【最終講義】
加藤 秀治郎
教授退職記念号) 著者加藤 秀治郎 PDF⇒
雑誌名東洋法学巻58号3ページ271-283発行年2015-03 URL
加藤 秀治郎 教授 略歴 昭和24年7 月8 日生れ 学歴 昭和44年4 月 慶応義塾大学商学部入学 昭和45年4 月 慶応義塾大学法学部政治学科第2 学年編入学 昭和48年3 月 同大学同学部卒業 昭和48年4 月 同大学大学院法学研究科修士課程入学 昭和50年3 月 同大学同研究科修士課程修了 昭和50年4 月 同大学大学院法学研究科博士課程入学 昭和51年4 月 ドイツ連邦共和国ボーフム大学社会科学科入学 (~52年3 月) 昭和52年4 月 同国ケルン大学経済・社会科学部入学(~53年3 月) 昭和54年3 月 慶応義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学 昭和61年 法学博士(慶応義塾大学) 職歴 昭和54年4 月 幾徳工業大学非常勤講師(~55年3 月) 昭和55年4 月 京都産業大学外国語学部専任講師(~58年3 月) 昭和58年4 月 同大学同学部助教授(~平成2 年3 月) 平成2 年4 月 同大学同学部教授(~平成12年3 月) 平成12年4 月 東洋大学法学部教授(~現在に至る) 所属学会: 日本政治学会、日本国際政治学会、日本選挙学会、 国際安全保障学会 東洋法学 第58巻第3 号(2015年3 月) 1(288) |
一 修士課程の院生時代
私は、慶応義塾大学の法学部政治学科で堀江湛教授のゼミに属し、行動科学的政治学と呼ばれる現代政治学から
勉強を始めた。一九七三年に学部を卒業すると、そのまま大学院に進み、堀江教授の下で政治社会学を重点にして
研究に入った。社会学という学問に新鮮なものを感じていたからであり、修士課程の頃は、政治学と社会学の境界
領域を専門にしようか、と考えていた。
修士課程一年の時に書いたのは、アメリカの社会学者D・ベルの「脱工業化社会論」の政治的意味合いを考える
という論文であっ(1)た。指導教授の堀江先生に評価していただき、少しずつ博士課程への進学を考えるようになっ
た。それ以前は、新聞社か出版社への就職を考えており、学部時代は「慶應塾生新聞」という月刊の学生新聞を刊
行するクラブに属していた。クラブ活動が忙しいこともあって、学部での学業成績は芳しいものではなかった。新
聞などメディアへの関心は学者になっても続いたが、それはこういう事情からである。
修士課程の当初は就職の可能性も考えており、いわば二股をかけていたのだが、二年目はほぼ進学という線で固
まっていたように思う。だが、それには一つ問題があった。語学である。英語も決して得意な方ではなかったが、
第二外国語のドイツ語はもっと酷かった。修士課程の入学試験でもドイツ語の点が悪く、面接の時に神谷不二教授
から、入ったら一所懸命やる、という一筆を取られていた。
入学すると、たまたま知人から、日本語を習いたいというドイツ人が交換でドイツ語を教えてくれる、という話
が飛び込んだ。コンラート・ヴェークマン氏だった。ルール工業地帯にあるボーフム大学から、現代中国研究を主
とする東アジア政治研究のために、東大に研究滞在していた若手教員だった。週に二回くらいのペースで通い、親
しくなって一年後の帰国の際には、「ドイツに遊びに来なさい」と誘われた。
そこで、博士課程の受験対策も兼ね、夏休みにドイツに行った。八週間のドイツ語研修の後、二週間ほど旅行を
した。ヴェークマン夫妻にも世話になった。ドイツ語は会話の勉強が中心で、独文和訳の入試対策には直結しな
かったが、ドイツの現代政治への関心が高まり、それを研究テーマにしようかと考えるようになった。
二 大学院博士課程とドイツ留学
無事、博士課程への進学が許されると、堀江研究室での投票行動の共同研究をしながら、ドイツ現代政治の勉強
も始めた。当時はドイツ政治というと、ワイマール共和国とナチスの時期の政治史研究ばかりで、戦後ドイツ政治
の研究はないに等しかった。慶応にもその分野の先生はいなかったから、ゼロから手探りのようにして始めた。
二年目は直接ドイツに行こうと決めていたから、それで構わないと思っていた。幸いなことに、防衛大学校の佐
瀬昌盛教授が『戦後ドイツ社会民主党史』という本を、出発の半年前に刊行された。内容も優れていたが、関連文
私の政治学と選挙制度研究〔加藤 秀治郎〕
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献の案内が懇切丁寧な本で、ドイツ語を読むのが未だ不自由だった私には、この本が「第二の指導教授」の役を果
してくれた。
行き先は、ヴェークマン氏のいるボーフム大学とした。筑波大学のモデルになった、巨大な新設大学だが、政治
学にどんな教授がいるのか、ほとんど知らなかった。どうせドイツ語の語学コースから始めなければならないのだ
から、知り合いのいる大学が良いという考えだった。夫妻には本当にお世話になり、順調にスタートを切った。語
学試験にも合格でき、半年後には専門科目の履修が許された。
一年のうちにドイツの政治学の状況も分かってきた。選挙研究には社会学の「ケルン学派」が先鞭をつけ、マン
ハイム大学が中心になりつつある、ということが分かったので、二年目はこの二大学のどちらかに行こうと決め
た。やや南に寄ったマンハイムにしようかとも思ったが、知人の多いボーフムから遠く離れるのは寂しい想いがし
て、ケルン大学にした。指導教授は社会学のE・K・ショイヒ教授とした。たいへん著名な教授であり、奨学金も
世話してもらって、安心して二年目の勉強に入った。
この分野では英語文献にも良いものが多く、ドイツ語文献と併せて読み進め、「西ドイツにおける政党制の発
展」という論文をまとめ、慶応の大学院紀要に載せてもらっ(2)た。後に博士論文『戦後ドイツの政党(3)制』となる
ものの、骨格をなす論文である。その分野では他に邦語の文献があまりなかった時代だから、この拙著もある程度、
読まれたように思う。
二年間の留学を終えて帰国して、慶応の大学院に戻った。博士課程は三年だが、単位も取ってきたことだし、こ
の二年のうち一年は在籍期間に数えることにするので、あと一年残るようにということで、三年次の勉強を続け
た。当時は、課程博士号を取る者はほとんどいなかったので、「ドイツの選挙と政党」の研究を集中的に続けるこ
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とはせず、年に一本くらいのペースで書き継いでいった。その間、どんな就職のチャンスがあるか分からないか
ら、かなり間口を広げて、いろいろな論文を書いていた。
三 京都産業大学での二十年
博士課程を終えて直ぐは就職口がなく、非常勤講師などをしながら一年を過ごした。その間に幸いにも専任講師
としての採用が決まり、一九八〇年に京都産業大学に赴任した。外国語学部の国際関係の部門で、コースと称して
いたが学科に近い存在だった(後に学科となっている)。いろいろな外国語を勉強する学生が、副専攻として国際関
係を履修できるシステムになっていた。
学生は、英独仏語の他、イタリア語、スペイン語も学べるようになっており、かなり学生がいたので、三好修教
授が担当されていた「ヨーロッパ論」をⅠとⅡに分け、私が後者を担当するということになったのだった。西欧の
現代政治などについて講義するようにということで、まずはドイツ現代政治の研究に専念した。
ドイツ専門家になろうと思っていたのだが、研究・教育環境もそれを後押ししてくれた。数年で著書『戦後ドイ
ツの政党制』をまとめることができ、論文で慶応から法学博士号をいただいた。この書物は比較政治学的な研究だ
が、学部の同僚は国際政治を主に国際関係研究に携わっていたから、次第に国際政治に関連したテーマも扱うよう
になっ(4)た。
また、講義ではドイツ語専攻以外の学生も多かったから、西欧について幅広く研究するようになった。共著での
関連の著作の他、W・ラカーの『ヨーロッパ現代(5)史』(全三巻)の共訳を自分が中心になって進めたのも、その中
でのことである。
さらには、赴任すると直ぐ、法学部の小平修教授から、現代政治学を主に法学部でも講義してくれとの申し出が
あり、「政治社会学」との題目で講義を担当することになった。ドイツ留学の以前からの勉強は、この講義との関
連で続けることになった。
その関連で触れなければならないのが、R・ダーレンドルフの翻訳や解説である。留学から戻ると、「ドイツで
今、注目の政治関連の本は何か」との質問を多く受けたが、一九七〇年代に第三党FDP(自由民主党)の路線転
換に影響を与えた、ダーレンドルフの『新しい自由』のこと話すと、翻訳を出せということで、出版社を紹介さ
れ、トントン拍子に出版が決まった。
薄い本だが、院生の私が単独訳で引き受けたのは、身のほど知らずでもあった。最初に『ザ・ニューリバティ』
(創世記)として出したものは、多くの新聞・雑誌で書評に取り上げられたものの、訳文の拙さは否定しがたかっ
た(後に改訳版を『現代文明にとって「自由」とは何か』と改題して出版した)。最初の翻訳は、売行きはいまひとつ
だったが、「続篇も是非」ということで、同じ出版社から一九八二年にダーレンドルフの『ライフ・チャンス』を
出した(これも後に改訳し、『新しい自由主義――ライフ・チャンス』と改題して出版した)。
また、一九九三~四年に部分的ではあれ、実現した政治改革の過程で、ドイツの選挙制度の併用制が議論にな
り、専門家だから詳しいだろうということで私にも多くの問い合わせや、原稿依頼があった。そんなことで、ドイ
ツの選挙・政党とは別に、選挙制度の研究が専門の一つに加わることになった。
このように、いろいろ書いてくると、「政治学の何が専門なのか」と問われるような状況だが、若さにまかせ
て、その時々に自分の関心の向いたことをやってきた、ということなのだろう。やや幅を広げすぎたという反省も
ないわけではないが、これも性格である。一つのことを偏執的にやるよりは、いろいろ並行的にやる方が性にあっ
ていたのだろう。こうして二十年が過ぎた。
四 京都産業大学時代の政治学の研究分野
教壇に立って、二十年の間に「私の政治学」はほぼ三つの分野にまたがるものとなっていた。①ドイツ現代政治
を中心とする西欧の地域研究・国際政治、②日本政治を含む、政治過程についての比較政治学、③ダーレンドルフ
の政治理論の研究、である。
バラバラといえば、確かにそのように映るが、私なりにはそれぞれ理由があった。ジャーナリストを志望した時
期があったように、私には日本政治の在り方について、自分の考えを問いたいという気持ちがあり、そこから政治
学に入った。だが、ストレートに日本政治を論じるよりは、ドイツの事例を引き合いに出しながら述べると、主張
の説得力が増すように感じていたから、そのスタイルで著述を行うようになった。『ドイツと日本の連合政(5)治』、
『ドイツの政治・日本の政(6)治』といった著書のタイトルからも、それが理解いただけよう。右の①と②はこうして
結びついていたのである。
③については、先述のように、最初はやや偶然の要素もあったが、途中からは自覚的に行うようになった。国際
政治はやや異なるものの、①や②のような研究領域では、生のデータを経験的枠組に沿って分析する手法が、学界
の動向として主流を占めていくのだが、私にはそれだけでは飽き足らない気持ちがあり、その空白を埋めてくれる
理論への渇望があった。ダーレンドルフの翻訳はその後、『現代の社会紛(7)争』という難物に至るのだが、とにかく
続行できたのは――共訳者・檜山雅人(8)氏の協力が得られたこともあるが――こういう気持ちが私にあったためだと
思う。
五 選挙制度研究の発端
私が選挙制度の研究に入り込む切っ掛けは、先述のように偶然と言えば偶然であった。ドイツの政党・選挙の分
析をする上で、当然ながら読者には前提として選挙制度を理解しておいてもらわないといけないのだが、一九八〇
年前後の日本ではこれが怪しかった。ごく少数の専門家は正確な説明をしていたが、あとは半々くらいで、不正確
なものが少なくなかった。政治学会などでも、そこから説明しなければならなかった。
選挙制度の改革論議の中でもドイツ型「併用制」は、小選挙区と比例代表制を混合する方式の参考例とされてい
たから、強い関心が寄せられていた。新聞社の論説委員などが何人も、「ドイツの制度はこういう説明で正しい
か」と、不安を解消すべく京都に電話を掛けてこられた。このエピソードで、当時の事情を想像いただけようか。
ドイツの制度は、政党へ投じられる比例代表の票だけで全部の議席を配分するのだから、比例代表制なのだが、
どういう訳か日本では「併用制」と呼ばれ、混合型の一種との説明がなされてきた。小選挙区の方は、政党が比例
代表制で獲得した議席の枠に、誰を入れるかの段階で関係するだけであり、そこで小選挙区の当選者が優先される
にすぎない。
ただ、小選挙区の候補者に入れる票が「第一票」、比例に投じられる方が「第二票」というのが正式名なので、
理解が混乱しやすいことおびただしく、当のドイツでも一九七六年頃までは有権者も混乱していた。そこで専門家
の出番となって、私も選挙制度研究へと促されることとなったのである。
どういう経緯でドイツがこの選挙制度となったのか、導入時にどんな議論がなされたのか、説明してほしいとい
う要望が多く出され、それに対応しているうちに、私も選挙制度に詳しくなっていった。そして、ドイツ語の文献
を読んでいると、いやでも日本語の文献との相違に注意が向くようになり、その点も調べていくようにもなった。
その過程で最初にまとめたのが、編書『リーディングス 選挙制度と政治思(9)想』(一九九三年)である。日本で
は、選挙制度の議論というと直ぐに「各選挙制度の利害得失」という技術的な話になり、比例代表制論者としての
J・S・ミルの名前も出てこなければ、多数代表制論者としてのW・バジョットの議論も紹介されない有様で、こ
れは何とかしなければならないと思った。リーディングスという形式を選んだのは、地方にいる自分がただ主張し
ても、なかなか耳を傾けてもらえないという想いがあったからである。ミルやバジョットなら無視されないだろ
う、というのだったが、無視する人は無視するのであり、この本も特に注目を集めた訳ではなかった。
その本の増刷の際に新しい論点を付け加え、もう一度、問いたいと思い、増補版にあたるものを用意し、
一九九八年に『選挙制度の思想と理(10)論』として刊行した。名前ばかり有名で、誰もオリジナルを確認しようとしな
いM・デュベルジェの論文や、その最大の批判者S・ロッカンの論文の翻訳など、政治思想よりは現実に近い政治
理論の論文を入れて、拡充を図った。私の研究の視野もそれだけ広がっていった。
六 『日本の選挙』
そうこうするうちに東洋大学から誘われ東京に移った。その頃、京都産業大で同僚だった小島朋之・慶大教授
が中公新書編集部に推薦して下さり、選挙制度をテーマに執筆することが決まった。その結果できたのが『日本の
選(11)挙』(二〇〇三年)であり、私のそれまでの選挙制度研究を集大成し、一般読者向けに書いたものである。
何度も推敲しているうちに、圧縮した表現となり、当時の新書としては少し難しいのではないか、という苦言を
たまわることとなった。特定はできないが、その前後に読んでいたものの文体から、影響を受けてのことかもしれ
ない。最後の段階でどうしても盛り込みたかったのが、G・サルトーリの選挙制度論であった。
関連の書物が翻訳出版されていたものの、邦訳を読むだけではよく理解できないきらいがあったので、徹底して
読み込み、右の新書で分かりやすい解説を試みた。それでもなお、その部分は難しいという感想を、学生諸君から
聞いたので、まだ改善の余地があろう(後に、その原型となるサルトーリの論文を編(12)書に入れた)。
この新書での基本的な主張は、次のようなものである。
①各選挙制度は、それぞれ民主主義についての異なる理念と関連があるので、バックにある政治思想に無関心で
あってはならない。
②ただし、ある理念から選挙制度を構想したり、選択したりしても、必ずしもその意図が実現するとは限らない
ので、各制度が現実にどういう作用を及ぼしているか、経験的な研究に照らして、政治理論から検討してみる
作業が欠かせない。
③選挙制度は政治制度のサブ・システムであり、政治制度の他の部分との関係が重視されねばならない。大統領
制・議院内閣制との関係、両院制との関係、中央・地方の関係などがそれである。
この新書が出たことで、選挙制度についてメディアの取材を受けたり、政界などでの勉強会に呼ばれて話をした
りする機会が増えた。そこで受ける質問などから、どの部分の知識を深める必要があるかとか、説得力を増すには
何が必要かなど、考えさせられることが多くあり、その後の研究の方向にはその影響が及んでいる。
七 この十年の私の選挙制度研究
いろいろ質問や注文に応じたりする内に、この十年ほどで選挙制度研究の幅がさらに広がってきた。それを列挙
東洋法学 第58巻第3 号(2015年3 月)279 してみよう。
①歴史的発展の詳述
『日本の選挙』を読んだということで、NHK教育テレビのスタッフがみえ、選挙制度の歴史的変化を扱う番組
をつくるのに協力することになった。「知るを楽しむ――歴史に好奇心」という番組で、二〇〇八年四月、五月に
放送された(後に総合テレビで再放送)。歴史的な流れは、ごく簡単にしか見てきていなかったが、その機会に戦後
だけだが、本格的に勉強し直し(13)た。
②議会研究との関連
選挙制度と議会の関連を徹底して考えてみる必要を感じ、その分野に詳しい水戸克典教授(現日本大学)と共同
作業を始めた。成果の一つが『議会政(14)治』(慈学社出版)であり、そこにN・W・ポルスビーの重要な論文「立法
府」を翻訳して収めた。アリーナ型、変換型という議会の二類型などを論じたもので、わが国の国会をどう構想す
るか、という点で欠かせない視野を提供してくれる論文である。『日本の選挙』でも触れていたが、理解が本物で
はなかったのに気づき、以後、多少なりとも叙述が変化した。
③民主制についての政治理論からの検討
哲学者K・ポパーの比例代表制批判などを紹介する中で、民主制そのものと選挙制度の関連を本格的に検討する
必要を感じてきたが、近年はこのテーマに取り組んでいる。H・ケルゼンの比例代表制論や、J・A・シュンペーターの
小選挙区制論など、荒削りなものながら、『日本の選挙』でも触れているが、充分な理解はできていなかった。両者と
も奥が深く、現在、取り組んでいるところである。
これらがこの十年ほど、自分なりに深めてきたテーマである。
それは『日本の統治システムと選挙制度の改革』(一藝社、二〇一三年)にかなり盛り込んだが、まだまだ不十分
である。右の②と③は、憲法学の統治機構論などとの接点があり、東洋大学で法学部に属し、法学者に囲まれて時
間を過ごしたことと無関係ではあるまい。今後は、人生の残された年月でどれだけのことが出来るものが分からな
いが、さらに発展させていきたい気持ちは残っている。
むすび
他にも、東洋大学に来てから特に力を入れてきた分野がないわけではない。「憲法改革」と呼んで書いてきた分野
がそれで、『憲法改革の政治(15)学』にまとめてある。憲法九条が中心だが、その他に首相公選論への批判、両院制
の改革、衆議院解散制度の改革などが、その具体的な論点である。
ずっと関心をもちながらも、まとめきれずに残ったテーマもある。代表例が国際政治コミュニケーションの研究
である。京都産大で漆山成美教授の後を継いで「世論と外交」という講義を担当したが、不完全な講義ノートを
『国際政治コミュニケーショ(16)ン』として出しただけで、著書にできないまま今日に至っている。
逆に、定年までに積年の課題を何とか果たせたこともある。三十年ほども前から、指導教授の堀江先生と共同を
進めてきたラスウェル&カプランの『権力と社(17)会』の翻訳書を、退職の一年半前に刊行できた(最後は後輩の永山
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(1) 「脱工業化の政治社会学」(『慶応義塾大学法学研究科論文集』一九七三年)。
(2) 「西ドイツにおける政党制の発展」(『慶応義塾大学法学研究科論文集』一九七八年)。
(3) 『戦後ドイツの政党制――東西ドイツ政党の政治社会学的分析』学陽書房、一九八五年。
(4) 渡邊啓貴共編『国際政治の基礎知識』芦書房、初版、一九九七年。
(5) 芦書房、一九九二年。三部構成で、日独比較を総論的に行った第一部と第二部を執筆(共著者の楠精一郎は、
第三部の安全保障を担当)。
(6) 初版、人間の科学社、一九九五年。二年後に増補改訂版。その後、一藝社から新装版。
(7) 世界思想社、二〇〇一年。
(8) 檜山氏は、私が完結させることのできなかったダーレンドルフ研究を発展させ、『自由とライフチャンス――ダーレ
ンドルフの政治・社会理論』(一藝社、二〇一一年)という著作をまとめられた(東洋大学法学研究科から論文での
博士号を授与された)。
(9) 芦書房、一九九三年。
(10) 芦書房、一九九八年。
(11) 中央公論新社、中公新書、二〇〇三年。
(12) G・サルトーリ「選挙制度の作用」(加藤・岩渕美克編『政治社会学』第五版、一藝社、二〇一三年、所収)。
(13) 番組の元になるテキストがあり、『NHK知るを楽しむ 歴史に好奇心』二〇〇八年四・五月号に「いつ なぜ
日本の選挙制博之・広島大学教授の協力も得た)。これまた、不十分な点が気にならないわけではないので、
部分的にであれ、改訳の機会があればやりたいと思っており、増刷のチャンスが得られることを願っている。
今後もやれる範囲で研究は継続したいが、現役教員時代と異なり、発表の機会も不自由になるかもしれない。
これまでの皆様のご協力に感謝するとともに、今後の変わらぬご支援をお願いして、私の最終講義としたい。
私の政治学と選挙制度研究〔加藤 秀治郎〕282度」(四四~八六頁)を執筆した。
(14) 初版、二〇〇九年。第二版、二〇一一年。
(15) 初版、二〇〇二年。増補改訂版、二〇〇五年。
(16) 漆山成美・加藤秀治郎『国際政治コミュニケーション』一藝社、二〇〇六年。
(17) 芦書房、二〇一三年。
主要業績 ― かとう しゅうじろう・法学部教授 ―
一、単著(学術的著作)
1 、『戦後ドイツの政党制』学陽書房、1985年10月
2 、『ドイツの政治・日本の政治』一藝社、1998年12月
3 、『日本の選挙』中央公論新社、2003年3 月
4 、『憲法改革の政治学』一藝社、増補改訂版、2005年2 月
5 、『日本政治の座標軸』一藝社、2005年12月
6 、『日本の統治システムと選挙制度の改革』一藝社、2013年9 月
二、共著書、編書、共編書
1 、(楠精一郎共著)『ドイツと日本の連合政治』芦書房、1992年12月
2 、単編『選挙制度の思想と理論』芦書房、1998年1 月
3 、単編『日本の安全保障と憲法』南窓社、1998年10月
4 、(渡辺啓貴共編)『国際政治の基礎知識』芦書房、増補版、2002年5 月
5 、単編『関嘉彦・戦後日本の国際政治論』一藝社、2000年11月
6 、単編『憲法改革の構想』一藝社、2003年10月
7 、(堀江湛共編)『日本の統治システム』慈学社出版、2008年11月
8 、(水戸克典共編)『議会政治』慈学社出版、第二版、2011年10月
9 、(岩渕美克共編)『政治社会学』一藝社、第五版、2013年2 月
三、単著(テキスト、その他)
1 、『茶の間で聞く政治の話のウソ』学陽書房、1990年9 月
2 、『はじめて学ぶ政治学』実務教育出版、1994年11月
3 、『政治学』芦書房、第三版、2008年10月
4 、『図解 政治学』実務教育出版、2011年5 月
四、訳書
1 、R・ダーレンドルフ『新しい自由主義――ライフ・チャンス』(共訳)学陽書房、1987年
五、その他(単行本への執筆)
1 、『都民の選択』慶応通信、1977年
2 、『変貌する有権者』創世記、1979年
3 、『政治心理学』北樹出版、1980年
4 、『世界政治ハンドブック』有斐閣、1982年
5 、『地政学と外交政策』地球社、1982年
6 、『現代の政治と社会』北樹出版、1982年
7 、『政治学の方法とアプローチ』学陽書房、1884年
8 、『続・現代政治学の理論』早稲田大学出版部、1985年
9 、『ドイツ ハンドブック』早稲田大学出版部、1997年
10、『二〇世紀現代史』一藝社、1999年
11、『図解 日本政治の小百科』一藝社、2002年
12、『新版 政治学の基礎』一藝社、2002年
13、『西欧比較政治』第二版、一藝社、2004年
14、『Q&A 日本政治ハンドブック』一藝社、2006年
六、論文(著書に入っていないもので重要なものに限った)
1 、「ダーレンドルフの政治・社会理論」日本政治学会『年報政治学』、2002年
2 、「選挙研究と日本政治の改革――ポパーの漸進的社会工学に導かれて」
日本選挙学会『選挙研究』23号、2008年
2’ 、R・ダーレンドルフ『現代文明にとって「自由」とは何か』TBS ブリタニカ、1988年
3 、R・ドーソンほか『政治的社会化』(共訳)、芦書房、1989年
4 、R・ダーレンドルフ『激動するヨーロッパと世界新秩序』TBS ブリタニカ、1992年
5 、W ラカー『ヨーロッパ現代史Ⅰ』(共訳)、芦書房、1998年
6 、W ラカー『ヨーロッパ現代史Ⅱ』(共訳)、芦書房、1999年
7 、W ラカー『ヨーロッパ現代史Ⅲ』(共訳)、芦書房、2001年
8 、R・ダーレンドルフ『現代の社会紛争』(共訳)世界思想社、2001年
9 、D・R・キンダー『世論の政治心理学』(共訳)世界思想社、2004年
10、R・ダーレンドルフ『政治社会論集』(共訳)(増補版)晃洋書房、2006年
11、H・D・ラスウェル& A・カプラン『権力と社会』(共訳)芦書房、2013年
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