山本七平
現代日本とキリスト教
山本書店店主 山本 七平
「彼は天の使と争って勝ち」(ホセア書12:3~5)の解釈と論争
私は、実は“先生恐怖症”ですので、先生方にお話するということで非常に恐縮しております。ですから、誰が話しても分らない箇所を選ぶのが一番いいだろうという発想をしまして、今日はホセア書12章3~5節を選びました。(ホセア書12章3~5節「ヤコブは胎にいたとき、その兄弟のかかとを捕え、成人したとき神と争った。彼は天の使と争って勝ち、泣いてこれにあわれみを求めた。彼はベテルで神に出会い、その所で神は彼と語られた。主は万軍の神、その名は主である。」)
この箇所は「註解者の十字架」という諢名がありまして、2000年来どう解釈してよいか分らないのです。最近でもいろいろな研究 がありまして、立教大学の中沢浩樹先生が「ここは一体どういうふうに書き違えたか、或いは何か脱落しているのではないのか」という、諸学者のさまざまな説を挙げておられますが、「どう正編=(書物の主要な部分として編集されたもの)しても、うまく文脈がつづかない」と記しておられます。この箇所の何処が変かと申しますと、「成人した時、神と争った。彼は天使と争って勝ち」という箇所なのです。天の使というのは神の使であって、当時の概念で言いますと神と同じなのです。写本によりましては「神と争って勝ち」となっているそうです。人が神と争うと勝つ、これが甚だ違和感があるわけですが、その後で「泣いてこれに憐みを求めた」と。何か間違っているのではないかという気が誰でもするわけですが、そこで何かが脱落しているのではないかという疑問も出て参ります。そのため、いろいろ読み変えがありまして、「彼は神の使と争って神の使が勝ち」の「神の使」が落ちたのではないかというのが昔からの説のようです。そう言ってしまえば何の矛盾もないわけです。「彼は神の使と争って神の使が勝ち、泣いてヤコブはこれに憐みを求めた。」と読みますと甚だ合理的なのですが、ところが原文を読みますと 、 どんなにしてもこういう間違いは起る筈がないのです。ユダヤ教時代から合計しますと2000年位この組み変えを考えているのですが、どうしてもこの句以外には考えられない。この通りなら一体何を言ったのだろう。「人が神と争って、人が神に勝ってしまった。」というのは注解をしますときに甚だ困るのです。神は全能であるという概念に当てはまらないで、人間の方が全能より強くなってしまう。これに対しては昔からいろいろ解釈があるのです。しかし、「そんなことはどうでも良いではないか」とは誰も言いださない。「聖書に一ヶ所位そういうところがあっても、天下の大勢には影響ない。そういう細かいことは言わないで、ただ精神を汲み取ればよろしい」と、我々日本人ですと、おしまいにしてしまうのですが、この一言一句を2000年位問題にしている。まだ問題にしているから、この論争は将来も続くと思います。
不思議なことの一つは、この奇妙な根気です。何としてもユダヤ人は合理的に解釈しないと気が済まない。我々ですと「曰く、言い難しだ」即ち、矛盾なるところがよろしいのだということで済むのです。しかしながら、合理的に解釈しないと気が済まないということで、延々と論争を続けておりまして、まだ続けるつもりらしい。もう一つは、解釈の仕方です。これはユダヤ教とキリスト教側の二種類ありますが、ユダヤ教側の解釈ですと、「神の使と争って勝つ」というのは、人間は律法を破ることが出来るという意味であろう。或いは、神から遣わされた神の言葉であるから、人間は神に勝った。故に自由に律法を破ることが出来る。その後、泣いて神に憐みを求めるという解釈の仕方もあります。キリスト教側の解釈ですと、古くからイスカリオテのユダを当てはめる。「ユダは争ってイエスに勝ち、これを十字架につけた。泣いて憐みを求めた。」という観点も出てくるわけです。
このようにいろいろな解釈の仕方が出来るわけです。只、書いた人は本当にそういうつもりで書いたかと言いますと、またそこで問題が元に戻って来るのです。後代が解釈することは出来る。が、書いた本人は、そう思ったのかということになりますと、その論証をすることは出来ませんから、また始めに戻って論争を繰り返しているわけです。
「中心の軸は変えないで解釈を変えていく」ユダヤ人の諸解釈
こういうものを読んでいきますと、我々日本人はユダヤ民族に対し、或いはキリスト教徒に対し不思議な印象を受けるのです。我々の読んでいるパウロ書簡は既に2000年経っている。が、今なお読まれているし、旧約になるともっと古い。モーセ五書が定説通り紀元前444年に正典となったとして約2500年間読み続けている。我々日本人にはこういうものが実はないのです。例えば、1611年の欽定訳聖書時代の日本の本を読めるかというと、加藤清正の頃ですから一般の人はもう読む気はない。
何故こうも一つの書を読み続けられるのか。これが我々と非常に違うところではないかと思います。何時頃からこのような歴史性を持つようになって来たかというと、私はエズラの時代だろうと思います。
エズラの時代というのは旧約のエズラ記にありますが、初めてここで民衆に律法を提供している。同時にイスラエルの歴史を読んで聞かせている。詳しく述べますと、神殿の前にエズラが立って「お前達は皆、律法通りにやっていない」と言うわけです。これに対し学者はいろいろ難しいことを言いまして、「タルグムの初めである{読んで且つ説き聴かせる}という形態を取ったのはエズラの時が初めだろう。即ち最初はヘブライ語で原典を読む。次にそれを普遍した訳でアラム語ものになった。」この時にエズラが語っていることは「先ず読む、次に説いて聴かせる、三番目にかくの如く実行しろ」です。「かくの如く実行しろ。」と言ったので当時大変なことになって、異邦人の妻を娶ったものは離婚して、その妻も子も追い出せという。こうした「かくの如く実行しろ。」というのはこのエズラの時代に始まる。それ以前というのは神殿が中心であって、こういう方法は採らなかったのではないか。これをユダヤ教徒はシナゴーグの最初と言い、エズラの大シナゴーグと言うわけですが、エズラの時に初めて、神殿祭儀とは別に、一つの書というものを普遍絶対化して「その如く実行する」ということが始まったのです。これが始まったのは、この辺りが人類の最初であろうと思います。また成文憲法の先駆的なものではないかと思います。人にも神殿にも権威をおかないで、立てられたものにだけ権威をおいている。「その如くやる。その為にどのような事があろうと、その如く実行する」と民衆に実践させる程の権威です。同時に、それを画一に説いて聴かせてその如く実行させる。これはエズラの時が始まりとか、パリサイズムの始まりと申します。この時に大変おもしろいのは、「その如く実行する」が年中変わっていくことです。「説き聴かせる」という段階で既に少しずれている。それを集約したものがタルグムですが、少しずつ時代と共に解釈の仕方によってずれてくるのです。これが口伝律法になってパリサイに残る。口伝律法はサドカイには無いと言われますが、実際にはサドカイ的な口伝律法というのがあったらしい。これはほんの少し残っています。本論に戻りますが、こうして解釈し、普遍して引き出してきても、それは変えない。何故こういうことをしたのかということをいろいろ観てきますと、結局、自分達がどれだけトーラーから離れた位置にいるかが分かるわけです。中心の軸は変えないで解釈は変えていく。いわば一つの尺度のようなもので、真ん中に軸のようにトーラーを置いている。ですから絶えずこの解釈が拡大されますと、どんどん変わっていきまして、例えばフィロンぐらいになると象徴的解釈が出て来るわけです。エデンの園でも全て一つの象徴にしてしまい、ギリシャ哲学で解明していくという非常に妙な状態も出てくるのです。しかし、いろいろ出てきてもトーラーは変えない。自分の位置を測る目安となる中心軸は変えずに残しておくという発想は、おそらくその後、現代迄続いているのではないかと思います。そういう発想があるからこそ不合理な句があると解釈が無限に出て来て、何とか合理的に解釈しないと気が済まない。パリサイ等で観てみますと、当時の水準に於て合理的だという一つの解釈をモーセ五書から引き出している。これが一つの基本だと思います。もう一つおもしろいのは、ヨセフスに「イスラエルに予言の声が絶えた」という言葉があるのですが、これにはトーラーができると同時に預言者はなくなったという意識があるのです。神の声が直接人間に臨むということはもう無い。これからは、唯一、神の与え給うたトーラーから神の声を引き出さなければならない。例えば、エリヤのように、神の声が自分に臨んだ。自分は神の声を語っているのだということはもう許されない。一切はトーラーから出るのだという意識です。そうなりますと律法学者というものが出てくるわけです。トーラーを解釈する者だけが権威者であるという意識をもっている。
「預言者の存在の有無」(サドカイ派とパリサイ派の違い)
新約聖書とパリサイズムとは如何なる関係にあるかというのは大変おもしろい問題で、ソロモン・ツァイトリンというユダヤ教の学者でヨセフスの研究家は、キリスト教の発生をはっきりパリサイズムにおいています。最近はエッセネ派説というものもあるのですけれども、そう言われてみますとキリスト教の発想は非常にパリサイ派に似ている。サドカイ派と比較しますと明らかに相違点が出てきます。
例えばサドカイ派は①天使、神の使の存在 ②メシヤ降臨思想 ③終末論等一切否定している。おそらく当時、この三つの概念をはっきりもっているのはパリサイ派だけでしょう。故にキリスト教パリサイ派説の論も成り立つわけですが、ではキリスト教とパリサイ派とはどういう点が違ったのかという問題です。メシヤ待望思想は両方にあるのですが、一番大きな違いは予言者問題です。パリサイ派は、予言者は出ないという発想をしている。予言者はいない筈である。ですからイエスなる方はいる筈がない。彼の存在を何とかして、トーラーから解釈し引用し合理化しないといけないわけですから、当時イエスの語った言葉を、その如く、神の言葉が彼の口を通じて出たと考えることは有り得ない。予言の声は既に絶えたから、正典ができるという意識。正典というのはカノン(標準、規範)という意識がでてくると必ず出てくる発想でして、これはカトリックにもある発想ですが、やはり1500年間でカノンという意識が定着してくると、カノンを経由しないで別の「神の声」が出てくることを拒絶する。同時にキリスト教においては、そういう「神の声」が出て来ることを肯定し、同時にトーラーを完全には否定しない。トーラーが新しく再生され伝承されていく。只、その前のトーラーは絶対消さないで、絶えず旧約(Old Testament)という形で残す。これが大体、彼らの生き方ではないかと思います。
もう一つ、サドカイ派とパリサイ派の違いを挙げますと、パリサイ派はメシヤ来臨の時はダビデの裔であって、政治的救済者であらねばならないという発想ですが、サドカイ派はあくまでアロンの裔がイスラエルを支配するのであって、ダビデの裔は関係がないと主張しています。このようにエズラ以来、両者は対立してきたのですが、新約聖書はパリサイ派の発想に非常に近い。決定的な違いがあるとすれば、前述の予言者問題です。その他にはあり得ないと思います。これがキリスト教以降、彼らユダヤ社会に絶えずあった二つの面ではないか。こういう二つの解釈、見方が一つの社会の中で絶えず平行してあるわけです。これは彼らユダヤ人の特徴であろうと私は思っているのですが、
「一神論・汎神論と日本人社会の“枠”」(我々日本人の発想)
一方我々日本人はどういう発想を持っているだろうかという疑問が出て参ります。これを観ていきますと、例えば規則とか法というものを座標軸にして自分の位置を決定する。こうすることによって合理的に自己規制していくという意識が我々にあるかといいますと、我々日本人には殆んどないのです。これは初めて日本に来た人が非常に強く感じるらしいのです。基本的には、一神論と汎神論という二つの違いがあるのではないかと思います。世界がいわゆる脱宗教体勢に陥っていることは事実ですが、やはり彼らは一神論の方向に脱宗教体勢となるだろうし、我々日本人は汎神論の方向に脱宗教化していると思います。例を挙げますと、ロシア系のゴショフ氏でしたか、仕事の関係で来日された方がいたのですが、初めてのことで非常に印象的だったのでしょう。或る会社に出向いたところ「万歳」と叫んでいる男がいたのだそうです。次に目前のドアが開き、誰かが出て来てその男に封筒を渡すと、その男は丁寧に頭を下げて行ってしまった。不思議に思い後で尋ねてみたら、その男は総会屋の一種で「万歳屋」というのだそうです。会社で一回「万歳」と言うと幾らか金銭をくれるのですが、その話を聞いたゴショフ氏は非常に驚いたわけです。そして彼はその会社の総務部長の所に行って「あなたは社規と社則、業務規程の第何条に基づいてあの金を支払われたのか?」と聞いたところ、「そんなものは知らない」と答えが返ってきたそうです。「若し、株主総会で社の規定に無い支払いをしていると株主から質問されたら、どう答えるつもりですか?」「そういう時の為に総会屋がいるのです。」これは冗談だと思うのですが、こういうことは日本では通用しないのです。先だって会合があった際、管理職の人達に「社規、社則、業務規定の全てを読んだ人がいますか」と質問しましたら誰もいない。要らないのです。日本では。あるだけで本当は要らない。実は私も旧日本軍に居ましたが、そこには成規類聚という部厚いものがあるのですが誰も読んだことはないのです。「何故、日本という国はこういうことをしていて成り立つのか」と彼、ゴショフ氏が聞くのですね。「あなたの発想はやはりユダヤの伝統的なものだろう。真ん中にやはりカノンがなくてはいけない。正典をいろいろ普遍していろいろ細則を引き出して、それに基いて日常どうすべきかという業務規定が出てくる。やはり、あなた達はパリサイ派の子孫なのだ。『これ以上然然してはいけない』と細かく決めていなければ気が済まないのだろう。しかし、我々日本人にはそうしたものがない。では何があるのかと言えば、我々は枠を決めておく。日本人の一番基本的な発想というものは、やはり汎神論というのは神々に包まれている。何処へ行っても神はいるわけで、お手洗い、井戸、襖の引き手にさえいる。何処へ行っても神は居まして全ては我々を包んでいる。それが一つの枠というものだ」と。初めて日本に来た外国人にはこの答えが一番よく分かったのではないかと思うのです。
日本人社会の“枠”と排除の論理
(例:排キリシタン、亡命者受入の拒否、外国人労働者受入の拒否)
例えばアーネスト・サトウも「日本には中央政府が無い」と言っています。我々は徳川幕府があったではないかと言いたいのですが、彼はロンドン・タイムスに「無い」と論文を書いているのです。彼が何故そこまで言及したか、その見解を調べてみますと、幕府と通商条約を結んでも、その条約が実際に効力を発揮するのは幕府の領土いわゆる天領のみである。考えてみれば実際そうなのです。幕府の隠密ですら潜行していかねばならぬ所もあったのですから、日本国中、外国人は歩いてもよろしいという条約を幕府が結んでも、各藩が厭だと拒絶すれば、幕府としてはどうすることも出来ない。それを規制する軸というものは無いわけです。では幕府の上に権威があうかというと「天皇」が居る。天皇には権威があるのかと言えば、無い。では誰と条約を結んだら良いのかというと、そのような対象は日本には無いという結論が出ると言うのです。あると思うからハリスのように腹が立つので、無いと思っていれば別に腹を立てることもない。日本が、それでいて何故成り立っているかというと、「鎖国」という厳密な枠がある。枠の内部は真に融通無碍で何の基準もないが、しかし枠をはみ出すということは絶対に許さないのです。会社も同じです。会社という枠はあるけれども、内部は融通無碍にやっているとうまく治まるし、返って我々日本人は外国人のやり方を踏襲したら何も出来なくなる。基本的には汎神論的発想ではないか。このように汎神論的発想というのは「枠」でして、枠からはみだす「特別」というものがあってはいけないのです。こうして排除された例を挙げてみますと、先ずキリシタンです。彼らが当時一番厭がられたと思うのは「諸宗を罵詈(ばり=汚い言葉で悪口を言う)す」という言葉が出てくるのですが、「他に神なし」と言うからいけない。「こちらも神だが、あなたも神である」と言っているから怒りを買うこともないし、そんなにうるさいことも言わないのだと当時の排キリシタン文書にも出て来ます。「彼らは、何故諸宗を罵詈するのか。謙遜を説くも甚だ傲慢なり」と書いてあります。皆、平和共存していないといけないのであって、只、日本という枠の中で平和共存していれば良いわけですが、「他に神なし」等と言いだしたら甚だ迷惑ですから排除してしまう。これが我々日本人の社会ですが、これが何処から出て来たかということになると真に分らない。このように日本の社会というのは何でも入ってくるわけです。神様も800万人いますから、もう一人増えても800万1人です。別に「他に神なし」と言わなければ、一向に構わない。これが日本の社会でして、非常に寛容だと言っていますが、実際はそうではない。枠からはみだすことを絶対、許さないという点で寛容ではない。ですから、彼ら外国人にしてみると非常に分らないことがあるのですが、そんなに寛容な社会のくせに外国人労働者を絶対入れないということ。これは多国籍企業の方に会うとよく話に出ますが、一体日本はどうするつもりなのか。いまに若年労働者が不足したらどうするつもりなのか。日本の労働者は直に80万人位不足するというのがアメリカの統計(コカ・コーラK.K調査)に出ているそうです。アメリカから指示が来て、日本は東南アジアから労働者を入れるに決まっているから、その市場を調査しろと。「誰も調べる気はないですよ、来る筈ないから」日本人社員は笑って話してくれたのですが、80万人も東南アジアから労働者が来たら日本は大変だから入らない。これは枠であって、枠の中には外国人は入れないのです。少しも寛容ではないのです。毎日新聞の徳岡さんが言っていますが「一番ひどい偽善者は日本人だ。ベトナム、ベトナムと騒いでいてもベトナム人の亡命者を絶対入れようとしない。で、他国へ亡命すれば亡命するような国状が悪いと言って、自分達は知らぬふりをしている」と。一番本心にあるのは、受け入れは厭だということですね。本心を言わないだけで後は理屈であって、結局は入れるのは厭だということ。ですから戦争中日本軍将校であった人、特攻隊員であった台湾の人というのは、日本に帰って来ても皆追い出してしまうのです。如何に陳情しても「諾」をくれない。これは「排除の論理」でして、枠があって絶対入れない。その代り、枠内は融通無碍でよろしいという構造になっている。これが軸の無い社会です。本当に一神論がなかった社会というのは、おそらく何処まで行ってもこういう様相ではないかと思います。
しかし、反面便利な点もありまして、外来思想でも何であろうと「私も中に入れて下さい」という姿勢があれば、この社会は受け容れるし、衝突もないのです。800万の神が800万1人になるわけでちっとも構わない。何でもそうです。但し、その際、皆排除してしまうものがあるわけです。前述の排除の論理に比して「受容の論理」と称してもよろしいですが、これは何かを入れる場合に必ずあることで、一番重要な骨を抜く。例えば仏教が伝来しました時に確実に抜いているのが「輪廻転生」です。輪廻転生観からすれば寺に墓があるのは変でして、本当は無い筈なのです。そういうことを随分当時懸念に言っているのですが、六界を巡って、復、生まれてくる一つの転生という彼らの一種の組織神学は、きれいに抜いてあって何だかわからなくなっている。儒教を入れる時も同じです。朱子学というのは徳川時代盛んだったのですが、朱子の大極論、即ち宇宙論とか格別論、認識論というものは全く抜いている。次に科挙制度を入れない。こうして非組織化してしまっているのです。キリスト教伝来時の例を挙げれば、徐々に抜いて最終的に抜いてしまったのが「懺悔」です。これが最初非常な抵抗を受けている。イエスズ会とフランシスコ会と両方来たのですが、問題を起こしたのは、殆どフランシスコ会なのです。二十六聖人も実際フランシスコ会です。こういうふうに差が出てきたのは何故かと言いますと、基本的にはイエスズ会は修道院ではなく結社であって一つの教育機関であるわけですが、フランシスコ会の方は中世以来の修道会であって二つの内容が非常に違ったということです。本論に戻りますが、このフランシスコ会のイグナティウス・デ・ロヨラの著作を「心霊修業」と訳した言葉が当時の日本に合ったのではないかと思いますが、これが根づいて来て、段々キリシタンのことが分かって来ると、最初に問題になってくるのは、何故家の恥を言わなくてはならないのかということです。家の恥というのは一つの枠ですから、枠の外に出してはいけない。絶対に言ってはいけないということですね。第一に何故、神父の処へ行って懺悔するのであるか。第二に「懺悔」するだけで罪は許されるという論理なら、国の法度を犯しても懺悔するだけで罪は許されることになるというわけで、我国の体制は一切成り立たないという批判がでてくるわけです。イエスズ会はこの点を非常に用心していまして当時のキリシタン文書を見ますと「実践しろ」と言っているのか「あまりしなくてもよろしい」と言っているのかよく分からないのです。第三に「信仰告白」です。先だってルーテル教会でセミナーがありまして「日本でこんなに伝道して何故駄目なのか」と問われるものですから、「信仰告白ということがあるからいけないのですよ」と。「日本人は一番大事なことというのは言わない。言わないでジーと一生持っているから立派なので、口にしたら想いが消えてしまうという言霊意識というものがあるのではないか。外に出してしまったら発散して霊が何処かへ行ってしまうという意識。だから信仰告白をしなさいと言ったら誰も来なくなっても不思議ではないでしょう」という話になったのですが、懺悔もこの中に入るのです。言わないで一生もっていかなくてはいけない。懺悔は別として、殉教ということも一つあるのですが、組織という観点でこれが一番大きな実際問題になってくるのです。これらを徐々に排除してしまい、隠れキリシタンになるともう全くない。この前、山崎正和さんに、「踏絵」というのは西欧と日本のどちらの発想かと問われまして困ったのですが、あれは日本の発想らしい。調べてみますと禁教以後、大分経ってから出来たもので、現存のものには偽物が非常に多い。今、30体ある踏み絵は、国立博物館所蔵が本物で民間にあるのは皆、偽物ではないかという人もいますが、大体はおもしろがって何処かで造ったのだと言われています。ともかく、踏み絵は一年に一度、長崎奉行所に呼び出してするのですが、隠れキリシタンは平気で踏むわけです。そのあと家に帰って、踏んだことを「払い除ける祈祷」というものがあってそれで済むわけです。徳川幕府はキリシタン禁圧を実に巧くやっています。一例を挙げますと葬式を規制したということです。これは実によい発想で、人間は一度は必ず死にますから寺で葬儀をするよう規制されますと逃れようがない。「宗門改め」等いろいろやってみて、どうしても網にこぼれていたのが葬式で引っかかるというので、最終的には葬式だけでキリシタンを規制していったのです。隠れキリシタンはどう対処したのかというと、構わず寺で葬式をするわけです。終わってからその葬式を「払い除ける(家族内の)葬式」をする。貸借対照表のように、借りを埋めていくように全部負債をなくしていくという発想で彼らは生き残っている。これは日本的な立派さではないかと思います。信仰を隠しても、最後まで持っている。このことを山崎さんに話しましたら、「あれは善なのか、悪なのか。舞台が西欧ならこうした是非はどちらに分かれるのか。或いはこうした状況に直面した神父の判断はどちらなのか」と問われまして困りましたが、よく考えますと踏み絵というのは異教徒の造った偶像ですから「踏む」行為自体には非はない筈なのです。その時に「おまえはキリシタンではないな」と念を押されましたら「キリシタンです。しかし踏むことは何でもないのです」と信仰告白をしなければならない。これがおそらく彼らの発想ではないか。「殉教者列伝」を読みますと皆そういう形になるわけです。信仰告白をしなければならない土壇場が来るまでは隠して生きているが、しかし、その時にはあくまでも殺されても証言する。ですからこういう発想は西欧では成り立たないのではないか、やはり日本人が考えたことではという結論になったわけです。信仰告白をしない、隠している方が立派であるというのは我々の持っているひとつの発想でして、これが枠というものと非常に密接な関連があるのではないかと思います。
日本人の組織帰属意識と結束
「言う」ということではなくて、「言わない」ということに非常に強い一つの義を感ずる。例えばロッキード事件を挙げれば、証人喚問の際、大久保専務さんをTVで見ていて彼は日本人だなとつくづく思ったのです。というのは、私に似たような経験があるからなのですが、私は軍隊時代、師団砲兵部隊の本部付き将校をしていました。部隊というのは皆、ロッキードのようなことをしていまして、食べていけないからガソリンの二重取りをしたり、住民に物資を横流して物資を手に入れたりしているわけです。部隊単位で隠してやっているから、これを密告されると私が呼ばれる。その際、部隊の恥を外に出さないよう頑として「記憶にございません」で通すのです。司令部に行ってものすごい参謀に叫問されるということは大変なことですが、しかし、あれ程堂々と臆さず知らぬ、存ぜぬが何故できたのだろうというと、一番大きな意識は「自分は悪いことをしていない。全然私腹を肥やしていない」という意識があったからです。大久保さんを見ていると、あの人も全然ポケットに入れていないし、受け取ったカネはまた政界に出ているから、丸紅も“私服”を肥やしたわけではない。だから受け取っていないのだ、という意識があるという気がする。そうするとあの位、堂々と知らぬ、存ぜぬが出来るのですが、自分が悪いことをしていないという意識と同時に「若し言ってしまったら、自分が悪いことをしていないという意識と同時に、自分は枠の中の人間でなくなる」という意識があったのです。帰って部隊長の顔が見られないという切実な意識です。それから「何故おまえは証言したのだ」と副官等に言われたら、「正直に証言して何が悪い」とは言えないのです。どうしても否といえなければ「私が独断でした」「部隊長以下誰も知らない」と言う以外に方法がない。最後になって動かぬ証拠をつきつけられ、「現にこういうことをしているではないか」と言われれば「私が独断でしました」と言わざるを得ない。そういう時、私は全組織の罪を負い、まるで苦難の僕にでもなったような気で「致し方ない」と。そこまで追い詰められても、正直に言ってしまうということは出来ない。この場合、言わないということ自体が「自分は枠の中の人間である」という一つの証言なのですね。これが我々の社会の一番大きな規範ではないか。その規範の一番大きなものが、やはり「軸がない、枠で規制されている。」枠から出てしまうと皆平気で何もかも言うのです。ですから週刊誌などに「今だから話そう」というのがたくさん出て来ますが、ならその当時したら良いではないかと思う。しかし、その当時は当時の枠の中に居たからこれは論外である。外部に対して一切言わないで、逆に外部に垣根を設けまして内部が団結する。いわゆる共通の秘密・奥義を持つ。それで非常に強い結束を保っているわけです。
こうした例は実は日本固有のものではないのでして、宗教団体には昔ありましたもので、エッセネ派にこれが観られます。大変おもしろいのは、日本の社会というのはこうしたものがあるわけです。例を挙げますと松下電器です。日本の最も近代的な産業であり、最も近代的な組織と言われる会社のその内部が、実は最も古い宗教団体と同じ形になっている。どういうことかと言いますと、あの→会社には真ん中に神様がいるわけです。これを最初にNHKが取材しまして、「どういうことなのか」と私に聴きにきたのですが、私も非常に興味を覚えまして徹底して取材してほしいと頼んだのです。結局はよく分からなかったのです。ですが松下家の神である或る大明神が祀ってある、と。重役の一人に宗教担当重役という祭儀専門の祭司重役がおりまして、全国300ヶ所に事務所があって全部にお社があるのだそうですが、その人は他には何もしないで一年中全国を巡回して祭儀をする。同時に毎月一度、神の周りに集まる祭儀があるのですが、一定職以上の管理職でないと加われない。「奥義に参与しえる者」というのが決められているのですね。一般社員は全く知らないのです。只、何かそうしたものがあるということは全員が知っている。しかし、誰も口外しないのです。松下電器の広報部は優れていまして、何かをだすと必ず翌日返事が来るのだそうですが、NHKがこの取材を申し出た際は2週間目にして「断わる」という返事がきたそうですから、2週間位一番上まで行って拒否になったわけです。「誰も内部のことを洩らさないですよ。」と言うのですね。ですから言っている奥義、秘儀ということは全く分かりませんが、こうして外部には言わないということで決定的な団結になっているわけです。NHKでもいろいろ他の企業神の研究をしようというので調べてもらったのですが、随分多いのです。ヘリコプターで屋上に神を祀ってあるところを全部写真で撮って調べたのですが、実に多い。毎日新聞、関西放送、日立等。また他の小企業にはたくさんありまして、殆どが稲荷信仰です。月に一度、社長以下社員一同が神主さんと神前で食事を取る。それを創業以来一回も欠かしておりません、と。これが実に多いのです。共同食事儀礼ですね。エッセネ派のようなものですが、ルーテル教会の牧師さんも「こういうやり方は、それは「聖餐式です」と感心されているのです。
このように日本の会社は一つの宗教団体、準宗教団体になっていると思うのです。これが簡単に云うと天皇制というものではないか。中心は何もなくても良い。ただ、中心的なものに参加しているか否か。それによって外部の枠が決まってしまう。それを外部に対して言わないというのが日本の大きな特徴だろうと思います。キリスト教がこういう日本の社会に入って来たら随分ショックの筈なのです。こうした枠組というのは常に組織的な面、いわゆる組織神学みたいな面を巧く抜いてしまうのではないか。これらのものを全部抜いてしまって非組織化してしまう。実際に抜いて変えた場合には、徳目規定に直してしまうのです。今の日本の会社もそうですが「社是5訓」等と貼ってあります。社是社則は皆知らなくても、これだけは読む。道徳律です。これが日本の社会の根底にある規律でして、一つの枠の中で徳理主義、或いは五倫五常のようなものがあればよろしいということなのです。顕著な例を挙げますと、キリスト教が入って来たときにもそうなっているのです。一番その点おもしろいのは無教会主義です。無教会派のどういう点が結び付くかというと、「救いは信仰のみによる」と言及した場合には、あくまでも意識はカトリック(普遍)にある。しかしルターは普遍妥協性をもって言っているのではなく、法王庁という相手を意識して言っている。特に改革というのはこの前提があるわけです。日本に伝播する際にはこうした前提はなくなりますから、従って内村鑑三はルターを親鸞と同一化して捉えたわけです。これが内村鑑三の晩年の日記に出て参りますが、ローマ・カトリックよりも親鸞の方がクリスチャンであると言っています。これを読んで私は自説の裏付けを得たように喜んだのですが、無教会主義とルター、親鸞は非常にうまく結びあった。これはどういう捉え方なのかと言うと、親鸞のような捉え方になると今言ったような事は起こらない。即ち、歴史的に一本の軸を立てておいて、2000年経ってどちらが正しいか。どう解釈するのかという発想にはならないのです。「救いは信仰のみによる」で済んでしまって歴史とは関係がない。こうして正典という意識をもった場合には徹底的に関係があるわけですが、我々日本人の規範はやはり軸がないのですから、こういう解釈の方が受け入れ易くなっている。これが明治における一番大きな受け入れ方だったのではないかと思います。
こうした日本人特有の発想は将来どのようになっていくだろうということになりますが、この発想の一番大きな規範というのは“保守的である”という言い方は変なのですが、具体的に述べて参りましょう。
ものの把握の観点――時間的発想(ユダヤ人)と空間的発想(日本人)
一つには聖書を挙げた場合、歴史的に過去から未来まで軸のように通っている。いわゆるルナンのように「1000年後には今あるものが全て消えても聖書は残っている」という意識がある時には、聖書の読み方でも把握の仕方でも時間的になるわけです。過去があって未来がある、その真ん中に自分を置く。この聖書が軸になって自分を時間的に把握出来る、歴史の一還としての自己を観れるわけです。これは終末論と関係があるのですが、只、これを親鸞のような形に換言しますと空間的になるのです。これがもう一つの観点です。インドという国は歴史という意識がないものですから、空間的に直してしまう。人間がものを把握する際は、この二つの観点即ち、時間的発想、空間的発想のどちらかしかありません。自己を把握する際にも、歴史の一環としての自己、誕生から死までを時間として捉えた自己の二観点しかないのです。終末論的発想は基本的に言いますと前者です。明日にも世界が終るというのは、自分が終るのではなく歴史が終るのだ、と自分を歴史の一環として捉え終末で自己規定して生きているようなものだ。或いは、「資本主義は何れ無くなってしまう。共産主義が来るのだ」という資本主義の終末で自己を規定しながら、資本主義時代に生きているようなものであると。そうした終末論をもって自己規定している人は本当に立派ですが、私はそういう日本人を見たことがないのです。こういう発想は実はないのです。ですから、進歩的とかいろいろ言いましても、本当に進歩しそうになったら本人が慌てるのです。日本人の基本的発想は実に保守的であるということだけなのですね。
大変おもしろい例ですが、60年安保の時、これで本物になるかどうか、暴動でも起こって国会に乱入し混乱しそうになった瞬間、新聞が共同歩調でそれを抑えた。何を言っても現状は変わらないという意識があるから何やかんやと言えるのであって、本当に変革するかもしれないと思った瞬間に怖くなって何も言えなくなった。これは本当に変えようと思ったら本気でやる筈なのですが、あの時は一瞬にして止めてしまった。昔のバカ殿様と同じだとよく言うのですが、「若様、ご短慮」と言って誰かが止めてくれるのを待っているようなものです。それでいて「俺はやる」と言っているようなもので、誰も止めてくれないと慌てて自分で廻れ右するより仕様がなくなる。空間的発想になると人間はこうなるのが当然でして、いわゆる進歩的という幻想がなくなった瞬間に出てくるのが「現状は変わらない」という意識です。これは不思議なくらい皆が持っているのです。老人の日に若者の意見を聴きますと「老人になったら趣味をもった生活が良いから、今から備えます」と言っていましたが、私は呆れて「あなた達が年老いた時に日本が現在の状態にあるという保証は何処にも無いのですよ」と言いますと初めて気づくのです。空間的発想というのは、時間的発想を含まないですから絶対に現状は変わらないと思っている。絶対に変わらない現状という概念の中、自分の誕生から死までという時間で事物を捉えている。これが元来、日本人の伝統的捉え方であるわけです。西郷隆盛を挙げても、彼は革命家と言われていますが、それは妙です。彼にはそうした片鱗すらない。自分の一生を生まれてから死ぬまでという形で捉え、その間、如何に生きるかということのみ考えている。ですから一つの歴史的段階の次に行くという意識などは無いのです。しかし、これは本当は誰にも無いのです。映画のシナリオに感激するということはあっても、それをもって自己規定して行動するということは無いのではないか。
こうした点が彼らユダヤ人の発想と違うのではないかと思います。しかし、彼らにもこうした空間的発想は基本的・感覚的にはあるのです。「この次は、この次は黙々、そしてこの前は」という意識。混乱状態の中、何がどうなったか分らなくなった時でも、絶対に次に何かそうしたものが出て来るという意識があるのです。
宗教戦争後即ちウェストファリア条約以後になりますと、戦争を厭がっていますから少し空間的な感がするという時代があるのです。が、そうした状態でも啓蒙主義が出て来て、違った形で次の段階を目指す。現代は停滞の時代と称しておりますが、おそらく次の歴史的段階はこうであろうという史論を彼らは山のように為しているのではないか。それをしない限り安心しておれない民族性なのではないかと思います。
例えば、聖書はその編纂史を観ていきますとその様にできているのではないかと思います。最も古い編纂時期というのは随分問題になりますが、紀元前8~9世紀という説があります。J資料が編纂され一定期間経つとD資料が入って来る。申命典がどのようにして現われて来たかは分かりませんが、申命典で一つの革命を為すという発想が出て来る。これが第二次編纂です。第三次に、いわゆるトーラーの時代が来る。紀元前444年にもう一度編纂する。申命典革命というのはあまり資料がないのですが、中央集権的組織とエルサレムの神殿を中心とする中央集権的組織をつくると。バビロン捕囚でそれが無くなった後でトーラーを基準にして一つのシステムをつくる。これがユダヤ戦争で全て崩壊すると、紀元前90年に今の旧約聖書ができるわけです。この様にユダヤ人は、一つのものを前あったものを壊さず消さないで、付け加えていく。その度に一つの展開をしていき、次には新約聖書が付くと無くなくなっていくわけです。
仏教には時間の概念が無い
この様にユダヤ人は自分達の過去を処理して来たのですが、我々日本人にはこうした事は一度もない。ですから、何時も空間化してしまうわけです。外部からの刺激が無くなると途端に停滞してしまう。我々の発想は、一つの目標を目指して何かをためすというようなものでは決してありません。飢渇感エネルギーと言いますが「足らない」という発想だけが私達のエネルギーなわけです。
例えば今から10年前、週間現代に石垣純二氏が有名人の献立指標を書いていらっしゃいますが、今読むと大変おもしろい。「まだ脂肪の摂り方が足りません、まだビタミンが足りません」とアメリカ人と比べて何が如何程足らないと。これが当時の発想なのです。紙の消費量が、車の一人当たりの台数がまだ足らない。「足らない」という発想がひどくなって、教育問題をどう解決するかということになると「学校が足らないからである」量的に不足しているからよくないという論理は、明治以来、一貫していますが大体戦後も同じ発想です。「足らない」という発想だけが我々のエネルギーでして、充足感がある時にはこのエネルギーは無くなってしまうのです。今、一番困る問題は「何かが足らない」と言えなくなったことです。皆が大体満足して言うことがなくなった。車も脂肪も「まだ足らない」と言えば、今は大変なことになるわけです。「何かが足らない」と言えなくなった時に我々は何も言えなくなってします。ですからこういう発想は時間的発想ではないのです。終末意識を先において自己規定をしているのではなく、現時点において「何が足りないか」というのは反時間的発想である。足らない時だけ経済成長でも他のものでも非常なエネルギーが出てきているわけです。只、この先に何かを置いて自己規制することが出来ない。出来ないということはその意識がないということです。
これがおもしろく現れて来ますのが「未来というものをどう扱ってよいかわからないのです。我々は本当に分らないのです。未来はこうなるに決まっているというシナリオ、例えばマルキシズムというシナリオを書く。本当にその通り演ずるなら演ずれば良いと私は思うのです。演ずる気がないならシナリオを口にしても仕様がない。ところが、「では未来はどうなるのだ」というふうに問われますから、「非常に簡単なことで聖書を読めばよい。未来は神の御手にあると書いてある」と言うのです。不思議そうにしていますので「人間の手の中には無いということです。未来は人間の手で触ることは出来ない。だからあなたが未来を手で触れるなら神だ。」未来は人間が手を触れることは出来ないという意識は、その前提として未来という意識がなくては出てこないのですが、そうした未来意識というものは日本人には無いのですから、現在はマルキシズムというシナリオを読み、或いは映画を観ているに過ぎない。ですから自分の未来を規定すべき筈のシナリオを現在に還元して劇場の俳優の演技と対応するような形で対しているに過ぎないのです。これが今まで、我々にとっては進歩という意識であったわけですが、実は進歩でもなければ変革しようという意思すらない。本当に未来というものを把握しようと思ったら、先ず手で触れることが出来ないという意識が最初に出てくるはずです。これはもう人間の手中にはないという認識です。次には、未来は言葉でしか規定出来ないという認識です。未来というのは、これだけなのです、ところが言葉というのは実際、何一つ動かせない。しかし、未来を規定するといえば言葉しかないわけです。それを意識していれば、未来というのは分らない。触れることが出来ないから全ては仮設である。というとそれならば仮設を立てそれに対応する方策を沢山つくっておけばよろしいというので、皆は自分の意志でそれをやろうとする。それが空間的なのですが、「学校を落ちたら然々しよう」等は仮説に対する方策なのですが、就職等にしても現代の若者は山のように仮説を立てている。全てに対応策を立てている事には私も感心しますが、では歴史的未来に対し対応策をもって処すかというと一切しない。歴史的未来等というものは実感として湧いてこないということなのですね。我々は明治以来そうして来たので、現代に全て還元されている。これが将来どうなるのかということなのですが、今迄の我々なら大体これで良かった。「先進国模倣時代」というのは、何でも現在に還元出来たわけです。未来は触れ得ないと言いましたけれども、未来の日本は「これであろう」とアメリカに行けば、我々は少しは触れることが出来た。しかし、それは或る意味に於いては現在です。それを自分の未来と規定してその通り為して来たということです。それで済んで来たのですが、これは未来の規定ではなく空間の移動のようなものですから、為す意志さえあれば非常に簡単に出来る。後進国というのは無能なのではなくて、為す意志がないと私は観ているのです。ですから我々には意思があって為し得たけれども、実はこれは空間の移動にすぎない。それから先の未来は、或いはそれをどう規定するかといったような事は実際誰も考えていなかった。これは非常に広く言いますと仏教の世界だろうと考えています。仏教には時間の概念がなく、空間だけなのです。おもしろいことに、用語索引は仏典には在り得ません。そうしても出来ないそうなのです。「仏典とは何か」と問いましたら「仏と成るハウ・ツー(how to)である」と言われまして、読まなくて成仏できたら一番良いのだそうです。では、「御言(みことば)に仕える意識はあるのか」と言いますと「ない。」その言葉のために自分が死ぬということは有り得るかと問えば、「有り得ない。そういうことをしたら成仏できない。」本末転倒も甚だしいというわけです。このような正典意識のない世界は、簡単に言いますと絶対事物を時間的に歴史的に摑めない。これが我々の伝統であるわけですが、これでは空間的にしか処理出来ない。時間的に処理出来たと思っても、実は或るものの空間の移動にしかすぎない。我々は先祖伝来こういう方法でやって来ましたが、少なくとも石油の終末論ぐらい頭に入れて現在を規制するという意識が出てこないと非常に困る。本当の進歩という概念が出てこないとこれからは困る。これは不思議なくらい無いのです。こういう訓練というのは、今の我々の年代では難しいのではないか。これからの人たちをその方向で教育する以外ないのではないかと思います。
時間的・歴史的思考法を日本に導入する必要性
もう一点、こうした状態の中で「活字模倣時代」即ち活字が大量伝達を独占した時代は完全に終わっているわけです。宗教教育以前の状態になると私はよく言うのですが、宗教改革いわゆるプロテスタンティズムと印刷術とは不分離な問題でして、印刷術が無かったら果して改革が成り立ったかどうかということは、実に大きなおもしろい問題です。プロテスタンティズムと資本主義はよく言われますが、私は活字による大量伝達の独占が一番大きな事件だろうと思うのです。聖書は初版僅か3000部ですが、あの時代即ち写本時代に3000部刷るというのは大変なことなのです。私は写本が好きで、ファクシミリ版を大部持っていますが、見ていきますと読めない。写本などを昔読めた人というのは、現代で申しますとコンピューター技師ですね。大衆に読ますという意識は作者にはないし、解読能力を持つ特殊な人が読んだのだろうと思います。聖書の写本と言いますのは単語の間は切ってない。気息音符号、アクセント一切付けてない。全部大文字で記述してあって何処で切れるのかサッパリ分らない。これを読んでいくのはコンピューター技師のようなものだと思うわけです。こうしたものを書いたということは、読んで解せる技師がいたのであって、いわゆる一般大衆はわからなくてよいわけです。ヘブライ語になるともっとひどく、母音記号のないものは一体どのように読んだのだろうと思う程です。技師が読解して成果を人に話すのが写本の任務でして、一般人は関与しなくて良いわけです。「コンピューターにこう出ました」といった類のものですね。おそらく聞いていた方はその内部のことは分らない。これをルターが全部印刷をし、それが読まれたというのは、当時は随分ひどいことをしたことになるのではないか。秘かにあった資料を全部皆に報せてしまった。法王庁というコンピューターは狂っているのではないか計算通りに出ていないのではないか。あの答えは皆、偽のものだということを言い出したわけです。
これが活字時代の始まりで、ルターの「聖書のみ」というのは、或る意味で今の言葉よりももっと意味が違うのではないかと思います。写本に基づいてはいるが、いろいろな映像をつかってミサ、説教その他を通じて伝達されたものには権威がないと。「権威は聖書のみ」と証拠物件の提示をしたわけです。当時の出版史を見ていきますと、文章合戦です。聖書出版をすぐ、両方でやりだします。一方はラテン語訳をドイツ語訳に直して、「こちらが正しい。」すると一方は、エラスムスが出てギリシャ語原本を印刷し、「こちらが正しい。」これを観ていると、当時の聖書は怪文書だったのではないかと思うのです。ルターはまた、何かあれば自分の正しさを印刷して本にしなくてはならない。
こうして印刷術が発明された時代から僅か450年経つわけですが、実際に大量伝達になったのは義務教育以降ですから百年も経っていないのです。ですから活字が簡単に消えるのは仕様がない。映像的伝達の方がはるかに強いのです。実際に比率としては、新聞18分とテレビ5時間という時代ですから、もう太刀打ちできないですね。先だって団地の奥さんに「新聞にどんな印象をお持ちですか」と尋ねましたら、「すぐ溜まって困ります」これには全く参ってしまいましたが、もう影響力を失ったということなのです。
こういう時代になりまして大変困る問題というのは、映像的伝達というものは時間という感覚がなくなることなのです。「現在」だけしか伝達しない。これに一番大きな問題は、未来を論証するのは言葉だけですから、映像化すれば現在です。ですから、ますますこういう状態はひどくなるのではないか。こうなりますとどうなるのだろうという事になりますが、過去から未来までを言葉で体系化できるというのはやはり聖書なわけです。ですから、聖書教育というのはそういう面から必要なのではないかと考えるのです。
先だって今井隆吉先生に会いまして原発問題のことを聞いたのですが、原子力発電所というのはこれだけ安全なものだと住民を集めて3時間論証した、と。ところが完全に論証しきっても、「こんな危険な事があります。」と反対派が写真1枚を見せたらもうだめだと言われましたが、確かにそれでもう終わりなのですね。3時間の論証も一つの映像にはかなわない。今はそういう時代であって、人は映像にしか反応しなくなったのです。どう対処すればよいかということで話し合ったのですが、一番人相の悪い人にテレビに出てもらって「原子力というのは悪いものだ」と言ってもらえばよい、と。こんなに人相の悪い奴が言うのなら、良いものだろうということになると決まっている。それ以外に判断の方法がなくなるのではないか、と申しましたら「フランスでもそういう意見がある」と笑っていました。日本はこうした傾向が一番ひどくなるのではないか。感性的判断だけになってくるというわけです。この感性的判断というのは「映っている通りだから正しい」という妙な錯覚があるのですが、これは逆でして、映像とか書物に人間は反応する時に感性が先に立つわけです。好みというのは理屈でないのですから、これに対し反応することは避けられない。言葉というのはそれが無くて抽象化しているが故に、対象が具体的に摑める。映像というのは具体的であるが故に、それに反応してしまう対象が正確に摑めない。これは自明の理ですが、人は逆に思う。一つには新聞が悪いのでして、あの文章は甚だテレビ型になってきまして論証が出来ない。これもテレビの影響なのでしょう。我々自信をもってなかなか言えないのですが、「論証が本当であって、写真は偽物である」これは本当にそうなのですが、こうした訓練が我々には伝統的に一番ないと思うのです。言語能力は最近頓に落ちまして、文芸春秋でも入社試験に作文を書かせるのですが、最近10年間のものを観ていきますと、どんどん質が落ちて、現在は最低基準で小学校6年程度であるそうです。こういうふうに言語による伝達が徐々にできなくなると「新文盲時代」が来る。そういう人が映像にだけ反応しますと、自分の反応を外部に発散出来ませんから、突然乱打暴行するのは当然のようになると思います。こういう現象はだんだんひどくなると思わなくてはならない。但し、そういうことは悪いのだと映像で示すと途端に止めてしまうだろう。非常に困った時代が来るわけですね。将来どういうふうになるか分らない。明治期、プロテスタンティズムが入って来ました際、聖書を通して時間的歴史的思考法を日本に導入できたら良かったのですが、しかし日本人はいつも教理を骨抜きにして伝統的生き方を守っている。非常に悲観的な言い方になりますが、我々はやはり聖書の民ではありません。以後こうした問題をどうするかというのは非常に大きな問題であろう。次の世代にそういう問題意識が出て来てくれれば良いと思うのです。そうしない限り、人間は自分の未来を規定し得ないし、本当は仮設が立てられないのだと。それだけが何処か意識に出てくれれば、それで良いのではないかと思います。先生方の、次の世代の若者への教育に期待致しまして、これで終わらせて頂きます。
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