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   「国際農業アカデミー設立を目指して」(1)    

   2019210日(日)午後2時~5:30 伊豆市修善寺ニュータウン百鶴苑 

【大脇】今、必要とされている有機農業、またアフリカを始め世界の恵まれない若者
  たちのために、自分の知識を役立てて、彼らを育成していきたいという牧野先生
  の夢に触れて感動しました。私は教育・学術に長年関わってきましたが、筑波大
  の教育学の先生が「大脇君 教育は時間じゃ無いよ。教育の本質は魂と魂の触れ
  合いなんだよ!」とおっしゃったことを今も忘れることができません。クラーク
  博士は札幌農学校でものの9ヶ月しか教えていないのに、青年たちに夢を与えま
  した。牧野先生の夢は何千億のおカネには代えられない、時代が必要としている
  夢である。なんとか形にしてあげたい。ビジョンだけでは具体化は難しい。牧野
  先生がいろいろ動いていらっしゃるので大丈夫かと思ったら、実は全然まだなの
  です。ここ
1年、手弁当で毎月のように上京したり、鳥取・島根の有機農業現場
  にもご案内したりしているうちに、大学設立の準備状況がようやく良く判りまし
  た。「ビジョン・人の和・経済力」の三点セットの中で先生に今、必要なのは人
  的ネットワークです。ビジョンがあってもこのビジョンをサポートする人が居な
  いと具体化しません。私は
50有余年にわたって教育・学術界のサポートに徹して
  きました。近年では「未来構想フォーラム」(シンクタンク)「地球市民機構」
  (
NGOネットワーク)を立ち上げ、国内外にネットワークを広げて参りました。
  民主主義社会においてはボランティア精神、市民運動が重要で「草の根民主主義」
  こそ、現代の民主主義の原点だという信念で進んできました。その流れにより多
  数の知己にも恵まれました。このネットワーク、つまりは人脈が重要でして、こ
  ういう人脈を固めてその上に資金です。まずはビジョン、次に人の輪、第三に資
  金力です。先生も困難な道を歩んでいらっしゃいましたが、今、ようやく曙光が
  見え始めたというところでしょうか。

  では山形大学名誉教授高分子化学の専門家である皆川先生にお願いします、皆川
  先生もボランティア精神に徹していらっしゃる方です。

 【皆川】大脇さんとは40年来のお付き合いです。山形大学で41年務め、高崎で放射
  線を使って高分子物質をつくることをやってきました。リタイアして八年になり
  ます。塩害で耕作不適の土地が広大になっています。私は塩害を解消する技術を
  持っていますが、現状では引き合いがない状態です。京都大学では、こんな経験
  もしました。

  「みんなおカネが充分ではないね。学生も数人か。 よし、それなら良い結果が
  出るぞ!人間、恵まれ過ぎたら全力を出さないからね・・笑」京都大学は「一匹
  狼」スタイルでしたが、最近は一匹狼が集団となってマンモスを狙っています。
  日本の農業のためにベクトルを一つの方向に向けて行きたい。比較文化を研究さ
  れた大脇先生も、社会的影響力のあるステイタスの皆さんにベクトル一本化にむ
  けて発進して頂きたい。よろしく。

【宮城嶋】静岡市の三保の松原生まれです。東レで高分子の実務に携わりました。紡
  糸に際して乾燥の技術から始まり、東芝の電子レンジ開発など各分野を経験しま
  した。直近は食文化、水産研究所でのマグロ、寿司の研究をやっています。静岡
  のお茶も耕作放棄地が増えています。
100ha以上もある、こういう耕作放棄地を
  県と一緒になって活用するということも考える必要があります。七月から清水港
  で数か月に渡って国交省によるイベントがあります。清水港が日本の港であると
  いうことです、東近京(?)がだめになったときは名古屋港と清水港が代わって
  いたのです。意味不明?
 

【柴田】外務省国連代表部、京都議定書会議の議長、砂漠化防止会議議長など歴任しましたが、行きつく所は「おカネ」でした。国際農業開発基金というのがありまして、国連砂漠化防止条約交渉会議で議長でした。農水省におカネを出してもらいたいと頼みましたよ。環境問題でも重要なポジションを手掛けてきましたが、そこでも、資金不足が日常化していました。途上国への経済開発のための援助があるとしましょう。それに加えて環境問題も考えろという。沙漠化防止条約でもおカネをアディショナルに出すという約束を同時に締結しないとビジョンだけで、つまりニュースとしては話題になっても実現はしないことになります。そこができなかった。交渉での最難関は、実に資金の確約にあります。日本は比較的に「資金は出しても良い」という立場でした。日本政府と反対にアメリカは大反対です。資金を余計に出すということを条約の条文に入れること、そこが交渉の一番難しい所なのです。議定書の交渉でも温暖化ガスをカットする、そのためにはコストがかかる、そのコストを誰が負担するか、その「負担する」ということの主語を入れて条約に書くのです。沙漠化防止条約の話が最近、国連に出てこない。「日本がそれをやろう」と言う今回の趣旨からみて、素晴らしいことだと期待したいですね。

イーファッド(?)というのはおカネを出すところです。大きなプロジェクトにおカネをつけるのではなくて、アフリカの農業を担っている農民たちが自分たちで何かしたと言う、それにおカネを出すのです。農業開発のために巨大プロジェクトを立案、実施と言うことではないのです。農民そのものが変わっていける、そのトレンドを支援するのがイーファッドなのですね。小さな村の開発基金をつくり、その基金を農民自体が目的を設定して進めることです。私は沙漠化防止条約締結を進めた人間として牧野先生のプロジェクトが起動していくことはうれしい限りです。中國、内モンゴルで取り組んでいましたが砂漠の緑化、それをアフリカにも経験させたいとして中国でアフリカの人達を呼んで沙漠の緑化を目的とした会議を開いたのです。私もアフリカ人と一緒に内モンゴルに行きましたよ。鳥取の砂丘での研究が世界的に分かち合える機会が実現するよう、期待します。

 【池亀】国連に33年居ました。WFT食糧援助の機関にも居ました。国連本部のNYに転勤。事務局にも居ました。途中でUNE。人生の大部分が国連にいましたので私の外見は日本人ですが、国連人と言いましょうか、中身は非日本人だと、皆さんも驚くことがあるかと思いますが、よろしくお願いします。

始めに申し上げたいのは 世界がどうなってくるかということですね。私と夫は四年前に大病となりました。私は肺癌、夫は脳梗塞でした。同じ時期に病気になって、人間には、人生には終わりがあると言うことに気が付きました。そこで、残された人生に何をしようかと考えたのです。

そこで二つの目的を設定して、それに進むことにしました。一つはアフリカをやってきたので、そこからの思い、世界には不当なことがいっぱいあります。国際間での不当な扱い、

一番不当な扱いを受けたのはアフリカなのです。そのアフリカが粉記載間(?)で対当な立場になるようにしたいと思いました。これは将来のことです。その将来は誰が主役になるのか、シニアでは残された時間は短いですね。若者に我々の知識・経験を還元することによって世界の将来を作ることになります。これを私と夫で決めました。

人口は増加していますね。2055年には100億人になります。そのときに何人がアフリカ人でしょうか?なんと48億人がアフリカ人なのです。これからの世界はアフリカなのです、しかもその75%25才以下のダイナミックな人口集団となります。その人たちがこれから育っていくのです。日本とは逆で アフリカはポテンシャルに満ちています。世界でまだ使っていない耕地アフリカで何%と思いますか?6070%なのです。こういうアフリカは植民地とんっていたので、世界の情報から切り離されていたのです。今はITによりアフリカも世界の情報を共有しています。

さて、100億人の人間が40年間食べる食糧、それは過去の地球人類が何年食べる量と同じだったか考えてみて下さい。4000年なのです、それ位の量の食糧が必要なのです。質の良いものを過去の4000年分つくらないと、生きていけない。

個人的に一年のうち4ヶ月間、日本、5ヶ月間はNY、後3ヶ月はアフリカ、三大陸をぐるぐる回っています。私たちは回遊魚なのです・・笑。刺身にして食べないでください・・笑。

回遊魚は止まると死にます。で、止まらないで回り続けます。 

【三原】お二人の運転手をしてぐるぐる回ってきました・・笑。専門はコンピューターエレクトロニクス、TBSに入社。番組のディレクター。1970年には大阪万博で日立館のテクニカルプロデューサー。平成5年から農水省の農業改善事業、それも数年で一段落しました。世の中は上意下達ではだめだと思います。農業も自然農法から10段階までいろいろと考えました。JAS(日本農林規格: Japanese Agricultural Standard)は皆、ダメですね。闘って死ぬか、あきらめて殺されるか、いずれにしても残り少ないので楽しく暮らすことを優先したいと思います。

【金子】私は南伊豆で23千坪の土地で林野庁の農林山村多面的構造改善事業の一環としてテラを運営しています。明るい森を作って、環境、教育、家族憩キャンプ場やりたいと思っています。家族がコミュニケーション取りながらやっていきたいのです。こういうことに興味を持っている若い人がいたら御引き合わせください。

私が来たのは青野さんとの繋がりです。父が武者小路のユートピアを作る話に引かれまして、南伊豆に来て村を作りたいと手がけました。ところが突然主人が他界してしまいまして、今少しずつやっています。ここから少し南におります。ぜひお立ち寄り頂いてアドバイスも頂きたいと思います。どんなふうにこの土地を活用して行けばいいのかと思いあぐねています。南伊豆大学構想もありました。小学生に自然を体験してもらいたく移動教室も考えています。 

【大脇】金子さんはお茶の水大の地理学科卒、御主人は筑波大出身、理化学研究所にもいらっしゃいました。

【山下】私は鹿児島の出身で牧野先生とは同郷です。卒業したのは東大農学部です。植物病理研究室で植物ウイルスの研究をしました。埼玉の聖学院大学の広報局の仕事を20年間務めた後、一昨年暮れにシンクアップという会社を興しました。また2011年に学校広報ソーシャルメディア活用勉強会(通称 GKB48)という組織を立ち上げました。これは全国の大学・高校の広報担当者に声をかけて作りました。今では1900人の会員がいますが、そこの事務局長もしています。「学校広報ソーシャルメディア活用勉強会」の略称がGKBで48というのは都道府県47にプラスして世界を入れて48なのです。
もう一つ。NPOマナビバの理事長をしています。そこで「えいご村キャンプ」というやっています。
 いま、政府の統計が話題になっていますね。日本では統計が軽く思われているようです。中学・高校での統計教育が出来ていない。小保方さんのスタップ細胞についても、研究の手法が拙かった、ちゃんとデータを出せなかった、平気でデータを改ざんするということ、考えられないほど非アカデミックな過程を辿って研究が崩壊しました。データに対するメンタリティが日本人には欠けているのではないかと思っています。小学校の低学年からしっかりした統計の概念を教えなければならないと思います。文科省にも5年前から提言してきているのですが、通りませんね。今回、安倍内閣で不備な統計の問題が露出したので、少しは統計教育についても留意するという方向性が生まれるでしょうかね。私も大学も作りたいと思っています。「ミニマル」という概念、小さくとも全部が揃っている大学という構想を持っています。顧問が東大の統計学の名誉教授です。統計学はAIに通じるところがあって、日本のAI研究は30年遅れていると言われています。もともと農学部なので農業分野でのAIも必要なツールなので、そういう関心もありで今日は出席しています。

【大脇】大学設立の目的は何ですか?

【山下】将来の日本を担う若者を育てたいということです。学問の中身も大事ですが、将来を担う若者をどう育てるかに関心があります。50年後は量子コンピューターの時代でしょう。高校では理論物理の一端として量子の存在は確率論であると教えられています。物質自体が確率論的存在だということです。その理論に基づく量子コンピューターも間もなく実用化されるでしょうね。こういう時代に即応できる世代を作りたいのです。日本人はワビ・サビという境界のはっきりしない概念に馴染んでいるので確率的存在という量子論になじむかもしれませんし、そこに日本独自の研究の種があると考えています。
 

【青野】山下さんには数回、講演を依頼しました。地域科学研究会、高等教育情報センターを運営しています。会社を作って41年経ちました。大学では授業に一回も出たことがないので、大学卒という自覚が有りません。好きなことをやりました。結婚に際して無職では困るのでアルバイト感覚で入った経営能率研究会のスタッフが完全な社会派でして都市づくりなんかやって、そのうちに解散。都市計画のアセスメントをやっていた人間がいて、彼は社会科学では地域科学が原点にあるということで、ここが私の活動の基本です。

 【牧野】私はお会いした人から学ばせて頂くということをモットーにしております。日米開戦1941年誕生、父は硫黄島で玉砕。妹は戦災で他界、未亡人となった母が私達3人の男兄弟を育ててくれました。その時代は、どこの家庭もそうでしたが、貧しいながらも家族で協力しながら暮らしていました。母を中心に兄弟仲良く貧しくても想い出は楽しいモノでした。いまでいう母子家庭でした。私の原点は戦争に対する怒りです。子供だから他の家と比較します。兄は高校一年生で他界しました。それは学校から帰ると母を助けるために働くという日々でした。その過労で他界しました。母はうちの家は父がいないということではない。父は居るのだ。お母さんのなかにも居るし、お前達一人一人の中に父は居る。家は草ぶきでした。屋根裏にはネズミがいる。そのネズミを食べようとして青大将ヘビがいました。ヘビも仲間でした。母は働いた後も一日の終わるまではさまざまな雑用、その後、他界した父の写真の前でうつむいていたのが忘れられません。その母の姿を心に刻み込んできました。3人の男の子は毎朝、父の写真に向って「おはようございます」というのが習慣でした。夜寝る前にも「お父さん お休みさい」の毎日でした。父は居なかったが心には父がいつも居りました。母が私達を支える経済力は戦後のことですから無かったのです。小さな農家ですが女手で農作業は大変でした。そういう苦労をしていたので私は養子になりました。

養家ではもっと苦しい毎日でした。「貧しくても明るく暮らす」それだけで一生を終ってしまうのだろうか?「日々の生活は楽しいだろうが、世界の人達のために、明るい人達ができることがあるはずではないか」としいう思いが生まれてきました。「自分の個人的な幸せよりも人様のために尽くすことが自分の生きる道だと思い、こう言う人達に何かできることは無いか」と思ってふと、足元を見ると教育を受けない、自分自身だけで「人のために」という意味も分からないままに生涯を過ごすこと、そこからテイクオフするには教育が必要だという結論に至りました。

貧しい苦しい毎日だったので苦労が気にならない。その上恩師に恵まれたのは幸運でした。大学に進学できたのは大きな転機でした。大学卒業後の進路として教授は私にオーストラリアで現地住民に農耕偽十の市道をするようにと勧めてくれました。それは日本の大商社がオーストラリアに広大な耕作用の土地を買い、そこで大農園を経営して収穫物を日本に輸入するという計画があったからです。私は断りました。私の恩返しは養父の納得する形であって欲しいし、それに加えて私のもっている特殊な農業への知識を役立てたいという思いからでした。多くの恵まれない国では教育を受けられない子供もいます。

私は鳥取砂丘の乾燥地研究センターで沙漠農業、砂丘園芸について研鑽を積んできました。砂丘における様々な作物園芸の栽培技術を身につけてきました。モンゴルの沙漠の研究の第一人者の遠山正瑛先生が私の先生でした。モンゴルの貧しい遊牧民。私は「生涯を、教育を受けられない人のために尽くそう!」と決めました。これが養父の心に沿うなら恩返しの機会も、ここにあると決断しました。「オーストラリア行をして大企業の繁栄に尽くすよりは、貧しくて教育の機会のない人に役に立ちたい」と決心が固まって、オーストラリアの話はきっぱりとお断りいたしました。少年時代の貧しさと苦しさを踏み台として、今後の人生を素晴らしいものにしようという思いが溢れてきました。養父から戸籍を外されたことも担当教授は理解してくれました。今後は世界の農業技術を開発しようと、大学院で沙漠農業を新しい研究テーマにしました。

今年77歳、私も年齢を考えてみました。年齢の数字ではなく、人生を決めるのは生き方なのだと悟りました。農業は大自然との交流の手段でもあります。大自然と共に生きる人生。自然と人間は共生しているという言い方もしばしば耳にしますが、「自然に恩を返す」「自然に感謝する農業」であらねばならないでしょう。

発展途上国には教育を受けせれない子供が沢山います。自然への感謝、どんな子供にも自分は素晴らしい人間だと自覚できる、この二つを肝に銘じて、大学の設立を思い立ちました。

科学文明にも接しよう、世界の人々とも交流して暮らそう。そうしてもらいたいという思いに溢れました。今後は世界の農業技術を開発しようと、大学院で沙漠農業を新しい研究テーマにしました。地球上のどの地域に、どの国に、どんな境遇に生まれても、自分こそは素晴らしい人間なんだという思いを持てるようにしたいと思います。

世界には先進国がいくつかあります。しかし90%以上の国には食糧の自給ができていないのが現実の姿です。「食料戦争」とも言える状況を目前に控えているのですが、自然への感謝、また人々への感謝を念頭に進んでいきます。自然が人間の生命を育んできました。一人一人の人間は、十月十日、母の愛情を受けて生まれています。植物は人間や動物よりも古くから生命を支えてくれました。一つの目的に進んで、途中で挫折感もありましたが、この世にある限り、目標に向かって進みます。

ある日大分県知事から電話がありました。行ってみると大分県の「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」~森の恵みしいたけの故郷~が平成255 世界農業遺産認定にされたと言うのです。「これを記念して何かしたのだが」、とおっしゃるのです。これを聞いて私は、「この記念に国連農業大学を作りましょう!」と提案しました。県知事は喜んでくれました。世界の人達と交流できるし途上国と言われる諸国人たちに大分県が光を当てて行けるではありませんか、そうなれば、これこそ最大の農業遺産ではないか、ということで「大学設立」という構想がスタートしました。これが大学設立の動機です。国連大学・世界・交流・途上国・沙漠化・・・のボキャブラリーが頭の中を走り回りました。

 

明石先生の御自宅に伺い、計画を御相談しました。なんと。明石先生も国連農業大学設立を提案されたことがあるとのこと、しかし常任理事国の五か国のすべてが反対で実現しませんでした。今思うに途上国は先進国五大国の系列下にあります。途上国はいつまでも途上国であってモライタイのです。形式上は独立国でも経済的には半植民地として自国の製品の販路としておきたいのでしょう。途上国が自立することは先進国である五大国としては望ましくないことなのだ。明石先生の提案は二回とも廃案にされました。明石先生は私に、「その思いを経済社会理事会(ECOSOC)」へ提案せよ」と指示してくださいました。ECOSOCの責任者はイタリア人でしたが、会いに行きました。会議の席上「牧野さんの考えをスピーチしなさい」と。面談の紹介をしてもらい、行ったところ「明石先生から聞いている、これは国連の問題だ」として「国連にはカネがあるわけではない。多くの国からの献金なのだ。大学づくりに、牧野さんにはおカネがあるか?」と聞かれました。「私にはおカネはない、世界中から恵まれない人が幸せになることを願っています。ニュースには途上国の人の生活が出ない。苦しいが頑張っている人がいることを報道できないのですか?そう言う人達のための教育です。入学試験も筆記試験ではない。志です」「私の専門は農業です。 途上国の子供に日本で4年間教育を受けてもらって、自分の国に帰って、自分の力で食糧を生産し環境を改善していく、やがて教育も自分の力で自分の国でやれるようになってもらいたい。そうすれば世界には戦争は無くなる。私も戦争で苦しみました。地球上に戦争の苦しみが二度と無いように望む。」すると「牧野さん 今のあなたの発言、その通りの大學を作ってくれ」という返答でした。
 途上国には広大な土地があっても知識や技術がないために生産耕地として活用されていない。日本にも農業衰退かつ後継者がいない、未耕作地が増えています。そこへ国連認証大学としての留学生の実習として、未耕作地を活用する。果物、野菜、家畜、体で覚えてもらう。そうしてできた農産物を自分の国、本国へ直送する。政府の官僚から提案を頂きました。「牧野先生の考えていることは日本の大事な問題を捉えている。拡大している未耕作地をそのままにしておけば日本の将来の食糧問題は危機に瀕する。その大学で学んだ人が自分の力で作る野菜や果物を本国へ送らせて下さい。学生が作った農産物は無料で送ってあげましょう!国が輸送費を負担してあげます。」「それでは、私の国連大学が未耕作地を管理しそこでできた農産物を本国へ送らせます。」というやりとりがありました。「国の予算から設立経費を出してあげる」と、想像もできない予算を出してくれることになりました。途上国では先進国の援助が、中堅の国の幹部が着服する例は枚挙にいとまないのですが。でも留学生の作った農産物を家庭へ直送すれば、そんなこともできません。今、全国の未耕作地の調査を始めてくれています。これは座学での知識ではなく 体験がそれに加わります。自分の国では何が栽培できるか、また健康にいいものは何か、自分で考えて自国での栽培に進んでいけることになりましよう。豊かな本物の農産物を自国で味わってもらえると思い楽しみにしています。自然への感謝、どんな子供にも自分は素晴らしい人間だと自覚できる、この二つを肝に銘じて、大学の設立を思い立ちました。

世界には先進国がいくつかあります。しかし90%以上の国には食糧の自給ができていないのが現実の姿です。「食料戦争」とも言える状況を目前に控えているのですが、自然への感謝、また人々への感謝を念頭に進んでいきます。自然が人間の生命を育んできました。一人一人の人間は、十月十日、母の愛情を受けて生まれています。学者の端くれですが、私の計画が実現したら世界の農業革命が始まると思います。本日は皆さんからアドバイス御指導を頂きたいと思ってまいりました。よろしくお願いいたします。

 

【大脇】私は75才、今日まで50有余年大学創りをいくつも見てきました。創業者の苦労は大変なものです。大きなおカネが動くまでの、呼び水となるおカネ(イニシャルコスト)をどうするか、これに創業者達は悪戦苦闘してきています。だから牧野先生の苦労はよくわかります。どんな状況でもひるむことなく前に進まねばなりませんね。日本はTICADに巨額のおカネを使うのですが、ただ後継者がいなければ何も残らない。教育ですね。福島原発事故処理にしても何兆円もの復旧費がつぎ込まれている、しかしそのお金も数千億円の単位でスーパーゼネコンが請け負い、ピンハネをする。現場にはその何分の1しか届かない、残念ですがそれが現実です。官僚制の問題、いろいろありますが、今日は、それはさておいて、結論としては、多くの人達の支援が有れば、資金への道も開けるかと思います。そこでTICADの予算が人材育成のために使えないのか?TICADを立ち上げ長年、国連代表としてTICADに携わって来られた池亀先生から率直な御意見を承りたいと思います。

 

【池亀】国連に33年間居ました。紛争や開発をやってきました。先進国と言いますか、西洋寄りが中心です。国連は1945年戦争が終わった時と変りのない雰囲気、原則で動いています。国連憲章には敵国条項があり、わが日本は「敵国」なのです。私も国連には、「平和のため、貧しさ追放」、そういう純粋な気持ちで入ったのです。そういう心で国連の組織も始まったのです。が、現実はそうではありません。みんな西洋先進国の思う通りに動かされているのが現実です。日本は西洋ではない、日本という独自性を持っているのですが・・・。途上国にとっては夢のような、西洋の文化でなくても違う歴史の我々(途上国)も経済成長ができるという希望を持たせたのが日本です。日本の農業モデルは国連に居ては全く見えない。最近お寿司も海外で広まっていますが、食文化の点から広まったのではない。日本の食文化の過去から野菜の食べ方、コメでおいしい料理が作られるようになったか、などは全く海外では見向きもされていない。縁あってFAOから仕事を始めたのですが、人類学をやっていたので農業には興味はなかった。基本は農業だと思う。技術援助といえば総て西洋の技術です。なぜ、ヤマハの小さいトラクターが出て行かないのか、不思議です。33年経っても同じです。日本の農業は良い点が多数あります。耕す、土、タネ総ての分野で世界に貢献できる技術が日本にはあります。ただ、「志あれば 何でもできる」のではではないのです。シンショ(?)叩いてやれば、なんかできるというものじゃない。本当にやろうと思ったら、現実的に、具体的に人材をどうやって採って、どういう法律に則ってやるのか。そういうことが全部レイアウトされていなければだめなのです。ナイーブなことですが国連機関のことが全然わかっていない。国連農業世界遺産なんて聞いたこともない。また、私の先輩の明石さんが、国連で発表されて、それをエンドース(認証)してもらいなさい、と・・。どこで発表したのですか?

【牧野】そういう理事会へ行かれたと・・。

【池亀】誰が立てたのですか?国連というのは国の集まりなので・・提案する時は国が提案の主体になるのです。今のお話では当然日本の政府が提案しないとECOSOCでは審議しない。日本がそうしたいと言うのであれば「決議案」として出されて採択されれば、そこで初めて皆さんが協力してやるという手順です。そういう過程を踏むのは大変なことで農林省も入れないといけない、外務省も、ECOSOCが文科省も、教育に関係していますから。いろんな日本の行政機関を使って進めなければ現実としてはあり得ないことです。それから、国の予算もつくと。その大学で学び、耕作して栽培して実習の成果を「食べてもらう」食糧援助がどんなに難しいか、「新鮮な」農産物の国境越えは難しい。リンゴ一つでも日本からアメリカへ入れられない。フィリピンでマンゴーも日本には持って来られませんよ。ものすごいプロセスが有って、それがクリアでないとお互いの国に食糧を届けられない。ロジスティックス(物流)もそのための船や飛行機をOKする過程も必要。ドライなら良いが新鮮なものもを他国へ、ということに賛同したというが、疑問を持ちました。確かに国連機関を使うとみんなが動くかというのは短絡的、37もある国連機関です。その機関は、国が有っての機関です。個人、あるいはアカデミアで提案する場所ではない。そういうプロセスを使ってでも国連という名前、国連認証大学もどういう意味ですか? 国連にはアカデミックネットワークというのがあるが、それを国連が認証しているのではない。そもそも「国連大学」は「大学」ではない。世界の大學同士がお互いに学び合ってお互いを高め合う研究ネットワークを作るところです。ある大学が特定の分野で国連大学のメンバーになるということはできる。国連大学以外の国連の機関でそういうふうに聞いたことはあまりない。この辺の理解の整理をする必要がある。もっと重要なのはそんなものに拘るよりはアフリカには大学は沢山ありますよ。そういう学生を呼ぶ、国を越えてのネットワークを作ったほうが良いのではないか。そのほうが効果的です。そのネットワークをつくるために国連の専門家から助言を受けたり、人脈を構築してもらったりする方が現実的です。主旨は素晴らしいので実現を期待しますが、途中に解決することがいろいろとあります。誰かが難しいことに志を持って続けて下さい。

 

【牧野】明石先生から二つ提案がありました。「オイスカと大学提携せよ!」でオイスカと契約しました。オイスカの渡辺副総裁と2回申請した後、申請書に英語で記入、その結果を渡辺副総裁が2回国連本部へ行って確認くださっています。今年7月に結果を発表するとのことです。その折りに我々は大学を目指す理念と学生募集とアジェンダに応えられるかということ、それを国連に持って行ってくれました。国連本部としては世界からいろんな案件が持ち込まれるが、2回か3回の審査委員会が有り、それを通過して発表になります。途中の経過は教えられない。発表まで待てということでした。

もう一つは、「青山の国連大学、それは大学ではなく広報センターである。 だがそこに我々の設立しようとする大学の事務局を置かしてもらってはどうか?」ということでした。行ってきました。「私のところは大学ではない。学生も教授もいない。無理だ」と。

もう一つ溝口(?)国連大使は「明石先生は著名な人ですが現役ではないから、幅を広げて・・。ここに書いてある「国際農業開発アカデミー」ではなく、国連ECOSOC認証大学としましょう」と。

 

【池亀】 国連事務局は国連総会の開催をサポートしている。 国連総会の下にいろんな事務局があり、その一つがエコソック。この理事会は「開発をやっていくには、市民ソサエティとか民間のセクターの企業、アカデミアのように政府ではない組織の声を反映しないと経済開発、成長は出来ない」と言う認識を20年くらい前にみんなが思った。それまでは国がメンバーだったが、それやめて、他の、政府以外のステイクホルダーを、国連のメンバーではないけれど認証した組織(アフリエイテッドメンバー)にしようということになった。オイスカは認証されたNGOになっている。そういう組織にしたらどうかというお話のようですね。それにはNGOを認める委員会がある。その委員会が審査して認証を与える。アプリケイションソフトがあって、「達成したら認める」ということです。そういうガイドラインが有ってそれを見せられたのでしょう。ところが、この申請書には「これから何をするか」ではなく「今までの実績、達成した経歴」です。1020年前の実績は何か、それが審査と認証の基準です。これから創るのでしょう?

 

【牧野】過去50年間の砂漠緑化の実績を認めてくれました。

【池亀】ではアカデミーは出来てはいないが一応そういうことで、その実績に基づいて考慮されると言うことですね。それから名称をこうした方が良いというのは誰かが言うたので国連が言うたのではない。国連と云うだけではなく、担当の人、担当の部署を言って下さい。

依怙贔屓をしてはいけないのです。日本の国連代表、そこへ、「ここまで進んでいますのでどうぞよろしく」と。今後のサポートを頼んで下さい。NGOを認証する委員会、例えば中国はメンバーで日本はメンバーではない。日本嫌いの国は日本のNGOを入れたくない。そういうものにひっかからないよう、気を付けて下さい。ここで認証という意味も分かりました。エコソックからのNGOとして認められるステイタスですね。

【牧野】岡村さんに会いました。

【池亀】岡村さんは次席だったが今は外務省に戻っています。いまは別所さんの下に二人います。別所さんは安保理事会担当で次席がエコソック担当だから、岡村さんに会ったのは良かったです。国連代表部には経済担当がいます。エコソックの副議長などもやりますから、そこの課長クラスに接触するのが良い。その人がエコソックに出席しているのだから。

 

【柴田】本省国連局の経済課も重要。ニューヨークも重要ですが指令は東京の本省から来るので、外務大臣経由、どんな案件もこういうルートです。国連関係の指示も来ます。だからこういうことの承認を今年受けましたとしてそのルートへ報告して置いて下さい。これには大体12年かかります。受けている案件は1000程度です。だからその委員会は大変です。ちゃんとした書類にきちんと記入していないと後回しになります。年に二回しか開かれないので。外務省の総合政策局、外務省電話して経済担当につなげてもらい、お話しして会いに行って下さい。いろいろと人脈がおありだから「この人にお願いしてあるので、お願いします」といえば動いてサポートしてくれます。書類を出す前に見てあげることもできたのですが、それが残念です。

【牧野】女性の黒田さんが立ち会ってくれました。

【池亀】黒田さんはエコソックのセクレタリアートと・・黒田さんは退職していますね。

 

【大脇】次元を変えて一言。TICADの立ち上げにかかわられた池亀先生にお聞きしたのは TICADの莫大な予算の一部を人材育成に回せないかということです。TICADがサステーナブルな成果を達成するには人材育成が必須です。 筑波大学が良い例です。当初、科学技術庁が中心になって研究学園都市ができました。当時学園紛争でいくつも大学が一年間休校となるほど荒れた時代です。いろいろ評論は出ても解決策は東大からは出てこなかった。東京教育大グループから出たビジョンを自民党文教部会が「これで行こう!」と決めて筑波大学ができました。「天の時と地の利、人の輪」と言いますが、画龍点晴、最後に筑波大学ができました。「金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ」と後藤新平が言っていますが、未来の残るのは教育ではないでしょうか!牧野先生は恵まれない青少年に夢を与える教育熱をもっていらっしゃるので、TICADで生かしてもらえたらと思いますが。

 

【池亀】TICADの目的は最終的には、アフリカ開発に紛争も解消して開発が進み、住民の生活が向上する、そのために日本の役割があり、国際社会はどうあるべきかを問うてTICADができました。それは西洋型ではなくアジアとアフリカをつなぐという新しい関係の構築です。1990年代、冷戦終結でアジアとアフリカとの連携が登場し、アフリカ人が「西欧とかアメリカに頼らないで、違うパートナーをアジアに作りたい」と言う気持ちからアフリカ勢から日本の政府に要請されたからで、日本が引っ張ったのではないのです。これがTICADの精神なのです。「アフリカがやりたい、またやりたいやり方で国際社会がサポートするべきだ。」これは植民地主義の考え方と逆、だからフランスなんかは、ボイコットしようとしたのです。でもアフリカ勢はそれを許さなかったのです。日本はアフリカの自立、アフリカの精神をリスペクトしていかねばならない。だから日本の精神を押し付けるのはだめです。アフリカはアフリカの目的と構想、2063年のアフリカ連合の構想を立てています。50年先のアフリカです。アフリカは未来をつくろうとしているのです。そういう中で「日本はアフリカの希望に応えることができるか」、これが日本の課題です。また国際社会の課題でもあるのです。私が思うのは農業の世界は小さくて、・・。

アフリカでTICADをやったのですが安倍晋三氏は200人の企業の人をナイロビまで連れて行ったのです。そうしないと、大企業のヘッドはアフリカなんかに行かないですよ。でも安倍さんは「アフリカを見ろ!とにかく行ってみろ!」と。そしたら彼らは吃驚して、ナイロビも東京も変わりはないと。上のリーダーがそう思うと会社も変わります。そういう意味で、なぜそこまで安倍さんがやったかというと、ODAの時代は終わったのです。TICADの最初の哲学はODA寄りの貧困潰滅させる、それは消えた。これからは援助でなくアフリカの望んでいるのは日本とビジネスをやることなのです。でも日本のビジネスマンには「アフリカに行く用意があるか」、みんな 「無い」と言う。「遠い」とか「言葉もいろいろでわからない」とか。でも日本が中国に進出したとき私はハラハラして見ていましたよ、共産党の国に行って皆取り上げられる可能性のあるところに企業は勇気を持って行ったじゃないですか、それを考えたらアフリカに投資するのは危険性は低い、中国に進出した勇気の20%でいいんです。すでに行っている会社の70%は拡大したと言います。足を置いたらわかるのだ。ビジネス機会は十分にある。逸事のない企業に行かせる。1960年代入って行った日本企業は独立戦争の過程で帰ってきた。それを戻させるか、新しい企業をいかにしてアフリカに進出させるか、それが私の今のテーマです。TICADはどこまでそれを進めるか、政策的な環境を、外交ルートでアフリカの諸国とやってもらうことができるかと、日本企業が難問としている課題をアフリカ諸国が解決するかディプロマシィ(外交政策)を使ってTICAD10までゆくか、が・・

農業でも人がいて政策は人の上にあるので、人の育成は重要ですが、でもベーシックエデュケイションは前のMTGで達成されている。アフリカが望んでいるのは高等教育です。高校、大学です 小学校まではなんとか行くのです。ガーナでは教育費無償です。重要なのは、そこからの高等教育です。彼ら自身の研究、自分たちの力で新しいことを発見する、そういうための大學。日本が発展したのはそういう教育があり、その線上に良い物を作るという体制が完成したのです。アフリカ人が頭が良くなっては、宗祖国は困るのです。今のアフリカは自分たちで自立して社会を動かすという方向を望んでいます。

 

【牧野】よくわかりました。外務省、首相官邸ですか。これから改革していくための窓口、認証を受けるための窓口です。

【池亀】認証のための窓口は外務省です。

【  】安倍さんがアフリカに200人連れて行ったと言うが、だれの助言でそうしたのしょうか?

【池亀】ブレーンだけど私は日本経済同友会のアフリカ審議会の非公式顧問です。アフリカ勢が援助よりは、レミッタンス(海外送金)ということで入ってくるおカネは全体のODAよりも多額です。ODAがなくてもアフリカはやっていけるのです。アフリカ勢が我々のビジネスパートナーとして日本だと言っていますよ。それに対して「やります」と日本側は言うだけで実績を積んでいない。安倍さんは「TICADは民間セクターが出て行くのが良い」と言ったのです。経団連も同友会も提言するのです。官民連携そこで企業の声を・・官僚は現場を知らないから・・日本の企業の現場感覚を吸い上げるために円卓会議をやっています。そういうところで「求められたものに対して日本は何ができるのか」いままでは、こういうお膳立てをしたから企業は、それに対処してもらいたいというが、そこで終ります。

トップが現地に行ってみないと、ところから・・周りにも日本アフリカ支援コンソーシアム、アフリカで頑張っている日本人たちをサポートするコンソーシアムです、そこにも声がかかってTICADに対する日本政府のありかたは、TICADはどうあるべきか、首相官邸は安倍さんのスタイルは」官僚なんかに頼らないで、ネットワークの中で自分の意見を作り、政党の意見を入れないで」という、そういうやり方です。

 

【大脇】では青野さんどうぞ

【青野】今までの話で国連レベルの問題はクリアになりました。肝心の日本の大學は、ということですが具体的なことは山下さんが詳しいのですが・・。日本の高等教育に関しては政策レベル、文科省の持っている政策レベルは最悪です。日本の大学院レベルの改革が必要だと思うが専門職大学、ロースクール計画の早い段階で制度設計が間違っていた。東大法学部がまた日本の大学をダメにする。基本的には京都大の佐藤浩二さんのグループが地方制度の提案をしたときにロースクールが合わせて登場した。東大法学部は、「我々は(東大法)アメリカとは違う。学部で専門教育をしっかりやっている。我々の卒業生は3年ではなく2年でやる」といって押し切って来た。私は日本の大学院制度の改革にはどうしてもロースクールは二年ではなく三年が必要だと思っている。東大生が優秀なら三年から飛び級にしたら良いではないかと思う。東大は法曹専攻200人レベルを打ち出している。京大は最後までロースクールに乗るか乗らないかと議論した。専門職大学もだが日本の大學は学位を出したがらない。海外からの学生は学位を持って帰国したい。一年か二年で論文書いて学位を持って帰国したい。現在は理工系含めて大学院には海外からの学生が多い。

二つ目には 高・大接続の問題だ。入試改革が求められているがこれも最悪だ。高・大もだが初等中等教育が起点にある。大学は知の拠点。この両者の接続は関心外だ。昔の旧制高校は一般教育、それから三年の専門教育としての大學。3+34になりその42+2になってしまった。今高校は97%の進学率。普通科が増えた。大学も学部単位で募集している・

 

【大脇】私は世界の大学の学長会議で事務局を9年間務めた。ミシガン州立大学の副学長に自宅に招かれた。彼が言うには「日本の大学 農業大学に関わらず 日本の大学はグローバルな視野に欠けている」「どうしてインドへでも行って連携しないのか、日本にはグローな戦略がない」と言っていた。私もグローバルな視野で大学を見ている人がない、と思う。

 

【青野】日本も近代国家になる時点で農学部、工学部で始まった。今でも農学部の数は多い。大学らしい大学と大学らしくない大学が混然として存在している。

 

【大脇】大切なのは、何を目的として改革するのか、だ。グローバルな視野からみて農業でも高等教育が如何に貢献できるか、が重要だ。筑波大発足に際してもお手伝いしてきたが、今回牧野先生との御縁が始まり、国際的な視野からアフリカ諸国でどう連携するか、教育とビジネスの両面性があることも分かった。様々の課題春が牧野先生はそこを乗り越えていけるビジョンをお持ちなので是非実現にできるようにしたい。

 

【青野】私も大学設立に関わったり聞いたりしている。一定の規模が要求されている。

教員数26名という計画もその26名はどこの大學から誘うのか、一定の規模の教員集団を集めることは今の段階では無理ではないかと危惧します。

私は新大学設立ではなく、ネットワークをつくりそのネットワークの中核としての存在を目的とした方が良いと思う。牧野先生が集めたいとする教員もどこの大学にいるのかということを知っている事務的ネットワークが必要ではあるまいか。

福岡の日本語学校が世界貢献専門学校を開き、それを大学にしたい。一昨年確か申請書は出したと思うがそのグループは排除された。静岡県も県立農業大学校、兵庫県も豊岡に平田オリザ氏が演劇専門を開校したいとの計画。これは都道府県レベルでやれる。

 

【大脇】国家ビジョンが重要です。国家に固執するのではなく、世界に、人類に、わが国は何を貢献できるか、という従来の発想とはコペルニカス的に異なる発想が必要とされていると思う。

(以下続く。素書き継続中、校正中です。ご発言された皆様、加筆訂正ください!328日締め切り)