日頃、日本と世界の未来構想の重要性に注目して、ご努力されている皆様、
最近痛感することをご報告し、皆様とさらに精錬された情報を共有できれば、
光栄です。
シンクタンクの立場から日本の政策を観察するときに、いつも感じるのは日本
に欠けた3つの視点、一言にして言えば“哲学的視座”です。巷に膨大な情報
のあふれる中にあって、目に留まった光り輝く情報を引用しながら、これに触
れたいと思います。
1) 価値観的視点
今、日本には個人においても集団においても、アイデンティティーが希薄になっ
ています。「日本、および日本人が寄って立っているものとは何でしょうか?」
かつて70年代、2千人の有識者達と3年間、10年後の国家目標に研究に携わっ
たことがあります。そこでの再確認にしたことは、わが国は「いまだ敗戦ショッ
クから立ち直っていない」ことです。日本人は鬼畜米英から180度転換、積極
的に占領政策を受け入れた結果、その後遺症が今、現れて来ています。その最
も顕著な例が「教育と安全保障の問題」です。日本的なものと外国的なものの
融合は、島嶼国家日本の歴史的課題ですが、いまこそ近代日本の課題である西
洋文明と東洋文明の融合を実現するときです。日本は印度、中国、朝鮮等の東
洋文明と日本文明との融合はみごとに成し遂げましたが、西欧文明の根底にあ
るグレコ・ローマン・ジュディオ・クリスチャニティー(いわゆるヘレニズム
・ヘブライズム)とはパラダイムがまったく異なることも相まって、いまだ成
功していません。どの文明でも長所は同時に短所でもあります。いまや西欧文明
の成功面(科学革命近代化)を継承するとともに、その副作用に人類全体が瀕死
の重傷(環境破壊、核の脅威、貧富の格差、等)に陥っています。今、日本人
が寄って立つ価値観は何か? 一億が玉砕しても守ろうとしたものは何か?
先人の犠牲を無駄にしない為にも、もう一度、命を超えた普遍的価値に目を向
けるべきではないでしょうか?
岡本行夫氏の産経のコラムで始めて知ったことですが、馬渕元ウクライナ大使
が首都キエフの「ある中学校を訪問し、2年生のクラスで質問した。『君たち、
松尾芭蕉のことを知ってますか?』。生徒たちが、当たり前だという顔で答え
た。『小学校で習ったからみんな知ってます。』『えっ、みんな?』。クラス
全員の手があがった。『知ってマース!』驚いた。日本の中学校で同じ質問を
したらどうなるか興味あるところだ。ウクライナの学習指導要領には『自然を
描写して気持ちを表す日本人の国民性を学ぶことにより、ウクライナとは違っ
た文化をもつ日本と日本人に対する尊敬の念を養う』とある。」
昨年10月から11月、ウクライナのスベトラーナ教授が小生の自宅を拠点に
日本全国を取材された。スベトラーナ教授が芭蕉の俳句や枕草子、源氏物語に
精通されているのは、スベトラーナ教授が日本芸術を専攻されているというよ
りはウクライナ一般国民の状況であることを知り、小生にとっても驚異であっ
た。
ある日の夕食後のひと時、歓談していたら、日本の現状に対する質問があまり
にも本質をついた質問なので、いい加減に答えられなくなり、小生も腹を据え
てお答えせざるを得なかった。その日は朝方5時まで続いた。隣国のロシアに
ロシア人を保護すると名目で自治領を作られ、国を掠め取られそうな状況が刻
々と進展している。マスコミに現れないロシアインテリの素顔等、小生も学ぶ
ところが多かった。氏の、単に学者であるだけではなく、国の将来を見据えた
真摯剣な姿勢に改めて敬服した。
2) 世界観的視点
「世界の常識は日本の非常識」というずれは島国根性というよりは世界観の違
いから来ると言える。先日ドナルド・キーン氏は「未来への提言」(NHK)
で最後に、インタビュアーに色紙を依頼され、「四季も他人も友とすべきだ」
と書いた。これは芭蕉の「風雅におけるも進化(自然)にしたがいて四時(四
季)を友とすべ」に由来することも紹介された。日本通であるキーン氏の言い
たかったことは、「すばらしい日本的情緒で世界を包んで欲しい」との願いで
あろう。しかしこれには、汎神論的世界観、惟神の道が深くかかわっている。
「日本国の最大困難は、日本人がキリスト教を採用せずして、キリスト教的文
明を採用したことである」とは、内村鑑三の言葉であるが、彼さえ、東洋思想
と西洋思想の融合に成功していません。日本の未来、さらには西欧文明の未来
も日本的自然観・世界観と西欧的思想を真に融合できるかどうかにかかってい
ます。この思想的アポリアの重大性をどれだけの人が真摯に捉えていることで
しょうか? 既存の東西のパラダイムの枠組みを超えた、新しいパラダイム、
それは人間性を歪曲した部分的既存の枠組みを超えたホリスヒックなアプロー
チから生まれるこでしょう。「難民の受け入れが少ない」、「国際協力が不十
分」、等への個別の対応に追われているわが国であるが、「世界の出来事も対
岸の火事」としか感知できない日本的世界観の「変貌」なくしては未来日本も、
さらには世界の未来も決して明るく無い。そのことを心配するのは小生ばかり
では無い。
「いまの日本の政治もまた、鎖国に先祖返りしているかのようである。このグ
ローバル化の時代に、与野党が「国民生活が第一」というちんまりした孤立主
義に陥って、外の世界を気にかけない。政治の大きなビジョンを描かず、有権
者の顔色をうかがってバラマキと政敵の非難に終始するばかりだ。」(湯浅博 2009.2.3)
3) 歴史的視点
世界史の中で日本文明をどう位置づけるか? 70年代、日本財界首脳や学者
グループが真剣に模索した。(「新しい文明を語る会))その研究会は18年
間、300回にも及ぶ。膨大な記録の中の一部を今も保管しているが、この知
識の蓄積を日本の歴史遺産としての後世に残しておきたいと思っている。
一言にして申せば、日本は第2次大戦敗戦と正面から向き合っていません。現
実から逃避、過去への郷愁、未来への逃避、トインビーの言う「現代の3つの
偶像」そのままです。彼のいう如く、第4の選択、「変貌」、自己変革以外に
希望はありません。それには、目を背けたくなるような冷厳な現実を見つめる
勇気、智恵と決断が必要です。未来構想の世話人の1人である西原春夫先生の
最近のご講演、御著書をお薦めします。近代史を学者の目から展望されていま
す。人物中心に描いた司馬遼太郎の歴史小説、特に朝鮮近代史「民族の閃光」
溢れる憂国の情で綴られた(李宣根・時事通信社)も涙なくして読めない本で
す。
「日本の将来を考えていく上で、アジアの国々に対しての過去の行為について、
正しい歴史認識が必要である。そのための、キーワードとして「帝国主義=流
行病」を用いる。日本は植民地化を免れるため先進国を目指し、体裁の上では
近代国家となった。ところが、先進国の「19 世紀的国家観」には、帝国主義
という病原菌が含まれ、日本も流行病にかかってしまった。しかし、その「流
行病」を防いだり、症状を軽くしたりすることも出来たはずであり、日本に責
任がないとは言えない。第2 次世界大戦の終戦は、この「流行病」の終焉とい
う大きな歴史的意義があった。
世界はますますグローバル化の度合いを早め、侵略のためにあった軍事力も防
衛のための軍事力へ、テロや宗教紛争・民族紛争の抑止のための警察力として
機能するようになり、その意義・役割も大きく変質してきている。日本やドイ
ツ、イタリアが共に帝国主義に取り付かれていた当時、既に欧州においては、
「ヨーロッパは一つ」であるという汎ヨーロッパ思想が、多くの政治家や文化
人の共鳴を呼び、この「流行病」は終わりかけていた。ヨーロッパ諸国がEUを
構成して共同体としての結びつきを強めているように、東北アジア諸国も歴史
認識を共有しつつ同様な共同体をやがて形成するであろうことは、可能性の有
無、必要性の有無の議論を超えて必然の趨勢であり、必ずや「そうなってしま
う」に違いない。」 (西原春夫「近代日本のアジア侵略」 2008.11.11.)
「いかなるビジョン(価値観)を立て、誰と共に、何をなすべきか?
人類史に、我々は、何を残そうとしているのでしょうか?」
思想形成の3大要因である価値観、世界観、歴史観をしっかり確立したいものです。
未来構想戦略フォーラム・地球市民機構が、人類の悲願である恒久平和実現の
ために、既存のイデオロギー、党派、宗派の枠組みを超えて、自由自在に交流
でき、行動できるプラットフォームとして、今後も社会貢献できれば幸いです。
平成21年(2009年)6月吉日
未来構想戦略フォーラム共同代表 大脇準一郎
*なおこの小論の引用文献は別のサイトにリンクしています。