地球市民フォーラム
    「北東アジアの現状と展望」 

 Photos 映像・音声  福田之保氏論調  沖縄情勢  中国情勢

時:2017年2月27日(月)午後4時~6時
所:地球市民会議室 アクセス⇒  
定員20名
  
164-0003 中野区東中野2-22-21 ロータス・ステージビル6F
  Tel:03-3360-2021 (Fax:2022)東中野駅西口4分

開会の辞 大脇準一郎  

発題1:「韓国情勢の真相と未来展望」動画
    福田之保氏(アジア共同体推進協議会会長
            日韓親善協会西東京理事長
  コメント:動画

発題2:「沖縄情勢の真相と展望」動画
     沖縄県人会・沖縄と日本の絆の会 玉城

フリー・ディスカッション動画

フリー・ティスカッション2 動画

音声1、大脇    音声2、金金山

主催:地球市民機構
協力:アジアニューズ、月刊「Korea Today」 世界平和連合有志、
    まちづくり推進協議会  未来構想戦略フォーラム
    沖縄県人会、日本と沖縄絆の会、ほか


連絡先: junowaki@able.ocn.ne.jp  080-3350-0021(大脇) 

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福田之保氏のプロフィール

1944年10月、愛知県豊田市、生  
1960年 トヨタ自動車入社 、企業内職業学校入学、数学物理化学材料力学機械工学機構学材料
       学特訓、技術部ボデー設計課に所属、パブリカ・カローラボデー設計に従事、CAD
       コンピュ-タ-試験操作、 
1965年 トヨタ自動車退社、「トヨタ中央研究所の研究員になれ」と勧められたが、お断りして
       自己の信念遂行の道を選択。
1966年 大検合格、設計事務所設立、三菱重工で地対空ミサイル治具設計、日本製鉄高炉設計、
       三菱自動車で三菱ギャラン、コルト1300F3カウ リング設計
(1970年まで) 
1968年 慶応大学入学法律専攻  

1970年 慶応大学2年間で中退、評論・執筆活動に入る、政治、法律、宗教、人権など、共産主義
       の批判研究と研修会を継続開催、初訪韓しアジア政治情勢の実情を学ぶ、帰国後反共
       啓蒙と韓国理解を深める活動を始める。約3年間で共産主義批判研修会に三多摩の議員
       300名参加、有識者500名参加。三多摩地域で反共基盤構築。  
1973年 全国で初の地方議員団韓国政治視察団派遣実現、  
1974年 地方議員団訪韓実現、東京23区においても韓国政治視察派遣の大きな流れが生じる。
      1976年までに議員200名、青年部150名、婦人部50名、商工人300名を韓国政治
      視察研修引率 
1976年 立川を守る会結成ー阿部行蔵共産党市政を阻止することが目的ー陳情請願活動で
       大きな成果。立川市共産党市長打倒に成功、立川基地平和利用の基礎作りに貢献、
       地元三多摩地域一円から大きな評価を受ける。全国に先駆けて10月に日韓親善協会
       西東京設立、事務局長就任、理事長
として今日に至る。 
1978年 日本共産党リンチ殺人事件言論裁判が東京地裁八王子支部で始まる。宮本顕治委員長
       の昭和8年の小畑達夫殺害事件が法廷で審理されることとなり、共産党は驚愕。16年間
       争った結果共産党は訴訟取り下げを裁判所に申請。被告の私の方が認めなければ取り
       下げできないから裁判所は強く取り下げを進めた。交渉の結果共産党に従来の無謀な
       行動をとらないことを文書で約束させて訴訟取り下げとなった。当方の全面勝訴であった。
       日本の政治史に残る快挙と評価された。裁判期間は16年間、1994年まで継続した。この
       結果共産党は闘争の鋭さを失い、国民的にその評価は低下していった。70年代当時の
       宮本顕治委員長の民主連合政府を作ると言う覇気は失われ、今日に至っている。
1979年4月 韓国国会議事堂前汝矣島に桜寄贈。
1979年  法曹懇談会設立、最高裁、高裁、法務省、最高検、高検の最高幹部OB50名構成、
       1999年まで時代に影響を与えた事件や裁判、又法律制定に直接指揮し従事した
       法曹幹部を講師にして学習会を継続。ゾルゲ事件、三鷹事件、教科書裁判、三矢事件、
       日立IBM事件、人身保護法、有事法制、など。  
1979年  弁護士と共同し憲法問題に関わる名誉棄損、人権などに関わる各種裁判に準備書面
       主張執筆、

1980年 立川日韓親善協会とソウル城東区韓日親善協会間の姉妹締結に奔走、交流活動継続。 
1980年 日韓問題関連の各種著作物執筆に取り組む 。西東京日韓協新聞発行45年継続。
1983年 日本社会党レフチェンコ事件言論裁判始まる。ソ連のスパイのレフチェンコが日本滞在中
       に日本社会党議員らにお金を渡して積極工作をしたと米国外交小委員会で証言した。
       その名簿と供与金額が日本のマスコミが報道した。社会党は党の存立が危ぶまれるほど
       の衝撃を受けた。社会党は機関紙社会新報でレフ事件はアメリカCIAと共同して仕組んだ
       ものとの虚偽報道をした。訂正陳謝を求めたが拒否した。そこで訴訟提起した。社会党が
       賠償金支払えとの判決。社会党は控訴取り下げ。私の方が完全勝利。その結果社会党は
       少数政党に転落した。135人の議員数を誇った党が今や数名2、3名の惨状となっている。
       8年間の訴訟闘争で社会党は牙が抜けてしまった。この訴訟期間中に社会党研究チーム
       を造って『ニュー社会党の虚像と実像』を出版した。
1979年から1991年の12年間、各種裁判闘争の主張文章、準備書面、の著作に専念した。また、
       証人として出廷し共産党社会党の弁護団と闘う!
1984年  精神病院の宗教迫害の為の違法入院を告発して精神病院行政改革に貢献した。 その
       後『日本版収容所列島 』の書籍を出版。
1984年 衆参同時選挙において東日本の選挙違反処理に当たる。 日本国憲法改正勉強会開催、
       試案作成、
1991年 日本社会党レフチェンコ事件言論裁判が勝訴して終結。
1994年 日本共産党リンチ殺人事件言論裁判が勝訴して終結。
1997年 法曹懇談会休止。
1999年 西東京日韓親善協会再編。

2000年  NPO法人アジア共同体推進協会設立、
2007年  アジア共同体中国山東省日照市に桜寄贈。
2007年~2011年4年間、 山西省朔州市懐仁県日本工業団地事業協力
2008年  アジア共同体推進の為に調査研究啓蒙活動を恒常的に継続。

2015年から今日まで 政治・外交・経済・歴史・人権・宗教などの全集執筆に従事。
2016年2月、心筋梗塞で路上で倒れる。偶然、通行人の中に消防士が居て、人工呼吸を施す。
       聖マリアナ病院に緊急入院。九死に一生を得る。以後、祖国光復、東アジアの恒久
       平和実現のため、獅子奮迅の活躍中!

著 書

『日本版収容所列島 』 『裁かれる宮本顕治、上、下』             
『誰も語らなかったロッキード裁判』、  『日韓民間交流史』
『70年から85年の反共自由政治史』出版準備中『ニュー社会党の虚像と実像』書籍出版協力
「韓協新聞」「アジア共同体新聞」発行。他、執筆原稿、言論・法関連訴訟の準備書面多数。

発題要旨:
今日韓国のパククネ大統領弾劾騒動は戦後一貫して朝鮮半島共産化を画策して来た従北勢力
共産勢力が起こした運動です。韓国の自由保守反共勢力とパククネ大統領は一寸たりとも後退
してはならない。北朝鮮の共産勢力は70年代は日本を経由して韓国を共産化しようとした。日本
の左翼勢力と朝総連であった。

●今はどのようなプロセスで韓国を共産化しようとしているか
 日本の左翼勢力「社民党、福島瑞穂、朝日新聞、反日議員、帰化議員」に慰安婦、強制労働を
問題化させて、韓国内で火をつけて韓国内で反日を煽る。
 韓国には戦後反日教育が徹底しているから、60歳までの人々は、三つ子の魂百までの諺通り、
反日運動は一瞬にして浸透して起こる。
 日本では韓国が嫌いになる。現在はこうして日韓分断工作は進んでいるのである。共産主義者
の狙い通り工作は進められている。

解決策は次の通り。
 1、韓国保守反共勢力の政府が反日教育改善策を進めること、
 2、韓国保守政府が日本のように破防法制定して共産党勢力を規制すること、
 3、戒厳令施行して共産党勢力を排除する事。
 4、日本はそれに応えて韓国保守政府をあらゆる分野で援助すること、
 5、日韓両国政府は共同してアジアの自由解放政策を歩むこと、