母の日に捧げる  平成14年5月12日 


この文章は、2世経営者研修会の助手として、長野県佐久市の貞祥寺(曹洞宗)に行った折、
座禅の合間に書いたものです。 
お寺の庭には特攻潜水艦「回天」が陳列されていました。

お母さん、私の数々の危機に際し、命がけで身体をはって守って下さり、有難う!
私は、4歳のときは、大火傷を、小学生のときは竹トンボに夢中で、通りがかった自転車に衝突し、
今も左みけんには切り傷が残っています。特にお母さんの里の隼の踏切で、自転車でジーゼル
カーに衝突し、命びろいをしました。また16歳(高1の終わりのとき)完全に胃腸をやられ、4軒も
医者(東洋・西洋病院)に通い、それでも治らないとき、お母さんが買ってきてくれた「胃腸病は
必ず治る」という本を読んで〝感謝〟という言葉が光を発して心に飛び込み、病気が瞬時に治
りました。その後の求道四年間の間も御心配をかけましたが、人を押しのけて受験戦争に突入
することはできない弱い自分を発見しまた。

思いがけず早稲田に入って「科学・技術の行く先は何であろうか?」、人間幸福のための
手段であるにもぎないのに、皆、命がけで生存競争をしている。私はそのとき、人間の幸福は、
便利さ、快適さもあるが、人と人の心のつながりが、より幸福にとってエッセンシャル(本質的)で
あり、さらに深めれば、安心立命、本当の自己との対面(神様の前に出てこそ、本当の自分があ
きらかに顕現してくる)こそ、幸福の源泉であることを悟りました。本当の自己をしっかりと確立
し、人と仲良く、(便利で豊かに)快適に暮らすというのが人間の求めている幸福の三要素である
と悟りました。

横道にそれましたが、お母さんを最も驚かせ、苦悩させたのは、私が学業を放棄して運動に
挺身したたことでありました。田畑を売って入学させた早稲田、父の遺業を継ぐために親族の方々
も自分のことを犠牲にして応援してきたのに、こともあろうに、小生はそれを放棄して、献身
してしまったからです。そのとき、お母さんの苦悶はどれほどであったでしょうか?お母さん
の決断力に感謝します。身延山上で晴天の富士山を見ながら、早稲田へのお母さんの決断は間
違っていなかったと思います。小生、お母さんや親族の皆さんが期待したような道ではなく、
別の道でしたが、早稲田に研究会を創設し運動の機関車的役割を果たしました。

もしこの運動が間違いなければ、お母さんの決断は歴史が讃える金字塔の一つになることで
しょう。キリスト教の歴史を見ても、現実は衝撃的なほど、罪の歴史です。大半は善良な人々
ですが、団体となると如何に矛盾の多いれきしでしょうか? 小生には、退職金も年金もある
わけではなく、子供を養育するのも苦労している毎日で、お母さんや親族の為に何もして上げ
られなくて申し訳ありません。

子供たちもバイトをしながら大学に通い、大学院は特別奨学金を貰い、博士号までもらった娘
もいます。小生もいつの間にか健康になり、体重も67キロと普通の人になりました。小生の
長年の生き様を知っている諸先生が、小生の生活のことをいろいろ心配くださり、先日も東大
医学部の先生が、「大脇さんは、自分のためにやろうと思えば、十分家がいくつもも立つほど
なのに、今も苦労している。」と小生をある会社会長に紹介してくださいました。

1964年て熊本に開拓に行った折、中学校時代の数学の恩師が熊本大学に帰られ、工学部の
学生寮を40日間500円で折角借りて下さったにもかかわらず、小生の勉強道具、学生証も含め、
熊本城のベンチで盗まれました。その後学業との両立に何度も挑戦しましたが、どうしても両立
できませんでした。後輩がいつかは学業と見事に両立してくれることを祈念しています。

小生の運動への挺身は生命がけでしたので、お母さんの立場からすれば、いつもハラハラして
いたことと思います。小生がいろんなところを飛び歩くので、近くの鳥取の食口を吾が子のように
思って、いろいろ協助下さってありがとう。お蔭で病弱であった私も、いつか健康な身となり、
大学で学ぶ知識の何倍もの世界の知識や知恵を、アカデミーを通じていただき、米国の大学を
卒業し、修士・博士号まで頂くことが出来ました。
 
アカデミー活動を通しての活躍をわがことのように喜び、渡米の折りには一時ご無沙汰しましたが、
鳥取へ還故郷し、孫達といっしょに、しばしではありますが、お母さんといっしょに暮らせるとは
夢にも思いもしませんでした。しかし、小生を始め、家族一同がお母さんに想像以上の負担をかける
こととなり、申し訳ありません。特に1996年秋、長男史行、三女の仁美子を残して、私たち夫婦が
南米へ旅立ったことはお母さんのリューマチの進行を早めることとなり、とうとう入院しなければ
ならないまでになり、本当に申し訳ありませんでした。

毎日手足の動かない不自由な身で、全身の痛みをこらえながら闘病されるお母さんに、何も
してあげられない負債の多い毎日を過ごしています。お母さん、本当にすみません。
ありがとうございました。母の日を前にし、ある方から戴いた真心のバラの花をお母さんに捧げます。

2002年(平成14年)4月12日(金) (5月12日清書、5月23日投函)
                                         大脇準一郎 拝



敬愛するお母さんへ   

その後、如何ですか?小生は東京にあって、今も新しい道を捜しています。何時もお母さんに
は感謝と済まない気持ちで一杯です。

お母さんの子供に対する献身的な態度の中から、容易に見えない神様の真の父母の愛を実感
することができました。忙しい中にも、笹巻を作ってくれたり、正月の御節料理の準備をしたり、
節目、節目を大切にしながら私たちを育ててくれて有り難う。此のことは文化を大切にするという
ことでなかなかできない立派なことです。会計、貯蓄、予算、計画きちんとしていて見事です。
年賀状、要人への手紙の代筆大変助かりました。

20才から34年、よくも続けてこられたものだと思います。ガムシャラな半生でしたが、世のため、
人のため尽くしてきたことに悔いはありません。

彼らも私と同じように、あるいは私以上に困難な現実を乗り越え努力しています。先日、(財)
国際科学振興財団で会合を持ち、先生方に相談しました。筑波の鈴木先生は「あなたの最大の
財産は人脈なのだからそれを生かしたらどうか?例えば目分史の本の出版を引き受けるとか」
とアドバイスくださいました。いつかお母さんの本を出版してあげたいと思っておりますが、
状況の変化は見通しを出来ないことを何時も申しわけなく思います。12日には東大医学部の先
生のご紹介で、ある社長に会います。一時日本にいる間に何とか経済の道を見出したいものと
努力しています。(お母さんの為にリュウマチ日本的権威、東京女子大柏崎先年をご紹介くだ
さいました。)

今後、、)地方自治体を助ける研究所を割る。大学建設、尾脇電機もインターネットを勉強して
コンピューターがこなせなければ、今後は無理です。)その他を考え、努力しています。

私もお母さんの貢献が実るよう努力しますので、リューマチが早く良くなるよう頑張ってくだ
さい。
心から感謝を込めて
                 1997年5月3日    準一郎 拝



敬愛するお母さんへ!

1、 いつも感謝の念を持って、思い起こすのは、お母さんが身をもって示してくれた“母の
愛”です。敬天、先祖や父母を敬うことを忘れず、夫の願いを守り通し、子女に対しては自己
犠牲・献身的に尽くしてくれました。自分は亡夫の下着を継ぎ接ぎして着ても、「子供には恥
ずかしい思いをさせたくない。」と新しい下着を買って与えたお母さん!子を思う母の一途な
真心は、どこでも同じですが、天に通じたのだと思われます。

16歳の時、お母さんの愛の一念で、聖霊による神癒現象を体験し、“生きているのではなく、
生かされているのだ!”とのコペルニカス的大転換の悟りを得、“生かしてくれている大生命
の願いは何か?”真摯な求道3年間の路程で、19歳の時、お父さんへの心からの感謝の念が
通じたとき、生長の家の啓示的真理を本部道場の大広間で霊的に体験しました。

次に、「神様がいるとすればどうして悪や戦争があるのか、神は愛なのか?人間が堕落したの
は自由を与えられたからだと言うが、人間に取って大きすぎる自由ではないか、それでも愛の
神と言えるのか?」このようなことにつき、谷口雅春先生に質問状を出したこともあります。
この内容に対してはお答えがなく、清超先生がもう1つの質問に対して、生長の家の「理想世
界」1963年3月号に答えてくださっております。

仏教・儒教.基督教・哲学・自然科学・さらには宇宙人、霊界の研究までしました。そのよう
な求道の中、天真道教団の教主・田村霊祥先生の心身統一法により、20歳の9月、神の愛を
全身に感じる入信現象を体験しました。「神がこの地球星の人類を限りなく愛する、“親の愛
の一念”であるとするならば、誰かが、この神様を科学的、論理的にも証しなければなるまい
」と悲壮な決意をしていたところ、その3ヶ月後、1993年12月、運命的な出会いがありました。

2、 それから36年、人生の半分以上を賭けた道が何であったのか

お母さんにも、親戚にもご迷惑をかけていますが、最も残念なことは、有為な人々を歴史と結び
付け、生かしてあげることが出来ない事です。

3、 1996年より、、カリブ海のバハマに年、一時、日本に帰国して半年位居たら、バハマだけ
でなく、ブラジル・パラグアイ国境のパンタナールという大平原の開拓の仕事で、世界185カ国
に散らばった日本人指導者がこの8月Ⅰ日から集って研修をしています。世界の中で、野鳥・
昆虫が飛び交い、魚が群れ遊ぶ、豊かな自然が残っているのは、このパンタナール平原だけ
です。幼い頃、フナや泥鰌、鯰やカニを捕ったり、鮎釣りが出来ましたが、今、鳥取も、農薬や
生活汚水で泳げるどころではないのが残念です。壮大な自然、パラグアイ川流域、フォート
オリンポを拠点にパクと鯉に似た魚、ボガという50cm前後の魚を岸やボートで捕っています。
その後、世界的観光地とするための開発計画がどのように進むのか分かりません。ロケッ
トの糸川先生は、今から20年も前に、5000万人、日本人海外移住説を唱えています。世界か
ら見れば、日本のように充実した中間層〔中間管理者層〕のある国が少なく、世界の管理・運
営のために中間管理者層を輩出すべきだと言うのですが、日本の未来のためにも考えるべき時
であると思います。

4、 同僚の中にも、60歳近くなるといろいろ、病気を抱える人も出ていますが、小生はいたっ
て健康で、朝、5時から夜11時の日課をこなしています。胃腸を壊したのは自業自得ですが、
丈夫な身体と人並みの頭を戴いたことを感謝しています。理解し難い、運動への献身を容認して
くれ、いつも、親族と私の狭間に立って、苦労したお母さんですが、未だに両者を繋ぐ距離は
縮まるどころか、返って、開いて来ているようにも思われます。これには、先に述べた小生の
思いがけない事件も影響していますが、統一グループとオピニオンリーダーの仲介をなすべき
使命が頓挫したことが親族にも大きく影響しています。

お父さんが半世紀前、NHKと共同し、全国でラジオ普及100%を果たし、日本一の文化村として
表彰されたように、小生も今回、帰国の折、アカデミー時代壮年の方で、インターネットプロバイダ
ーをやっている社長の協力で、世界185カ国に散らばる仲間、バハマを支援する全国各地の
支援者と電子郵便で繋げる事が出来ました。わずかな市内電話料金で、瞬時に世界どこでも、
何千、何万人でも一気に送れると言う事は革命的な事です。今では、文字だけでなく、画像
〔写真〕や音声まで送れるので、テレビ放送と変わりなくなってきています。ラジオやテレビの
時代と違って、秋葉原は今や、コンピューター一色です。尾脇電機のコンピューターにも入れて
いますが、子供達にも出きる限り,E-mail(電子郵便)を使っています。

5、 長女は1997年11月、成績優秀なため、1年間交換学生〔授業料免除〕に選ばれ、 米国へ
 留学します。仁美子、なかなか、優秀らしく、2度も表彰を受けています

6、 今度、9月25日、お父さんの50回忌をやるとのことですが、小生、帰国できるどうかは定
かでありませんが、どうしてもと言うのであれば、帰国できないわけでもありません。ただ、
お母さんの自分の人生に結末をつけて行きたいとの今回の意向は、小生が居ない方が返って
良いかもしれません。

素晴らしいお母さんの兄弟姉妹の団結、親族の結束があったればこそ、今日が在る分けで、支
えてくださった皆さんに感謝したいとの気持ち、良く分かります。

皆さんが頑張ってくださったお蔭で、今日の我々も在ります。心からの感謝をしているのです
が、未だ感謝を見える形で現すには遠いようです。小生のこの道を選んだ決断の動機は、
世間並みの親孝行ではなく、永遠の霊界を含めた、絶対的親孝行の道を求めたからです。
いつかは親族や世間も分かるときが来ると思いますが、残念ながら、未だその時を迎えて
いないようです。地上生活でお母さん晩年には間に合わないのが見えてきています。

7、 今日は、釣りに出ないで、警備でセンターに残っているため、合間を見て書きました。
電話も交換手切り替えで、インターネットも送れないので人づてに郵送します。お母さんの御
安寧と親族、縁者の皆様のご多幸をお祈り申し上げております。

1999年8月17日
     56歳の誕生日に、パラグアイ、オリンポ゚にて       準一郎 拝

追記:    
 上記の手紙は、Ⅰヶ月近く前に書いたものですが、日本に送ったとき、フロピーが読めな
  かったらしく、お母さんの手許に届いていないようですので、もう一度、コンピューター
 から取り出して、印刷します。今、パラグアイのフォートオリ ンポから船で、快速モーター
ボートで3時間、バスで4時間、ブラジルのジャルジンに戻っ ています.ここの電話連絡は
問題ありません。世界各国から何百人も連日来ています。昨日 はバスで5時間、ポンタ
ポーラという町へ行き、2年間の永住権をもらって来ました。こちら は今冬ですが、日本の
夏のように陽射しの強い毎日が続いています。
               

母の日     May 3 '98

紀ゃんへ : お母さん、正ちゃん、津江ちゃん、

 母の日おめでとう! 小生、ここでやって居ることが、母の最高の親孝行の道であ
ることを3 5年前に悟り、黙々と歩んできましたが、その信念と確信は深まるばかり
です。霊界は確かにあるのであり、地上で偉い人も霊界では逆さまになって居るこ
とがあります。私の家に良く出入りされた松田先生は、霊魂は残って居ることを知っ
ていらしゃいました。堀越のお婆さん、また鳥取のも来られた、若城先生・愛川先生
、他国でも数多くの霊能を持った方にも会いました。 20歳と出会うまでの求道生活
でいろんな体験もし、活動に忙しい生活ですが、それでも時々、 霊界の共助を体験し
ました。

 私の結論は霊界は愛(心情)を中心とした世界であるため、この心情が清く、高
い人は良い霊界に、恨み、辛みのしがらみにある人はそれゆえに金縛りに遭ったよ
うに、苦しんで居ます。従って、般若心経にあるように、囚われない心が大切ですし、
阿弥陀経にあるように、一斎を阿弥陀様に委ねて行く、絶対信心も必要です。
法華経の強調するように、宇宙的な法に則り、業じる事も大切ですが、全てこれら
は全体の一部です。何事にも中心があるように神様(生命・法・・・)の根源あり、
実体の中心は言うのは口はばったいようですが、愛(心情です)。

 この点、仏教の中でも浄土真宗、神道の中でも、親様と捉える天理教が神に近い
ですが、基督教の本質は“神は愛なり!”と宣言しているように、愛にあります。
基督教が世界最大の宗教となっているのも、イエスが十字架上で、“真の愛”を自分
の全身をもって見せたからです。この敵をも愛する“真の愛”は、 燦然と暗き2000年の
歴史を照らし、どれだけの人々を慰め、救ったことでしょうか!

 今日、個人と個人の間に、いろんな敵対感情があります。 また、氏族間・民族間・国家
間・人種の間にも縺れた感情があります。これは若城さんが言っているように、血が騒
ぐ、ので、止めようにも止められない“業(罪)"であり、多くの人はこの罪の奴隷になっ
ているのです(ロマ書7章)。 この罪の頸(くびき)から解放する方が救い主であり、救
世主であるわけです。 歴史的聖人はこれを為そうとしましたが道半ばにして、斃れま
した。 最も悲惨でかわいそうな典型がイエスです。

 霊能者の松田先生も、生前、「、あまりに遠い道で途中で野垂れ死に するから止めて
措け!」と忠告したことを思い起こします。

衆知を集める松下幸之助の“和の経営"を書きましたが、尾脇電機もお母さんの“和"の
経営の精神に戻って欲しいものです。 専務に期限付でやって貰い、その間に、常務が
社長業の勉強をする!専務にそのように育てて貰う、専務さんは人を育てることがうまい
人です。常務の次ぎはたかし君でも引き継ぐというのが、 私の今、感じている所です。
“和"をもってすれば、尾脇電機も発展します!

 紀ちゃんは私が言うことがよく分かると思います。 不思議と家内と、家も家庭環境
が似ています。 子供4人を見ていると私のうちの縮図(正子-善美子、津江子-千恵子、
紀子-仁美子)を見い出します。 母のリューマチさえ、 ある霊能者は「母方の侍時代
の蕩減である。」と言って居ました。 歴史的先祖の因縁を蕩減しなければならない
ことを感じさせられますが、 小生が死線を超えて、父より長く生きれているのも、人
のため、神のために生きようとして、 蕩減してきたからだと思います。

 お母さんは家庭的にまれに見る、りっぱなお母さんであることは、子供たちが証明
するところ です。 氏族的のも尾脇家・松田家の為に、時間やお金を惜しまず、 喜んで
捧げてきました。 政治的不正・共産主義の脅威にも敏感で、 関心を持って来ました。
今、 私が挑戦して居るところは、 世界的・宇宙的次元でこれはイエスの弟子はつまら
ない漁夫や娼婦達でしたが、 イエスがあまりに高い道徳基準であったので、 弟子た
ちも引き上げられたのと 似て居ます。 神様は愛の方であるとともに公的、公平、正
義の方です。

 去る日、 1月、 鳥取に帰ったおり、 たまたま、 ノーベル平和賞をもっらたベテイ・
ウイリアムが来て居ましたので お会いし、 彼女が一家庭の母から世界の子供たちの
母となりきっていらっしゃるのを発見しました。 ここに平凡な母と偉大な母との違いが
あります。 また、同じくノーベル平和賞を貰った、サダト夫人(イスラエルとの和平を先
がげ、暗殺されたエジプト大統領のお嬢さん)、黒人公民権運動で暗殺されたキング
牧師の奥さん、コレッタ女史らにもお会いしましたが、 彼女たちは、恩讐の彼方に愛
の梯子をかけた方、まさに娘が目指す、世界的“PeaceMaker" です。

このように、真の愛は①恩讐をも許す広い、許しの愛であり、 ② 相手のために、 完
全投入する無私のものであり、 ③自分を超え、 だれが見ても納得できる公平なもの
です。まさにこのような人格の根源が神様でいらしゃるので、 我々は人生経験を通
じてこの神様の愛を学ぼうとしている訳です。

指導者がどんなに素晴らしくても、 団体となればいろんな人が居るものです。 行き
過ぎもあり ます。 中世のキリスト教史を見てもわかります。いつか、私も、大きくお役
に立てるときが来るか来ないか、分かりませんが、 それはともかく、みじかな親族・
家族の中に真の平安(平和)を立てたいものだと思っています。母の日を記念し、
一人一人が真の母になるよう努力しましょう!

日本は世界の女性国家(母親国家)で、 世界に乳を飲ませ、養い育てる責任があ
ります。 今、日本に富がたまっているのも、 国際協力・ボランテイア活動が盛んなの
も、 世界に出掛けるのもこの使命を果たすためです。天運に合わせることは、その
ゴールがあまりにも高すぎるため、大変なことです。 しかし、天運からはずれた国は
傾き、 滅びます。 「栄えたときにこそ、 危ない」というのが歴史の教える国家興亡史
の教訓です。 社運・家運にしてもその相似形です。 小生も日本が世界の真の母親
国家になるために、バハマの母親的位置で、日夜、 心血を注いでいる者です。 書い
ている内に、 お母さんと紀ちゃんとごっちゃになってしまいましたが、 改めて書く余裕
が何ので、ごめんなさい! そういう意味で、 「母の日おめでとう!」 と申し上げ、
今回はこれで、 失礼します。 では また !              
                                   準一郎

懐かしい同窓生の皆様、こんにちは!小生、学生時代は、病弱と戦いながらの、勉学と
求道の毎日で、皆様には失礼いたしました。 20歳の時、神様と出会い、以後、天と民
の為に奉仕致して参りました。病弱であった、小生が今も生きているといことは、神仏の
ご加護の証です。

「神はいるのか? なぜ人類の悲惨な歴史が続くのか? 死後の世界はあるのか?」
これらの疑問に対し、パスカルのごとく前向きに賭けて来ましたが、ゴー・サインが今も
続いています。

歴史的聖賢達のメッセ‐ジが、いまや地球の隅々にまで、瞬時に届く時代となりました。
地上生活の意義は、家庭を基盤として、子女、夫婦、父母の愛を体恤して愛の人格を
完成することが骨子です。この世の卒業、あの世への準備、互いに勉強を続けましょう!
皆様のご多幸をお祈り致しています。
                                          準一郎 拝