1990.4.9-13 Moscow USSR
ソ連首脳と言論人会議主催者
第11回世界言論人会議創設者
文鮮明師
文師とゴルバチョフの会談内容
を伝える各新聞
基調講演 「真なる統一と一つの
世界」文 鮮明 師
私は世界言論人会議の基調講演で、ソ連のペレストロイカ(改革・立て直し)を称賛しながら、
その革命は必ず無血革命でならなければならず、心と魂の革命でなければならないと訴えました。
世界言論人会議に出席するためにモスクワを訪問したのですが、実を言えば、私の関心は
ゴルバチョフ大統領との会見に集中していました。
当時、ペレストロイカ政策が成功し、ソ連国内でのゴルバチョフの人気はとても高いものでした。
それこそアメリカの大統領には10回でも会うことができる私でしたが、ゴルバチョフに会うのは難
しい時でした。しかし、私には彼に会って話すことがあったので、必ず会いたいと思っていました。
ゴルバチョフがソ連を改革して共産世界に自由の風が吹きましたが、時が経つにつれて、改革の
刃は彼の背中を狙うようになっていました。このまま行けば、すぐに大きな危険に遭遇してしまうと
ころだったのです。
「彼が私に会わなければ天運に乗る道がなく、天運に乗らなければ彼は生き延びることができない」
私が心配しているという話がゴルバチョフ大統領の耳に入ったのか、彼はその翌日(4月11日)、
モスクワのクレムリン宮殿に私を招待しました。ソ連政府が送ってくれたリムジンに乗ってクレムリン
宮殿の奥に入っていきました。まず大応接室に入って、私たち夫婦が座り、その横に前・現職の
各国大統領・首相らがテーブルを囲んで座りました。ゴルバチョフ大統領は、ペレストロイカの成功
を満面の笑みで熱心に説明してくれました。それが終わると、いよいよ単独会談です。大統領執務
室に場所を移すと、私は時を逃さずゴルバチョフ大統領に言いました。「大統領はペレストロイカ
ですでに素晴らしい成功を収めていらっしゃいますが、それだけでは十分な改革はできません。
今すぐこの地に『宗教の自由』を許可してください。神様なしに物質世界だけを改革しようとすれば、
ペレストロイカは必ず失敗します。共産主義はもうすぐ終わります。この国に『宗教の自由』を呼び
起こしてください。それこそが国を救う道です。これからはソ連を解放した勇気で、全世界の平和の
ために働く世界の大統領になってください」「宗教の自由」という、全く予想もできなかった言葉が
飛び出すと、ゴルバチョフ大統領は少なからず当惑し、顔がこわばりました。しかし、「ベルリンの
壁」崩壊を容認した人らしく、すぐにこわばった顔をゆるめ、私の言葉を真摯に受け入れました。
私はすぐに、「韓国とソ連はもうお互いに国交を結ばなければなりません。そのためにも、大韓民国の
盧泰愚大統領を必ず招待してください」と言葉を続けました。さらに、韓国とソ連が国交を樹立する
とどのようなメリットがあるのかということも、一つ一つ説明しました。私の話をすべて聞いた後、
ゴルバチョフ大統領はひときわはっきりとした口調で約束しました。
「韓ソ関係は順調に発展すると確信しています。何よりもまず朝鮮半島の政治的な安定と緊張
緩和が必要だと思います。韓国との国交樹立は今や時間の問題です。そこには何の障害もありま
せん。文総裁が提案されたとおり、盧泰愚大統領にもすぐに会うようにします」
その日私は、ゴルバチョフ大統領と別れる際、私の腕時計を外して彼の手首にはめてあげました。
まるで昔からの友人に対するようなざっくばらんな私の態度に当惑する彼に向かって、「大統領が
今推進していらっしゃる改革政策が困難に直面するたびに、この時計を見ながら私との約束を思い
起こせば、天が必ず道を開いてくださるでしょう」と強調して言いました。
私と約束したとおりゴルバチョフ大統領は、その年の6月、サンフランシスコで盧泰愚大統領と会い、
韓ソ首脳会談を持ちました。そして、1990年9月30日、韓国とソ連は86年目に歴史的な国交樹立を
果たしたのです(第一次日韓協約で外交権を一部失った1904年8月以来86年目に、という意味)。
もちろん、政治は政治家が、外交は外交官があることですが、時として、長い間ふさがっていた
水田の水の出入り口に穴を開ける上で、何の利害関係もない宗教者の役割がより効果的な
こともあります。
それから4年後、ゴルバチョフ前大統領はソウルを訪問し、漢南洞の私の家を訪ねてきました。
その時はすでに権力の座を去って、在野の人になっていました。1991年8月、ペレストロイカに
反対する反改革派のクーデターが起きた後、彼は兼任していた共産党書記長を辞任し、ソ連の
共産党を解体しました。共産主義者の彼が自分の手で共産党をなくしてしまったのです。
主要な講演者たち
ニコライ・シスリン
ソ連共産党中央委員会
外交顧問パベル・ブニチ
ソ連最高会議経済改革委
副委員長アガン・ベギャン
ソ連科学アカデミー
経済学術部長グラチェフ
ソ連共産党中央委員会
国際部長
アレン・ニューハース
「USAツデー」紙創始者アーサー・ハートマン
前駐ソ米大使リチャード・パイプス
ハーバード大学教授アレクシ・ヤブロコフ
ソ連最高会議環境統制天然資源活用委・副委員長
松本 十郎
前防衛庁長官(安倍晋太郎元自民党幹事長代理)谷藤 正三
元北海道開発庁事務次官村井 勉
JR西日本会長
アサヒビール会長不破 敬一郎
国立公害研究所所長
磯村 尚徳
NHK放送局特別主幹永井 清
三菱総合研究所調査部長(中島正樹・同相談役代理)
テレビ東京解説委員 和田 正光
①ソビエト政府、党の有力者たちの極めて率直な話を聞き、ペレストロイカ路線
の将来が容易ならざるものであることを確認できたことは、今後の日ソ関係、
世界外交の展開を考えていくうえで、まことに有意義であった。
②私もウラジーミル・ペトロフスキー外務次官に直接質問する機会を得て、アジ
アの緊張緩和について正した。答えはかならずしも満足すべきものではなかっ
たが、それなりの率直さは感じられたし、その後の懇談において「北方領土問
題」と「ゴルバチョフ大統領の来日時期」について聞き、いずれについても未
定ながら真剣な検討に入っていることをうかがわせる感触を得た。
③会議の全日を通じて、それぞれのスピーカーの話には、きわめて含蓄の深いも
のがあり、また10日のダンコース・ロウリー、シシリン氏の発言、11日のウオ
ロツォフ、不破、パイプス氏等、同午後のパベル・ブニク、アガンベギャン、
イワノフ氏等、また最終日の各発言にも報道関係者として大いに得るところが
あった。
④モスクワとレニングラードを見ることは、限られた時間のなかでソ連に触れる
ために、まことに良い組み合わせであった。モスクワだけでは経済の行き詰っ
ている面にばかり向いていた目が、古都レニングラードに行くことで、ソ連の
歴史的な厚みに触れて、ソ連像がより正確になったと思われる。
⑤日ソをはじめ会議関係者の努力は一方ではなかったと察する。
サンケイ新聞政治部次長 熊坂隆光
①共産主義の崩壊が進むソ連を開催国に選んだことは極めてタイムリーであり、
会議を成功に導いた一因であったと思う。今回の会議は会場がモスクワと決まっ
た時から、全てが方向づけられたと思う。
②会の運営や会場の設営などで若干気になることもあったが、依然として共産体
制下の国でのこと、と考えれば、日本や他の西側諸国と同じような円滑さを求
めるのは無理な要求というものだろう。
③予定された大物の出席が次々とキャンセルとなり、結果的に殆どゼロとなって
しまったのは残念だった。確かに中南米の元首級や米国のマッカーサー元駐日
大使など有名人は多かったが、正直なところ、いくら彼らが大胆な発言をして
もニュースになりにくい。是は日本のマスコミも悪い点かもしれないが、何か
目新しいところがないと、新聞もテレビも飛び付かない。小生も何とかニュー
スに仕立てて送稿しようと思ったが難しかった。新聞やテレビで大きく扱われ
ることが第一の目的でないとはいえ、やはりニュースになったほうが良かった
と思う。
④次回の会議からは上記のような事情もあり、是非「目玉」をつくられるように
おすすめする。言論人会議を無視したいような一部のマスコミも取材し大きく
扱わざるをえないようなニュースを作ることを考えるべきだ。
⑤何がニュースか、という点については一般マスコミの見方と皆さんの見方に若
干の溝があるような感じもした。我々が求めるのはあくまで一般ニュースであ
り、率直に入って文鮮明師がいかに偉大であるかではない。文師のことは十分
理解しているつもりだが、それでも文師を中心にしたニュースは送りづらいし、
送っても採用されないだろう。(但しゴルバチョフとの会見は別。あれは明ら
かにニュースだった。)
⑥残念なことは、なぜもっときちんと文鮮明師とゴルバチョフ大統領の会談を広
報しなかったかだ。今回の我々の訪ソ中の目玉であり、事前に入る説明や予告
を受けていればもっときちんと報じられたと思う。小生の場合、ボリジョイ劇
場で幕間に「実は今日昼間会った。」を耳にし、すぐ公衆電話に飛び付こうと
したが、ソ連の電話事情はご承知の通り、ホテルに帰るまで手も足も出なかっ
た。ホテルに帰っても既にテレホンカードの販売は終わっており、日本には連
絡できず、ようやくモスクワ支局に頼んで短く送稿できた。この間「ニュース」
は半日近くたって旧聞の部類にはいってしまった。後で聞いた話だが、既にタ
スが早々に送っており、小生の原稿が日本に届いたときの社の反応は「ああタ
スからもう届いているよ」というものだった。これでは扱いが悪くなるのも当
然。
⑦もし、事前に「今日はこういうことがありそうだから紙面を確保しておいて・
・・」といった連絡ができていたら事情はちがっていたかもしれない。第一報
が外国の通信社伝ではなく、自社の特派員伝なら、受け手の心構えも新鮮さも
違っていたはず。同じ原稿なら特派員伝(自社原稿)のほうが数倍大きく扱わ
れることはご承知のはず。
⑧正直なところ「文師はすばらしい」という原稿を書くことはためらいがあるが
「ゴルバチョフが時間をわざわざ割いて文師と会った」と書くことで客観的に
「すばらしさ」を伝える事はできたと思う。こうした点を考慮に入れて次回の
マスコミ戦略を練られるよう進言したい。
⑨最後に、もっと多くのマスコミ人を参加させるべきであったと付記したい。や
はり、朝日、毎日からの参加がなかったのはさみしい。また、大物記者ではな
く一線の記者を集めたほうが字にはなったのではないかと思う。以上思い付く
まま列記しました。失礼があったらお許しください。
読売新聞編集委員 平田明隆
①会議の運営、旅行、滞在時におけるお世話については、全く申し分なく、感謝
しております。通訳の人達の能力努力も満足しています。
②ノーボスチ通信社はじめソ連側の熱意には、意外と思えるほど、強い印象を受
けましたが、会議の進行に関するきめ細かいサービスが今一つ。例えば、出席
者の原稿、発言要旨のトランスクリプトの配布、が欲しかったと思いました。
③世界の著名人(特に政治家)を集めることに、いささかこだわったのではなかっ
たのではないでしょうか。結果的には、出席できなかった人達が相次ぎ、会議
のスケースダウンという印象を免れませんでした。言論人会議というからには、
むしろ権威を拝して、自由な立場から、言論人が活発に討論して、各国、各地
域の立場から本音を出し合うと、より興味深いものになったのではないかと思
いました。そのためには、ヒナ壇に並べるのではなく、円卓式にして、なるべ
く大勢の人が自由に参加し、発言できるような形式も考えられます。通訳は大
変でしょうが。
④会議のテーマが、ペレストロイカ、世界経済、環境問題と欲張りすぎて、焦点
がぼけた印象があります。もちろん相互に関連はあるのですが。やはりテーマ
を絞って、(例えばソ連における宗教の復活など)それを深く分析し、問題点
をえぐり出す、出来れば決議なり提案なりをまとめる、そういうやり方のほう
が良かったように思えます。
⑤報道の側からすると、こういった会議からはいわゆるニュースは期待できない
し、実際にスピーカーの発言を、気を付けていても、そういうものは出てきま
せんでした。難しいことかもしれませんが、ソ連要人を囲んでの小規模の記者
会見、でもあったら、と思いました。
⑥文先生には、大変お世話になり感謝しておりますが、全体として「出すぎ」の
印象を免れません。何やら「内輪の集まり」という印象をもちました。ご本人
が陰にいてくれてこそ、自由、客観報道を使命とする我々は気が楽になります
* 勝田吉太郎(京都大学教授) 、NHK総主幹:磯村尚徳氏、
朝日編集委員高木氏、那須聖、細川隆一郎、細川珠生(評論家:娘)、
永田博士(三菱総研)、不破敬一郎氏(国立公害研究所所長)等も参加。
メモは紛失。