史上最大の産業技術スパイ事件

 筆者が内閣安全保障室長時代、国際インテリジェン
スーオフィサーとして遭遇した最大かつ最重要のスパイ
事件は、東芝機械のココム(対共産圏輸出統制委員会)
規制違反の対ソ大型工作機械の不正輸出事件だった。

 世人はほとんど理解しなかったし、今ではすっかリ忘
れられているが、それはまさに昭和二十九年のラストボ
ロフ事件以来の国運にかかかる大型スパイ事件だった。
 一九八七(昭和六十二)年のある日、米国大使館のり
ーガン法務官(リーーガル・アタッシェ=FBI代表)
がアポをとったうえで内閣安全保障室の筆者に会いに来
た。筆者のカウンター・パートは、チャイルドと呼ぶF
BI要員とビル・ウェルズー等書記官(CIA)であっ
て、リーガン氏とは初対面であった。会ってみるとこの
御仁、とんでもない話を始めた。

 「一九八六年末頃、在京アメリカ大使に宛てた一通の
封書が届いた。差出人は『熊谷独』という東芝の子会社
『東芝機械』のモスクワにおけるダミー会社『和光交
易』の商社マン。封書は、東芝機械がココム規制に違反
して大型工作機械を第三国のノルウェーを迂回させソ連
に不正輸出しているという告発状で、自分はモスクワ在
勤中KGBのハニー・トラップにかかり、日本帰国後も
東京まで後を追ってきたその女性に脅迫されていて殺さ
れそうになっているとアメリカへの亡命、身辺保護を願
い出ている」というのである。 
       
 なぜ筆者を訪ねてきたのかと問うと、「告発者熊谷独
氏をワシントンに亡命させ、調書をとったところ、米国
に対する重大な軍事的脅威であり、ひいては日本の安全
をも脅かす重大な技術スパイ事件であることが分かり、
米国政府は日本の外務省、警察庁、防衛庁(当時)に正
式に調査依頼をしたが、『そのような事実はまったぐ承
知していない』『当該技術はノルウェーに向けての大型
工作機械スクリュー輸出で対ソ不正輸出ではない』『当
庁の所管でぱない』とすべて拒否された。近年日本にも
NSCができ、貴官が初代の室長になって米NSCのカ
ルルッチ大統領補佐官(国家安全保障問題担当)のカウ
ンター・パートになられ、総理と官房長官に直接報告で
きる立場にあると聞いて、是非、総理や官房長官に日米
安保にかかわる重大事件を報告してほしいと思って来
た」というのだ。

 「一体どういう事件なのですか」との質問には、「詳
細は在日米海軍司令官コシイ少将からブリーフィングさ
せる」と答えた。
 早速コシイ少将に面会を求めたところ、同司令官は上
からの指示がすでにあったとみえて、待ってました、よ
く来でくれたという感じで驚くほど率直に詳細を教えて
くれた。

 「東芝機械が対ソ不正輸出した五軸大型スクリュー機械
によりソ連海軍艦船のスクリュー、とくに戦略原潜のス
クリューがスカッド型(中途から折れ曲がった羽根)に
なり、発泡(キャビテイション)が減り、スクリュー音
がなくなってしまった。これまで日米の対ソ潜水艦対策
は、ゲラジオストックやハバロフスクから出撃してくる
ソ連原潜のスクリュー音を採取記録して、その音紋(サ
ウンドープリント)によりすべてその所在を把握し、米
海軍の攻撃型原潜が気付かれることなく追尾し、米ソ開
戦となったとたんにすべて撃破してしまうことができる
体制にあった(映画『レッドーオクトーバーを追え』参
照)。それがある日、アメリカ近海でまったく突然にS
LBM搭載の戦略原潜、アクラ級とシエラ級(六〇〇〇
~七〇〇〇トン)の各一隻が捕捉され、アメリカ海軍は
色を失った。捜査の結果、それは日本の東芝機械がココ
ムに違反して第三国のノルウェーに迂回不正輸出された
大型工作機械で製作された直径九メートルの大型スカッ
ド・’スクリューに換装されたものと判明し、その事実を
東芝下請けの和光交易の『熊谷独』という人物が物証を
挙げてCIAに告発してきている。

 かつてソ連は、自国の原潜が海中で音楽隊のような大
きな音を立てて航行し、米海軍がすべてその音紋を記録
していると?つことを知らずにいた。それがソ連の諜報
活動が活発化して、東芝機械に対する大規模な工作が成
功して音紋を無効化したのだ。これによって米海軍が被
った損害は三百億ドルに及ぶ」

 だからりーガン法務官は「日本政府はこの事件を捜査
し、検挙しI再発を防ぐとともに音紋の再収録に全面協
力してほしい」と要請してきたのだ。

 アメリカのNSC(国家安全保障会議)は要員二千
人、’年間予算二十億ドルである。対して、一九八六年に
中曽根。・後藤田体制が創設した日本の内閣安全保障室
は、要員が筆者以下二十省庁から寄せ集めた二十一人、
年間予算二億二千万円。カルルッチ大統領補佐官のカウ
ンター・パートとはおこがましい微力な存在だが、持ち
込まれた問題は確かに新設安保室が担当すべき任務であ
る。日本にはスパイ罪、秘密保護法がないため、防諜は
おろか、公然たる産業技術スパイ事件でどの省庁も消極
的権限争議をしたくなるのは当然といえば当然で、調べ
てみると、確かにどの省庁も何もやっていなかった。こ
れは筆者の仕事だと信じた。

 さらに、コシイ少将は「そもそもこの事件の発端は、
[九八五年の海軍一家、ウォーカーファミリーのスパイ
事件から始まった]と説き起こしてきた。

 一九八五年五月二十日、FBIは海軍准慰ジョンーウ
ォーカーをスパイ罪で逮捕し、あとは芋づる式に、原子
力空母ニミッツ乗組員のマイヶルーウォーカー水兵(ジ
ョンの息子)、アーサー・ウォーカー元少佐(ジョンの
兄)、通信兵曹ジェリL・ウネットワースを逮捕した。
罪状は、米海軍の対ソ潜水艦作戦基地ノーフォーク司令
部のSOSUSシステムのデータなどの情報をソ連KG
Bスパイに売って、ソ連の原潜のスクリュー音を米海軍
がことごとく掌握している事実を彼らに教えたことだ。
これに驚いたソ連が、潜水艦のスクリューの消音化のた
めの対外活動を始めたのである。
    ‘
 ウォーカー一家に対する裁判の判決は、(I)ジョン
=終身刑、(2)マイヶル(息子)=懲役二十五年、
(3)アーサー(兄)―終身刑、(4)ジェリー・ウィッ
トワース=懲役三百六十五年にトという厳しいものであ
った。 

 東芝機械がココム違反の不正輸出をした機械は空母オ
スカー、タイフーン(二万五千土二万トン)のスクリュ
ー製作のための九軸工作機とアクラ、シエラ、ヴイクタ
ー級(六〇〇〇~八〇〇〇トン)のための五軸六枚羽根
の工作機械であった。


ワインバーガー国防長官の対総理抗議

 一九八七年六月二十八日、ときのワインバーガー米国
防長官が、この事件について日本の外務、通産、防衛の
各大臣・長官と国家公安委員長のいずれも「PooPoo
(いい加減)でやる気なし」として中曽根康弘総理に直
接抗議し、善処を要請するとして凄い剣幕で来日した。

 アメリカは、東芝機械のココム規制違反で本土がソ連
原潜のSLBM攻撃にじかに曝されたとして反日感情が
高まり、東芝機械が「東芝」と報道されたことから上院
議会は包括貿易法案に東芝製品の輸入禁止の修正条項を
加えることを可決し、法案は翌年に成立して九四年のコ
コム撤廃まで対日貿易制裁として効力を持ち続けた。

 東芝製品ボイコット運動は全米に広がり、政府機関や
軍のPX(売店)から放逐され、わずか二千万ドルの工
作機械輸出で米国民をソ連原潜攻撃の危険に曝し、米海
軍に三百億ドルの損害を与えたエコノミック・アニマル
という汚名を日本は着せられた。ワシントンの国会議事
堂前で下院議員たちが東芝のラジカセを積み上げてハン
マーで叩き潰すシーンがCNNで全世界に放送され、輪
結びしたロープを片手に「東芝は絞首刑だ」と叫びなが
ら走り回る議員が映ったが、日本人は何か何だか分から
なかっただろう。しかし、ウォーカー一家の厳しい判決
を聞き、彼らが終身刑や三百六十五年の刑なら東芝は絞
首刑だろうなとうなずけるものがあった。日本人はまっ
たくこういう日米間の危機に気付かなかったのだ。

 ワインバーガー抗議使節団が訪日したのは、この大
騒動のさなかだった。

 筆者は六月二十七日朝、随員だったリチャード・アー
ミテージ国防次官補とNSCホワイトハウス特別補佐官
のジェームズ・ケリー氏から至急会いたいとの電話で、
一行の宿舎だったホテル・オークラに呼び出された。会
った途端に「週明けの月曜日の朝一番に、ワインバーガ
ーは中曽根総理に会う。ホワイトハウスもペンタゴンも
日本政府のPOOPOOな態度に怒っている。外務、防
衛、警察、通産、どの省庁もこの重大事件に取り組もう
としない。警察庁も『熊谷独(和光交易の告発者)な
ど知らない。信を置き難い人物の告発で大騒ぎすべきで
ない』と極めて冷淡である。だから事件の重大性を総理
に知らせる人がいない。貴官は治安、防衛、外交、危機
管理を初めて司る日本版NSCで、後藤田官房長官直属
だ。永年の友情で貴官に四十八時間のリードタイムを与
えるから善処されたい」と言ってノン・ペーパーなる外
交文書を渡された。

 ノンーペーパーとは正規の外交文書ではない大切なメ
モ書きで、正式の口上書と同様の効果を持つ、インテリ
ェンス・オフィサー仲間の重要文書である。一読して
事の重大性が分かった。事件の捜査開始から関係省庁幹
部の処罰から、潜水艦探知(ASW)のための音響測定
艦の新造、関係大臣の謝罪まで幅広い要求を網羅したも
の凄い。口上書である。だから言わないことじゃない。
官僚どもがみんな逃げるからこんな最悪の事態になって
しまったのだ。

 しかもこのときは土曜日の朝。月曜のワインバーガー
の総理面会まで四十八時間もない。上下直列、飛び越し
報告、飛び越し決裁、ニード・トウ・ノウによる危機管
理のいやな情報だが、筆者と後藤田さんが逃げたら総理
を守る者がいなくなる。後藤田さんの自宅に電話し、緊
急のアポを求めた。週末の貴重な休養の時間を乱された
老官房長官は不機嫌を隠そうともしなかったが、週末の
うちに総理に報告。田村元通産大臣をワインバーガー会 
見直後に派米し、謝罪することが決まった。月曜日の
朝、予算委員会に向かう衆議院のエレベーター内で偶
然、田村大臣に会ったがまるで事態が分かっておらず、
「なぜ国会中に通産大臣がアメリカに行って謝らねばな
らんのか。オレはアメリカに『証拠を出せ』というとも
りだ」と息巻いている。これは大変だ。謝罪使節が事態
を悪化させてしまう。

 後藤田官房長官に即報すると「国益のため君が報告し
て納得させろ」と下命された。予算委員会の真っ最中で
ある。やむなく田村大臣にメモを入れて「エレベーター
内でのお話について重要な話がありますのでトイレへ行
くといって出てきてください」と連絡した。

 トイレに出てきた田村氏に本当の話をすると顔色を変
え、「中曽根に言わなければ」と仰る。総理は昨日から
知っていますとは言えない。「どうしよう?」とお尋ね
になるので、「私が大臣にやったことをなさればいい。
トイレに出てきて頂くんです」と助言した。メモを入れ
ると総理が出てきた。トイレで慌ただしく報告し、連れ
ションの形で重要な意思疎通を計ったのである。これが
「インテリジェンス」と言うものなのだ。

東芝ココム違反事件は、ほとんど時効にかかったか、か
かりそうになっていた。警視庁長官は事件着手に消極
的だったが、後藤田長官は長官の頭を飛び越して、とき
の鎌倉節警視総監に下命した。陸軍幼年学校出の鎌倉総
監は、彼らを「売国奴だ」と断じて、この困難な捜査を
引き受け、時効すれすれの二件をとらえて捜査を完遂
し、外国為替及び外国貿易法違反で立件した。軽すぎる
が東芝機械は企業として罰金二百万円、同社材料事業部
鋳造部長に懲役十ヵ月、執行猶予三年、工作機械事業部
工作機械技術部専任部長に懲役一年、執行猶予三年の有
罪判決を得た。

 だが、ソ連原潜のスクリュー音消音と安全保障上の因
米関係について東京地裁は判断を避けてしまった。

 東芝機械は親会社東芝と伊藤忠商事の強力な斡旋によ
りソ連への工作機械売り込みに成功したのであって当
然、東芝と伊藤忠の社会的政治的責任が問われた。だが
刑事責任の追及は届かず、東芝の佐波正一会長と渡里杉
一郎社長が道義上の責任を負って退職したが、伊藤忠は
瀬島龍三相談役一人が責任を負って特別顧問となる形で
終億している。通産省の官僚たちもソ連側との会食に出
たり、実験に立ち会ったり、この日米安全保障体制と国
益を脅かす一大取引にかなり公的に関与していたことが
捜査で明らかになった。中曽根総理も新聞の一面見出し
に東芝らは「売国奴」と烈しい批判を踊らせたが、事件
処理についてはあまり厳罰主義をとらず、通産官僚につ
いては「日本が国として関与していたことにならないよ
うに」とし、刑事処分はおろか行政処分の対象にもなら
なかった。しかし、ノン・ぺーパーで要求されたソ連
潜水艦の音紋資料(指紋台帳のようなもの)には海上自
衛隊はかなり苦労した。現在尖閣諸島海域で中国潜水艦
の領海侵犯の警戒にあたっている音響観測艦「ひびき」
(二八五〇トン)は、当時アメリカ側からの強い要求に
よって建造された特殊な艦種で、東芝ココム違反事件の
落穂である。


スリーパー瀬島龍三の不思議

 告発者「熊谷独」の供述や警視庁捜査の結果、不思議
な人物が浮かび上がってきた。

 中曽根政権のブレーンであり、第二次臨時行政調査会
(土光臨調)委員などを務めた伊藤忠商事特別顧問、瀬
島龍三氏である。全責任をとらされた東芝の佐波会長に
はソ連側に和光交易を売り込む人間関係や影響力がある
わけがなく、ソ連側の東芝機械と和光交易受け入れには
伊藤忠が大きな役割を果たしていた。

 特にソ連シベリアの「誓約引揚者」であった元大本営
参謀にして伊藤忠の会長までつとめた瀬島氏をどうする
かという問題が起きた。筆者は後藤田長官に「黒幕は伊
藤忠の瀬島龍三氏であり、何らかの政治的社会的制裁を
加えて然るべし」と意見具申した。ところが、いつもな
らこういう黒幕的存在にはとても厳しい後藤田氏は
「佐々君は、瀬島龍三氏のことになるとバカに厳しい。
中曽根さんの経済問題の相談役だし、なんで瀬島氏の悪
口を言うのか」と筆者を叱った。筆者は「私はKGB捜
査の現場の係長もやった元外事課長ですよ。瀬島がシベ
リア抑留中最後までKGBに屈しなかった大本営参謀だ
というのは事実でありません。彼は、『帰国したら反ソ
反共を装い、ソ連の批判を慎み、日本共産党とも接触せ
ず、保守派として成長し、大きな影響力をもつようにな
れ、そのときKGBが肩を叩くからソ連のために働け』。
つまりスリーーパーとしてソ連に協力することを約束し
た、いわゆる『誓約引揚者』です」と申し立てた。

 さらに、「私は警視庁外事課ソ連欧米担当の第一係長
(警視)という現場をやっていました・川島廣守氏
(後に内閣調査室長、プロ野球コミッショナー)、
山本鎮彦氏(後に警察庁長官、ベルギー大使)の指揮下
でラストボロフ事件の残党狩り、落穂拾いをやって、ソ
連大使館のKGB容疑者を張り込み、尾行し、神社仏閣
・公園などで不審接触をした日本人又は外国人を突き
止める仕事を毎日毎晩やっていました。そのような作業
の過程で、不審接触をした日本人を尾行して突き止めた
のが、当時伊藤忠のヒラのサラリーマン、瀬島龍三氏だ
ったのです。外事の連中は当時から皆知っています」と
答えて後藤田長官の注意を強く喚起したのだが……刑事
捜査の面でも広報の面でも、後藤田氏から何の指示もな
かった。後藤田氏とは、筆者が内閣安全保障室長を辞め
たときにも同様のやりとりをした。

 ソ連は国際法に違反して六十万人もの日本将兵をシベ
リアに抑留し、酷寒の中で強制労働に従事させ、そのた
めに六万人が日本に戻ることなく亡くなった。そんな
中、戦友と祖国を裏切り、ソ連の協力者となることを約
束し、帰国後「スリーパー」として秘かにソ連のスパイ
や工作員となっていたのが「誓約引揚者」である。

 抑留先の収容所で、KGBやソ連軍の政治将校の手先
となった日本の将兵は″アクチブ‘と呼ばれ、・他の日本
兵捕虜を洗脳し、応じない者を収容所の屋外で木に縛り
付けて死に至らしめた。凍死して首を垂れた姿から「暁
に祈る」と呼ばれた残酷なリンチだった。

 瀬島氏は極東軍事裁判においてソ連の検察側の証人と
して出廷した事実もある。捕虜収容所で、「日本人抑留
者を前に『天皇制打倒″・ 日本共産党万歳』と拳を突き
上げながら絶叫していた」というソ連の対日工作者の証
言もある。抑留中、「日本人捕虜への不当な扱いに身を
挺して抗議したために、自身が危険な立場になった」と
瀬島氏は本人は語っていたが、多くの他の元捕虜らの証
言があり、事実ではない。

 「誓約引揚者」と接触し、コントロールしていたのが、
ラストボロフ事件の主人公、駐日ソ連大使館のユーリ・
ラストボロフニ等書記官である。彼がアメリカに亡命し
て事件が発覚したのち、ラストボロフの供述をとってき
たのが当時警視庁外事課長だった山本鎮彦氏で、その調
書はラストボロフのスパイ網解明の手掛かりとなった。
日本人の名前は三十六人挙っていた。一番驚いたのが、
外務省の反ソ反共三羽烏と呼ばれた日暮信則氏だった。
欧米局で東欧担当の要職にあり、新関欽哉氏(駐ソ連大
使)、曽野明氏(駐ドイツ大使)と並んで、堂々とソ漣
や共産主義を批判することで知られていた。すべて自供
したのち、日暮氏は東京地検五階から飛び降り自殺を遂
げた。

 シベリアに抑留された多くの日本兵から瀬島龍三告発
の情報が多数寄せられ、ラストボロフ事件では関東軍参
謀だった志位正二氏(当時、外務省アジア局弟二課勤
務)が「誓約引揚者だ」と自首してきたこともあり、瀬
島氏が事件に関わっていたことは限りなく濃厚なのに、
なぜ本人のウソが最期まで世の指弾を受けることなく、
今日まできてしまったのか、まったくの謎である。筆者
は、東芝機械が東芝本社と伊藤忠商事の強力なバックア
ップでソ連に厚遇されたと聞いた時から、黒幕は瀬島龍
三氏であると確信していた。「熊谷独」の供述にも瀬島
の名があったと聞いているのに、とにかく不思議な事件
だった。

 新設されるべき国家中央情報局は、ソルゲ事件からラ
ストボロフ事件、東芝ココム違反事件を通じて一貫して
国益を守ってきた警視庁外事課の輝かしい伝統を受け継
いで、防諜(スパイ狩り)をその使命の一つと心得て、
日本を守る剣と楯(KGBの紋章)の楯の役割を果たす
よう期待して止まない。

 インテリジェンスのない国家は滅びる。国家安全保障
会議(日本版NSC)も国家中央情報局(日本版CIA)なし
には機能しないのだ。

「瀬島龍三はソ連の協力者であった」(正論10月号96頁~112頁より抜粋)