大学発ベンチャー創出フォーラム
日本人の技術と日本人」に寄せて

 平成15年度経済産業省委託事業 大学発ベンチャー支援ネットワーク構築事業

    2003年12月11日 東京国際フォーラム D-7ホール

 何のための産学官の連携か? 新しい理念の確立が必要

閉会のご挨拶   NPO法人 未来構想戦略フォーラム 代表 大脇準一郎

 師走のご多忙の折、本企画に対して格別なるご参画を賜り、主催者・後援・協力諸団体を代表し、厚く御礼申し上げます。
閉会に当り、若干のご挨拶を申しあれることをお許しください。

まず、「大学発ベンチャー」のコンセプトを経済産業省、石黒課長が導入されたことに対し、日本の未来に対し、新鮮な希望を感じ、満腹の敬意を表します。 大学紛争華やかかりし1960年代末、クラーク・カーが「大学の効用」の中で大学とは何かと題して「大学の理念を中心として研究と教育・奉仕」の3つの使命を述べていたを改めて思い起こしました。

当時、大学が一年間以上休校し、廃校になるのではないかと話題になるくらい、社会問題化、政治問題化し、自民党政府は筑波大学設立を一つの解決策といたしました。本年10月、筑波大は創立30周年を迎えたばかりですが、創設当時の理念の一つに“社会性”を掲げ、経団連を中心とする産業界の熱い期待の中、文部省認可の試験研究法人第一号の財団を発足させ産学官協同を果敢に進めようと努力してきました。

しかし三者間の期待のすれ違い、省庁の枠内での産学官協力は日暮れて道遠しの感が否めませんでした。 

今日、文科省の枠を超えて、実業の世界に詳しい経済産業省から「大学発ベンチャー」が動き出したことは正直、驚きであり、新しい時代の到来を感じさせられます。小生はC.カーの言う大学の4つのコンポーネントの内、きわめて抽象的ではありますが、“大学の理念”に触れたいと思います。 

「何のための大学であり、誰のための大学なのでしょうか?」あるいは「何のための教育であり、研究なのでしょうか?」今、このことの革命的解釈の見直しが問われています。「自分のためであり、社会のためである」との答えが容易に浮かぶことと思いますが、今時代は新しい根源的解釈を必要としています。

急速に発達した科学技術はグローバルな地球社会の到来をもたらし、一国社会主義や帝国主義は20世の遺物と化しつつあります。明治以来の富国策の一環として、教育は国家や産業に有為な人材養成の役を担って来ましたが、5半紀以上も過ぎた今日、教育の目標を国際社会に役立つ有為な人材養成に大転換すべきときです。すなわち“日本のための大学”から“世界のための大学”が問われています。

 次に「自分のため」とはなんでしょうか?小は原子の運行から大宇宙まで知識を獲得しつつある人類も、足下の暗さはソクラテス時代と大差ないようです。最近の臨床医学のデーターは人間の求めるものは、内面的平安(幸福)、親密性(平和)、達成感(安逸・快適)であることを教えています。研究や教育は、人間の部分的要求を満たすだけでなく、この人間のトータルな要求をバランスよく果たすべきと考えます。

比嘉先生の勇気微生物群の活用は自然との共生の日本的土壌と不可分でありません。我々は、瀕死の重傷にある地球からのメッセージにもっと耳も傾けるべきでしょう。 また今日、自己の正義の主張ばかりが強くて紛争の絶えない国際情勢下において、日本的和の精神が世界平和に貢献することも期待されています。 自己主張の前に、東洋的無の絶対否定の自己肯定、悟りの関門を通過することが日本人も含めて求められる人類大覚醒の時代と言えるかもしれません。

人類精神史はその幼年期には大自然の背後の神を見出し、少年期には偉大な人物やその思想の背後に神を見てきましたが、いまや、永遠なる真なる神を自らの内に見出すべき大人の時代を迎えているようです。 F・ベーコンは市場の偶像、種族の偶像等4つの偶像を挙げ、自らが事実そのものに直面する勇気が必要なことを訴えました。A.トインビーは、その著「一歴史家の宗教観」で現代における低俗宗教として、「科学信仰」、「英雄崇拝」、「共産主義」の三つの偶像を挙げ、高等宗教による自己変貌の可能性を問うています。自然や人からの学びから今や一人、一人が内なる神に学び真の己と対面するときが来たとも言えます。

このように研究によって獲得される知識は全体知・暗黙知・知恵と融合されるべきであり、自然との共生、人との共存、永遠の汝との対話であって欲しいと思います。この文明史的危機克服に東洋の知恵、特に日本の関係性(縁)のホリスティック名なアプローチは多いに貢献することが期待されます。

 多少抽象に過ぎた感がありますが、上記にのべた“大学の新しい理念”、ひいては今日の催しのベースのなっている“産学官連携の理念”を問うていることはお分かりのことと存じます。この新しい理念により「いかなる変革がもたらされるか?」具体例をもって2,3説明したいと思います。

今日、西澤先生は、科学・技術がわれわれにとって意外と身近なものであることをわかりやすく説明してくださいました。今日の日本があるのはまさに日本人が科学技術を掌中に収め、人材育成を計った成果によるものであります。日本の近代化の成功に学ぼうとする発展途上国も多くあります。他面、この技術の格差が貧富の差を増大させ、緊張を激化させている今日、技術の普及・平準化は人類的課題となっています。この点、国際的人材育成に本腰を入れている大分のアジア国際大学や来年開学する早稲だの国際教養学部等に期待するもの大なるものがあります。

学生のいない大学、国連大学は、その不運な誕生以来、大学としての機能は片羽飛行でその研究成果も余り世に知られていませんが、日本は6割以上の経費の負担をし続けています。 しかしながら、日本の大学が国連大学を中心として連携し、世界の大学とのネットワークの拠点として活用することを工夫すれば、国連のシンクタンクとして大きく貢献することも期待でき、日本の大学は、世界のための大学として日本と世界をリードすることも夢ではありません。

 心身が一如であるごとく、科学技術の発展も文化・芸術の発展と車の両輪です。どこの大学でも産学協同が叫ばれ、巨大な予算の前に人文系の先生や学生は小さくなっているのが気がかりです。 人間という原点から、科学技術の発展における文化の役割を再評価し、バランスある予算配分・政策が遂行されることを期待したい。

大学発ベンチャー、まず大学が省壁を超え世界のための大学として雄飛し、単なる知識の寄せ集めのマルティバーシティーから真のユニバーシティーとして知識と知恵の統合に努められること、経済産業省の障壁を超えた勇気ある行動に賛辞を送ると共に、外務省・労働農林省始め各省庁がこれに続き、悪しき官僚制からの脱皮をし、日本再生へ向けて伴に始動されることを祈念し、閉会のご挨拶といたします。

ありがとうございました。