オバマ大統領名言

 
  科学の進歩に見合うだけ人間社会に進歩がなければ破滅が訪れる。原子核
の分裂を可能にした科学の進化と同様、道徳の進化も求められている。

 いつか、証言をしてくれる被爆者の声を聞くことができなくなる日が来る。しか
し1945年8月6日朝の記憶は絶対に消えてはならない。この記憶によって我々は
独りよがりではいられなくなる。道徳的な想像力がかき立てられ、変わることが
できるようになる。
 言葉だけではそのような苦しみに声を与えることはできない。歴史を真っすぐ
に見つめ、再び苦しみを生まないために何を変えなければいけないのかを問う共
通の責任がある。

 我々は戦争そのものへの考え方を変えなければならない。外交の力で紛
争を防ぎ、紛争が起きたら終わらせようと努力をすべきだ。国と国が相互
依存関係を深めるのは、平和的な協力のためで、暴力的な競争のためでは
ない。軍事力によってではなく、何を築き上げるかで国家を評価すべきだ。
そして何にも増して、同じ人類として、互いのつながりを再び考えるべき
だ。それが、人間が人間たるゆえんだ。

 広島と長崎は、核戦争の夜明けとしてではなく、我々の道義的な目覚め
の始まりとして記憶されるだろう。


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『8月6日の記憶 消えてはならない』 
   オバマ氏の演説全文  2016/5/27 20:54

キノコ雲に人類の矛盾

 71年前のよく晴れた雲のない朝、空から死が降ってきて世界は変わった。閃光(せんこう)と火の壁が町を破壊し、人類が自らを滅ぼす手段を手にしたことを示した。

 我々はなぜここ広島を訪れるのか。それほど遠くない過去に解き放たれた、恐ろしい力について思いを致すためだ。亡くなった10万人を超える日本の男性、女性、子供たち、数千人の朝鮮半島出身の人々、そして捕虜になった十数人の米国人を追悼するためだ。

 彼らの魂は我々に内面を見つめ、我々が何者であるか、これからどのようになっていくのかを考えるように語りかけている。


 広島を際立たせているのは戦争という事実ではない。歴史的な遺物をみれば、暴力による争いが初期の人類からあったことが分かる。我々の初期の祖先は石から刃物を作り、木からヤリを作る方法を学んだ。こうした道具を狩りだけでなく、同じ人類に対しても用いるようになった。

 世界の文明の歴史は穀物不足や黄金への欲望、民族主義や宗教的熱意といった理由で、戦争で満ちている。帝国は台頭し、衰退した。人々は支配されたり解放されたりしてきた。節目節目で苦しんできたのは罪の無い人々であり、数え切れない彼らの名前は時とともに忘れ去られてきた。

 広島と長崎で残虐な終わりを迎えた世界大戦は、最も豊かで強大な国の間で起きた。彼らの文明は世界に偉大な都市、素晴らしい芸術をもたらしてきた。思想家は正義と調和、真実という概念を発展させてきた。しかし戦争は初期の部族間であった支配や征服と同じような本能から生まれてきた。新たな能力が、支配欲や征服欲が争いを呼ぶという古くからの構造を増幅させた。

 数年の間におよそ6千万人の命が奪われた。我々と変わらない男性や女性、子供たちが銃撃され、打たれ、連行され、爆弾に巻き込まれた。投獄されたり、飢えたり、ガス室に送り込まれたりした。

 世界各地には勇敢で英雄的な行動を伝える記念碑や、言葉には言い表せないような邪悪な出来事を反映する墓や空っぽの収容所など、戦争を記録する場所が数多く存在している。

 しかし、この空に上がったキノコ雲の姿は、人類が持つ矛盾を強く思い起こさせる。我々を人類たらしめる思考、想像力、言語、道具を作る能力、我々を自然と区別し、自然を自らの意志に従わせる能力は、大きな破壊的な力も生み出した。

■広島は真実を告げている


 いかにして物質的な進歩や革新がこうした事実から目をくらましてきただろうか。崇高な理由のために暴力をどれだけたやすく正当化してきただろうか。

 すべての偉大な宗教は愛や平和、正義への道を約束している。しかし、どの宗教も信条のもとで殺人が許されると主張する信者を抱えてきた。

 国の台頭は人々の犠牲と協力を結びつける物語として語られてきたが、人類を抑圧し、人間性を奪う理由にも使われてきた。科学の力で、我々は海を越えて対話し、雲の上の空を飛び、病気を治し、宇宙の真理を知ることができるようになった。しかし同じ科学の発見が、効率的な殺人の機械を生み出すこともある。

 近代の戦争や広島(での原爆被害)はこの真実を告げている。科学の進歩に見合うだけ人間社会に進歩がなければ破滅が訪れる。原子核の分裂を可能にした科学の進化と同様、道徳の進化も求められている。

 だから我々はこの場所を訪れる。広島の真ん中に立ち、原爆が落とされた時に思いをはせる。目の前の光景に子どもたちが味わった恐怖を感じる。

 声なき悲鳴に耳を傾ける。あのひどい戦争やそれまでの戦争、そして未来の戦争の罪なき犠牲者全員に思いを寄せる。

 言葉だけではそのような苦しみに声を与えることはできない。歴史を真っすぐに見つめ、再び苦しみを生まないために何を変えなければいけないのかを問う共通の責任がある。

恐怖の理論から逃れよ

 いつか、証言をしてくれる被爆者の声を聞くことができなくなる日が来る。しかし1945年8月6日朝の記憶は絶対に消えてはならない。この記憶によって我々は独りよがりではいられなくなる。道徳的な想像力がかき立てられ、変わることができるようになる。

 そしてあの運命の日から、我々は希望ある選択をしてきた。日米は同盟だけでなく友情を鍛え、戦争で得られるよりもはるかに大きな利益を勝ち取った。

 欧州の国々は連合体を築き、戦場を商業と民主主義の連帯(の地)に変えた。抑圧された人々や国々は自由を得た。国際社会は戦争を回避し、核兵器を制限、削減、ついには廃絶するための機構や条約を作った。

 それでも、国家間の紛争やテロ、腐敗、残虐性、抑圧が世界中にあり、道のりが遠いことを思い知る。人間が悪を働く力をなくすことは難しく、国家や同盟は自分自身を守る手段を保持しなければならない。

 しかし我が米国をはじめとする核保有国は、恐怖の理論から逃れ核兵器のない世界を目指す勇気を持たなければならない。私の生きているうちには、この目標を達成することはできないかもしれない。しかしたゆまぬ努力により惨劇の可能性を後退させることはできる。

 新たな国や狂信者たちに恐ろしい兵器が拡散するのを止めることもできる。しかし、それだけでは十分ではない。世界をみれば、非常に原始的なライフルや樽(たる)爆弾がどれだけ大きな破壊力を持つか分かる。

 我々は戦争そのものへの考え方を変えなければならない。外交の力で紛争を防ぎ、紛争が起きたら終わらせようと努力をすべきだ。国と国が相互依存関係を深めるのは、平和的な協力のためで、暴力的な競争のためではない。軍事力によってではなく、何を築き上げるかで国家を評価すべきだ。そして何にも増して、同じ人類として、互いのつながりを再び考えるべきだ。それが、人間が人間たるゆえんだ。

 遺伝情報のせいで、同じ過ちを繰り返してしまうと考えるべきではない。我々は過去から学び、選択できる。過去の過ちとは異なる物語を子どもたちに語ることができる。我々は同じ人間であると伝え、戦争を今よりも起きにくくし、残虐さが簡単には受け入れられなくなるような物語だ。

 我々はこうした物語を被爆者から学ぶ。原爆を落としたパイロットを許した(被爆者の)女性は、憎むべきはパイロット個人ではなく戦争そのものだと理解していた。日本で殺された米兵の家族を探し当てた(日本人)男性は、米国人も自分と同じように家族を亡くした喪失感を抱えていると感じた。

我々が選びうる未来

 私の国の物語はシンプルな言葉で始まる。「すべての人は平等で、神によって生命や自由に加え、幸福を追求する譲歩不可能な権利を与えられている」

 この理想を実現することは米国内の米国市民であっても、決して簡単なことではない。しかし、この物語を実現することは、努力に値する。それは努力して、世界中に広められるべき理想の物語だ。

 我々全員は、すべての人間が持つ豊かな価値やあらゆる生命が貴重であるという主張、我々が人類という一つの家族の一員だという、極端だが必要な観念を語っていかなければならない。

 我々は、その物語を語るために広島に来る。そして愛する人のことを考える。朝起きてすぐの子どもたちの笑顔、夫や妻とのテーブル越しの温かなふれあい、そして親からの温かな抱擁。

 こうしたことに思いをはせ、そしてそんな素晴らしい瞬間が、71年前この広島にもあったことを知る。亡くなった人は、我々となんら変わらない人たちだった。

 普通の人ならこうしたことが分かるだろう。彼らは、これ以上戦争が起きることは望まない。彼らは科学は、生命を奪うためではなく、生活をより良くするために使われるべきだと考えている。

 国家や指導者がこうした単純な知恵を使って(国の方向を)選択するならば、広島の教訓が生かされたことになる。

 ここ広島で、世界は永遠に姿を変えてしまった。しかし今日、この町の子どもたちは平和の中に生きている。なんと貴重なことか。それは守られるべきことで、世界中の子どもたちが同じように平和に過ごせるようになるべきだ。

 それが我々が選びうる未来だ。そして、その未来の中で広島と長崎は、核戦争の夜明けとしてではなく、我々の道義的な目覚めの始まりとして記憶されるだろう。

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広島・長崎「道義的な目覚めの地」
オバマ氏演説17分
 2016/5/28 1:16日本経済新聞 電子版

 オバマ米大統領は27日の広島での演説で「『核兵器なき世界』を追求する勇気
を持たなければならない」と訴えた。チェコの首都プラハで「核兵器なき世界」
を提唱して始まったオバマ政権が任期の最終年に再び、この原点で締めくくる―
―。就任当初からオバマ氏が描いていた米国の現職大統領として初めて広島を訪
れるという青写真がこの日、結実した。

現職米大統領として初めて広島を訪れ、声明を読み上げるオバマ米大統領(27日
午後、広島市中区の平和記念公園)=代表撮影

 「今回、広島に来ることができて本当によかった」。オバマ氏が27日の演説終
了後、安倍晋三首相と原爆ドームに向かう途中、語りかけたこの一言に今回の訪
問の意義が凝縮される。黒人初の大統領として米国の歴史に名を刻んだオバマ氏
が任期中、一貫して意識したのは、この「歴史」だ。

 キューバとの国交回復、イランとの核合意――。過去の米大統領が誰もなし遂
げられなかった難題。今回の広島訪問もオバマ氏がこだわるその歴史の延長線上
にある。演説もそんな心情が随所にうかがえた。「広島と長崎は核戦争の夜明け
としてではなく、道義的な目覚めの始まりとして記憶されるだろう」。オバマ氏
は17分に及ぶ演説で71年前を振り返った。

 原爆の悲惨さを際立たせるために多用したのが平和とその幸せを実感させる日
常をかみしめる表現だ。「朝起きてすぐの子どもたちの笑顔、夫や妻とのテーブ
ル越しの温かなふれあい、そして親からの抱擁」。この幸せを一瞬にして奪った
のが原爆という論法だ。「広島で世界は永遠に姿を変えてしまった。しかし、今
日、子どもたちは平和の中に生きている。なんと貴重なことか」と続けた。

 「科学や技術は人間の役に立つ一方、殺人の手段ともなりうる」「広島で愛する人に
思いをはせる」。演説ではオバマ氏の理想主義者の側面を存分に発揮したが、同
時にのぞかせたのが現実主義者の一面だ。71年前に米国が投下した原爆の是非に
は踏み込まず、謝罪もしなかった。原爆投下は「戦争終結を促した」という米国
内の肯定論に配慮した。

 「犠牲となった日本人、朝鮮半島の人、米国人捕虜の死を悼む」。オバマ氏が
日本人だけでなく、第2次世界大戦の全ての犠牲者を追悼したのも、「謝罪」と
の批判を受けないようにした現実的な判断だ。 核弾頭数の9割以上を占める米
国とロシアの対立で核軍縮の流れは停滞している。「私が生きている間には(
『核兵器なき世界』は)達成できないかもしれないが、努力で惨劇の可能性を後
退させられる」。オバマ氏は演説で、核軍縮の難しい現状も認めた。核軍縮の課
題は次期大統領の政権運営に持ち越される。

 「我々には(戦争の)苦しみをなくす共通の責任がある」と呼びかけたのも、
米国だけでなく、この共通の目標の実現には国際社会の協力が欠かせないとの認
識も強調した。そして「我々のやるべきことは終わっていない」と念押しした。

 原爆ドームへの道すがらオバマ氏から広島訪問の感激を吐露された首相は「
『核兵器なき世界』へ大きな一歩となることは間違いない」と応じ、オバマ氏は
「きょうはあくまでスタートだ」と力を込めた。戦後、日米両国が歩んだ和解の
軌跡と強固な同盟関係が「核兵器なき世界」の推進に向けて改めて問われること
になる。(ワシントン支局 吉野直也)