「日本の未来構想」(上)“2012年初頭での思い”
日本と世界のより良き未来創造にご関心をお寄せの皆様,
元旦の年始に続き第2信です。はがき、またはメールにて多数の皆さまより年始
をいただきました。1人一人にご返事をお出しすることができず、お詫び申し上
げます。ご返事の代わりにここ10年間の政策研究を踏まえ、「2012年日本の未来
構想」の骨子メモを3回に分けてお送りします。
現在の日本はどうしようもない重たい雰囲気が支配しています。「空気の研究」
で山本七平氏も指摘しているように、この空気は内から変えることはほとんど不
可能であり、黒船のような強烈な外圧が必要なのかも知れません。年始に当たり、
幾人かの尊敬する師にご挨拶をしました。簡単なご挨拶にしようと思いましたが、
ある師は、「3.11東日本大震災は、西欧文明の追従から脱却して、新しい日本的
文明へ転換する天の警告だ!」と述べられました。全く師と共鳴、共感、感動す
ることばかりで、しばし時間が経つのも忘れるほどでした。
近代西欧文明の行きづまり、そして日本の危機の本質は? そしてその解決策は
どこにあるのか? PCの不都合も含め日々を些細なことで無為に過ごし、残念
に思っています。ラフな形ですが、以下新年の抱負としてお届けしたいと思いま
す。ぜひ忌憚のないご意見をお寄せください。新しい時代を構築する質の高い知
的ネットワークの重要性を痛感しています。ご意見は直接個人メールか、
e-miraiのグループメールへ、または、twitter、Facebook(大脇準一郎、
junichiro owaki、junowaki@gmail.com , junowaki@able.ocn.ne.jp ),
http://ameblo.jp/miraikoso/entry-10074260084.html 等にお送りいただけれ
ば幸いです。
問題解決のキーワードは「存在観」であるというのが小生の見解です。「存在と
は何か?」多くの人がわかっているようで既成概念を疑わず、問題解決の原点に
立っていないように思われます。以下、「存在論の神話」を解剖し、新しい存在
観を3点から提記してみたいと思います。
1、 存在とは個物と連体の複合(2重目的)的存在である。
西欧においては古来より「存在とは個物である」という側面からと捉えられてき
た。 科学は実体を理解するための方法の1つであるが、西欧では全体を捨象し
て、部分を抽出する側面ばかりが強調されてきた。その究極が原子力エネルギー
の開発であり、使いようによっては人類は破滅の危機に直面するようになった。
科学(知識)は技術(技能)と結びつき、今や科学・技術は神に代わって全知全
能(万能)ぶりを発揮する一方、反面、深刻な環境破壊、人間性破壊をも、もた
らすようになった。
人類は今こそ、部分を離れて全体性を回復、科学・技術をコントロールする必要
がある。それは病気の人間を癒すのに近代医療による臓器の摘出、局部治療だけ
ではなく、体全体の血液の循環、環境とのバランスづくりに努める伝統医療が注
目されつつあること、近代化に伴い失われゆく「絆」の大切さが東日本大震災の
後、再認識されたのも同じ時代的潮流である。
近代化と言っても、悠久なる人類歴史において西欧にわずか400年の間の潮流に
過ぎない。従来の伝統社会に反旗を翻し、個の尊重、人権、自由と民主主義のう
ねりが、一つはルネッサンスという形で、もう1つは、宗教改革という形で近代
西欧文明は花咲いた。これらの潮流は科学技術の急速な発達の温床となり、西欧
は世界を席巻し、グローバルな時代、一つの世界をもたらしつつある。ただこの
西欧近代文明は命の無い切り花文明である。生命の誕生は横並びではなく、過去
から現在への絶対的縦的関係であり、この文明は過去とのつながりや伝統を断ち
切り、何よりも個の存在を優先する思潮であるからである。米国社会を経験した
東洋人の多くがいうことは、「若いうちに一旗揚げるには米国は良いところだ、
しかし老齢になって生きるのはつらい。晩年は温もりのある故国が良い。」先祖
を敬い、親、兄弟を大切にする伝統社会は、生命原則を知っているからであろう。
スポーツやゲームのようにルールを設定し、実力のあるものが勝利する。ルール
に則ってフェアーに競争した勝利者は称賛され、当人もその称賛を当然と思って
いる。ところが現実の世界は、たった6人が世界の富の60%を所有し、全人類の
80%は標準以下の居住環境に住み、70%は識字ができないでいる。またたったの
1%が大学の教育を受け そして1%だけがコンピューターを所有している。50
%が栄養失調で苦しみ、年間4000万人、4秒に一人飢餓で死亡している。他方、
偏食、過食で苦しむ人が増加し、日本全体で1年間に捨てられている食糧は、東
京ドームの100杯分、2320万トン(国連が供給している全食糧の2倍半)に及び、
世界の85,000万人が食べてゆける量であるいう。
国連や政府、慈善家が頑張ったところで、この自由競争のルールそのものを変え
ない限り、この貧富の差を是正することは、「百年河清を待つ」に等しい。その
意味で社会主義の実験も理解できないわけでは無いが、一世紀に亘るその壮大な
社会的実験が多くの犠牲を伴った、失敗の連続であったことは今や歴史が証明す
る明白な事実となっった。果たして人類は、自由と共産を超えて共生・共栄・共
義の恒久平和の世界を築くことが可能であろうか?
その鍵の第1は、「存在とは関係性(絆)である」ということに目覚めることに
あると思う。我々人間は西欧が見ているように個人の集まりだけではなく、関係
性である家族、氏族、民族、国家もまた連体としての歴とした存在であると認め
ることであろう。
近代化にともなう非人間化(デ・ヒューマニゼーション)、家庭や社会の絆の崩
壊、環境破壊、これから抜け出す道は「木を見て森を見ず」個別に分けるだけで
はなく、存在へのもう1つ近代化によって見失われたかに見える伝統的アプロー
チ、全体とのつながりを見出すこと、全体性の回復にあるであろう。
「知識の区分化というものは教育に向かぬ。私どもが、向かって行く世界におい
て人命を救うのには適さぬ。そういう目的のためには現実を包括的に広く見なけ
ればならぬからだ。ご存知のように私は、歴史家からずい分、非難されてきた。
単なる専門家であることを拒否し、一般家であろうと努めているからだ。私は真
の歴史家じゃない、アマチァアだというのだ。専門化過程の中途な半端な教育を
強いられてはいけない。包括的な教育、あるがまゝの宇宙を理解する教育、その
中に私どもが生きなければならぬ、宇宙を知る教育、 これを受けることが可能
となるべきなのだ。」 A.J トインビー
2、存在とは目に見える外形(体)と目に見えない内性(心)の両側面を持つ唯
一 体である。
宇宙は物理的エネルギーや質量だけではなく、生命体に包まれ、法則に貫かれ
ている。宇宙が絶えず膨張しているというのは、生命、さらにその背後に意志、
愛の人格(Something Great)があるのかも知れない。無機物はそれだけでは崩
壊へ向かう過程にあるが、一度、有機的生命圏に巻き込まれると無機物を吸収し
て成長する。生命を超えようとするのが、万物の霊長、精神性としての人間であ
り、時には、生命を超えて死や真、善、美、愛を選んだりもするのである。
「人間とは何か?」アウシュビッツの極限状況の体験からV.E.フランクルは、
「人間は意味的存在」であることを発見し、心理学の新分野を開拓したことで知
られている。彼は、人間は、ホモ・サピエンスやホモ・ファーベル、ホモ・エコ
ノミックス、社会的動物だけではなく、精神的・文化的存在であるということを
述べた。
W.マータイ女史が「もったいない」という日本語を世界に紹介して有名になった
が、我々日本人は「 物にも心がある」、「物心一如(色心不二)」と捉えてき
た。西欧では古来から「質料と形相」の2元論で捉え、近代においてはカントの
「事実と価値」の峻別は有名です。中世の王制が専制化し、人民の自由と人権を
蹂躙したのでやむを得ず、事実と価値(政治と経済、宗教と経済、三権分立等)
を分離したまでて、存在の事実の中に価値あり、価値も何らかの事実を含んでお
り、分けることはできないのが存在の実相である。
マス・メディアは、「事実の報道だ」とうそぶいていますが、複数の事実の中か
ら一つの事実を取材、報道するということは、そこに価値選択が介在しているこ
とを見逃してなりません。日本の報道記事は、外国人から見れば右へ倣えの没個
性的記事で、異様に映ります。「みんなで渡れば怖くない」、和の負の側面でしょ
う。大衆迎合の商業主義も隠されているのかもしれません。それにしても朝から
晩まで、ありとあらゆるメディアが同じ事件を「これでもか」と繰り返し放送し
ているのにはあきれます。外国人から「日本人は集団ヒステリーにかかっている
のではないか?」と疑われるのもやむを得ないでしょう。「何のための報道なの
か?」価値観と事実の乖離が問題でしょう。
ガンジーは「道徳と進歩と改善は、つねに不離不可分の関係にある。」と述べて
いますが彼の言う7つの社会的大罪は、このことをもっと雄弁に物語っています。
彼の碑文には次のメッセージが刻まれていることを友人が報告してくれました。
今では人口に膾炙されているところです。その7つとは、@原則なき政治、A
道徳なき商業、 B 労働なき富、C 人格なき学識 、D 人間性なき科学、E 良
心なき快楽、F 献身なき信仰です。
科学を趣味としていた科学者たちが原爆のもたらす社会的影響を反省し、晩年、
平和運動に挺身したのも事実と価値、scienceとvalueは分けることができないこ
とに気が付いたからです。 経済政策も数字を操作しているだけでは一向に経済
効果が現れないのも当然でしょう。ぜなら経済現象は人間存在の一側面にすぎな
いからです。経済効果を上げるのは文化・教育を含めた総合的政策が望まれる所
以です。
安全保障にしてしかり、単に防衛費を増やしたり、減らしたりすれば問題が解決
するのではなく、いかに平和な環境づくりをするか、総合的戦略の確立が必要で
あるのと同じです。現在の日本では防衛費の97%は人件費、設備費に投入され
ており、研究開発費はわずか3%にすぎません。それも大学の頭脳と連携する道
が全く閉鎖されており、緊急時の対応においては米国にすがるのみです。日本が
米国に敗れたのは、古い大鑑巨砲主義、精神至上主義に依存しすぎ、研究開発を
軽視したからにほかなりません。自由、人権尊重の米軍に最も恐れられたのは、
命知らずの大和魂であり、国民の団結心でした。米ソ冷戦の進む中、後程マッカー
サーは軌道修正を図ろうとしますが、時すでに遅く、時の日本の首相は「政権が
崩壊したら本も子も無くなる」と抵抗、その後も政権は国家の基本問題を先送り
し、今日に至っています。しかしマッカーサーは当初、日本が2度と立ち上がれ
ないようにと大和魂の根絶と国軍の解体を図ったのは事実であり、それが憲法9
条であることは今や機密文書も公開され明らかとなりました。国連を通じての国
際協力の効果を上げるにも、日本国憲法の再検討が必須のように思われます。
このように近代化克服の第2の鍵は、色心不二(一元二性論、事実と価値の統
一)の伝統的視点に立ち返ることにあります。
3、存在は授報作用(ギブアンドギブン)の運動体である。
「最高の道徳とは、不断に他人への奉仕、人類への愛のために働くことである。」
M. ガンジー
相対性理論を持ち出すまでのなく、宇宙のすべての存在物は運動している。また
一見静止しているかに見える物体も一定の運動量を持ったエネルギーであり、空
間もエネルギーが満ちれば粒子を誕生する。その発生は芸術的なほど見事な方程
式で表されることが知られています。
小は原子から、大は天体に至るまで自転(スピン核運動)をしながら公転(軌道
核運動)をすることにより、その存在を維持している。地球が太陽も周りを公転
するには遠心力と求心力のバランスが維持されて可能となる。最近遺伝子細胞も
利他的であることが注目されている。人間社会においても個人は心と体の授報に
より、個体を維持し、父母を中心に公転している。氏族や民族、国家においても
同じである。国家と国家の連体において米国合衆国、EUは新しい歴史的実験であ
る。日韓関係においてこの連体が可能か? 家庭における夫婦関係に似て、まず
は自国を超え、相手国のために尽くすことである、また日韓を超える共通の目標
と、両国を超えた利他的行動が必要で、それにより互いを必要とする求心力も一
段と強くなるというものである。
個体が存在であることは誰しも容易に認めるところであるが、個体と個体のつな
がり、連体を存在と認識することは容易でないかも知れない。しかし個体が重要
であるように連体も同等かしばしば、それ以上の存在の意味をもって来ることも
ある。分子や原子、細胞で構成される人体1つとってもそのことが明らかである。
たが始末に負えないのは、個体と個体との間に巨大な空間があり、目には見えな
い引力で引き合っているだけで、一見単なる個体の集合のようにも見えるからで
ある。
経済学の元祖アダム・スミスは神学・倫理学・道徳論から他の条件がすべて同じ
であるならと前置きして経済現象を扱った。人間には惻隠の情としての利他心と
個人の欲望、自由を貴ぶ利己心とがあるが、当時の予定調和説の楽観論も影響し
て、利他心よりは個人の自由に任せることが良いとした。今日の自由経済の行き
づまりからの活路はアダム・スミスの原点に返り、人間とは何かをその人間観を
問い直すことにあるようだ。⇒第14回地球市民フォーラム宣言文[U]
http://www.e-gci.org/14gci/statement/14sengen.html
昨年7回亘り「和の哲学・実学研究会」を開催したのは、「和の実学」の著者、
大和信春氏の構想に西欧近代文明の陥ったアポリア解決のヒントがあるように思
えたからである。氏は、「互奪社会から互求社会の相克状況にある現代社会は、
早晩行き詰まり、互恵社会へ移行する」と見、「一人一人が互奪人間、互求人間
から互恵人間に変わることこそ平和への和道である」と唱えている。
詳細⇒ http://groups.yahoo.co.jp/group/e-mirai/message/598
http://wagaku.gci21.org/
4、三つの軸
今から30余年前、学際研究が華やかなかりし頃、専門分野の異なる何千人もの諸
先生の驥尾に伏して奉仕したことがあった。何十人ものノーベル賞学者、何百人
もの大学学長の先生方もいらっしゃいました。それぞれの分野に入れば、論議が
どこまで拡散してしまい、際限がない。そこで「何のための学問、研究か?」と
その目的を問うことにより、求心力的に総合される。また視野を全体に広げるこ
とにより、その部分の鳥瞰図を得ることができる。このように学問の現実への有
効性を高め、問題を解決するためには総合的、全般的な視点からの思考が必必須
である。さらに問題を発見、解決策を提言するだけではなく、実際に解決されな
ければならない。そのためには、過去・現在を踏まえての未来への戦略的な行動
が必要となるのである。
10年前の今日、鞄本総研の新谷所長と「未来構想戦略フォーラム」を創設した
時にも、自分の思考や情報を整理するためのパラダイムとして、機能軸、空間軸
および時間軸という三つの軸を考えていたが、最近、この3軸は人間存在そのも
ののパラダイムであることに気が付いた。人間のみが大地に直立して歩いている。
これは機能軸(価値軸))を意味し総合的である。また人間の手はあらゆるもの
をつかみ、創造する。広がりは個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、宇宙へと
広がる、個と全体が連体した空間軸(世界軸)である。さらにまた、人間は足で、
過去を背負い、未来へ向けて歩く。人は自体内においても外界との関係において
も運動体であり、時間軸(歴史軸)を歩んいる。思想は必ずこの価値観、世界観、
歴史観により構成されている。歴代総理の相談役であった安岡正篤師の物の見方
三原則「多面的・根本的・長期的」とも、この「三つの軸」は呼応するものだと
いえよう。
以上、「存在」の3様相、個と連体の2重性(空間性)、性形の一元二性性(機
能性)、授報性(運動性)に目覚めることにより、新しい地平、東西文明の融合、
人類恒久平和の地平も見えてくるであろう。
2012年1月23日(陰暦元旦)
NPO未来構想戦略フォーラム創立10周年記念日
大脇 準一郎
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「日本の未来構想」(中) “新しいパラダイムから見た政策構想”
新時代を拓くには、新しいパラダイムは必須であり、の新しい思想が必要である
ことを確認してきた。新しい座標軸(視点:アングル)から見れば、まったく新
しい世界が見えてくる。以下、新しいパラダイムから見た日本のあるべき姿と進
むべき道をデッサンしようというのが今回の試みである。(パラダイム=ある一
時代の人々のものの見方・考え方を根本的に規定している概念的枠組み)
ニューパラダイムと言っても、我が国は100年も前からこれを志向している。早
稲田大学の校歌にもその理想が詠われている。日本の宿命的使命としての「東西
文明の調和」と「理想と現世の一致」に、自立精神で果敢に取り組むことを詠っ
ている。今から40年ほど前の1970年代初頭、小生も創設にかかわった諸団体があっ
たが、それらの創立趣意文には、当時の学界や財界有志の現代西洋文明と日本文
明に対する危機意識が反映され、“東西を融合した新文明の創造”がここでも高
らかに謳われている。
⇒ http://www.e-gci.org/shinbunmei/atarashiibunmei.html
http://www.pwpa-j.net/about_us/shushibun.html
今こそ先人たちのこの積年の志を世に問い、東西を超えた人類の協働により新文
明を構築する時が来たように思われる。去る1月21日(土) 午後7時30分からNHK
総合TVスペッシャル番組、「シリーズ日本新生:生み出せ!“危機の時代”のリー
ダー」の番組は時宜を得たもので感動的であった。見逃された方は、再放送また
はオンディマンドでご覧になることをお薦めします。(以下、一部引用をさせて
いただいた所があります。)
その第1の発想の転換は、「日本から世界」ではなく、「世界から日本」を見、
「世界における日本の使命(役割・国家目標)」を見出すことである。
「国家という志が無いならば、人ではない。」(吉田松陰)、今ならさしずめ
「アジアの中での日本をどうするのかという志が無いならば、人ではない。」と
言うことになるであろう。国会中継を見ていて、いつも痛感することは、アジア
や世界情勢を踏まえての天下・国家の議論が皆無なことである。日本語という言
語の壁で防護されているので不幸中の幸いとも言えるが、早くその天下・国家を
忘れての党利党略に明け暮れる醜態ぶりを改善してもらいたいものである。先日
のNHKの放送で官僚制の問題点が取り上げられた。「若手官僚が国民のため、
天下国家のために行動しようとしても省益が優先され、爪はじきされてしまう」
という行政の不合理が俎上に上がっていた。その解決策は「政治のリーダーシッ
プだ」と言われ、政権交代もした。しかしはるかに自民党にも劣る民主党の政党
政治の拙さぶりに、今や国民は全くうんざりしている。まさに二大政党政治の破
綻である。
「日本にも優秀な官僚の受け皿としてのシンクタンクを!」との意見もあり、米
国のブルキングズ、アメリカンプライズも日本にカウンターパートのシンクタン
クの設立を試みたが、いずれも断念した。「既得利権を手放そうとしない官僚制
度が続く限り不可能」との結論を得たからあった。国際社会に役立つコミュニケー
ション能力の豊かな人材養成が願望されている。東大を卒業し、コミュニケーショ
ン能力が貧弱な者でも、未だにまかり通っているのは、それを受け入れる官界や
大手企業側の需要が高いこと、一旦その特権社会に入れば一生安泰であること、
またその特権を守ることが組織として最優先されることが指摘された。この不況
時に、毎年100%の就職率を誇り、海外では東大以上に高く評価されている秋田
国際教養大学があるが、この破産寸前の田舎大学を日本一の大学に押し上げたの
は、いかにリーダーの存在が重要であるかを物語る一例であると、小生はふと思っ
た。
先に、全体と個体との二重目的的存在と述べた。全体目的のみでは全体主義(ファッ
シズム)に陥り、逆に個体目的を主張し過ぎて近代化が行き詰まっている。「滅
私奉公」、「一億玉砕」まで覚悟し終戦を迎えた日本は、全体への奉仕に未だア
レルギーがあることは確かである。どこでこの全体と個の調和を図れるのであろ
うか?
それは「家庭の場にある」と、小生は思っている。人は先祖や父母があって初め
て地上に誕生できるのであり、これは絶対的生命原則である。東洋倫理の基本で
ある家庭倫理は、これに基づいたものであると言える。この家庭倫理の根本であ
る愛において、父母の愛、夫婦愛、兄弟愛や差別、秩序、規範があることを教え
ている。西欧においては、この点があいまいであり、生命の繋がりを断ち切って
個の存在を主張する西欧近代文明は命の無い切り花文明であり早晩崩壊すること
は自明である。まさに人生の意味は、個人的には理想家庭の実現、人格完成にあ
り、全体的には 家庭の延長である理想世界の実現の二重目的にあると言える。
個人は家庭のために、家庭は親族、地域社会(コミュニティー)のために、地域
は市や県、国のために、国はアジアや世界のために、世界は歴史的(過去・現在
・未来の)人類のために、自体の存在を維持すると同時に、常に全体目的(公共
目的)を併せた二重目的性に留意すべきであると言えよう。
共生・共栄・共義(ともに善であると認めあうこと、価値観の共有)が未来世界
へ向けてのキーワードであり、我々が古来慣れ親しんでいて、今消滅しつつある
“個と個のつながりである連体”という絆、もう一つの存在が再評価される時代
であることに目覚める時であろう。「3.11は西欧近代文明追従の蜃気楼から目覚
めよ!との天の警告だ!」との尊敬する師の年頭メッセージを先に紹介した。明
治以来追い続けて来た「坂の上の雲」、大戦やこのたびの地震で失ったかに見え
たもの、日本的伝統の美、それに世界は驚嘆したのである。細やかな思いやり、
進むだけではなく、控えめに譲ること「和譲」、耐え忍ぶ心もしっかり生きてい
たのである。敗戦や震災・津波ですべて失われても残るもの!それこそ世界に誇
る日本の文化遺産、命を懸けても守るべき美的価値ではなかろうか! 国際協力
と言って金をばらまいても日本が期待するほども感謝はされていない。「日本は
すべて金で済まそうとしている」とその顔の見えない外交に批判の声も聞かれる。
もっと日本のこの真の宝、「心の美」をもって世界へ貢献すべきであろう。そこ
に日本国の使命、日本文明の世界史的第一の役割があるように思える。
その第2は、政策を総合化することである。
科学・技術、産業・経済・政治・防衛・教育・文化等、いずれも人間の諸活動の
部分現象であり、政策を実施するにおいては総合的調整が肝要であることは言う
までの無い。ところが行政においては各省庁の縄張り意識が強く、自分の所だけ
でやろうとするので政策遂行の現場において屋上屋を架すことが多く、全くの税
金の無駄遣いとなっている。
これを逆手にとって地域興しに活用したのが元通産官僚の平松大分県知事である。
複雑な各省庁の政策窓口を横につなぎ、大分県のインフラ整備に大いに活用した。
小生の印象深い経験がある。
フォード大統領が来日の折、訪日記念のお土産に「日米協力センター」創設構想
が持ち上がった。筑波大とメリーランド大学との間で双方がそのため校舎を準備
してもよいとの両大学学長の合意も出来あがっていた。会議やパーティーも大学
を使えばホテルよりは格安である。また、自国の国益を離れて日米の共通のビジョ
ンを自由に討議もできる。政策研究の現場に触れることは、社会科学系の教官や
学生とっても又とない貴重な機会でもある。著名な日米の学者が協力し、マスター
・プランも出来上がっていた。とところが海外事業は外務省の担当だと文部省と
の調整が長引き、折角の機会を逸してしまった。そのとき外務省高官は、「外務
省は海外専従員2000人ではカバーしきれない」との回答であった。また、文部省
側は、「我が省からの米国への派遣員はたったの1人である」との回答に耳を疑っ
た。文部省から派遣された国費留学生、研修生、大学の教官・研究員は数に入ら
ないようだ。国際化時代にあっていつまで明治以来の鹿鳴館時代の政策を続ける
つもりなのかとまったくの驚きであった。
一つの政策を実行するにも各省庁の調整の重要性につき論じているわけであるが、
他の例を見てみよう。
当時、通産官僚の並木信義氏は、「経済政策は文化政策と並行してやるべきであ
る」との論陣を張っていた。マルクスの決定的誤りは労働価値説を選択したこと、
その唯物性にあるが、近経にしても、目には見えない文化的諸価値を数量化しよ
うと試みているが、なかなか予測が当たらない。指標の選択、数量化が困難を極
めていることに一因がある。
「和の実学」の大和信春氏は、目に見えない心の価値を心量とし、心の喜びの量
を欣量、悲しみを辛量と定義し、経済社会に道徳性と利潤性の調和をもたらす新
しい経済・経営理念を提唱している。人のためにやっても損だと思っている人は、
一度『和の実学』を読まれることをお薦めしたい。
行政は「国民の税金を元に予算を立ててただ使うだけで利潤性を考えなくて良い
のか?」各省庁は、予算が余りそうになると無理に使い切ろうと必要でもない備
品を購入したり、予算消化を目的とした行事を急遽準備をする。予算の投資は国
民、国家のためになっているのか? それをどのように客観的に検証・評価でき
るのであろうか? 国内に占める98%以上の中小企業を置いて、大企業優先の
利権行政になってはいないか? 最近、国立大学も独立法人化され、企業経営に
一歩近づいているかに見えるが、国家経営全般においても、官僚は国民の税金を
預かって資産を増やす努力をしなくて良いのであろうか?
大学が独立法人化の影響で日本の大学の学長が随分と若返って感じがする。そし
て今までタブーとされた発言も堂々聞かれるようになった。1970年代米国の大学
総長会議に参加して驚いたのは学長がいずれも若いことと総会の話がお金の話が
主流であったこと、また1年に何十もの大学がつぶれていることであった。日本
の大学学長も良きにつけ悪しきつけ、段々とアメリカに似て来ているようである。
「日本の国民は大切なお金をゼロ金利、超低金利で預けたままで文句を言わない
のはどうしてなのか?」、「カナダでは貸し付けは18%でも、預金は11%、
2000万円も預金すれば生涯生活に心配しないで暮らして行ける」と、米国の友人
に言われ、目から鱗であった。大銀行の実態を知れば知るほど、どう企業努力を
どうしているのか? 「中小企業のために緊急融資された50兆円も、20兆円は大
銀行にかすめ取られ、海外債権を買うために転用されたしまった。」と政策立案
をした某氏も会うたびに憤懣やるかたない様子であった。 弱者救済の農林族の
ごり押しは、また、その逆であり、国民は深く利権の絡んだ自民党政治に飽きて、
民主党政治を選択したが、民主党の「国民のための政治(“福祉政策”」はその
稚拙さを露呈し、今や、国民は失望感に打ちひしがれている。おそらくまた自民
党が復権し、元の木阿弥となる可能性が大であろう。
防衛の例を考えてみよう。
防衛となると防衛費のことだけがクローズアップされるが、いかがなものであろ
うか?「何のための防衛なのか?」国家は国土と国民と主権より成る。米国大統
領は戦争の正当性としていつも「自由・民主主義・人権」を高らかに訴え、圧倒
的な軍事力・経済力で敵国を殲滅しようとする。独立戦争、南北戦争をはじめ世
界大戦、冷戦など歴戦の米国はベトナム、イラク、アフガンと多くの躓きがあっ
たにせよ、この信念は揺るぐことはない。この信念が揺るぐとすれば、米国の崩
壊を意味するだろう。ただ諸国が困るのは、米国の善意の押し売り、ごり押しで、
この傾向は一向に止む様子がない。
先に「事実と価値の一体性」につき論じてきた。イスラム教は、政治・経済を始
め生活全般にわたり、宗教との一体性を説く。米国と激しく対立しているのは、
ひと握りの狂信的原理主義者、テロ集団であり、イスラム教全体の問題ではない。
テロ集団に対しては、逆に事実と価値を峻別し、一旦武器を置いて、徹底的議論
で協調点を見出す道があれば、その方法を探る必要があろう。それに際してはま
ずはガンジーの次のことば、その命からほとばしり出る、崇高な精神に学ぶべき
であろう。
「世界の不幸や誤解の四分の三は、敵の懐に入り、彼らの立場を理解したら消え
去るであろう。」
「非暴力は私の信念の第一章であり、また、私の信条の最終章でもある。」
「非暴力とは、悪を行う人間の意志におとなしく服従することではなく、暴力者
の意志に対して全霊を投げ打つことである。」
「我々人間は、どこへ行こうとも人々の心に平和と非暴力の種を蒔き続けること
に命を捧げなければならない」
日本は何のために防衛するのか? 自衛の当然性は国際法でも承認するところで
あり、人体を見ても明らかである。我々は毎刻、何億もばい菌を吸っている。ウ
イルスや悪性の病原菌と白血球や善玉菌は昼夜を分かたず戦っている。人体に免
疫性が無ければ何人と言えども、生存することはできない。その点、「非武装中
立、平和憲法を守れ」という念仏宗教的姿勢は、ガンジーのような高邁かつ強靭
な精神がない限り、論外であろう。「自衛は必要である」が「自衛がどこまで必
要なのか?」が議論の分かれる所である。30年前、共産圏諸国を訪れた時、たま
たまメーデーに出会うことが何度かあった。ソ連にしても中国にしてもメーデー
はお祭りで、必ず戦車やミサイル、軍隊の行進がつきものであることは、TVのニュー
ス画面等で周知の通りである。社青同、べ平連の青年にも会った。そこで発見し
たのは、「共産圏から見れば、いつ自由圏から侵略されるかもしれない」という、
被害者妄想意識(パラノイア)、防衛の過剰意識であった。どちらが軍国主義国
家かと疑わしくなるほどの軍事優先の社会主義諸国家が、日本の防衛政策のちょっ
とした変更にも過敏なのも、ここに一因があるようだ。
人の病気や予測不可能なカタストロフィーに対応するために体力増強、健康増進
など、訓練を積み重ねるように、国家においても積極的な平和の環境作りが必要
である。ODAは、日本のビジネスの延長にすぎないとの批判もあるが、経済協
力を通じての平和構築の一環でもある。お金だけではなく、産業、技術、人材、
教育、文化等の戦略的総合協力のための政策の確立が望まれて久しい。防衛もハー
ドパワーだけではなく、ソフトパワーとの併用が望まれている。
文化防衛論を提唱した三島の割腹自殺は、崩壊しつつあった日本文化に危機感
を抱いての行動であろうが、社会に衝撃を与えた。伝統文化と現代文化を融合し
未来の日本文化をどう創造するかが、愁眉の課題である。自衛を強調するなら、
日本伝統の和を「和譲」と控えめな形で掲げるのも一つの道であろう。また「攻
撃は積極的防御である」との格言もあるように、積極的な姿勢を掲げる方法もあ
ろう。しかし、「大東亜共栄圏」や「八紘一宇」のスローガンでは近隣諸国のみ
ならず、一部の極右勢力を除いて国民大衆の共感を得ることは難しいであろう。
日本の伝統思想と同様に、西洋の「自由・民主主義、人権」の思想も色褪せつつ
ある中、世界の共感が得られる国際平和のための新たなる旗印は何であろうか。
ここにもっと焦点を注ぐべきではなかろうか?
教育の面でも、現況に対する反省に立脚し、将来を見据えた理念に基づく教育政
策の立案が求められている。安倍政権になって、個人を強調し過ぎた教育基本法
がようやく改定された。今、求められる「期待される人間像」は、国際コミュニ
ケーション能力、現場で役立つ専門的技術、高邁な志を持った人材である。その
バックグランドとして、異文化理解は重要である。一時だけでも自国文化を措い
て、それを客観的にも見つめ直す異文化経験は、ますます重要となってきている。
先日のNHKの番組でも「、国際社会のリーダーの育成が焦眉の急であり、頭脳エ
リートは不要、パッション、ミッション、ビジョンのあふれる教育が必要である。
知識偏重の受験勉強は、改めるべきだ」との辛辣な意見が出ていた。このように
政策の成果を上げるには、政策の総合化が重要である。
その第3は、生き方の大転換、「保身から利他へ、(為に、愛に生きる)」こと
である。
「最高の道徳とは、不断に他人への奉仕、人類への愛のために働くことである」
「私は法を無視するのではありません。人間の存在から響いてくる最も高い法,
即ち良心の声に従っているだけです。 」 M. ガンジー
先回述べた自然法則からのメッセージは人類にとっては、コペルニクス的大転換
である。しかし元々これは自然界を貫く普遍的原則であり、我々はただそれに目
覚めれば良いだけのことである。もし人類がこれ以上、この宇宙的法を無視した
自己中心な生き方を会属するならば、滅亡の道あるのみである。逆に、この大転
換を一人ひとりが勇気をもって成し得れば、人類の悲願である恒久平和、理想世
界の実現も夢ではなく、現実のものなるであろう。
経済、政治、環境どれを取っても、生か死か十字路線上にある人類にとって、世
界を変えるのは、「急がば回れ!」、最も身近で、最も小さな一人ひとりの決断
にかかっているといえよう。人が自分のことより他人のことを先に考えて行動す
れば、おのずと信頼関係を生まれ、希望も無限の力も湧いてくる。
ある僧侶のお説教を聞いていてなるほどと感心した譬え話がある。「地獄へ行っ
てみたら、我先きに食物を食べようと阿鼻叫喚の状態であった。皆、箸が長くて
食べ物をなかなか掴めないからであった。そこで天国に行ってみるとその長い箸
で互いに他者にまず食べさせ、全員が悠々、食事を楽しんでいる」と。路上にお
いて我先きに車を運転したら交通事故になるであろう。緊急時に我先きに脱出し
ようと出口に殺到すればパニック状態となり、事故も起こり易い。進むことと同
時に譲ることも重要であることを知らされる。禅の公案、また二宮尊徳の逸話と
して聞いた話も説得力がある。ある人が、お坊さん(尊徳)を訪ねて来た。そこ
でお坊さん(尊徳)は、たらいに水を入れて訪問者に持って来させ、「水を手元
に集めてみよ」と促す。訪問者は一生懸命、手で水を手元にかき集めようとする
のだが、そうしようとすればするほど、指の隙間から勢いよく水がもれてしまう。
困っている客人に「反対方向に水を押して御覧なさい」と師(尊徳)が諭す。す
ると「来るな」と言っても水は自分の手元に集まってくる。『和の実学』7回シ
リーズの講座を続けた折、最も印象的あった大和信春氏の言葉がある。「一見、
相手に尽すことは、外的には損するように見えるが、内的には相手の心に徳(預
欣)を積み、この徳(預欣)が恩返し(感謝)となって自分に返って来る。この
心の法則は経済法則より確実で、絶対的である。」と堂々と言い切られた。この
自信を持って言い放たれた背後に、抗しがたい威厳さえ感じ、新時代の到来も夢
ではないと印象深かった。
判ってしまえば「コロンブスの卵」だが、しかし今までの一般常識とされてい
た壁をつく破ることは容易でない。
大半の人々は運動を「正・反・合」と捉えている。この弁証法はヘーゲルが、
キリスト教神学、「神が人と成り、人が聖霊と成る」、三位一体論からヒント得
たものである。思考段階おいて、「行く、行かない、やはり行こう」とは我々が
日常経験する体験でもある。一見、「正・反・合」は正しいように思われている。
しかし、へーゲル弁証法を逆立ちさせたマルクスの唯物弁証法で検証すると、こ
の誤りは歴然とする。人の正の否定は死、死から正が生まれるか? イエスは十
字架上の死から3日後に復活したと言われているが、これはイエスにおける奇跡
として世界の3人に1人以上が信じている出来事であるにしても、一般人には起こ
りえない。「人を生かそうか、殺そうか、いや生かそう」と、現実にもてあそば
れたのではたまったものではあるまい。「労使が対決すればするほど、会社は発
展するのであろうか?」西欧の労使対立の労働運動に疑問を抱いた郷司浩平氏
(生産性本部創立者)は日本産業の発展のためにと、労使協調のユニークな労働
運動を誕生させた。一見、戦争や競争が産業、技術を始め社会を発展させたよう
に見えるが、その内実を調べれば、敵や競争相手に打ち勝とうと必死に努力し、
団結することが発展をもたらすのであって、戦争や競争自体は、あってもなくて
もよい必要悪であることがしばしばである。人体の健康・幸福増進のための右手
であり、左手である。国家の存続・繁栄のための与・野党であるものかかわらず。
誤った弁証法の影響のせいか対立闘争は発展をもたらすと言わんばかりに、世界
はおろか、国家や国民の大義はそちのけで、不毛な論争を続けている。
「正・反・合」が偽りであるとすれば、正しい運動法則とは何であろうか?
「正・分・合」の方が自然の運動をより忠実に表現しているように思えわれる。
存在物はすべて自体内においても他との関係性においても運動している。その関
係性は対立ではなく、相対的でありその相対物間には共通の目的が見出される。
相反する目的は反発作用を起こし、その反発力はそれぞれの個体が本来相対すべ
き個体と出会う協助現象となる。このことはプラス・マイナス(N・S)の電磁気
現象においても明らかであるが、身近な男・女の出会い置き換えてみれば、さら
に容易に理解されるであろう。共通の目的観が無くして運動はおこらず、存在物
の維持、発展も無い。あるのはただ崩壊の過程のみである。
日本国の現状は、まさにその崩壊過程にあるのでなかろうか?昨年秋より、国民
的コンセンサス造りを目指し、政策構想フォーラムを立ち上げたのはそのような
危機感に突き動かされた有志に依るものである。エネルギー・原子力問題、経済
・金融政策、安全保障・憲法問題、文化・教育問題、いずれをとっても国論が分
裂し、些末な個別条項に捉われ、大局を見失い、これを統合しようとする意欲す
ら見られない。まさに亡国の兆である。
「何事でも人々からして欲しいと望むことは、人々にその通りにせよ。これが立
法であり預言である。」(マタイ7:12)孔子の「仁」、釈迦の「慈悲」の教えも
同じこの黄金律の延長線上にあり広く人口に膾炙されている。厳寒の候、手袋の
必要な折である。今朝、朝食に出かけた近くの店の入り口に、小生などは到底身
につけることもない豪華な手袋の片方が落ちていた。小生も経験があることなの
で「この手袋の持ち主もさぞお困りだろう」と思い、店内で食事に夢中のお客に
も聞こえるようにと、勇気を出して店員に告げた。その時は誰からも返事がなかっ
たが食事を終えて帰ろうとする頃、小生の肩を小さく叩く人があった。振り返る
と「ありがとうございました!」と心から嬉しそうな紳士の笑顔がそこにあった。
小生も蛮勇を奮ったが、衆目の面前で片方の手袋を受け取り、感謝を表現するの
にもまた勇気と決断がいることである。
「小さな親切運動」の茅誠司先生の笑顔を思い起こす人も多いであろう。「路傍
の一つの石でも良い。自分の後にここを通る人が躓かないように拾ってあげ、翌
日死んでも良いではないか?」些細なことの中に真心を込めて生きる、そこに心
の安らぎがあること、主婦の友創立者、石川武美氏に触れ、若き少年時代に受け
た感動を忘れることができない。先日、民放で「マリア・テレッサ」の映画を放
映していた。改めて彼女の偉大さを痛感した。世界中に巨大な組織に発展した神
の愛の宣教者会を晩年、解散したことをその映画を見て初めて知った。そしてそ
の行為こそが彼女の生き様を最も端的に現わすものであったことも知った。
「私は福祉活動をしているのではありません。私にとって大切なのは、群衆とし
ての人々ではなく、個々の魂なのです。 私は、あなたの世話をし、出来ればも
う一人世話をするだけです。」
「どれだけ与えるかでなく、どれだけ愛を込めるかなのです。この国にも飢えが
あります。一切れのパンを求める飢えではなく、愛を求める激しい飢えです。
(1982年6月、ハーバード大学卒業式)
「人生は愛すること、そして、愛されることの喜びそのものです。愛は「与える
こと」で、一番良く表現され得るのです。そして、いま学びにあるあなた方は、
この「与えること」が痛むまで「与えること」を学ぶのです。何故ならば、これ
こそが本当の愛の証だからです。」
(上智社会福祉専門学校、創立25周年記念誌へのメッセージ)
「人間にとって最も大切なのは、人間としての尊厳を持つことです。パンがなく
て飢えるより、心や愛の飢えのほうが重病です。豊かな日本にも貧しい人はいる
と思いますが、それに気づいていない人もいるでしょう。」(1981年4月、初来
日の際)
「お互いに心から深く愛しあっている人たちは、世界で一番幸せ者です。私達が
接する際にとても貧しい人たちを見ているとそれがわかります。子供を愛し、家
庭を愛しています。持っているものは少なく、場合によって無一物ですが、幸せ
な人たちです。」
以上 古くて新しいパラダイムから日本のあるべき姿と進むべき道をどう展開す
るかを、見てきた。いろいろな政策的転換、世の指導者層の発想の転換もさるこ
とながら、もっとも確かで、かつ最も身近で容易なのは、一人びとりが、利己か
ら利他へ、愛に生きることその決心、決断と行動を始めることではなかろうか?
第三弾として年末年始の出来ごとを通じて、国の形と針路を探り、小生の10年間
の知的ボランティア活動の総決算「時代への遺言」としたいと思います。しかし、
そこまで精神的エネルギーが継続できるかどうかについては多少不安ではありま
すが……。この稿を書くに当たって志ある皆様の有形・無形の様々なアドバイス、
ご支援を心より感謝します。この原稿もそのような皆様の推敲によるものです。
平成24年1月28日 大脇 準一郎
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2012日本の未来構想(下)「社会貢献型ビジネス時代の到来 」
1、原発の未来
極東の島国日本の生成過程は、地盤の沈下により日本海ができ、大陸から分離
されたことで知られている。我が国は、有史以来、中国や朝鮮半島諸国から高度
な文化を学び、近代においては、いち早く西欧近代文明を取り入れ、返す刀でそ
れらの国々を侵略した。例えその国の近代化に多少貢献したとことは事実である
にしても、恩義ある国々の人々の心を逆なでするような、傲慢不遜な植民地政策
の数々はいただけない。
日本は、近代文明の申し子である米国と戦って敗れ、日本国民は、その占領政
策を全面的に取り入れ、一部の人々を除く大半の国民が、国軍の解体や大和魂の
根絶などに自ら積極的に協力した。 この点、ドイツと対照的である。
原爆投下の是非はともかく、米国側が言うように、原爆投下が無ければ両国に
さらなる戦争の犠牲者が出たことであろう。その後、核実験が各国で行われ、幾
多の被害が出ている。しかし、戦闘に使われたことはない。あるのは核抑止力の
平等性や有効性など恐怖の均衡を増させることばかりであった。
宇宙の超巨大なエネルギーの扉が、ただ敵国に勝つという戦争目的を遂行する
ための手段として開発されたことは、人類にとって不幸なことであった。原子力
の平和利用はその転用であり、元々その開発において安全性は二の次であった。
今まで作られて来た“原発の安全性神話”が、津波でもろくも洗い流され、その
危険極まりない妖怪ぶりを世にさらし、原発廃止の声が急速に高まっている。
小生は、核兵器は破棄すべきであるが、エネルギーの平和利用や原発の研究は
継続すべきであると個人的には思っている。我々は、上は太陽、下の地核におけ
る核融合の熱で生かされている。人体内においても、数マイクロボルトの微電流
による原子転換、核融合で、エネルギーが発生していることが知られるようになっ
てきた。
かつて河川の氾濫、旱魃等 を制御する治水は人間の管理外であったが、今や
大半は人間の技術的な管理下に入っている。フーバーダムは、コロラド川の氾濫
でしばしば洪水に襲われた周辺地域を救済し、今やロスアンジェルスはおろか、
その余剰電力で昼夜兼行の不夜城・ラスベガスさえ誕生させている。この巨大技
術を誤って使えば、人類は破滅であるが、“治水の例”からも明らかなように、
正しく使えば、核融合、宇宙開発の可能性も見えているといえる。
昨年末、“ミスター・トリウム”こと、古川和男先生が逝かれた。その生涯を
安全性の極めて高いトリウム原発の実現にかけられた。晩年は講演、討論に病身
をおして時間を投入され、最期は燃える情熱が線香花火のように燃え尽きた感が
する。「何としても自分の目の黒いうちにトリウムの実験炉の開発を!」との古
川氏の熱い思いは誰が受け継ぐことができるであろうか? 小生は高速エネルギー
研で加速器担当教授ご長男、古川和朗氏が一つの鍵になるかも知れないと思って
いる。というのは昨年11月、中性子を直接ぶつけることにより、臨界温度に達す
る前に核分裂反応を起こす方法が開発され、その革命的技術の鍵が加速器にある
ことが明らかになったからである。(「荷電粒子および加速器および荷電子の加
速方法」No:4 8 6 5 9 3 4 ) 特許庁による一般公開には多少時間がかかるよ
うであるが、その概要は既に小生の手元にもある。ご長男の始め、関係各位のご
努力が期待されている。
マンハッタン計画の原爆製造の過程で、トリウム溶融塩炉による道も検討され
た。U.ウイグナー博士はいち早くその安全性を予言し、戦後、首弟子のワイン
バーグに実験炉を作らせ、1960年代その実験炉は4年間も稼働した。しかし冷戦
時代の真っただ中、武器にならないという理由でその計画は中断された。「この
トリウム原子炉こそ日本が開発するにふさわしい」と、オークリッジの実験炉を
日本に導入しようと西堀栄三郎、茅誠司、伏見康治氏らが動いたが実現しなかっ
た。古川先生は当時のメンバーの数少ない生き残りの1人であった。東電の専務、
社長がどう答え、対応したか、古川先生は時折、憤懣やるかたない心情を吐露さ
れた。
日本では金にならないことと、その見通しが確かではないことが障壁であった。
最近ある筋から聞いた話であるが、「東電というより22兆円のビジネスモデルの
背後には米国のGE、民主党の利権が絡んでいでる。カーター元大統領が軽水炉
を北に売りこみに行ったのはそのためだ」との情報であった。電磁気力を使った
数々の発明特許も、「折角作り上げた軽水炉ビジネスモデルを壊されては元が取
れない」と陰に陽に圧力がかかるとのことである。
日本のエネルギー政策に関して我々は幾度かフォーラムを開催した。ここで注目
すべき観点は、原子力技術開発(ハード)とその運用に関するヒューマンウエアー
(ソフト)との仕分けの問題である。2004年8月、原子力発電の未来につき推進
派と反対派の公開討論を開催、事故の原因としてヒューマンウエアーとハードウ
エアーの峻別を提言した共同声明にも明らかである。折しも我々がフォーラム開
催の同時刻に美浜原発事故が起こり、安全と言われた原発で日本でも初めて死者
が出た。各方面からこのような警告が数多くなされたにも関わらず、今回の震災
でも被害を増大したのは旧態依然とした管理体制にあることを留意すべきであろ
う。
世論はそのことをよくあらわしていると思う。昨年9月の総理府の世論調査によ
れば「今回の大震災に関して、その仕事ぶりや活動をとくに評価しているもの」
として自衛隊82%、ボランティア73%、被災地の自治体42%、警察40%、被災
地以外の自治体32%、企業24%に対して政府は 6%、国会に至っては3%であっ
た。 緊急を要する福島原発の現場に任せることなく、スタンドプレー見え見え
の総理や官房長官、震災にあった人々の現場からほど遠い国会での論戦に国民も
うんざりしたからであろう。
蜘蛛の巣状のインターネットは、1つの回線が切断されても他の回線で通信で
きるための防衛上の必要からペンタゴンが開発したものである。コンピューター
も大型コンピューターの時代から今やパソコンの時代である。パソコンをネット
ワークすることにより大型コンピューターにも優る時代である。電力供給も大型
電力会社に依存する時代から家庭用の発電器をネットワークする分散型発発電シ
ステムの時代へとシフトしつつある。天文学者の海野和三郎氏は地球的視野から
の家庭用太陽熱発電システムを発案されている。氏は従来の10分の1のコストで
家庭用電力をまかなえるという。
(http://www.miraikoso.org/before/Unno/Unno.html)
2008年の統計によれば我が国の電力事情は化石燃料による火力66.1%(世界平均:
67.7%、原子力24.0%(世界:13.5%), 水力7.1%(13.3%), 再生エネルギー
2.8%(世界:2.8%)である。長期的には再生可能エネルギーに依存すべきと思うが、
発電効率が低くコスト高である現状においては, 短期的には原子力発電は杜撰な
管理体制を一新して継続せざるを得ないであろう。中期的にはトリウム溶融塩炉
を含め原子力発電の安全を優先した新技術開発に取り組むべきであろう。
技術を戦争の道具から平和の道具へ、核の廃絶から真の平和利用へ、IT,医療
等、あらゆる面で先端技術と価値観との融合が鋭く問われている。和(結び、縁
・絆)の価値観の伝統のある日本で出番である。これが日本の第1の使命あろう。
2、日本の使命
国軍を解体され、大和魂の根絶を図られた日本国民は、焦土と化した日本を
経済復興するべく、ただひたすら頑張ってきた。戦争で犠牲となった親族、友人、
知人に済まないとの情念が復興へのバネともなった。そして80年代、日本は、
「ジャパン・アズ・NO1」と称賛されるようにまでなった。しかし、国家とし
ての体裁を欠いた片羽飛行は、エコノミック・アニマルと批判され、湾岸戦争で、
1兆5千億円もの協力をしたにもかかわらず、クエートが感謝した数十か国の中
に日本はなかった。「多くの国々が血を流す覚悟で協力しているのに、日本は金
だけで済まそうと思っているのか」と酷評され、政府にとっては大ショックであっ
た。
昨年、自衛隊国際協力20周年で様々な行事が行われたが、PKOの現場で「憲
法を楯に卑怯だ!」との罵声を自衛隊員が浴びせられながらも、どれほど苦心し
ているかが吐露されていた。「顔の見えない外交」と囁かれるのも、国の骨抜き
の防衛政策、文化政策に起因する戦後体制の枠内にあるからであろう。現代社会
にあって、いかに儲けるかという富の蓄積の問題もさることながら、富の公正な
分配が問われている。自由競争に対抗して、富の公正な分配を唱えた共産(「社
会」)主義の実験も前世紀には試みられた。
富の再分配を期待した国民大衆は、以前にもまして独裁者、特権階級に搾取さ
れ、貧困にあえぎ、その軍事的圧政から抜け出ることができず恐怖におののいて
いる。初めから終わりまで間違いだらけのマスクス・レーニン主義の旗を降ろさ
ないのは、国内外を問わず、既得権階級の権益を擁護するのに都合が良いイデオ
ロギーであるからに過ぎない。
自由主義が限界に陥り、「社会主義」がさらにダメだとするなら、その代案は
あるのであろうか?小生は、以前ハイエック博士やフリードマン先生にお伺いし
たとき痛感したことがある。小生のような小人に対して、わざわざ丁寧にお答え
くださったことに対して、欧米のジェントルマンの気風さえ感じた。大変失礼な
言い方ではあるが、先生方は、西欧文明の申し子であり、所詮、自由主義の限界、
深刻な富の偏在や南北問題の解決には脆弱な力であると痛感した。
フランス革命は、「自由・平等・博愛」を旗印とした。自由も平等もだめなら、
残るのは博愛であろう。 小生がここでいう博愛は見せかけの「博愛」ではな
く、根源からの「真の博愛」である。人間とは何か、自由も労働も人間の一部で
あろうが、人間の本質は、「愛人間(情人間)」(ホモ・エイムス)と定義すべ
きではなかろうか? 「心が青い」と書くように、「情」は動かない時は、何も
無いように見えるが、刺激(エネルギー)を受けると、波風が立つ。それが心に
浮かぶ思いであり、この思いが理性により整理される。「知」とは口に矢と書く
通り、的に向かって放つ矢のように直短コースの道筋を見出す働きであり、字源
によると理性の理は玉の筋を意味している。「情」で楽しく暮らすだけでは無く、
どう生きれば良いか色々と「知」をめぐらすことによって、人類文化の発展がも
たらされて来た。しかし、考えているだけでは、机上の空論に終わる。要は「意」、
決心して行くことである。思えば人生とは単純なもの、「情で楽しく、知でよく
考え、意で決心して行く」ことである。個人的にも全体的にも「どこへ行くのか?」
気になるところである。 寝たり、起きたり、食べたり、行ったり来たりなど
の単純行動は、誰しも同じである。動物でさえもその単純な動作をしている。そ
れは何のためか。聖人と凡人の差は、その心がけにある。
「私は生きんがため、奉仕せんがために食べるし、また、たまたま楽しむために
食べることがあっても、享楽のために食べるものではない。」M. ガンジー)
世界の中における日本国の使命(役割)は大きい。経済大国としてODAの
ばらまき外交や、出来もしない常任理事国入りを期待した姑息な外交政策は即
刻止めるべきであろう。「国際社会から尊敬される名誉ある地位を占めたい」
ならば、文化や安全保障を含めた総合的な世界平和の為の国家外交政策を取る
べきであろう。
以上日本の使命は、第1に核の廃絶からエネルギーの平和利用、第2に世界平
和への協力、第3に東西の文化を融合した新文明創造のための文化的貢献である
と言えよう。世界へ貢献できるためには、日本は普通の国家としての体裁を整え
ることそのためには日本国憲法の改正が求められていると言えよう。
もしこの「平和憲法」を護持せよというならば、世界平和への日米の役割とし
て、日米安保を世界的次元から両国の役割分担を再検討し、合意する必要がある。
また、韓流ブームの根底にあるもの、それは日本から失われつつある東洋的伝統
精神、忠孝烈の東洋の三大美徳をくすぐる、固唾をのむような人間ドラマが展開
されているからである。米国のスピード、スリルとサスペンスの映画とは全く次
元の異なる迫力が迫ってくる。世界平和のためには日韓の間でこの良き東洋的伝
統を守る「伝統文化防衛条約」を結ぶことも必要である。この日韓米の協力があっ
てこそ、初めて鬼に金棒、必要にして十分な条件が整うと言えよう。
3、震災の教えるもの
平成元年(1995年1月)、阪神大震災の年は、 ボランティア元年と言われ、そ
の後1998年6月、NPO法案が成立し、今や4万余のNPOが存在している。東日本大
震災の直後の6月、NPO促進法案が国会ですんなりと承認された。それまで寄付
行為が免税となる認定NPOは200団体程しかなかったが、認可の条件を緩和し、N
POが資金を獲得しやすいようにというのが今回の法改正の狙いであった。
NPO法作成から改正まで法的にNPOの社会環境を整備しようと尽力してき
たNPOシーズ・市民活動を支える会の松原氏の熱意には頭が下がる。最近、氏
は体調を崩しておられるとのことであるが、氏の意志を継ぐ若手人材が育ってい
ることは頼もしい限りである。
年の暮れも押し迫った12月17日、松原氏のシーズや環境再生保全機構が中心と
なって、NPO・NGOの資金調達強化セミナーが開催された。その中の1人、
インドネシアで排水処理、バイオマスの仕事をしているAPEXの某氏が、小生の事
務所に立ち寄られ、お互いにボランティアの厳しさやその将来を語り合った。東
大工学部を修了し大手企業に就職した某氏は、60歳定年まじかに飼い殺しのよう
な社内条件を蹴って退職、今、APEXを創業した学友の手伝いをしている。イ
ンドネシアに行くのも自費、もちろん給与も無い。大変有意義なこととは良くわ
かり、友人の助けをこのまま続けたいと思ってもいるが、ご夫人を説得できそう
にもない。幸い来年4月から別の大手企業から声がかかっている。今後の針路の
選択についての打ち分けた話し合いをしてみたいとのことであった。
この正月、親友が東北の復興9か月のボランティアとして活動状況を話してくれた。
釜石、宮古、久慈、大槌町等、被災地の惨状、町長や消防団員、警察官が職務遂
行するため亡くなった状況、いち早くローソンやセブンイレブンが関東一円のコ
ンビニから日用品を被災地へ回し協力したこと、焼肉の仕出しに日本の肉業界だ
けでなく、米国の肉業界が大量に協力したこと、米軍が空母レーガンからヘリコ
プターで陸の孤島となった被災地に食料品を届けたこと、函館の漁業組合からは
ボートが200台寄贈されたことなど、本人が見聞きした体験なので真に迫るもの
があった。そこにおいて行政は何をしたのか? 復興の邪魔になることが、しば
しばあったと彼は憤慨する。そこにおいて現地のニードに答えるボランティアの
迅速性が大いに発揮された事例を聞き感動した。
新年、大手企業に勤める青年の訪問を受けた。セメント業の合併会社であるその
中堅企業は、今リサイクルに取り組んでおり、高知の船舶解体の機械をいくつに
も分解して石巻に運んだこと、その費用が1億5千万円であったこと、これは超ス
パーゼネコン鹿島の2000億円復興費用の中の下請けだとの話であった。行政は、
大手企業ではなく、もっと末端のNPOや中小企業に関心を持ち直接資金援助を
する道はないものであろうか? 行政が予算配分の労力を惜しんだ分、スーパー
ゼネコンが行政の肩代わりとして、予算のピンハネを当然のようにする。 福島
原発の影響下での瓦礫片付けの作業、「一日日当20万円、放射能を浴びて後遺症
があってはとの保障費を含めての値段だ」という。しかしこれを請け負った大手
企業にはそのような危険を冒してまで参加する人が皆無なので、非公式にやくざ
に頼んででも人材を確保せざるを得なくなる。地元に根を張っているヤクザは明
日の命の保証もなくても仕事が欲しいという山谷あたりの浮浪者を集めて来る。
その時の日当は2万円だという。何十兆円も事後対策費がフランスや米国へ流れ、
国内においてもこの様だ。現地でボランティア活動を続けている活動家のこの話
の信憑性は措くとしても、どうして事後対策費だけではなく、もっと夢のあるプ
ロジェクトに少しの予算でも付けないのであろうか?小生が南米で見聞した、
100億円のプロジェクト予算が現場には30億円しか届かなかったというようなひ
どい状況にはならないにしても、中間で消えて行く割合は驚くほどである。ある
脚本家の話では、「2000万円のスポンサー料も、撮影現場に落ちるのは600万円、
脚本家には200万落ちれば良い方だ」とこぼしていた。これでは、日本のドラ
マがワンパターンで内容が貧弱なものになるのもやむを得ないと思った。 現
場の切実なニードに対応するため、迅速かつ最少の中間搾取で援助金を配る方法
はないものか?人体構造の場合は、健康体であれば、ほとんど中間搾取はない。
米国の制度派経済学者T.ヴェブレンが人体構造をモデルした経済体制論を世に
問うたのもむべなるかなである。
4、社会貢献型ビジネスの胎動
今後、ボランティア制度は、急速に日本社会に定着するであろう。そして2011年
東日本大震災は、社会貢献型ビジネス(ボランティアビジネス)元年として歴史
に記憶されることであろう。
小生、昨年1月、数年振りに訪米した。マイアミの大学での講演設定をお手伝
いする仕事であった。そこで最も印象的であったのはアメリカ社会全体が大きく
社会貢献型ビジネスにシフトしていることであった。マイアミでの大学の深井利
春社長の水から水素を取り出す実験をともなった授業は大好評で、その後の学長
主催の昼食会の時には、大学側から実験機としての創生水生成器を寄贈してほし
いとの依頼があった。大学と地元企業との連携も太く、わずか一週間のマイアミ
滞在中に、地元有力者とのミーティングが5回も持たれた。その1つ、ホテルや
会社だけではなく、物流会社重役の自宅でも詰めの会合が持たれた。マイアミ地
域での死者が出るほど、水質が悪いといいう社会的意義を絞り込み、ドナーを募
り、ビジネスを展開するというマスタープランであった。創生水プロジェクトを
社会貢献型ビジネスとして立ち上げるべく、メルリンチのCEO元秘書ブレンダ女
史が積極的にリード、たちまちにしてドラフトは出来上がった
http://mdcnmedia.smugmug.com/2011MiamiDadeCollegeNorthCampu/Dr-Fukai-Presentation/15513584_J7cFu#1161967064_adiDj
http://www.e-gci.org/14gci/fukai/media/2010media.html
http://www.miraikoso.org/before/Fukai/Mi2010/Mi2011.html
米国では既存の利潤追求のビジネスに代わり、今や半数を超す社会貢献型ビジネ
スが盛んだという。数年前、米国の上院で「ODA総額の半数以上をNGOに回さない
と予算案を承認しない」という新聞記事を目にしたが、米国では官から民への移
譲がドラスティックに進んでいる。かつて小生は、国際会議の論文発表を準備す
るため世界のODAとNGOの国際比較を調べたことがあった。その時の日本のNGO
支援予算は、ODA総額の1%余であり、国際標準から大きくかけ離れていたの
で、その理由を調べたら、米国と日本の社会システムの違いに一因があることを
発見した。(
http://www.miraikoso.org/before/Owaki_Proposal%20for%20NE%20Asia_J.doc )
米国では社会開発を請け負うNGOが多々ある。今回のマイアミでの出来ごとも自
然発生的な社会貢献型ビジネス誕生の走りであった。日本ではODAの大半を物づ
くりの大企業が下請けする。ODAの年度内予算をこなそうと事務当局は億単位の
プロジェクトを優先、それも物中心であるため、物がこわれれば野ざらしといっ
た事例は世界各地で枚挙に暇がない。国際協力の現場に長年おられる松元洋氏の
提言にもあるように、NGO側にも責任があるが、官僚、大企業中心の社会システ
ムから、「市民、中小企業中心のシステム」に大転換する必要がある。国民が期
待したのは、そのための政権交代であったが、今や、その国民の期待は完全に裏
切られ、一日も早い政権交代が切望されるなんとも悲惨な現状である。
生涯を歴史の研究に捧げたA. トインビー博士は、文明の興亡を挑戦と応戦とい
うパターンで扱っている。そして文明の興亡は、文明の挑戦に対して応戦できる
のは、外的プロレタリアート(既存社会から既得権益を受けている人々)ではな
く、内的プロレタリアート(既存社会の権益から疎外された少数の人々)の知的
創造力のいかんにかかっている。内的プロレタリアートが存在しないか、彼らが
ひ弱であれば、その文明は自壊するか、異邦人により侵略されるかのいずれかで
ある。我が国衰退の原因も巨大官僚組織、巨大企業が既得権益擁護を至上目的と
し、時代の潮流、大衆からも遊離し、環境に急変に絶滅した恐竜のように今や存
亡の瀬戸際に立たされていると言えよう。一度就職すれば生涯は保障されている。
何重にも給与や退職金が入る天下りが批判されているものの、さらに手の込んだ
複雑な方法で天下りは継続している。東大を頂点とした受験戦争に血眼になり、
その阿多花である受験塾は大繁盛、産業予備軍に過ぎない大学での勉強意欲が低
下するのものむべなるかなである。大学側も教育に対する社会的ニードの高さに
甘え、旧態依然とし、教授も心得たもので学生に下駄をはかせて卒業させている。
トインビーの次の言葉は既得権益者またそれを目指す若者にとって辛辣である。
「人間心理には合理性と自己中心性がある。しかし単数(私〉の自己中性が唯
一の悪徳なのではない。複数(我々)の自己中心性もあるのである。集団的自己
中心性は一層悪性である。なぜなら、一人の人間がただ個人のためにではなく、
自分の家族、国家、教会の名において自己中心的に行動しているとき、自分は利
他的に自己犠牲的に行動していると誤って想像することができるからである。」
『歴史の研究・再考察』1961
5、未来構想の10年、そして….。
今から10年前、1月23日小生は当時鞄本総合研究所(日本最大のシンクタ
ク)で新谷文夫創発センター長と未来構想戦略フォーラムを創設した。
小生はこれまでに見てきたように、長期的、国際的視野から日本の使命を総合戦
略的に考え、提言する必要を当初から痛感していた。会場を提供下さった新谷氏
は日本の問題の根っこの問題として教育を考えていた。新谷氏の姿勢を見て、も
し企業現場の責任者が社会的使命感を持ってやる覚悟があれば、土日や深夜の空
いた時間を使って相当なことができるなと痛感した。
未来構想とは何か?10年間の歩みを振り返って感慨無量である。2003年には経済
産業省の大学発ベンチャーの担当者の目に留まり、フォーラムを共催した。「こ
んなに少ない人数で日本を代表する世界的学者達と勉強会をやっているのに驚い
た」との担当者の言葉に、人が見ていようが見ていまいが、コツコツと質の高い
実績を積み重ねることの重要性を痛感した。
2007年には、日欧文化フォーラムを武蔵野公会堂で開催した。磯村氏は元NHKの
総主幹だけあって、内容は判り易く、文化的にも精練された時流の最先端を行く
もので聴衆に大きな感銘を与えた。当日、早稲田の理工の後輩である武蔵野市長
もかけつけてくれ、市からもからも助成を頂いた。その時以降、市からのボラン
ティアの人的協力を得るようになり、パスコンの打ち込み等、身近な所に有能な
人がいるのもだと改めて感心した。
(http://www.miraikoso.org/before/63mirai/7.12/7.12info.html)
教育の面では筑波大の鈴木博雄先生を始め各分野の先生方が労を惜しみなくご
協力くださった。各国大使の経験を歴任された現役の外交官でありながら、「私
見ではありますが」と前置きされながらの率直なご意見は、その日の講師もうな
るほどの重要なコメントであることがしばしばであった。特に発足当初参加者が
30人規模の頃から何度もの駆けつけてくださった波多野元国連大使(現、学習院
院長)には感動した。国連大学創設にかかわった伊勢先生を始め多くの方々がご
協力くださったのは、「国際社会における日本の役割」「国際社会に役立つ人材
養成」の急務を痛感してのことと思われる。
昨日、ニュースキャスターの池上彰氏が東工大の国際関係学教授に赴任すると
のニュースが流れた。専門に特化した東工大であればなおさら幅広い国際教養が
求められているのであろう。この正月、池上氏の信州大での国際政治の数日にわ
たる長時間講義をテレビで視聴して、我々の知らない歴史的背景を学び大いに勉
強になった。今、教育に求まられているのは幅広い教養であり本会が志向してき
た全体性と個の調和、複眼思考が注目されるのは歴史的趨勢である。本会の発足
当初はオーディオテープ、次にはビデオテープそして今はDVD録画であるが、
ビデオ時代、公開講座担当の某大学教授が膨大な量のビデオテープを自分の大学
の参考にしたいと買い求められた事がある。また2万人の受験生を抱える塾経営
者が未来構想の内容を塾生の教養として配信したいとの申し出もあった。
ニューヨーク在住の医学博士、広瀬輝夫先生は、日本の医療に国際競争力をつ
けるために毎年数回来日されている。私費を投じて医療経営の近代化に努める一
方、代替伝統医療の普及、定着にも貢献され、近年では西欧近代医療と東洋伝統
医療の融合のための国際的活動をされている。博士は80代半ばのご高齢であられ
ながら、南極・北極、アマゾンの奥地、アフリカも含め全世界を隈なく訪問され、
作成された現地の医療事情の報告は、大変なものである。本会で語っていただい
ただけでも10数回を数えるが、先生の講演内容は、ネット上に公開している。
(http://www.miraikoso.org/before/67mirai/Hirose/Hirose.html)
大橋さんは、国会に詰めて大臣の答弁のための防衛政策を作成しただけあっ
て、防衛全般にわたって幅広い知識をお持ちである。氏の信用のお陰で安全保障
に対して関係識者から貴重な情報・知識を頂いた。 経営学においては、石川明
先生始め、野田和夫、武藤信夫、市川覚峯、江島優らにご協力いただいた。芸術
文化の面では一色宏、平山郁夫、鎌田東二氏等。
また海外からの協力も大いに勉強になった。韓国の金容雲博士、金鉄佑博士、
ウクライナのスベトラーナ女史、米国のイスラム教指導者達。
(http://www.miraikoso.org/before/)
本会の目指すものは、知的社会貢献であり、研究や活動の成果を後世への知的
遺産として残すことである。ボランティアの力を借りてその知識の蓄積をネット
上に公開して来た。また、IGTVテクノロジーの伊澤社長は、本会発足当初か
らその卓越したブロードバンド配信技術を生かしてフォーラムの様子を放映して
くれた。
想い返せば次から次へと感動の連続であった。改めて心からの感謝を各位に申し
あげたい。
要するに「世のため人のために、なにか役立つことをしたい」、これが大半の
人々の心であり、ボランティアの喜び、醍醐味もそこにあると思う。「ボランティ
ア」の語源は志願兵から来るが、Volcano(火山)のVoと語源が同じで、「止めて
も止まらない心の深みから湧き出づる自発精神」である。小生は、1990年代、南
米でのNGO活動に勤しんでいたが、それ以上、私費を投じることが出来なくな
り帰国した。その時に丸裸で何が出来るかを模索中に、新谷氏との出会いで始まっ
たのが「未来構想」というシンクタンクであった。それから4年後の2005年、環
境問題に取り組むNGO団体がお互いに協力し合って地球環境問題の解決に当た
ろうと地球的課題に挑戦するべくNGOが結集した。愛知万博のお祭りの後、
「何を為すべきか」を皆、考えていた。Think Tank(“知の戦車”) からDo
Tank(“実践戦車”)への変身、NGOのネットワーク組織(“市民国連[CUN]”,
地球市民機構[GCI])は国連本部と連携、環境、平和、人権、貧困問題等、人
類が抱える諸問題解決に多くのNGO団体と共に取り組んできた。
「情」は「心が青い」と書くように、最も新鮮な情報は人の心に中にある。日
本や世界に必要な情報は、最先端で忙しくしている人々の心に中にある。(「情
報」とはこの情に報いる、情を知らせることで、英語で言うインテリジェンス)
それを同ネットワークし、収斂し、時代的ニードにいかに答えるか?最短時間で
正確に編集できる知的ワーキング集団が必須である。今、日本に必要なのは、質
の高いヒューマンネットワーク、その智慧・知識をストックし社会的にニードに
答えることができる知的仕事集団からなる高度なシンクタンクの構築にあると思
う。
かつて小生は70年から80年代、教育・学術界に奉仕したことがある。10年の後、
遅まききながら米国へ留学することになった。その折に頂いた百数十人の諸先生
からの激励の言葉は小生の生涯の宝である。渡米の機上、その激励文を読んでい
ると涙がこれほど出るものかと思う程NYに着くまで涙の連続であった。スチュー
ワーデスもさぞ異様に思ったことであろう。小生の些細な貢献であったにもかか
わらず、「諸先生はいろいろおっしゃりながらも良く見ていらっしゃるのだな」
と、その温情に幾度となく涙腺が刺激されたためである。
ここ10年、昼夜、土日祭日もなくやってくることが出来た。多忙ではあったが、
感動の日々であった。それを可能にしてくださった皆様の真心に心から感謝いた
しますとともに、今も健康でいられることに感謝しています。また志一つで、お
金が無くても、人手が無くても、人々の共感を得て、ここまでできるのかと、10
年を振り返って感無量であり、ボランティア活動への自信ともなったようにも思
われる。
ノーベル賞の有力候補であり、遺伝子生物学の権威である村上和雄先生は、「遺
伝子は利他的である」と全国を講演行脚されている。昨日も東京のある講演会で
述べておられた。R.ドーキンスは「遺伝子は利己的ある」「神などは人間の脳
の妄想に過ぎない」と言って話題になったが、50年の遺伝子の研究から遺伝子は
利他的である。60兆もの細胞もケンカせずお互いにたすけあっている。自律神経
の生命の神秘な働き、その遺伝子の暗号のプログラムの背後にSomething Great
を感じると最新の遺伝子工学の実験現場の情報を紹介しなら語られた。人間の本
性が利他的存在であることに目覚めれば、経済も政治もそして世界も大きく変わ
るであろう。老境の悟りのような境地からの氏のメッセージはその日の聴衆に多
大な感銘を与えられた。
フィリップ殿下が、70年代末に「Time」のインタヴューに答えて、「80%以上
の 多くの人々は、何か人のためになりたいと思っている。」のに対して「マス
コミは、わずか数%に過ぎない利己的な行為をそれが社会の全体であるかのよう
に針小棒大に宣伝し、社会的公害をまき散らしている。」との趣意を述べておら
れた。人々の利他心(愛・慈悲の心)に火をつければ世界に波及し、世の中も変
わるであろう。メディアはそのための道具であってほしいと思う。
昨年8月6日、仙台での復興支援集会の帰り、一時小生のショルダーバッグが行方
不明になったことに触れた。そこで「色即是空、空即是色」何事にも執着を絶っ
て客観的に見つめることの必要性を痛感したことを書きました。
(http://groups.yahoo.co.jp/group/e-mirai/message/620)
先日1月31日の諸先生のご忠告、2月2日のNGOスタッフ・同志の感想等のご指
摘は共通するものがあった。それは壮大な夢を追い知に酔っているだけではなく、
日々喜怒哀楽に生きる庶民の立場から、中学生でも判り易い形でプレゼンテーショ
ンすることのようだ。
ここ数十日東京を空けますが、もし、再び東京に戻ってくることあれば、新しい
10年のビジョンとともにお目にかかることになるかもしれません。それは先日偶
然視聴したラジオ深夜便町田宗鳳先生を「風の集い」なのか,あるいは今日頂い
たDVDラベルにある「東日本大震災から見えて来たもの~非都会からの発想〜」
なかのもしれません。漠然とではありますが、おぼろげながら何かを予感してい
ます。
この十年間、ありがとうございました。
平成24年(2012年) 2月8日 了
大脇 準一郎
**********************************************
NPO法人 未来戦略構想フォーラム(JFFSI)代表
地球市民機構(“ 市民国連 ”: GCI)副理事長
創生ワールド 深井総研 取締役顧問
研究所:〒180-0003 武蔵野市吉祥寺南町1−3−4、南口ビル801号室
吉祥寺駅南口より30秒、丸井デパート前井の頭通り沿い
Tel&Fax:050-3656-0785(0422-26‐7980), Skype: junowaki
e-mail; junowaki@able.ocn.ne.jp,
携帯:080-3350-0021, 070-6476-0076
URL: http://www.miraikoso.org, http://www.e-gci.org
☆ http://www.miiraikoso.org/beforeのサイトは構築中のためIDとPasswordが必要です。
ID:mirai PassWod:2013 を入れてください。
☆今回の「日本の未来構想(上・中・下)」全文は大脇の提言の中にあります。
大脇の提言:http://www.miraikoso.org/before/j.o.teigen/teigen.html