川口大三郎君事件とは、何であったのか? 

敬愛する同志の皆様

去る11月7日(日)、川口大三郎君死去50周年を記念追悼した「川口大三郎君を偲ぶ会」に伊豆の
修善寺に行ってまいりました。

八木秀雄・七々子夫妻の主宰によるこの偲ぶ会は、花日和(百鶴苑)で開催され、翌日はお寺で
法要がありました。東京から井口さん、畠山さん、兵庫県丹波から大江さんを始め、川口君を偲ぶ
人々が全国から集いました。


川口大三郎殺害事件とは、1972118日、早稲田大学の川口大三郎君が、革マル派による
凄惨な集団リンチを受けて殺害された事件であります。


この事件の50周年に際して、樋田毅著『彼は早稲田で死んだ大学構内リンチ殺人事件の
永遠』が、11月10日付で出版されました。樋田氏は、早稲田大学文学部社会学科卒業後、
朝日新聞記者として活躍されましたが、川口君の死に関して、長年に渡り丹念に取材し、真摯に
向き合って来ました。


川口君の死は、文学部に拠点のあった革マルの田中委員長を組織から去らせ、5人の殺人に
携わった活動家を転向させるなど、殺人集団の狂気から目覚めさせる契機になりました。

60年安保で亡くなった樺美智子の死は、火に油を注ぐがごとく闘争の火を燃えあがらせましたが、
70年安保闘争における川口君の死は、燃え盛る憎しみの火を消す浄化水の役割を果たしました。

それは殉教者の死が周囲の人々を覚醒させたのに似ています。
樺さんの死は偶然の圧死とも謀殺であるとも言われ犯人はいまだ不明です。川口君の死は明らかな
意図的殺人であり、殺人に直接かかわった5人のみならず関連する運動家たちに、自分と向き合う
契機を与えてくれたのです。


私、大脇は、2016年7月から2019年3月まで2年6ヶ月間、伊豆修善寺ニュータウンの百鶴苑(現、
花日和)で暮らし、その間修善寺にある川口君の墓参りを関係者と共にしました。そこで誰かは分かり
ませんが、お墓にはお花が供養されていました。きっと懺悔の気持ちから5人の内だれかではないか
と思われます。
20175月小生は母の13回忌に母方の先祖の地出雲に供養に出かけた。
道案内くださったのは(財)人間科学研究所の主任研究員交易場氏であった。その時、交易場氏
は早稲田大学政経学部出身、川口君事件には深く係り、抗議集会にも参加したという。その時の
様子を堰を切ったようにお話される交易場氏と出会って、川口君事件が当時の学生に衝撃的な
影響を与えていることを改めて知った。


上記樋田毅氏の本を読んで、川口君の死と真摯に向き会い、彼の死が何であったのかを真剣に問うて
いる樋田氏の真面目さに感銘しました。
そしてこの書は、過去を顧みるよき機会を与えてくれました。
思えば原理研究会とは何であったのか、真剣に神の存在を問い、文鮮明先生の指導の下、歩んで
きた日々は何であったのか、そして川口事件は学生運動、日本社会思想史にどのように位置付け
られるのだろうか、等々の思いが走馬灯のように駆け抜けていきます。


川口君の死は、これを悼む学生有志のカンパ活動と村井資長総長による土地の提供により、
川口記念伊豆セミナーハウスとして結実しました。大学総長と学生、キャンパスの師弟の愛の結実で
あり、その麗しい伝統は今も花日和(百鶴苑)に受け継がれています。憎しみと欺瞞の共産主義運動に
対する真の愛の統一運動。きっと若き世代が、論文とか本に書いてくれる時が来るでしょう!そして
いつか歴史の中に真実が証しされることでしょう。 最後に大学を憎しみと暴力の海から正常化、
早稲田の栄光を取り戻してくださった奥島孝康総長の勇気ある決断に心から感謝を表するものです。
          2021.11.14                     
大脇準一郎

      

先日、1972118日、早稲田大学の川口大三郎君が、革マル派による凄惨な集団リンチを受けて殺
害された事件について、元朝日新聞記者樋田毅著『彼は早稲田で死んだー大学構内リンチ殺人事件の永
遠』の本をご紹介しました。

学生運動では数多くの内ゲバ闘争で陰惨なリンチ殺人が起こっているのもかかわらず、本書でその死
の意味が問われている通り、川口君の死ほどかくも多くの人々に影響を及ぼした例は少ないと思われま
す。そしてその後私は、ネット上で調べ、川口君の死が強烈なまでに大きな波紋を投げかけていること
を改めて知りました。

セクトの学生は「正しい暴力」と言い、「不正な行為」には鉄槌をくだす、などと暴力を正当化しま
す。目的は手段を正当化するという左翼の身勝手な論理で、イスラム過激派のテロの論理と変わりませ
ん。

つまり、そこで何が正しいか、間違っているか、善悪の判断が極めて独善的で、ヒステリックまでに
感情論に陥っているというのです。リンチ殺人が大学内で大手を振ってのさばっていることの大学の管
理責任も厳しく問われました。
 

実はかつて私は、実家の電機会社と山陰一のロゴスという本屋とUCの三位一体で、山陰に一大文化旋
風をおこすというプロジェクトのため一時鳥取にUターンしたことがあります。しかし、尾脇電機本社
が火事に会い、2人の従弟が焼死するという結果に終わり、私は再び上京することとなりました。

1968年から9年にかけて、原研組織部長のかたわら、世界学生新聞を創刊することとなり、初代
編集長を仰せつかりました。自立経済が建前でありましたので新聞の広告取りもやったものです。当時、
池野一義、渡辺雄一郎、大矢さんら編集スタッフとともに喧々諤々、編集した頃を懐かしく思い起こ
します。(その後私は勝共連合事務総局、教育、総部部長、次長、WACL大会総企画室長を務めました)

当時の新聞の縮小版を読み返して見て、私たちは思想という観点からキャンパスを見ていたことが分
かりました。キャンパスでの激しい思想戦や、左翼学生との紙上論争もしたのです。

そもそも思想とは、価値観、世界観、歴史観よりなるもので、その中でも価値観が中核であり、更に
価値観の奥には意識が、意識の奥には感情があり、憎しみと愛の戦いに帰結します。この過程を編集仲
間と議論し「思想確立の原理」として誌上で公表しました。

今もこの思想戦は国内で、アジアで、世界各地で繰り広げられていますが、その根底にあるのは、憎
悪の疑似宗教と言えるマルクス主義や宗教的価値観の相克であります。憎しみの思想からは何も生まれ
るはずはなく、深い心の傷が残るばかりです。誰の心の中にもある愛と憎しみ、その感情の海に立って、
その波風を制することは至難の業でありましょう。文鮮明先生は「天宙主管の前に自己主管」をモッ
トーとされ、「人に勝つより自分に勝て」と言われました。そしてイエス様は「迫害する者のために祈
れ」と言われ、文先生は「恩讐を愛せ」と言われました。これらの至言は、宗教の真髄であり、今こそ、
この言葉を想起すべきです。
許し難きを許す怨讐を超えた愛、これは憎しみを乗り越え、自分に打ち勝つこ
tuとを意味する。いかなる戦闘よりも難しい血塗ろの自分自身との戦いである。この内的勝利の基盤の上で
真の愛を外的に実践するとき、始めて、真の自由を得る。 

宗教は生命をも超えた絶対的価値を志向し、死とは地上生活の卒業式であり、霊界への誕生日、綻び
た宇宙服を脱いで霊人として立つ日でもあると教えています。当に宗教はこの永遠の人生を問い、そし
て哲学はこの世における生きる意味を問うものです。科学・技術の輝かしい発展に目を奪われた人類も、
再び、宗教・哲学と向き合う時代が到来していると思われます。
 

川口君の死を契機に村井総長と学生有志が一つとなり、伊豆のセミナーハウスとして結実しまし
た。李相憲先生は来日されるとよくこのセミナーハウスで統一思想、勝共セミナーを開催され、その折、
「日本の食口がかわいそうだ。ただ忙しく活動するばかりで思想が無ければ何も残らない。これを見
 かねてアボニムは私を派遣してくださいました。」と述べられました。

川口記念セミナーハウスは今も花日和(百鶴苑)に引き継がれ、私も2年半ほどお世話になりました。
その間、都心を離れた伊豆に全寮制の大学構想が持ち上がり動いたこともありました。

川口君の死によって恩恵を受けた者の一人として、事件50周年にあたり、川口君の死の意味を刻み、
冥福を祈りつつ、ネットを更新しました。ご笑覧賜れば幸いです。(了)

       2021.11.18                             大脇準一郎  拝

    参考情報 

 1)報道記事1:文春オンラインほか 第45回川口君を偲ぶ会 
 2)報道記事2:川口君事件資料集(日順) 第46回偲ぶ会 2017年
 3)報道記事3:随想ほか  伊豆の景色
 4)『彼は早稲田で死んだ』 書評集  
 
世界学生新聞の眼(1968.11.1~1969.4)  
⒈ 青年群像   ⒉ 対話の原理  ⒊ 大学と暴力  ⒋ 暴力の嵐  ⒌ 憎しみと愛の思想
         
 ⒍ 理論闘争  ⒎ 新しい伝統を築こう  ⒏ 学生新聞編集者討論会  ⒐ 新入生諸君へ  
         
                        
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
以下この催しの主催者八木秀雄・七々子夫妻のレポートを下記に添付します。
171230分より花日和(百鶴苑)にて、川口大三郎君の50回忌を開催します。
命日は118日になりますが、革マルによって若き命を失い、どれだけお母さんはじめ
身内の方々は悲しく苦しんだ事でしょう。我々当時20歳前後の若者たちは
共産主義の
間違いを訴え、戦いましたが、今尚形を変えて共産主義の犠牲者が
後を断たない事に、
終わりなき戦いを今尚思わざるを得ません。
セレモニーのひと時が邪悪と戦い、平和への結束の場となれば幸いです。
よろしくお願い致します。
From: 秀雄 八木 <mirika1800@icloud.com>Date: Wed, 10 Nov 2021 18:17:36
Subject: 50回川口大三郎君を偲んで
川口大三郎君を偲んでを、富士を仰ぎ見る伊豆の山の地『花日和』にて開催しました。
全国より25名が集まり、大三郎君やセミナーハウス、共産主義との戦いに関わった方々が
さまざまな証をしながら、新たな出発の場となりました。
原点は記念碑に書かれていますので下記に画像を貼付しておきます。
 From: 八木秀雄 <mirika1800@icloud.com>Date: Wed, 10 Nov 2021 18:41:18
Subject: 川口大三郎君の法要(50回忌)
118日川口大三郎君の50回忌法要が川口家の主催で伊豆の法蓮寺で開催されました。
教会からは大江さん 井口さんと八木夫婦が参加して、法要が終わった時、『彼は早稲田で
死んだ』の著者樋田毅氏はじめ11名の当時のクラスメイト等が
お墓に集まっていました。
一周忌は大隈講堂で1万人を集めて主催し、大三郎君を
リンチ殺害した革マルを糾弾する
大集会となりました。(生前大三郎君は早稲田
学生新聞に所属)しかしそのような学内の
状況を見た母川口サトさんは、学生
どうしの対立を繰り返すのでなく自然豊かな山荘で
話し合える場を提供したら
どうかと当時の早稲田学生新聞会のメンバーに相談し、キリストの
許せ・愛せ・
団結せよの精神でセミナーハウス建設構想が出発しました。
村井資長総長が提供した土地と母サトさんの主旨に賛同した全国の学生たちのカンパ活動
によって資金が集まりました。その後学内は沈静化し、事件から3
数ヶ月後の19763
伊豆の国市奈古谷にその構想は実現しました。
このセミナーハウスで若者の研修や統一思想
 教授アカデミー大学のゼミや
観光の拠点として活用されました。
44年の月日が流れ、2020年取り壊されたため、セミナーハウスの精神を受け継ぐべき、祈念碑
を伊豆市熊坂に移譲し、『花日和』として大三郎君のお姉さんたち
と共に新たな出発をしようと
準備しています。 
 
話は戻って樋田さんはじめ11名のクラスメイトは50回忌を最後と思って石川県、栃木県、東京
から集まってくれたと思います。しかし人間の命は霊を含めて永遠。
大三郎君が霊能者を通して
訴えている苦しみ、志しなどを証する場ともなりました。
いみじくも若者を中心とした勝共大会が117日、時を同じくして東京で開催されました。
今や共産差主義の脅威は大学内から中国を筆頭に世界的になって多くの
犠牲と不正と矛盾が
蔓延っています。これからの私たちの歩みが希望に満ち溢れ
た若者たちへの相続につながり、
日本と世界の平和に貢献できる再出発になる
ことを祈ってやみません。
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第45回追悼
2016年11月8日
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