国際農業開発アカデミーの設立に際し、私の生い立ちを一部お話しさせていただきます。私は昭和16年
、第二次世界大戦が勃発したハワイの真珠湾攻撃の年に生まれました。父は硫黄島で戦死し、戦争未亡人
の母に育てられました。母と男三人兄弟で、九州大分の田舎で暮らした生活は、今でも忘れることができま
せん。母は早朝から土木の現場作業員として働き、夜の9時からはバスの水洗いをしながら、農繁期には
田畑の農作業でした。私共三人の兄弟は、夜のバスの水洗いと農作業の手伝いをしました。食事はいつも
夜十時を過ぎていました。貧しいけれど楽しい我が家でした。寝る前に、母と三人の兄弟は、父の写真の前
で「お父さんおやすみなさい」と手を合わせていました。小学校四年生になったとき、母は突然、三人の兄弟を
座らせて、苦しい家計の話を始めました。長男の兄には「お父さんの代わりに二人の弟の父親代わりをお願
いするよ」といい、一番下の弟には「お父さんはいないけど負けないで頑張りなさい」、そして次男の私には、
「このままでは、母と三人の子供は病死するかもしれない、お前はしっかりしているから同じ町の親戚の家に
養子に行ってほしい」「新しいお父さんとお母さんの教えをよく聞いてくれ」、「夜は毎晩、9時になったら星を
見ながらお母さんと話しをしよう」と言って泣き始めました。母との別れは、語ることのできないほど悲しいこと
でした。
養子先では、登校前から夜の遅くまで、畑の仕事と家畜の世話で忙しい毎日でした。小学校には、リヤ
カーにバケツ四つを載せて登校し、下校時にはそのバケツに豚の餌をもらって帰りました。学校で勉強する
ときだけが休めるような毎日でした。中学卒業後は、県立農業高等学校に行かせていただきました。ここまで
の思い出は、勉強より働き通した思い出ばかりでした。担任の先生からは「頑張れ、頑張れ」と励ましていただ
きました。
高校三年の春、担任の先生から「大学へ行きなさい。農業高校だから進学科目がなくて難しいかもしれない
が、挑戦をして欲しい。それには両親の承諾を得なければならない」と両親を説得してくれました。私は恩師の
励ましのおかげで、幸運にも国立鳥取大学農学部に入学することができました。養父からは「どうしても勉強が
したいのであれば、お父さんお母さんのことは心配しなくてよい」と許しをいただき勉学に専念できました。当時
の農家の実態と大学の研究はあまりにもかけ離れていることがわかり、星を仰ぎながら農家のためにすべてを
捧げていくことを母に誓いました。
夢のような学生生活でした。日本海を見渡す鳥取砂丘、中国山脈最高峰大山、軒下まで積もる大雪、鳥取
城址久松山の桜、なにもかにもが楽しい学生生活の始まりでした。勉学は農業高校時代の延長だったのでとて
も楽しくてよく理解できました。研究内容は、鳥取砂丘の砂地農業をテーマに、二十世紀梨を中心とした砂地園
芸、微生物による土壌改良、遺伝子交配による品種改良など学術研究の対象はどんどん広がっていきました。
在学中、素晴らしい恩師遠山正瑛先生に巡り合い、砂漠研究の基礎を教わることができました。当時の農業研
究は、化学肥料と農薬を用いた大規模機械化による多収穫農業の研究が主流でした。その一方で、年々拡大し
ていく砂漠による地球の荒廃が問題になってきていました。鳥取大学は砂漠緑化や砂漠農業の研究拠点として、
遠山先生を中心に二十世紀梨、砂丘スイカ、砂丘ラッキョウ、長芋など、砂地農業の研究を進めていました。当時、
砂丘に作物を作るなど考えられないとして「それができれば太陽が西から登る」などと笑われていました。遠山先生
は「それは面白い。太陽を西から昇らせてみよう」と励ましてくれました。
世界には未だ先進国の支援を必要とする開発途上国が多数存在し、貧困の撲滅や急激に増加する人口を養う食料の
増産が切迫した問題となっています。これら開発途上国においては食糧生産の科学的知識やノウハウを有する農業技術者
の層が極めて薄く、現場において実務レベルで指導にあたる農業技術者の育成が急務となっています。
またわが国においても農林産業の衰退には目を覆うものがあり、食料自給率の向上さらには農業の六次産業化や農村
地域創生の担い手である青年の教育が重要な課題となっています。
一方、ニューヨークの国連本部は2015年9月に、SDGs (Sustainable
Development Goals:誰も置き去りにしない、
持続可能な開発目標)を採択しました。
世界には、地球温暖化や核兵器、あるいは難民問題や女性差別など多くの難問が山積しています。これらは総べて
人間が作り出したものであり、その解決には人の叡智をもって取り組まなければなりません。国際農業開発アカデミー
(以下「本アカデミー」)で学び世界へ雄飛する青年の使命は、持続可能な開発目標に向かってこれらの問題を
決することにあります。
本アカデミーは、沙漠農業の開拓者・遠山正瑛博士(鳥取大学名誉教授)を偉大なる師として仰ぎたい。遠山正瑛博士は、
熱き多くのボランティアの協力を得て中国内蒙古クブチ沙漠に300万本のポプラの木を植林し、野菜や果物の栽培を
成功させて、沙漠が食糧生産の適地であることを実証しました。博士は97歳の生涯を閉じるまで(2004年没)
「生命の尊厳」を根本理念として未開農業の開拓に奮闘されました。
本アカデミーの設立母体であるグリーンハットインターナショナル(以下「GHI」)は、遠山正瑛博士の理念と実践を
継承し、沙漠緑化さらに沙漠の生産緑地化及び森林保全や農地の作物栽培に関する事業等を通して、「世界の
食糧危機と環境破壊から生命を護る」ことを目指して活動を続けています。
本アカデミーは遠山正瑛博士の理念を受け継ぎ、つぎの《建学の精神》を掲げて開学するものであります。
1.国連人道主義の実践者たれ
2.自然を愛し、人を愛する指導者たれ
3.食糧問題解決の科学者たれ
私は13年前から、九州大学大学院微生物遺伝子工学分野で微生物による砂漠緑化と有機農業の研究を
重ね、開発途上国の食糧支援に取り組み、現在も続けています。都市は点であり農村は面であります。
農業が軽んじられたとき、決まって社会は乱世になっています。このことを肝に銘じていきたいと思っています。