世界と国連が行くべき道

   日時:2000年8月18日
   場所:ニューヨーク・国連本部
   行事:「2000世界平和世界平和超宗教超国家連合」総会
   基調演説:韓鶴子IIFWP総裁夫人・世界平和女性連合総裁

 満場の貴賓、そして高名な各界の指導者の皆様、私はきょう、このように美しく厳粛
な国際連合会議場で、皆様と共に、「世界と国連の行くべき道」に対する私の情熱と
所見の一端を紹介することができ、心からの感謝をお捧げいたします。

  世界平和実現のための国際機構再編の必要性
 過去四十年余り、私が展開してきた超宗派、超国家の組織と活動の目的は、す
べて神様と人間が共に望んできた平和世界の実現でした。平和世界に対するビジョ
ンは超宗派運動の核心でした。
 人類は、二十世紀に凄惨な世界大戦を二度も体験し、そして七十年間の無神論
共産思想の横暴と冷戦時代を体験しつつ、先鋭な対決と葛藤を経験しました。冷
戦時代が終息し、世界はしばし平和のための祝杯を挙げることができました。 
しかし、間もなく人類は、その冷戦の終わりが自動的に平和の時代へと連結され
るわけではないことに気づきました。世界の至る所で、激烈な戦争が続いており、
今も様々な所で殺戮戦が繰り広げられています。これらの紛争は、主要宗教間の
根深い葛藤が背景になっていることは周知の事実です。宗派間の対話と和合がい
かに重要であるかを悟らせてくれる事例です。
 現代において宗教的な理想実現のための活動は、しばしば世俗権力と一定の距
離を置いて行われてきました。今日の一般的な認識は、これを当然なものとして
受け入れています。しかし、世界平和の理想に貢献する国際組織は、世界の偉大
な宗教的伝統との関係を再検討すべき時になったと思います。
 いかなる国際機関よりも、国連が良い例になるでしょう。多くの人々は、国連
は世界平和のための人類の理想が制度化された組織であると思っており、これに
期待をかけています。国連には、世界の問題を解決し、平和と人類繁栄を促進す
るために、共に働く、あらゆる国の代表者たちが集まっています。 しかし、国
連で国家の代表者たちが世界平和を実現しようとする努力には、相当な障害があ
ります。国連を通じて得た実績と成果を否定してもいけませんが、国連自体が改
善されるべき点も多いと思われます。世界の政治家と宗教指導者が国連を中心と
して、互いに協力し、尊重する関係が切実に必要とされる時となりました。
 本然の人間は、心と体が神様の真の愛に感応しながら一体となって生きるよう
になっています。心と体が闘わず、真の統一の起源を成し遂げるのは、人が神様
に似たその息子と娘だからです。神様は心と体が闘いません。絶対者である神様
は、自体内に矛盾や葛藤がありません

   レビレント・ムーンが展開してきた超宗派超国家活動
 心と体が統一体となるという人間の理想は、神様の真の愛を完全に所有する
ときに達成されます。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは
神の子と呼ばれるであろう」(マタイ五・九)という聖句も、神様を中心とし
て心身一体の理想を成し遂げたことを前提3484とします。
 ところが、人間は堕落によって、心と体が統一調和の基準を失ってしまい、
葛藤を起こしながら自己矛盾の中で生きてきました。それだけでなく、個人の
中で生じる心と体の葛藤と闘争は、家庭、社会、国家と世界に拡大されてきま
した。兄のカインが弟のアベルを殺害した犯罪も、ここに由来しています。
 歴史始まって以来、この地球上で起こったあらゆる対決と戦争は、本質的に、
より悪なるカイン側とより善なるアベル側との闘いでした。このようなカイン
側とアベル側との闘いは必ず終息し、原状に復帰されなければならないだけで
なく、心と体の対決も終わり、調和一体となって復帰されなければならないの
です。
 個人の心と体が統一されなければならない、その原理を、世界的な次元に適
用、実践しなければなりません。この目的のために、私は、世界平和を具現す
るに当たって、心の世界を代表する「世界平和宗教連合」と体の世界を代表す
る「世界平和連合」と「世界平和島嶼・半島・大陸国家連合」を創設したので
あり、また二つの世界の調和のための「世界平和超宗教超国家連合」などを創
設しました。
 人間社会の諸般の問題は、根源的に、単なる政治的な問題ではないため、社
会的、政治的解決だけでは常に不十分です。人間社会のほとんどは政治的に統
治されていますが、その一方で、大部分の国家的、文化的アイデンティティー
の根底には宗教があります。実際、ほとんどの人々は、その心の中に、宗教的
な忠節のほうが政治的な忠誠よりもはるかに重要であるという認識をもってい
ます。

  国連の両院制構築の提案
 今や宗教が、世の中でその真の指導力を発揮する時となりました。宗教人た
ちは、この時代の状況と様々な不正に対して責任を感じ、まずは深い自己省察
をすべきであると思います。宗教人たちは、愛の実践において模範になれませ
んでした。自分個人の救いや、宗派の利益に汲々とするあまり、世の中の救い
に尽力できなかったことを悔い改めるべき時です。
 今こそ、信仰生活だけでなく、愛の実践生活が求められる時です。神様は、
私たち指導者、特に宗教指導者を召命していらっしゃいます。世の中の不義と
罪悪に挑戦し真の愛を施すことを願っていらっしゃいます。すべての宗教人が
心を合わせて、神様の人類に対する熱望を代弁し、実行しなければなりません。
 体と外的な世界を代表する政治家や外交家たちの経綸と実践だけではなく、心
と内的な世界を代表する超宗教指導者たちの知恵と努力が合わさってこそ、平
和世界が完全に達成されるのです。そのような点から、国連を再構成する問題
まで深刻に考慮すべき時です。両院制の形態をもった国連を考慮することもで
きるしょう。
 国家の代表たちで構成された既存の国連を、各国家の利益を代弁する下院と
考えることができます。一方、著名な超宗教指導者など、精神世界の指導者た
ちで、宗教議会、あるいは国連の上院を構成することを、深刻に考慮していた
だくことをお願いします。このとき、超宗派的な宗教議会は、地域的な個々の
国家の利害を越えて、地球星と人類全体の利益を代弁しなければなりません。
 そして両院が相互に尊重し協力し合うことによって、平和世界の実現に大き
く寄与できるはずです。世界の指導者たちの政治的な経綸は、世界の偉大な超
宗教指導者たちの知恵とビジョンにより効果的に補完できるでしょう。

  すべての国境地帯に平和地区建設を
 世界は、今も国境線を中心とした衝突地域が増えつつあります。このような
紛争地域によって、世界は途方もない人命被害を被っており、数十億ドルに達
する戦争費用と平和維持費を注ぎ込んで、あまりにも多くの資源と努力を消耗
しています。しかし、どれ一つとして満足に解決の進展を見せる所はありませ
ん。 私はこの場で、国家を代表する国連と超宗教の指導者たちが心を合わせ、
すべての国境地帯に平和地区をつくることを提案する次第です。山や川、ある
いは平原や海を問わず、国境線と紛争地域の付近一帯を緩衝地区、す3489なわ
ち平和地区にするという案です。
 その場所は、国連の直接的な統治と管轄下に置くようにし、全世界から平和
定着のために集まってきた人々が暮らせるようにするのです。国連は、そこが
国連の創立趣旨と引き継がれてきた平和宣言の内容に符合する、最も模範的な
地域となるように指導しなければなりません。
 このような平和地区は、平和と繁栄、そして和解のための安息所です。そし
て、人種や性の差別がなく、人権の侵害や戦争から解放された典型的な地域で
す。さらにそこは、生態学的にも環境的にも、万象にとって楽園のような場所
にならなければなりません。
 このような平和と自由、生態学的な調和を追求する地域を確定するためには、
該当国家が国土の一部を提供し3490なければならないという問題があります。
私は、この提案に対して障害となる実質的な問題点を解決するために、少なか
らぬ努力を傾けてきました。
 私は、「冷戦体制の犠牲となった韓半島の分断と戦争には、摂理的な意味が
ある」と教えてきました。朝鮮戦争は、平和守護のために世界十六カ国の若者
たちが国連の旗のもとで血を流した、歴史上類例のない聖戦になりましたが、
いまだに平和統一は、未解決の課題として残されています。私が、摂理観に立
脚して、平和世界の実現のための国連の厳粛な使命を考えるのも、このためで
す。
 去る六月から進展した韓国と北朝鮮の和解と協力のムードが、このまま続い
ていくことを切に願います。南北が対峙してきた、韓半島の百五十五マイルの
軍事境界線周辺の緩衝地帯すべてを、国連の管轄下の平和地区とし、そこに、
人類が教訓を得ることのできる展示館と博物館、教育の場と平和公園をつくる
ことに、国連が先頭に立ってくださるようお願いします。
 私は、現在、南米のメルコスール(南米共同市場)地域に、約百二十万ヘク
タールに達する肥沃な土地を準備しつつあります。国連の平和地区設定によっ
て喪失した国土の代わりに、これを補償するためです。韓半島の南北の指導者
たちに、その一部を寄付すると通告もしました。
 私は、このような内容を明らかにすると同時に、心ある世界の指導者たちが、
私の提示した趣旨に同参してくださるよう訴えるものです。そして、私と共に、
国連管轄区域となる平和地区の確保のために、自らの土地と基金を喜んで寄付
してくださるよう願ってやみません。平和地区は、国連の指導下で、自然と人
間が共存する理想的な道義社会として建設されるでしょう。

  世界平和地区造成のための基金創設
 私は、既に二年前の一九九八年十二月に、「対話を超えて実践に向かう超宗
教的理想の実現」という主題で開催された国際会議の席上で、世界の宗教指導
者たちが集まる中、「世界平和基金」の創設を提案したことがあります。この
時に参加したすべての宗教指導者たちは、世界の宗教者がまず世界平和のため
の基金の募金に率先する意味で、七数に該当する寄付金を出す運動を展開する
ことを決議しました。
 各個人と国家ごとに、各々経済的な状況が違うので、ある人は七ドルを出す
のも精いっぱいかもしれませんが、七百万ドルを寄付する人もいるでしょう。
 この世界に生きている、すべての宗教者が心情的に一つになるならば、基金
の募金に積極的に同参するでしょう。そればかりでなく、このように集められ
た基金によって平和地区を造成し、平和に対する理想と知恵を教えることに用
いることができるでしょう。
 国連は、宗教者だけでなく、すべての国々に対して、毎年、自発的に平和基
金を納付するように指導できるでしょう。富裕な博愛主義者や経済界の指導者、
企業人をはじめとして、各界各層の指導者や団体、そして個人たちも、国連平
和地区の建設に積極的に加担し、世界的な平和ムードの造成と募金運動をする
上で、先頭に立たなければなりません。
 私は、国連の上院の使命を果たす超宗教的な宗教議会の基盤とするために、
「世界平和超宗教超国家連合」を創設しました。各国家から超宗教的な大使が、
既存の大使と共に国連に派遣され、宗教議会、すなわち国連の上院を構成する
のです。
 超宗教的な理解と修練や、超国家的な平和理想を指導すべき国連の上院議員
たちが担当する任務は、狭い視野で特定の国家の利益のみを代弁しようとする
こととは正反対になるのです。彼らは、絶対者である神様のみ旨に従って、世
界と人類全体の平和理想のための任務を遂行するようになるのです。
 国連の上院議員となった超宗教大使は、一旦派遣されたら、それ以降は、国
連の世界的なビジョンと議題を代弁できる、全地球星的な業務を遂行しなけれ
ばなりません。そのような意味で、国連の国際大使とも言えます。
 このような国連国際大使は、既存の国連大使と共に、世界のどこに赴いても、
平和と福祉社会の具現のための共同運動を代表するようになるでしょう。また
彼らは、地球上のあらゆる国で、正義、安全、平和の高い理想を守る、良心の
守護者の役割を果たすようになるでしょう。
 このような措置は、世界の市民たちと青少年たちに、希望とともに、愛と平
和を追求する理想的家庭の安着を直接確認する機会を提供するでしょう。選出
された超宗派超国家的な大使は、各国の後援のもとに展開されている健康、教
育、福祉厚生事業などの理想的なプロジェクトが、積極的に遂行されているか
どうかも点検できるでしょう。
 私は、様々な団体と組織を通じ、宗派と国籍を超越して、真の愛の教育を絶
えず展開してきました。このように絶えず投入し、対話と和解の努力を展開し
た、過去数十年の歳月を通し、人類が一つになるための最も堅固な基礎は、正
に真の家庭の理想から始まる、普遍的かつ核心的な愛であることが明確なもの
となりました。

  国連公認記念日制定
 このような内容を土台として、私は、今から国連に属するすべての機構およ
び組織の活動を促し、三つ目の提案をしようと思います。国連を率いている上
位の政策を決定する人たちが、国連で定められた規定に従って、世界的な公認
の日を制定することです。
 私は、国連が「児童の年」、または「平和文化の年」のような多様な宣言的
な日と十年周期の記念日を制定していることを知っています。私が勧めようと
するのは、意義のある国連公認記念日を制定して、世界が毎年、その日を記憶
し、記念するようにしようというものです。
 すなわち、「真の父母の日」を制定し、世界的な祝祭の日として記念し、同
時に、「真の家庭の日」を二つ目の世界的な記念日として制定することを提案
する次第です。3497人種と宗教、文化を超越して、誰もが愛することができ、
大切にできるこのような日を、みな一緒に祝うことによって、人間としての共
通した真の根を確認し、真の家庭の大切さを確認できるようになるのです。併
せて「国連軍の日」を制定し、国連の正義と平和維持軍の神聖な使命を宣揚す
るようになることを願います。
 尊敬する指導者の皆様、私たちは今、一緒に心を合わせて努力し、宗教と世
の知恵の中にある高貴な内容が、緊急で深刻な問題が存在する世界で援用され、
適用されるよう、体制と組織を補完していかなければなりません このような
体制は、超宗教指導者で構成された協議体が、国連の政治指導者および外交官
たちと協力し、共同の歩調を取ることで成し遂げることができるのです。「世
界平和超宗教超国家連合」は、絶対者と超越の世界(霊界)、そして永生と霊
魂の問題に対する正しい指導とともに、このような目標のために献身していく
でしょう。さらに、平和のための国連の努力に添って進み、神様を父母として
迎える人類が一兄弟となって、宇宙一家庭を形成する、そのような永遠の愛と
和楽の天国、神様の祖国を成し遂げていくでしょう。
 専門識見と経験、そして知恵を備えた世界の指導者と国連関係者の方々は、
私の提示したこのような理想をいかに補完していくべきかについて、よく御存
じであると思います。
 国連をはじめとする政府機構が、これを成し遂げられないときは、NGO
(非政府機構)などの民間組織を通してでも、このことを必ず成し遂げるよう
になるでしょう。私たちが持続的な努力によって協力していくならば必ずや地
上に平和と幸福の理想が実現されるでしょう。
 神様の祝福が、皆様の携わるお仕事と国連の上に、共にあることをお祈りい
たします。ありがとうございました。


  国境線撤廃と世界平和   
     
日付:2000年8月18日 場所:アメリカ、ニューヨーク、国連本部
行事:万国平和賞授賞慶祝晩餐会
挨拶:文鮮明総裁

 尊敬する内外の貴賓の皆様、きょう、私は、世界平和の殿堂である国連にお
いて名誉ある「万国平和賞」を受け、この受賞の栄誉を皆様と共に分かち合う
意義深い場をもつことができ、心から感謝申し上げます。私は、この場をお借
りして、「国境線撤廃と世界平和」と題し、しばらくお話しし、それをもって
挨拶の言葉に代えさせていただきたいと思います。

  国境線に潜んでいる悪魔
 皆様、この世界にあるすべての国境線を撤廃すれば、平和の世界は自動的に
到来するでしょう。しかし、私たちが記憶しなければならないことは、国境線
の主人は誰かというと神様ではないという事実です。国境をつくり始めた主人
は悪魔サタンなのです。
 国境のあるところには、必ずサタンが潜んでいることを知らなければなりま
せん。悪魔と悪魔の実体が潜んでいるのです。東洋と西洋も文明圏を中心とし
て、互いに大きな国境線ができていますが、そこに誰が潜んでいるかというと
悪魔が潜んでいるのです。
 文化の背景、伝統の背景、人種差別といった、あらゆる種類の差別をつくり、
国境線をつくったのは、神様ではありません。神様が願われるのは、統一の世
界です。すなわち一つの世界です。そのような世界は国境のない世界です。神
様に国境がないので「敵を討ちなさい!」という言葉は語ることができません。
なぜならば、その言葉の中には国境が内在しているからです。
 しかし、怨讐を愛して一つになれば、国境が崩れていくのです。ですから、
神様の戦略戦術は「怨讐を愛しなさい!」ということなのです。「怨讐を愛し
なさい」という言葉は、偉大な戦略戦術の内容だったということを、人類歴史
は知らなかったのであり、現在生きている人間たちも知らずにいます。
 しかし、このように歴史が知らず、現実が知らずにいる神様の戦略戦術を、
今や統一教会の教会員たちは、歴史と現実を代表して知ることができ、またそ
れを相続し実践できる人になったので、自動的に平和を成し遂げる主人公になっ
たのです。

  国境撤廃運動の理由
 皆様は、どのように思われますか。国境は、皆様の心が好まないところにも
生じ、体が好まないところにも生じ自分の行動が好まないところにも生じ、自
分の言葉が好まないところにも生じるのです。私たちが五官を通して心と体が
一つになることができなければ、様々な国境が生じるということです。私たち
は、どれほどたくさんの国境をもって暮らしているか、考えてみなければなり
ません。また「怨讐を退治しなさい。国境をつくるものを処断しなさい!」と
言えば、目を抜いてしまわなければならない場合もあるでしょう。 目も二種
類からなっています。「あれも良く、これも良く、何でも見えるものは歓迎だ」
と言うならば、その目には巨大な国境ができるのです。皆様が聞くことも同様
です。善なる良いみ言や真理のみ言を聞くことを好むかと思えば、世の中の邪
悪な言葉を聞いてそこに同調するようになれば、皆様の耳にも国境が横たわる
ようになるのです。
 統一教会では流行歌を歌うことは禁じていません。問題は、名曲を歌おうと
流行歌を歌おうと、その歌の内容を消化できるかできないかにかかっているの
です。その歌を歌って国境をつくるのか、それとも国境を撤廃するのか、とい
うことが問題であるという意味です。国境をなくして神様が喜ぶ無制限の橋を
架けることができると言える人は、流行歌を作ろうと、悪い言葉を語ろうと、
何をしようと、問題にならないのです。
 ですから、自分のすべての五官を通して感じる感覚やあるいは歴史的な伝統
を通して何かを残し、今生きているこの生活環境に国境があるときには、サタ
ンの一族に属するのです。 その反対に、「どこにも国境はない!」というと
きには、神側になるのです。サタンが国境をたくさんつくる大王であるならば、
神様は国境をなくす大王です。すなわち、神様は、国境が最も嫌いである大王
陛下なのです。 皆様、それでは、大韓民国に休戦ラインがあるのを歓迎する
人がいるとすれば、その人を神様が好まれる人でしょうか。それとは逆に、休
戦ラインをなくそうという人がいるならば、その人が神様の最も好まれるチャ
ンピオンになるのです。韓国のすべての人、すなわち七千万人が、「私は死ん
でも休戦ラインを残しては死なない!」という覚悟をして暮らすならば、韓国
の統一は自動的にやって来るのです。
 しかし、それは決して易しいことではありません。休戦ラインを好む人は、
悪魔の側、サタン側であることを知らなければなりません。言い換えれば、休
戦ラインがあるところにはサタンが主人となっており、休戦ラインをなくそう
とするところには神様が主人となるのです。ですから、統一教会の教会員は、
休戦ラインを消化し、なくしてしまい、国境線を撤廃させる改革運動を展開し
てきたのです。 皆様、怨讐の一族や怨讐の国民同士で「結婚させて婿、嫁に
したい」と言う人ばかりになれば、統一天下は自動的に形成されるのです。こ
れが、私が今晩、皆様に差し上げる贈り物です。 国境があるところには、必
ず悪魔の一族が暮らしているのであり、国境線がなく、互いに愛し合って和や
かなところには、間違いなく神様の一族、神様の血統に生まれついた血族が暮
らしているのです。

  イエス様が再臨される理由
 今日、統一教会の人々は、趣味産業という言葉にとても多大な興味をもって
います。誰もが行って暮らしたいと思う所、そのような所が趣味として願う喜
望峰だとすれば、そのような所は、今後、国連を中心とした新しい超国家連合
ができれば、国境地帯でもどこでも、すべて超国家主義の国連の名のもとに従
属させなければなりません。このために統一教会のレバレンド・ムーンは、統
一教会の教会員たちに、共に総生畜献納物を捧げましょうと言いました。そし
て、全体を国連超国家連合に従属させるのです。 聖書を見れば、旧約時代ま
でに、人間の代わりに万物を供え物として裂いて血を流すようにし、「左はサ
タン側であり、右は神側である」というように分けておき、二つの組が奪い合
う闘いを続けてきました。 新約時代においてユダヤ民族が不信することによっ
て、サタンと神様は、昔のように供え物を分けて取り合うのではなく、今度は
息子を分けて取り合う闘いをするようになったのです。その結果、神様の長子
であるイエス様がこの地に来られて血を流したのであり、結局、イエス様の肉
身はサタンがもっていき、イエス様の霊人体は楽園に行くことになって、二つ
に分けられたのです。
 しかし、霊界に行かれたイエス様は、その実体を再び取り戻さなければなら
ないので、この地に再び来なければならないと言ったのです。このように、息
子であるイ分けられたので、大変なことになったというのです。男性と女性が
分かれ、心と体が分かれたので、これらをすべて統一させるために、霊界の所
有権を求めていかれたイエス様は、地上の所有権を合わせ、一つにするために
地上に再び来なければなりません。
 地上に再びやって来て、何をしようというのでしょうか。結婚して家庭を完
成しようというのです。長子として来られたイエス様を中心として、その方の
肉身を占領したサタンは、地上世界を占領し、天上世界は天が占領するように
なりました。
 イエス様は、霊界に行かれて二千年間、精誠の条件を立てながら、天上世界、
すなわちすべての心の世界の方向が一つになるようにする一方で、地上でもキ
リスト教を立てて役事してきました。しかし、キリスト教は、再びカインとア
ベルに分かれ、カトリックとプロテスタントが闘ってきたのです。怨讐となっ
てしまいました。サタン側と天の側に分かれて闘いました。 長子は、サタン
側となり、次子はアベルとして天の側になったのですが、その裏面では、必ず
国境的な内容、つまり闘争概念を抱いて闘いながら歴史は発展してきたのです。
 したがって、これを解放しなければなりません。それで、再び来られる主は、
天の国を統一し、地上のユダヤ教選民圏のようなキリスト教統一圏を中心とし
て、ついに数千年間分かれて闘ってきた天と地、男性と女性を一つにする結婚
式をするようになるのですが、これが正にキリスト教で言う「小羊の婚宴」だっ
たのです。このように、天の国と地上のキリスト教の国が統一される時が、正
に第二次世界大戦の直後でした。その時は、キリスト教文化圏が全世界を統一
した立場だったのです。
 それで、霊界の統一的主導権をもったイエス様が、霊界の勝利的覇権者とな
り、地上のキリスト教文化圏も統一される、その時が来たので、イエス様と聖
霊が地上に来て、実体の夫と相対である聖霊の新婦が一つになり、結婚式をす
ることによって、心と体、そして男性と女性が分かれて闘ってきたすべてを解
決して、天下を平和の王国にできる絶好の機会を迎えたのです。漠然とした話
ではありません。

  国境線を撤廃する方案
 神様の創造理想について見るとき、誰から先に結婚式をしてあげるようになっ
ているでしょうか。アダムとエバです。しかし、人類の国境線となっている壁
は、エバの堕落によってつくられたので、その壁を崩して平地にしなければな
りませんでした。それで、堕落する前のアダムとエバの立場を復帰して結婚さ
せれば、私たちのすべての先祖はもちろんのこと、神様までも喜んで歓迎され
踊りを踊られるでしょう。そのような世界が成し遂げられれば、それが正に地
上天国になるのです。しかし、人間の歴史にはそのような日がありませんでし
た。そのような日がなかったので、今まで無数の境界線が絡まって苦しみ、呻
吟し、苦痛を受けてきたのです。したがって、この国境線の打破をどのように
するかという問題に対する答えさえ見つければ、それが平和の起源になること
を人類は知らずにいたのです。
 人類歴史上初めてレバレンド・ムーンが真の父母の資格をもってこの地に顕
現し、その打破の方法を提示して、満天下の善男善女たちを神様のみ前で祝福
結婚させてきたのです。もし国境線が百万あったとしても、私は問題なく撤廃
することができます。どのようにして撤廃するのでしょうか。それは真の愛が
あるので可能なのです。そのような国境線を撤廃するためには、神様と同じよ
うに判断できなければなりません。神様を一〇〇パーセント知らなければなら
ないということです。
 皆様、霊界を見れば、地獄と天国があります。天国が昼ならば地獄は夜です
が、昼と夜を判断できない人が天国の境界線を主管できるでしょうか。それは
あり得ないことです。判断できる人だけが自動的に主管できるのです地獄の内
容まで明らかに知っているので、暗闇を撤廃できるのです。 神様は全知全能
であられるので、神様と同じように判断する人は撤廃できるのです。したがっ
て、問題は神様を知らなければならないということです。それでは、皆様は神
様を知っていますか。知っているとすれば、どのくらい知っていますか。お金
を好まれる神様だと思いますか。それとも権力を好まれる神様でしょうか。そ
れとも知識しか知らない神様でしょうか。そのような神様であると理解してい
ては、人類の解放をもたらすことはできません。
 私たちが神様を完全に知ってこそ、サタンを完全に追放できるのであり、完
全に解消できるのです。神様を知ったとしても、神様の何をもって数千年もの
間、放置されていた国境線を撤廃できるのでしょうか。それが重要なのです。
神様がこの宇宙の主人であるならば、その主人が暮らす町があり、国がなけれ
ばならないのではないですか。神様を知ろうとすれば、神様の相対圏の立場に
立って、その環境となる国を探し求めなければなりません。
 しかし、すべての環境圏が国境で塞がれているので、その国境を撤廃するこ
とによって神様が喜ぶ世界をつくるのです。そのようになれば、すべての被造
万物が神3515様に主管されたいと思わないでしょうか。国境線のもとで悪魔と
共に呻吟し、苦痛を受け、迫害を受ける、そのような支配から解放されたいと
思うのです。

  天の国の伝統的思想 
皆様、私たちは何よりも神様をはっきりと知り、また天の国をはっきりと知ら
なければなりません。そのようになれば、どこに行っても、またいかなる状況
に置かれたとしても、その国の伝統とその国の文化の内容に対して、どのよう
に対処して生きていくべきなのか、ということに対する答えが自然と出るので
す。 天の国には明らかに神様がいらっしゃいます。しかし今日の世界が千々
万々の国境によって塞がっているのは、いかなる理由によるものでしょうか。
神様を知り、天の国を知る人がなく、天の国の伝統的生活の内容を知っている
人がいないので、このようになったのです。その内容さえはっきりと知れば、
霊界にも、地上世界にも、解放圏が展開します。
 「おい、サタンよ!」と言えば、サタンが身動きもできずに答える、そのよ
うな位置に立つことさえできれば、誰でも天の国と神様の心に一体となる文化
背景と伝統的思想をもって暮らす方法が分かるようになるのです。そのような
人が正に、ために生きる真の愛をもった真の人です。
 自分だけの人生のための愛を求める人ではなく、相対を愛の主人として、愛
を通して相対が踊りを踊ることができるようにしてあげようという人が、神様
を知り、天の国を美しく装い、保護する生活ができる後継者になるので、その
ような神様の後継者をサタンは妨害できなくなるのです。
 死ぬことを見て憤りを感じるのではなく、それを越えて怨讐を愛すれば、怨
讐の世界を治めることができるようになり、サタンが退くことによって、怨讐
の世界がかえって皆様を尊敬するようになるのです。ために生きるときに、自
分の父や母や誰よりも、町内の人をこの上なく愛すれば、サタンは逃げていき、
代わりに神様が訪ねてこられて千倍、万倍にして返してくださるのです。 サ
タンが八方に逃げていかざるを得ない秘法とは何だと言いましたか。ために生
き、ために死に、ために愛そうとすれば、サタンは間違いなく国境線を捨てて
逃げていくのです。逃げていくとしても、そのまま立ち去ることはできません。
国境線を崩してから行くようになっているのです。そうなれば、どのようにな
るでしょうか。サタンが離れていくことによって、死亡の地獄に直行していた
生命が天の国に上昇できるという永生の道理が訪ねてくるのです。そこから初
めて永生が生じるのです。
 神様を知り、天の国を知り、天の国の伝統的思想である、ために生きる真の
愛を、千年、万年続けたいと切に思う群れになることによって、主体であられ
る神様をお父様と呼ぶことができ、そこにおいて永遠の血統を通して永生の論
理と永生の伝統が「私」と共に結実することは間違いのない真理なのです。

  永生と愛の属性
 永生というのは、本質的な愛の属性です。神様も宇宙を創造されるとき、自
ら絶対信仰、絶対愛、絶対服従を基準として立てて創造されたのです。永遠無
窮に世の中が過ぎていったとしても、私の愛はもっと大きく投入できるという、
そのような心をもって生きる方が神様なので神様を絶対、永遠、不変の主人と
して侍る存在にならなければなりません。
 永生不滅の位置で創造された息子、娘が、そのような位置に立つならば、神
様の国が私の国になり、神様が私の神様になるのです。神様と天の国の伝統的
な主人の生活方法と私が一致し、神様の息子、娘であることは間違いないので、
永生不滅は自動的な結論です。ですから、「自分の命を救おうとするものは、
それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)という逆
説は真理なのです。 皆様、神様がいくら全能の方であるとしても、今まで愛
の主人になったことがあったでしょうか。真の愛というものは、一人ではでき
ません。男性の前には女性が絶対に必要なのです。女性がいることによって、
男性は女性を愛する主人の資格をもつことができるからです。これは驚くべき
話です。 女性がいなければ、いくら優秀な男性であっても、男やもめの境遇
を免れることはできないのです。「男やもめ」とはどういう意味でしょうか。
一人で暮らす父です。ですから、かわいそうな立場です。いくら優秀だったと
しても、一人で暮らすその男性は、真の愛を得ることができないのです。
 神様には、真の愛、真の生命、真の血統、そして真の良心があります。でこ
ぼこの良心ではなく、水平を描く良心があります。このようにすべてもってい
ますが、それらをもっていると言える価値を現すものは、何でしょうか。一人
では永遠に現すことができないのです。
 なぜでしょうか。男性が優れていて総理になり、大統領になって、いくら大
口をたたいたとしても、結局は半分の人間であることを免れることはできませ
ん。男性も女性も同じです。間違いなく、男性は片方でしかないのです。男性
はなぜ半分なのでしょうか。男性には凸だけがあり凹がありません。しかし、
完全な愛をもつためには、凹と凸の両方が必要です。それで、男性にはない凹
を合わせるために、もう片方の女性が必要なのであり、女性と一つになって初
めて完全な真の愛を得るようになるのです。
 しかし、人間始祖の堕落を見ると、心と体が神様の血統と一つになることが
できず、サタンの血統に連結されてしまい、神様は、御自身の血統の三代目で
ある孫を見ることができなかったのです。
 救援摂理を通して、三代を探し出し、神様の血統を連結させて繁殖した子孫
は、間違いなく神様が願い、アダムが願う息子、娘の種となり、それをどこに
でも植えれば、本然の息子、娘として、父母のお乳を飲んで育ち、自動的に天
国へ行くことができるようになっているのですが、堕落によって私たちの体に
はサタンの血統がうごめいているのです。ですから、血統を断ち切り、十回、
十二回と血を抜き取って死んでも生き返る、そのようなことをしなければなら
ないのです。
 しかし、血統が汚染されたものは、簡単には変わりません。これは大変なこ
とです。皆様の体が、そのようになっていることを考えたことがありますか。
私たちは、億千万世の怨讐の血が自分の骨と肉を包んでうごめいているという
事実、肉身が心を占領し、蹂躙している凄惨な自らであることを知らなかった
というその事実に、戦慄させられるのです。
 このように、南北に合わせるものを、東西に合わせてしまったのが堕落です。
それでは、その間違って東西に合わせてしまったものを、いかにして再び南北
に正しく合わせることができるのか、ということが問題です。ここに、再び切
り離して付け合わせる治療方法が、統一教会の祝福であり、本然の血統と連結
させてあげる祝福結婚式なのです。

  統一教会の祝福の意味
 本来、アダムとエバは、堕落しなければ、間違いなく神様の愛を中心とする
血統が連結された外的父母となるはずでした。内的父である神様と一体となり、
絶対的な神様の真の愛と共に生きる霊的、肉的な人類の先祖となって中心の焦
点に立ち、愛で一体となることのできる時間が、アダムとエバが神様を中心と
して一つの体となる結婚式の初夜に迎える初愛の時間だったのです。しかしア
ダムとエバの堕落によって、そのすべてを失ってしまいました。神様の立場か
ら見れば、人間に対して夫婦の愛を植えようとしたのですが、植えることので
きる場をもつことができませんでした。それで失敗した神様になってしまった
のです。
 神様は一人で愛することができるでしょうか。いくら素晴らしい美人でも、
器量がどうであれ男性という存在がいなければならないのです。女性の心の中
に愛があり生命があり、血統があり、良心があったとしても、男性が現れなけ
れば発動しないのです。愛が発動せず、愛を中心として生命が発動せずしては、
血統は現れません。 また、良心が相対に立たないのです。相対が現れること
によって、すなわち女性が現れることによって、初めて男性の愛と生命と血統
が現れるのです。アダムとエバが十八歳になるまで待っていれば、神様の祝福
を受けて正式に夫婦となっていたでしょう。そして人類の真の祖先になってい
ました。しかし、彼らは十六歳の時に、分別のない戯れによって堕落してしまっ
たのです。
 皆様、神様がなぜかわいそうな方であるか、お分かりになりますか。真の愛
の大王陛下であられるのに、人類始祖とともに一つの体となって真の愛で愛し
たいと思うその位置を失ってしまったからです。一人でいくら真の愛を欽慕し
たとしても、男やもめの愛、寡婦の愛になってしまったのです。ですから、真
の愛の心をもった相対を失ってしまった神様となってしまったので、悲しい神
様なのです。 神様の家庭において理想的な相対となり、真の愛の主人の位置
を、烙印を押して解放させる責任がアダムとエバにあったのですが、彼らはそ
の責任を果たせませんでした。ですから、彼らの一生の願望とは何かというと、
神様を真の愛の主人の位置に立たせてさしあげることでした。 統一教会の祝
福は、その最初の条件が何かというと、神様の新郎、新婦の位置で、失ってし
まった真の愛で愛する伝統を、自分たち夫婦によって取り戻すことです。神様
の真の愛を否定しなければ、私たちは千年、万年、神様の息子、娘と血族であ
ることは間違いありません。誰が真の愛の主人の位置にするのか 神様が男性
と女性を愛する位置、血統的関係を結ぶ真の愛の主人の位置を誰がつくるのか
というと、その息子娘以外にはいません。 息子、娘は、神様の性相が分立さ
れて生まれた立場なので、息子、娘の価値は同等であることを知らなければな
りません。神様が腹中の赤ん坊を愛することができなかったので、私たちの家
庭に生まれた赤ん坊を通して、愛する息子の主人、娘の主人の位置を復帰する
のです。
 そうして、幼児時代の主人を通り、子女時代の主人、兄弟時代の主人、夫婦
時代の主人、父母時代の主人になるのです。初めて孫を見ることによって、神
様は主人になることができるというのです。神様が一代であり、アダムとエバ
が二代なのですが、三代となる孫を悪魔が奪っていったので、その息子、娘を
通して、神様の代わりに真の愛の主人の位置を蕩減復帰するのです。
 そのようになれば、そこから神様が第二次的な父母として認定するのです。
それは、アダムとエバを真の愛で愛していた位置と同じ父母の位置です。この
ように三代を経て初めて、子孫万代に完全な種として、神様の孫を祖父が真の
愛で愛し、父が真の愛で愛するようになるのです。その孫は、二代の真の愛を
受けるようになるというのです。祖父は霊的世界の代表であり、第二代のアダ
ムは現実世界の王権の代表です。
 このように、二つの国を代表した真の愛の血統を受けて生まれたので、その
孫は未来における天の国の霊界と地上の王権が結実した価値をもつのです。そ
れで初めて息子、娘の時代において地上天国を治めることができ、三世代から
万世の結実となって広がっていきます。ですから、宗教が必要なく、父母の言
うことだけを聞き、一つになって真の愛で愛していけば、すべての人が天国に
行くようになっています。それが八段階の真の愛を中心とする創造理想的本然
の形態だったのです。 これを再び取り戻してあげてこそ、天上世界の十二真
珠門が開かれ、地上世界の国境を超越して統一された一族として収拾され、地
上の解放世界と天上の解放世界、統一の王国である地上・天上天国が開門する
のです。腹中時代、幼児時代、思春期時代、結婚時代、子女時代、そして父母
時代、祖父母時代、王時代の八段階です。神様は、その八段階の、鉄石のモデ
ル的愛の伝統基盤をこの地に備えられなかったので恨が残ったのです。 それ
では、この八段階の真の愛の主人になることができなかった悔しい恨をどのよ
うにして解いてさしあげるのでしょうか。それは、真の父母がこのようなサタ
ン世界の秘密と天の国の秘密をすべて知って教えてあげ、空白を満たしてあげ
ることによって、多くの穴が開いた八段階を完成させてあげるのです。血統の
門を通してのみ、天国に行けるのです。
 腹中時代と幼児時代にも、神様の真の愛の相対となり約婚時代にも神様の相
対となり、夫婦時代と父母時代にも、祖父母時代にも、王時代においても、神
様の真の愛の相対的実権をもって完成したとすれば、その見える実体圏である
半分の家庭が、見えない神様の実体圏と合わさり、心と体が一つとなった真の
愛の伝統の血統を受け継ぎ、天上・地上の統一圏の世界に自動的に結束され、
天国の民と天国の家庭にならざるを得ないのです。天国の解放的な息子、娘、
解放的な主人になるということです。

  八段階の真の愛の主人となって国境を撤廃しよう
 ですから、男性と女性は、神様の形状的実体として、自負心をもって暮らさ
なければならないのです。そのような主人にならなければならない伝統的血統
が連結されるのが夫と妻の道であり、子女の道です。そのような一族が連結さ
れ、国と天宙が連結される血統が重要であることを知らなければなりません。
ですから、結婚をなぜするのかというと、半分の男性がもう片方の女性と出会
うことによって、完全な真の愛を完成する一組になるためです。
 神様は片方だけのものを取ることはできません。男性と女性が出会って完全
に一つになるとき、神様も入り、真の愛の関係を結ぶことによって、縦的な真
の愛の伝統を樹立するようになるのです。
 ですから、先祖を尊重しなければなりません。その民を真の愛で愛さなけれ
ばなりません。その王権を中心として国民と一つにならなければなりません。
国民を忘れて暮らす王は詐欺師です。悪魔の後継者であり、国境をつくってい
るというのです。 今や人類は革命しなければなりません。天から真の愛の天
運を受け、それを家庭に定着させ、その真の愛の絶の絶対的主人として神様を
立てなければならないのです。
 私たちは、あくまでも結果的な存在であり、その原因である神様に、絶対信
仰と絶対愛と絶対服従で侍り、従っていく大革命をしなければなりません。そ
の道を通してのみ完成があるのであって、自分が異議を提示するときには、二
つの主体が生じ、破壊的な国境が生じることを知らなければなりません。
 したがって、今から皆様は、愛の道において国境をつくるようなことをして
はいけません。「夫も私のことを愛しなさい。息子、娘も私だけを愛し、父を
愛してはならない!」と言う人は死ななければなりません。女性は子女を抱き、
本然の父の愛を受けなければならないのです さらに母親は、子女を育て、夫
の生命の種である精子に対する真の愛の結実に報いてこそ、神様に属するよう
になるのです。女性ゆえに、神様の八段階の愛の門が破壊されたので、女性が
何よりも精誠を尽くして男性たちを再創造し、息子、娘を再創造し、祝福を受
けた家庭において、神様の八段階の愛の主人を神様のみ前に完成させなければ
なりません。
 ですから、私たちの家庭を中心として、天下の天国の門、十二の真珠門のど
こに行っても、地上・天上天国の個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天
宙まで歩いて回っても、誇って余りある真の愛の王座、王権を備えなければな
りません。そのようにできる、神様の血統を完成させた息子、娘の資格をもつ
人にならなければ、天上世界と天国の民になれないことをはっきりと知らなけ
ればなりません。
 改めて申し上げますが、私たちが肝に銘じなければならない最も重要な内容
は、国境撤廃です。国境撤廃にも、民族の国境撤廃、宗教の国境撤廃、人種の
国境撤廃、天国と地獄の国境撤廃などがあります。また国境線を偽りの父母が
つくったので、真の父母以外にはそれを撤廃する人がいないという事実です。
神様もできず、サタンもできません。ただ人類の真の父母として来られたその
方だけが、このことを成し遂げることができるのです。
 皆様は、このような神様の真の愛で解放することを決心してお帰りになり、
天の国の主人となってくださることを願います。ありがとうございました。