オイスカから学ぶ教訓

                      大脇 準一郎

問い:ウルグアイの食口です。いつも大切な情報をタイムリーに配信くださり感謝しております。もう少し詳しく聞きたいことがあるのですが、もしお時間がおありであればお答   えください。個人メールでもかまいません。よろしくお願いします。

  大脇先生は、
 「コチア農協農学校後を相続したオイスカ・ブラジルは、米州開発銀行から6.4万ドルの6割り、4億円を引き出し、メルコスール農業青年育成に励んでいる。そのキーパーソン、  渡邉氏とのインタビューから今後のNGOの在り方について多くの示唆を得た。」

とありますが、今後のNGOのあり方に付いて多くの示唆を得られたとの事ですが、具体的にどのような内容だったのでしょうか?

 お答え:ご質問を頂いてから、はや、1ヶ月になろうとしています。いつもお答えしようと思いながら、未だに十分な状況ではありませんが、記憶も薄れ、資料も散在してしまい     ますので、8つの項目のうちの1つにつき、あらましをお伝えいたします。

  1、 まず、学ぶべき点は、渡邉忠氏(57歳、小生と同年輩)がこの36年間、一貫してボランティア活動を継続され、今、その長年の蓄積の頂点にあるということです。

   渡辺氏は、オイスカインターナショナルを代表して、国連、諮問クラスのNGO代表であられ国連や世界銀行などの国際機関、国内の外務省、大蔵省と渡り合う信用基盤となっています。我々も、渡邉氏に負けないほど、青春を賭け、為に生きてきたはずでした、これがどう繋がっているのか、どれほどの継続性、信用基盤を造っているのかということを考えて見るとき、反省させられる点があります。

166年、食糧危機に見舞われた、バングラディッシュ、インド(インデラ首相)の要請で、17名の農業開発団を派遣、以後8年間に延べ、300人の篤農家を派遣。当時 、JICA1974年設立)も無く、現地の大使館からは、「とんでも無いことをしてくれる!」「日本の恥になる」と迷惑がられた。しかし現地の人々の喜ぶ姿を励みとして、米 と小麦の増産のお手伝いをしてきた。

2、 第1が、ボランティアとしての地道な活動実績、その継続性ですが、2に政府、國際機関を内側から体験されたことです。渡辺氏は今日まで90ヶ国で国際協力の経験をされているが、折に触れ、外務省や大蔵省に陳情。世界銀行、アジア開発銀行等、「国際機関で日本はどう貢献しているのか、どうも日本の顔が見えない」との渡邉氏の苦情に、「外から見ているだけでは、しょうがない。いっそ、中に入ってみたらどうか?」と大蔵省から推薦状を戴き、米州開発銀行に出向。ワシントンでの米州開発銀行勤務の体験から、外務省が毎年拠出使っているODAとは別に、大蔵省が拠出している、Japan special fundとう日本政府出資のファンドがあり、多くの日本国民は、その存在すら知らない。驚くほどの巨額であるにも関わらず、大蔵省の聖域で、今年も出資額は、減っていない。このファンド(約20億ドル)は、個人または、民間企業のみが使える金である。小生のボランティア地域、バハマも、米州開発銀行のこのお金、20万ドルを頂いて、『青少年の性教育副読本』作りの最後段階である。日本の家族計画財団(ジョイセフ)がこのプロジェクトを担当している。

渡邉さんは、「このファンドのお世話になってもその国々は、感謝することもなく、日本からは金をとりさえすれば良い。日本のスタッフをワシントンに置くのも金を取る手段だ。」との考え方があると指摘。
「諸外国が、少しの出資、ほとんど、ひも付き出資であるに対して、日本は、全体出資の4割以上も出資し、しかもその8割はアンタイドである。」と語っている。

 このような内情を知った渡邉さんは、南米コチア農協、南米銀行が倒産した折、南米、メルコスールの農業後継者育成プロジェクトを提案。場所は、サンパウロ州ジャカレイ市のコチア農学校。松本次長(JICA・サンパウロ事務所)のご案内で、サンパウロから車で2時間、現地を訪れた。

 鈴川行治学校長の下、既に32名の生徒が南米各地から集まっていた。若い女学生も多く、アルゼンチンから来た女性は、「家の後を継いで花屋をやるので」と言っていた。また、ブラジルのアマゾンからきた青年(男性)は、炊事場から顔を出す。またスタッフの青年は、日本に研修に行ったこともあり、日本語が流暢だった。
 現在、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイ、メルコスール以外にもコロンビア、ボリビアからも参加。日系農業団体をはじめ各国農業団体から推薦を受けて来た」と述べていた。

 渡邉氏から学ぶ第2点は、内側を知ることが出来たからこそ、640万ドルのプロジェクト予算の内、60%、約4,6億円を米州開発銀行から引き出したことである。氏は、このほかにも、コロンビアで農業後継者育成プロジェクトを進行中で、このプロジェクトにも、1億円は、米州開発銀行から出資される。今、必要なのは、渡辺氏のような、公的資金を運用できる民間人、NGOの出現である。

今、米国では、「ODAを削減するか、あるいは、民間に移行するなら削減どころか、増額する」との審議が上院で為されている。日本のODAは、政府間ベースが全体の95%、平成元年に1億円から出発した民間ベースの国際協力も外務省の熱心な宣伝の割には、数百億円(数%)に留まっている。予算額が1桁も2桁も違うのではないかと疑いたくなる。ところで、今後、国際協力が、政府間ベースか民間ベースに大きく、移行しようという時代的趨勢に対して、米国と違い、日本では、オイスカのように堅実なNGO(人材、組織、活動)が育っていないことが最大のネックである。

オイスカの我々への教訓は、理念(蘇生)や団体を誇る(長成)段階から、活動実績(完成)を誇る段階に来ているということではないでしょうか?  イエスが、天ばかり見つめていたガリラヤ人に地を見つめることを諭したように、今、グループに求められるのは、地の声(カイン、民の声)も聴き、カインの為に生きようとする苦労の十字架(汗)精神、その実践、実績の蓄積ではないでしょうか?

 

 3、渡邉氏は、「日本からのお偉方の協力は要らない。」ときっぱり撥ねのけ、「日系社会にいくらでも人材がいる」と日系社会に期待する。この点、小生も同意見である。1昨年、6ヶ月、パラグアイ滞在でもそのことを痛感した。(記事掲載済み) わざわざ、高い費用をかけて日本から呼ぶ必要も無く、現地の自発的自助努力があってこそ、事業の永続的発展となるからである。
JICAの紹介で、ブラジル日系1800名研究者の会の佐藤会長(薬理学)とお会いした。毎年、日系学者が集まって大会をするようになったが、今年は、8月サンパウロで、第1回日伯国際会議「科学・技術、教育・倫理と人間の未来」が開催される予定である。
政府間ベースの國際協力の問題点は、数々指摘され、今後急速に民間ベースに移行してゆくであろう。南米での特殊性は、ブラジル日系人130万人、ペルー、8万人を始め、日系移民の存在である。 オイスカの如く、ぜひこの点に留意し、国際協力を進めてもらいたいものです。

4、オイスカのバックグラウンドは、宗教である。

三五教(あなないきょう)、は、霊学の中興の祖といわれる本田親徳師、長沢雄楯師に継承され、これを継承した中野與之助師が、1949年、創設。鎮魂による神人合一、精神教化こそ、世界救済の道であるとする。「三五」とは、人にたとえると三は、御霊、五は五体、宇宙的にみれば、三は、日、月、星で、天体の活動を、五は、木、火、土、金、水で、地の活動を、また、天は霊、地は体で、三五は、天地を現す。日本神道系、大本教から独立。
「宇宙創世からの諸活動を八百神と称え、敬神崇祖の宗教観こそ、日本民族精神の源流である。日本精神を大切にし、神に孝養を励むことを教義」としている。
現在、信者数、2万4千人。後継者は、3代目、中野正宮師、2代目教主、中野良子女史は、現在、オイスカ・インターナショナル総裁。

小生は、このバックグラウンド、宗教とボランティア活動の関係をもっと知りたくて、ブラジルから帰国後、杉並のオイスカ本部に、常務理事、小林雄一事務局長を訪ねた。
オイスカの定款によれば、
 オイスカは、The Organization for Industrial, Spiritual and Cultural Advancement-international(産業・精神・文化の促進する機関) の頭文字を取ったもので、産業・精神・文化のバランスを保ちながら全地球的に発展させていくことが、人類の繁栄と幸福に繋がると考える。

「産業」とは、大地との関わりの深い、農業に基礎を置くもので、林業、漁業を含め、天地の恩恵を受けて産み出す業を言い、「精神」とは、この天地に生かし生かされていることを自覚し、感謝する心、そこから生まれる奉仕の精神を言う。「文化」とは、各民族が、その帰国風土の中から作り上げた生活文化を言う。オイスカは、このような理念を基に「地球上の全ての人々が、お互いの文化の違いを認め、争うことなく、地球環境と調和した良き世界を作るために協力すること」を目指している。予算規模(1999年度)は、14.3億円、(ブラジルを始め各国独立法人であり、各国でのプロジェクト予算は別)、この内、2.37億円(全予算の28.5%)が日本政府各省庁の公的助成金。参加している国会議員は205名、経団連、日経連、関西経団連始め、各地域経済団体が支援、トヨタ、三菱地所、東京電力を始め、大手企業、労働組合が参画。専従員389名、オイスカインターナショナルは、1961年、財団法人、オイスカは、1969年創設。 

小林氏とのインタビューで、次の点を確認した。

(1)オイスカは農業を教育として捉えている。農業指導を通しての人づくり、食料作りよりは、その根底にある心を育てることに重点を置いてきた。第二次大戦後、アジアで多くの国が独立したが、オイスカは、アジアの国々の基盤である、農業を通じて、その国の自立、人づくり、国づくりのお手伝いをして来た。

自然の造花作用、自然に優しい日本的小農法へのこだわりは、神道的精神から由来するものであることを感じさせられる。アジアの地域には、お茶、砂糖、ゴムなどのプランテーションが戦後も存続し、このような大農法では、植民地時代からの貧富の差も解消しないし、環境破壊は止められない。プランテーションで働く農民は、単なる賃金労働者で、農産物を作る喜びが少ない。オイスカは、大農法ではなく、日本的小農法で、自然との調和、持続可能な開発を志向する。

  日本で作物学界会長(元鳥取大農学部長)の津野先生を始め、小農法にこだわりる農業者全国ネットワークグループがあり、小生もお手伝いしたことがある。

  米国流大農法、米国企業の世界制覇戦略、ノッレッジ・マネージメントを見ても、利潤第1主義で、自然破壊、人間性の破壊を避けられない。小林事務局長は、大量生産による農産物のコストダウンは、もう一度、我々人間生活の、価値観の転換を図らねばならないと考える。

    小林事務機局長は、オイスカの農業を中心とした國際協力の歩みを何段階かに区切って解説。

    1966年からの最初の10年間は、インド、バングラディッシュ、フィリピン等へ篤農家を派遣。1976年からの第二次10年は、現地の青年を研修、人づくりの期間、そして、86年からの第310年は、国へ帰った研修生等を中心とした自立を助ける国づくりに協力。 1996年からの第410年は、國際協力の10年としてアジア・太平洋を基盤に、南米各地、世界にその協力の輪を広げている。 

(2)特に最近、成果をあげているのが、子供の森計画である。

  この計画は、次世代の主役である子供達の参加による、学校単位の森作り運動である。
 
1991年に始まったこの運動は、現在21ヶ国、2200を超える学校が参加。

子供から教師、更には父兄、国家をも巻き込み、1大国民運動に展開しつつある。オイスカは国際機関、各種団体と協力してより効果的な環境教育プログラムを創造し、よりグローバルな展開を目指している。自然と人間の一体化、共生を志向する自然観は、汎神論的自然宗教に裏打ちされている。

また子供に運動の焦点をあてたことが成功の鍵であったとこの2点が小林事務局長とのインタビューで学んだ点であるが、欧米流の機械化、大農法の問題点は、全てを全体から切り離した個物として扱う西欧文明の思考方式と、全てを個物の関連性から全体、場として捉える東洋文明の思考方式の違いを考えさせられた。現代を覆う、経済至上主義、効率主義は、明らかに道徳退廃、価値観混迷を加速していると言える。(参考:ガンジーの7つの社会的大罪)

我々の理念から見れば、西洋は、存在の実体そのもののみを捉え、東洋は、存在の関係性を主とする。四位基台の個物に注目したのが、西洋、連体としての関係性に注目したのが東洋といっても良い。この差異は、家庭観、社会観、国家観にも現れている。西欧では、個人の集合が集団、社会と見なされる。東洋では、個人の関係の場、家庭があって個人がそれに包まれる。そこに於いては、社会は、個人の集合以上のものである。

人間の堕落により、個人の縦的心情的絶対価値と横的家庭的倫理的価値、天宙的個別価値も失った。西欧は、この個別的価値(自由)を求める余り、横的な、倫理価値(秩序)を蔑ろにし、東洋は、家庭倫理を重んじる余り、個別価値を軽視してきたと言えよう。 第三の道、心情的価値(愛)を目指すことによって、西洋と東洋の求めてきた両面が満足されることとなろう。

イスカ・三五教、日本神道に言えることは、 

1)自然との共生の思想は高く評価されても、自然に包まれた世界観からは、万物の霊長、自然の主管主としてのエートスが生じない。西洋になぜ科学技術が発展したかを考える必要がある。

2)自然倫理と人倫、天倫は相似性もあるが、格位の違いがある。

人倫は、家庭の規範が根本となっている。天倫おいて、愛の絶対的価値性を発見することが最も重要である。このような観点から見れば、世界の問題の根源は、愛の間違い、血統問題である。 したがって解決策は祝福(血統転換)と人倫の再建、環境問題は第3次的に重要である。  我々としては、この3つのバランスを持って、世界平和・福地化運動を展開して行くべきであろう。 

堺屋太一経済企画庁長官も官僚政治についに疲れて、下野してしまった。官僚や元大臣の汚職、銀行や公庫への公的資金の投入、株価の暴落、いずれを見ても新しい希望を見出せない閉塞状況の中で、1つの希望は、ボランティア活動の推進である。今年は、国連総会に、日本が提案した「國際ブランティア年」である。多いにボランティア活動の発展に期待したいものであるが、渡邉氏のような人材、オイスカのような組織、活動実績をどうすれば期待できるであろうか?

数年前、岡野加穂留、明治大学総長(当時)の「社会奉仕の基本理念の創造を!」との意見は、今後日本のボランティア活動にとって考えなければならない、最重要項目であろう。
 「ボランティアは、本来、自己犠牲に基くヒューマニズム精神(アガペーの思想)から発露された無償の奉仕活動を意味している。 今、日本に政府の指導下に青年海外協力隊が活動している。彼等が、それぞれ立派な仕事をしていることは、周知の事実。しかし、これは、ボランティアとは言えまい。」「ボランティア活動を拡大、発展させるためには、その気のある人々が,それが可能となるような、法制度の確立すること、社会奉仕についての基本理念の創造である。法制度はさほど難しい作業ではないが、無償の奉仕・自己犠牲人類愛の精神を基調とする真の  ボランティア精神を育成するには、政治的ご都合主義では、実現は出来まい。」
 
ガンジーは、「祈りがなかったら、私はとっくの昔に気が狂っていたであろう。祈りはまさに宗教の魂であり、精髄である。だから祈りは人生の確信である。宗教心を持たずしては、何人も生きられないからだ。何か信じるものがあるのにそれに従って生きない人間は信用できない。」と言っている。また彼の慰霊碑文には、「7つの社会的大罪」が刻まれている。
その7つ目の大罪とは、「犠牲なき信仰」とある。
 
 「神を知ることを通して感謝を知り、奉仕の心が生まれる」とする、三五教のように、深い宗教心がボランティア活動の礎石、エートスとならなければなるまい。まさに、「信仰があるというなら、見せて欲しい」パウロが言う如く,、各宗教団体が、その信仰を社会奉仕と言う形で、競って見せてほしいものである。

                       200135日 大脇、記