家であろうと努めてい
るからだ。私は真の歴史家じゃない、アマチァアだというのだ。??専門化過
程の中途な教育を強いられてはいけない。包括的な教育?あるがまゝの宇宙
を理解する教育?その中に私どもが生きなければならぬ、宇宙を知る教育?こ
れを受けることが可能となるべきなのだ」
(『明日の地球世代のために』ウィレム・オルトマンズ編、公文俊平訳)と、
A. トインビー博士も述べている。

今日の専門化した学問を復活せしめる道は「何のための学問か」の目的観を
確立することにしか求められないのではあるまいか。「歴史学者」である前
に、一個の「人間」としての原点を失わなかった点にトインビー博士の偉大
さと現代の学界の見失われた欠陥があるのではあるまいか。自分の専攻する
学問を選んだ動機、目的、それが自分の人生観に裏打ちされて、その位置を
占めなければならない。

人生観とはより多くの死生観、価値観を意味する。「死に対する心構えは出
来ているか」かくの如き確固たる人生観が確立していないとき、「知識の切
り売り人」「学問は生活の手段」に堕落するのである。「人生の尊厳性を発
揮してこそ、学問することの尊さを体験し、立派な業績を残している」と、
過去の偉大な学者を想起して思うのである。 
             
   世界平和教授アカデミー初代事務局長
           (1974年5月「世界学生新聞」)