■まえがき
われわれは、地球時代に必要なものは物的繁栄の持続ではなく、精神革命を通じての新たな価値
観、世界観、人間観の創成であることを主張する。それは物質文明、機械文明を発展させてきた近
代西欧文明の反省を含み、「人間中心主義」、「現世中心主義」を否定した「利他主義」ともいう
べき基本的な価値体系の再構築を意味している。(四ページ)
今必要なのは、地球時代にふさわしい価値観、人間観の下で、これまでの西洋機械文明への反省
を含めた精神革命を通じての新しい道への出発であろう。(5p)
■第一章 総 論「グローバルーゴール日本バージョン」
〈近代合理主義の限界〉
人間はその本性として「より良き生存」を望むのであって、単なる「物理的生存」を望むもので
はない。このことは人間が価値的存在であることを示している。言い方を変えれば人間は肉体的側
面と精神的側面を兼ね備えた存在であり、物質的生活基盤の上に真、善、美、愛等の価値を追及す
る存在であるということである。このことを理解するなら、近代合理主義の流れに位置する今日の
物質中心の文明が限界に逢着していることは至極当然のことといわざるをえない。なぜなら物質は
人間生活を支える手段にすぎず、決して目的とはなりえないものであるのに、その手段を目的と取
り違え、人間生活の本質である価値的側面を無視してしまっているからである。そして近代以降の
科学とそれに深く結び付いた技術の飛躍的な発展は、この文明の歪の進行を加速し拡大する結果と
なった。(27p)
更に考慮すべきことは研究の前提としての人間の位置、とりわけ理性の位置づけについてであ
る。近代以降の西洋中心に発達した文明の背景には人間中心主義、別の表現をすれば人間の理性に
万全の信頼を置く、いわゆる近代合理主義といわれる思想の流れがある。確かにそうした基本的考
え方が科学技術の発展を促し、豊かな物質文明を築く源泉になったことは事実である。しかし皮肉
なことに、今日の議論の中心となっているのは、人間中心主義や理性に対する過信こそが環境問題
や人間精神の荒廃といった問題を引き起こしたという指摘である。(29p)
人類歴史の経緯として精神面の発展以上に物質面の発展が重要視され、そのために多大なエネル
ギーが投人されてきた。その結果科学技術の発展を中心として物質文明は豊かに花開いたものの、
雰神文明はそれに見合った発展を遂げることができず、かえって物質面に対して副次的な位置に甘
んじる結果となった。このように本来は手段であるはずの物質面の追及が目的化されてしまったと
ころに今日の文明的危機を生じた最大の原因がある。そこでこの精神と物質の関係における「逆転
現象」を正常化し、両者の調和のとれた関係を取り戻すことが「基礎価値」として要請されてい
る。これは言い方を変えれば、西洋の物質文明と東洋の精神文明との調和を図ることであり、そこ
に新しい文明創造の端緒があるといえよう。(33p)
〈エゴイズムからの脱却〉
「利他主義の精神」に基づいて共生・共栄の世界を創造することである。従来の「競争の原理」
に立脚し、強者のみが繁栄を享受できるとする弱肉強食的な考え方は地球時代を迎えた今日の指導
理念とはなりえない。これからは「調和の原理」に基づきながら、エゴイズムを脱して弱者や異質
のものを排除せずに共生・共栄を指向する「利他主義の精神」が「基礎価値」として受け入れられ
ることか要請される。(34p)
今日の状況は人間のこれまての生き方に根本的変革を迫るほと深刻だとも言えよう。その変革の
中心的内容をI言て表現するならばエゴイズムからの脱却てある。エゴイズムといっても個人のレ
ベルの自己中心主義から始まり、自民族中心主義、自国の国益中心主義、更には環境に対する人間
中心主義もエゴイズムの現れてある。こうしたエゴイズムから脱却てきない限り我々は「地球村」
の一員となることは出来ないたろう。なぜならば今日招来されている危機の根本原因は人間の心の
奥深くに潜むエゴイズムにあるからてある。つまり「地球村」の実現は体制の変革や新しいシステ
ムの構築といった外的な変革のみては不可能てあり、人間の自己変革を必須の条件として要請して
いるのてある。本書のサブタイトルを「精神革命への挑戦」としたのはそのためてある。
(39p)
今日の「地球的問題群」の解決に要する力は個人レベルの力は言うに及ばず、一国家のレベルの
力をもはるかに越えている。更には北の先進諸国の力たけても不十分てあろう。どうしても全世界
の国々か力を合わせて、いかなる共同体や国の利害をも越えた基準て協力し合う必要かある。そし
てこの基準は人類か内面の変革を経て、より高い次元の愛あるいは慈悲とてもいうへき精神世界を
体得し、全人類か同一家族のメンバーであると自覚するときにのみ達成されるのてある。つまり強
制されて仕方なくやるといった基準ては不十分てあり、自王的に喜んてこの困難に挑戦しなければ
ならないのである。(ICUS創立者挨拶参照)
〈宗教の必要性〉
さらに「基礎価値」か要請する人間観は被造者意識を持った人間観てある。言い替えれば人間を
越える存在(宇宙生命や神)を意識し、その前に対象として存在していることを意識する謙虚な人
間観てある。これは人間が宇宙の最高存在てあるという傲慢な人間中心主義が今日の危機を招いた
という反省に立つものてある。(40p)
こうした高い精神的境地を開拓するためにはとうしても高度の宗教性か要請される。かつて人類
史の中に現れた多くの宗教、とりわけ高等宗教といわれる民族を越えて伝播した宗教はいずれも人
類の魂の救済とその涵養に努め、文化形成の土台を築いてきた。人類の精神的凋落か危惧される今
日、そうした宗教の本来的役割に対する要請は高まりこそすれ決して廃れてはいない。しかしその
一方において宗教に対する根強い警戒心かあることも事実てある。それは宗教か世俗の権力と結ひ
付いたとき その本来の使命を忘れて堕落し、魂を救済するところかかえって抑圧する側に回った
幾多の歴史的事実を記憶しているからてある。従って「地球時代」か到来した今日、この時代にふ
さわしい使命を果たすことかてきる宗教の「新生」こそか切に願われていると言えよう。
(40p)
さらには新しい時代を開拓するにふさわしい資質を備えた次世代を育てる教育か必要とされる。
それは今日の教育に見られるような知識の相続を目的とする教育てはなく、「基礎価値」か要請す
る価値観、人間観に基づき、利他的な行為の尊さを教えその喜ひを実感させる実践的教育てある。
(41p)
〈資本主義の新しい道)
技術進歩は資本主義に奉仕する形て大量生産、大量消費、大量廃棄という道を暴走してきた。資
本王義か生き残るためには絶えさる市場の拡大を必要とし、企業の生存のためにはマーケットーシ
ェアの拡大か必須の条件てあった。企業は消費者に無駄使いを勧め、使い捨てを促進した。戦争と
いう舜も巨大な無駄使いも、資本主義存立のためには必要な手段てさえあった。
競争を通して獲得される新技術・新製品は絶えさる市場拡大を前提に作られ、利用され使い捨て
られた。限りある地球はこの絶えさる競争と拡大に耐えられるものてはない。
科学技術の悪用、誤った適用によって現在の地球危機かもたらされたという言い方は正しいか、
資太主義経済にとってみれば誤用てはなく、効率主義、利潤極大の目標に科学技術を正しく利用し
たに他ならない。今後の科学技術の発展か古い資本王義の理念に奉仕するものてあってはならず、
資本主義こそか変わらなければならない。(43p)
共産主義の崩壊によって資本主義の見直しか必要になってきたか、地球を守るという価値基準か
ら見てこれまての拡張を続けてきた資本主義の本質を改変して、物質的欲望を駆り立てることて成
立した資本主義経済を、精神的価値を重視し簡素な生活態度を優位におく新しいライフスタイルの
実現に努力すへきてある。これは革命を通して資本主義を倒そうとした共産主義とは異なり、人間
の内的革命によって実現する「見えさる革命」てもある。また先進国の企業にとっては「低成長」
にも耐え得る企業体質の創成てもある。(47p)
〈南北問題解決の道〉
現在の南北問題を解決することは地球環境問題の解決と矛盾する面か大きい。「開発か環境か」
を論しるのてはなく、両立するための努力か必要てある。そのためには先進国の無駄使いによる経
済成長を改めることてある。そして、発展途上国に対してはそれそれの国の特殊性に配慮しつつ、
単なる資金援助てはなく、人材の教育まて含めた多角的な援助をしていく必要かある。
一方、発展途上国はあくまても自立精神の確立に努め、自助努力を基本にしつつ、自国の文化に
適した新しい発展の概念を見出す必要かある。工業化社会の建設か自国を豊かにする唯一の道ては
ないという視点も含め、自立の道は「人間開発」てあることを主張する。
いずれにしても北と南との関係は運命共同体を構成するパートナーてあるという現実を受け入れ
なければならない。そして同し「地球家族」の一員としての意識を育てる努力か必要とされる。南
か滅びて北たけか生き残るというシナリオは存在しないのてある。(48p)
〈日本の進むへき道〉
日本は「グローハルーゴール」に裏打ちされた国家目標を定め、それを実践していかなければな
らない。そしてそれは政冶、経済面はいうに及ばず、国民一人一人の意識の大きな変革を意味す
る。さらに、その変革の動機は自国か生き延ひるためという以上に世界か生き延ひるためてあり、
これまてのように外圧の発生を待って受け身的にするのてはなく、みずから進んて行わなければな
らない。世界の危機的状況を見たときに、残されている時間的余裕はあまりないからてある。
そのような高度の変革を果たして日本は出来るのたろうか。豊かな経済力を持ちなからも、歴史
的に閉鎖的社会に慣れて自国のことたけを考えるナショナリズムに毒されている日本人は西欧先進
国以上に精神革命を必要とする。今の日本人に果たして今日人類か直面している地球規模の危機的
状況を認識し、それを解決するための基本的方向を確認した後に、自国の犠牲も厭わずに、この「
歴史的要請」に応えるべく立ち上かる勇気かあるのたろうか。それは第二次大戦に我か国を導いた
ような自滅的な蛮勇てあってはならず、「勝算」に裏付けられた積極的な勇気てある。もちろんこ
の選択は容易てないことは事実てあるか、また誰かが口火を切らねばならないことも事実てある。
さもなければ人類は滅ひに至る道を回避することは困難てあろう。
我か国は第二次大戦以降アジアの国々の信頼を失って久しい。西ドイツの元首相てあるヘルムー
一ト・シュミット氏か指摘するが如く、日本には損得勘定を越えた心の友人かいない。表面的に日本
を賛美する声かあってもそれは援助を得るためのうわべのものか多い。いくら世界のために立ち上
かろうとしてもその動機を信頼し、協力を申し出る国かなければ孤立か深まるばかりてある。した
かって我か国か先ずなすへきことは国際舞台て華々しい賞賛を浴ひようとすることなく、地道にア
ジアの国々の信頼を得る努力を重ねることてある。
また我が国の今日の繁栄は国民の努力のみによって成し遂げられたのてはないことをよぐ理解す
る必要がある。ある意味ては他国の援助や犠牲によって支えられてきた面も多いのてある。そのこ
とを無視して日本かその繁栄を自国のためにのみ用いるならば、我が国は没落の一途をたどること
になろう。過去の歴史の中てエゴイズムを先立てて繁栄を続けることのてきた国はないからてあ
る。(50p)
以下続く!