文明的視野、学際的なアプローチで比較文化論の展開を!

─ 人間文化研究機構に対する提言 ─


        未来構想戦略フォーラム 代表  大脇準一郎

 さる9月25日、文部文科省傘下の国際日本文化センター等5つの機関が統合さ
れ新たに人間文化研究機構として発足し、設立記念シンポジュームが開催され
た。

まず今回、人間文化というコンセプトで従来の研究機関をくくられた哲学性に
敬意を表したい。

  イスラム圏との文明的衝突、世界各地で見られる民族紛争、テロ等、問題
解決の道は人間文化というパラダムでくくることが最良の道ではないかという
のが、小生が米国で比較文化論研究のなかで到達した結論でもあったからであ
る。

新しい人間文化研究機構に願う第1のことは、人間文化というコンセプトをベー
スに世界の宗教・文化を比較することです。松井孝典先生のおっしゃった普遍
と特殊を分別し、特殊はその文化の長所であると同時に裏返せば短所、弱点で
もあります。 世界のどの民族、集団も真の人間性をフルに発揮していないこ
とは、世界の現状を見ても明らかです。人間性とは何であるのか、そしてその
人間性をフルに発揮するにはどうすれば良いのか、文明史的視点から各国文化
を比較することは他のアプローチと共に大いに役立つと思います。

先日の討議を傍聴して、「自然科学の行き過ぎ、社会科学の怠慢、宗教と文化
が死んでしまった!」という、三十数年前のローマクラブ創設会議での1科学
者の発言を思い起しました。自然科学に携わる松井孝典先生や永山國昭先生は、
自分の専門の研究をきわめれば極めるほど、他の分野が気にかかる。永山先生
は“趣味”と謙遜とおっしゃいましたが、研究者である前に人間である以上、
当然の帰結と思われます。自然科学者の問題提起は社会科学の問題であり、本
質的には人文科学的問題を孕んでいます。しかし人文科学者は自然科学者が危
機感を感じている程、深刻に受けていません。この危機認識のギャップはどこ
から来るのであろうか? 自然科学者よりも視野を広く持ち得るはずの人文科
学者の視野の狭さ、他から見れば瑣末と思われる字句や学説に固執し、自分の
人格と言葉が一体となっているため、自己の学説を否定されると自分の全人格
を否定されたように錯覚して、感情を先立てる現象は、心の狭さを感じさせら
れます。真理に到達する手段としての分析であるにもかかわらず、いまや細分
化することが学術的評価基準になっていることに問題があるようです。 また
西洋人が暗黙の内に自明としている存在を個物と捉える視点は反面であり、関
係性として捉える我々東洋人の発想と異なっています。 人類文明の未曾有の
危機を克服するには、早急に人文、社会科学の学問体系を革命しなくては、”
真実“に部分的にしか直面することが出来ず、問題解決の道を見出すことが出
来ないでしょう。人間性の展開された文明史を研究することは、西洋偏重の文
明を修正し、調和にとれた真の人類文明創造の世紀を拓くことを可能にするよ
うに思われます。

この点、松井孝典先生が、「人口の増加を定量的に見てもこの地球生態系は
3000年で破滅する、それを避けるには“共同幻想”を作っていけるかどうかに
かかっている」とお聞き来ましたが、小生も3年前から有志とともに未来構想
戦略フォーラムを創設した趣旨と軌を一にするので、わが意を得たりと思いま
した。

最後になりますが、人間文化研究機構がその役割を果たされるには、社会科学
系専門家を入れるか、社会科学系の機関との連携が重要と思われます。今、世
界の問題、多々ありますが、紛争、戦争、テロ・核の脅威が緊急課題と思いま
す。

このために社会科学者は“怠慢”をかなぐり捨てて、自然科学者のような真理
への飽くなき情熱と真理以外の何者も恐れぬ勇気を持って、世界の現状を正し
く把握し、問題の根源、その解決策を提示してもらいたいと思います。 問題
の把握には自然科学的・社会科学的アプローチだけでなく、人文科学的アプロー
チが欠かせないことは言うまでもありません。人間は自然的動物、社会的動物
であるだけでなく、文化的動物でもあるからでありましょう。

1976年3月から20年間継続された「新しい文明を語る会」を創設して、本年で
28年を経過しました。この間、レポート200回以上の会合のレポートがあり
ますがデジタル化し保存していませんので、その一部をボランティアの協力を
得て再度打ち込んだものを付記させていただきます。人間文化研究機構が文明
史的意味深い業績を挙げられますよう期待しています。  

    2004年10月6日記

 
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新しい文明を語る会は、産業人と学界人(PWPA)が協力して創設した会で、毎
月、例会を開き、文明論的観点から今日のあらゆる諸問題の解決のあり方を探
究しています。今回のレポートは、1976年3月から1977年10月までの19回の月
例会の要旨をまとめたものであり、文責は大脇にあります。

新しい文明を語る会 設立趣旨文

太平洋戦争によって、日本は根本的かつ急激な変革を強いられ、一時「四等国」
ヘの転落を危ぶまれたにもかかわらず、今や日本が世界における責任ある地位
を確保することになった。しかし、卒直に自らを省みれば、我々には次の二つ
の大きな悩みのあることを自覚させられる。第一は、我々日本人自身、特にそ
の指導者である政治家、知識人、マスコミ等の一部が日本の力とそれに伴う当
然の責任を感ぜず、徒らに小児病的心理にとらわれ、今後、日本が国際社会に
おいて貢献すべき重要な任務の遂行に無関心であること。従ってこの状態を放
置すれば、日本の転落は火を見るより明らかなのである。

第二に、戦後我々が自明の理として受け入れてきた西洋文明の精神乃至物質的
産物、例えば「自由」「平等」「民主々義」「人権」「社会福祉」「国連」等
が、最近急激に動揺の徴を示し、それらに合まれる理念が果して真理か、又は
神話か疑わしくなったことである。もちろん我々は軽々に「西洋文明の没落」
というような断定を下すべきではない。しかし、その限界を意識した西洋文明
の再評価と、久しく忘れ去られていた東洋の再発見、東洋精神の再評価と、そ
れに基づく東西文明の融合による真の世界文明の創造こそ我々の任務であり、
心あるものの努力目標であると信ずる。それを促進するには、日本の現実に最
も直結している財界の指導者と日本を憂える学界人が、心を一つにして協力す
ることである。かかる目標をもって、我々はここに新しい文明を語る会を設立
することになった次第である。                     
         1976年1月19日

      世 話 人
石川 六郎 鹿島建設副社長、        大石 泰彦 東京大学教授
郷司 浩平 日本生産性本部会長、      斉藤英四郎 新日本製鉄社長
桜田  武 日本経営者団体連合会会長、   坪内 嘉雄 ダイヤモンド社社長
中島 正樹 三菱総合研究所(株)社長、   木内信胤 世界経済調査会理事長
田中直吉 東海大学教授・国際政治学会理事長、中屋 健一 東京大学名誉教授
福田 信之 筑波大学副学長、        松下 正寿 元立教大学総長
村井 順  日本国際問題研究所常務理事

新文明への展望 月例懇談会サマリーレポート集

第三回「アメリカ文明?我々は何を為し得るか」元立教大学総長・松下 正寿

一、アメリカの建国精神 二、アメリカにおける宗教への認識 
三、ピューリタニズムの亡霊   

四、アメリカ文明に対して日本は何を為しえるか
まず、アメリカに対する無知を自覚し、アメリカの宗教性を通して、アメリカ
の心を理解することである。我々が本当にアメリカを理解するとき、彼らに我
々から学ぼうとする気持が起ってくる。またアメリカは大国であり、日本は小
国であるという意識をやめるべきである。彼らは今の日本を経済的な競争力か
ら見て小国とは思っていない。繊維問題もその一例であるが、アメリカに与え
るものは与え、譲るものは譲らねばならないという豊かな気持が必要である。
ここに日本とアメリカとの新しい関係が生み出されるであろう。(1976年5月)


第四回「近代化の再検討」     学習院大学教授 香山 健一

一、はじめに 二、考え方の見直し 三、価値観の見直し
四、新しい国家目標の必要性
トインビーは将来において真の人類文明の統一性があらわれてくることを予言
しているが、西欧的、近代主義的アプローチの持っている限界を越える、ある
いは是正する努力が行なわれ、その中でそれぞれの文化圏の持っている個性が
もう一度しかるべき位置で見直されるような状況になっているのではないかと
思われる。

日本の社会の中でそういう方向に向かっての試みを様々な分野で着実にとりは
じめる必要がある。今日の日本の混乱の中に、日本が明治維新以来百年間持ち
続けてきた「西欧先進国に追いつけ追い越せ」という国家目標がすでにその限
りにおいては実現されて、その次の国家目標というべきものを日本が見失って
いる。日本の経済安全保障が増々危なくなる海原の中でいったいどちらの方向
に舵とりをすベきかということについて、目標を失った状況がこの十年ぐらい
深刻に続いている。この基本的な状況の中で、現実の様々な動きが生起してい
ると考えてみることも必要であり、そのような動きの中から次の時代への展望
の手がかりが見出されてくるのではないだろうか。(1976年6月)


第六回「新文明の条件」     評論家 村松 剛
一、これからの社会 (略) 
二、自由社会の危機
三、これからの日本のために
人種、言語、宗教、文化的にも日本だけが白人以外の唯一の例外的存在として
先進工業国になった理由として次の四つが考えられる。

@文化の蓄積 A民族国家の理念形成 B勤勉さ C高い教育水準

この四条件があったので、幕末に突然押し寄せた産業革命の波に押し流される
ことなく日本は容易に近代化できた。第二次の産業革命と呼ばれるものを迎え、
日本人の文化観が唯物的になり、あたりまえの国家の理念を喪失し、勤勉さに
代り余暇を楽しむ方向に向かい、日教組がイデオロギー戦争を教育の場に持ち
込んでいる現在、社会の相貌は急速に変わり、精神的混乱が方々にまき起って
いる。未来のことは誰にも確かなことは言えないが、今、最低限できることと
して、過去の日本がそれによってこそ生きのびた四つの条件、それらが今どう
なっているかを日本人は改めて考えてみる必要があろう。(1976年8月)


第八回「トインビーの文明論と日本の将来」相模工大教授 謝 世輝
一、文明と宗教の関係 
二、歴史は螺旋状的発展 
三、キリスト教文明による精神的救済
四、日本に対する希望と失望
日本は、美しい自然の下に情の文化、感性の文化といわれる独特の日本文化を
創造、またインドで発展しなかった大乗仏教が日本で発展し、日本文化を代表
している。反対に、日本はあまりにも西欧化しすぎている。さらに合理主義一
辺倒を押しすすめ、西欧以上に合理化し、長所をなくした。

五、日本の将来
日本の技術、教育、文化等を総合的に考えると、日本のポテンシャルは高い。
今日の日本は明治維新直前の高度な教育水準によるところが大きい。キリスト
教的真理は人の為に尽すことにより発展することを教示している。ゆえに、他
国の為に奉仕しない民族、国家は将来性がない。日本は第三世界に対する態度
を改善してゆかないと豊かな将来を建設しえない。(1976年10月)


第十一回「新しいということと懐疑ということと」評論家 山本 七平

一、新しいということ 1、人間の知恵 二、壊疑ということ

2、日本型社会と西欧型社会の違い
日本型社会は原則(尺度)を認めない、中心のあることを嫌う形態であり、西
欧型社会は組織的で宗教体制型社会である。日本の武家政治は何もないという
体制をとり、明治まで話し合いがその方法であった。天皇に権限があるのか、
誰が日本を統治しているのか解らないという、組織的権限のない、命令のない
社会である。即ち日本には組織的思考法のない汎神論の社会。それに対して西
欧は組織的であり、神学さえも組織神学がある。日本人は未来がわからない体
質をもっている。体でわかるまでは言葉でいっても信用しない。

3、映像化時代と今後の解決策
今日はテレビ、感性的判断時代である。それは活字(言語)離れを意味する。
映像は人に反応せず、人間を保守化する。映像は「見る」という「現在」のも
のであり、未来を構成できない。最近益々読書年齢が高くなっている中で、新
しい文明を築いて行くには未来を構成できる「エリート教育」の準備こそ、新
しいことであり、懐疑、即ちものを徹底的に且つ本質的に検討して行く姿勢が
必要である。(1977年1月)


第十七回「厳しい国際環境と日本の対応」 東京大学教授 衛藤 瀋吉

一、国際環境と国内環境とのリンケイジ

新しい国際環境に国内環境をいかに調整させるかということは重要な課題であ
る。国内環境よりも国際環境を重視して外交を行なった歴代の外務大臣(陸奥
宗光、小村寿太郎、幣原喜重郎)は、同時代の国民から激しい非難を受け、身
を滅ぼすこととなった。国際環境を無視して、国内環境にあわせて外交を行う
ことは日本では一般的であるが、国を誤らせることになる。田中義一首相は、
出兵すべきでないと知りつつも、時の勢いに押されて、山東出兵を決定し、日
本に不幸をもたらした。松岡洋右外相は、国民の大歓声の下で三国同盟の締結
に踏み切り、アメリカとの断絶をもたらした。結局、あまり国内事情に便乗し、
それを優先しすぎると国を滅ぼすことにもなる。

二、国際社会の中の日本 
三、厳しい国際環境 

四、日本の選択
来るべき障害に対して、現実から目を離し、果たすべき責任を回避してしまう
か、或いはそれに対して危機を覚悟して備えるか、わが国が選択せねばならな
い課題である。世界のブロック経済化の傾向に対する解決策は、政府がブロッ
ク経済を防ぐようあらゆる手段を使って外交努力を行いつつ、一方、国内では
日本が海外に依存している現実を国民に説得して、国民のコンセンサスを得る
努力を払い、政府の政策を実行できる国内体制をつくることである。今から危
機を覚悟し、それに備えて行くのと、備えを忘れ、危機に直面してから狼狽す
るのとでは雲泥の差がある。(1977,7)

第十八回「歴史にみる日本的リーダーシップ」 作家 児島 裏
一、日本的リーダーシップの条件
二、指揮官の四つの型(タイプ)

@俗吏型(責任はとるが権限を行使するのが不得意。日本に多い。)
  山本五十六海軍大将・・・連合艦隊指令長官としての権限行使に欠ける。
  太平洋戦争開戦には海軍の実情からして絶対反対すべきであったし、真珠
  湾攻撃のときは命令が下まで伝わらず、第二波攻撃をとらなかった。

A行司型(部下に任せっきりで統率力がない。日本に多い。)
  沖縄戦の指揮宮、牛島中将・・・部下から小西郷と呼ばれ、本人もそれを
  自認していたが、沖縄戦では幕僚の意見に左右されて、全く意床の無い戦
  闘をし多くの犠牲を出した。

B侍大将型(又は陣頭指揮型。権限を行使しないのは罪悪だと考えている。
     (西欧に多い。)
  ロンメル将軍(独陸軍)・・・勝利は必勝の信念から生まれ、必勝の信念
  は勝利の体験から生まれる、をモットーに、小規模の戦闘で部下に徹底し
  て勝利の味を覚えさせ、遂には砂漠のキツネと恐れられるようになった。

Cタレント型(又はPR型。自分の実績よりも評判の方が先行し、それが組織に
       有効な効果を与える。米国に多い。)
 ウイリアム・ハルゼー大将(米海軍)・・・ジャーナリスト好みの発言で、
 猛将と称えられたが、実際の戦績はゼロに近い。組織の士気高揚の能力に
 長け、指揮官としては優れていた。三、日本的リーダーシップの長所短所
「戦 いは人格なり」の言葉は不変で、日本のリーダーが特に人並み優れた
 資質を要求されたのは当然。しかし、リーダーはどういう権限をどのよう
 に行使すべきか、基本性に欠け、非常の場合に組織の混乱を招いた原因で
 あった。(1977.8)


第十九回「日本文化と油断」 作家 堺星 太一

  一、はじめに 
  二、日本文化と油断
    @日本文化のソフトウェア性
    A欠落している安全保障の概念 
    B忘れられている「ないこと」の危険

  三、エネルギー問題の解決とヒューマンウェア
    エネルギー問題の解決は、資源や技術の開発により石油に代わるエネ
    ルギーを造る他にない。新しいエネルギーとしては、原子力・地熱等
    があるが、これらにことごとく日本特有の反対論がある。今、日本を
    救う唯一の方法は、住民の感情的な反対の中で、論理的な正しい結論
    を住民感情の中にどう溶けこませるかということである。理性と感性
    とが乖離する中に、感性がリードしてきていることが問題であるが、
    理屈で正しいことを感情的に反発をかわないで受け入れさせる技術・
    ヒューマンウェア、これの開発に成功するかどうかがポイントである。
                        (1977年9月)